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異世界料理道  作者: EDA
第四十四章 徒然ならぬ日々
750/1681

城下町巡り③~《銀星堂》~

2019.6/19 更新分 1/1

「ちょうど先日、新作の料理を完成させることがかないましたので、そちらを試食していただきたく思います」


 ヴァルカスの言葉とともに、料理が並べられていく。給仕役の老女は出ていったままであったので、配膳を担うのは4名のお弟子たちである。

 小ぶりの白い深皿に、肉と野菜の煮つけが盛られている。煮汁の色は深みのあるグリーンであり、当然のように香草の香りが強く匂いたっていた。


「肉はカロンの背中の肉、野菜はチャッチとティンファになります。ちょうどギバ肉を切らしてしまっていたのでカロンの肉を使いましたが、微調整すればギバ肉にも調和するかと思います」


 あくまでも淡々と、ヴァルカスはそのように述べていた。

 本日は狩人たちにも料理が供されていたので、ジザ=ルウが「ふむ」と声をあげている。


「何とも不可思議な香りだな。どのような味であるのか、まったく想像することができん」


 それは、俺も同様であった。とても辛そうで、何とも清涼感にあふれた香りであるのだが、その裏側には早くも甘みや酸味や香ばしさを感じさせる複雑な香気がたゆたっていたのだ。


「それでは、いただきます」


 これは試食であるので、食前の文言もなく、食器を取り上げる。

 卓にはナイフとフォークが準備されていたが、カロンの肉は切り分ける必要がないぐらいにやわらかかった。かなり入念に煮込まれている様子だ。


 そうして、料理を口に運んでみると――香りから感じられた複雑さが、何倍もの強烈さで舌を蹂躙してきた。

 辛みは、それほど強くない。まろやかな甘酸っぱさと深みのある香ばしさが主体であり、後から追いかけてくるように辛みが舌を刺激した。


 肉の内側にも、その複雑なる味わいがしっかりとしみこんでいる。そして、肉と脂の持つ旨みが、その複雑な味わいをより奥深いものにして、おたがいの存在をブーストさせているように感じられた。


 何というか、コクが物凄い。

 普段のヴァルカスの料理よりも、さらにねっとりと味蕾にからみついてくるかのようだ。

 しかし、鼻にはすうっと清涼なる香気が抜けていく。

 これほど濃厚なる味わいであるというのに、水や焼きポイタンを欲する気持ちにはならなかった。


 さらに野菜も食してみると、そちらではまた異なる味わいが待ち受けている。

 ジャガイモのごときチャッチも白菜のごときティンファも、それ自体は強い味を持っていない野菜であるわけだが、それが濃厚なる煮汁の味わいを緩和すると同時に、またいくぶん毛色の変わった風味を生み出しているのである。


 チャッチは、ものすごく甘く感じられた。

 ジャガイモのごときチャッチが、まるでサツモイモのごとき甘さであるのだ。これは何らかの細工によって、チャッチの糖度が引きあげられているのだろう。


 いっぽうティンファには、強い酸味が感じられた。

 ティンファ自体に酸味がつけられているのか、あるいは煮汁の成分がティンファの成分と結合することで酸味を生み出すのか、それは判然としなかったが、とにかくティンファは柑橘類のように甘酸っぱくて、それがまた口の中を心地好く洗ってくれるような感覚であった。


「これは……すごい料理ですね」


 マイムが、深く吐息をついていた。


「的外れであったら、恐縮ですが……もしかしてこれは、ミソを使った料理なのですか?」


「はい。ミソと香草の調和を追究した料理となります」


 その言葉で、俺はあらためて驚かされることになった。この料理から感じられる香ばしさや強いコクは、ミソからもたらされるものであったのだ。

 しかし、それ以外にミソらしい風味などはいっさい感じられない。きっとミソなくしては作りあげられない味わいであろうに、ミソ自体の存在感は皆無であるという、これはそういう不可思議な料理であったのだ。


「これが、ミソを使った料理なのですか……わたしには、まったくミソの風味を感じ取ることができませんでした」


 レイナ=ルウは、そのようにつぶやいていた。

 その強く輝く青い瞳が、やがてヴァルカスのぼんやりとした顔を見つめる。


「ヴァルカス、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「はい、何でしょう?」


「ミソというのは、それ自体が素晴らしい味を持つ食材だと思われます。それをこうまで異なる味わいに仕立てあげようというそのお考えは……いったいどういった心境から生まれるものなのでしょうか?」


 ヴァルカスは、宙を舞う蝶々でも追いかけるかのように視線をさまよわせた。


「どういった心境かと問われますと、返答に困るのですが……わたしは完全なる調和を目指しているばかりです」


「しかし、こうまで異なる味わいを目指さなくとも、ミソというのはちょっとした手間だけで、美味なる味わいを作りだせる食材ではないですか?」


「そうですね。ですが、それはどの食材でも同じことなのではないでしょうか? カロンの上等な肉でしたら、塩をふって焼くだけで十分に美味ですし、入念に育てあげられたタラパなどは、そのままかじっても豊かな味わいを楽しめます。砂糖や蜜とて、そのまま舐めても不味いと判じる人間は少ないことでしょう」


 そこでいったん言葉を区切ってから、ヴァルカスは言った。


「しかし、それでは退屈ではないですか」


「退屈……ですか」


「はい。食材には、無限の可能性が秘められています。その可能性を打ち捨てて、簡単に手の届く味わいで満足することを、わたしは退屈だと考えます。食材の内に眠る可能性を、自分の力の及ぶ限り、表に引き出してやりたいと願っている……とでも申すべきでしょうか」


 そこでヴァルカスは、真剣な面持ちでこの問答を聞いていたマイムのほうに目をやった。


「わたしとミケル殿は、まったく正反対の作法で料理を作りながら、その本質に変わるところはない。……ミケル殿は、かつてそのように仰っていたそうですね」


「はい。わたしもその話には、心から納得することができました」


「そうでしょう。わたしもミケル殿に、同意いたします。ミケル殿も、そしてきっとアスタ殿も、食材の有する可能性を引き出すことに眼目を置いているのでしょう。ただ、わたしが食材の陰に潜んでいる味わいを引き出す作法であるのに対して、ミケル殿やアスタ殿は表層上の味わいにより豊かな彩りを加えることで、完全なる調和を目指している。ただそれだけの違いであるように思います」


「食材の陰に潜んでいる味わい……そうですね。わたしもミソにこのような味わいが隠されているとは、まったく気づくことができませんでした」


 そう言って、マイムはにこりと微笑んだ。


「この料理は、本当に素晴らしいと思います。わたしや父には、決して作れない料理だとも思います。……そしてわたしは、それと同じぐらい、父の料理を素晴らしいものだと考えています」


「はい。それにも同意いたします。だからわたしは、ミケル殿の作法があなたに引き継がれたことを、心から嬉しく思っているのです」


 そんな風に言いながら、ヴァルカスは俺のほうに視線を転じてきた。


「……アスタ殿は、如何でしたか? よろしければ、ご感想をお聞かせいただきたく思います」


「はい。本当に素晴らしい料理ですし、心の底から驚かされました。ミソと香草をこのような形で調和させるなんて、俺にはとうてい考えつきません。それに、肉と野菜でまったく異なる味わいに感じられるのも驚きです」


「他の野菜でも試してみたのですが、こちらの味付けにはチャッチとティンファがもっとも調和するようです。ただ、野菜が2種では物足りないので、今後も研究は続けるつもりでいます」


 シーラ=ルウやリミ=ルウやトゥール=ディンも、口々に感想を口にした。その後には、隣の卓のユン=スドラとレイ=マトゥアが続く。その中で、ヴィナ・ルウ=リリンはいくぶん困ったようなお顔で微笑んでいた。


「わたしには、どのような感想を口にすればいいのかもわからないわぁ……ララを差し置いて同行することを許してもらえた身であるのに、申し訳ないわねぇ……」


 ルウ本家の姉妹の中でララ=ルウだけが参加することができなかったので、そのことを気にしていたのだろう。すると、その言葉を聞いたリミ=ルウが「大丈夫だよ!」と声をあげた。


「シン=ルウが一緒だったら、ララもすねちゃってたかもしれないけど、全然そんなことなかったもん! シュミラル=リリンがいるんだったらヴィナ姉が行くべきだって、ララも思ったんじゃないのかなあ」


「もう……大きな声で、あまり恥ずかしいことを言わないでよぉ……」


 以前であったら顔を真っ赤にしていたところであろうが、ヴィナ・ルウ=リリンは長くのばしたサイドの髪を弄りながら、気恥ずかしそうに微笑むばかりであった。その仕草が、えもいわれぬほどに艶めいている。


「あなたはどうなのぉ、シュミラル……? シムの香草については、あなたが一番詳しいのでしょう……?」


「はい。ですが、この料理、不可思議です。シム、このような料理、存在しません」


 すると、ヴァルカスのななめ後方に控えていたボズルが「ふむ?」と声をあげた。


「そういえば、そちらのあなたはルウ家のどなたかに婿入りすることを願って、森辺の家人になったのだというお話でしたな。もしかしたら、そちらの御方が……?」


「はい。婿入りでなく、嫁取り、なりましたが、先日、婚儀、あげること、かないました」


 シュミラル=リリンが微笑まじりに答えると、ボズルは「それはそれは」と笑みくずれた。


「何とも、おめでたい話ですな。のちほど、あらためてお祝いの言葉をお伝えしたく思います。……いまはその前に、試食のご感想ですな」


 森辺のかまど番の中で、まだマルフィラ=ナハムが感想を告げていなかったのだ。レイ=マトゥアがそれをうながすように肘でつつくと、マルフィラ=ナハムは「は、は、はい」と視線を泳がせた。


「と、と、とても不思議で、とても美味な料理だと思います。こ、こ、この味付けはギバ肉にも合うのでしょうか? な、何だかまったく想像がつきません」


「はい。キミュスよりは、ギバのほうが調和するはずだと考えています。香草の分量や火加減には調節が必要になりますので、一朝一夕にはいかないかと思われますが」


「そ、そ、そうですか……わ、わたしも色々と試させていただこうと思います」


「試す?」と、ヴァルカスは小首を傾げた。

 マルフィラ=ナハムは視線を泳がせながら、こくこくとうなずく。


「は、は、はい。こ、こちらの料理で使われていた香草は、家にそろっているように思いますので、味付けの参考にさせていただこうかと……」


「ちょっと待ってくれ。あんたはいまの料理に何の香草が使われていたのか、そいつを全部読みきったってのか?」


 ロイが鋭く声をあげると、マルフィラ=ナハムはいっそうへどもどしてしまった。


「は、は、はい。わ、わたしの知らない香草は使われていないようでしたので……」


「……試すみたいで恐縮だけどよ、それじゃあこいつにはいくつの香草が使われていると考えてるんだ?」


「ろ、ろ、6種類だと思うのですが……」


 ロイは息を呑み、隣のシリィ=ロウと顔を見合わせた。シリィ=ロウも、かなり困惑の面持ちである。

 いっぽうヴァルカスは相変わらずのぼんやりとした表情で、また俺のほうに目を向けてきた。


「アスタ殿は、何種の香草が使われていたとお思いですか?」


「種類の見当がついたのは、4種です。もう2、3種類は使われているのだろうな、とは思っていましたが」


「では、マイム殿は?」


「わたしも、6種ですね。最近ようやく、香草の勉強が進んできたところであるのです」


「ルウ家のみなさん……レイナ=ルウ殿とシーラ=ルウ殿でしたか。それに、トゥール=ディン殿は如何です?」


「種類まで判別できたのは、3種です」


「わたしも、3種です」


「わたしは……4種です。それはきっと、ぎばかれーで使われている香草であるので、見当がついたのだと思います」


「なるほど」とうなずいてから、ヴァルカスはマルフィラ=ナハムに向きなおった。


「確かにいまの料理には、6種の香草が使われていました。ですが、ミソと香草だけでは成立しない料理であるはずです」


「は、は、はい。パナムの蜜や白ママリアの酢や、ラマムやシールなども使われているのですものね。そ、それに、キミュスの骨ガラの出汁というものは、まだ自分の家でこしらえたことがないのです」


「おいおい」とロイは首を振っていた。

 シリィ=ロウなどは、だんだん物騒な目つきになってきてしまっている。何だか初めて俺と相対したときのような様相であった。

 そんな中、ヴァルカスは眠たげにも見える眼差しでマルフィラ=ナハムを見やっている。


「あなたはたしか、マル……マルホロ=ハナム殿でしたか?」


「わ、わ、わたしはマルフィラ=ナハムと申します」


「失礼。人の名と顔を覚えるのが不得手なものでして。……マルフィラ=ナハム殿、本日はあなたの料理も食べさせていただけるのでしょうか?」


「と、と、とんでもありません。わ、わたしなどは、まだまだ未熟者ですので」


「そうですか。いずれあなたの料理も食べさせていただけたら、嬉しく思います」


 マルフィラ=ナハムは、恐縮しきった様子で目を泳がせている。

 その隣に座っていたレイ=マトゥアが、「すごいですね!」と強めに囁いているのが、俺のほうにも聞こえてきた。


「では、森辺の方々の料理も試食させていただけますでしょうか」


「あ、はい。今日は、ロイの料理はないのですね」


 俺がそのように反問すると、ロイが「ふん」と鼻を鳴らした。


「容赦を知らない師匠様に、次から次へと課題を出されるもんだから、自分の料理を研究するヒマもねえんだよ。俺が献立を開発するのは100年早いんだとさ」


「100年まではかからぬかと思いますが、あなたは食材を扱う基礎がまるでなっていないのですよ、ロイ」


 ぼやくロイを一刀両断して、ヴァルカスは厨の扉へと手を差しのべた。


「では、こちらにどうぞ。特に食材などは必要ないというお話でしたね?」


「はい。基本的には、温めなおすだけで済む料理を準備してきましたので」


 俺、マイム、レイナ=ルウの3名が、厨にお邪魔させていただくことになった。

《銀星堂》の厨は思いの外、外連味のない造りであった。石造りのかまどに鉄製のオーブン、各種の調理器具など、城下町における一般的な厨であるようだ。

 ただし、壁のほとんど一面を埋めた戸棚には、香草の詰め込まれた硝子瓶がびっしりと並べられている。食料庫には、きっとこれ以上の香草が保管されているのだろう。黄色い液体に漬けられた何かの黒焼きや、きらきらと七色に輝く石塊など、俺には正体のわからないものもいくつかまぎれこんでいるようだった。


「その戸棚には触らねえでくれよな。勝手にいじると、ヴァルカスはうるさくてたまらねえんだ」


 案内役として同行してきたロイが、そのように述べたててくる。

「もちろんです」と応じてから、俺が料理を温めなおしていると、ロイはさらにこっそり耳打ちしてきた。


「なあ、あのマルフィラ=ナハムってのは、最近仲間入りしたかまど番だったよな。いったい、どういう素性のやつなんだ?」


「どういう素性って、べつだん変わった素性ではないですよ。ただ、とにかく最初から才能を感じさせる娘さんだったんで、ちょっと目をかけている部分はありましたけれど」


「……あいつは、どういう料理を作るんだ?」


「わかりません。実は俺も、まだ彼女が自分だけで作りあげた料理というのは口にしたことがないんです。とても遠慮深い性格なので、いまは修練に集中しているのではないですかね」


 ロイは、深々と溜め息をつくことになった。


「次から次へと、色んなやつが出てきやがるな。俺も足もとを固めておかないと、またお前らに鼻をへし折られちまいそうだ」


「あはは。ロイの新作料理も楽しみにしてるので、頑張ってくださいね」


 そうして仕事を果たした俺たちは、食堂に控えていた女衆も呼び出して、配膳を手伝ってもらうことにした。実は俺たちも、持参したギバ料理で昼の食事を済ませる段取りになっていたのだ。


 ヴァルカスたちは、空いていた席に腰を落ち着けている。俺たちがそれぞれの料理を配っていくと、ボズルが「ほほう」とはしゃいだ声をあげた。


「これはこれは、見事な料理ばかりで目移りしてしまいますな。試食会というよりは、普通の食事であるかのようです」


「はい。ただ、献立の組み合わせはまったく考慮していないので、その点についてはご了承ください」


 すべての皿を配り終えて、俺たちも着席させていただく。

 俺の正面には、ヴァルカスとタートゥマイの無表情コンビが並んでいた。


「最初に説明させていただきますと、俺が『ギバ・カレー』、マイムが煮込み料理、レイナ=ルウとシーラ=ルウが汁物料理、トゥール=ディンが菓子という献立になっています」


 俺が準備したのは、ホウレンソウのごときナナールを使った、特製の『ナナール・ギバカレー』であった。ルーの色は濃厚なグリーンで、ごろりとしたギバの肩肉と小さめにカットした野菜をふんだんに盛り込んでいる。


 マイムが準備したのは、昨日もお披露目されていたミソの煮込み料理だ。レイ=マトゥアを除く森辺の民は2日連続の献立となるが、文句を言いたてる人間はいないことだろう。


 レイナ=ルウとシーラ=ルウは、新作の汁物料理であった。昨日はタラパ仕立てであったが、本日はカロン乳仕立てであり、こちらでもアマエビのごときマロールが風味づけに使われている。


 トゥール=ディンは、ゲルドの貴人たちにも好評であった、大福餅だ。あの日の晩餐会のときと同じように、プレーンのつぶあん、アロウ入りのつぶあん、チョコとこしあんのブレンド、という3種を準備している。


「こちらの食事用として、焼いたポイタンも準備させていただきました。よかったら、ヴァルカスたちもお召し上がりください」


「はい、ありがとうございます。……もうよろしいですね?」


 言うが早いか、ヴァルカスは金属製の匙を取りあげていた。

 目指すは、俺の準備した『ナナール・ギバカレー』である。まあ、予想通りといえば予想通りの反応であった。


 まずは匙でルーだけをすくいあげ、それを口にする。

 次は具材を口にして、その次は焼きポイタンをひたして食する。

 その末に、ヴァルカスは大きく天を仰いだ。


「アスタ殿、こちらの料理に、酪は使われていないのですね? そうであるにも拘わらず、これは……まごうことなき調和を完成させているように思います」


「はい。これは、根本から作り方を変えてみたのです。お気に召したでしょうか?」


「……まごうことなき調和を完成させているように思います」と、ヴァルカスは同じ言葉を繰り返した。


「しかし確かに、これは以前から食べさせていただいていたぎばかれーという料理とは、ずいぶん異なった仕上がりであるように思います。ナナールを主体にしているのは言わずもがなとして、脂分の配合もまったく異なっているようですし……舌触りや食感も、同じ料理とは思えぬほどです」


「はい。俺の故郷では色々な種類のカレーが存在したので、今回は毛色の異なるカレーを参考にしてみました」


 とはいえ、俺もそこまで多種多様なカレーに精通しているわけではない。ただ今回は、覚束ない記憶を頼りにして、より本場のサグ・カレーに近い味わいを目指してみたのだ。


 サグ・カレーは、以前にも何度かチャレンジしている。ただ、どうにも他のカレーほどはしっくり来ていなかったので、根本から作り方を見直すことにした。

 そもそも、サグ・カレー――というか、グリーンカレーというやつは、インド料理ではなくタイ料理に分類されるものであったはずだ。それでもその正式なレシピなどは知るすべもなかったので、俺なりに試行錯誤しながら理想の味を追究した所存なのである。


 基本的な作り方としては、普段のようにカレーの素を作りあげるのではなく、各種の野菜でルーの素となる下地を作りあげて、スパイスを添加したのち、ナナールのペーストとあわせて煮込む、というものであった。


 ルーの素となる下地というのは、アリアとミャームーとケルの根のみじん切りに、潰したタラパと乳脂を加えたものである。まずはミャームーとケルの根を炒めて香りを出したら、アリアのみじん切りをたっぷり加えて、飴色になるのを待ってから、タラパ、スパイス、乳脂の順で投入していく。そののちに、別の鍋で軽く炒めた具材と、ナナールのペーストを加えて煮込むのだ。


 具材には、ギバの肩肉と、アリア、ネェノン、チャッチ、マ・プラを使っている。このあたりは、日本式カレーとのチャンポンだ。

 そしてナナールのペーストは、単体だといささか物足りなく思えたので、ニラのごときペペとルッコラのごときロヒョイを加えている。

 当初はそれでも何か締まりがないように思えたのであるが、試行錯誤を繰り返した結果、煮込む際に砂糖とシールの果汁も加えられることになった。


 そうして出来上がったのが、この新作の『ナナール・ギバカレー』である。

 俺としては、先に完成した日本式カレーとインド風カレーにも劣らぬ出来栄えであると自負していた。


「さきほど、まごうことなき調和を完成させているように思うと言いましたが……そのような判断を下すのは早計であったかもしれません」


 と、半分ほどのカレーを食べ終えたところで、ヴァルカスがまた発言した。


「むろん、この料理に文句があるわけではありません。わたしにとって、これは過不足のない調和だと感じられます。ですが、アスタ殿であれば……またわたしの想像を軽々と飛び越えて、さらなる調和を見せてくれるのかもしれません」


「どうでしょうね。でも、これはようやく調理法を完成させたばかりの料理であるので、作っていくうちにまた何か手を加えたくなるかもしれません」


「その際は、またわたしにも試食をさせていただきたく思います」


 すると、無言で試食を進めていたタートゥマイも声をあげてきた。


「ヴァルカス、アスタ殿の料理に心を奪われてしまうお気持ちはわかりますが、他の料理も熱が逃げる前に味を見るべきではないでしょうか」


「ああ、そうですね。ついつい我を失ってしまいました」


 ヴァルカスは冷たい茶で口の中をリセットしてから、別の木皿を引き寄せた。マイムの煮込み料理である。

 その料理を口にすると、ヴァルカスは「ふむ……」と目を細めた。


「こちらの料理には、ミソを使っておられるのですね。……なるほど、あなたもミソの煮込み料理で、甘みと酸味を主体にすることを試みたということですか」


「はい。ヴァルカスほど手は込んでいないでしょうが、わたしなりに細工を凝らしました」


「いえ、これこそミケル殿の作法でありましょう。ミソの風味をしっかり残しつつ、目の覚めるような味わいが練りあげられているように思います。これも、見事な調和ですね」


「いや、本当に!」と、隣の卓からボズルが同意を示してくる。


「アスタ殿ともヴァルカス殿ともまた異なる、実に素晴らしい味わいですな! ミソを使ってこのような味を組み立てることなど、わたしは思いつきもしませんでした」


 遠い位置から、ボズルがにっこり微笑みかけてくる。マイムは心から嬉しそうに、そちらへ笑顔を返していた。


「マイム殿は、こちらの料理を宿場町で売りに出すおつもりなのですかな?」


「はい。ルウ家の家人になったことで、わたしも木皿を使うことができるようになりましたので、こちらの料理をお出ししようと考えています」


「なるほど! では、わたしが宿場町に出向いた際には、必ずや買わせていただきますぞ」


 そこに、ヴァルカスの「ふむ……」という声が重なる。いつの間にか、その手もとにはレイナ=ルウたちの汁物料理が引き寄せられていた。


「カロンの乳とマロールを使った汁物料理ですか。マロールと獣肉を同時に扱うと、調和が乱れがちになるものですが……この料理には、そういった不備も見られません。これがアスタ殿の作りあげた料理だと言われても、疑うことはなかったでしょう」


 レイナ=ルウはほっと息をついてから、「ありがとうございます」と微笑んだ。シーラ=ルウも、まぶたを閉ざして胸もとに手をやっている。


「しかし、この料理は……どこかミケル殿の作法にも通ずるように思います。やはり、ミケル殿に手ほどきをされた結果なのでしょうか?」


「はい。わたしたちはミケルと同じ集落に住まっていますので、何度となく助言を受けています。こちらの料理にも、大きな影響を受けていることでしょう」


 俺も食させていただいたが、こちらはカロン乳のまろやかな甘みとマロールの風味をぞんぶんに活かしつつ、香草で辛みと香ばしさが加えられていたのである。カロン乳ベースの汁物に香草を使うというのは、確かに俺ではなくミケルの影響であるはずだった。

 なおかつ、このとろりとした質感は、明らかにクリームシチューから得た手法である。そういう意味では、俺とミケルの技をハイブリッドさせた料理であるのだろう。


「ミケルは森辺の家人となりましたので、今後はいままで以上に助言をいただけるものと考えています。わたしたちにとって、これほど得難い話はありません」


「そうですね。アスタ殿とミケル殿の両方に手ほどきしていただけるなどとは、とてつもなく恵まれた環境であると言えるでしょう。その場にあなたがたのような才覚を持つ人間が居合わせたというのは、西方神のはからいであったのかもしれません」


 起伏のない声で、ヴァルカスはそのように述べたてた。


「あなたがたの器量であれば、ミケル殿の教えを無駄にすることもないでしょう。ミケル殿の技が死に絶えることなく、複数の人間に受け継がれていくことを、わたしは心から嬉しく思っています」


「……あなたにそのように言っていただけるのは、本当に光栄なことです、ヴァルカス」


 そんな風に応じてから、レイナ=ルウはそっと目もとをぬぐった。どうやら涙がにじむぐらい、ヴァルカスの言葉が嬉しかったようだ。


 そして最後は、トゥール=ディンの菓子である。

 ここでもボズルが、「おお!」と声をあげていた。


「これは、ブレの実ですな? いつだったかの茶会で、ブレの実を使った菓子が出されたと、シリィ=ロウに聞いておりましたが……いや、実に美味です。感動した、と言いたいぐらいですな」


「そうですね。ブレの実は甘みと調和する食材と思っていましたが、これはブレの実の持つ豊かな風味を十全に活かした味わいと言えるでしょう」


 ヴァルカスも、迷うことなく同意している。その隣では、タートゥマイがわずかに目を見開いていた。


「ブレの実の扱いもお見事ですが、わたしとしてはこちらの生地に驚かされます。これは、シャスカの生地ですな?」


「は、はい。ブレの実もシャスカの生地も、アスタの手ほどきで完成させたものとなります」


 身体を縮め込みながら、それでもトゥール=ディンは嬉しそうに微笑んでいた。

 ふたつ目の大福餅を食べ終えてから、ヴァルカスは「ふむ」と目を細める。


「食後の菓子として扱うにはいささか重たく思いますが、単体として食する菓子としては、素晴らしい出来栄えです。茶会に参席する貴婦人がたも、心から満足されることでしょう」


「あ、今日のお茶会では、また別の菓子を出すつもりなのですが……」


「……この菓子にも負けない菓子を、別に準備していると?」


「こ、これとはまったく異なる菓子ですので、どちらが美味であるかはわかりませんが……わ、わたしはどちらも同じぐらい好ましく思っています」


 オディフィアにはすでに大福餅やゴヌモキ巻きを届けているし、どうせならば普段お届けできないような菓子が望ましいであろうということで、本日はクレープをお披露目する予定であるのだ。

 ヴァルカスは、また蝶々でも追いかけるように視線をさまよわせる。


「トゥール=ディン殿。あなたはいったい、何種の菓子を作りあげることができるのでしょう?」


「ええ? な、何種と言われましても……アスタが色々と手ほどきしてくださるので、かなりの数にのぼるはずですが……」


「では、その中で、この菓子と同じぐらい好ましく思えるものは、何種あるのでしょうか?」


 トゥール=ディンは目を白黒とさせながら、それでも懸命に指を折り始めた。


「え、ええと……最初に習ったのがチャッチもちで……むしぷりんと、ほっとけーき……ろーるけーき、でこれーしょんけーき、がとーしょこら……ちょこまん、どらやき、めれんげくっきー……ゴヌモキ巻き、あられ、せんべい、だいふくもち……あとは、くれーぷと……あ、トライプのぷりんけーきとくりーむころっけもあったっけ……」


「…………」


「こ、こまかい味の違いなどを除けば、だいたい16種類ぐらいだと思いますが……それが何か……?」


「16種類」と繰り返してから、ヴァルカスはマイムに向きなおった。


「マイム殿。あなたはさきほどの料理と同じぐらい完成していると思える料理は、何種ありますでしょうか?」


「そうですね。4種か、甘く見ても6種ぐらいだと思います」


 すると、トゥール=ディンが慌てふためいた様子で「あの!」と声をあげる。


「マ、マイムの料理と比べられては、困ってしまいます。わたしはそもそも、マイムの足もとにも及ばないかまど番なのですから……」


「わたしは常々、料理と菓子は区分して扱うべき存在だと考えています。以前にもお話しした通り、わたしは食後の軽い菓子しか研鑽していませんが、それは、菓子と料理を同時に研鑽していたら、生あるうちに満足のいくものを作りあげることはできないだろうと考えた結果でもあるのです」


 ヴァルカスは、あくまで平坦な声でそのように述べたてた。


「あなたがどれほどの料理人であるのか、わたしは知りません。しかしあなたは、この場にいる誰よりも美味なる菓子を作りあげることのできる人間であるのです。唯一対抗できるのは、シリィ=ロウぐらいのものでしょうが……それでも、これだけの質の菓子を16種も準備することは難しいでしょう」


「わ、わたしはただ、自分が好ましく思える菓子の数を述べただけですので、その出来栄えまでは……」


「あなたが好ましいと思えるということは、それだけの質が保たれているという証であるのです」


 ヴァルカスは至極あっさりと、トゥール=ディンの反論を粉砕した。


「わたしは、菓子の味を極めることをあきらめた人間です。ですから、どれほど美味なる菓子を口にしても、あまり情動を揺さぶられることはありません。しかしそれでも、あなたがどれほど卓越した腕を持つ人間であるかは、痛いぐらいに理解できています。……あなたはその後、ダイア殿と巡りあうことはかないましたか?」


「い、いえ。まだお会いしたことはありません」


「そうですか。作法はまったく異なりますが、あの御方も菓子作りを極めた人間であると思います。おたがいの菓子を口にすれば、何かしら得るものがあることでしょう」


 そうしてヴァルカスは、ようやく3つ目の大福餅に手をのばした。

 そこに、ロイの皮肉っぽい声が飛んでくる。


「情動を揺さぶられてない割には、ずいぶん長々と語ってくれましたね。本当は、この菓子の美味さに心を乱されてるんじゃないですか?」


「いえ。わたしが心を乱す理由はありません」


 そんな風に述べてから、ヴァルカスはふいに口もとをほころばせた。


「ただ、これほどまでに美味なる菓子を作りあげることのできるトゥール=ディン殿に、敬意を表したいと思います。わたしも身体がふたつあれば、美味なる菓子の研鑽に取り組んでみたかったものだと……ひさびさに、そのような思いをかきたてられてしまいました」


 ぼんやりとしていて、いくぶん眠たげにも見える、それはヴァルカスが滅多に見せることのない笑顔であった。

 トゥール=ディンはしばらく呆気に取られた様子で目を丸くしてから、「あ、ありがとうございます」と頭を下げる。

 そうして頭を上げたとき、トゥール=ディンの小さな顔には輝くような微笑が浮かべられていた。

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