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異世界料理道  作者: EDA
第四十三章 傀儡使いと老剣士
739/1681

森辺のかまど番アスタ~第二幕・トゥラン伯爵家の章~

2019.5/13 更新分 1/1

 傀儡の劇の第一幕目が終わっても、その場の人々が騒ぎたてることはなかった。

 舞台の裏から現れたリコが、そんな人々に一礼する。


「それでは、二幕目の準備をいたしますので、少々お待ちください」


 リコとベルトンは荷車から持ち出した木箱を舞台の裏まで引きずって、何やら細工にいそしんでいる。傀儡の衣装を交換しているのだろう。それでようやく人々は、周囲の同胞と耳打ちし合うことになった。


「……いまのところ、大きな問題はないよな?」


 俺がそのように囁きかけると、アイ=ファは「うむ」とうなずいた。


「確かに何点か、事実と異なる部分は見受けられたが……それで誰かの誇りが汚されることはあるまい。物覚えの悪い人間であれば、このていどの記憶違いも多々あろうからな」


「ああ、アイ=ファはけっこうな記憶力を持ち合わせてるもんな。どの部分が事実と異なっているのか、アイ=ファだったらひとつ残らず指摘できそうだ」


「……それよりも、自分の傀儡があのように動くさまを見せつけられるのが、これほど落ち着かないものだとは思わなかった。すべての劇を見届けたら、もう2度とは目にしたくないものだ」


「そうかなあ。俺はアイ=ファと出会った頃のことを思い出して、すごく幸福な気分だったけど」


 アイ=ファはいくぶん頬を赤らめながら、俺の脇腹に鉄肘をくれてきた。

 するとディアルが、「ねえねえ」と顔を寄せてくる。


「アスタたちとしては、どうなの? ちゃんと納得がいってる感じ?」


「うん。いまのところは、文句のつけようもないと思うよ」


「そっか。それじゃあけっこう忠実に、これまでのことが再現できているんだね」


 そう言って、ディアルは小さく息をついた。


「すごいなあ。ねえ、これって全部、僕と出会う前の話だよね?」


「うん。家長会議は、青の月の10日だったからね。ディアルと出会う半月前ぐらいかな」


「そっかあ……当たり前の話だけど、アスタたちも色々あったんだねえ」


 ディアルは何やら、深く感じ入っている様子であった。

 そこに、リコの声が響きわたる。


「お待たせいたしました。それでは、二幕目を始めたいと思います。……本来であれば一幕目のあらすじを語るところであるのですが、本日は不要であろうと思われますので、はぶかせていただきます」


 とたんに、人々は押し黙った。

 舞台の裏に引っ込んでから、リコはあらためて開幕の声をあげる。


「森辺のかまど番アスタ。二幕目、トゥラン伯爵家の章。始めさせていただきます」


 その言葉を聞きながら、俺はディアルの向こう側をうかがった。

 リフレイアは、フランス人形のように無機質な面持ちで、じっと舞台を見つめている。その隣では、ムスルが食い入るような眼差しになっていた。


 彼女たちにとっては、ここからが本番であるのだ。

 俺にとっては、最初から最後までが本番である。

 俺も視線を引き戻して、舞台に集中することにした。


 導入は、ごく穏便な始まりであった。

 カミュア=ヨシュが屋台を訪れて、俺と語らっている。ここで初めて、シムに向かう商団について語られることになった。


 モルガの森辺を突っ切って、ジェノスの商団がシムを目指す。カミュア=ヨシュはその護衛役であり、スン家に先導役をお願いしていた。家長会議にてスン家は失脚してしまったので、その役目は新たな族長筋たるサウティ家が担うことになる――というくだりである。


 俺とカミュア=ヨシュの会話によって、スン家の人々の顛末も語られていた。諸悪の根源である先代家長ザッツ=スンと、その間違った掟をそのまま継承してしまったズーロ=スンだけが処断されることになり、他の人々は森辺の民として正しく生きなおすことになる。本家の人間に関しては、家族との血の縁を絶たれた上で、ルウやザザの血族の家人となることになった。


 そして――ザッツ=スン、テイ=スン、スンの長兄の逃亡である。

 ザッツ=スンの導きによって北の集落から逃げ出した長兄は、そのままザッツ=スンのもとからも逃げ出して、ファの家に駆けこんでくる。やはりドッドの存在はなかったが、事実そのままの筋書きだ。


 森辺の民は総出でザッツ=スンたちの行方を追ったが、見つけ出すことはかなわない。

 そんな中、俺は屋台の商売を休まず続けることを、ジェノスの貴族に命じられる。

 そこでついに、トゥラン伯爵家の当主サイクレウスの名が明かされることになった。


 ジェノスの領主の代理人として、その人物が森辺の族長と会合を行っている。スン家の人間が町で悪さをしても、それに罰を与えなかったのは、この人物の裁量ではないのか――という事項が、ここで示唆された。

 また、これは事実と異なる点であるが、シルエルの存在もここで明かされた。シルエルは護民兵団の長であったので、宿場町やジェノス周辺の治安を預かる身である。サイクレウスの弟であるシルエルが、兄の命令に従って、スン家の悪行を見逃しているのではないか。俺たちがのちのち抱くことになったそれらの疑念が、ここで開示されたのだ。


 そして、10年前の事件に関しても、語られる。

 10年前にもジェノスの商団が森辺に踏み入り、ギバに襲われて魂を返すことになった。その案内役をつとめたのはスン家の人間であり、魂を返した商団の人間のひとりは、何故か狩人の首飾りを握りしめていた。もしかしたら、商団を襲ったのはスン家の者たちだったのではないか――という、くだりである。


 思えばその話も、俺が知ったのは家長会議の前だった。

 話が入り乱れないように、これは二幕目に差し込まれることになったのだろう。


 もしかしたら、ザッツ=スンたちは今回の商団を襲おうとしているのかもしれない。俺がそのように忠告するが、カミュア=ヨシュはとりあわず、シムへの出立を決行してしまう。ザッシュマや、「ダバッグのハーン」ことメルフリードが、そこで登場することはなかった。


 そして迎えた、出立の日である。

 ここで俺は、意外な展開を目にすることになった。

 カミュア=ヨシュたちがダリ=サウティの案内で、森辺に踏み込む姿が演じられることになったのだ。


                     ◆


『いやあ、モルガの森というのも、なかなか美しい場所であるのですねえ。恐ろしいギバが潜んでいるとは、信じ難いほどです』


『あまり無駄口にかまけないことだ。この一帯はギバの数も少ないが、時には気まぐれなギバが迷い込んでくることもあるのだからな』


『だけど俺たちは、ギバ除けの実というやつで身を守っているのでしょう? それなら、安心です』


『……ギバは寄ってこなくとも、スン家の大罪人どもが襲いかかってくるやもしれんぞ』


『相手は、どちらも老人です。これだけ手練れの狩人たちに守られていれば、臆する必要もないでしょう』


『まったく、呑気な男だな。……そら、岩場に差し掛かるぞ。横合いは崖になっているので、足を踏み外さないように注意することだ』


『なるほど。ここが……ふむふむ。10年前の商団は、ここで「何か」に襲われたわけだ』


『何をぶつぶつ言っているのだ? この崖から落ちたら、まず助からんぞ』


 そのときです。

 崖とは逆の側に茂っていた森のほうから、何か小さくて赤いものが投げつけられてきました。


『これは……ギバ寄せの実だ! どうしてこのようなものが、森から降ってくるのだ!』


 あたりには、たちまち甘い香りがたちこめます。

 この香りを嗅ぐと、ギバは正気を失って、狂ったように襲いかかってくるのです。


『なるほど。こうやってギバをけしかけていたのか』


 カミュア=ヨシュの言葉に応じるように、森から何頭ものギバが飛び出してきました。

 ダリ=サウティを始めとするサウティ家の狩人たちは、果敢に立ち向かいます。しかし、ギバ寄せの実で凶暴化したギバの群れの前には、なすすべもありませんでした。


『みんな、荷車の屋根に飛び乗るんだ! ギバは、自分の頭より高い場所には飛び上がれないという話だったからね!』


 カミュア=ヨシュの言葉に従って、商団の人々は荷車の屋根に飛び乗りました。


『屋根の上から、槍で応戦しろ! 狙うのは、首の付け根だ! 頭に当てると、槍を折られてしまうぞ!』


『おのれ……小癪な都の住人どもめッ!』


『やあ、あなたがスン家の先代家長ザッツ=スンだね。残念ながら、あなたの悪だくみもここまでだ』


『たわけたことを……町の人間が、森辺の狩人にかなうものか!』


『あなたはすでに、森辺の狩人としての資格を失っている。十数年もの間、血族を間違った道に導いてしまったのだからね』


 カミュア=ヨシュは、一撃でザッツ=スンを叩き伏せました。

 そこに現れたのは、テイ=スンです。


『あなたも投降なさい。あなたの罪は、ジェノスの法が裁きます。……あっ!』


 カミュア=ヨシュに斬りかかったテイ=スンは、そのまま崖の下に落ちていってしまいました。


『まいったなあ。俺の外套を持っていかれてしまったぞ。……この高さじゃ助からないだろうなあ』


 その頃には、すべてのギバが退治されていました。

 しかし、先陣を切ってギバの突撃を食い止めようとしたサウティ家の狩人たちは、荷車の屋根にのぼることもできず、みんな深手を負ってしまっています。


『ああ、まことに申し訳ないことをした。最初から事情を話しておけば、あなたがたもギバに遅れを取ることはなかったろうに。……これも事情があってのことなのです。どうか恨まないでくださいね』


                     ◆


 それから後は、俺も知っている通りである。

 宿場町まで引き回されたザッツ=スンが、森辺の民と宿場町の民に、恨みの言葉を投げつける。リコの可愛らしい声で語られているというのに、それは多くの人々を慄然とさせたようだった。


(そうか……リコはサウティ家まで出向いていたし、カミュアもさんざん話をせがまれたって言ってたもんな。それをもとにして、筋書きに手を加えたのか)


 しかし、そこにも事実と異なる点が見受けられた。

 テイ=スンに外套を奪われたのはメルフリードであったし、その際に、テイ=スンはばっさりと斬り伏せられていたはずであるのだ。


(幼い子供も見る劇だから、血なまぐさい部分は省略したのかな。それに、メルフリードの役をカミュアにあてがったのは、傀儡の数の関係なのか、それともジェノス侯爵家の体面を慮ってのことなのか……)


 何にせよ、リコとしては許容内の改変であったのだろう。

 ただ俺は、かつてスン本家であった人々の心情が気にかかっていた。

 テイ=スンがザッツ=スンの命令で商団を襲ったことも、ザッツ=スンが撒き散らした怨嗟の叫びも、彼らにとっては平静には聞いていられない話であるはずなのだ。


 しかしそれでも、これが事実なのである。

 俺は何だか、自分まで胃袋をぎゅっとつかまれているような心地であった。


 そうしてさらに、物語は核心に迫っていく。

 テイ=スンが宿場町の屋台を訪れて、俺を人質に取るシーンである。

 俺は息を詰めながら、舞台を見守ることになった。


                     ◆


『森辺の掟も、都の法も関係ない! 偉大なるザッツ=スンは、それらに代わる新たな掟と秩序を我々にもたらそうとしていたのだ! 貴様たちは、都の人間どもを屈服させる唯一の手段を失ってしまったのだ!』


『何が新しい法と秩序だ! お前たちは、ただの盗人ではないか!』


『我々は、不当に奪われた富を取り戻しただけだ! 恥ずべきは、我々を森辺に閉じ込めて甘い汁をすすっていたジェノスの民どもであろう!』


 テイ=スンは、最後の力を振りしぼって、そのように叫びました。


『ジェノスから与えられた不当な掟を、我々は80年間も守らされてきた! この80年間で、何人の人間が飢えて死んだと思っているのだ!? このような運命が正しいなどと、わたしは決して認めない!』


『俺だって、それが正しいとは思っていません! だから、森辺に豊かさをもたらすために、宿場町での商売を始めたんです!』


『なぜ目の前に果実があふれかえっているというのに、そのような真似をしなくてはならないのだ!? 森の恵みを食することさえできれば、銅貨すら必要ないのだ! それこそが、森を神とする正しき民の生であろう!』


『でも、それではジェノスの田畑がギバに荒らされてしまうじゃないですか! 森辺の民だって西の王国の一員なのですから、おたがいに支え合いながら生きていくのが正しいはずです!』


『飢えて魂を返す人間がいなくなれば、森辺の民はさらなる力でギバを狩ることができる! そうすれば、我々が森の恵みをいくら収穫しようとも、ギバが田畑を襲うこともなくなっていたはずだ!』


『だったら……どうしてスン家は、ギバ狩りの仕事も果たさずに、自分たちだけで森の恵みを荒らしていたのですか? 他の氏族や貴族たちにも真情を明かして、森の恵みを収穫する権利を得ていれば、あなたたちの思い描く行く末を実現できていたかもしれないじゃないですか!』


『貴族もルウ家も、我々の敵だ! 我々はまず、そやつらを上回る力を手に入れる必要があった! だから我々は、血族と富を守りながら、静かに力を蓄え続けたのだ!』


『テイ=スンよ。お前の無念は理解できたように思う。しかし、アスタを害する理由はあるまい。アスタとて、森辺に豊かさをもたらそうとしているのだ。スン家が同じ大志を抱いていたというのなら、それを引き継ぐのがアスタや我々である、という風には考えられぬのか?』


『貴様たちは、ジェノスに尻尾を振っているだけだ! どれほど豊かになろうとも、それでは誇りを取り戻すことはできん!』


『そんなことはありません! 俺たちは、ジェノスに敵対するのではなく、ともに生きる同胞として縁を結びなおしたかっただけなのです!』


『何が同胞だ! ジェノスは屈服させるべき敵だ!』


『あなたがそのように思うのは、族長筋の人間として、ジェノスの貴族と相対してきたからなのではないですか? だったら今後は、新たな族長筋の人々が、その無念を引き継ぎます! 今度こそ、ジェノスの貴族たちと正しい縁を紡げるように、森辺の民の全員が力を尽くします! だから、森辺の行く末を、俺たちに託してくれませんか?』


『森辺の行く末など、知ったことか! スン家の滅んだ世界には、破滅と絶望こそが相応しい! 森辺も、この町も、石の城も、何もかもが滅んでしまえばいいのだ! まずはこの小僧を、手始めにくびり殺してくれよう!』


『やめろ、テイ=スン!』


 そのとき、背後に回り込んでいた別の狩人が、テイ=スンを背中から斬りつけました。

 アスタの身はすんでのところでアイ=ファに守られて、テイ=スンは声もなく崩れ落ちます。


『危ういところであったな。怪我はないか、アスタよ?』


『お、俺は大丈夫だ。だけど、テイ=スンが……』


『……あやつは最初から深手を負っていた。もはや助かるまい』


 アスタは、やり場のない気持ちを抱え込んでいました。

 どれだけひどい目にあわされても、テイ=スンが真の悪人だとは、どうしても思えなかったのです。


 テイ=スンやザッツ=スンだって、もともとは森辺の民の間違った運命を正そうと思っていただけなのに、どうして他の人々と手を取り合うことができなかったのか。それが悲しくてならなかったのです。


『テイ=スンは、森辺の大罪人が同胞の手によって裁かれる姿を、町の人間に見せつけるべきだと言っていた。そうすることによって、町の人々が森辺の民に抱く悪念は解消されるだろう、と……それじゃあ、いまのも演技だったのか? それとも、本当に俺を道連れにしようとしていたのか?』


『それを知るのは、テイ=スン本人だけだ。そして、それを語る力は、もはや残されてはおるまい』


『でも俺は、テイ=スンに聞いておかないといけないことがあるんだ!』


 アスタは死にゆくテイ=スンの顔を覗き込みました。

 そこには何の感情も浮かべられてはおらず、瞳からも光が失われつつあります。


『テイ=スン……家長会議の夜、アイ=ファに力を貸してくれたのは、あなただったのですか?』


 テイ=スンはいったんまぶたを閉ざしてから、さきほどアスタの料理を食べたときと同じように、満ち足りた微笑みを浮かべました。


『……ようやく最後の仕事を果たせました……』


 テイ=スンは、それだけ言い残して魂を返しました。


                      ◆


 ルウの集落の広場は、しわぶきのひとつもなく静まりかえっていた。

 傀儡の劇は、まだまだ半ばであるのだ。

 だけど俺は、リコの行いに深い感銘を受けることになった。


 リコは何も、事実をねじ曲げてはいない。

 テイ=スンと俺たちとのやりとりも、かなり正確に再現できているように思える。いくら関係者の話を聞いて回ったと言っても、あれだけ正確に再現できるものであるのかと、舌を巻きたくなるほどである。


 テイ=スンは鬼気迫る様子で、憎悪と無念の叫びを振りしぼっていた。

 あれがすべて演技だったのだとは、やはりどうしても思えない。それにあの場には、アイ=ファを筆頭とする森辺の狩人たちが何人もいたのだ。虚言を見抜くことに長けている森辺の狩人たちが、そろいもそろってテイ=スンの演技に騙されるなどとは、やはり考えにくかったのだった。


 ましてや、ライエルファム=スドラはその手でテイ=スンの生命を奪うことになったのだ。

 あの沈着にして聡明なるライエルファム=スドラが、いかに危急の場であるとはいえ、軽はずみに他者の生命を奪うとは思えない。テイ=スンが本気で俺を殺そうとしていたからこそ、ライエルファム=スドラも苦渋の決断をすることになった。俺は、そのように信じていた。


 だからやっぱり、あれはテイ=スンの本心であったのだろう。

 その上で、テイ=スンは裁きの刃が振り下ろされることを望んでいたのではないだろうか。

 残される家族や血族のために、スン家の罪をすべて背負って、滅んでしまいたい――それが、テイ=スンの真情だったのではないだろうか。

 俺は、そのように考えていた。

 その心情が、傀儡の劇にはそのまま体現されているように思えてならなかった。


(だけどリコは、俺以外の人たちからも話を聞いている。森辺の民ばかりじゃなく、ユーミやドーラの親父さんだって、あの日のことはさんざん聞きほじられたって言ってたもんな。……その上で、リコはこの筋書きを選んでくれたんだ)


 かつてテイ=スンの家族であった人々は、どのような気持ちにとらわれているのだろう。

 オウラ=ルティム、ツヴァイ=ルティム、ヤミル=レイ、ミダ=ルウ、ディガ、ドッド――俺の座った場所からは、それらの人々の様子を確認することもできなかった。


 そして、俺が胸を打ち震わせている間にも、傀儡の劇は粛々と進められている。

 物語は、そこでまた盛大に時間を飛ばしていた。

 カミュア=ヨシュに裏事情を聞いた族長たちが、サイクレウスとの会合を果たしたのち、すぐさま俺がリフレイアにさらわれるエピソードがお披露目されることになったのだ。


 その期間、俺にとっては数々の重要な出来事が生じていた。ルウの血族の収穫祭に参加したり、《玄翁亭》とも商売を始めたり、ギルルやディアルと出会ったり、荷車を買いつけることになったり、《銀の壺》や建築屋の人々との別れを迎えたり――と、それらのエピソードがのきなみ省略されることに相成ったのだった。


 まあもちろん、トゥラン伯爵家にまつわる騒動において、それらのエピソードは直接的な関係が希薄である。間接的には関わりのあるエピソードでも、筋書きを複雑にしないように、ばっさりと切り捨てられることになったのだろう。シュミラル=リリンの導きで出会うことになったミケルも、そこで登場することはなかった。


 なおかつ、俺がリフレイアにさらわれるエピソードは、いくぶんコミカルに描かれているような気がした。

 わがままな姫君が、考えなしに町の人間をかどわかした。かどわかされた当人は深く思い悩んでいるものの、それを取り巻く環境は、どちらかというと喜劇に類するような演出が為されていたのだ。


 それにリコは、リフレイアと顔をあわせないまま、この筋書きを考案したのだった。

 外見的な特徴などは伝聞で十分であったのだろうが、こまかな言葉づかいや立ち居振る舞いなどは、いささか別人のように感じられてしまう。裏を返せば、これまでの傀儡たちはいずれも本人そっくりであった、ということであるのだろう。


(テイ=スンやザッツ=スンなんかは、語られた言葉がけっこうそのままだったから、リアリティがあったのかもな。それに……ふたりがどんな人間であったかは、たくさんの人たちから話を聞くことができたんだろうし)


 ともあれ、俺ぐらいリフレイアと関わりのある人間でなければ、違和感を覚えるほどのものではないのだろう。

 ちなみに、サンジュラは登場せず、ムスルは「リフレイアの手下の武官」として登場していた。それに、けっこう重要な存在だと思われるジーダも、登場することはなかった。


 捕らわれの主人公を救出したのは、もちろんアイ=ファである。

 アイ=ファは美しい姫君のような宴装束でトゥラン伯爵邸の晩餐会にもぐりこみ、無事に俺を救出してくれた。劇の最中にここまで大幅に装束を取り換えることはできないので、アイ=ファのみ2体の傀儡が準備されたのだろう。宴衣装のデザインは、むしろ舞踏会を思い出させるセルヴァ風のものであったが、金褐色の長い髪をふわりとなびかせた傀儡のアイ=ファは、美しいことこの上なかった。


 そして、決着の刻である。

 俺が救出されたのちは、森辺における決起の晩餐会を経て、すみやかにサイクレウスおよびシルエルとの会合が開かれることになった。


 そこにカミュア=ヨシュが、バルシャを連れて登場する。

 バルシャの指摘によって、シルエルがかつて《赤髭党》に悪事をもちかけた人間であるということが暴露されたのだ。

 実際は、バルシャは数日前から俺たちと合流していたし、カミュア=ヨシュが連れてきたのはバナーム侯爵家のウェルハイドである。なかなか大胆な改変ではあったものの、大筋には影響も少ないのかもしれなかった。


 そうして錯乱したシルエルが、衛兵たちに矢を射かけさせる。ギバ除けの実の香りを辿ってダン=ルティムたちが救援に駆けつけるというのは、おおよそ事実の通りであった。


 サイクレウスとシルエルは旧悪を暴かれて、捕縛される。

 森辺のかまど番アスタは、ジェノス侯爵の目に留まり、森辺の民とジェノスの貴族の和解の晩餐会で、料理を作るように願われた。


 雰囲気的には、これでめでたしめでたし――と、終焉しそうなところであった。

 リコの口調やナレーションの内容も、それを示唆する雰囲気であったように思う。俺が道端の見物人であったなら、いそいそと銅貨の準備をしていたところであろう。


 しかし、物語は終わらなかった。

 城下町における晩餐会に備えて、俺が修練を重ねていると、そこにリフレイアが訪れるのである。


 リフレイアは、最後のはなむけとして、サイクレウスにも料理を作ってほしいと懇願する。

 その場で、傀儡の長い髪がショートヘアに変化する細工が披露された。

 そうして俺は、リフレイアからの願いを聞き入れて、サイクレウスに料理を作ることを約束したのだった。


 城下町の晩餐会はつづがなく終了して、俺とリフレイアはサイクレウスのもとまで案内される。

 それが、リコの準備した本当のクライマックスであった。


                    ◆


『これは俺が、森辺で初めて作った料理です。ギバ肉とアリアの他には塩しか使っていませんが、美味しいでしょう? あなたに必要であったのは贅を凝らした料理なんかではなく、こういう確かな滋養に満ちた食事だったのだと思いますよ』


『たわけたことを……我にとっては、美味なる食事だけが快楽であったのだ……快楽なき生に、意味などない……』


『快楽でも幸福でも、何でもかまいません。美味しい料理を作りあげるのに、それほどの富は必要ないということです。ひとつまみの塩でも、これぐらいの料理を作りあげることはできるのですからね。それで大事な家族たちと食卓を囲むことができれば、何よりの幸福となるのではないでしょうか?』


『もういいわよ。すべては終わってしまったのですからね。父様は、自分だけが正しいのだと信じながら、西方神に召されればいいわ』


『そう……すべては終わったのだ……いまさら何も包み隠すつもりはない……ジェノス侯よ、其方も聞くがよい……』


『何だね? 父娘の最後の語らいを邪魔立てするつもりはなかったのだが』


『シルエルが捕らわれた後、護民兵団は誰の手にゆだねられたのであろうかな……?』


『護民兵団は、第二大隊長の手にゆだねられたよ。副団長と第一大隊長はトゥラン伯爵家の血筋にあたるので、詮議が必要であろうからね』


『それでは、足りぬな……第四大隊長も含めての3名が、我々と罪を分かち合った者たちであるのだ……放っておけば、のちのち禍根にもなろう……』


『なんと。護民兵団の指揮官の半数までもが、悪逆の徒であったのか。其方たちは、いずれ武力でもジェノス侯爵家をねじ伏せようというつもりであったのか?』


『さてな……それに、もうひとつ……ベヘットには、死罪を免れた死罪人の一団が潜んでいる……我々の手足となって悪行に及んでいたのは、それらの者どもであるのだ……』


『スン家が力を失ってからは、その者どもに商団を襲わせていたということか。まさか、いっぺんにこれだけの罪人を抱え込むことになろうとはね』


『しかし、そもそもの罪は30年の昔に行われていた……我の父君と兄君を弑したのは、末弟のシルエルであったのだ……その後の数々の罪については、我とシルエルに等しく罰が必要であろうが……あの忌まわしい罪については、シルエルひとりの手で為されたのだと……どうか、それだけは信じてもらいたい……』


 言葉を失うアスタたちの前で、サイクレウスはそのように告白しました。


『シルエルは、伯爵家に生まれ落ちながら、何の権勢も得られない我が身を呪っていた……それゆえに、当主たる父君と跡継ぎたる兄君を憎悪していたのだ……同じように日陰者であった我に対しては、そのような憎しみを抱かずに済んだのであろう……』


『それでは、もしかして……其方がシルエルとともに悪事を働いていたのは、そうしなければ父や兄と同じ運命を辿ることになるやもしれん、と思ってのことであったのか?』


『そうだとしても、我の手が汚れていることに変わりはない……また、30年もの昔の罪の証をつかむことはかなうまい……ただ我は、信じてほしかったのだ……数々の罪を犯してきた我でも、父殺し、兄殺しなどという忌まわしい罪だけは犯していないのだと……』


 サイクレウスは、激情の渦巻く瞳でリフレイアを見つめました。


『リフレイア……我が娘よ……お前には、トゥラン伯爵家の呪われた血が流れている……その呪われた血が、お前に人さらいなどという罪を犯させたのやもしれん……』


『血筋なんて、関係ないわ! わたしは、わたしよ!』


『いいから、聞け……それでも、その身に流れる血を捨てるわけにはいかんのだ……お前は大罪人の子として、これから長きの時間を生きねばならぬ……しかし……トゥラン伯爵家は、すべての富と権勢を失うことになろう……その不自由こそが、お前の魂に自由を与えるやもしれん……』


 サイクレウスの震える指先が、リフレイアの指先をつかみました。


『そうすれば……お前は、ひとつまみの塩で幸福を感じることのできる、そんな人間になれるのかもしれんな……』


『わからないわ。わたしは最初から、ちっぽけな人間よ』


 リフレイアはサイクレウスの手を振り払って、アスタの作った料理を口にしました。


『ちょっと味気ないけれど、十分に美味しいわ。こんなに美味しい料理で満足できないなんて、父様は本当に不幸な人間であるのね』


『そう……お前の父は、とてつもなく不幸で、とてつもなく愚かな人間であったのだ……』


 リフレイアしばらくサイクレウスの顔をにらみつけてから、言いました。


『ジェノス侯。料理はまだまだたくさん残っているの。これを食べ終えるまで、わたしと父様をふたりきりにしてもらえないかしら?』


『かまわないよ。我々は控えの間で待っているので、食事を終えたら声をかけたまえ』


 ジェノス侯爵にうながされて、アスタたちも控えの間に向かいました。

 その背中に、リフレイアの声が届けられます。


『アスタ、ありがとう』


 アスタは『うん』と答えてから、部屋を出ました。

 サイクレウスの罪を、許すことはできない。でも、この夜にサイクレウスと言葉を交わすことができてよかった――アスタは、そのように考えていました。


『これでようやく、すべての騒ぎに収まりをつけることができそうだ。謀反人どもを一掃して、安楽な日々を迎えられるように、わたしは力を尽くさせていただくよ、族長ドンダ=ルウ』


『ふん。そうであることを願おう』


『そして、アスタよ。其方の料理は本当に美味であった。祭祀長らは渋い顔をしていたが、わたしは其方をジェノスの領民に迎え入れたいと願っている。今後も森辺の民のひとりとして、ジェノスの領土でその生を歩んでもらいたい』


『は、はい。ありがとうございます』


 そうしてスン家とトゥラン伯爵家にまつわる騒動は、今度こそ終わりを迎えることになりました。

 そこに至るまで、多くの人々がつらい目にあうことになってしまいましたが――そうであるからこそ、今後は誰もが正しき道を歩めるように、力を尽くさなければならないのです。


 だけどアスタは、何も心配していませんでした。

 森辺の民も、町の民も、貴族たちも、それぞれ立場の違いはあれど、みんな同じ人間であるのだということを、アスタは身をもって知ることができたのです。


『それでは、森辺に帰るとするか。……ご苦労であったな、アスタよ』


『うん、アイ=ファもな』


 アスタは誰よりも大切なアイ=ファとともに、森辺の集落へと帰りました。

 これからも、アスタのもとにはさまざまな変転が訪れるのでしょうが――それはまた、別のお話となります。


                     ◆

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