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異世界料理道  作者: EDA
第四十四章 徒然ならぬ日々
745/1686

新たな同胞①~狩人の儀式~

2019.5/31 更新分 1/1

 宿屋の寄り合いの、翌日――紫の月の6日である。

 その日、ルウ家においてはジーダに狩人の衣が贈られる儀式が行われることになった。


 これは言うまでもなく、ジーダがルウ家の家人に迎えられることから派生したイベントである。

 ジーダの他にも3名の人々が家人として迎えられるわけであるが、元来こういった際に祝宴が開かれたりはしない。というか、そもそもこれまでは外界の人間を森辺の家人として迎える機会がなかったため、習わし自体が存在しないのだ。


 俺などはなしくずし的にファの家の家人になってしまった身であるから論外であるし、シュミラル=リリンがリリンの家に迎えられた際も、これといって特別な処置は為されなかった。

 よって今回も、とりたてて祝宴などを行う必要はなし、と判じられたのであるが、その代わりに狩人の衣を贈る儀式が行われることになったのである。


「ジーダはこれまでに何頭ものギバを仕留めてたけど、あくまで客分って立場だったから、見習いの人間が使う狩人の衣で仕事を果たしていたんだよ。でも、ルウ家の家人になったからには、きちんと自分の狩人の衣を持つべきだし……それにやっぱり、何かしらのお祝いはしてやりたいところだからさ」


 朝方に、宿場町に向かう道行きでルウ家に立ち寄ると、ミーア・レイ母さんはそのように言っていた。昨晩、俺たちが宿屋の寄り合いに参加している間に、ルウ家で話し合いの場がもたれて、そのように決定されたわけである。


「狩人の衣を贈る儀式を行えば、眷族の家長たちを招くことになるから、他の3人に挨拶をさせるのにもちょうどいいだろう? バルシャたちはずっとルウの集落で暮らしてたし、祝宴だって何度もともにしてるけど、そうだからこそ、こういう区切りが大事だと思うんだよねえ」


 それは、もっともな話であった。外界の人間を4名もいっぺんに家人に迎えるというのに、何の集まりも開かないというほうが、やはり不自然であるだろう。ましてやルウ家は族長筋であるのだから、ファの家のようになあなあで済ませることはできないはずだった。


 ということで、狩人の衣を贈る儀式である。

 幸いなことに、俺とアイ=ファはまたしてもこの儀式に招待してもらうことができた。ミケルやマイムというのはもともと俺を通して森辺の客人となった身であるし、バルシャともジーダともファの家は縁が深い。それで、シュミラル=リリンのときと同じように、ルウ家のほうから参席を呼びかけてもらうことがかなったのだった。


 そして今回は、他の氏族からも3名、儀式に参加することが許された。

 その顔ぶれは、トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハムというものである。

 きっかけは、トゥール=ディンであった。朝方に、俺とミーア・レイ母さんが話をしているところに、思い詰めた面持ちのトゥール=ディンが名乗りをあげてきたのだ。


「あ、あの、わたしもその儀式に立ちあわせていただけませんか? わ、わたしはアスタやアイ=ファのように、バルシャたちとそれほど縁が深いわけではありませんが……でも、マイムだけは……ず、ずっと特別な存在であったのです」


 トゥール=ディンがこのように自己を主張するのは、きわめて珍しい話である。ミーア・レイ母さんはびっくりしたように目をぱちくりとさせていたが、すぐに大らかな笑みをたたえていた。


「確かにあんたは、マイムたちが初めて森辺にやってきたときも、その後にダバッグとかいう町に出かけたときも、一緒にいたんだよね。それじゃあいまからディンの家に使いを出して、そっちの家長からの了承を取りつけておくよ」


「えっ! ほ、本当によろしいのですか?」


「ああ。どうせだったら、アスタにも何か料理を作ってもらおうか。それで、その手伝いって名目で、2、3人の女衆を選んでおくれよ」


 それで選ばれたのが、ユン=スドラとマルフィラ=ナハムであったわけである。

 俺たちが屋台の商売を終えて、ルウの集落に戻ってみると、ミーア・レイ母さんは朝方と同じ笑顔で出迎えてくれた。


「それぞれの家の家長から、了承してもらうことができたよ。アイ=ファは日が暮れる頃に来てくれるってさ」


「あ、ありがとうございます。わたしの身勝手な願いのせいでお手数をかけさせてしまい、本当に申し訳ありません」


「何を言ってんのさ。もうずいぶん長いつきあいなのに、あんたは水臭いね」


 ミーア・レイ母さんは陽気に笑いながら、トゥール=ディンの小さな頭をぽんぽんと叩いた。トゥール=ディンは、気恥ずかしそうに顔を赤くしている。

 かくして俺たちは、めでたくこのたびの儀式に立ちあうことが決定されたのだった。


「それじゃあいつもと同じように、かまど仕事はシン=ルウの家でお願いするよ。人手はそれで足りそうかい?」


「はい、大丈夫です。それでは、またのちほど」


 俺たちはシン=ルウ家のかまど小屋に向かい、残りのメンバーは3台の荷車でそれぞれの家に帰還する。のちのちアイ=ファがギルルの荷車でやってきてくれるはずであるので、帰りの足もそれで万全だ。


「わ、わ、わたしは今日が当番で、幸運でした。あ、あ、あとで話を聞いたら、レイ=マトゥアはとても残念がるでしょうね」


「うん。彼女も当番だったら、一緒に残ってもらっていたんだけどね」


 まだ新人たちの研修も完了していないため、マルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアは1日置きの出勤であるのだ。しかしそれも今日までのことで、休業日の明日をはさみ、明後日からはいよいよ新しい出勤表にもとづいたローテーションが発動されるのだった。


「でも、明日は一緒に城下町だしさ。その喜びが、残念な気持ちをかき消してくれるんじゃないのかな」


「は、は、はい。で、でも、わたしはそちらにも同行させていただけるので……や、やっぱりちょっと、申し訳なく思えてしまいます」


「ふーん。それじゃあ明日は、誰か別の人に譲る?」


「い、い、いえ! け、決してそのような意味で言ったわけでは……」


 と、マルフィラ=ナハムはものすごい勢いで目を泳がせ始める。

 俺は「ごめんごめん」と笑いながら謝ってみせた。


「俺がそんな真似をするはずはないだろう? 今日も明日も明後日からも、どうぞよろしくね」


「は、は、はい。こ、こちらこそよろしくお願いいたします」


 明日はついに、自分たちの足で城下町に踏み込むわけであるが、その中にマルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアを加えることがかなったのである。

 もちろん、トゥール=ディンとユン=スドラもそれは同様だ。シン=ルウ家のかまど小屋に向かいながら、俺はトゥール=ディンにも笑いかけてみせた。


「そういえば、明日の話がなかったら、トゥール=ディンも今日は北の集落に出向いていたはずなんだよね。そういう意味では、幸運だったのかな」


「はい。マイムたちと喜びを分かち合えるのですから、とても嬉しく思っています」


 と、トゥール=ディンは早くも涙をにじませてしまっていた。

 マイムと出会った当初、トゥール=ディンは強くその存在を意識することになった。自分と同じ年齢であるマイムが、俺と互角かそれ以上の腕を持つかまど番であったことが、トゥール=ディンにはたいそうな衝撃であったのだ。その後のトゥール=ディンがそれまで以上に奮起することになったのは、やはりマイムの存在があってのことであるのだろう。それだけトゥール=ディンにとって、マイムというのは特別な存在であったのだった。


(マイムたちが森辺の家人になることを許されたとき、トゥール=ディンは本当に嬉しそうだったもんな)


 そのマイムは本日、屋台の商売を休んでいた。もちろん、今日の晩餐の準備をするためである。今頃は、ミケルやバルシャや他の女衆とともに、素晴らしい料理を作りあげていることだろう。


 ジーダはもちろん、他の男衆とともに森に入っている。ちょうど昨日、ジーダがギバを仕留めることができたので、その毛皮で狩人の衣が作られるのだ。ジーダが普段身につけていた、ガージェの毛皮の狩人の衣は、今後は人の目に触れることなく、家で保管されるのだろう――俺の白い調理着のように。


「さて、それじゃあ調理に取りかかろうか。ジーダたちに喜んでもらえるように、頑張ろう」


 そうして俺たちは、意気揚々と仕事に取り組むことになったのだった。


                    ◇


 日没が近づくと、まずはアイ=ファがかまど小屋に姿を現した。

 戸板を開くなり、鋭い視線を室内に巡らせる。その厳しい面持ちを不可思議に思った俺は、「どうしたんだ?」と問うてみた。


「いや……また視察と称して、あやつがやってきたりはしていないかと思ってな」


「あやつって、フェルメスのことか。あのお人だって、そこまで身軽じゃないだろう。……ていうか、儀式について決められたのは昨日の夜で、なおかつ城下町に報告が必要な話でもないんだから、あのお人の耳に入る機会もなかったんじゃないのかな」


 どうやら昨日の寄り合いで、いきなりフェルメスがやってきたことが、アイ=ファの警戒心を刺激してしまったらしい。アイ=ファは「そうか」と息をついてから、あらためてユン=スドラたちに目礼をした。


「お前たちも、ご苦労であったな。とりわけトゥール=ディンなどは、昨日から働きづめであろう」


「は、はい。こんなに色々な行事に参加することを許していただけて、とても光栄に思っています」


 昨日は寄り合い、今日は祝宴、明日は城下町の見物およびお茶会と、確かになかなかのハードスケジュールである。しかも、休業日の明日以外は毎日屋台の仕事に取り組んでいるのだから、なおさらであった。

 しかしトゥール=ディンは、満ち足りた面持ちで微笑んでいた。今日はマイムたちのお祝いで、明日はヴァルカスやオディフィアと対面できるのだと思えば、喜びのほうがまさるのだろう。少なくとも、俺はそうだった。


「復活祭が間近に迫っているのだから、無理をせぬようにな。お前もアスタと同じように、代わりのきかない立場であるのだから、特に用心するべきであろう」


 粛然たる面持ちながらも、アイ=ファがトゥール=ディンにそのような言葉をかけるのは、珍しいことだ。

 などと考えていたら、トゥール=ディンがじんわりと涙を浮かべてしまったので、アイ=ファはずいぶん仰天させられたようだった。


「ど、どうして涙を浮かべるのだ。何もお前を責めたりはしておらぬぞ?」


「は、はい、申し訳ありません。今日はちょっと……特別な日であったので、心が揺らいでしまっているようです。アイ=ファのお言葉が、とても嬉しく思えてしまって……」


 トゥール=ディンは弱々しく微笑みながら、目もとに浮かんだ涙をぬぐった。

 それを見やっていたユン=スドラは、優しげに目を細めている。


「トゥール=ディンの気持ちはわかります。アイ=ファは普段あまり語られない分、そのお言葉がとても心にしみいるのですよね」


「……だったら私は、うかうかと口を開かぬほうがよいようだな」


「そんなの、駄目です。それでしたら、普段からもっと語るように心がけるべきではないでしょうか」


 ユン=スドラは楽しそうに笑い、アイ=ファは仏頂面で頭をかき回した。

 そんな何気ないやりとりが、俺の心を温かくする。アイ=ファがこうやって周りのみんなと少しずつ打ち解けていくのは、俺にとって大きな喜びであるのだった。


「よー、料理の準備はできたかー? そろそろ儀式を始めるってよ」


 と、窓の外からルド=ルウが呼びかけてきた。

 こちらの準備は万端である。みんなで手分けをして料理を外に運び出すと、暮れなずむ広場にはすでに大勢の人々が待ち受けていた。


 ルウの集落に住まう人々と、客人として招かれた眷族の人々である。シュミラル=リリンのときと同じように、男衆は狩人の衣を纏っており、未婚の女衆は宴衣装だ。ただし、これは血族の祝い事であったし、急なお招きでもあったので、ユン=スドラたちはいつも通りの格好であった。


 指定された簡易版かまどに鉄鍋を設置して、広場の中央へと足を向ける。周囲の人々も、儀式の火のために組みあげられた薪の山の前に集結しているさなかであった。


「ああ、アスタにアイ=ファ……ようやく会えたわねぇ……」


 と、艶めかしい声が横合いからかけられる。振り返るまでもなく、正体は知れていた。


「ヴィナ・ルウ=リリンに、シュミラル=リリン。今日はおふたりが、家長のお供だったのですね」


「ええ、そうよぉ……普通だったら、未婚の人間をお供にするところだけど、リリンの人間はみんな婚儀をあげているからねぇ……」


 ヴィナ・ルウ=リリンのかたわらでは、シュミラル=リリンも穏やかに微笑んでいる。つい数日前に、傀儡の劇で顔をあわせたばかりであり、しかもふたりは明日の城下町にも同行する手はずになっていたが、もちろん俺の喜びに変わりはなかった。


(なんだか婚儀をあげて以来、本当に顔をあわせる機会が増えたなあ)


 そしてそれは、シュミラル=リリンがかつての宣言を実践しているという証なのかもしれない。《銀の壺》と合流してジェノスを離れる前に、もっと俺と絆を深めておきたい――シュミラル=リリンは、そのように宣言していたのだ。


「ヴィナ・ルウ=リリンはつい先日までルウ家で過ごし、バルシャらと絆を深めていた身であるし、シュミラル=リリンはアスタとミケルを引き合わせた身であるからな。この場に参じるのに相応しい立場であるのだろう」


 アイ=ファがそのように評すると、シュミラル=リリンは「はい」とうなずいた。


「まさか、ミケル、森辺の家人になる、考えていませんでした。森の導き、運命、不思議です」


「本当にそうですね。そういえば――」


 と、俺はそこで言葉を呑み込んだ。

 森辺の民は、ミケルと出会うことでさらなる力を得る――シュミラルの同胞は、星読みの技でそのような運命を予言していたのだった。

 だけど最近のアイ=ファは、フェルメスのおかげで星読みの技を嫌ってしまっている。よほどの必要がない限りは、口にするべきではないのだろう。


「……これでシュミラル=リリンは、ミケルともルウの血族になるわけですもんね。本当に、運命というのは不思議です」


 シュミラル=リリンはやわらかく微笑んだまま、「はい」とうなずいた。

 そこに、ドンダ=ルウの声が響く。


「それではこれから、ルウの家人となったジーダに狩人の衣を与えたく思う。……しかしその前に、新たな家人となる4名について、いくつか述べておくべきであろう」


 俺たちは横合いから回り込んで、ドンダ=ルウの姿が見える場所に陣取った。

 ドンダ=ルウは、まだ火の灯されていない薪の山の前に立ちはだかっており、そのかたわらにはジーダがぽつんと並んでいる。ジーダだけは狩人の衣を纏っていなかったので、いっそう華奢に見えてしまった。


「ルウ家の新たな家人となる、バルシャ、ミケル、マイムよ。こちらに進み出て、ジーダの横に並ぶがいい」


 3つの人影が、ドンダ=ルウの言葉に従って進み出る。

 その姿を目にして、俺は小さからぬ驚きにとらわれることになった。

 彼らはみんな、森辺の装束を纏っていたのだ。


 バルシャは以前から、森辺では一枚布の装束を纏っていた。ただ、森辺の民が好む渦巻模様とは少しだけデザインの異なる模様の装束であったのだ。

 それが他の皆と同じ渦巻模様の装束にあらためられて、首には3本の牙や角の飾り物が下げられている。きっと、ジーダから贈られた首飾りであるのだろう。


 ミケルは、俺と似た格好であった。もともと愛用していた布の胴衣の上に渦巻き模様のベストを羽織り、足もとはジャガル風の脚衣からゆったりとした腰巻にあらためられている。靴が以前のままであるのも、かつての俺と同様だ。


 そして、マイムであった。

 マイムが着ていたのは、渦巻模様のワンピースである。

 既婚の女衆が纏う一枚布の装束とも少し異なる、ワンピースとしか言い様のないデザインだ。もともとマイムはワンピースを着用していたので、それが渦巻模様に変じただけのことであった。


 普通、森辺では10歳を超えた場合、女衆は胸あてと腰あての装束を纏うことになる。それまでは男女ともに、リミ=ルウが纏っているようなワンショルダーの装束を着込み、10歳になったら男女で装束を分けられるのだ。

 ただし、この森辺において、その習わしから外れた装束を纏っている人間は、いなくもない。それは誰あろう、ツヴァイ=ルティムであった。13歳である彼女は、いまでもマイムと似たような渦巻模様のワンピースを着用していたのだった。


(そういえば、あれが森辺の習わしに背く装束だったんなら、ルティムの家人になった時点で、着替えさせられてるはずだもんな。これまで聞いたことがなかったけど、あれも森辺で認められた格好だったのか)


 ともあれ俺は、装束をあらためた3名の姿に感銘を受けることになった。

 彼らも本当に森辺の家人になるのだという実感が、ふつふつとわいてくる。そういえば、シュミラル=リリンはもともと森辺の民と似た装束を纏っていたために、さしたる変化も生じなかったのだった。


 よく見れば、ジーダも渦巻模様のベストを羽織っており、首にはたくさんの牙と角をぶら下げていた。きっと、これまでに狩ったギバの角と牙であるのだろう。

 それに、ミケルとマイムも3本ずつの首飾りを垂らしている。それもジーダが贈ったものであるのだろうか。


 何にせよ、彼らは森辺の装束を纏っていた。

 それこそが、森辺の家人となった証であるのだ。

 俺もファの家の居候となって、数日が過ぎてから、アイ=ファの父親の形見である装束を授かった。それを纏うことで、近在の氏族の人々たちはいくらかの警戒心を解き、そして、リミ=ルウから声をかけられることになったのだった。


「いまさら紹介をする必要はなかろうが、これが今日からルウ家の家人となる4名だ。この4名は、これまでも同じ家に住まっていたわけだが……今後も同じ家に住み続けてもらい、そして、ルウの新たな分家であると定めさせてもらう」


「ほう」と声をあげたのは、宴衣装のヤミル=レイを引き連れたラウ=レイであった。


「どこかの分家の家人として扱うわけではなく、その者たちだけで新たな分家を作らせるのか。では、家長は誰なのだ?」


「知れたこと。森辺において、家長をつとめるのは狩人と定められている。……もっとも、数十年の昔にはその習わしを破って、女衆ながらに家長を名乗った人間もいるようだがな」


 言うまでもなく、それはジバ婆さんのことである。きっとそれは、複雑な経緯のもとに取られた措置であるのだろう。そのジバ婆さんは、ティト・ミン婆さんに寄り添われつつ、とても穏やかに微笑んでいた。


「新たな分家の家長は、ジーダとする。ただし、この家には他に狩人たる男衆がいないため、ジーダが狩人としての力を失った際は、他の分家の家人となってもらう。……その頃までに、ジーダの子が狩人として成長していれば、その限りではないがな」


 ジーダはいつも以上に引き締まった面持ちで、ドンダ=ルウの声を聞いていた。

 マイムはいくぶん心配そうにジーダの顔を見上げており、ミケルも硬い表情だ。普段通りのゆったりとした態度を崩していないのは、バルシャぐらいのものであった。


「では、ジーダが狩人の衣を与えられたそのときより、残りの3名も正式にルウの家人に迎え入れることとする。……3名は、下がるがいい」


 ジーダだけをその場に残して、マイムたちは人垣に戻った。

 それと入れ替わりで、草籠を掲げた分家の女衆が、薪の山の横合いに進み出る。


「儀式の火を!」


 ドンダ=ルウの号令に従って、女衆のひとりが儀式の火を灯した。

 薄闇に包まれていた広場が、オレンジ色の炎に照らしだされる。

 さらに女衆らが草籠の中身を火の中に投じると、あの、甘くて酸味のある香草の独特な芳香がたちこめた。


 人垣に控えていた男衆らが、ギバの大腿骨を打ち鳴らし始める。

 つい先日にはリリンの家で目にすることになった儀式のさまが、再びその場で展開されたのだ。

 ドンダ=ルウはジーダのほうに向きなおると、腰に下げていた刀を鞘ごと取り上げた。


「ジーダよ、貴様を森辺の狩人と認めて、この刀を贈る」


 ジーダは緊迫した面持ちのまま、ドンダ=ルウの前でひざまずいた。

 白い燻煙で焙られた刀が、ジーダの右肩にぴたりと押し当てられる。


 やがてドンダ=ルウが刀を引いて、ジーダが立ち上がると、ふたつの人影が前に進み出た。真新しい狩人の衣を携えたミーア・レイ母さんと、マイムだ。

 狩人の衣も燻煙をくぐらされてから、ジーダの肩にふわりと投げかけられる。

 マイムが前側に回り込み、首もとの紐をしめていた。


 マイムは真剣そのものの表情であり、それを見下ろすジーダは――いくぶんやわらかい眼差しになっているように感じられた。

 仕事を終えたマイムとミーア・レイ母さんが退くと、ドンダ=ルウが先ほどの刀をジーダに突きつける。


「貴様が森に魂を返すまで、この刀と狩人の衣は、貴様だけのものとなる。今後もルウ家の狩人として、その名に恥じぬ働きを見せよ」


 ジーダは「心得た」と低い声で応じてから、その刀を受け取った。

 それを腰に下げてから、人垣のほうに向きなおると、今度はガズラン=ルティムが進み出た。


「ルティムの家長ガズラン=ルティムは、ジーダを祝福いたします」


 ガズラン=ルティムの手から、ギバの牙が贈られる。これもまた、リリンの集落で見た光景であった。

 ラウ=レイ、ミンの家長、マァムの家長、ムファの家長、ギラン=リリンと眷族の家長たちが次々に祝福を授けると、今度はお供の男女がそれに続く。その次が、俺たちの番であった。


 俺はアイ=ファから受け取った牙を手に、トゥール=ディンたちは自分の首飾りから抜き取った牙を手に、ジーダのもとへと歩を進める。

 シュミラル=リリンのときのように、涙腺を刺激されることはない。

 だけどもちろん、俺はぞんぶんに情動を揺さぶられていた。

 ジーダばかりでなく、これでマイムやミケルやバルシャたちもが、森辺の同胞として迎えられるのだ。その喜びが、いまさらのように胸の奥深くにまでしみいってくるかのようだった。


「ファの家の家人アスタは、ジーダを祝福するよ。……おめでとう、ジーダ」


「ああ」とうなずくジーダは、普段通りのぶっきらぼうさを取り戻しつつ、やっぱりやわらかめの眼差しになっていた。

 きっとジーダも、森辺の家人となれた喜びを噛みしめているのだろう。


 俺はジーダとバルシャの他に、マサラの狩人というものを知らない。

 なおかつバルシャは、若かりし頃にひとたび故郷を捨てていたので、それほど狩人らしい雰囲気を有していないように思える。どちらかというと、ザッシュマに似たところのある、世慣れた町の剣士という感じが強かったのだ。


 だけどジーダは最初から、森辺の狩人に負けない野性味を発散させていた。

 父親の復讐に燃える彼は、手負いの獣のごとき迫力を有していたのだ。

 それにジーダは、森辺の狩人に気取られぬままに俺たちの屋台を監視したり、シン=ルウを正面から打ち負かしたりもしていた。彼が森辺の狩人にも負けない力量を有していることは、出会った当初から示されていたのである。


 そうして父親の仇であったサイクレウスとシルエルが処断されたのちは、元来の寡黙でぶっきらぼうな気性をよみがえらせつつ、森辺の客分として過ごしていた。そういう立ち居振る舞いも、森辺の狩人に多く見られるものであると、俺などはひそかに判じていた。


 ジーダであれば、森辺の狩人として、何の不足もなく生きていくことができるだろう。

 そんな思いを、俺はいまさらながらに噛みしめることになった。

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