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異世界料理道  作者: EDA
第四十四章 徒然ならぬ日々
743/1682

宿屋の寄り合い②~復活祭に向けて~

2019.5/29 更新分 1/1

 窓の外が薄暗くなって、下りの五の刻が近づくと、《タントの恵み亭》には宿屋の主人たちがぽつぽつと集まり始めた。

 寄り合いに参席する主人は、およそ30名ていどに及ぶ。それで、途中からは晩餐を楽しみながら話し合いが続けられるので、あるていどの規模を持つ宿屋だけが、持ち回りで集まりの場を提供するのだ。《キミュスの尻尾亭》ぐらいの規模がぎりぎりのラインであり、《西風亭》や《玄翁亭》などはその義務も免除されているのだという話であった。


 この《タントの恵み亭》は宿場町で一番の規模を誇る宿屋であるので、30名分の客席が埋まってしまっても、まだまだゆとりが残されている。そんな中、ルド=ルウとともに食堂を訪れたアイ=ファは、もちろん不機嫌きわまりない面持ちで俺に詰め寄ってきた。


「……おい、フェルメスがやってくるなどとは、聞いておらんぞ」


「奇遇だな。俺も聞いていなかったよ。というか、族長たちとの会合で知らされなかったってことは、その後に決定されたってことなんじゃないのかな」


 さらに考えを進めるならば、族長たちとの会合で、俺たちが寄り合いに参席することを知り、ひそかに来訪を決心した、ということなのではないだろうか。アイ=ファはますます眉根を寄せながら、俺の耳もとに唇を寄せてくる。


「……それで、あやつは何もよからぬ真似には及んでおらぬだろうな?」


「うん、もちろん。最初に挨拶をした後は、ちょっと世間話をしたぐらいだよ」


「世間話とは? どのような内容だ?」


「そんな咄嗟には思い出せないぐらい、些細な話ばかりだったよ。……あの、家長、吐息が激しくて耳がくすぐったいのですが」


 アイ=ファは握った拳で俺の脳天をぐりぐりと可愛がってから、身を引いた。そんなさまを、フェルメスはふたつ離れた席から笑顔で見守っている。

 そうこうするうちに、寄り合いのメンバーは集結したようだった。

 ミラノ=マス、ネイル、ナウディス、サムス、ユーミ、ジーゼ、レマ=ゲイトといった、顔馴染みの人々もそろい踏みしている。まだ日没には時間もあるためか、一般客の姿はほとんど見受けられなかった。


「それでは、紫の月の定例会を開始させていただきます。本日は《キミュスの尻尾亭》の関係者として、森辺の方々が3ヶ月ぶりに参加いたしますので、ご了承ください」


 商会長のタパスが、ゆったりとした調子で会の始まりを宣言する。

 そこでフェルメスの視察に関しても明かされたが、ひと通り驚きの波紋が広がってからは、さしたる動揺の気配もなかった。フェルメスはこれまでにも何度か宿場町を視察して回っていたので、ある意味ではジェノスの貴族たちよりも見慣れた存在になっているらしい。それに、フェルメスは以前の監査官たちのように町の人々を騒がせたりはしなかったので、それ相応の信頼を得られているのかもしれなかった。

 そんな人々の様子を見回してから、タパスは「さて」と、あらためて口火を切る。


「まず今月は、何といっても太陽神の復活祭が控えております。この時期は宿場町も大きな賑わいを得られる分、無法者も多く姿を現すことになりますので、くれぐれも用心をするようにと、領主様からのお言葉をいただいております」


 この領主という言葉には、ジェノス全体の領主であるマルスタインと、宿場町の領主であるルイドロスの両方が含まれているのだろう。長きに渡って商会長の役目を果たしているというタパスは、サトゥラス伯爵家とも通々の仲であるはずだった。

 そうしていくつかの基本的な確認事項を述べたのち、タパスは俺たちに向きなおってくる。


「そして、復活祭の祝日にふるまわれる肉と果実酒についてですが……そちらに関して、領主様より森辺の民にご提案がなされたという話でありましたな?」


「はい。わたしどもは昨年、ギバの丸焼きというものを宿場町にてふるまいました。それはギバ肉の味を知らしめると同時に、宿場町の方々と絆を深めるための行いであったのですが……今年はジェノス侯爵家からの依頼として、その仕事を受け持つことになるやもしれません」


 そのように答えたのは、族長筋ルウ家の代表であるレイナ=ルウであった。

 宿屋のご主人がたは、いささかならず驚いた様子でざわめいている。


「ふむふむ。それはつまり、わたしどもが領主様の依頼としてキミュスの料理をふるまっているように、森辺の方々はギバの肉をふるまうということなのでしょうかな?」


 隣の卓に収まっていたナウディスが、にこやかに微笑みながら問うてくると、レイナ=ルウは「はい」とうなずいた。


「肉の代価と手間賃を支払うので、昨年よりもたくさんのギバ肉をふるまってほしいと、今日の会合で依頼されたようです。ただし、子供のギバをそこまでたくさん準備することは難しいので、半身に割った肉を炙り焼きにすることになるかと思います」


「それじゃあもしかして、去年は肉の代価も手間賃もなしに、ギバの肉をふるまっていたのでしょうかねえ?」


 そのように述べてきたのは、もう少し離れた場所に陣取っていた《ラムリアのとぐろ亭》のジーゼであった。シムの血を引く、柔和で穏やかな老婦人である。

 レイナ=ルウが「そうです」と応じると、ジーゼは「まあまあ」と目を細めた。


「それはご奇特な話ですねえ。ギバの肉なんて、部位によってはキミュスの皮つき肉よりも値が張りますのに」


「その頃は、ギバの肉を市場で売ったりもしていませんでしたので、そもそも損得のからむ話ではありませんでした。ジェノス侯爵家からこのような依頼が舞い込むことになったのも、町の方々にギバ肉を買っていただけるようになったゆえであるのでしょう」


「ふん。それでギバ肉がふるまわれる分は、キミュスの肉と一緒にあたしらの取り分も減らされるって寸法かい」


 憎々しげに言い捨てたのは、もちろんレマ=ゲイトである。実に肉づきのよろしい体格をした、年配の女丈夫だ。彼女は今でも頑なに、森辺の民への反骨精神を掲げていたのだった。


 ちなみに彼女の言う取り分というのは、ジェノスから宿屋の人々に支払われる手間賃についてであるのだろう。復活祭の祝日にはジェノスからのふるまいでキミュス肉と果実酒が無料配布されるのであるが、それを調理する宿屋の人々には相応の手間賃が付与されるのだ。

 が、レマ=ゲイトの懸念は、商会長のタパスが払拭してくれた。


「その件に関しましては、わたしも貴き方々から直接お言葉をいただいております。さしあたって本年は、キミュスの肉も例年通りの量が配布されるようですな」


「あん? そうしたら、ギバ肉が増える分、キミュス肉が余っちまうじゃないか」


「それでも肉が余ることはない、という計算であるようですな。事実、昨年は森辺の方々がギバ肉をふるまっても、キミュス肉が余ることにはならなかったでしょう? それは昨年が、例年よりも多くの来訪者を迎えたという証であり――そして本年は、それ以上の来訪者があると見込んでいるようです」


 実際、ここ最近の宿場町は、日増しで来訪者が増えているように感じられる。それを見越して、ふるまいの肉を増量させる計画であるらしい。


「それはまた、太っ腹なはからいでありますな。何百羽ものキミュスに加えて、何頭ものギバの肉の代価を、領主様が担ってくださるということですか」


 にこにこと微笑むナウディスに、同じような笑顔でタパスが「はい」と応じている。客商売に従事する人間の鑑のごとき、愛想と社交性にあふれた両名であるのだ。


「これでどちらかの肉をもてあますようになれば、来年からは分量を減らされることになるのでしょう。しかしきっと、そのようなことにはなりますまい。たとえ来訪者がそれほど増えなくとも、肉などあるだけ持っていかれてしまうでしょうからな」


「ごもっともです。いよいよ復活祭が待ち遠しくなってきましたな」


 そこでナウディスが、「ところで」と俺に向きなおってきた。


「さきほど会合という言葉があがりましたが、例の件はどうなったのでしょうかな?」


「はい。それは課税に関してのお話ですね? それは事前にお伝えしていた通りの形で、可決されました」


 人々のざわめきが、いっそう強まった。課税に関して、俺たちは懇意にしている宿屋の人々にしか伝えていなかったが、それはすでに口から口へと伝達されていたのだろう。


「えー! それじゃあアスタたちの屋台は、税をさっぴかれちゃうの? 宿屋の商売で、屋台の売り上げだけはお目こぼしされてたのに!」


 と、ナウディスの向かいに陣取っていたユーミも、元気に声をあげる。その父親であるサムスは腕を組んだまま、娘の差し出口を叱ろうとはしなかった。


「はい。いちおう概要を伝えておきますと、売り上げから諸経費を引いた額の1割が、税として支払われることになります。諸経費というのは、食材の代価と、場所代と、屋台の貸出料――あと、3つの氏族の中でファの家だけは、手伝いの人間に賃金を支払っているので、その分も諸経費として認められることになりました」


 ユーミは難しい顔で、「うーん」と頭をかき回した。


「そりゃまあアスタたちは、他の屋台の倍ぐらいは稼いでたけどさ……でも、そうしたら、あたしらはどうなるんだろう? うちの宿だって、復活祭のときには100人前以上の料理を屋台で売ったりしてたんだよ?」


「これはあくまで、森辺の民の管理する屋台にのみ適用されるという話でした。森辺の民はジェノスの中でも特異な生活に身を置いていたため、いかなる税も課せられていなかったのですね。それでいまでは、町の人々に負けないぐらいの富を得ることができているのだから、その商いに関してのみは税を課すべきである、という話になったのです」


「……毎回言ってるけどさ、あたしにまで馬鹿丁寧な言葉使うの、やめてくれない?」


「あはは。これはこの場にいるみなさんにお届けしている言葉ですので、どうぞご了承くださいませ」


 ユーミは「ちぇっ」と舌を鳴らしていたが、それ以外の人々はおおむね安堵の表情となっていた。自分たちの屋台にまで税を課せられたら大損だ、と内心でやきもきしていたのだろう。


(そのあたりのことは、貴族の人たちもきちんと考えてくれたからな)


 どうやらこれを契機として、すべての屋台に税を掛けるべきではないか、という案はあったらしい。しかしそれは、ポルアースを筆頭とする何名かの反論で却下されたのだという話であった。


「宿場町を活性化させるには、屋台の商売で大いに盛り上がってもらう必要があります。それで屋台が儲けの少ない商いとなってしまえば、宿屋の主人たちも尻込みすることになってしまうでしょう。……なおかつ、これで宿屋の人々に不利益が出てしまえば、その契機となった森辺の民に反感の目が向けられてしまいかねません。そのように領民の間に不和を煽るような真似は、つつしむべきでしょう」


 本日の会合の場においても、ポルアースはそのように熱弁していたのだと、ガズラン=ルティムから聞いていた。なんともありがたい話である。


「それでは《キミュスの尻尾亭》の屋台にも、税を課せられることはないのですな? あのらーめんというギバ料理の屋台は、アスタたちと軒を並べておりますが、あくまで《キミュスの尻尾亭》の商いであるのでしょう?」


 ナウディスの言葉に、ミラノ=マスは「ああ」とうなずいた。


「幸いなことに、税を払えとは言われなかった。アスタたちと屋台を並べて、その人気にあやかっている身としては、いささか心苦しいのだがな」


「いえいえ。あの料理は自分たちで作りあげているというのですから、何も気に病む必要はありますまい。それに、あの料理はきわめて美味でありますからな。たとえアスタたちと離れた場所で料理を売っても、客足が落ちることはないでしょう」


「そういえば、俺も言いたいことがあったのだ」


 と、遠くのほうから声があがった。

 顔は知っているが名前は知らない、どこかの宿屋の主人である。その目は等分に、ミラノ=マスとナウディスの姿を見比べているようだった。


「あんたがたは、いつまで森辺の民から買いつけたギバ料理で商いをするつもりなんだ? 他の宿でもギバ料理を売るようになった今、あんたがたばかりが森辺の民の力にすがるのは、ちょいと不公平なんじゃねえのかな」


 ミラノ=マスは目を細め、ナウディスは逆に目を見開いた。

 そのご主人は、語気を強めて言葉を重ねる。


「あんたがたが、市場で並ぶこともなく、ギバ肉を好きなだけ買いつけてるって話は、まあいいとしよう。最近では、こっちでも欲しいだけのギバ肉を買えるようになってきたからな。前々から森辺の民と懇意にしていたあんたがたが、それぐらいの恩恵に預かるのはかまわないさ。……ただ、城下町に呼びつけられるぐらいの腕を持った森辺の民から、料理を買いつけるってのはね。これじゃあ俺たちがどんなに頑張っても、かなうわけがないじゃねえか」


「ああ、俺もそれは思ってた。ていうか、うちでもギバ料理を出してるのに、宿のお客があんたがたの食堂に流れちまうんだよな」


 と、別の主人も便乗する。

 すると、ユーミが「ははん」と笑った。


「うちじゃあアスタたちから料理を買いつけたりしてないけど、余所にお客が流れることはないねえ。けっきょく、腕の問題なんじゃない?」


「おい、大人しくしていられねえなら、宿に戻れ」


 今度はサムスも怖い顔をして、ユーミの軽口をたしなめた。

 そしてそのまま、ミラノ=マスたちに目を向ける。


「……しかしそいつは、あいつらの言う通りだろう。特にそっちのあんたはうちの宿と同じように、森辺の民から料理の手ほどきってやつを受けてるんだろうが? だったらそれだけで、十分に上等なギバ料理を出せるはずだ。その上、森辺の民から買いつけた料理まで売り物にするってえのは……ちっとばっかり、楽をしすぎなんじゃねえか?」


 俺はひそかに、息を呑むことになった。

 あのサムスが――森辺の民と因縁浅からぬサムスが、森辺の民から料理の手ほどきを受けることを、大きな恩恵と認めてくれたのである。レイナ=ルウも、ちょっと昂揚した面持ちでサムスの様子をうかがっていた。

 すると、サムスの不機嫌そうな眼光が、じろりと俺たちに向けられてくる。


「何だ、文句があるなら、言ってみやがれ」


「あ、いえ、そういうわけではありません」


 しかし、あちらの主人たちには、どのような対応をするべきであろうか。

 俺がそのように思案していると、ミラノ=マスが「そうだな」と応じた。


「そいつに関しても、俺はそろそろ心苦しくなっていたところだ。これでけっきょく俺たちの宿ばかりが評判になっていたら、森辺の民にとっても損になる話だろうからな」


「損?」とユーミが聞き返すと、ミラノ=マスは「ああ」と下顎を撫でさすった。


「これで他の宿の連中がギバ肉を買い渋るようになったら、森辺の民の損だろうが? 森辺の民はギバ肉の美味さを知らしめるためにギバ料理を売ってきたのだから、それでは本末転倒だ。俺たちも、そろそろ手を引く頃合いであるのだろう」


「そうですな……実はわたしも、前々からそのように考えてはいたのです」


 などと述べながら、ナウディスは肉厚の肩をがっくりと落としていた。


「ただ……この商売を打ち切ってしまうと、わたし自身がアスタたちのギバ料理を口にする機会がなくなってしまうため……どうにも、決心できなかったのです」


「あんたは自分が食うことを一番に考えてたのか? そいつは、ずいぶんな食い意地だな」


 別の主人が冷やかしの声をあげると、ナウディスは力なくそちらを振り返った。


「それはあなたが、ギバのかくにの美味しさを知らぬゆえであるのでしょう。あの料理を6日に1度、口にすることが、わたしにとっては何よりの喜びであったのですぞ」


「だったら、森辺の民の屋台まで食いに行けばいいじゃねえか」


「ギバのかくにを屋台で売ったことはないという話であるのです。そうでしたな、アスタ?」


 ナウディスの問いかけに、俺は「はい」と応じてみせる。


「ただそれは、『ギバの角煮』が《南の大樹亭》の目玉料理であると聞いたので、差し控えていただけの話なのですよね。そのほうが、いっそうありがたみも増すかと思いまして」


「なんと! では、ギバのかくにを屋台で売ることも可能なのでしょうかな?」


「はい、もちろんです。屋台で売るのに、何の不都合があるわけでもないですからね。もしも《南の大樹亭》で『ギバの角煮』を売ることが取りやめられるのでしたら、こちらの日替わり献立の中に組み込ませていただきたく思います」


 ナウディスは、安堵の念を全開にして吐息をついた。


「それでしたら、わたしも心残りはありません。……あ、もちろん、《キミュスの尻尾亭》と《玄翁亭》のご主人がたも、商売の打ち切りを了承するのであればですが」


「俺はさっき言った通りだ。長い目で見れば、そうすることが多くの人間の得になるだろう」


「わたしも、同意いたします。……ただ、かれーの素の買いつけだけは、何としてでも継続させていただきたいのですが」


 ジーゼと同じ卓に座したネイルが、無表情に周囲のご主人がたを見回していく。

 ご主人がたは思案顔で耳打ちしあっていたが、誰よりも早く発言したのは、タパスであった。


「森辺の民からのギバ料理の買いつけを差し控えるというのは、確かに正しいご判断だと思われます。しかし、料理の材料の買いつけまでをも差し控える必要はないのではないでしょうか? むしろ、かれーの素というものを欲する方々がいらっしゃるのでしたら、自分たちでもそれを希望すれば済む話でありましょう」


 タパスは俺たちと同じように、目新しい食材の普及を貴族たちから依頼されている立場であるのだ。そうであれば、シムの香草の売り上げが上がるのは、彼にとっても喜ばしい話であるはずだった。


「むろん、森辺の方々にしてみても、準備できる量には限りがあるのでしょうから、望む人間のすべてが手にすることはできないのやもしれませんが……まずは、そのような形で手打ちにしては如何でしょう? 森辺の方々としては、如何です?」


「はい。カレーの素の買いつけを希望される方々がいらっしゃるなら、可能な限りは対応いたします。ギバ料理を宿屋に卸す仕事が打ち切られるのでしたら、こちらもずいぶん手が空きますので」


 とりあえず、それで話はまとまった。

 1年以上に渡って続けられてきた、宿屋へのギバ料理の販売が、これにて終焉することが取り決められたのである。


 それはいささか物寂しい話ではあったものの、ナウディスもネイルも自分たちで十分に美味なるギバ料理を作る力量は備え持っているのだ。一歩遅れを取っていたミラノ=マスやテリア=マスも、現在ではそれに負けない調理技術を身につけつつある。それに、チャーシュー作りの修練を積んだレビやラーズたちだって、ミラノ=マスの力になれるはずだった。


「それでは、次の議題に参りましょう。さきほど述べました通り、本年は例年以上の集客が見込めますので、それにまつわる話を進めたく思います」


 タパスの進行によって、さらなる議題が持ち出される。議題はやはり、復活祭にまつわるものばかりだ。その中でも、集客が増えることによってもたらされる弊害というものに眼目が置かれているようだった。


「すべての宿屋の許容量を超えるほどのお客が訪れれば、民家に宿泊を頼み込む者や、街道沿いに荷車を置いて夜を明かす人々も増えるかと思います。その際には、ジェノスの地理に疎い方々が貧民窟に足を踏み入れてしまわないように、我々も注意を払うべきでありましょう」


「あー、宿場町の奥に引っ込むぐらいなら、ジェノスの近くの街道沿いで野宿をするほうが、まだ安全だもんね。そっちは衛兵たちがひっきりなしに巡回してるんだしさ」


「はい。ジェノスを訪れた人々が奇禍に見舞われれば、それはジェノスそのものの評判を落とすことになります。満席で宿泊をお断りする際などは、くれぐれも入念な誘導をお願いいたします」


 そこでナウディスが、「よろしいですかな?」と挙手をした。


「実は本日、復活祭の日取りで大口の予約をいただいたのです。そちらの方々が予定通りに来訪されるようであれば、わたしの宿も早い段階から連日満席となってしまうことでしょう」


「ほう。それほどの大口であったのですか?」


「はいはい。複数のご家族が合同でいらっしゃるご計画のようで。実にありがたいお話でありますな」


 と、ナウディスが満面の笑みをたたえつつ、俺を振り返ってきた。


「実はそれは、アスタたちも懇意にされている建築屋の方々であるのです」


「えっ! それはもしかして、バランのおやっさんたちのことでしょうか?」


 俺が思わず大きな声をあげてしまうと、ナウディスは「はいはい」とうなずいた。


「まさしく、その方々ですな。どうやらご家族そろってジェノスで復活祭を迎えようというおつもりであるようです。いつもタウ油を届けてくださる行商人の御方が、そのように伝えてくださりました」


 俺は驚きに打ちのめされながら、同じ卓の人々を見回した。

 ミラノ=マスとツヴァイ=ルティムはうろんげにしているが、レイナ=ルウやトゥール=ディンは目を輝かせている。壁際に立ち並んだアイ=ファは「ほう」という感じで目を見開いており、ルド=ルウは「へえ」という感じで白い歯をこぼしていた。


「それでもうひとつ、その方々から言伝てをいただいているのですが……半月もの間、ジェノスに逗留するとなると、旅費もかなりのものとなります。それで建築屋の方々は、逗留している期間は1日置きぐらいに仕事を果たしたいと願っておられるそうなのですが……ジェノスに十分な仕事はあるのかと、それを心配されておられるようですな」


「ふむ。毎年ネルウィアからいらっしゃる、あの方々のことですな? あの方々はつい4ヶ月前まで逗留されていたので、宿場町にはそれほどの仕事も残されていないのかもしれませんが――」


 と、タパスは考え深げに視線を伏せた。


「……ただし、本年に限っては、ありあまるほどの仕事が生じるやもしれませんな」


「ほうほう。ありあまるほどの仕事でありますか?」


「はい。トゥランで働いていた北の民たちが、ジャガルに送られるという話は、すでに皆さんもご存知でありましょう? それでトゥランにおいては、年明けから新たな領民が募られる予定であるのですが……それにあたって、トゥランに打ち捨てられている家屋の修繕や再建を為さなければならないのです。あのネルウィアの方々であれば、そういった仕事も十全に果たしてくださることでしょう」


 思わぬところで話が繋がり、また俺は驚かされることになってしまった。

 なおかつ、北の民たちの移住というのは、もともとバランのおやっさんの弟であるデルスの発案から始まった話であったのだ。そう考えると、運命の妙というものを感じてならなかった。


(デルスたちも、紫の月にはまたジェノスを訪れるはずなんだよな。このジェノスで、おやっさんとひさびさに顔をあわせることになるわけだ)


 おまけに復活祭には、《銀の壺》や《ギャムレイの一座》や、リコたちやカミュア=ヨシュらも来訪する予定になっている。いったい何と豪華なメンバーであろうと、俺はひとりで胸を高鳴らせることになってしまった。


「では、わたしも貴き方々にご一報を入れておくことにいたしましょう。ネルウィアの方々が来訪されることは、もう決定事項として扱ってもよろしいのでしょうかな?」


「はいはい。ネルウィアからジェノスまでは荷車で半月ほどかかりますので、そろそろ出立している頃合いでありましょう。不測の事態でも生じない限りは、間違いなくジェノスにやってこられるはずですぞ」


「承知いたしました。やはり本年は、例年以上の賑わいを期待できそうですな」


 そんな風にしめくくってから、タパスは「さて」と居住まいを正した。


「それでは、大きな議題はおおむね片付いたでしょうか。よろしければ、そろそろ晩餐をお出ししたく思います」


 気づけば窓の外もすっかり暗くなり、食堂も賑やかになっている。

 異議なしの声を受けてから、タパスはゆったりと立ち上がった。


「それでは、そのままお待ちください。厨のほうに、声をかけてまいりますので」


 いよいよヤンの手による晩餐が供されるのだ。

 ヤンの料理を本格的に味わわせていただくのはけっこうひさびさであったので、俺としても非常に楽しみなところであった。


「それにしても、バランたちがまたジェノスにやってくるなんてな。また来年、とか挨拶してなかったっけ?」


 ルド=ルウがそのように述べてきたので、俺は「そうだね」と笑ってみせた。


「でも、それより早く会えるなら、嬉しい限りだよ。ルド=ルウだって、そうだろう?」


「あー、まあな。それよりも、ジバ婆とかのほうが喜びそうだけどよ」


 そう言って、ルド=ルウはにっと白い歯を見せた。

 レイナ=ルウもトゥール=ディンも、嬉しそうに口もとをほころばせている。家の建て替えという一大事を経て、おやっさんたちと縁を紡ぐことになったアイ=ファも、目もとだけで穏やかに微笑んでいた。

 そんな中、《タントの恵み亭》の従業員たちの手によって、ヤンの料理が運び込まれることになった。

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[一言] 743話まで読了  害獣退治の専門家として防衛義務を負ってる訳だから、これは徴用にあたるんじゃないんかなぁ。  奨励金が雇用料なら、そこに税を掛けるべきだけどそうじゃないんだから、奨励金は…
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