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異世界料理道  作者: EDA
第四十三章 傀儡使いと老剣士
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返礼の晩餐会③~絆~

2019.5/8 更新分 1/1 ・5/18 誤字を修正

「タウ油にミソという食材は、ジャガルの食材の中でも特筆すべき存在であろうと思われる。その風味は独特でありながら、強い滋養が感じられ、実にさまざまな食材と調和させることが可能であるように思えてならない。しかしその反面、強い味と香りを持つゆえに、味をひとつの色彩に染めてしまう恐れをも内包している。誰もが手軽に扱えると同時に、差別化が難しい食材なのではないか、と自分は考えていた。また実際、非常に失礼なことながら、ジェノスの城下町の料理人においては、その元来の味に頼りきって工夫の努力を怠るか、逆に工夫を凝らそうとするあまり、元来の味をも壊してしまっている者も見受けられた。ミソに関しては、ジェノスにおいてもいまだ普及したばかりの食材であると聞くので、それも致し方のないことなのであろうと思われる」


 甘いチェロの旋律を思わせるフェルメスの声が、アルヴァッハの言葉をまた翻訳してくれていた。


「その中にあって、アスタの手腕は見事である。特にこの、ぎばかつどんなる料理――こちらはギバ肉の味やシャスカの食感と相まって、ミソの素晴らしい味わいが十全に引き出されているように見受けられる。むろん、ただ刻まれているだけのティノなる野菜に関しても、それは同様であるのだろう。ミソと、ギバ肉と、シャスカと、ティノ、それらの食材がおたがいの味を引き出し合って、またとない調和を生み出しているのだ。このうちのどれかひとつでも欠けていたら、これほどの調和は成し得なかったのだと確信することは容易である。そしてまた、その調和を得るために施されたそれぞれの食材への細工が、見事である。ミソには砂糖と何らかの酒類が加えられて、またとない味わいに仕上げられているし、それにこのギバ肉は――婚儀の祝宴においても感じたことであるが、実に不可思議である。そもそもゲルドには『油で揚げる』という食文化が存在しないため、余計に不可思議に感じられるのであろうが、この城下町においてもこれほど不可思議で、そして美味なる揚げ料理を口にしたことはなかった。これは森辺においても至上の味わいと見なす向きも多いと聞くが、それも至極当然の話であるのだろう」


 フェルメスはアルヴァッハの言葉を丸暗記した上で翻訳してくれているので、途中で相槌を打つこともままならない。アルヴァッハとフェルメスのコンビによる長広舌を初めて耳にする人々は、みんなきょとんとした顔でその言葉を聞いていた。


「肉を覆った衣の香ばしさと食感は、他の料理では味わうことのできない独自性を有している。肉そのものは火にも鉄鍋にも触れていないので、焼き目をつけられることなく、一定の瑞々しさを保っており、そしてその分、衣が焼き目から得られる特性をすべてまかなっているのだ。おそらくこの衣を剥がして肉のみを口にしたならば、焼いたとも茹でたともつかない奇妙な味わいに成り下がってしまうのであろうが、それが香ばしい衣とともに食することによって、ただ焼いた肉とはまったく異なる調和を得ることができている。調和、そう、ここにもすでに、ひとつの調和が完成されている。ぎばかつはそれ自体で完璧な調和を有しながら、さらにミソやシャスカやティノと合わさることによって、第二の調和を成しているのである。それらの複合的な味わいが、この料理を至上の存在に仕立てあげているのであろう。アスタの料理を口にするのは、これが3度目のこととなるが、自分はそのたびに至上の味わいを見出した、という心地にされてしまう。もちろんそれは、最初と二番目に食した料理が本日の料理に劣っているという意味では決してなく、すべてが並び立つほどに美味であるのだと理解してもらいたい」


「あ、はい。恐縮です」


 言葉の隙間をぬって、俺はアルヴァッハに頭を下げておいた。

 フェルメスはニャッタの蒸留酒で口を湿してから、翻訳を再開する。


「そして、シャスカである。ゲルドにおいて、シャスカをこのような形で口にする習わしはない。しかし、アスタの作る料理において、このシャスカは不可欠の存在であるのだろう。最初の日に食したちゃーはんも、このぎばかつどんも、通常のシャスカやフワノでは成し得ない料理であるのだから、それは明白である。シャスカ本来のほのかな甘みと、豊かな弾力が、粒のまま調理されることによって、不可思議かつ独自の味わいを生み出している。そしてそれが、ミソやぎばかつやティノとの調和を作りあげているのだ。とりわけ食感の調和においては、味の調和と同じぐらいに重要であるのだろう。ギバ肉の確かな食感と、衣の軽やかかつ硬質の食感と、ティノの清涼なる食感に、このシャスカの食感が絶妙に調和している。料理において、食感というものがどれだけ重要であるのかを、今さらながらに思い知らされた心地である。料理というものは、ただ舌で味わうばかりでなく、噛むという行為がともなって、その幸福感が増大させられる。それが、真理なのであろうと思う」


 そんな調子で、アルヴァッハは『ギバの角煮』においても、同じぐらいの熱量で語ってくれていた。

 そして、さらに『ミソ仕立てのギバ・モツ鍋』にまで言及されようとしたところで、俺は「しばしお待ちを」と声をあげてみせる。


「実は、そちらの料理はレイナ=ルウとシーラ=ルウにおまかせした料理であるのです。よろしければ、本人たちに言葉をお伝え願えないでしょうか?」


「そうでしたか。ですが、食事を終える前に席を動くのは不作法ですので、それはのちほどということにいたしましょう」


 フェルメスの言葉に、アルヴァッハは重々しくうなずいた。

 しかし俺は、いささか心配になってしまう。


「でも、同じ話をもう1度くりかえしていただくのは、大変なお手間ですよね。事前にお伝えしておかなくて、申し訳ありませんでした」


「いえ。話の内容を忘れたりはしませんので、アルヴァッハ殿に同じお言葉をくりかえしていただく必要はありませんよ」


「え? 食事を終えるまで、それを忘れずにいられるのですか?」


「ええ。それが僕の、唯一と言えるような取り柄ですので」


 それは何だか恐ろしい話だなあと、俺は内心で舌を巻くことになった。

 ともあれ、いまはアルヴァッハに御礼の言葉を申し上げるのが先決であろう。


「このたびも、過分なお言葉をありがとうございました。アルヴァッハにもご満足いただけたのなら、とても光栄に思います」


「過分、ならぬ」と、アルヴァッハは以前と同じように述べたてた。


「むしろ、言葉、足りぬように思う。東の言葉、使っても、心情、すべて表す、難しい」


「心情、表す、一言で済む。美味である、他に、言葉、必要か?」


 ナナクエムはアルヴァッハを横目でねめつけてから、マルスタインに一礼した。


「アルヴァッハ、不作法、失礼した。美味なる料理、執着、病の域である」


「いやいや、森辺の民とてジェノスの民であるからな。ジェノスの領民たるアスタの料理にそれほどの感銘を受けられたのなら、わたしも領主として誇らしく思うばかりだ」


 マルスタインは鷹揚に微笑みながら、酒杯を傾けた。

 そのかたわらで、ジザ=ルウは小さく息をついている。


「いささか驚かされてしまったが、俺も同じ気持ちだ。ルウ家のかまど番が準備した料理も気に入っていただけのなら、誇らしく思う」


「うむ。汁物料理、アスタ、劣らぬ、味わいであった。森辺の料理人、手腕、見事である。ゲルド、食材、届いたならば、新しい料理、期待したい」


「ゲルドの食材、か。……それは、復活祭の後に届けられるという話であったか?」


 ジザ=ルウの言葉に、マルスタインは「うむ」とうなずいた。


「すべてはゲルドの藩主殿の裁量次第であるが、復活祭のさなかに食材を届けようとはしないことだろう。それでは荷運びを任される者たちが、異国で復活祭を迎えることになってしまうからな。だから、どんなに早くとも、銀の月の終わりぐらいになるのだろうと思う」


 アルヴァッハたちは10日ていどでジェノスにまでやってきたという話であったが、トトスに荷車を引かせたら、その3倍ぐらいの日数がかかってしまうのだ。復活祭は銀の月の1日まで続くのであるのだから、場合によっては翌月にまでもつれこみそうなところであった。


「それで、アルヴァッハたちもまたその時期にいらっしゃるのですか?」


 俺が尋ねると、今度はアルヴァッハがうなずいた。


「隊商、ジェノス、到着する時期、見計らって、ゲルド、出立する、予定である」


「ああ、隊商と一緒にやってくるのではなく、後からトトスにまたがって追いかけてくる、ということですか」


「うむ。故郷、離れる時間、短くするべきであるし――荷車、歩、遅いので、性に合わない、思っている」


 すると、反対の側からシュミラル=リリンが声をあげてきた。


「では、私、おそらく、ジェノス、離れているでしょう。いつか、再会の日、楽しみ、しています」


 アルヴァッハは、ゆっくりとそちらを振り返る。


「貴殿、商団、加わり、半年、ジェノス、離れる、聞いた。それもあって、今日、招かせていただいた」


「はい。とても光栄、思っています」


 シュミラル=リリンは、穏やかに微笑んでいる。

 その隣のヴィナ・ルウ=リリンも、いくぶん伏し目がちになりつつ、静かな微笑みを口もとにたたえていた。


「貴殿、運命、数奇である。東方神、捨てた人間、見る、初めてである」


「はい。ですが、私、幸福、満ちています」


「それは、見るだけで、瞭然である」


 夫妻の姿を見やりながら、アルヴァッハはそのように述べていた。

 その厳つい顔は、やはり彫像のように無表情であったものの、シュミラル=リリンを非難するような様子は見られない。むしろ、表情を動かせるものであれば、微笑のひとつでも浮かべていたのではないかと思われた。


「そういえば、傀儡使いのほうはどうなったのかしら?」


 と、少し遠い場所から、エウリフィアがそのように呼びかけてきた。

 どうやら俺への問いかけであるようなので、そちらを振り返って答えてみせる。


「現在も、森辺の民から話を聞いて回っている最中です。今日はスンの集落に向かっているはずですね」


「あら、そうなの。半月ていどでお披露目と聞いていたのだけれど、それで間に合うのかしらね」


「どうでしょう。いまのところは、期間がのびそうだという話は聞いておりませんね」


 そのように答えながら、俺はリフレイアの様子が気になっていた。トゥラン伯爵家の旧悪が取り沙汰されてしまうのは、彼女にとって心安らかならぬ行いであるはずなのだ。

 しかし、リフレイアたちの座っている席はさらに遠かったので、こちらの会話が届いた様子もない。トルストとふたりきりで参席したリフレイアは、ルド=ルウやレイナ=ルウを相手に、何やら語らっているようだった。


「わたしもオディフィアも、その出来栄えを楽しみにしているのよ。ジェノス侯、その者たちはまた城下町にもお招きするのでしょう?」


「うむ。我らがこぞって森辺の集落に押しかけては、騒動のもとだからね。まずは森辺の集落でお披露目してもらい、その後で城下町に出向いていただくつもりだよ」


 すると、残りわずかとなった料理を口に運んでいたアルヴァッハが、再び発言した。


「かなうならば、我々、見届けたかった。その者たち、ゲルド、訪れないだろうか?」


「そうですね。東の王国は言葉が通じないことも多いので、なかなか行く機会がないという話でした」


「うむ……無念である」


 重々しくつぶやくアルヴァッハに、ナナクエムがまた横目で視線をよこす。


「傀儡の劇、完成、待っていたら、紫の月、なってしまう。我々、滞在、長引いているのだから、観念せよ」


「わかっている」と応じつつ、どこか不満げに見えるアルヴァッハであった。

 そのお心を慰めるべく、俺は提案してみせる。


「では、おおよそ食事もお済みのようですので、ここでささやかながらに特別料理をお出ししようかと思います」


「えっ? まだ他にも料理が準備されていたのかい? 僕は9割がた、胃袋も満たされてしまっているのだけれど……」


 不安げな面持ちをするポルアースに、俺は微笑みかけてみせる。


「まずは味見ていどに料理をお配りいたしますので、どれだけお口にされるかは、その後にお申しつけください。では、しばし失礼いたします」


 俺の言葉を合図に、すべてのかまど番が立ち上がる。いちはやく保温用のワゴンに辿り着いたのは、もともと近い位置に陣取っていたレイナ=ルウとシーラ=ルウであった。


「さきほどルドが食べた分で、具材はあらかたなくなったようです。あとはこれを投じればいいのですよね?」


「うん、お願いするよ」


 レイナ=ルウがうなずいて、隣のワゴンに保管されていた大皿を取り上げた。

 そこに準備されていたのは、炊いたのちに水で洗って、ぬめりけを落としたシャスカである。

 俺が準備した特別料理というのは、いわゆる「締めの雑炊」であった。

 具材のなくなった汁物料理の鉄鍋に、シャスカを投じてひと煮立ちさせたら、溶いたキミュス卵を回しかけて、また蓋をする。余熱で卵がふんわりと仕上がったら、完成だ。もちろん、『ラットンのアラ鍋』でも、同じ手順で雑炊を準備した。


 小鉢にひと口ずつをすくって、待ちかまえている人々に配膳していく。それを口にしたポルアースは、「おおっ!」と目を輝かせていた。


「これまた、素晴らしい味わいだねえ! 僕はこちらの小皿にそれぞれ一杯分ずつをお願いするよ!」


「え? シャスカはけっこうおなかが膨れるかと思いますが、大丈夫ですか?」


「胃袋の動きを助けるシムの薬草のお世話になるかもね! でも、これほど美味なる料理であれば、心ゆくまで味わいたくなってしまうからねえ」


 その他の人々も、過半数はしっかり1人前を所望していた。特に森辺の狩人などは、あるだけ持ってこいと言わんばかりの様相だ。やはり『ギバ・カツ丼』で使ったシャスカだけでは、炭水化物の摂取が物足りなかったようであった。


「このシャスカ、汁物料理とも、調和するのであるな。我、感銘、甚大である」


 アルヴァッハも、満足そうに息をついている。

 それを横目に雑炊をかきこんだ俺は、ただちに食後の菓子に取りかからなくてはならなかった。


「それでは最後に、菓子をお出しいたします。最後までご満足いただけたら、幸いです」


「そっか、菓子もあったんだよな。また何か、俺たちの知らない菓子なのか?」


 行きがけに、ルド=ルウがそのように問うてきた。籠の中に収まっていた菓子を小皿に取り分けながら、俺は「うん」と応じてみせる。


「似た感じの菓子はあったけど、ルウの人たちには初めてのはずだね。ゴヌモキ巻きが嫌いじゃなければ、気に入ると思うよ」


「へー。だったら、大丈夫だな!」


 はしゃいだ声をあげるルド=ルウには、リミ=ルウが小皿を届けていた。


「それじゃあ、これがルドの分ね! リミも今日、作り方を教えてもらったから、明日ジバ婆に作ってあげるんだー!」


「ふーん? 確かにあの、ゴヌモキ巻きってやつとそっくりだなー。ゴヌモキの葉には巻かれてないけどよー」


 ゴヌモキ巻きと似て異なる、それは大福餅であった。

 食後のデザートであるので、ほとんどひと口サイズであるが、3種の味を準備している。それを区別するために、ひとつには赤い印が、もうひとつには黒い印が、頭にぽつんとつけられていた。


「ゴヌモキ巻き、婚儀の祝宴、出された、菓子であるな。この菓子、どのように、異なるのか?」


 配膳を済ませた俺が着席すると、アルヴァッハがさっそくそのように問うてきた。


「基本の部分は、ゴヌモキ巻きと変わらない菓子です。ただ、生地の仕上げ方がいくぶん異なっています」


 ゴヌモキ巻きは炊いたシャスカを餅にして、餡をくるんだ上で、さらに蒸している。

 しかしこの大福餅は、生のシャスカを乾燥させたのちに、挽いて粉にして、それを水で練った上で、熱を通しているのだ。

 俺がそのように説明すると、アルヴァッハは「なるほど」とうなずいた。


「ならば、食感、風味、異なるのであろう。仕上がり、楽しみである」


「はい、お気に召したら、幸いです。赤い印はアロウ入りで、黒い印はギギの味となります」


 もちろんこのサイズではアロウの実をまるまる入れることはできないので、切り身の砂糖漬けをブレの実のあんこでくるんでいる。

 ギギ味は、言わずと知れたチョコ餡だ。これはトゥール=ディンが、こしあんとチョコのブレンドに挑戦した意欲作であった。

 残るプレーンの大福餅は、言わずと知れたつぶあんだ。すでに試食を済ませている俺は、3種の仕上がりに優り劣りはないと判じていた。


 俺の体感としては、ゴヌモキ巻きよりも大福餅のほうが、やわらかい食感となっている。

 ゴヌモキ巻きのほうが弾力性にとんでおり、シャスカ本来の風味が強い、といった印象であろうか。


 そして大福餅は、片栗粉のごときチャッチ粉をまぶした手で成形しているので、生地にもそれが混入している。それがまた、若干歯切れのよさをうながしているように感じられた。

 また、生地が器にひっつかないように、最終的には大福餅の本体にもチャッチ粉をまぶしているのだ。それもゴヌモキ巻きとの小さからぬ相違であった。


「おお、これは美味だね! 確かに婚儀の祝宴でも、似たような菓子を食した記憶があるけれど……うん、少しばかり、噛み応えが違うのかな? とにかく、美味だよ!」


 さしあたって、ポルアースはご満悦の様子であった。

 木串で刺したプレーンの大福餅を口に運んだマルスタインは、「ふむ」とうなっている。


「これは、不思議な食感だ。これもまた、シャスカであるのだな?」


「はい。シャスカを餅という形状に仕上げています。以前にお出ししたチャッチ餅とは、ずいぶん異なる仕上がりやもしれませんが」


「チャッチもち……ああ、あの半分透けているような、不可思議な菓子か。うむ、あの菓子はこのように粘ついたりはしなかったし、するすると咽喉を滑っていくような食べ心地であったな」


 そのように述べてから、マルスタインは大らかに微笑んだ。


「しかし、この菓子も美味である。そして、不可思議だ。これもまた、アスタの伝えた技で、トゥール=ディンのこしらえたものであるのだろうか?」


「はい。そして手伝いをしてくれたのは、リミ=ルウです」


「見事だな。またエウリフィアが、茶会がどうのと騒ぎそうな頃合いだ」


 そういえば、ここ最近は茶会もご無沙汰であったような気がする。そんな風に考えながら、こっそりエウリフィアたちのほうを振り返ると、そこには無表情で口を動かしているオディフィアとそれを見守るトゥール=ディンの姿があった。


「……いかがですか、オディフィア?」


 トゥール=ディンが問いかけると、オディフィアは無言でうなずいた。その可憐な唇を閉ざしたまま、しきりに大福餅を噛んでいる様子である。


「うなずくだけじゃあ、わからないでしょう? きちんと言葉でお伝えなさい、オディフィア」


 エウリフィアがうながしても、オディフィアの様子は変わらない。どうやら、せっかくの菓子を呑み込むことを惜しんでいるようだった。


「まったく、困った子ね。……でも、オディフィアの気持ちは伝わっているかしら?」


「はい、もちろんです」


 俺の位置からはトゥール=ディンの背中しか見えなかったが、その声には大いなる喜びの気配がにじんでいた。

 いっぽうオディフィアは、灰色の瞳でトゥール=ディンの姿をじっと見つめている。すぐかたわらのトゥール=ディンであれば、きっとその瞳にきらめく光を見て取ることもできるのだろう。


 それらの姿を見届けてから、俺は視線を引き戻した。

 それと同時に、重々しい声音を頭上から降り注がれた。


「きわめて、美味である。どの菓子も、調和、見事であった」


「ありがとうございます。そういえば、ギギの葉を使った菓子をお出しするのは初めてでしたね」


「うむ。ギギの風味、強く感じられた。しかし、どのような細工、為されていたのか、不明である。神秘、評したい」


 ギギの葉でチョコレートをこしらえたあげく、今回はこしあんとブレンドさせているのだ。ゲルドにおいてもギギの葉が茶にしか使われていないならば、確かに驚愕のひと品であるのかもしれなかった。


「大仰、言葉、避けたいが……確かに、神秘である。シャスカ、ギギの葉、どちらも、シムの食材であるのに、まったく知らない味、完成されている」


 と、ナナクエムまでもが、そのように言いだした。

 紫色をしたその瞳が、覗き込むように俺を見つめてくる。


「アスタ、ひとつ、聞きたいのだが……我々、シャスカ、このような細工、可能であろうか?」


「はい、もちろん。手順はさきほど説明した通りですので、よろしければ細かい分量などもお教えしましょうか?」


 すると、俺とナナクエムの間をふさぐように、アルヴァッハが巨体を乗り出してきた。


「それら、秘匿、必要では? 料理人、知識、財産であろう?」


 いつぞやの、ヴァルカスと同じような台詞である。

 しかし俺は、「いえ」と首を振ってみせた。


「シャスカの美味しい食べ方に関しては、もともとジェノスの貴き方々から依頼されて考案したという面があるのです。あの、粒のまま仕上げる調理法に関しても、城下町では公表されているのですよ」


「では……ジェノス、財産では?」


 アルヴァッハとナナクエムの視線が、同時にマルスタインへと向けられる。

 大福餅の最後の1個に手をつけたところであったマルスタインは、それを呑み下してから微笑んだ。


「食材の普及に関しては、ポルアースたちに任せている。そちらで確認をお願いしたい」


「はい。粒のまま仕上げるシャスカの調理法は、書面にて城下町の料理人たちに通達されております。このもちという菓子の作り方も、公表してくれるのかな?」


「はい。ただし、この餅というのは非常に粘り気が強いため、俺の故郷では咽喉に詰まらせて亡くなられる方がたくさんいました。その危険性を十分に考慮した上で、通達をお願いしたく思います」


「では、のちほど書記官に筆記させていただこう。そして、その内容をゲルドの方々にお教えすることに関しては……僕は補佐官ですので外務官の了承を取らなければなりませんが、もちろん問題はないでしょう。シャスカの新たな調理法がゲルドに知れわたったところで、ジェノスの害にはならないでしょうからね」


 ポルアースの言葉に、ゲルドの両名は一礼した。無表情なので判然としないが、何となく浮き立っている様子である。


(シャスカの原産地の人たちにこんなに喜んでもらえるなんて、光栄なことだな)


 これがジェノスとゲルドの絆を深める一助になれば、幸いである。

 そんな風に考えながら、自分も大福餅を味わわせていただこうと手をのばしかけた俺は、そこで音もなく勃発していた視線の交錯に気づかされることとなった。


 フェルメスが、俺のことを見つめている。

 そして、そんなフェルメスのことを、アイ=ファがねめつけている。

 フェルメスの瞳にはうっとりとしているような光がたたえられており、アイ=ファの瞳には刺すような光がたたえられていた。


「えーと……俺に何か、ご用事でしょうか?」


 のばしかけていた手をひっこめて問うてみると、フェルメスは夢から覚めたように微笑んだ。


「ああ、いえ……アスタの故郷とはどのような土地であるのだろうと、ぼんやり考えていただけのことです。料理を咽喉に詰まらせる事故が多発していたなんて、それは由々しき話ですね」


「はい。餅はやわらかいので、簡単に呑み込めそうだと錯覚しやすいのかもしれません。今日準備したこの菓子なんかは、薄い生地として使っているので、そういう恐れもないはずですが、とにかく取り扱いには十分な注意が必要だと思われます」


「そうですか」と前髪をかきあげながら、フェルメスはヘーゼルアイをまぶたの裏に隠した。

 俺が「故郷」と口にしただけで、フェルメスは忘我の状態に陥っていたのだろうか。そうであるならば、ずいぶん過敏な反応である。

 そして、フェルメスに対するアイ=ファの反応も、やはり過敏だ。あちこちで絆が深められているこの場において、両者の関係性はいっこうに改善の兆しも見られなかった。


「森辺の料理人、手腕、見事である。……レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、そして、トゥール=ディン、言葉、伝えたく思うが、どうであろうか?」


「あ、はい。それではひとまず、俺たちが席を移動しましょうか。まずはレイナ=ルウとシーラ=ルウをお呼びいたします」


 ちょうどいい冷却期間になるだろうと思い、俺はアイ=ファとリミ=ルウをうながして立ち上がった。

 レイナ=ルウたちのほうに向かいながら、俺はこっそりアイ=ファに呼びかける。


「おい、大丈夫か、アイ=ファ? ずっとフェルメスと近くの席で、気が休まらなかったんじゃないか?」


「そのようなことはない。あやつも余計な口を叩かぬよう、あやつなりに自重していたのであろうからな」


 そんな風に答えながら、アイ=ファは唇をとがらせかけている。

 それを見上げながら、リミ=ルウは「あはは」と笑っていた。


「あの人、アスタのことばっかり気にしてたもんねー。なんか、婿取りを願ってる女衆みたいだったー」


「え、そうなのかい? 俺はそれほど、フェルメスの視線を感じたりはしなかったんだけど……」


「うん。アスタが他の人とおしゃべりしてるときとかも、ずっとちらちら見てたよー? あの人、ほんとにアスタのことが大好きなんだね!」


 そんな風に言ってから、リミ=ルウはアイ=ファの手を引いた。アイ=ファが小首を傾げつつ身を折ると、その耳もとに囁きかける。


「でも、アスタが好きなのはアイ=ファだから、大丈夫だよ」


 そんな言葉が、うっすらと聞こえてきた。

 アイ=ファは顔を真っ赤にしながら、リミ=ルウの頭をわしゃわしゃとかき回す。リミ=ルウは楽しそうに「きゃー」と声をあげていた。


 ともあれ、返礼の晩餐会も終わりが近づいている。

 多くの人々にとって、これは実り豊かな時間であったことだろう。

 アルヴァッハたちが帰国してしまうのは名残惜しいところであるが、遠からぬうちにまた来訪してくれるというならば、その日を心待ちにさせていただきたく思う。


 シルエルの率いる《颶風党》は、許されざる大罪を犯したが――それでもその中から、このように大事な絆が芽生えることもありえるのだ。俺は心から、その運命の妙を喜ばしく思うことができた。

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