新たな同胞③~祝福の音色~
2019.6/2 更新分 1/1
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「料理もひと通り行き渡ったみたいだね。あんたたちは、他の料理をいただいてきたらどうだい?」
しばらく立ち話をしていると、バルシャがそのように述べてきた。
「あんたたち」というのは年少組の2名、ジーダとマイムのことであるらしい。
「マイムは腹が空いてるばかりじゃなく、他のかまど番がどういう料理をこしらえたのかも気になってるんだろう? ここはあたしとミケルにまかせて、広場をひと巡りしておいでよ」
「ありがとうございます。……だけどジーダは、もうおなかも満ちてしまっているのではないですか?」
マイムが上目づかいで視線を向けると、ジーダは「いや」と首を振った。
「あちらの敷物では語らっている時間のほうが長かったので、まだまだまったく腹は満ちていない。マイムは、何も口にしていないのか?」
「はい。まだ自分の料理の味見をしたぐらいです」
「ならば、ともに広場を巡るか」
マイムは輝くような笑顔で、「はい!」とうなずいた。
それから、俺とアイ=ファのほうに目を向けてくる。
「それでは、アスタとアイ=ファもご一緒しましょう。どんな料理があるか、楽しみですね!」
「え? 俺たちもご一緒していいのかい?」
「もちろんです! ご一緒してはまずい理由でもありますか?」
「いやあ、せっかくふたりで語らえる時間を、お邪魔したら悪いかと思ってさ」
ふたりは同時に、顔を赤くしてしまった。
そして、ジーダのほうが「おい」と詰め寄ってくる。
「お前まで、おかしな気を回すな。そういう冷やかしは、馬鹿な母親だけで間に合っているのだ」
「誰が馬鹿な母親だい。そんなていどで顔を赤くしてる、あんたたちのほうに問題があるんじゃないのかね」
バルシャは豪快に笑いながら、筋肉質の腕をぷらぷらと振った。
「さ、いいから行っておいでよ。うかうかしてると、他の料理を食べ尽くされちまうよ。ルウの集落には、大喰らいの狩人が山ほどいるんだからさ」
そうして俺たちは、4名で広場を巡ることになった。
普段の祝宴に比べればささやかなものであるが、それでも広場には熱気があふれかえっている。その様子を見回しながら、マイムがぽつりとつぶやいた。
「この場にいる人たちは、みんなわたしたちの血族なのですよね。何だか、夢を見ているような心地です」
マイムの隣を歩きながら、ジーダは「そうだな」と低くつぶやく。
「しかし、この夜に眷族から招かれているのは、家長と供の男女1名ずつだけだ。ルウの血族の百余名が、すべて俺たちの血族になるというのは……本当に、とほうもない話だな」
「はい! これまでは、わたしもジーダもひとりずつの家族しかいなかったのに、すごいお話ですよね!」
マイムは屈託なく笑い、ジーダは穏やかな眼差しでそれを見返している。俺とアイ=ファは、そんなふたりの横顔を背後から確認することになった。
マイムたちを見やるアイ=ファの眼差しも、とても優しげである。無邪気で、なおかつ礼節をわきまえているマイムのことも、沈着で、その内に熱い情念を秘めたジーダのことも、アイ=ファは憎からず思っているのだ。
「あー、アイ=ファだ! やっと会えたね!」
と、横合いから大きな木箱を抱えたリミ=ルウがちょこちょこと近づいてくる。もちろんリミ=ルウも、愛くるしさ満点の宴衣装である。そちらを振り返ったアイ=ファは、いっそう優しげな眼差しになった。
「ずいぶんな大荷物だな。私が運んでやろう」
「ありがとー! これはね、お菓子が入ってるの! 広場で出す前に、コタたちに配ってきたんだー!」
ルウ家において、菓子は料理があるていど行き渡ってから披露する習わしであったのだ。大きな木箱をアイ=ファに託したリミ=ルウは、満面の笑みでマイムたちを振り返った。
「マイム、ジーダ、あらためておめでとー! 今日から、森辺の同胞だね!」
「はい。これからもよろしくお願いします」
マイムもリミ=ルウに負けないほどの笑顔になっている。ジーダは穏やかな面持ちで目礼をしていた。
「この木箱のお菓子を並べたら、リミの仕事もおしまいなの! その後は、マイムたちと一緒にいていい?」
「もちろんです。ともに広場を巡りましょう」
「わーい、ありがとー! それじゃあ、こっちだよー!」
リミ=ルウの案内で、俺たちは簡易かまどのひとつに近づいていった。そこで仕事を果たしていたのは、シーラ=ルウとタリ=ルウである。
「リミ=ルウ、お疲れ様です。マイムたちと一緒だったのですね」
「うん! アイ=ファがお菓子を運んでくれたの!」
その場には、ダルム=ルウとリャダ=ルウもいた。それぞれ働く伴侶のもとに集って、語らっていたらしい。それらの人々とも挨拶を交わしてから、マイムは鉄鍋の中を覗き込んだ。
「いい香りですね! 香草を使った煮込み料理ですか?」
「はい。よければ、お食べください」
その料理は敷物にも運ばれていたが、俺は味見ていどにしかいただいていなかった。ということで、マイムたちともども木皿に料理を取り分けてもらうことにする。
かなり刺激的な香りのする煮込み料理である。なおかつ、使用されているのはギバの臓物であり、その他にはアリアやネェノンやペペといった具材も見受けられる。それはエスニックに仕上げられたモツの煮込みであったのだった。
口にしてみると、それなりの辛みが舌に跳ねあがる。しかし、それほど辛みに強くないアイ=ファが眉をひそめるほどではないようだ。程度としては俺の作る『ギバ・カレー』ていどの辛みであり、それに、いくぶんカレーに似た味わいであるようにも感じられた。
「美味しいですね! これは宿場町でも人気が出そうです!」
「ありがとうございます。ただ、これはかれーと同じぐらいの香草を使っていますので、他の料理よりも食材の値が張るかもしれません。屋台で出す前に、ツヴァイ=ルティムに相談しなければなりませんね」
そんな風に述べてから、シーラ=ルウはひそやかに微笑んだ。
「屋台といえば、明後日からはマイムもルウの家人として商売をすることになるのですよね。明日、城下町から戻ったら、当番の日取りなどを検討しましょう」
「はい! お世話をかけますが、どうぞよろしくお願いします!」
その間に、リミ=ルウが隣の卓で菓子を並べ終えていた。
「かんせーい! そっちが終わったら、こっちのお菓子も食べてみてね! リミは、ジバ婆たちに届けてくるから!」
と、小さな弾丸のように、お盆を手にしたリミ=ルウが駆け去っていく。
どれどれと覗き込んでみると、そこにはチャッチ餅や大福餅や赤褐色の煎餅といった和風の菓子がずらりと並べられていた。
エスニックなモツ煮込みを完食した俺たちは、そちらの賞味に取りかかる。立ち話をしていたダルム=ルウとリャダ=ルウもやってきて、まずは働く伴侶たちにそれを届けてから、自分たちも口にした。
ダルム=ルウは、誰にともなく「うむ」とうなずいている。食しているのは、きなこと黒蜜のチャッチ餅だ。そういえば、最初は甘い菓子に文句をつけていたダルム=ルウも、いつしか積極的に食べるようになったのだと伝え聞いていた。
いっぽうアイ=ファは、無言で煎餅をかじっている。俺も食べてみたところ、それは以前にトゥール=ディンがレシピを伝授した、赤ママリアの果実酒をふんだんに使った味付けであった。まろやかで、甘い甘い煎餅である。
「さすがリミ=ルウは、すぐに煎餅の作り方も習得できたみたいだな。きっとチャッチ餅のときみたいに、また自分なりの味付けを次々と考案しそうだ」
「うむ」とうなずいてから、アイ=ファがそっと俺の耳もとに口を寄せてきた。
「……いまのところ、私がもっとも好ましく思うのは、お前のこしらえるせんべいだ」
「ありがとう」と笑顔で応じると、アイ=ファは余人に盗み見られないような角度で微笑み返してきた。
俺も最近、俺なりの煎餅というものを考案してみせたのである。明日の城下町の茶会では、トゥール=ディンとリミ=ルウのおまけとして、俺もその菓子を披露させていただくつもりであった。
「ただいまー!」と、リミ=ルウがアイ=ファの引き締まった腰にしがみつく。その赤茶けた髪を愛おしげに撫でながら、アイ=ファはマイムを振り返った。
「リミ=ルウの仕事も果たされたようだ。次のかまどに向かうべきであろうか?」
「そうですね! では、シーラ=ルウたちも、またのちほど!」
リミ=ルウを加えた5名で、再び広場を闊歩する。
客人の数はひかえめであるものの、料理の種類は大がかりな祝宴と変わらぬぐらい準備されているようだ。次の屋台ではレイナ=ルウとララ=ルウが待ちかまえており、そして賑やかなる男衆の一団がすぐそばの敷物で騒いでいた。
「やあ、ルド=ルウたちはここにいたんだね」
「おー、今日は遅かったな! うかうかしてると、ミダ=ルウに全部食われちまうぞー?」
ルド=ルウの言葉通り、そこにはミダ=ルウも腰を落ち着けていた。あとはシン=ルウと、何名かの若い男衆たちだ。マルフィラ=ナハムがさきほど述べていたのは、この一団のことであるのだろう。
そちらともひとしきり挨拶を交わしてから、マイムとジーダはかまどの前に立つ。レイナ=ルウもララ=ルウも、明るい笑顔でそれを迎えていた。
「ようこそ、マイム。こちらの料理はもう食べなれているでしょうけれど、よければ召し上がりください」
「ありがとうございます! タラパの汁物料理ですね!」
マイムはルウ家でともに研鑽しているので、レイナ=ルウらのこしらえる新作の料理も口にする機会が多いのだ。特にレイナ=ルウなどはミケルに助言を乞うことが多いので、いっそうマイムが同席する機会も多いはずだった。
俺とアイ=ファとリミ=ルウも、同じ料理を木皿でいただく。それを口にしたアイ=ファは、「うむ?」と小首を傾げていた。
「これは、あのマロールとかいう奇妙な生き物の風味が感じられるな」
「うん。レイナ=ルウたちも、魚介の食材を少しずつギバ料理に取り入れていってるみたいだな」
タラパを主体にしたそのスープには、ギバ肉とともにアマエビのごときマロールの身も投じられていた。マロールは細かくほぐされて、白い肉の繊維をスープの中に漂わせている。注意していなければ見過ごしてしまいそうなところであるが、しかしその独特な風味はしっかりと煮汁に溶け込んでいた。
「森辺でギバ肉の入っていないすーぷなどをこしらえたら、たいていの人間は不満を抱いてしまうでしょう? ですから、マロールは肉としてではなく、風味づけの食材として扱ってみたのです」
レイナ=ルウが、そのように説明をしてくれた。
「魚介に魚介ならではの滋養があるのでしたら、こういった料理も森辺の民の力になるはずです。それに、アスタがこしらえたマロールの料理は、とても美味であるように思えましたので……なんとかそれを、ギバ料理に取り入れたくなってしまったのです」
「うむ。これはこれで、美味であるように思うぞ」
アイ=ファがそのように応じると、レイナ=ルウは軽く息を呑んでから、とても朗らかに微笑んだ。
「ありがとうございます。最近、あまりアイ=ファに自分の料理を食べていただく機会はなかったように思いますので……何だか、すごく嬉しく感じてしまいます」
「……私の言葉など、何も重んずる必要はないぞ?」
「いえ。ルウ家にも口の重い男衆は多いので、そういう者たちに料理をほめられたときと同じような心地です。何だか、とても誇らしいのです」
それは日没前にユン=スドラと交わしたのと似たようなやりとりであった。アイ=ファはそのときと同じように、仏頂面で頭をかき回している。
すると、かたわらのララ=ルウが「いいなー」と口をとがらせた。
「あたしはレイナ姉の言う通りに手伝っただけだから、誇らしい気持ちになんてなれないや。アスタなんかは、毎日そーゆーいい気分を味わえるんだろうねー」
「……だから、私の言葉など重んずる必要はあるまい」
「重んずるかどうかは、こっちの勝手でしょ? ていうか、アイ=ファはいっつもリミとかジバ婆にべったりだから、もう少しはあたしらとも語らってほしいなー」
この直截的な物言いに、アイ=ファはいくぶん目を白黒とさせていた。
「……私などと語らっても、何も得るものはあるまい?」
「そんなことないよ! 分家や眷族の女衆にだって、アイ=ファと絆を深めたがってる人間はたくさんいるよ? アイ=ファって、男衆みたいに格好いいし、それに……すごく優しいしさ」
と、ララ=ルウはヴェールの向こうでわずかに頬を染めた。ヴィナ・ルウ=リリンの婚儀の場で、アイ=ファにすがりつきながら泣きじゃくった際のことでも思い出してしまったのだろうか。
「ね、今日はこの後、ファの家に帰っちゃうの?」
「うむ。明日は城下町だからな。それに備えて、アスタは朝からかまどの仕事を果たさなければならないのだ」
「そっかー。それじゃあ今度ルウの家で夜を明かすときは、一緒に寝ようよ! ジバ婆も一緒でいいからさ!」
「えー、ずるーい! リミもアイ=ファと一緒に寝るー!」
ずっと静かに姉たちの言葉を聞いていたリミ=ルウが、すかさず口をはさんでくる。ララ=ルウは、そちらにべーっと舌を出していた。
「4人だとせまいじゃん。リミは別の寝所で寝なよ」
「やだー! リミとジバ婆はちっちゃいから、せまくないよ! ね、アイ=ファ?」
アイ=ファはまだ面食らっている様子で、「うむ……」とたじろいでいた。
すると、かたわらの敷物でルド=ルウたちと語らっていたマイムが「あの」と呼びかけてくる。
「ルド=ルウが、アスタとアイ=ファに何かお話があるようですよ。ちょっとこちらに来ていただけますか?」
「承知した。……では、私は失礼するぞ」
「うん、また後でねー」
言いたいことを言って気が済んだのか、ララ=ルウはいつもの元気な調子で手を振っていた。
そうして敷物のほうに移動すると、ルド=ルウが「なー」とさっそく呼びかけてくる。
「あの傀儡使いの連中は、復活祭の頃に戻ってくるんだよな? そしたら、また森辺に来んのかなー?」
「さあ、どうだろう。いちおうファの家では、また晩餐にお招きしようって話になってるけど」
俺がそのように答えると、ルド=ルウは「そっかー」と腕を組んだ。
「あいつらの傀儡の劇っておもしれーから、他のやつも見せてほしいんだよなー。親父に頼んで、ルウ家にも招くしかねーか」
「そうだね。あと、ルウ家でも何回かは宿場町に下りる予定なんだろう? そういうときに、見せてもらうこともできるんじゃないのかな」
「でも、今回は休息の期間じゃねーからなー。そこまでしょっちゅうは出向けねーよ。それに、宿場町に下りるときは、ジバ婆とかの護衛役だしよー。ジザ兄とかが一緒だったら、そうそう遊んでられねーよ」
ルド=ルウは、ずいぶん傀儡の劇にご執心のようだった。リコたちが知れば、さぞかし喜ぶことだろう。
「傀儡の劇って、面白いですよね。ジーダは他の場所でも、傀儡の劇を目にしたことがあるのですか?」
マイムが尋ねると、ジーダは「いや」と首を横に振った。
「俺はずっと、マサラで過ごしていたからな。マサラはそれほど栄えた土地ではなかったので、旅芸人が訪れることもなかった」
「そうですか。それじゃあバルシャは、マサラから離れている間に、傀儡の劇を目にしていたのですね」
「うむ。あいつは親父と一緒に、あちこちを巡り歩いていたようだからな」
そんなふたりのやりとりを聞きながら、俺はミダ=ルウの様子をうかがってみた。傀儡の劇の話題になって、また心を乱されたりはしないかと、少し心配になってしまったのだ。
しかしミダ=ルウは、普段通りのぼんやりとした面持ちでみんなの言葉を聞いていた。肉にうもれたつぶらな瞳にも、穏やかな光が瞬いているようだ。
「ミダ=ルウ。ひさびさに会ったディガやドッドは、どうだった?」
俺がこっそりそのように尋ねると、ミダ=ルウはぷるぷると頬を震わせた。
「うん……とても楽しかったんだよ……? それに……ディガもドッドも元気そうだったから……ミダは、とっても嬉しかったんだよ……?」
「そっか、それならよかったね」
すると、ルド=ルウがミダ=ルウのおなかをぼよんと叩いた。
「そーいえば、あいつらはミダ=ルウをいたぶってたんだってな。お前だったら、ふたりいっぺんを相手にしたって、負けることはねーだろうによ」
ルド=ルウは声をひそめていないので、ジーダもマイムもそちらを振り返ることになった。
みんなの視線を集めながら、ミダ=ルウは「うん……」と繰り返す。
「でも、それはミダが小さかったときの話なんだよ……? ミダが大きくなってからは、何も痛くされたりはしなかったんだよ……?」
「ふーん。そうなのか?」
「うん……身体が大きくなってからは、薪とかで殴られても痛くなかったんだよ……?」
「だったら、やっぱりいたぶられてるじゃねーか。それで、やり返したりはしなかったのかよ?」
「うん……家族同士で争うのはよくないことだって……テイ=スンとかヤミル=レイに言われてたんだよ……?」
「なのにあいつらは、お前のことをいたぶってたのかよ? ほんとに性根が腐ってたんだなー」
そんな風に言ってから、ルド=ルウはにっと白い歯を見せた。
「ま、そんなあいつらもドムの家で鍛えなおされたみてーだし。あいつらがまともな人間になって、よかったな」
「うん……」と、ミダ=ルウはまた頬を震わせる。
心から、幸福そうな様子である。それで俺も、胸の片隅に残されていた不安感を完全に払拭することができた。
それに、ジーダについてもだ。
ジーダもまた、平静そのものの面持ちで、ミダ=ルウたちの会話を聞いていた。
(ジーダだって、あの日はルウの集落のどこかで、傀儡の劇を見ていたはずだからな)
ミダ=ルウが涙を流す原因となった、テイ=スン――彼こそは、おそらくジーダにとって、父親の仇のひとりに他ならないのである。そんな相手に追慕の涙を流すミダ=ルウに対して、ジーダはどのような気持ちを抱いたのか、俺はそれが、いささかならず気になっていたのだった。
しかし、ジーダやバルシャはそんなミダ=ルウと血族になることを厭わなかった。
ならば、それが答えであるのだろう。
それが我慢や忍耐の上で為された決断ではない、ということを、いまのジーダの静かな眼差しが証し立ててくれていた。
「ああ、やっと見つけたわぁ……アスタたちと一緒だったのねぇ……」
と、馴染み深い声音が背後から近づいてくる。振り返ると、予想通りの両名が立ち並んでいた。
「よー、ヴィナ姉にシュミラル=リリンじゃん。どーしたんだよ?」
「あなたを探していたのよぉ、ルド……まあ、用事があるのはシュミラルのほうなんだけど……」
シュミラル=リリンは俺に微笑みかけてから、ルド=ルウのほうに視線を差し向けた。
「ルド=ルウ、本日、横笛、披露するのでしょうか?」
「あー、いちおうそのつもりだよ。この前も、親父に文句を言われたりはしなかったからなー」
この前とは、シュミラル=リリンが狩人の衣を授かった日のことである。婚儀の祝宴においてはもちろん、その日もルド=ルウは宿場町で習い覚えた横笛の演奏を披露していたのだった。
「では、私も、ともに演奏、よろしいでしょうか?」
「え? シュミラル=リリンも、横笛が吹けるのかよ?」
「はい。横笛、もともと、シムの文化、思います。東の民、たしなむ人間、多いです」
「だったらどうして、いままでちっとも吹こうとしなかったんだよ? 収穫祭とか別の人間の婚儀とか、機会はいくらでもあったろー?」
「はい。氏、授かるまで、控えよう、考えていました」
シュミラル=リリンは静かに微笑みながら、狩人の衣をそっとはだけた。腰帯に、象牙色の横笛が差し込まれているのを確認し、ルド=ルウが「へー」と身を乗り出す。
「なんか、立派な横笛だな! それ、骨だか牙だかで出来てんのか?」
「はい。ギャマ、骨です」
「そっかそっか! それじゃあ、一緒に吹こうぜ! 俺の知らない曲を吹けるんだったら、それも聞かせてくれよ!」
「はい。了解です」
ルド=ルウはひとつうなずくと、今度はジーダのほうに向きなおった。
「そーいえば、お前もいちおう町の人間だったんだよな。もしかしたら、横笛を吹けんのか?」
「マサラの麓にあるのは、町というより村落だ。町の人間というのは、正しくないように思う」
「そんなのはどーでもいいから、横笛だよ。吹けんのか?」
ジーダは愛想のかけらもない面持ちで首を振っていた。
「吹けないことはないが、マサラを出るときにそのようなものは持ち出してこなかった。べつだん、人に聞かせられるような力量も持ち合わせてはいない」
すると、マイムが瞳を輝かせながら、ジーダの腕に取りすがった。
「でも、わたしは聞いてみたいです! よかったら、吹いてくれませんか?」
ジーダはびっくりした様子で、マイムを見つめ返すことになった。
「しかし……本当に、手慰みで扱っていたに過ぎんのだ。笛も、マサラに置いてきてしまったしな」
「横笛だったら、いくらでも余ってるよ。壊れちまっても不自由がねーように、たっぷり集めておいたからな」
そう言って、ルド=ルウはおもむろに立ち上がった。
「それじゃあ、そろそろ準備すっか。ジーダの分も、持ってきてやるよ」
「いや、俺は……」
「吹かねーのか? 俺はどっちでもかまわねーけど、家人のマイムは聞きたがってるみたいだぜー?」
マイムは、きらきらと瞳を輝かせている。
ジーダは、深々と溜め息をついていた。
「わかった。……しかし、本当に大した腕ではないのだからな? あとで文句を言うのではないぞ?」
「はい! ありがとうございます!」
11歳のマイムと15歳のジーダの間に、どのような感情が育まれているのか、それを外から推し量ることは難しい。
だけどそれは、リコとベルトンに負けないぐらい、確かな絆であるように思えてならなかった。
俺がそんな風に考えている間に、ルド=ルウはどこかの家に駆け去っていく。シン=ルウと何名かの若衆も、敷物から腰を上げていた。
「そういえば、シン=ルウもちょくちょく宿場町に下りて、横笛を習ってたもんね。吹ける曲も、かなり増えたんじゃないのかな?」
俺の言葉に、シン=ルウは「うむ」とうなずいた。
「しかし、ルド=ルウやジョウ=ランほどではないだろうな。あやつらは、時間さえあれば宿場町に下りているのだ」
「うん。ベンたちからも、話を聞いてるよ。宿場町の人たちと絆が深まって何よりだね」
すると、アイ=ファが俺の肩をつついてきた。
振り返ると、また見慣れた一団がこちらに近づいてきている。それは、ラウ=レイとヤミル=レイ、そしてトゥール=ディンにユン=スドラにマルフィラ=ナハムという混成軍であった。
「やあ、お疲れ様。もう鉄鍋が空いちゃったのかな?」
「はい。残り半分は、少し時間を空けてからお出しするのですよね?」
「うん。これからちょうど横笛の演奏が披露されるみたいだから、みんなも祝宴を楽しんでおくれよ」
ユン=スドラは、充足した面持ちで「はい」とうなずいていた。
そういえば、ヤミル=レイとマルフィラ=ナハムはどのような言葉を交わしたのだろう、と視線を向けてみたが、ヤミル=レイは取りすました面持ちでそっぽを向いており、マルフィラ=ナハムは普段通り目を泳がせていたので、何とも推測のしようはなかった。
「おーい、横笛を持ってきたぜー。ほら、こいつはジーダの分だ」
と、毛皮のマントをなびかせて駆けつけてきたルド=ルウが、ジーダのほうに横笛を放りつける。ジーダは危なげなく、それをキャッチしていた。
「そいつはジーダにやるからよ。ひまなときにでも、修練しろよ」
「……横笛など、修練が必要なものとは思わぬがな」
ジーダは不愛想に応じていたが、マイムは嬉しそうに微笑んでいる。シュミラル=リリンのかたわらに控えたヴィナ・ルウ=リリンも、それは同様だ。
「それじゃあ、儀式の火のところに行こうぜー。広場の真ん中で吹かねーと、端っこまで音が届かねーからな」
横笛を手にした若衆と、それに付き添う女衆が、一団となって儀式の火に向かう。すると、マルフィラ=ナハムが敷物のミダ=ルウにぎこちなく微笑みかけた。
「ミ、ミ、ミダ=ルウも、ご一緒に行きませんか?」
「うん……? だけどミダは、横笛を吹けないんだよ……?」
「わ、わ、わたしも吹けません。で、でも、近くにいたほうが、横笛の音色を楽しめるのではないでしょうか?」
マルフィラ=ナハムもフォウの集落の祝宴で、横笛の演奏を耳にしているのだ。ミダ=ルウはしばしまばたきを繰り返してから、やがてのろのろと巨体を起こした。
俺とアイ=ファとリミ=ルウも、ルド=ルウたちを追って広場の中央に向かう。その途中で、俺はこっそりヤミル=レイを呼び止めた。
「あの、ヤミル=レイ、さっきはマルフィラ=ナハムに何のお話だったのですか?」
ヤミル=レイは取りすました表情のまま、色っぽく肩をすくめた。
「べつだん、大した話はしてないわよ。……ただ、ミダ=ルウがどういう人間であるかを伝えただけのことね」
「ふむ。ミダ=ルウがどういう人間であるか、ですか。……ミダ=ルウは、どういう人間であるのでしょう?」
ヤミル=レイの黒みがかった碧眼が、横目で俺をねめつけてくる。
「それはたぶん、あなたが思っている通りの人間よ」
それだけ言い残すと、ヤミル=レイは歩調を速めて俺から遠ざかってしまった。
まあ、ヤミル=レイがミダ=ルウのためにならない真似をすることはないだろう。その一点だけは、俺も心から信ずることができた。
「よーし、親父から了承をもらったぜー。まずは全員が吹ける、『ヴァイラスの宴』でいいよなー?」
ルド=ルウの号令に、シン=ルウたちが了解の声をあげる。横笛を携えた男衆は儀式の火を囲むように立ち並び、それ以外の者たちは敷物に腰を落ち着けることになった。
やがて横笛の妙なる音色が、広場に響きわたる。
最初に吹き鳴らしたのはルド=ルウで、すぐに全員がそれを追いかけるようにして旋律を重ねた。
これだけの人数で同じ旋律を奏でているのだから、なかなかの迫力である。そして、『ヴァイラスの宴』というのも、どこか哀切な響きを有しつつ、基本的には陽気で勇壮な曲であるのだ。
聴衆役の人々は、手拍子や歓声でルド=ルウたちの演奏に応えている。マイムやヴィナ・ルウ=リリンなどは、一種陶然とした面持ちで、それぞれのパートナーの姿を見やっていた。
リミ=ルウは誰よりも元気に手を打ち鳴らしており、アイ=ファはジバ婆さんのかたわらでまぶたを閉ざしている。
俺はそこで、広場の外側に視線を巡らせてみた。
広場の外周にもかがり火が焚かれているので、目を凝らせばおおよその様子は見て取れる。
バルシャとミケルは、自分たちのかまどの裏でジーダたちの演奏を聞き入っていた。
バルシャが笑顔で、ミケルに何か言葉をかけている。ミケルがうなずき、それに返事をすると、バルシャはいっそう楽しげに笑ったようだった。
子を持つ親の気持ちなど、若輩者たる俺に理解しきれるわけがない。
しかし、いまのバルシャとミケルがどれほど幸福な気持ちであるかは――俺なりに理解できる気がした。
(マイムとジーダに負けないぐらい、あなたたちも幸せになってください。ミケル、バルシャ)
心の中でそんな風に念じながら、俺もアイ=ファにならってまぶたを閉ざすことにした。
草笛の音色は、いつまでも音高く夜の森辺に鳴り響いて、この記念すべき日を祝福していた。




