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異世界料理道  作者: EDA
第四十四章 徒然ならぬ日々
751/1684

城下町巡り④~白鳥宮~

2019.6/20 更新分 1/1

 すべての試食を終えた後、俺たちはそのまま歓談を楽しむことになった。

 ヴァルカスたちとじっくり言葉を交わせるだけで、俺たちにとっては大きな喜びである。そしてここからは、かまど番の邪魔にならないようにずっと静かにしていた森辺の狩人たちも、思うさま交流を結ぶことがかなった。


「あんたたちって、ほんとに不思議な料理を作るよなー。俺なんかには、美味いんだかどうなんだかもわかんねーことが多いけど、今日の料理とか、とにかくすげー味だなーって思ったよ」


 ルド=ルウは俺と同じ卓であるので、呼びかけている相手はヴァルカスとタートゥマイだ。相手がどれほど無愛想であってもおかまいなしというのは、ルド=ルウの愛すべき美点であった。


 向こうの卓では、ジザ=ルウとガズラン=ルティムも積極的に声をあげている。陽気で年配のボズルはもちろん、ロイもそれなりに世慣れた人間ではあるので、問題なくコミュニケーションは取れている様子であった。


 それに、シリィ=ロウだ。

 彼女は最初から、マルフィラ=ナハムに照準を合わせているようだった。


「16歳? あなたはまだ16歳なのですね。いつからアスタに手ほどきをされているのですか?」


「は、は、はい。や、屋台の仕事を手伝い始めたのは青の月の23日ですので、4ヶ月と15日になるかと思われます」


「4ヶ月半。……しかしその前から、調理の仕事は果たしていたのでしょう?」


「は、は、はい。ナ、ナハムの家では、10歳からかまどの仕事を手伝い始めますので……あ、で、でも、ナハムの家がアスタに美味なる料理の手ほどきを受けたのは、金の月の12日となりますので、そこから勘定するべきでしょうか? そ、そうしますと、まもなく11ヶ月ということになりますが」


「……あなたは11ヶ月も前の出来事を、日付まで記憶しているのですか?」


「は、は、はい。わ、わたしにとっては、忘れ難い日でありますので……そ、その日、わたしは直接手ほどきを受けることはできなかったのですが、ナハムの家人がラヴィッツの家まで出向いて、アスタの技を習うことになったのです」


 どうやらマルフィラ=ナハムは、アイ=ファにも負けない記憶力を有しているようだった。

 ついでに計算能力もずば抜けているのですよと口をはさみたくなったが、シリィ=ロウの神経を逆撫でしそうなのでやめておいた。


「そういえば、アイ=ファにアスタ。ロイたちに伝えるべき話があったのではないですか?」


 と、遠い位置からガズラン=ルティムが呼びかけてくる。

 俺はアイ=ファと視線を交わしてから、「はい」と応じてみせた。


「実はですね、またロイたちを森辺の祝宴に招待したいのですが、如何なものでしょう?」


「へえ、そいつはありがたい話だな。また町の連中と親睦を深めようってのかい?」


「いえ、実はその日は、収穫祭というものが行われるのですけれど、色々と事情があって、各所から客人を招くことになっているのです。それで、ついでと言っては何ですが、またロイたちをお招きしたいなと思った次第なのですよ」


 この件に関しては、すでに三族長および近在の氏族の家長たちからも了承をもらっていた。6氏族の収穫祭は、もう目の前に迫っているのだ。


「ただ今回は、ジェノスの貴族の方々ばかりでなく、王都の外交官も招待することになってしまいました。外交官は、森辺の民がジェノスの人々とどのような絆を紡いでいるかを見届けるのが役割ですので、そういう結果になってしまったのですね」


「ふーん。俺たちにとっちゃあ、ジェノスの貴族も王都の貴族も、大して変わりはねえけどな。ちなみにジェノスの貴族のほうは、またトゥラン伯爵家のお姫さんか?」


「いえ。今回はそれに加えて、ジェノス侯爵家の第一子息のご一家と、ダレイム伯爵家の第二子息ポルアースも加わります」


「ほお!」と声をあげたのは、ボズルであった。


「今度はついに、ジェノス侯爵家ですか。しかも、跡継ぎたる第一子息のご一家とは……それはやはり、トゥール=ディン殿とご息女のご縁がきっかけなのでしょうかな?」


「ええ、そういうことになりますね」


 オディフィアを祝宴に招待するならば、フェルメスももれなくついてくる。ゲオル=ザザによって示唆されたその案件を、アイ=ファたちはぞんぶんに吟味したのち、ついにまとめて招待する結論に至ったのである。それを城下町に伝えたところ、メルフリードとポルアースばかりでなく、エウリフィアまで名乗りをあげることになったのだ。


「あとは、宿場町からユーミとテリア=マスも招待されます。そのおふたりのことは、ご存知ですよね?」


「ああ、シリィ=ロウが仲良くしていた娘さんたちだな。こいつはシリィ=ロウが喜びそうだ」


「べ、べつにわたしは仲良くなどしていませんし、何も喜ぶ筋合いではありません」


「まあ、俺としては遠慮なく参加させてもらいたいところだね。日取りは、いつなんだ?」


「6日後の、紫の月の13日を予定しています。以前のルウ家の祝宴と、同じぐらいの規模になると思いますよ」


 何せ今回は、他の氏族からもたくさんの客人を招く予定であるのだ。合同収穫祭の実情を見物するために、小さき氏族の代表者たちと、それに族長筋の人々も、あらためて参ずる予定になっている。それに6氏族の家人を合計すれば、軽く100名を突破するはずであった。


「13日、13日……えーと、サトゥラス伯爵家からご予約をいただいたのは、たしか15日だったよな。それじゃあ、13日は休業のはずだ」


 そんな風に述べてから、ロイはヴァルカスを振り返った。


「どうでしょうね、ヴァルカス? またその日の昼から翌日の朝まで、厨を抜けても許されますか?」


 たとえ予約の客がなくとも、この《銀星堂》では毎日のように料理の修練が行われているという話であるのだ。ヴァルカスはロイのほうを振り返ろうとはしないまま、「ええ」と低く応じた。


「森辺の集落に出向いて祝宴の料理を食することは、あなたがたにとって大きな糧となるでしょう。それを理由もなく引き留めることはできません」


「理由があれば引き留めたい、とでも言いたげですね」


「そのようなことはありません。ただ、なかなか城下町を出ることのできない我が身を口惜しく思っているばかりです」


 ヴァルカスは、人混みや山野の環境に弱い体質なのである。ぼんやりとした無表情はキープしたまま、卓の上に視線を落としたヴァルカスの姿は、悄然としているように見えなくもなかった。


「……無茶をなされば、鼻や咽喉を痛めることになるでしょう。ヴァルカスも若き頃にはそのような無茶を繰り返しておられましたが、そうした行いは必ずや料理人としての寿命を縮めることになるかと思われます」


 タートゥマイが静かな声でそのように述べたてると、ヴァルカスは「承知しています」と小さく息をついた。

 俺としても、ヴァルカスを祝宴に招待したいのは山々であるのだが、料理人としての寿命が縮むとまで言われては、断念せざるを得ない。俺は後ろ髪を引かれるような思いで、また隣の卓に視線を転じることにした。


「では、他の方々は如何ですか? ユーミはシリィ=ロウに会いたがっていましたよ」


「そ、そんなことはないでしょう。わたしたちは、友人でも何でもないのですから……」


「ユーミが嘘をつく理由はないと思います。普段から、あいつもたまには宿場町に顔を出せばいいのになーとか言っていますしね」


「あ、あいつ呼ばわりされるような間柄でもないはずです。まったく、礼節を知らない御方ですね!」


 などと言いながら、シリィ=ロウはいくぶんもじもじしていた。土台、内心を隠すことがそんなに得意でない彼女なのである。

 すると、かたわらのボズルがにこやかな笑顔で太い腕をあげた。


「わたしは是非とも、参席させていただきたいところですな! 美味なるギバ料理を思うさま食せる喜びはもちろん、森辺の方々とももっと絆を深めさせていただきたく思います」


「それじゃあ、俺とボズルだけでもお邪魔させてもらいますか」


「わ、わたしはまだ、返答していませんよ!?」


「だったら、きちんと返答しろよ。さっき、礼節がどうのって言ってなかったっけ?」


 シリィ=ロウは顔を伏せながら、上目づかいで俺を見やってきた。ふてくされた幼子のごとき面持ちである。


「では……その申し出を、受けさせていただきたく思います」


「はい、ありがとうございます。またみなさんと祝宴をともにできて、俺も嬉しく思います」


 そうして話がまとまったところで、食堂の扉が開かれた。

 そこから姿を現したのは、エプロンドレス姿の老女である。


「森辺の皆様方、お迎えの車が参りました。ご出発の準備はよろしいでしょうか?」


 ついに、茶会に出向く刻限となってしまったのだ。

 名残惜しいところではあったが、俺たちも腰を上げなければならなかった。


「それでは、これで失礼させていただきます。また復活祭が終わったら、お邪魔させていただけますか?」


「もちろんです。アスタ殿たちの料理を口にできる日を心待ちにしております」


 ヴァルカスたちも立ち上がり、外まで俺たちを見送ってくれた。

 そうして外に出てみると、ジェノス侯爵家の紋章を掲げたトトス車が鎮座ましましている。

 そしてそこには、すらりとした3名の人影も立ち並んでいた。


「お待たせいたしました、森辺の皆様方。白鳥宮に向かう方々が仕事を果たされるまでは、わたしが案内役を承ります」


 そのうちのひとり、いかにも貴公子らしい風貌をした若者が、うやうやしく一礼する。それは、サトゥラス騎士団の一員にして、サトゥラス伯爵ルイドロスの甥である、レイリスであった。


「貴方が案内役を? ……まさか、貴族に手ずから案内されるなどとは考えていなかった」


 ジザ=ルウがそのように応じると、レイリスは「そうですか」と涼やかに微笑んだ。


「ジェノス侯も案内役の人間を準備しようと考えていたようですが、わたしは自ら名乗りをあげたのです。森辺の方々ともっと絆を深めさせていただきたいと考えた結果であるのですが……ご迷惑であったでしょうか?」


「迷惑なことなどは、何もない。こちらは初めて城下町に足を踏み入れた身であるので、よろしくお願いしたく思う」


「はい、おまかせください」


 初めて出会ったときの緊迫感が嘘のように、レイリスはやわらかい表情をしている。それに、本日はどうやら私服であるらしく、さきほどの広場で見た人々とそう変わらない装いであるのが、なかなかに新鮮であった。


 この場では初対面の人間も多かろうが、同時にまた、レイリスの名を知らない人間はいないことだろう。そもそもは、彼の父親がシン=ルウと剣技の試し合いをする際に、卑劣な罠を仕掛けたことから始まって、のちには彼自身がジェノスの闘技会でゲオル=ザザを敗り、しまいには、スフィラ=ザザを巡る複雑な事情が生じて、ルウ家の集落で再戦が執り行われることになった。森辺の民にとっては、指折りで名の知れた貴族であるのだった。


 もちろん俺などは、数々の舞踏会で対面したことがあるので、個人的にもそれなりに親睦は深まっている。特に前回の仮面舞踏会などでは、やはり彼が案内役を担ってくれたのだ。そんな彼が、ジザ=ルウと挨拶を交わした後、こちらにもにこりと微笑みかけてくれたことが、俺にはたいそう嬉しく感じられてしまった。


「……僭越ながら、僕たちも同行させていただきます。何も余計な口ははさまないとお約束しますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 そのように述べてきたのは、当然というか何というか、王都の外交官フェルメスであった。レイリスに同行していたのは、彼とその従者であるジェムドであったのだ。彼らは宿場町に姿を現すときと同様に、フードつきマントと襟巻きで人相を隠していた。


「それでは、白鳥宮に向かわれる方々は、こちらにどうぞ」


 と、トトス車の脇にたたずんでいた人物が、俺たちに呼びかけてくる。それは数刻前に別れたばかりの、ジェノス侯爵家の従者たる男性であった。

 俺とアイ=ファ、リミ=ルウとルド=ルウ、そしてトゥール=ディンとシェイラの6名が、トトス車にお邪魔するべく歩を進める。その通りすぎざまに、フェルメスはフードの陰から微笑みかけてきた。


「また、のちほど」


 俺は会釈を返しつつ、アイ=ファのほうをそっとうかがった。

 アイ=ファは鋼の精神力で、無表情を保っている。フェルメスがこの場に現れることは、事前に聞かされていたのだ。


 俺たちが乗り込んで、トトス車が走り始めると、リミ=ルウがさっそく「ねえねえ」と声をあげてきた。


「お茶会のお仕事が終わったら、リミたちもまたジザ兄たちと一緒になるんだよね?」


「うん。その予定だよ」


「そっかー。あのフェルメスって貴族が一緒だと、アイ=ファは疲れちゃうね」


 リミ=ルウに左腕を抱え込まれながら、アイ=ファは「いや」と低く答えた。


「もとより、私の役目は護衛役だ。どのような状況でも常に気を張っているので、あやつがそばに居座っていたところで、特別に苦労が増すわけではない」


「でも、アイ=ファはあの貴族が苦手なんでしょ?」


「苦手……というか、いささか気に食わない部分があるだけだ」


「うん。リミも最近、アイ=ファの気持ちがわかってきた気がするの」


 そのように答えるリミ=ルウの瞳は、いつになく真剣な光をたたえているような気がした。


「あの人って、アスタのことが大好きみたいだけど……それって、リミが甘いお菓子を大好きなのと、同じような感じがしちゃうんだよね」


「うむ? いまひとつ、言っている意味がわからないのだが……」


「わかんない? えーとえーと……甘いお菓子って、生き物じゃないから何も考えないでしょ? あの人は、アスタが何を考えてるかとか、何を大事に思ってるかとか、そういうことをこれっぽっちも考えていないんじゃないかって……そんな風に思っちゃったの」


 アイ=ファはふっと微笑をもらすと、リミ=ルウの頭をくしゃくしゃにかき回した。


「それならば、わかる」


「そっか。やっぱりアイ=ファも、おんなじ風に考えてたんだね」


 リミ=ルウは、その年齢にそぐわぬ洞察力を有しているのだ。そんなリミ=ルウをして、フェルメスは手放しで歓迎できる相手ではない、と見なされたようだった。


 ちなみにフェルメスは、もともと茶会への参席を希望していたらしい。しかし主催者であるエウリフィアは、これはあくまで貴婦人の集いであるので殿方はご遠慮願いたいと、やんわり固辞したのだそうだ。

 で、その代案として、宿場町を巡り歩くツアーのほうに参加することが決定されたわけである。そうして茶会の仕事を終えた後は、俺たちもまたジザ=ルウたちと合流する手はずであったのだった。


(これを機会に、フェルメスと正しい絆を深められるといいんだけどな。……まあ、焦らずに頑張るしかないだろう)


 そうしてトトス車は、白鳥宮に到着した。

 つい先日、ゲルドの貴人らの返礼の晩餐会でも使用された小宮である。まずは浴堂で身を清めて、控えの間に出てみると、そこには茶会で通例の装束が準備されていた。


「あー、そっかそっか。茶会では、この窮屈な装束を着込むんだったな」


 ルド=ルウは、勝手知ったる様子で装束に手をかける。そちらは白を基調とした武官のお仕着せで、俺のほうは白ずくめの調理着だ。

 着替えを終えて待っていると、女衆らも姿を現す。アイ=ファはルド=ルウとおそろいのお仕着せで、リミ=ルウとトゥール=ディンは可愛らしいエプロンドレスである。


「ふふん。お前のその格好も、だいぶ見慣れてきちまったなー」


「んふふー。それはこっちだって、一緒だよー」


 仲良し兄妹がにまにまと微笑みながら、おたがいの姿を検分している。

 俺はというと、アイ=ファの凛々しい姿にちっとも見慣れることはできていなかった。男装の麗人という言葉を体現したかのような、実に麗しき姿であるのだ。着替えを手伝ったシェイラなどは、それはもう陶然とした面持ちでアイ=ファの姿に見とれていた。


「それでは刻限も差し迫っておりますので、まずは貴婦人の皆様方にご挨拶をお願いいたします」


 やがて我を取り戻したシェイラによって、茶会の会場へと導かれる。本日も、屋外の庭園であるようだ。

 美しい花の咲き誇る庭園の真ん中に、幾人もの貴婦人たちが集っている。精緻な彫刻のほどこされた石柱に、石造りの立派な屋根が支えられており、その下で貴婦人たちはお茶を楽しんでいるのだ。


「エウリフィア様、森辺の皆様方が到着されました」


「ああ、よくいらしてくれたわね。みんなお元気なようで何よりだわ」


 白いティーカップを持ち上げたまま、エウリフィアは優雅に微笑んだ。


「アイ=ファとルド=ルウの凛々しい姿を目にすることができるのも、茶会の大きな楽しみね。本当に、何度見てもほれぼれとするような姿だわ」


「へへ。こっちは窮屈なだけだけどな」


「それでは、今日のお客人を紹介させていただくわね。まあ、いまさら紹介など必要もない方々ばかりでしょうけれども」


 エウリフィアの言う通り、その場に居並んでいるのは、全員がよく見知った相手であった。

 エウリフィアとその息女たるオディフィア、ダレイム伯爵夫人リッティア、ポルアースの伴侶たるメリム、トゥラン伯爵家の当主リフレイア――そして、ジャガルの客人たるディアルと、占星師アリシュナという顔ぶれである。


「アリシュナは、ずいぶんひさびさですね」


 俺がそのように笑いかけると、アリシュナは無表情に一礼してきた。


「はい。アスタ、再会できて、心より嬉しく思っています」


「あら、わたしの顔などは見飽きてしまったということでしょうか?」


 目にも鮮やかなコバルトブルーのドレス姿をしたディアルが、にっこりと笑顔で割り込んでくる。いつもの天使のごとき魅力的な笑顔ではなく、なおかつ目もとはまったく笑っていない。


「いえ、そのようなことは決してありませんけれども、アリシュナとはふた月近くも顔をあわせる機会がなかったのですよ」


「ふうん。それならわたしもふた月ぐらい城下町にこもっていたら、そのようにお優しいお言葉をかけていただけるのでしょうか」


 どうやらディアルは、俺が真っ先にアリシュナへと声をかけたことで、おへそを曲げてしまわれたご様子である。

 すると、エウリフィアがころころと笑い声をあげた。


「いつも言っているけれど、このような場でぐらい、いつもの元気な調子で語らってかまわないのよ、ディアル? ここには堅苦しいことを述べたててくる殿方もいないのですからね」


「ええ……ですが本日は、ダレイム伯爵家のみなさまもいらっしゃいますし……」


 すると、小さくて丸っこい体格をした伯爵夫人リッティアが、とても柔和な面持ちで微笑んだ。


「わたくしどものことなど、お気にかける必要はございませんわ。森辺の皆様方と気安い関係を築かれておられるなら、どうぞいつも通りにお振る舞いくださいね」


 ディアルは、もじもじと身体を揺することになった。本当は、俺と丁寧な言葉を交わし合うことなど、これっぽっちも望んではいないのだろう。その末に、ディアルは声をひそめてこのように語り出した。


「皆様の温かいお言葉には、心から感謝いたします。……でも、あちらの柱の陰では、わたしの供も控えているのです」


「ああ、あの背の高い従者の御方ね。それがどうかして?」


「……貴き方々の前で非礼な口調をつつしむようにというのは父の教えであり、それに関しては供の者も十分にわきまえているのです」


「まあ。従者の御方が父君に告げ口をしてしまう、ということかしら?」


「いえ、ラービスはそのような真似をする人間ではないのですが……そうであるからこそ、わたしと父の板挟みとなって、やるかたない思いを抱え込むことになってしまうと思うのです」


「あら」と、エウリフィアは楽しそうに口もとをほころばせた。


「あなたは父君に叱責されることよりも、ラービスという御方の立場を慮っているようね、ディアル。ただの従者ではないのだろうと思っていたけれど、あの御方はあなたにとって特別な存在であるのかしら?」


「と、特別は特別ですが、別におかしな意味ではありません。ラービスとは、兄妹同然に育てられた間柄ですので……」


 ディアルが白い頬に血をのぼらせると、エウリフィアはいっそう愉快そうに目を細めた。


「そう。だったらわたくしが、場を整えてさしあげましょう」


「え? それはどういう――」


「これは、わたくしが主催する茶会であるのですよ、ディアル!」


 と、エウリフィアがいきなり声のトーンをあげた。


「この場においては、わたくしの言葉に従っていただきます! あなたはいつも通りにお振る舞いなさい!」


 ディアルはもちろん、リッティアやメリムも目をぱちくりとさせてしまっていた。

 エウリフィアはゆったりと微笑んで、再び囁き声となる。


「貴族の理不尽な言葉に従わされるなんて、ままあることでしょう? あなたはわたしの不興を買わないように、言いつけに従わなければならないの。あなたの父君だって、これでは文句を言えなくなるのじゃないかしら?」


「……そうまでして、わたしにぞんざいな口を叩かせたいのですか?」


 ディアルは表情の選択に困っている様子で、苦笑っぽい面持ちになっていた。

 エウリフィアは「そうね」と微笑んでから、ようやくカップの茶を口にする。


「まあ、一番に考えているのは、お客人に楽しんでいただくことよ。あなたはいつも茶会で窮屈そうにしているから、それを解き放ってあげたいと考えていたの」


「……わかりました。あなたのお考えに従います」


 そんな風に応じてから、ディアルは俺に笑いかけてきた。


「だったら、アスタも僕には丁寧な言葉づかいをやめてよね? じゃないと、僕だけおかしな感じになっちゃうからさ」


「えーと……それでかまわないのでしょうか?」


 俺が尋ねると、エウリフィアは「もちろん」と首肯した。

 すると、無言でこのやりとりを見守っていたリフレイアが「それなら」と声をあげる。


「わたしに対しての言葉づかいもあらためてもらえないかしら? エウリフィアが、それを認めてくれるのならね」


「ああ、あなたがたも、普段はもっと気安く言葉を交わしているという話だったわね」


「ええ。わたしなどは誰が相手でも変わることはないけれど、アスタはもっとぞんざいな言葉を使っているわ。出会った当初は、わたしなどに敬意を払う気にはなれなかったでしょうからね」


 取りすました面持ちで、リフレイアは華奢な肩をすくめた。


「だから、人の目のないときは、かしこまらないようにお願いしていたの。この場でも、そうさせてもらってかまわないかしら?」


「ええ、わたしはちっともかまわないわよ」


 エウリフィアがあっさり快諾してしまったので、俺は自分で反論せざるを得なかった。


「しかしですね、リフレイアは伯爵家の当主という身分にあられる御方です。そんな御方を相手に、公衆の面前で気安い口を叩くというのは、なかなかに気が引けてしまうのですが……」


「だって、ディアルばかりずるいじゃない」


 と、リフレイアはいきなり口をとがらせた。最近の彼女が人前でそのような表情をさらすのは、ちょっと珍しいことである。


「格式張った場所では格式張った言葉を使うべき、という話だったでしょう? どうやらここは格式張った場所ではないようだから、かしこまる必要はない、と言っているの。何かおかしいかしら?」


 俺が返答に窮していると、ルド=ルウが「いいじゃねーか」と声をあげてきた。


「森辺の男衆なんて、ガズラン=ルティムみたいなやつを除けば、みんなぞんざいな口をきいてるんだからよ。……それより、仕事を始めなくていいのか?」


「そうね。うかうかしていると中天になってしまいそうだから、さっそく美味なる菓子を準備していただこうかしら」


 そんな風に述べてから、エウリフィアは俺たちの姿を見回してきた。


「ただその前に、ひとつだけ伝えておかなければいけないわね。今日は森辺の方々だけに菓子を作ってもらう予定だったのだけれど……もう1名、料理人を加わらせてもらえるかしら?」


 エウリフィアの視線は、最終的にトゥール=ディンのもとで固定された。

 トゥール=ディンはあたふたとした様子で、「は、はい」と一礼する。


「そ、それはもちろん、かまいませんけれど……でも、いったいどうされたのですか?」


「本人が、あなたがたと同じ日に厨を預かりたいと名乗りをあげてきたのよ。遅まきながら、あなたやリミ=ルウの作る菓子に興味を抱いたようね」


 そう言って、エウリフィアはくすりと笑った。


「以前にも、この場で名前ぐらいは出たはずよね。それは、ジェノス城で料理長をつとめている、ダイアという者なのよ」


「えっ!」と飛び上がったのは、リミ=ルウであった。もちろん俺も、同じ心境である。


「ダイアって、ヴァルカスと同じぐらい、すごいかまど番って言われてる人でしょ? えーと……そーへき?」


「そう、料理人の双璧ね。ミケルという料理人が城下町で働いていた頃は、ひそかに三大料理人と称されていたようだけれど。……承知していただけるかしら?」


「は、はい。もちろんです」


 緊張と昂揚のごちゃまぜになったお顔で、トゥール=ディンはうなずいた。その御仁に関しては、さきほど《銀星堂》で名があがったばかりであったし、昔日にはティマロからもその腕の素晴らしさを力説されていたのだ。

 エウリフィアは満足そうに微笑むと、卓上の鈴を鳴らして小姓を呼びつけた。


「ダイアを呼んできて。控えの間で休んでいるはずだから」


「かしこまりました」と、小姓は楚々とした足取りで建物のほうに向かっていく。

 その背中を見送りながら、メリムが笑顔で発言した。


「ダイアという御方も、とりわけ菓子作りで名を馳せていますものね。どのような菓子を食べさせていただけるのか、心が弾んでしまいます」


「あら、あなたはダイアの菓子を口にしたことがなかったのかしら?」


「はい。わたくしは、あまりジェノス城の祝宴に参席する機会もありませんでしたので」


「ああ、あなたの伴侶であるポルアースはつい先年まで、何の役職も持っていなかったのよね。いまの働きっぷりからは信じられないことだわ」


 そのように述べてから、エウリフィアは愛しき息女の髪を撫でた。


「オディフィアはトゥール=ディンの菓子に夢中だけれど、わたしはダイアの菓子だって決して負けていないと思っているのよね。あなたがたがどのような感想を抱くのか、いまからとても楽しみだわ」


「では、味比べに興じるのですか?」


 メリムの言葉に、エウリフィアは「いえ」と首を振る。


「味比べは、無理ね。ダイアの菓子は、ひと目でダイアがこしらえたものと知れてしまうもの」


「ああ、それはそうですねえ」と、リッティアが穏やかに応じる。伯爵夫人たるリッティアは、ダイアなる料理人の菓子や料理を何度となく口にした経験があるのだろう。


(森辺の民でそのお人の料理を口にしたのは、闘技会の祝勝会に招かれた面々だけだもんな。ララ=ルウなんかも、とりたてて記憶には残ってないって言ってたし……)


 なおかつその日は大勢の客人を招いての祝宴であったのだから、立食パーティー形式の宴料理であったのだろう。料理長という立場にあるダイアというお人は取り仕切り役を任されていたのであろうから、どこまで調理に関与していたかも不明であった。


 ヴァルカスと同等とまで評されるそのお人は、いったいどのような人柄で、どのような手腕を備えているのか。俺は大いなる期待感を胸に、そのお人が登場するのを待ちわびた。

 そして――俺とトゥール=ディンは、心から仰天させられることになったわけである。


「ダイア様をお連れいたしました」


 小姓の案内で、その人物がこちらに近づいてくる。

 その顔に浮かぶのは、見る者の心を和ませてやまない、とてもやわらかな微笑であった。


「ジェノス城の料理長をつとめさせていただいております、ダイアと申します。先日は、素晴らしい料理と菓子をありがとうございました」


 俺もトゥール=ディンも、とっさに言葉を返すことができなかった。

 それはつい2日前、ガズラン=ルティムたちが城下町から戻ってくる寸前に俺たちの屋台を訪れた、あの旅人姿の年配の女性だったのである。

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