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異世界料理道  作者: EDA
第四十四章 徒然ならぬ日々
744/1684

宿屋の寄り合い③~晩餐~

2019.5/30 更新分 1/1

「それでは、お召し上がりください」


 すべての卓に料理の皿が行きわたるのを確認してから、タパスがそのように宣言した。

 宿屋のご主人がたは、喜び勇んで食器を取り上げる。俺たちはその前に、食前の文言を詠唱しなければならなかった。火の番をつとめた者の名称は、「《タントの恵み亭》のかまど番」とさせていただく。


「本日ご用意したのは、こちらの食堂にて最近お出しするようになった、新しい献立となります。お気に召しましたら幸いです」


 タパスの席のかたわらに立ったヤンが、そのように述べていた。普段は食堂で出される料理の仕込みまでを終えたら城下町に帰っているのであるが、本日は特別に居残っているのだ。この後は、ダレイムにある伯爵家の別邸で夜を明かすのだという話であった。


「こちらの料理は、カロンが使われているのですね?」


 レイナ=ルウが問いかけると、ヤンは「はい」と微笑みまじりに応じた。


「肉料理と汁物料理には、カロンの胸肉が使われています。野菜料理にのみ、キミュスの足肉をわずかに使っております」


 料理はその3種で、あとは焼いたポイタンが添えられている。見る限り、どれも食欲をそそられる見栄えをしていた。


 肉料理はシンプルなソテーであり、オレンジ色のソースがまぶされている。付け合わせは、ブナシメジモドキとブロッコリーのごときレミロムだ。ソースの材料は不明であるが、とりあえずミャームーの香りだけは確認できた。


 汁物料理はクリーム色をしており、どうやらカロン乳を主体にしているようだった。いくつかの色彩がぽつぽつと顔を覗かせているものの、食してみなければどういう具材なのかは判然としない。


 野菜料理は、炒め物であるようだ。タケノコのごときチャムチャムや、ズッキーニのごときチャン、モヤシのごときオンダにまじって、何かの緑色の色彩と、細かくほぐされたキミュスの肉が見受けられる。この料理からは、ミソの香りが匂いたっていた。


 まずは主菜の肉料理から、いただくことにする。

 カロンの胸肉のソテーはもともと細長く切り分けられており、ミラノ=マスなどはそれをポイタンの生地でくるんで食していたので、俺もそれにならうことにした。


 焼きポイタンで包み込むようにして胸肉をつかみ取り、後から木匙でブナシメジモドキとブロッコリーを追加してから、口に運ぶ。

 香りはミャームーのそれであったが、口に広がるのは清涼なる酸味と豊かな甘みであった。


(なるほど。これは、ラマムの実を主体にしているのか)


 ラマムとは、リンゴのごとき果実である。ラマムとミャームーのすりおろしに、おそらくは白ママリアの酢と――それに、タウ油も使われているのだろうか。なかなかさっぱりとした味わいであるが、ほどよいコクも感じられた。


 そうしてカロンの胸肉のソテーは、びっくりするほどやわらかくて、脂分も豊富である。カロンの脂はギバよりもこってりしているが、それがソースの酸味でいい具合に中和されている。ラマムの自然な甘みも、この肉と素晴らしく調和しているように感じられた。


「これは……美味ですね。ダバッグで口にしたカロン料理よりも、はるかに美味に感じられます」


 同じものを口にしたレイナ=ルウは、そのように述べていた。

 が、ダバッグでカロン肉を食した際、レイナ=ルウたちはあまり大きな関心を示していなかったのだ。ダバッグでは肉の新鮮さを売りにしており、細工の少ないステーキが供されていたので、ギバ肉を好む森辺の民にはそれほど感銘を与えることがかなわなかったのだった。


 しかしまた、この場で使われているのは、ダバッグから買いつけた塩漬け肉のはずである。それが新鮮なカロン肉よりも美味に感じられるというのなら、それこそがヤンの手腕と言うべきであろうか。

 何にせよ、俺としては申し分のない味わいであった。


(ヤンも宿場町の民の好みを考えて、複雑な味わいを避けるようになったもんな。このソースも、甘みと酸味を際立たせた仕上がりだし……何より、カロン肉のポテンシャルを引き出すことを一番に考えた結果なんだろう。これは宿場町でも、人気が出るんじゃないのかな)


《タントの恵み亭》は、高額なるカロンの胴体の肉を普及させようという役割を担っているために、いまだギバ料理に着手していないのである。そうしてヤンが研究を重ねた苦労が、いよいよ着実に実を結んだように感じられた。


 汁物料理も、それに劣らない出来栄えである。こちらはカロン乳を主体にしており、まろやかな甘みと、わずかな辛みが心地好い。これは、チットの実かイラの葉の刺激であろう。具材は、白菜のごときティンファと、パプリカのごときマ・プラ、ヤマイモのごときギーゴで、あとはごろりと角切りにされたカロンの胸肉も使われていた。


 カロン乳のスープというのは、俺もごく早い段階から着手していたし、途中からはクリームシチューに移行している。この料理も、シチューというほどではないものの、いくぶんとろりとした質感であり、カロン乳の甘みの裏に独特の香ばしさが隠されていた。


「この風味は、独特ですね。馴染みの深い食材であるような気がするのですが、いまひとつ正体をつかみかねます」


 俺がそのように声をあげると、ヤンは穏やかに微笑んだ。


「汁物料理には、すり潰したラマンパとタウの豆を使っております。風味と食感にはそれらの食材が影響を及ぼしていることでしょう」


 ラマンパは落花生、タウは大豆に似た食材である。乾煎りしてからすり潰して、スープに投じたということなのだろうか。そう言われてみると、この香ばしさはタウの豆から作られるきなこに通ずる風味であるのかもしれなかった。


「これも、美味ですね。美味ですし、食べやすいです」


 トゥール=ディンも、はにかむような笑顔になっていた。

 いっぽうミラノ=マスは、「ううむ」と難しい顔になっている。


「確かに美味いな。それに、美味いばかりでなく、何だかその……上品、とでもいうのだろうか。俺には一生かかっても、こんな料理は作れなそうだ」


「そうですね。宿場町のお客にも抵抗なく食べられるような味わいでありながら、とても繊細な味わいだと思います。そこは城下町の料理人ならではなのかもしれません」


 周りの卓でも、あちこちから感嘆の声があがっていた。もとより、カロンの胴体の肉は高額であるために、取り扱ったことのない人間も多いのだ。また、途中からはギバ肉が宿場町を席捲したために、いっそう手に触れる機会が減じてしまったのかもしれなかった。


(そう考えると、ヤンはかなり苦しい戦いを強いられていたんだろうな)


 ギバ肉は、トゥラン伯爵家にまつわる騒動を経てお披露目されたために、話題性が強かったのだ。言ってみれば、カロンの胴体の肉はその余波で存在感をかき消されてしまった感がある。そんな中、ヤンは地道に修練を積んで、これだけの料理を完成させることになったのだろう。


 ミソを使った炒め物も、なかなかの出来栄えであった。

 ミソのタレには、砂糖やホボイの油といった順当な調味料を加えているようだ。過不足のない、シンプルな美味しさである。緑色をした野菜の正体はルッコラに似たロヒョイであり、そのほのかな苦みがほどよいアクセントになっていた。


「どの料理も、美味ですね。それに……何だか少し、ミケルやマイムの作る料理と似ているように思えませんか?」


 と、レイナ=ルウが小声で俺に呼びかけてきた。

 それは俺の頭にはなかった感想であったので、しばし考えさせてもらう。


「ミケルやマイムの料理か……レイナ=ルウは、どうしてそう思ったんだろう?」


「わたしにも、はっきりとはわかりません。あえて言うならば……これまでにヤンが作ってきた料理は、いかにも城下町の料理人らしい複雑さを有しており、いささか食べにくかったように思うのです」


 レイナ=ルウの言う「城下町の料理人」の中に、ヴァルカスは含まれない。ヴァルカスの料理はいずれも完璧な調和が為されており、どれほど複雑であっても文句のつけようがないためである。ヤンやティマロの作る料理の多くは、同じ複雑さを持ちながら、何らかの過不足によって調和が崩れている――というのが、俺たちの有する共通認識であるのだった。


 然して、この料理からは複雑さが減じられて、きちんとした調和が保たれている。

 そこで、ネイルやナウディスではなく、マイムやミケルを連想したというのは、やはり城下町で培った確かな調理技術というものが絡んでくるのだろうか。


「ああ、そうだ……以前にロイやシリィ=ロウと交わした問答にも、関わってくることなのかもね」


「問答? それは、あの祝宴の際のことでしょうか?」


「うん。城下町の料理人は未知なる味わいを追求しようとする傾向が強いけど、ミケルや俺なんかは食材の持つ本来の美味しさを活かそうとする、っていう感じの話だったと思うんだけどさ。ヤンは目新しい食材の普及を一番に考えているから、それが結果的にミケルや俺の考え方と重なることになったんじゃないのかな」


「ああ……人々に食材の素晴らしさを伝えるためには、その食材の本来の味を活かす必要がある、ということですね」


「そうそう。この肉料理と汁物料理はカロン肉の、野菜料理はミソの味を直截的に活かした料理だろう? それが、城下町の料理人としての緻密な手際で作られているから、ミケルに似た作法に感じられたのかもしれないね」


 マイムの料理を初めて食べたときのような驚きはない。しかしそれは、俺たちがマイムやヴァルカスによって、これまでにさんざん驚かされてきたからなのではないだろうか。もしもマイムやヴァルカスと出会う前に、これらの料理を口にしていたなら――俺は間違いなく、「この地でもっとも美味に感じられた料理」と判ずるはずだった。


「そうですね。もしもこれらがギバ料理であったなら、わたしはもっと大きな驚きにとらわれていたかと思います。逆に、マイムの作った料理にカロンやキミュスの肉が使われていたならば、あれほどの驚きには見舞われていなかったのかもしれません」


 そのように述べてから、レイナ=ルウはふっと息をついた。


「もしかしたら、わたしは今日、初めてヤンの力を思い知ったのかもしれません。自分の不明を、恥ずかしく思います」


「何も恥ずかしく思うことはないさ。これまでにヤンの作ってきた料理が、あまり森辺の民の好みに合うものではなかったっていうのも、本当のことなんだからね」


 それが、宿場町の民の好みを探っているうちに、俺たちの好みに近づいたというのも、至極当然の結果であったのだろう。俺としては、敬愛するヤンの料理を素直に美味しいと思うことができて、何とも幸福な心地であった。


「……如何ですかな、レマ=ゲイト? カロン料理の参考になったでしょうか?」


 タパスがにこやかに問いかけると、レマ=ゲイトは「ふん!」と盛大に鼻を鳴らした。


「あんたはそんな立派な厨番を預けられたあげく、褒賞金までいただいてるって話なんだからね。まったく、不公平な話じゃないか」


「我々とて、決して安楽な道を歩んでいるわけではないのですよ。目新しい食材が出回るたびに、その扱い方を真っ先に研鑽しなければならないのですからね」


「ふん。苦労をするのは、そっちの男前の厨番だろう? あんたはキミュスが金の卵を産むのを待ちかまえているだけじゃないか」


 いきなり男前などという言葉が飛び出して、俺はたいそう驚いてしまったが、当のヤンは礼儀正しく微笑むばかりであった。

 ちなみにヤンは、そろそろ50に届こうかという年齢であり、痩せぎすで、慇懃が服を着ているような風貌だ。ヤンと同世代ぐらいで、ヤンよりも遥かに肉厚の身体をしたレマ=ゲイトが、いったいどのような心情でそんな言葉を口にしたのか、いまひとつ計り知れなかった。


「ともあれ、経緯は異なれど、わたしもあなたもギバ肉を使わずに美味なる料理をお出ししようと励んでいる同士です。今後も手を取り合って、宿場町を盛り上げてまいりましょう」


「ふん。貴族の言いなりになってるだけのあんたと、一緒にしてほしくないもんだね」


 タパスは眉尻を下げて微笑みつつ、ちらりとフェルメスのほうをうかがった。

 会の始まりからずっと静かにしていたフェルメスは、フードの陰で優美に微笑む。


「レマ=ゲイトとはすでに言葉を交わしており、その心情もうかがっていますので、何も心配なさる必要はありません。僕にはかまわず、忌憚なき言葉をお交わしください」


 すっかりフェルメスの存在を失念していたらしい周囲の人々は、辟易した様子で首をすくめていた。レマ=ゲイトなどは、もちろんフェルメスの耳があることを承知の上で、貴族を腐していたのだろう。彼女は、そういう性分であるのだ。


(《アロウのつぼみ亭》は、宿場町で2番目に立派な宿屋なんだもんな。そりゃあフェルメスだって、視察の対象に選ぶだろう)


 しかし、フェルメスがどこを見て回ろうと、俺たちが怯む筋合いはない。レマ=ゲイトのように、いまだ森辺の民を信用しきれていない人間が存在するというのは、まぎれもない真実であるのだ。森辺の民は、真実を知られることを決して恐れたりはしないのだった。


(それに俺たちのほうは、レマ=ゲイトを嫌ってるわけじゃないしな)


 トゥラン伯爵家とスン家の旧悪が暴かれて、いまだ1年と2ヶ月ていどしか経過していないのだ。たったそれだけの期間で、ジェノスのすべての人々と絆を結びなおせるわけがない。それでも俺たちは、いずれすべての人々と手を取り合えるようにと、そのように願いながら日々を過ごしているのだった。


「……それではそろそろ、菓子の準備をお願いできますでしょうかな?」


 気を取りなおしたように、タパスがそのように呼びかけてきた。

 トゥール=ディンが「はい」とうなずき、俺たちは起立する。そうしてアイ=ファやルド=ルウをともなって厨のほうに足を向けると、自分たちの食事を楽しんでいた一般のお客たちが目を丸くした。


「あれ? 森辺の民がこんな時間にうろうろしてるなんて、珍しいじゃねえか」


 俺たちは最奥部の席に陣取っていたので、これまで目に入らなかった人々も大勢いたのだろう。俺たちはそれらの人々と挨拶を交わしつつ、厨へと踏み込んだ。

 簡略版クレープの準備はすでにできているので、それをそのまま自分たちの卓へと運んでいく。どうせならば、これを完成させるシンプルな工程も見てもらおうという考えであったのだ。


「お、お待たせいたしました。これは、ポイタンの生地で具材をはさみこむだけの、ごく簡単な菓子となります。具材は、アロウのじゃむと、ちょこれーとそーすと、かすたーどくりーむと、ブレの実のつぶあんの4種となります」


 ブレの実のつぶあん以外は、すでにレシピを宿場町で公表している。食事を終えたナウディスは口もとを織布でぬぐいつつ、「はて?」と首を傾げていた。


「ブレの実、ブレの実……それは、ジャガルの食材でしたかな? 聞き覚えはあるのですが、どのような食材であるのか失念してしまいました」


「ブレの実は、ジャガルでもセルヴァでも収穫することができるそうです。これは、セルヴァの余所の土地から買いつけたものであるようですね」


 説明しながら、トゥール=ディンは焼きポイタンの生地につぶあんを塗りつけて、ぺたりと折りたたんだ。俺たちも、各自の担当の具材で同じように仕上げていく。


「ふむふむ。屋台では、注文を受けてから、そのように仕上げるのでしょうかな?」


「はい。作り置きにすると、生地が具材でふやけることもありますし……売れ残っても、かすたーどくりーむ以外の具材は、翌日にも使えます。何も難しい作業ではありませんので、わたしは屋台で仕上げるつもりです」


「なるほど。お代は、いかほどで?」


「この大きさで、ひとつにつき割銭1枚です。その値段なら、売り上げの1割を税で差し出しても、十分な儲けが出るはずです」


 そして、税が課せられるのは、森辺の民の屋台のみである。ご主人がたは、いずれも興味津々の様子で菓子の完成を待ち受けているようだった。

 あるていどの菓子が完成すると、シェイラとニコラが配膳の仕事を受け持ってくれた。1枚の小皿に4種の菓子をのせて、しずしずと配り歩いていく。それにお礼の言葉を述べてから、トゥール=ディンは「あの」と付け加えた。


「が、外交官の方々も、よろしければお味見をお願いいたします」


「おや、僕たちの分まで準備してくださったのですか?」


 フェルメスに優美なる微笑を向けられて、トゥール=ディンはマルフィラ=ナハムのように目を泳がせてしまう。


「は、はい。こちらには獣の肉も使っておりませんし……い、いらぬ気遣いであったら、申し訳ありません」


「いらぬ気遣いだなんて、とんでもない。心からありがたく思っています」


 フェルメスは、あどけない少女のように微笑んでいる。それを横目で確認したユーミは、こちらに向きなおってから「うえー」とばかりに舌を出した。彼女もまた、フェルメスを煙たがるひとりなのである。


 そんな間にも、待ちきれずに菓子を食した人々が感嘆の声をあげていた。

 白魚のような指先で生地をつまんで、花のつぼみのごとき唇にそれを運んだフェルメスも、「おお」と小さく声をあげる。


「簡素ながらも、見事な菓子ですね。城下町で出される複雑な味わいの菓子よりも、僕にはこちらのほうが口に合うようです」


 それはこれまでにも、何度か聞かされた言葉であった。王都においては、ジェノスほど複雑な味わいは求められていないようなのである。


「ジェムドは、どうだい? まあ、聞く前から答えはわかっているけれどね」


「はい。美味です」


 深みのある美声で、ジェムドはそのように答えていた。この御仁の声を聞くのは、ちょっとひさかたぶりのことである。


「これは、美味ですな。ブレの実というものがこれほどに美味だとは知りませんでしたぞ」


 ナウディスも、ご満悦の様子である。見渡す限り、この菓子の出来栄えに不満を持つ人間はいないようだった。

 そんな中、ひときわ満足そうな面持ちで菓子を食していたジーゼが「よろしいですか?」と声をあげる。


「ブレの実だったら、あたしも何度か買いつけているのですけれど、あんまり上手に扱うことができなかったのですよねえ。弱い火で煮込むといつまでたっても芯が取れないし、かといって強い火で煮込むとぐずぐずになっちまうし……それに、何だか嫌な渋味が出ちまうんですよねえ」


「は、はい。わたしもアスタの手ほどきを参考に、色々と試してみたのですが……最初に強火でしっかり煮立てて、あるていどやわらかくなったところで水を入れ替えると、渋味は取れるように思います」


「ははあ。それで、その後は弱い火で煮込むんですかねえ?」


「はい。すべての実の皮がやぶけるまで弱火で煮込んだら、だいたいの芯はなくなると思いますので……そうしたら、かまどの火を落として、鉄鍋に蓋をします。そうして半刻ぐらい蒸らすと、すべての芯がなくなるはずです。味をつけるのは、その後になりますね。このように菓子で使う場合は、またかまどに火をいれてから、砂糖を入れて練りあわせます」


「へえ、砂糖は最後なんですねえ。こんなにしっかりと味がしみこんでいるから、てっきり最初っから一緒に煮込んだのかと思いましたよ」


「ブレの実は煮込んでいる間にたくさんの水を吸い込みますので、その水気に砂糖の甘さがしみこんでいるのだと思います。ですから、砂糖をいれた後は強火で手早く煮立てるだけで、しっかり味がしみこむようです」


 他の主人たちも、感心しきった様子でふたりのやりとりを聞いていた。そして、そのうちのひとりが慌てた様子で声をあげる。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。最初に強火で煮込んで、それから……ええと、いったん水を入れ替えるんだっけ?」


「はい。四半刻も経たないうちに、ブレの実はけっこうやわらかくなるはずですので、そうしたら水を入れ替えてください」


 そのように答えてから、トゥール=ディンは卓の上に準備していた帳面をおずおずと取り上げた。


「ブレの実と水の分量や、火にかける時間などは、いちおうこちらに書き留めていますので……よ、よければ後で写していってください」


「そいつはありがたい! いつもすまねえなあ、森辺のお嬢ちゃん」


 トゥール=ディンは恐縮しきった様子で小さくなりながら、それでもはにかむように微笑んでいた。俺としては、誇らしい限りである。


「レマ=ゲイトは、いかがです? 最近は《アロウのつぼみ亭》でも、甘い菓子が評判を呼んでいるのでしょう?」


 と、タパスがまた水を向けると、豪気なる女主人は「ふん!」と頬肉を震わせた。


「アロウの扱いだったら、うちも負けちゃいないよ。あんただって、そいつは知ってるはずだろ」


「ええ。前回の定例会では、実に見事なアロウの菓子が出されていましたな」


 自分の仕事を終えて、ようやく息をつこうとしていたトゥール=ディンは、そこで「えっ!」と驚きの声をあげた。


「あ、あの、先月の寄り合いでは、そちらの宿で菓子が出されたのですか?」


「ええ。先月の会場は《アロウのつぼみ亭》でしたので。森辺の方々のご感想もお聞きしたかったところですな」


 それは、惜しい機会を逃したものだ。先月は、ダレイムのドーラ家にお邪魔するために、寄り合いを欠席していたのである。

 トゥール=ディンはもじもじとしながら、上目づかいにレマ=ゲイトのほうを見た。


「あ、あの……その菓子というのは、やはり晩餐の時間でないと売りに出されないのでしょうか……?」


 レマ=ゲイトは「ああん?」と、うるさげににらみつけてくる。

 トゥール=ディンは小さな身体をさらに小さく縮め込みながら、それでも懸命に言葉を重ねた。


「わたしはあまり、町の方々が作る菓子を口にする機会がありませんでしたので……かなうことなら、それをお売りいただきたいのですが……」


「……何を言ってるんだい。あんたは城下町の貴婦人がたに菓子をお届けしてるような人間なんだろう? そんなやつが、いまさら宿場町の粗末な菓子を食べて、どうしようってのさ」


「しゅ、宿場町でも立派な料理を作っている方々は、たくさんいらっしゃいます。でも、わたしの知るそういった方々は、まだあまり菓子には手をつけておられないのです」


 トゥール=ディンが言うのは、もちろん俺たちが懇意にしている宿屋の人々のことである。その中で、菓子作りに取り組んでいるのは《キミュスの尻尾亭》のみであり、あとはヤンがときおり新作の菓子をお披露目してくれるぐらいであった。


「で、ですからその、わたしにもそちらの菓子をお売りいただければと考えたのですが……宿屋では、夜にしか食事を売っていないのだと聞きます。やはり、日が暮れた後でないと、菓子も買いつけることはできないのでしょうか……?」


 レマ=ゲイトはしばしトゥール=ディンの姿をねめつけてから、ものすごい勢いでそっぽを向いた。


「当たり前だろ。昼の食事は屋台で済ませるってのが、この宿場町の習わしなんだからね。菓子だけ昼に売る理由があるもんかい」


「ああ、やはりそうでしたか……」


 トゥール=ディンは、しょんぼりと肩を落としてしまう。

 するとレマ=ゲイトはそっぽを向いたまま、胴間声を撒き散らした。


「ただし! 復活祭の間は、こっちでも菓子の屋台を出させてもらうからね! いつまでも、あんたたちばかりにいい目を見させやしないよ!」


「えっ! では、復活祭ではあなたの菓子を食べられるのですね?」


「あたしは厨なんざに立ちゃしないよ! 厨番のこしらえた、《アロウのつぼみ亭》の自慢の菓子さ! 復活祭の間は、菓子の売り上げが落ちることを覚悟しておきな!」


 トゥール=ディンは、花が開くように微笑をひろげた。


「ありがとうございます。復活祭がやってくる日を、楽しみにいたします」


「あたしは、覚悟しろって言ってるんだよ! ……ったく、これだから森辺の民ってのは……」


 と、後半は彼女らしくもなく、口の中でぼやいている。

 そういえば、レマ=ゲイトが甘い菓子の魅力を知ることになったのは、リミ=ルウの手柄であったのだ。俺たちが最初に参加した寄り合いで、ギバ料理など食べる気はないと言って席を立とうとしたレマ=ゲイトを引き留めて、リミ=ルウが菓子を供したのである。


(無邪気なリミ=ルウといたいけなトゥール=ディンの波状攻撃が、レマ=ゲイトには効果的だったってことか)


 俺も彼女たちに負けないように、レマ=ゲイトと絆を深めさせていただきたいところであった。

 俺がそんな風に考えていると、タパスが頃合いを見計らったように手を打ち鳴らす。


「それでは、本日の定例会もここまでですな。あとは追加の料理を楽しみながら、親睦をお深めください。最初の果実酒は、こちらでふるまわせていただきますので」


 この後は、好きなだけ飲んで食べて騒いでから、各自の家に戻るのだ。

 レマ=ゲイトが自分の席にふんぞり返ったまま動こうとしないのを確認してから、俺は「よし」と立ち上がった。


「それじゃあ、ぞんぶんに親睦を深めさせていただこうか。トゥール=ディン、俺たちはレマ=ゲイトの席に移らないか?」


 トゥール=ディンは「え?」と目を丸くしたが、すぐに「はい」と微笑んだ。

 壁から背中を離したアイ=ファは、前髪をかきあげながらこちらに近づいてくる。


「またあの女衆のところに向かうのか。毎回じゃけんにされているというのに、難儀なことだな」


「そりゃあまあ、レマ=ゲイトと言葉を交わせる、貴重な機会だからな」


 アイ=ファは「わかっている」とばかりに、目もとだけで笑っていた。

 デイ=ラヴィッツと祝宴をともにするときも、俺たちはこうして煙たがられながら突撃しているのだ。


「では、外交官はわたしたちにおまかせください」


 と、レイナ=ルウが小声で呼びかけてくる。

 その青い瞳には、何やら難敵に挑む戦士のごとき光がきらめいていた。


「あの御方は、森辺の民と宿場町の民が絆を深める姿を視察に来ているのですよね? それなら、アスタにばかり執着する理由はないはずです。わたしやツヴァイ=ルティムが宿屋の主人たちと絆を深めていく姿を、思うさま視察していただきます」


 アイ=ファはちょっとびっくりした様子で、レイナ=ルウの姿を見返した。


「何だかよくわからぬが……フェルメスの相手をしてくれようというのなら、心からありがたく思うぞ」


「はい。わたしたち自身も、外交官と絆を深める必要があるのでしょうからね。族長筋の家人として、その役目を全うさせていただきたく思います」


 そのように宣言して、レイナ=ルウはツヴァイ=ルティムおよびルド=ルウとともに、フェルメスの卓へと向かっていく。そちらでは、すでにタパスと数名の主人たちが腰を落ち着けようとしていた。


「……レイナ=ルウは、あやつを嫌っているのか?」


「いや。たぶん、アイ=ファと同じような心境なんじゃないのかな」


 アイ=ファは「そうか」と息をついた。


「私たちも、逃げてばかりはいられんのだろうな。お前の用事が済んだのちは、こちらから挨拶に出向くべきか」


「ああ。だけどまずは、レマ=ゲイトと親睦を深めよう」


 レマ=ゲイトであろうとフェルメスであろうと、俺たちは西の王国の同胞であるのだ。それでも手を取り合えない相手というのは存在するのだとしても、俺たちはまだ彼らがどのような人間であるのかを理解しきれていないし、きちんと理解されていないように思う。ならばまずは、おたがいのことを理解し合おうと努めるのが、正しき行いであるはずだった。


 レマ=ゲイトはそっぽを向いたまま、がぶがぶと果実酒をあおっている。

 彼女が不機嫌そうにしているので、同じ卓であった人々はのきなみ別の場所に移り、ジーゼだけがそのかたわらに寄り添っていた。


(案外、レマ=ゲイトも俺たちが近づくことを期待していたり……なんてことは、ないのかな)


 ともあれ、俺たちの為すべきことに変わりはない。

 俺は本日のしめくくりとして、未来の友たるレマ=ゲイトのもとに突撃することにした。

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