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異世界料理道  作者: EDA
第四十四章 徒然ならぬ日々
746/1681

新たな同胞②~祝いの晩餐~

2019.6/1 更新分 1/1

「それでは、祝いの晩餐を開始する。……ルウ家の新たな狩人、ジーダに祝福を!」


 ドンダ=ルウの宣言に、その場の全員が「祝福を!」の声を唱和し、祝いの晩餐が開始されることになった。

 人々の半数ぐらいは敷物に腰を落ち着けて、残りの半数ぐらいは広場のあちこちに設置された簡易かまどへと散っていく。そんな中、ユン=スドラがにこりと微笑みかけてきた。


「では、料理の配膳はわたしたちが受け持ちます。アスタとアイ=ファは、祝いの晩餐をお楽しみください」


 配膳には3名もいれば十分であろうということで、俺はその仕事から免除されることになったのである。トゥール=ディンとマルフィラ=ナハムにも「よろしくね」と声をかけてから、俺はアイ=ファに向きなおった。


「それじゃあ、まずは……ドンダ=ルウやジバ婆さんに挨拶かな?」


「うむ。私はまだ、この場に招いてもらった礼もしていないからな」


 ずっとかまど小屋にこもっていた俺とて、それは同じことである。そんなわけで、俺たちは儀式の火の前に広げられた敷物のほうに突撃することにした。

 女衆の多くは配膳の仕事を受け持っているので、その場で待ちかまえている人間の大半はむくつけき男衆だ。とりわけその敷物には、ドンダ=ルウを筆頭とする指折りの狩人たちが集結しているようだった。


「ドンダ=ルウよ、このたびは大事な血族の儀式に招いてもらい、心から感謝している」


 敷物に膝をついて、アイ=ファが小さく礼をすると、ドンダ=ルウよりも先にラウ=レイが「おお、アイ=ファにアスタ!」と声をあげた。


「アイ=ファはまた狩人の装いであるのだな! これは祝いの晩餐なのだから、宴衣装を纏ってもよかろうに!」


「……私は婚儀の祝宴のみ、宴衣装を纏うことに決めている。そしていまは、お前ではなくドンダ=ルウに挨拶をしているのだ」


「そうか。俺とヤミルが婚儀をあげる際には、必ずお前たちも招いてやるからな!」


 へこたれることを知らないラウ=レイは、陽気に笑っている。かたわらに宴衣装のヤミル=レイが控えているために、いっそうご機嫌であるのだろうか。その気持ちは、まあわからなくもなかった。


 果実酒をあおるドンダ=ルウのかたわらには、ジーダとジザ=ルウとガズラン=ルティムが控えている。マイムたちは、かまど番としての仕事を果たしているのだろう。ひときわ大柄な狩人たちに囲まれながら、やはり迫力では負けていないジーダである。ギバの毛皮を纏い、ギバの牙と角を首から下げ、渦巻模様のベストを羽織ったジーダは、どこからどう見ても立派な森辺の狩人であった。


「おや、アイ=ファ……最近は、顔をあわせる機会が増えて、嬉しいねえ……」


 と、大柄な狩人たちの陰から、やわらかい声が響いてくる。とたんにアイ=ファは、嬉しそうに目を細めた。


「ジバ婆、息災そうで何よりだ。傀儡の劇の際には、あまりジバ婆と言葉を交わす時間もなかったので、ルウ家に招いてもらえたことをいっそう嬉しく思っている」


「だったらもっと、ルウ家を訪れればいいではないか。それに、いつになったらレイの家に来てくれるのだ? 他の家人も、アイ=ファやアスタに会いたがっているのだぞ」


「……私はいま、ジバ婆と語らっているのだが」


「だったら、ぞんぶんに語らっていくがいい。もちろん、俺やヤミルともな!」


 そんな風に言いながら、ラウ=レイは手の平でばんばんと敷物を叩いた。アイ=ファは眉をひそめつつ、何か言い返そうとしたようだが、途中でむっつりと口をつぐんでしまった。


「もしかしたら、ジバ婆さんと語らいたいのかな?」


 俺がこっそり囁きかけると、アイ=ファは上目遣いで視線をよこしてきた。


「……しかし、まずはかまどを巡ってひと通りの料理を食するのが、ここ最近の習わしであろうが?」


「それは自分たちで勝手に決めた習わしなんだから、やみくもに続けることはないさ。せっかくジーダもいることだしな」


 それでもアイ=ファはしばらく迷うように考え込んでいたが、最終的には膝を折っていた。ジバ婆さんと顔をあわせるのは5日ぶりであったものの、最後にじっくり語らえたのはシュミラル=リリンたちの婚儀の日であったろうから、もう20日以上は経過しているのだ。


「アイ=ファたちは明日、城下町に行くんだってねえ……リミたちも、それは楽しみにしているようだよ……」


「うむ。普段と異なり、自分たちの足で城下町に踏み入ることになったからな。相応の警戒は必要であろうが、有意義な行いではあるのだろう」


「ああ、本当にねえ……城下町ってのがどんな場所なのか、聞かせてもらうのを楽しみにしているよ……」


 アイ=ファと言葉を交わしながら、ジバ婆さんもたいそう嬉しげな様子である。それだけで、俺は何だか胸が温かくなってしまった。


「城下町が安全な場所だと知れれば、いずれジバ婆がおもむく機会も生まれるやもしれん。ルウ家の者たちとともに、私もしかと見定めてこようと考えている」


 すると、ラウ=レイが「うむ?」と首をのばしてきた。


「そういえば、アイ=ファは最長老のことを名だけで呼んでいるのだな。血族でもないのに、ずいぶん珍しいことではないか」


 アイ=ファは不意打ちをくらった様子で、がっくりとうなだれていた。


「……私がルウ家と絆を結びなおして、もう1年以上もの日が過ぎているというのに、そのようなことを言いたててきたのは、お前が初めてだぞ」


「だって、不思議ではないか。俺はべつだん気にしないが、よくもドンダ=ルウやジザ=ルウがそのような真似を許したものだな」


 その両名は、遠からぬ場所でこの会話を聞いている。それに答えたのは、ご子息のほうだった。


「もちろん俺もアイ=ファたちを初めてルウ家に招いた日から、そのことは気にかかっていた。しかし、家長の許した話に文句をつける気はない」


「ドンダ=ルウが許したのか。何故、許したのだ?」


「……うるせえな。1年以上も前のことを、いちいち覚えていられるか」


 ドンダ=ルウは取り合おうともせずに、また果実酒をあおった。

 すると、ジバ婆さん本人が笑顔でラウ=レイに向きなおる。


「それは、あたし自身がそう呼ぶように、アイ=ファにお願いしたからだよ……それはもう、何年も昔の話だけどねえ……」


「ふむ。アイ=ファは幼子の頃から、最長老と縁を結んでいたという話だったな。それはどれほどの昔であるのだ?」


「あれは、アイ=ファが見習いの狩人として働きだして、しばらく経った頃だったから……もう4年ぐらいは経っているんじゃないのかねえ……」


「それはずいぶんな昔だな! アイ=ファは俺と同い年のはずだから、14歳ぐらいの頃か。アイ=ファがどんな見習い狩人であったのか、俺も見てみたかったものだ!」


 ラウ=レイは陽気に笑いながら、自分も果実酒の土瓶を傾けた。もう呼称に対する疑問はどうでもよくなった様子である。

 いっぽう俺は、別の感慨にとらわれていた。そういえば、余所の血族の人間を名だけで呼ぶのは森辺の習わしに背く行いであるのだから、出会った当初のジザ=ルウが柳眉を逆立ててもおかしくない案件なのである。


(あの頃のジザ=ルウだったら、そんな真似を許すべきではないとか言って、ドンダ=ルウに詰め寄りそうなところだよな。……でも、ドンダ=ルウはそれを許してくれたのか)


 ドンダ=ルウだって、俺やアイ=ファに対しては敵対心に近い感情を抱いていたはずである。何せ、俺の作ったハンバーグを「毒」と言いきっていたドンダ=ルウであるのだ。

 しかし、ジバ婆さんとアイ=ファの間に紡がれた絆を重んじて、呼称については文句をつけなかった――ということなのだろうか。


(当たり前の話だけど、俺やアイ=ファの知らないところでも、色々なやりとりがあったんだろうなあ)


 俺がしみじみとそんな風に考えたとき、敷物に複数の人影が近づいてきた。


「あの、料理をお届けに参りました! 遅くなってしまい、申し訳ありません!」


 お盆代わりの大きな木の板に大量の木皿をのせたマイムが、そのように声をあげていた。ここでもラウ=レイが真っ先に反応して、「おお!」と弾んだ声をあげる。


「ようやく来たな! さあ、とっとと食わせてくれ! ……ああ、もちろんジーダや族長たちに、先に届けてやるがいい」


 マイムははにかむように微笑みつつ、ジーダたちの前に木皿を並べ始めた。その間に、敷物を横から回り込んだ他の女衆らが、俺やアイ=ファやラウ=レイたちにも同じ料理を届けてくれる。


 それは、ギバ肉の煮込み料理だった。

 ふくよかなるミソの香りが、食欲中枢を刺激する。一緒に煮込まれているのは、アリアとネェノンとマ・ギーゴ、それにブロッコリーのごときレミロムであるようだった。


「美味しそうだね。これは、マイムが作ったのかな?」


 俺が尋ねると、マイムは「はい」とうなずいた。


「わたしが取り仕切り役となって、バルシャや分家の方々と一緒にこしらえました。家の外でふるまうのは、これが初めての料理となります」


「へえ、それは楽しみだ」


 マイムとて、ミソの研究には熱心に取り組んでいたはずであるのだ。ミソという素晴らしい食材が、マイムの手によってどのように調理されたのか、俺は大きな期待を胸に木匙を取り上げることになった。


 一見では、特に奇妙なところも見られない。ただ、煮汁はとろりと照り輝いており、ミソの香りがなければビーフシチューのような料理なのかなと思ってしまったところであった。


 ギバ肉の部位は、胸の三枚肉であるようだ。『ギバの角煮』と同じぐらい入念に煮込まれているようで、木匙を押し当てると難なく肉の繊維がほどけた。

 それを褐色の煮汁にひたして、くたくたになったアリアとともに口へと運ぶ。


 瞬間――思いも寄らぬ味わいが、口の中で跳ね回った。

 香りはまぎれもなくミソであるのに、意想外の味わいである。確かにミソらしい風味もきちんと残されているものの、それよりもまず舌の上に広がったのは、きわめてまろやかなる甘みと、何とも言えない清涼感――そして、それらの味わいに増幅された、ギバ肉の旨みであった。


 よくよく噛みしめれば、まぎれもなくミソの味わいが感じられる。べつだんヴァルカスのように、複雑なわけでもない。ただ、俺が知る味噌料理とはあまりにかけ離れた味わいであったため、脳が混乱してしまったのだろうか。ミソの特性を十分に活かしつつ、それは俺の知らない味わいであった。


「すごいね、これは……この甘みや風味は、果実酒や果実のものなのかな?」


「はい。赤の果実酒と、ラマムにアロウにシールも使っています。それに、赤のママリア酢も使っているのですが……酸味はそれほど表に出ていないと思います」


 確かに、酸味は感じない。だけどきっと、果実と酢の持つ酸味がこの清涼感の正体であるのだろう。リンゴやイチゴやレモンに似た果実をいっぺんに使うというのは、ヴァルカスにも負けない大胆な作法であったので、その味わいが目新しく感じられたのかもしれなかった。


「それにきっと、香草も使っているんだろうね。ヴァルカスに先んじて、ミソと香草の組み合わせを開発したわけか」


「香草は、2種類だけ使っています。でも、それはミソと他の食材の隙間を埋めるような使い方をしているだけですので……ヴァルカスであれば、もっと素晴らしい使い方を考案しているかと思います」


 そんな風に答えてから、マイムはちょっとおずおずとした様子でジーダを振り返った。


「あの……お味は如何ですか? 前に家で出したときよりも、あれこれ手を加えてしまっているのですけれど……」


 ジーダは普段通りの不愛想な感じで、「美味い」と述べるばかりであった。

 しかしマイムは幸福そうに顔を輝かせて、「ありがとうございます!」と元気な声をあげる。


「料理はまだまだたくさんあるので、後でまた食べてくださいね! それじゃあわたしは仕事がありますので、これで失礼いたします!」


 マイムは跳ねるような足取りで、俺たちの前から立ち去っていった。

 その小さな後ろ姿を見送ってから、ジーダは木匙を口に運ぶ。その黄色みがかった瞳には、とてもやわらかい光が灯されていた。


(ふたりとも、本当に幸せそうだなあ)


 アイ=ファはラウ=レイのちょっかいにもめげずにジバ婆さんと語らっていたので、俺はジーダと語らせていただくことにした。


「ジーダ、あらためておめでとう。シュミラル=リリンに続いて、ジーダたちまで森辺の家人になることができて、俺は心から嬉しく思っているよ」


「うむ」


「思えば、ジーダにはあれこれお世話になってるもんね。リフレイアにさらわれたときだって、ジーダがいなければどうなってたかもわからないんだしさ」


 マイムの料理を食べ終えたジーダは、名残惜しそうに木皿を下ろしつつ、俺をうろんげに見やってきた。


「……あれは、森辺の民に対する借りを返しただけのことだ。ことさら礼を言われるような筋合いではない」


「そうだとしても、俺にはありがたかったよ。ジーダとも、けっこう長いつきあいだよねえ」


「……最初は森辺の民に刀を向けてしまった身だがな」


「だけどそれも、すぐに和解できたじゃないか」


 夜の遅くにファの家を訪れたジーダの姿が、脳裏に蘇る。

 森辺の大罪人がすべて死に絶えているというのなら、自分は誰に刀を振り下ろせばいいのだ、と――ジーダは涙を流さぬままに、泣き顔のような表情でそのように述懐していたのだ。


 思えばジーダの父ゴラムは、スン家の犯した大罪をなすりつけられて、処刑されてしまったのである。そのような策謀を巡らしたのはサイクレウスやシルエルであったとしても、森辺の民にも大きな責任がある。そんな恩讐を乗り越えて、ジーダはいまこの場に座しているのだった。


(ジーダとわかりあえることができて、本当によかった。ジーダはぶっきらぼうだけど、ものすごく情に厚い人間なんだよな)


 そういえば、バルシャが赤髭党の生き残りとして捕縛された際などは、どうかそれを救ってほしいと、涙ながらに訴えていたのである。

 俺はルウ家の人々ほど、ジーダと長い時間を過ごしてきたわけではないかもしれないけれど、それでもかつては大きな苦難を一緒に乗り越えてきた。そんなジーダと同じ森辺の同胞になれたことが、嬉しくないわけがなかったのだった。


「……アスタ、お前はいま、何か余計なことを思い出しているのではないか?」


 と、ジーダが猫型の肉食獣を思わせる瞳に、ゆらりと物騒な光をたたえる。

 ジーダの泣き顔を思い出していた俺は、慌てて手を振ることになった。


「余計なことって、どんなことさ? 俺にとっては、すべてが大事な思い出だよ」


 ジーダは疑り深そうに俺をにらみつけつつ、「ふん」と子供っぽく口をとがらせる。

 ジーダはわりあい、アイ=ファに似通った部分も多いのだ。もしかしたら、そういうところも俺の親愛の念をかきたてているのかもしれなかった。


「あ、あ、あの、料理をお持ちいたしました」


 と、そこでまた横合いから声をかけられる。振り返るまでもなく、それはマルフィラ=ナハムの上ずった声であった。

 マルフィラ=ナハムばかりでなく、たくさんの女衆が敷物に群がっている。本日の主役であるジーダや族長ドンダ=ルウたちのために、あちこちのかまどから料理が届けられたのだ。


「ほ、ほ、本日は大切な儀式にお招きいただき、心より光栄に思っています。こ、こ、こちらはアスタの取り仕切りのもとにこしらえた料理です」


 首から上だけはあたふたとしつつ、マルフィラ=ナハムはよどみのない手つきで木皿を配り始めた。それを受け取ったガズラン=ルティムが、「ほう」と穏やかに目を細める。


「こちらは、シャスカ料理ですね。アスタの作るシャスカ料理には、いつも心を踊らされます」


「ありがとうございます。お気に召したら、嬉しいです」


 本日、俺たちが準備したのは、ジャンバラヤを模した料理であった。

 生のシャスカを具材と炒めて、しかるのちに蒸らして熱を通した料理だ。


 ギバ肉は腸詰肉を使い、野菜はアリアとネェノンとマ・プラの3種。すり潰したミャームーおよびタラパの他に、数種の香草とキミュスの骨ガラの出汁を使っており、それなりにスパイシーに仕上げていた。


「うーむ、美味だな! やはりシャスカの扱いでは、ヤミルもアスタにはかなわぬようだ!」


 ラウ=レイがはしゃいだ声をあげると、ヤミル=レイは玉虫色のヴェールごしに横目でねめつけた。


「あのねえ、家長。それじゃあまるで、シャスカ以外の料理だったらアスタにかなうみたいな物言いじゃない。どんな食材を使ったって、わたしがアスタにかなうわけはないのですからね」


「うむ? そこまで自分を卑下する必要はあるまい! ヤミルだって、十分に腕をあげているのだからな! 昨日の晩餐だって、それはもう見事な出来栄えであったぞ! レイの家でも祝宴があれば、お前の腕前をぞんぶんに披露できるのにな!」


「ああもう、やかましいわね……これだったら、かまど仕事に励んでいるほうが気楽だったわ」


 本日、眷族の女衆は客人の立場であるので、かまど仕事は免除されているのだ。が、族長たちの陣取ったこの敷物に腰を落ち着けているのはヤミル=レイのみであったので、いくぶん落ち着かないのかもしれない。

 すると、そんなヤミル=レイのほうに、じりじりと近づいていく人影があった。配膳の仕事を終えた、マルフィラ=ナハムである。


「あ、あ、あの、ご歓談の最中に失礼いたします。ちょ、ちょ、ちょっとよろしいでしょうか?」


「ええ、何かしら? この家長の相手をしているよりは、よほど心も和むでしょうよ」


「あ、あ、ありがとうございます。あ、あの……ミ、ミダ=ルウのお加減はいかがでしょうか?」


 ヤミル=レイは、いぶかしそうに目を細めた。


「ミダ=ルウのお加減って、何のこと? ここはルウの集落なのだから、ミダ=ルウだってどこかにいるでしょう?」


「は、は、はい。で、ですがミダ=ルウは、あちらで若い男衆らに囲まれていたので、ちょっと近づくことがはばかられたのです」


 ヤミル=レイは、ますます不審げな面持ちになる。


「そうだとしても、お加減の意味がわからないわね。ミダ=ルウが怪我を負ったり病魔を患ったりはしていないと思うけれど」


「は、は、はい。で、ですが、傀儡の劇が披露された際に、ミダ=ルウはずいぶんお心を乱されていたと聞きましたので……そ、そ、その後、お元気になられたかどうか、案じていたのです」


 ヤミル=レイはわずかに首を傾げつつ、マルフィラ=ナハムのひょろりとした姿を見返した。

 マルフィラ=ナハムは眉を下げつつ、真正面からヤミル=レイの視線を受け止めている。


「……よくわからないけれど、そういう話はルウの家人に聞くべきじゃないかしら? わたしはレイの家人だから、ミダ=ルウとはそれほど顔をあわせていないのよ」


「あ、そ、そうでしたね。も、申し訳ありません。ヤ、ヤ、ヤミル=レイであれば、きっとミダ=ルウのご様子を把握しているだろうと思ってしまったので……」


 すると、片方の眉だけおかしな形に吊り上げたラウ=レイが、両者の間ににゅうっと首をのばした。


「そもそもお前は、どうしてミダ=ルウを案じているのだ? もしや、ミダ=ルウに嫁入りでも願っているのか?」


「ええ? と、と、とんでもありません……わ、わ、わたしのように不出来な人間が、ルウの家に嫁入りを願うことなど、許されるはずもありませんし……」


「お前は、ナハムの女衆だったな。他の血族に縁の及ばない婚儀というものも、いちおうは認められた形になっているのだから、ルウとナハムが懇意にさえしていれば、べつだん問題はあるまいよ」


 マルフィラ=ナハムは、目を泳がせることも忘れた様子で、きょとんと目を丸くした。それはそれで、マルフィラ=ナハムには珍しい仕草である。


「はあ……で、で、ですがわたしは、まだあまり婚儀や色恋のことを理解できていないのです。ほ、ほ、本当に不出来な人間なもので」


「だったら、どうしてミダ=ルウを案じているのだ?」


 ラウ=レイがなおも食い下がると、マルフィラ=ナハムはぎこちないながらも穏やかに微笑んだ。


「わ、わ、わたしはミダ=ルウのおそばにあると、とても心が安らぐのです。で、ですからミダ=ルウに、恩義のような気持ちを抱いています。そ、それで、ミダ=ルウがお心を乱したと聞いて、とても案じることになってしまったのです」


「ふーむ。その恩義という言葉を恋慕という言葉に置き換えたほうが、よっぽどしっくりくるのだがなあ」


 ラウ=レイが首を傾げている間に、ヤミル=レイがマルフィラ=ナハムへと呼びかけた。


「ここ何日かのことはわからないけれど、わたしは傀儡の劇が披露された夜に、ミダ=ルウと晩餐をともにしているわ。そのときにはもうすっかり心も落ち着いていたようだったから、何も案ずる必要はないのじゃないかしら」


「あ、そ、そうだったのですね。そ、それなら、よかったです」


 マルフィラ=ナハムは猫背の背中をさらに丸めて、深々と一礼した。


「ど、ど、どうもありがとうございました。お、お話のお邪魔をしてしまって、申し訳ありません。そ、それでは失礼いたします」


 マルフィラ=ナハムはお盆代わりの板切れを抱えて、すみやかに立ち去っていった。

 そのひょろひょろとした後ろ姿を無言で見送っていたヤミル=レイが、おもむろに立ち上がる。


「家長。わたしはちょっと、外させてもらうわね」


「うむ? ならばそろそろ、俺たちも広場を巡ることにするか!」


 と、ラウ=レイも腰をあげようとすると、ヤミル=レイがしなやかな指をその鼻先に突きつけた。


「あなたは四半刻だけ、ここに座っていらっしゃい。わたしは、さっきの娘と話があるのよ。その後であれば、いくらでもつきあってあげるわ」


 ラウ=レイはぱちぱちとまばたきをしてから、上げかけていた腰を敷物に下ろした。

 ヤミル=レイは満足そうにうなずいてから、人混みの向こうへと消えていく。

 すると、ふたりのやりとりを目にとめていたらしいアイ=ファが、俺の耳もとに口を寄せてきた。


「何だか、いまのは……はしゃぐジルベをしつけるかのような様相であったな」


「奇遇だな。俺も同じようなことを考えてたよ」


 普段はラウ=レイに引っ張り回されているヤミル=レイであるが、ここぞというときには元来の支配力を発揮できるらしい。恐ろしくも、頼もしい話であった。

 などと考えていると、今度はジーダが音もなく立ち上がる。


「ドンダ=ルウよ、少し家族と言葉を交わしてきたいのだが、許してもらえるだろうか?」


「好きにしろ。ずっと同じ場所に留まるべしという習わしはない」


 ジーダはドンダ=ルウに目礼をしてから、ふっと俺を見下ろしてきた。


「……ともに来るか?」


「え、いいのかい? ……アイ=ファは、どうだろう?」


 アイ=ファは微笑みをこらえているような面持ちで、ジバ婆さんのほうに向きなおった。


「私は、広場を巡ってくる。また後で言葉を交わしてもらいたい」


「ああ、また後でねえ……きっとリミも、どこかのかまどでアイ=ファのことを待ってると思うよ……」


 柔和に微笑むジバ婆さんに見送られて、俺たちは敷物を離れることになった。

 向かうは、マイムたちの担当するかまどだ。そこには、料理を求める人々がひっきりなしに立ち寄っている様子であった。


「おや、ジーダ。もうおつとめは終わったのかい?」


 かまどの脇に置いた水瓶の水で、空いた木皿を洗っていたバルシャが、陽気に笑いかけてくる。鉄鍋の料理を木皿に取り分けつつ、マイムもぱあっと顔を輝かせていた。


「アスタにアイ=ファも一緒だったんだね。マイムの料理は、もう味わったのかい?」


「はい。素晴らしい出来栄えでした。バルシャも調理を手伝ったのでしょう?」


「あたしなんて、食材や鉄鍋を運んだりしたぐらいのもんさ。あたしみたいに大雑把な人間は、それぐらいの役にしか立てないからねえ」


「そんなことはありません!」と、マイムがすかさず声をあげる。


「香草を挽いたり、肉を切り分けたりするのも、バルシャは得意じゃないですか。肉を切り分けるのって、すごく大切な仕事なのですよ? やっぱりマサラでの生活が、バルシャの力になっているのでしょうね」


「同じ家の家人になったからって、無理に持ち上げる必要はないさ」


 などと皮肉っぽい言葉を返しつつ、バルシャは陽気に笑っている。それに対するマイムも、実に幸福そうな笑顔であった。

 そんなマイムのかたわらでは、ミケルが無言で鉄鍋を攪拌している。右手の不自由なミケルであるが、左手でレードルを使い、台に置かれた木皿に料理を取り分けるぐらいは難しくないのだ。マイムとバルシャの笑顔をひとしきり見比べてから、ジーダはミケルのもとへと歩を進めた。


「ミケルよ。俺のような若造が家長では、なかなか気も休まらないと思うが……今後もよろしく頼みたい」


 ミケルは仏頂面のまま、ジーダの姿をじろりとねめつけた。


「何を言っている。お前がドンダ=ルウに認められるほどの狩人でなければ、俺たちはきっと別々の家に引き取られていたことだろう。俺たちがこれまで通りの生活を続けられるのは、すべてお前のおかげであるはずだ」


「そうだよ。もちろん他の家に不満があるわけじゃないけどさ。そうしたら、またマイムが涙を流すことになってたよ?」


「や、やめてください、バルシャ!」


 マイムは恥ずかしそうに頬を赤らめつつ、俺とアイ=ファのほうをちらりとうかがってきた。俺は、心からの笑顔をそちらに返してみせる。


「マイムたちと同胞になれるだなんて、昔は夢にも思っていなかったよ。これからもどうぞよろしくね、マイム」


「は、はい! こちらこそ、どうぞよろしくお願いします!」


 マイムが元気に頭を下げたので、首から掛けた牙や角がぶつかりあって、カラコロと軽妙な音色を奏でた。


「森辺の装束も、よく似合ってるね。それは、ツヴァイ=ルティムと同じ様式なのかな?」


「は、はい。森辺ではすっかり廃れてしまった習わしのようですが、10歳を過ぎて15歳になるまでは、こういった装束を纏うことも許されているようなのです」


 15歳というと、婚儀の許される年齢である。このワンピース型の装束は、既婚の女衆が纏っている一枚布の装束と似たデザインであるが、婚儀の許されない年齢であれば、混同されても問題はない、という考えであるのだろうか。


「なるほどね。マイムはそういう装束のほうが着慣れてるだろうから、ちょうどよかったじゃないか」


「は、はい。本当は、他のみなさんと同じ装束を身につけるべきだったのかもしれませんけれど……おなかを出して歩くのは、ちょっと恥ずかしくて……」


 と、また頬を赤らめるマイムである。ジェノスにおいては、ユーミのように露出の多い装束を纏うほうが少数派であるのだ。テリア=マスだって、ユーミに宴衣装を借りたときは、それはもう恥ずかしそうな様子であったものだった。


「何にせよ、よく似合っているよ。そういえば、マイムは飾り物をつけていないんだね」


「あ、はい。使っていない飾り物を貸してくれようとしてくれる人たちもいたのですが、うっかり焦がしたりしてしまうと大変なので、遠慮しました」


 それでも、マイムが愛くるしいことに変わりはない。今後の祝宴では、自分で購入した飾り物を身につけることになるのだろう。1年近くにも及ぶ屋台の商売で、マイムはかなりの資産を蓄えているはずだった。


「アスタとアイ=ファにも、さんざん世話になっちまったよね。あたしらがこうして笑っていられるのも、アスタたちを始めとするみんなのおかげさ」


 洗い物を終えたバルシャが、身を起こしながら、そのように述べてきた。

「とんでもありません」と、俺は笑ってみせる。


「もちろん、森辺のみんなのおかげということは否定しませんが、俺たちはそのうちのひとりずつに過ぎないはずですよ」


「そんなことはないさ。そもそもアスタが先頭を切って森辺の家人になってなかったら、こんな話がまかり通ることはなかったんだろうからね」


 そう言って、バルシャは頑丈そうな白い歯を見せて笑った。


「それを考えたら、最初に無茶を通してくれたアイ=ファにお礼を言うべきなのかね。アイ=ファみたいに破天荒な人間が森辺にいてくれたことを、母なる森と父なる西方神に感謝するとしよう」


「うむ。まったくほめられている気はしないな」


 そんな風に答えながら、アイ=ファは目もとに微笑みをたたえた。


「まあ、私やアスタをとりたてて持ち上げる必要はなかろう。すべては、森の導きであるのだ。……それと、西方神のな」


「ああ。あたしはそんなに信心の深い人間じゃなかったけど、いまはすべての神々に感謝を捧げたい気持ちだよ」


 バルシャとマイムが顔を見合わせて、また笑い合う。そんなふたりを見やりながら、ミケルとジーダは穏やかに目を細めている。

 狩人の親子に料理人の親子という、何の関連性もない組み合わせであるのに、とても自然で、温かい空気が流れている。11ヶ月という時間をかけて、彼らがこの空気を育んできたのだ。


(言ってみれば、俺やアイ=ファと同じような関係性なわけだもんな。ただ森辺の家人になるってだけじゃなく、この4人で一緒に過ごすってことが大事だったんだろう)


 マイムは幼い頃に母親を失っており、ジーダは幼い頃に父親を失っている。そして、ミケルとバルシャはそれぞれ伴侶を失っているのだ。故郷と家族を失ってしまった俺が、アイ=ファに救いを見出したように、マイムたちもおたがいの存在に救いを見出した――という面もあるのではないだろうか。


 何にせよ、4人はみんな幸福そうに見えた。

 きっとそれが、すべての答えであるのだ。

 みんなが末永く幸福でありますようにと、俺は心から森と西方神に祈ることになった。

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