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異世界料理道  作者: EDA
第四十三章 傀儡使いと老剣士
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返礼の晩餐会①~下準備~

2019.5/6 更新分 1/1 ・5/18 誤字を修正

・今回の更新は全9話です。

 藍の月の21日、俺たちは再び城下町に向かっていた。

 リコたちとともに城下町まで出向いたのは、つい3日前のことだ。このように短いスパンで、俺たちが城下町まで呼び出されたのは、ついにゲルドの貴人たちの帰国の日取りが決まったゆえであった。


 もともとアルヴァッハは、ゲルドから届けられる食材の見本品が到着するまでジェノスに滞在したいと言い張っていたようであるが、もうひと月もせぬうちに、太陽神の復活祭が始まってしまうのだ。ゲルドの藩主――つまりはアルヴァッハたちの父親も、復活祭のさなかに食材を届けようとは考えないだろう。それならば、アルヴァッハたちもひとまず帰国するべきであるという風に、話は落ち着いたようだった。


「やはり復活祭というものは、家族とともに過ごすべきであるからね。アルヴァッハ殿などはたいそう名残惜しそうにしていたけれども、ナナクエム殿が何とか説き伏せたようだ」


 ポルアースは、そのように言っていたらしい。

 で、おふたりが帰国する前に、俺を始めとする森辺のかまど番に晩餐を準備していただきたいと、そんな依頼が舞い込むことになったわけである。


 ただし、依頼主はジェノスの貴族たちではなく、ゲルドの貴人たちである、とのことであった。これまで自分たちを歓待してくれたジェノスの人々に返礼をほどこすために、森辺の民の力をお借りしたいと、つまりはそういう話であったのだ。


「ついては、森辺の族長筋の方々と、婚儀の祝宴に招いてくれたリリンの両名にも、参席を願いたいそうだよ。まあ、森辺の人々に返礼するのに、森辺のかまど番たちに料理を準備させようというのは、いささかおかしな話であるように思えてしまうけれども……ともあれ、ジェノスはセルヴァの代表として、ゲルドの人々と正しい縁を紡がなくてはならない立場であるからね。どうか、協力をお願いするよ」


 俺が受け取った伝言は、以上である。

 もちろん俺としても、異存などはあるはずもない。族長筋の人々のみならず、リリンの両名まで招いてもらえるなんて、望外の喜びというものであろう。俺としては、自分の料理をシュミラル=リリンたちに食べてもらえるだけで、心も弾もうというものであった。


「今日はオディフィアも招待されるらしいからね。トゥール=ディンも、腕のふるい甲斐があるだろう?」


 行き道の車中で俺がそのように呼びかけると、トゥール=ディンはとびきりの笑顔で「はい」と応じていた。なんだかんだ、オディフィアと顔をあわせるのは仮面舞踏会以来であるのだ。間にリリン家の婚儀やゲルドの貴人たちの来訪などをはさんでいるためか、それもずいぶん昔の話のように感じられてならなかった。


 日取りはこちらの都合に合わせるとのことであったので、休業日である本日に定めさせていただいた。顔ぶれは、俺、トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、リミ=ルウというもので、護衛役はアイ=ファとリャダ=ルウだ。族長筋およびリリンの両名は、夕刻に城下町を訪れる手はずになっていた。


 ちなみに現在も、リコたちは傀儡の劇の準備を着々と進めている。今日などは、スンの集落まで出向いており、ゆくゆくはザザやサウティや宿場町の人々にも話を聞いて回るつもりだと言っていた。森辺とジェノスを見舞った騒動の裏事情を知れば知るほどに、リコは創作意欲を増大させている様子なのである。


「ねえねえ、アスタやアイ=ファのお人形は、まだ出来上がってないの?」


 と、アイ=ファの隣に陣取ったリミ=ルウが、そのように声をあげている。

 アイ=ファはさして関心もなさそうに、「うむ」と応じていた。


「まずはどのような筋書きにするのかを決めなければ、傀儡の準備をすることもままならぬそうだ。我々が思っている以上に、難儀な仕事であるようだな」


「そっかあ。どんなお人形になるか、楽しみだねー! リミもアイ=ファのお人形が欲しいなあ」


 ルウ家の広場で傀儡の劇を観賞して以来、リミ=ルウはすっかり夢中になっているようだ。まあ、初めて目にした人形劇であったのだから、カルチャーショックも甚大であったのだろう。リコたちの見事な手腕を考えれば、それも無理からぬ話であった。


 いっぽう、まだそれを目にしていないユン=スドラやトゥール=ディンたちは、未知なる傀儡の劇に対する好奇心を膨らませている様子である。俺の物語が完成したあかつきには、かなりの人数が鑑賞を希望してきそうなところであった。


 そうしてトトス車は、やがて目的の場所に到着する。

 本日はいつもの貴賓館ではなく、茶会でよく使われる白鳥宮なる小宮であった。貴賓館はジャガルからの客人が多く腰を落ち着けているために、摩擦を避けるためにこの場所が選ばれたのだそうだ。


 まずは浴堂で身を清めて、しかるのちに厨へと向かう。

 その場所には、頼んでいた通りの食材がどっさりと準備されていた。銅貨に糸目はつけないという話であったので、俺も遠慮なく注文を出させていただいたのだ。それらの食材の山を見回しながら、ユン=スドラはしみじみとつぶやいていた。


「ゲルドの人々というのは、ずいぶん豊かな生活を送っているようですね。山の民などと呼ばれているので、わたしはもっと狩人めいた一族を想像していました」


 下ごしらえの準備を進めながら、俺は「そうだね」と応じてみせる。


「もともとは、それなりに苦しい生活であったようだよ。何せ、ラオの一族に肥沃な領土を受け渡して、北方に追いやられた立場であったわけだからさ。でも、持ち前の強靭さで新たな領土を切り開いて、さらに銀や鉄の鉱山を発見するに至って、また力を盛り返したみたいだね」


 それももう、100年単位で昔の話であるのだろう。聞くところによると、彼らは山の中で暮らしているのではなく、山に囲まれた盆地に住処を定めて、そこに田畑も切り開いているようだった。

 もちろん周囲の山々も彼らの領土であるので、そこからも豊かな恵みを得ることができている。ギャマの放牧なども、そちらでは山中で行われているのだそうだ。それをつけ狙う、ムフルの大熊なる凶悪な獣とも対峙しつつ、日々を過ごしているらしい。俺としては、豊潤にして苛烈なる生活という印象であった。


(まあきっと、森辺の民が森の恵みを収穫することや、田畑を切り開くことを許されていたら、同じような生活になっていたんだろうな)


 森辺の民もゲルドの民も、故郷を追われたという部分は一致しているのだ。そこで新たに見出したのが、すでに王国の領土と定められていたモルガの森か、完全に手つかずの山々であったか、そういった違いが道を分けたということなのだろう。ゲルドの人々が故郷を追われたのは数百年前で、森辺の民は80余年前、という時代性の違いも絡んでくるのかもしれなかった。


(ほんの200年前までは、モルガの森もジェノスの領土ではなかったんだもんな。もしもその頃に、森辺の民がモルガの森に移り住んでいたら、どうなっていたんだろう。森のすぐ外には、自由開拓民の集落があったはずだし……やっぱり、そうすんなりとはいかなかったのかな)


 とまあ、そんな妄想を喚起されるぐらいには、俺もゲルドの在りようというものに感銘を受けていた。西の民とも南の民とも、同じ東の民であるジギの草原の民とも異なる、彼らは特殊な存在であり――そして、どこか森辺の民に通ずる勇猛さと清廉さをあわせ持っているように感じられてならなかったのだった。


 もちろん俺は、西の民にも南の民にも、強い好感を抱いている。というか、彼らは俺にとって馴染みの深い、町の人間であったのだ。俺がすんなりと順応できるのは、本来そちら側であるはずだった。

 だから、俺が森辺の民やゲルドの民に抱くのは、自分とは異なる存在に対する、憧憬と畏敬の念であるのだろう。そして、森辺の民に対しては、こんな俺を受け入れてくれたことに対する感謝と誇らしさ――そんな気持ちが、俺の核にはあるはずだった。


(森辺の民のひとりとして、ゲルドの人たちと縁を紡ぐことができる。それが俺には、嬉しくて誇らしいんだろうな)


 そんな思いを胸に、俺は仕事を進めていった。

 今日も品数はそれなりであったので、作業の分担はけっこう厳密に定めている。前半の下ごしらえではペア制を敷いており、俺の相方はマルフィラ=ナハムであった。


「そういえば、デイ=ラヴィッツもシャスカを菓子に使うことを認めてくれたみたいだね」


 俺がそのように呼びかけると、マルフィラ=ナハムは目を泳がせながら、うなずいた。


「は、は、はい。ア、アスタのご提案通り、まずはギバ料理でもちを使い、それから菓子へと転じたようです。ゴ、ゴ、ゴヌモキ巻きの菓子に関しても、デイ=ラヴィッツはたいそうお気に召したというお話でした」


「うん。ラヴィッツの人たちから、そう聞いてるよ。デイ=ラヴィッツに喜んでもらえて、何よりだったね」


 研修生の4名は、いまでも毎日出勤しているので、そういった話も逐一報告されていたのだ。いっぽうマルフィラ=ナハムは1日置きの出勤であるので、昨日は顔をあわせていなかった。

 そこで俺は、別なる案件を思い出すことになった。


「そういえばさ、見習いの4人ももうしばらくしたら、普通に働けるようになると思うんだ。そうなったら、こちらも当番の日取りを考えなおさないといけなくなるんだよね」


「あ、は、はい。こ、今後は12名の人間が日替わりで働くようになるのですものね。そ、そ、それを均等に割り振るのは、何だかとても大変そうです」


「うん。それに、リリ=ラヴィッツの当番は減らすように申しつけられているからさ。完全に均等っていうわけでもないんだよね」


「な、な、なるほど。ま、ますます大変そうですね……」


 語尾が、だんだん弱々しくなっていく。小心なのか豪胆なのかよくわからないマルフィラ=ナハムには、珍しい現象だ。もともと下がり気味である肩も、いっそう傾斜をきつくしているように感じられた。


(ということは、俺の申し出を喜んでもらえるんだろうか)


 そんな風に考えながら、俺は切り出してみた。


「それでさ。実は、マルフィラ=ナハムに相談があるんだけど」


「は、は、はい。な、何でしょう……?」


「もちろんこれは、デイ=ラヴィッツやナハムの家長に申し出ないといけない話なんだけど、その前にマルフィラ=ナハム本人の気持ちを確認しておきたいんだ」


 てきぱきと作業を進めながら、マルフィラ=ナハムはあたふたと目を泳がせている。まあ、彼女であれば手もとを狂わせることもなかろうと思い、俺はその言葉を口にした。


「もしよかったら、マルフィラ=ナハムには毎日出勤してもらえないかな?」


「ええええええっ!?」


 マルフィラ=ナハムは、寝起きのホトトギスみたいな声で雄叫びをあげていた。

 ユン=スドラたちはびっくりまなこで振り返り、壁際に待機していたアイ=ファは強めの視線を差し向けてくる。


「仕事の最中に、何という声を出しているのだ。扉の外のリャダ=ルウや衛兵たちが何事かと思うではないか」


「も、も、申し訳ありません! で、ですが、あまりに驚いてしまったもので……ア、ア、アスタは本気でそのようなことを仰っているのですか?」


 そんな風に問いかけてくるさなかも、マルフィラ=ナハムの手は的確に仕事を進めていた。主人の当惑などおかまいなしで、腕だけが作業に従事しているかのような様相である。


「うん、冗談でこんなことは言わないよ。それには、ひとつ事情があってね」


 その事情とは、ヤミル=レイに関してであった。

 ルウ家の屋台においては今後、すべてのかまど番が1日置きか5日置きに出勤することになる。それを耳にしたヤミル=レイが、自らの出勤状況も一考してくれないかと言い出してきたのだ。


「トゥール=ディンが自分の屋台を取り仕切るようになった今、ファの屋台で毎日仕事を果たしているのは、ユン=スドラとわたしだけなのよね。ユン=スドラはアスタの右腕のようなものなのでしょうからかまわないけれど、いつまでもわたしが毎日出張る必要はないのじゃないかしら?」


 ヤミル=レイは、そのように言っていた。


「俺の側には、ヤミル=レイの当番を減らす理由はありません。でも、ヤミル=レイの側に何か事情があるのでしたら、もちろん考慮させていただきます。何か、当番を減らしたい事情でも生じたのでしょうか?」


 俺がそのように反問すると、ヤミル=レイは深々と息をついたのち、正直に告白してくれた。


「うちの家長は、わりあい早起きなほうなのだけれどね。わたしが商売に出向いた後は、中天まで退屈だ、と最近うるさくなってきたのよ。わたしにファの屋台で働けと命じたのは自分なのに、ふざけた話でしょう? だから、それを少しでも大人しくさせたいというのが、正直なところね」


「なるほど。まあ、ヤミル=レイもかまど番としては、もう申し分のない腕前ですもんね。ラウ=レイとしても、当初の目的は十分に達せられた、といったところなのでしょうか」


 そんなやりとりを経て、俺は今回の話を思いついたわけである。


「ヤミル=レイもそこまで極端に日数を減らすわけじゃなくって、毎日出勤だったのを1日置きか2日置きにするぐらいなんだけどさ。俺は前々からマルフィラ=ナハムにもっと出勤してもらいたいと考えていたから、これが頃合いなのかなと思い至ったのさ」


「そ、そ、そうだったのですか……わ、わたしはてっきり、リリ=ラヴィッツとともに当番を減らされるのではないかと考えていました……」


「え、どうして? もちろん手伝いをしてくれる人間が4名も増えるんだから、ひとりずつの出勤日数はどうしたって減ってしまうけれど、マルフィラ=ナハムの当番をことさら減らす理由はないだろう?」


「で、で、ですが、ラヴィッツの血族は他の氏族よりも、多くの人間を使ってもらっています。あ、あ、新しく仕事を覚えた3名は、しっかりと日数をこなす必要があるでしょうし……そ、それなら、わたしが減らされるのではないかと……」


 マルフィラ=ナハムは、動揺の極みといった様子であった。

 しかし、その指先は変わらずに仕事を進めている。


「確かに、そういう考えもあるかもしれないね。でも俺は、マルフィラ=ナハムにもっと腕を磨いてほしいと思っているんだ。だから、いま以上に当番の日数が減ってしまうことが忍びなくなってしまったんだよね」


「は、は、はい……」


「それともうひとり、俺はマトゥアの彼女にも同じお願いをしようと考えてるんだ。彼女とマルフィラ=ナハムが、ユン=スドラやトゥール=ディンみたいに、近在の氏族のかまど番の代表格になってくれたらいいな、と考えているんだよ」


 森辺の中央区域に住まう小さき氏族は、おおまかに3つのグループに分類することができる。ファ、フォウ、ラン、スドラ、ディン、リッドを中心に考えると、北側にラヴィッツ、ナハム、ヴィン、ミーム、スン、南側にガズ、マトゥア、ラッツ、アウロ、ベイム、ダゴラが、比較的近在に家を構えているのだ。合同で収穫祭を行う場合も、その3つのグループで分かれるのが妥当ではないかとされていた。


「そうしたら、マトゥアの彼女やマルフィラ=ナハムが合同収穫祭で取り仕切り役を担うこともできるだろう? そういったことも踏まえた上で、ふたりには日替わり当番と別枠で毎日働いてもらいたいなと考えたのさ」


 マルフィラ=ナハムが、かたりと調理刀を置いた。

 その瞳が、俺に真っ直ぐ視線を定めてくる。


「て、て、手もとが狂いそうであったので、いったん刀を置かせていただきました。……ほ、ほ、本当にわたしなんかに、そのような大役を任せてくださるのですか?」


「うん。むしろ、マルフィラ=ナハムやマトゥアの彼女がいなかったら、そんな話も思いつかなかっただろうと思うよ」


「あ、あ、ありがとうございます。こ、こ、心から光栄に思っています」


 そう言って、マルフィラ=ナハムはぎこちなく微笑んだ。


「わ、わ、わたしは当番を減らされるのだろうと考えていたので、な、何だか天にものぼるような心地です。も、も、もしも家長やデイ=ラヴィッツが、それに反対されるようでしたら……わ、わ、わたしも何とかして、説得にあたりたいと思います」


「へえ、マルフィラ=ナハムがそんな風に言うのは、珍しい気がするね」


「は、は、はい。で、でも、こんなにありがたいお話を断ってしまうなんて、わ、わたしには我慢がならないのです」


 マルフィラ=ナハムの澄みわたった瞳には、喜びの光がくるめいているようだった。

 彼女の眼差しをこんなに長時間、真正面から見ていられるなんて、普段はなかなかありえないことである。


「わ、わ、わたしなどがどれだけアスタのご期待に応えられるかは、き、きわめて覚束ないところですが、ち、力を尽くして励みたいと思います」


「うん、ありがとう。そんな風に言ってもらえたら、俺も嬉しいよ」


 マルフィラ=ナハムは深々と一礼すると、調理の仕事を再開させた。


「と、と、ところで、アスタの仰るマトゥアの女衆とは、レイ=マトゥアのことで間違いありませんよね?」


「ああ、うん、そうだよ。マルフィラ=ナハムは名前を知らないかと思ったけど、よく考えたら俺なんかよりよっぽど記憶力がいいんだったね」


「と、と、とんでもありません。た、ただ、覚えやすい名前ではあるのでしょうね」


「そうだねえ。彼女のおかげで、俺は森辺の氏と名前の習わしを知ることができたよ」


 森辺における、氏と名前の習わし。それはもちろん、マトゥアの彼女が俺のよく知る「レイ」の氏を名としていることが、その習わしを知るきっかけであった。

 彼女、レイ=マトゥアとレイの氏族は、一切関係がない。もともと森辺の氏というのは、ファーストネームでも使われているものであるという話であったのだ。


 そしてここからが独特な習わしであるのだが、もともと「レイ」というのは男性名であったらしい。

 それが、「レイ」という氏族が生まれたのちは、女性名に変じるのだそうだ。


 では、氏族が生まれるというのは、どういうことか。

 一例をあげてみると、ザザの眷族たるジーンである。

 80余年前、モルガの森辺に移り住んで以降、新たに生まれた氏族はジーンのみであるとされていた。ザザの家人が増えたために、いくつかの分家を新たな眷族「ジーンの家」として独立させたのだそうだ。


 その時代の、最初の家長がジーン=ザザであった。

 新たな眷族は、最初の家長の名を氏とする習わしであったのである。

 新たな眷族に割り振られた人々は、全員がジーンの氏を授かることになる。ジーン=ザザの場合は、ジーン・ザザ=ジーンとなるらしい。


 で――その瞬間から、ジーンという名を男児につけるのは禁忌とされ、女児にのみつけることを許されるようになるという話であったのだった。

 ちなみに、ジーンの家が滅んだのちは、またその名も女性名から男性名に変じるらしい。どうしてそのような習わしが生まれることになったのかは、ジバ婆さんですら記憶にないとのことであった。まあおそらくは、同じ名を持つ氏族が生まれないようにするための配慮なのであろうとのことである。


 そうすると、女児であれば「ルウ=ルウ」だとか「レイ=レイ」だとか名づけてもよいのか、という話になってくるが、それは習わしでやんわりと忌避されているらしい。基本的に、血族の氏は名でつかわないのが礼儀であるという話であった。

 逆に言うと、血族でなければ、自由に名づけることが許されている。もしかしたら俺の知らないところで、「ルウ」や「スン」や「ファ」という名を持つ女衆が存在する可能性もあるのだった。


 そこで俺は、腑に落ちたものである。

 サウティの眷族には、フェイという氏族が存在するのだ。

 フェイ=ベイムはその氏族と何かご縁のある身なのであろうかと、ちらりと考えたことがあったのだが、そのようなことはまったくなかった。ご縁がないゆえに、その名を自由に使うことができたのである。


 そして、もうひとつ。アイ=ファの母親は、メイ=ファという名であった。

 それに、かつてスフィラ=ザザとともにルウ家に滞在していた人物は、メイ・ジーン=ザザという名であった。

 で、前々回の家長会議で、家人が減少したために滅んだとされるラッツの眷族に、メイという氏族があったのだ。

 メイ家が存続している間は、「メイ」は女性名だった。しかし今後は、また男性名として使われることになる。つまりは、そういうことであるのだろう。


「まあとにかく、マルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアを毎日出勤させてもらえるかどうか、それぞれの家長と相談させてもらうからさ。それで了承をもらえたら、他の人たちの割り振りを考えてみようと思うよ」


「は、は、はい。どうぞよろしくお願いいたします」


 すると、作業台の向かいで仕事をしていたユン=スドラが、にこりと微笑みかけてきた。


「おふたりが毎日出られるようになったら、わたしもすごく心強いです。それに……正直に言うと、すごく刺激になります。マルフィラ=ナハムはまだ4ヶ月ていどしか働いていないし、レイ=マトゥアは13歳という若さなのに、とても優れたかまど番ですものね」


「と、と、とんでもありません。わ、わたしなんて、ユン=スドラの足もとにも及ばない未熟者ですから……」


「マルフィラ=ナハムに足りていないものがあるとしたら、場を取り仕切る力ぐらいのものでしょう。かまど番としての腕で言ったら、トゥール=ディンに続くのはマルフィラ=ナハムだと思います」


 それは俺も、同感であった。この4ヶ月ほどで、ついにマルフィラ=ナハムはユン=スドラをも超えた感があったのだ。

 しかし、彼女たちは同世代で、まだまだ伸びしろは残されている。今後も切磋琢磨して、さらなる勇躍を期待したいところであった。


(……って言っても、俺だって2歳しか変わらないんだけどな)


 ユン=スドラも先頃に生誕の日を迎えて、16歳となっている。最初に出会った頃から1年と少しが過ぎて、おたがいにひとつずつ年を取ったのだ。

 ユン=スドラは1年ほどで、マルフィラ=ナハムは4ヶ月ほどで、これだけの手腕を身につけることができた。きっと彼女たちは、レイナ=ルウやシーラ=ルウやトゥール=ディンのように、血族のかまど番を導くような存在になりうることだろう。レイ=マトゥアも、それは然りだ。俺としては、それを何より心強く、誇らしく感じていた。


「アスタ、こちらの下ごしらえは、完了しました」


 と、ユン=スドラとともに作業を進めていたトゥール=ディンが、報告してくる。


「了解。それじゃあリミ=ルウの手が空いたら、菓子の下ごしらえをお願いするよ。それが済んだら、またこっちに合流ね」


「はい。それでは、また」


 俺たちはユン=スドラと合流して、別なる料理の下ごしらえだ。

 レイナ=ルウたちのほうも、順調に作業は進んでいるようである。

 これだけのかまど番が顔をそろえていれば、きっと満足のいく料理を作りあげることができるはずだ。いまさらながらに、俺はそのような思いを噛みしめることになった。

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