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異世界料理道  作者: EDA
第四十四章 徒然ならぬ日々
749/1705

城下町巡り②~城下町の民~

2019.6/18 更新分 1/1

「では、ひとりの狩人にふたりのかまど番で組となり、動くことにする。レイナとシーラ=ルウは、俺の組だ」


 族長の名代たるジザ=ルウが、その肩書きに相応しい風格でそのように取り仕切りの声をあげた。

 その頼もしき兄の腕にしがみついていたリミ=ルウは、もちろん俺とアイ=ファのほうに舞い戻ってくる。


 ルド=ルウは、ユン=スドラとレイ=マトゥア。ガズラン=ルティムは、トゥール=ディンとマイム。シュミラル=リリンは、ヴィナ・ルウ=リリンとマルフィラ=ナハムという組に落ち着いたようだった。


 ヴァルカスとの約束の刻限も迫っていたので、とりあえず四半刻の見当で自由行動とする。荷車はシェイラが見ていてくれると申し出てくれたので、俺は身軽となったアイ=ファおよびリミ=ルウとともに、いざ広場へと繰り出すことになった。


 人々の多くは、まだちらちらとこちらに視線を向けてきている。しかし、それほど警戒心をかきたてられている様子はない。城下町に足を踏み入れるには通行証が必要であるので、大前提として、無法者の類いはほぼ皆無であるという話であったのだ。なおかつ、遠来よりの商人は護衛役を引き連れているものであるので、刀を下げた人間も珍しくはないのだろう。ただ、見慣れぬ姿をしたこの連中は、いったい何者なのだろう――と、好奇心をかきたてられているようだった。


「感覚としては、ダバッグに出向いたときに近いようだな。あのときも、我々はこういう目を向けられていたように思う」


「ああ、ダバッグは宿場町でも検問があったから、無法者の類いは少なかったもんな。俺たちは、そんな数少ない無法者につけ狙われることになったわけだけれども」


「うむ。……確かにこの場には、無法者の類いも見当たらないようだ」


 アイ=ファに言われるまでもなく、その場に集った人々はみんな裕福そうな身なりをしていた。もちろん貴族ほどではないにせよ、絹の装束を纏った人間も珍しくはない。それに、宿場町やダレイムの人々よりも、いっそう柔和で、穏やかな面持ちであるように感じられた。


(生まれた土地から一歩も出ぬままに魂を返す人間、か。そりゃあ俺だって、そこまでアウトドアな人間ではないけれど……石塀の中で一生を過ごすっていうのは、やっぱりまた違う感覚なんだろうな)


 しかし、この地に住まう人々であれば、それが唯一の生であるのだから、疑問の生じる余地もないのだろう。そこに疑問を感じるような人間は、ザッシュマのように故郷を捨てて、風来坊になるのかもしれない。


「わー、きれー! ほらほら、見たこともない飾り物が売ってるよー!」


 と、アイ=ファの手を握ったリミ=ルウが、屋台のひとつに駆け寄っていく。俺もアイ=ファに叱られないように、慌てて後を追いすがった。

 そこは、飾り物の屋台であった。宿場町でも飾り物の露店は少なくないが、やはり品ぞろえにはずいぶんな違いがあるようだ。銀細工や宝石の飾り物なども、ふんだんに置かれている。

 ただし、リミ=ルウが発見したのは、そういう類いのものではなかった。綺麗な貝殻をつなぎあわせた、シンプルながらも瀟洒なひと品である。


「そいつはバルドから買いつけた首飾りですよ。白銅貨3枚ですね」


 老境にさしかかりつつあるふくよかな女性が、そのように説明してくれた。

 白銅貨3枚というと、俺の感覚では6000円ほどである。なかなかのお値段であるようだ。


「白銅貨3枚かー。そんなに銅貨をつかったら、家のみんなに叱られちゃうなー」


 残念そうに言いながら、リミ=ルウは輝く瞳でその飾り物を見つめていた。

 店番の老女は、そこで「おや」と目を丸くする。


「あなたがたが首に掛けているのは……もしかしたら、ギバの角や牙なのでしょうかね?」


「うん、そーだよ! ギバを知ってるの?」


「うちの店でも、そいつを扱ったことがありますんでねえ。それじゃあ、もしかしたら、あなたがたは……」


「リミたちは、森辺の民だよー!」


「まあまあ」と、老女はいっそう目を見開く。


「こいつは驚いた。どうして狩人さんなんかが城下町にいるんだろうと、さっきから不思議に思っていたのですが……こいつは珍しいこともあるもんですねえ」


 そんな風に述べてから、老女はにこりと微笑んだ。


「あなたがたのお噂は聞いておりますよ。なんでも、貴き方々に料理をふるまうこともあるのだとか……もしかしたら、今日もそういうご用事で?」


「うん! お茶会でお菓子を作るの!」


「それはそれは」と、女性は楽しそうに目を細めた。


「そいつは大役でございますねえ。どうかお励みになってください」


 初めて言葉を交わした城下町の領民としては、すこぶる好意的な対応であった。

 しかし、それが城下町のスタンダードであるのだということを、俺たちはすぐに思い知らされることになった。

 どこの屋台を覗いてみても、ほとんど警戒されることはなかったし、人々の大半はすぐに俺たちの正体を察してきたのである。そうして正体が知れたのちも、彼らが態度を豹変させることはなかった。


「へえ、あんたがたが、噂の森辺の民ですかね」


 もっとも驚いた表情を見せたのは、カロンの肉の串焼きを売っていた壮年の男性であった。しかしその顔も、すぐに愛想よく笑みくずれる。


「話によると、ギバ肉ってのはたいそう美味いらしいですねえ。俺なんかはまだ口にする機会もありませんが、料理を扱う人間の間では、ちょいと評判になっておりますよ」


「そうですか。機会があったら、是非お食べになってみてください」


 まだ昼食を取るには早すぎる時間帯であるので、料理を扱っている屋台は少ないようだった。この屋台でも、作り置きはほとんどしておらず、香りでお客を呼び込むために、1本の串焼きをじっくり焼きあげているばかりであった。


 俺たちも《銀星堂》で料理の試食をさせていただく予定であるので、串焼きは注文せずに屋台を離れる。そんな俺たちに対して、屋台の主人は最後までにこやかな表情を見せていた。


「さっきの言葉は取り消さなくてはならないようだな。ダバッグの民よりも、城下町の民のほうが、よっぽど心安いようだ」


 そのように述べるアイ=ファは、いくぶん難しげな面持ちになっていた。

 俺にもその心情は、わからなくもない。彼らは俺たちを忌避しない代わりに、何というか、東の民や南の民といった異国人を相手にしているような親切さであったのだ。違和感というほどの大げさなものではなかったものの、肩透かしをくわされたような感覚は否めなかった。


 やがて広場を半周したあたりで、立ち話をしていた同胞らに行き会う。それは、ジザ=ルウとガズラン=ルティムの組の6名であった。


「いまひとつ、言葉にしにくいところであるのだが……この者たちは、森辺の民を信用しているというよりも、通行証を持っている人間を信用している、というように感じられてしまうな」


「はい。おそらく彼らにとっては、通行証を持つ人間のすべてが、信用のできる客人であるのでしょう。森辺の民という身分には、大きな関心を持っていないように感じられます」


 ガズラン=ルティムは、とても静かな面持ちでそのように述べていた。


「もしかしたら、彼らにとって石塀の外の出来事は、のきなみ他人事であるのかもしれません。ですから、スン家が悪行を為していた時代も、森辺の民をことさら忌避したりはしていなかったのかもしれませんね」


「ふむ……関心がないゆえに、忌避する心情も生じなかったということか」


「はい。そして、常に石塀で守られているために、他者を警戒する気持ちが薄いのでしょうか。普通は刀を下げた狩人を前にするだけで、多少の警戒心を抱くように思うのですが……そういう気配も、ほとんど感じません」


 ジザ=ルウは、あまり釈然としていない様子で下顎を撫でていた。


「族長たちが城下町をうろつくと、城下町の民を脅かしてしまうかもしれないと、ジェノス侯爵はそのように申し述べていたと聞いているのだが……そのような心配も、杞憂であったということか」


「ええ。良きにつけ悪しきにつけ、そうであるのかもしれません」


 ガズラン=ルティムの言葉に、ジザ=ルウは細い目をさらに細めた。


「やはりそれには、悪しき面もあるのであろうか? 俺は何だか、いささかならず腹の据わりが悪いのだ」


「はい。同じジェノスの領土に住まう同胞でありながら、関心をもたれていないというのは、べつだん喜ばしい事態ではないかと思われます。スン家の犯した悪行に心を痛め、そののちに絆を結びなおしてくれた、宿場町やダレイムの民のほうが、我々にとっては自然で健やかなる姿であるように思えるのではないでしょうか」


 そんな風に述べてから、ガズラン=ルティムはふわりと微笑んだ。


「しかし、ジェノスの貴族たちも同じようなものであったのかもしれません。マルスタインやポルアースとて、トゥラン伯爵家にまつわる騒動が表ざたになるまでは、我々に関心など抱いていなかったのでしょうからね」


「そうだな……しかし、貴族たちとは絆を深める機会も得られたが、この者たちとはそのような機会も得られない。この先も、我らはおたがいに関心を抱くこともなく、名ばかりの同胞として過ごすことになるわけか」


「いえ、そのようなことはありません。これからアスタたちが訪れようとしている者たちも、れっきとした城下町の民であるのですからね」


 ガズラン=ルティムは同じ微笑をたたえたまま、俺のほうを振り返ってくる。


「それに、ルウ家はすでに、城下町の民を祝宴に招いてもいます。そういう小さな積み重ねが、やがては絆を育んでいくのではないでしょうか」


「うむ……そうか、ロイにシリィ=ロウという者たちも、城下町の民であったのだな。あの者たちは、この広場にいる者たちとはずいぶん様子が異なっていたので、つい失念してしまっていた」


 ジザ=ルウの眉間に浮かんでいた憂慮の気配が、それでようやくほどけていった。


「このような広場をひと巡りしただけで、城下町の民のすべてをわかったような気になるべきではなかったか。我々は、初めてこの地に足を踏み入れたばかりであるのだからな」


「はい。彼らも我々と同じように、ひとりひとりの人間であるのですからね。今後も長きの時間をかけて、絆を育んでいくべきであるのでしょう」


 すると、アイ=ファの腕にぶらさがっていたリミ=ルウが、「ねえねえ」と声をあげた。


「屋台の料理の匂いを嗅いでたら、おなかが空いてきちゃった! もう四半刻ぐらいは経っただろうから、ヴァルカスのところに行かない?」


「屋台を見て回りたいと言ったのはお前だぞ、リミ」


 そんな風に述べながら、ジザ=ルウの口もとは笑っていた。


「だが、刻限が迫っていることも確かだろう。そろそろこの場を離れることにするか」


 そうして俺たちは、他の同胞たちを呼び集めることになった。

 やはり、城下町を見て回るというのは、俺たちにとって有意義な行いであるのだろう。ジザ=ルウとガズラン=ルティムの会話を頭の中で反芻しつつ、俺はそのように思うことができた。


「それでは、あらためて《銀星堂》にご案内いたします」


 シェイラと合流して、広場の出口を目指す。その隊列が長くのびないうちに、アイ=ファがシェイラへと呼びかけた。


「シェイラよ、ひとつ尋ねたいことがあるのだが、よいだろうか?」


「はい。何でございましょうか、アイ=ファ様?」


 もちろんシェイラは、満面の笑みで振り返る。

 その笑顔を凛然と見つめ返しながら、アイ=ファは言った。


「初めて顔をあわせた際、お前は私に――というか、森辺の民に相応の警戒心を持っていたように思う。あれはこの広場に集った者たちよりも強い警戒心であったように思うのだが、それには何か理由でもあるのだろうか?」


 シェイラはたちまち、慌てふためいてしまった。


「い、いえ、わたくしは決してそのようなことは……わ、わたくしはアイ=ファ様をご不快にさせてしまったでしょうか……?」


「そうではない。私としては、むしろお前のほうが自然であるように思えたのだ。お前の反応は、宿場町やダレイムの民に近いものであったからな」


「そ、そうですか。わたくしは、その……わりあいダレイムのお屋敷まで出向く機会が多かったので、宿場町を通る際には十分に気をつけるようにと、周囲の人間に言い含められていたのです」


「ふむ。その中に、森辺の民にも気をつけるべし、という言葉も含まれていたわけだな。それで、合点がいった」


 アイ=ファは納得していたが、シェイラは慌てふためいたままだった。


「で、ですがわたくしは、すぐに自分の浅慮を思い知ることになりました! 決してアイ=ファ様のことを、無法者だなどと思っていたわけでは……」


「だから、そのようなことを責めたてる気はない。そのほうが自然な反応であるように思えると言ったであろうが? あの頃は、実際にスン家の者たちが宿場町で騒ぎを起こしていたのだからな」


「そーそー。それに俺たちだって、町の人間が同胞だなんて気持ちはこれっぽっちもなかったしなー」


 頭の後ろで手を組んだルド=ルウが、陽気な声で割り込んでくる。

 すると、ガズラン=ルティムも「そうですね」と声をあげた。


「ジザ=ルウ、さきほどの会話において、私はひとつ失念していたことがありました」


「うむ。何であろうか?」


「この1年ほどで、我々のほうこそが大きく変わっているのです。城下町の大聖堂で洗礼の儀式を行ったことなどは、その最たるものでしょう。そうして我々が西の王国の民として正しく生きようと思いなおしたということは、城下町の民にも伝えられているのでしょうから……彼らはいっそう、森辺の民を忌避する気持ちがやわらげられたのかもしれません」


「なるほどな」と、ジザ=ルウはうなずいた。

 その長身を見上げながら、ルド=ルウは「ふーん?」と小首を傾げる。


「ガズラン=ルティムはともかくとして、ジザ兄もずいぶん城下町の連中のことを気にかけてるみたいだな。いったいぜんたい、どーゆー風の吹き回しなんだ?」


 ジザ=ルウは、糸のように細い目でやんちゃな弟を見下ろした。


「俺は族長の代理としてこの場を訪れているのだ。すべてを正しく見届けんと心がけるのは、当たり前の話であろう?」


「ふーん、それだけの理由なのか?」


 ジザ=ルウはしばし思案してから、言葉を重ねた。


「かつての族長ザッツ=スンは、ジェノスの民のすべてを憎みぬいていた。しかし、あの頃のザッツ=スンはトゥランの屋敷でサイクレウスと会合をしていたはずであるから、城下町には足を踏み入れたことさえなかったはずだ」


「うん、それで?」


「ザッツ=スンは、サイクレウスに対する憎悪や不審の念を、そのままジェノスのすべてに転化してしまった。俺たちは、そんなザッツ=スンと同じ過ちを犯さないためにも、町の人間たちと正しき絆を結ぶべき、と定められたのだ。……ならば、ジェノスに住まうすべての人間たちについて、正しく知りたいと願うのが当然ではないか?」


 ルド=ルウは、ようやく納得がいった様子で、にっと白い歯をこぼした。


「そっかそっか。やっぱ次代の族長ともなると、あれこれ小難しいことを考えなくちゃならねーんだな」


「これは俺ばかりでなく、すべての森辺の民にあてはまる話であるはずだぞ」


「城下町の連中と絆を深めろって話なら、俺はきちんとやってるつもりだぜー? さっきだって屋台を回りながら、色んな連中と言葉を交わしたからなー」


 いくぶん厳粛な面持ちになっていたジザ=ルウは、「そうか」と表情をやわらげた。宿場町においてもダレイムにおいても、ルド=ルウはその天性の人懐っこさで、誰よりも早く交流の輪を広げていたのだ。ジザ=ルウのように理論立った思考は持ち合わせていなくとも、ルド=ルウはごく自然に為すべきことを為しているのだろうと思われた。


 そうこうするうちに広場の出口へと到着したので、俺たちはまた縦長の隊列となって街路を闊歩する。

 こちらの通りには、けっこう人通りがあった。広場に向かう人々と広場から帰る人々が、ひっきりなしに行き交っている。どうやら荷車を使わない人々にとっては、こちらのほうがメインストリートであるようだった。

 それらの人々も、好奇心に満ちた眼差しで俺たちを見やっている。ときおり見かける幼子などは、母親や祖父母の手を引いて、あれは何の一団なのかと尋ねている様子だ。


 シェイラは途中で道を折れて、また北の方角に進路を取る。

 そうすると、格段に通行人が増えてきた。どうやら、商店の区域に突入したらしい。

 この通りに面した家屋はのきなみ商店であるらしく、さまざまなものが販売されている。それに群がるお客も大勢で、人いきれもなかなかのものであった。ルド=ルウなどは、「うひゃー」と声をあげている。


「賑やかなのはけっこうだけどよ、こいつはちょっと息が詰まりそうだ。まわりがぜーんぶ石造りのせいなのかな」


「そうですね。木の1本も見当たらないというのは、いささか落ち着かないかもしれません」


 そのように応じていたのは、レイ=マトゥアであった。族長筋に対しては礼節ある態度で接する彼女であるが、同時に無邪気な性格でもあるので、ルド=ルウと打ち解けてきたのかもしれない。


「さすが城下町となると、物珍しいものがたくさん売っていそうだな。あとで見物するのが楽しみだ」


 俺がそのように述べたてると、アイ=ファは「そうか」と楽しげに目を細めた。恥ずかしながら、アイ=ファは商店の品ぞろえに昂揚しているのではなく、俺がはしゃいでいる姿を楽しく感じているのだろう。反対側ではリミ=ルウがそれ以上にはしゃいだ姿を見せていたので、なおさらであった。


「こちらが、《銀星堂》です」


 数分ばかりも歩いたのち、シェイラがようやく足を止めた。

 ずらりと立ち並んだ石造りの建造物のひとつである。普段はトトス車で横づけされて、衛兵たちの作った隊列の間を通って入店していたので、何とも新鮮な心持ちであった。


「まずはトトスと荷車を預けなければなりませんので、こちらで少々お待ちください」


 シェイラがひとり、扉の向こうへと消えていく。

 やがてシェイラは、ひとりの老女をともなって戻ってきた。あの、《銀星堂》で配膳の仕事を受け持っていた、小柄で上品な老女である。本日も、彼女はエプロンドレスのような仕事着を纏っていた。


「いらっしゃいませ、森辺の皆様方。主人は奥で待たれておりますので、どうぞお入りくださいませ。トトスとお車は、わたくしが預からせていただきます」


「では、その前に荷物を下ろさせていただこう」


 アイ=ファが幌のとばりを開くと、マルフィラ=ナハムとユン=スドラが率先して荷運びの役を担った。ヴァルカスたちに供する料理と菓子である。


「それではあらためて、失礼いたします」


 老女はギルルの手綱を手に、建物の裏側へと向かったので、俺たちはシェイラの先導で店内に足を踏み入れる。

 初の来店となるレイ=マトゥアやマルフィラ=ナハムは、物珍しそうに周囲を見回していた。それ以外で、これが初のお目見えとなるのは――ジザ=ルウとガズラン=ルティムあたりであろうか。シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンは、《黒の風切り羽》との会食で来店しているのである。


《銀星堂》は、俺が覚えている通りのたたずまいであった。

 壁には白を基調としたシンプルな壁掛けが掛けられており、これといって装飾品の類いは見受けられない。ほどほどの広さを持つ食堂には、10人掛けの巨大な卓が2脚、ゆったりと配置されていた。


 向かいの壁には、ふたつの扉が設置されている。シェイラが左の側の扉に声をかけると、やがてその内から白覆面の何者かが登場した。


「ああ、ようやく来たか。ちょうどこっちも、仕上がったところだよ」


 そんな風に述べながら、袋状の奇怪な覆面を引き剥がす。その下から現れたのは、ちょっとひさびさに見るロイの顔であった。


「……っと、今日はどういう態度で接したらいいんだろうな。べつだん、《銀星堂》の客ってわけじゃあねえんだよな?」


 いくぶんぺったりとしてしまった髪をかきあげながら、ロイがそのように述べたてると、ジザ=ルウは「ふむ」と俺を振り返った。


「ここは、アスタが取り仕切るべきであろうな。この場における交流は、アスタとヴァルカスなる者の間で交わされた約束であったはずだ」


「了解いたしました。それじゃあロイのほうは、ヴァルカスの個人的な客という扱いでお願いしますね」


「ヴァルカスに個人的な客が来たことなんてねえから、いっそう扱い方がわからねえよ。ま、適当に座って待っててくれ」


 ロイが厨に引っ込んでしまったので、俺たちは着席させていただくことにした。

 15名のメンバーであるので、8名と7名で分かれさせていただく。俺と同じ卓につくのは、アイ=ファ、レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、リミ=ルウ、ルド=ルウ、マイム、トゥール=ディンだ。案内役のシェイラはそこに加わろうとはせず、食堂の片隅にひっそりと立ちつくした。


 そうして俺たちがそれぞれの席に落ち着いたところで、《銀星堂》の面々が現れる。ヴァルカスと、4名の弟子たち。タートゥマイ、ボズル、シリィ=ロウ、ロイである。全員、覆面を脱ぎたての様子で、いくぶん顔を上気させているように感じられた。


「お待ちしておりました、アスタ殿に森辺の皆様方。心より歓迎させていただきます」


 ぼんやりとした無表情で、ヴァルカスが一礼する。ボズルは陽気に微笑んでおり、タートゥマイは東の民のごとき無表情、シリィ=ロウはむっつりとした面持ちというのも、相変わらずである。


「おひさしぶりです、みなさん。今日は忙しい中、突然の申し出を聞き入れてくださって、心から感謝しています」


「とんでもありません。ひさかたぶりにアスタ殿の料理を口にできるのですから、わたしは感激に胸を打ち震わせています」


 言葉だけは熱情的なのも、相変わらずのヴァルカスであった。


「本日はこの後、貴婦人がたの茶会に厨番として向かわれるそうですね。それではさっそく、おたがいの料理の試食会を開始いたしましょう」


「あ、ちょっとお待ちください。その前に、マイムから挨拶をさせていただきたく思います」


 マイムがうなずき、席から立ちあがった。


「おひさしぶりです、ヴァルカス。それに、お弟子のみなさんも。……実はこのたび、わたしと父のミケルは森辺の家人として受け入れていただくことがかないました」


「なに?」と目を剥いたのは、ロイであった。シリィ=ロウも驚きの表情でいくぶんのけぞっており、ボズルは「ほほう」と目を丸くしている。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。ミケルと娘さんが森辺の家人って……確かにそいつは、森辺の装束みたいだな。そこのアスタと同じように、今後は森辺の民として生きていくってことなのか?」


「はい。わたしと父はもともとトゥランの民でありましたが、森辺の民として居を移すことを、森辺の族長とジェノスの貴き方々にお許しいただけたのです」


 そう言って、マイムはにこりと微笑んだ。


「わたしたちの身の上など、みなさんには関わりのないことかもしれませんが、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします」


「そうか……てっきりお前さんたちは、いずれ城下町に戻ってくるものと思ってたんだけどな」


 ロイは実に複雑そうな面持ちで頭をかき回していた。シリィ=ロウも、困惑しきった様子で唇を引き結んでいる。

 そんな中、ヴァルカスは「そうですか」とひとつ首肯した。


「承知いたしました。それでは、試食会を開始いたしましょう」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、ヴァルカス。他に言うことはないんですか?」


 ロイが慌てて声をあげると、ヴァルカスは茫洋とした面持ちでそちらを振り返る。


「他に言うこととは? ……ああ、ここはお祝いの言葉を述べるべきでしたか。おめでとうございます、マイム殿」


「はい、ありがとうございます!」


 マイムは嬉しそうに微笑んだが、ロイは「そうじゃなくて!」とわめきたてた。


「ミケルとこの娘さんが、森辺の民になっちまったんですよ? あんただって、ミケルの腕は認めていたんでしょう? その技を受け継いだ娘さんが城下町の料理人になることを、ひそかに期待したりはしていなかったんですか?」


「期待というか、予想していましたが。その予想が外れたからと言って、何だというのです?」


 ヴァルカスは、あくまでぼんやりとした声で言った。


「というか、森辺の民としてジェノスに留まるのなら、同じようなものでしょう? ミケル殿の技を受け継いだマイム殿であれば、いずれアスタ殿と同じように、城下町に招かれるほどの料理人に成り得るでしょう。彼女が城下町に店をかまえたところで、わたしが足を運ぶ機会などはそうそうないのですから、それほど状況に変わりはありません」


「へーえ。それじゃあおふたりがジェノスを出ていくって話だったら、ちっとは惜しんでくれるんですか?」


「それは、きわめて無念に思います。マイム殿がどれほどの料理人に成り得るかは、わたしも大きな関心を寄せているのですから」


 ロイは、どっと疲れた様子で溜め息をついていた。


「それじゃあ、そういう心境を先に明かしておいてくださいよ。あんたはただでさえ、内心を読みにくいんですから」


「ロイ、言葉が雑になっていますよ」と、シリィ=ロウがすかさず声をあげると、ロイは「へいへい」と肩をすくめた。

 そんな弟子たちの様子をぼんやり眺めてから、ヴァルカスはマイムに向きなおる。


「本日は、マイム殿の料理も試食させていただけるのだと聞いています。その予定に変更は生じていませんか?」


「はい! こちらに持参させていただきました!」


「ありがとうございます。今後もこうしてあなたの料理を食べさせていただければ、わたしは心より嬉しく思います」


 そう言って、ヴァルカスはゆったりと一礼した。


「しかし、まずはわたしどもの料理を試食していただきましょう。ちょうど今しがた完成したところでありますので、煮汁が不必要に煮詰まってしまう前に召し上がっていただきたく思います」


 それでヴァルカスは、しきりに試食会の開始をうながしていたのだろうか。

 やっぱりヴァルカスはヴァルカスだなあと、俺は内心でこっそり笑うことになった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 749話まで読了。 ・ 広場の屋台から『ユックリシテイッテネ』と声が掛かればまた違った印象になったかも。 ・ ヴァルカスは、パウル・フォン・オーベルシュタインより、苅野勉三(キテレツ大百…
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