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異世界料理道  作者: EDA
第四十四章 徒然ならぬ日々
742/1683

宿屋の寄り合い①~下準備~

2019.5/28 更新分 1/1

 屋台の商売を終えた後、俺たちは寄り合いの会場である《タントの恵み亭》に向かうことになった。

 参席するのは、4名。俺、レイナ=ルウ、トゥール=ディン、ツヴァイ=ルティムという顔ぶれである。菓子の屋台を始めてから、トゥール=ディンも責任者として参席することになったのだ。


 とはいえ、トゥール=ディンが商売を始めたのは4ヶ月ほど前でありながら、屋台の責任者として寄り合いに参加するのは、これが2度目であった。俺にしてみても、初めて寄り合いに参加させてもらった黄の月から、これで8度目の開催であるのだが、ようやく4度目の参加となるのだ。


 これはあくまで宿屋の寄り合いであったため、屋台の商売に取り組んでいるだけの森辺の民に、もともと参加の義務はない。それでも俺たちは宿場町の人々と相互理解を深めるために、自ら参加を願い出た立場であったのだ。


 しかし、日程の都合がつかなければ、欠席せざるを得ない。俺たちの都合で開催日をずらしてもらうわけにもいかないのだから、それは当然の話であろう。

 それでもって、宿屋の寄り合いはおおよそ月頭の1日から3日の間に開催されていたのだが――俺たちのほうも、その日取りで何やかんやと予定が入ってしまうことが多かったのだった。


 が、今回はいささか事情が異なっている。

 寄り合いが5日の本日に延期されたのも、森辺の民が原因であったのである。


 その原因というのが、すなわち族長と貴族らの会合であった。

 その会合において、森辺の民の経営する屋台の課税についてが決せられる。その内容を吟味するために、寄り合いの日程が会合の日程と重ねられたのだった。


「ようこそ、森辺の皆様方。アスタを除く方々は、ちょっとひさびさでありますね」


《タントの恵み亭》に到着すると、商会長であるタパスが笑顔で出迎えてくれた。俺はアリシュナに『ギバ・カレー』を届けるお役目をヤンにお願いするために、ちょくちょくこの場を訪れているのだ。


「ちょうど厨のほうも、仕事が一段落したところであるようです。ぞんぶんに腕をおふるいください」


「そうですか。それでは、失礼いたします」


 寄り合いの日には、集まった人々に晩餐がふるまわれる。それを準備するのは会場となった宿の人間の仕事であるが、俺たちは本日、菓子の準備だけさせていただきたいと名乗りをあげていたのだった。

 理由はもちろん、新しい菓子の作り方をお披露目して、食材の流通を活性化させるためである。ポルアースらの発案によるこの一大プロジェクトも、すでに1年余りが過ぎているはずだった。


 4人で連れ立って厨に向かうと、ちょうど仕事を終えた人々がそこから出てくるところであった。ヤンから指南を受けていた、《タントの恵み亭》の従業員たちだ。


「あ、アスタ様に森辺の皆様方、どうもお疲れ様でございます」


 厨に入ると、主人のヤンよりも先に、お手伝いのシェイラが頭を下げてきた。そうして面をあげると、そこに広がるのは満面の笑みである。


「ついに茶会が2日後に迫ってまいりましたね。当日は、どうぞよろしくお願いいたします」


「いえいえ、こちらこそよろしくお願いいたします」


 2日後の休業日、俺たち――というか、トゥール=ディンとリミ=ルウは、また茶会で菓子をふるまう役をおおせつかっている。そしてその仕事が始まるまでの時間は、ポルアースに通行証を発行してもらい、朝から《銀星堂》に出向く手はずとなっているのだ。その案内役を、このシェイラがつとめてくれるという話であったのだった。


「皆様、ようこそいらっしゃいました。本日はまた新たな菓子をご披露なさるということで、わたしも胸を高鳴らせておりました」


 ヤンもゆったりとした微笑をたたえつつ、こちらに近づいてくる。そのかたわらには、不愛想なる侍女ニコラの姿もあった。


「よろしければ、こちらで調理のさまを見学させていただけますでしょうか? 森辺の方々の手際を拝見する、貴重な機会ですので」


「ええ、もちろんです。よければ、味見もお願いいたします」


「それは、望外の喜びです」


 ヤンに笑顔を向けられて、トゥール=ディンもはにかむように微笑んだ。菓子作りを得意とするヤンのことは、トゥール=ディンもひそかに敬愛しているのだ。


 俺たちは、さっそく作業に取りかかる。寄り合いには30名ばかりの人々が集まるので、食後の菓子といえども、それなりの分量になってしまうのだった。

 トゥール=ディンの指示のもとに、俺とレイナ=ルウとツヴァイ=ルティムが下ごしらえに取りかかる。普段、ツヴァイ=ルティムとともに仕事をこなす機会は少ないので、なかなかに新鮮な心持ちであった。


「そういえば、課税に関してはどうなったのでしょう? やはり予定通り、アスタ殿たちの商売には税が課せられることに決められたのでしょうか?」


 トゥール=ディンの手もとを見つめながら、ヤンがそのように問うてきた。

 自分の作業を進めつつ、俺は「はい」とうなずいてみせる。


「事前に告知されていた通りの内容で、可決されたようです。まあ、森辺の族長たちは最初から全面的に受け入れる姿勢であったので、当然の結果でありますね」


「そうですか。生鮮肉や腸詰肉はともかくとして、屋台の商売にまで税を課せられるというのは、いささか釈然としないのですが……」


「森辺の民は、ジェノスにおいて特殊な立場でありますからね。それに、こうまで大々的に屋台の商売をする人間はいなかったという話ですから、二重の意味で特殊であるのでしょう」


 俺としては、フェルメスの補佐官たるオーグの言い分に正当性を感じていたので、とりたてて疑問は抱いていなかった。

 すると、黙然と仕事に励んでいたツヴァイ=ルティムが「フン」と鼻を鳴らす。


「おかげさまで、こっちはまた余計な仕事が増えちまったヨ。毎月毎月、帳簿なんてものをつけなきゃならなくなっちまったんだからネ」


「うん。だけどツヴァイ=ルティムは、前から自主的に帳簿をつけてたんじゃなかったっけ?」


「屋台じゃなくって、生鮮肉や腸詰肉のほうの話だヨ! どうせアイツらは、アタシを頼るに決まってるんだからサ! おまけに、担当の氏族が変わるたんびに、また同じことを手ほどきしなくちゃならないんだヨ? これじゃあいつまでたっても、アタシの仕事が減らないじゃないか!」


「それに関しては、ルウの家でも話し合われました。やはり父ドンダやガズラン=ルティムも、ツヴァイ=ルティムにばかり頼るのは正しくない、と考えたのでしょう」


 レイナ=ルウが声をあげると、ツヴァイ=ルティムはやぶにらみの目をそちらに差し向けた。


「で? アタシの肩代わりをできるような人間が、森辺のどこにいるってのサ?」


「そういう人間を、これから育てるのです。ルウの血族で何名か、計算や読み書きの修練を入念に積ませて、他の氏族に手ほどきをできるように仕立てあげたいと……そういう話になっているようですね」


「……で? その人間を育てるのは、誰なのさ?」


 レイナ=ルウは、幼子をあやすような表情で微笑んだ。


「もちろんそれには、ツヴァイ=ルティムの手を借りる他ありませんが……でも、いったんそういう人間をそろえれば、今後はツヴァイ=ルティムの負担を減らすこともできますし――」


「帳簿を間違いなく書きあげられる人間を数名そろえるってのが、どれだけ大変かわかってないみたいだネ! アンタだったら、人にモノを教える大変さは身にしみてるだろうにサ!」


「もちろんそれは、理解しているつもりです。でも……これからは、ミケルもツヴァイ=ルティムの力になってくれることでしょう」


 そう言って、今度はやわらかく微笑むレイナ=ルウであった。


「今日の会合で、ミケルもルウの家人となることが決定されたのです。ミケルには以前にも読み書きの修練で力を借りることになりましたが、今後はルウの家人として、その仕事に取り組んでもらうことになるのでしょう。城下町で計算や読み書きの技を習得したミケルであれば、大きな力になってくれるはずです」


 気炎をあげていたツヴァイ=ルティムがぴたりと黙り込み、あらぬ方向をにらみすえた。


「そうか……あの親父だったら、計算にも読み書きにも不自由はないもんネ。娘のほうだって、最低限の計算や読み書きはできるはずだし……」


「はい。マイムも力になってくれることでしょう。今後は心置きなく、マイムやミケルと苦労を分かち合うことがかなうのです」


 ツヴァイ=ルティムはずいぶん機嫌を取り戻した様子で、「フン」と小さく鼻を鳴らした。

 すると、黙ってなりゆきを見守っていたヤンが、俺に小声で呼びかけてくる。


「課税の一件が、思わぬ波紋を呼んでいるようですね。森辺の幼子とて、町で読み書きを習う資格はあるのではないでしょうか?」


「はい。宿場町の聖堂では、そういう手ほどきもしてくださるそうですね。そちらに関しても、少しずつ話は進んでいるようです」


 ただ、森辺から宿場町の聖堂に通うには、それ相応に時間がかかってしまう。なおかつ、家全体で幼子の面倒を見ている森辺において、託児所というものはべつだん欲されていなかったので、これまではあまり重要視されていなかったのである。


 しかし、いよいよ計算や読み書きの能力が必須になってくると、また聖堂の存在が取り沙汰されることになろう。俺の印象としても、やはりそういった修練は幼年のうちに始めるべきだと思えてならないのだ。


(いっそ、ツヴァイ=ルティムが幼子たちに手ほどきするってのも面白そうだけどな。……まあ、なかなかとんでもない騒ぎになりそうだけど)


 気ままな幼子たちをキーキーと叱りつけるツヴァイ=ルティムの姿を想像して、俺はひとりで笑いを噛み殺すことになった。

 そうして有意義な会話を楽しんでいるうちに、だんだんと菓子ができあがっていく。最初の分が仕上がると、トゥール=ディンはいくぶんおずおずとした様子でヤンたちを振り返った。


「と、とりあえず味見の分は仕上がりました。ご感想をいただいてもよろしいでしょうか?」


「もちろんです。これはまた、興味深い菓子であるようですね」


 それは、平たく焼きあげたポイタンの生地で具材をはさみ込んだ、簡略版のクレープのごとき菓子であった。

 ただし、あくまで簡略版であるので、具材はアロウのジャム、ギギのチョコレート、カスタードクリーム、ブレの実のつぶあんといったものが、それぞれ単品で使われているのみである。それに、生地のサイズもごく小さく、丸く焼きあげたポイタンを4分の1にカットしたものが1人前で、そこに具材を塗りつけて、ぺたんとふたつ折りにした格好であった。


 トゥール=ディンは、すでに立派なクレープの作り方を考案している。何を隠そう、2日後の茶会ではそれをお披露目する心づもりであるのだ。

 それよりも先んじてお披露目されるこの簡略版クレープは、屋台で売ることを想定した菓子であるのだった。


「こ、これはいずれも、簡素な作りです。でも、その場で4種の味を選べたら、屋台を訪れるお客にも喜んでもらえるのではないかと思い……考案いたしました」


「確かに、簡素ではあるのでしょう。しかし、トゥール=ディン殿の手による菓子ですからな」


 ヤンは目礼をしてから、菓子のひとつをつまみあげた。選んだのは、おそらくカスタードクリームだ。

 ふた口ていどで食べきれるその菓子を、大事そうに半分だけかじり取る。とたんにヤンは、満足そうに目を細めた。


「とても繊細でありながら、直截的に甘みを楽しめる味わいです。この生地にも、べつだん風変りな食材は使われていないのでしょうが……配分が、お見事です」


 ヤンの言う通り、生地に特別な細工は施されていない。ポイタン粉、カロン乳、キミュス卵、砂糖を練り合わせて、乳脂で焼きあげた、王道中の王道であろう。屋台における販売を想定しているので、とにかく簡略化を重視しているのだ。


「このたび、宿屋のみなさんにお伝えしたいのは、このブレの実です。宿場町では、ブレの実があまり売れていない、というお話でしたので……」


「はい。トゥール=ディン殿の手ほどきの甲斐あって、ギギの葉などはかなりの売れ行きであると聞きましたが、わたしもブレの実はあまり研究が進んでおりません」


 そうしてヤンは、ブレの実のクレープを口にした。

 それを咀嚼しながら、「なるほど……」と低くつぶやく。


「ブレの実の独特の風味と、砂糖の甘さ……それに、このタウの豆を思わせる食感が心地好いですな。さきほどの菓子とは、まったく異なる味わいであるようです」


「はい。生地にキミュスの卵の殻を使うと、また異なる調和が得られると思うのですが……普通の生地でも、ブレの実の味わいを活かすことはできるかと思います。かすたーどくりーむやちょこれーと比べても、それほど取り扱いが難しいわけではありませんし……屋台や食堂で売るのにも、不便はないのではないでしょうか?」


 トゥール=ディンは、懸命に言葉を紡いでいた。それを見返しながら、ヤンはまた優しげに微笑んでいる。


「見事なお手並みです。やはりお若いだけあって、トゥール=ディン殿の上達は目を見張るものがありますな。屋台の商売をお始めになってから、いっそう磨きがかけられたようです」


「い、いえ、とんでもありません」


 トゥール=ディンは真っ赤になって、うつむいてしまう。

 ヤンは柔和に微笑みつつ、ななめ後ろに控えていた侍女たちに声をかけた。


「さあ、あなたがたもお味見をさせていただきなさい。この場に居合わせた幸福を噛みしめることがかなうでしょう」


 俺たちはもちろん、シェイラとニコラの分も準備していた。本番で使う分は生地と具材だけを作りあげて、食べる直前に仕上げる予定である。

 シェイラは笑顔で、ニコラは仏頂面で味見用のクレープを取り上げる。


「ああ、素晴らしい味わいですね。簡素であるからこそ、トゥール=ディン様のお手並みの見事さが際立つようです」


「様」などという敬称をつけられると、トゥール=ディンはいっそうあたふたしてしまう。しかしそれも、微笑ましい限りであった。


「ニコラはどうです? 味見をしたなら、ご感想を告げるのが礼儀です」


「……とても美味だと思います。もっと豪華に飾りたてれば、貴婦人の菓子にも相応しい出来栄えでしょう」


 はからずも、それは2日後に茶会に臨むトゥール=ディンにとって、とても励みとなる感想であった。愛想のなさではツヴァイ=ルティムにも負けない彼女であるが、なかなか舌は肥えているようであるのだ。


「ただやっぱり、簡素に過ぎる感は否めないようですね。これらの4種を組み合わせては、味も壊れてしまうのでしょうか?」


「は、はい。宿場町では、複雑な味わいよりも、簡素な味わいのほうが喜ばれるかと思いますので……」


「そうですか。この黄色いのと黒いのは、同時に食しても美味しそうですけれど……でも、強い甘みがぶつかってしまうのかもしれませんね」


 それだけ言って、ニコラは後方に引っ込んだ。

 いっぽうトゥール=ディンは、真剣な面持ちで考え込んでいる。


「やはり、簡素に過ぎるでしょうか? 2種以上の組み合わせを、注文によって作り分けるというのも考えにはあったのですが……」


「いえ。宿場町では、これぐらい簡素なほうが好まれるのでしょう。いずれ宿場町の民がもっと甘い菓子というものに慣れ親しんだら、さらなる工夫を考えるべきではないでしょうか」


 ヤンやトゥール=ディンの啓蒙活動によって、甘い菓子の存在は宿場町でも浸透しつつある。しかし、屋台でそれを販売しているのはトゥール=ディンのみであるし、まだまだ黎明期のさなかであるはずだった。


「それに、トゥール=ディン殿は宿屋の主人たちに技を伝えるのが目的であるのでしょう? これ以上の工夫を凝らすには、作る側の技量や知識というものも必要になってきます。最初は簡素であればあるほど、宿屋の主人たちも受け入れやすいことでしょう」


 そうしたディスカッションを経て、菓子の準備および試食会は終了した。

 厨の外に足を向けつつ、ヤンが俺に問うてくる。


「まだ寄り合いには時間があるようですね。アスタ殿たちは、これからどうされるご予定なのですか?」


「寄り合いに備えて、今日の会合の内容をまとめておこうかと思います。俺たちも昼前に話を聞いたばかりで、整理のついていない部分がありますので」


「そうですか。では、またのちほど」


 俺たちはタパスにお願いをして、食堂の片隅をお借りすることになった。寄り合いの開始は下りの五の刻であったので、まだまだ時間はたっぷり残されているのだ。

 まずは課税の内容を、自分たちでしっかり把握する。俺とツヴァイ=ルティムに不自由はなかったが、やはりレイナ=ルウやトゥール=ディンにとっては、あまりに馴染みのない案件であったのだ。


「屋台の商売で得た銅貨から、食材や場所代などでつかった銅貨を差し引いて、残りの銅貨の1割を税として支払う、ということなのですよね。口で言うのは簡単ですが、毎日同じ料理を出しているわけではないので、やはりその計算には苦労してしまいそうです」


「うん。トゥール=ディンは、大丈夫? 困ったら、いつでも力を貸すからね」


「あ、ありがとうございます。フォウのほうからも、お力を貸してくださるというお言葉をいただけたので……まずはそちらで手ほどきを受けて、自分たちできちんと果たせるように励みたいと思います」


 フォウやランの女衆は、生鮮肉の販売においてツヴァイ=ルティムに鍛えられているので、それなりの計算能力を習得できているのだ。ディンの家では、トゥール=ディンではない別の誰かが経理担当となって、帳簿の作成に挑むようだった。


「帳簿はひと月ごとに、城下町に提出することになるからね。今月の15日から帳簿をつけ始めて、最初の提出日は来月の15日だ。復活祭の時期は準備する料理の量も増えるし、色々と変動も多いだろうけど、ミスのないように気をつけよう」


「みす?」


「あ、失敗ってことね。最初のうちは、ファ、ルウ、ディンの帳簿を、俺とツヴァイ=ルティムでダブルチェック……いやいや、二重確認するべきだろうね」


 どうもこういう話になると、俺もついつい外来語を多発してしまう。それだけ森辺の民が、近代的な文化に触れつつある、ということなのだろうか。


(こんな場所にフェルメスがいたら、気をつかって大変だな。あの、うっとりとした目で俺を見るのは、もうちょっと控えてもらいたいもんだ)


 俺がそのように考えていると、タパスが妙にあたふたとした様子で駆け寄ってきた。


「ア、アスタ、城下町からお客人がいらっしゃいました」


「城下町からお客人?」


 そんな話は、聞いていない。食堂の入り口を見やった俺は、思わずギクリと身をすくめることになった。


「ずいぶん早めに到着してしまいましたが、アスタたちもすでにいらっしゃったのですね」


 旅用の外套で華奢な身体を包み込んだ、それはフェルメスに他ならなかった。影のごとき従者ジェムドも、同じ装いでぴったりと追従している。


「ど、どうされたのですか、フェルメス? 何か急なご用事でも……?」


「いえ。アスタたち森辺の民が宿屋の寄り合いに参席すると聞きましたので、それを視察に参ったまでです」


 鼻から下を隠していた襟巻きを咽喉もとまで引きおろしつつ、フェルメスは優美に微笑んだ。


「ジェノスの実情を把握するために派遣された外交官として、至極当然の職務であるかと思うのですが……何か不都合でもありますでしょうか?」


「い、いえ、俺たちはべつだん、かまいませんけれど……」


 俺は商会長たるタパスに、疑念をそのまま横流しにするしかなかった。

 タパスはぞんぶんに困惑した様子で、眉尻を下げてしまっている。


「た、貴き方々に同席していただけるというのは、この上なく光栄なことであるのですが……し、しかし、宿場町の宿屋の寄り合いなど、視察に価するのでしょうか?」


「もちろんです。王都においては、アスタを含む森辺の民の実情が大きく取り沙汰されているということは、ご存知でしょう? アスタたちがどのような形でジェノスの領民と絆を深めているか、僕はそれを正しく把握しなければならない立場であるのです」


「はあ、左様でございますか……」


 どのみち王都の貴族の申し出を断るすべなど、タパスにはないのだろう。タパスは溜め息を押し殺しているような面持ちで、言葉を重ねた。


「それでは寄り合いの場に、お席を作らせていただきます。お食事のほうは、いかがいたしましょう?」


「食事までは不要です。僕は元来、獣の肉を食せない身でありますので」


 そのように応じてから、フェルメスはふっと周囲を見回した。


「おや……今日は森辺の狩人は同行されていないのでしょうか?」


「はい。最近は、日が暮れる頃に来てもらっています。それまでは、べつだん危険なこともありませんので」


「そうですか」と微笑んでから、フェルメスは俺の耳もとに口を寄せてきた。


「それではまた、アイ=ファににらまれてしまうことになりそうですね。もちろん僕の側によからぬ企みなどはありませんので、ご心配は不要ですよ」


 俺は「はあ」と力なく答えるしかなかった。

 身を起こしたフェルメスは、罪のない笑顔でその場の女衆たちを見回していく。


「では、僕にかまわず打ち合わせをお続けください。レイナ=ルウ、トゥール=ディン……そして、ツヴァイ=ルティム」


 と、そこでフェルメスは楽しそうに目を細めた。ツヴァイ=ルティムは、何の関心もなさそうにフェルメスの美貌を見返している。


「……アスタたち3名は、屋台の商売の責任者ということで参席されるのですよね。ツヴァイ=ルティムは、どういった役割を担っているのでしょうか?」


「ツヴァイ=ルティムは計算を得意にしているので、こういう場には同行を願っています」


 本人ではなく、レイナ=ルウがお行儀のよい笑顔でそのように答えていた。

「そうですか」と、フェルメスはさらにゆったりと微笑む。


「それは得難いことですね。実は僕も、計算というのはいささか苦手にしているのです」


 そうしてフェルメスは身をひるがえすと、ふたつほど離れた席に腰を下ろした。こちらの会話がぎりぎり聞こえるかどうかという、実に絶妙な距離感である。

 するとレイナ=ルウは微笑を消し去って、俺に囁きかけてきた。


「アイ=ファは、あの御方がアスタに執着しているゆえに、警戒心を解くことがかなわないのだというお話でしたね?」


「うん、まあ、そうだね」


「……わたしもアイ=ファの気持ちがわかったように思います。あの御方がアスタを見る目は……何だか、気に入りません」


 俺が驚いて身を引くと、レイナ=ルウは子供っぽく、むすっとした面持ちになっていた。


(……どうもフェルメスは、一部の女性陣に煙たがられる傾向にあるみたいだな)


 何にせよ、フェルメスがいようがいまいが関係ない。俺たちは森辺の民の代表として、宿屋の寄り合いに臨むのだ。

 その本分をまっとうできるように、俺たちは打ちあわせを再開することにした。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 新たに徴税するなら役人が指導監督に来るはずと思います 物語的に役割を持たせにくいから省略したのでしょうか
[気になる点] >かすたーどくりーむやちょこれーと比べても 「と」が一つ足りないかと思いました。
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