城下町の会合②~王国の民として~
2019.4/22 更新分 1/1
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「今日までの間に、森辺の民はさまざまな方面に商売の手を広げております。ファの家のアスタによる屋台の商売を皮切りに、ルウとディンの屋台の商売、肉の市における生鮮肉の販売、城下町における生鮮肉および腸詰肉の販売――それに、懇意にしているいくつかの宿屋にも、生鮮肉とギバ料理を販売している、という話でありましたな。たった1台の屋台から始まった商売が、こうまで大きく実を結ぶというのは、実に目覚ましい成果でありましょう」
重ねられた書面をめくりあげながら、オーグはそのように言葉を重ねていった。
外交官フェルメスの補佐官であるオーグは、実に頑固そうな風貌をした壮年の男性である。南の民のように骨太の体格をしており、いつも額に気難しげな皺を寄せている。かつての仮面舞踏会においては鍛冶屋のような扮装をしていたが、それはこの御仁の風体にたいそうよく似合っていたものであった。
「森辺の民による商売がそこまでの成果をあげられたのは、ひとえにファの家のアスタの才覚と、そしてギバ肉の有する商品的価値にあるのでしょう。貧困にあえいでいた森辺の民が、真っ当な領民として生きていくための富を確保できるようになったのは、心からめでたきことであると思っております。では――王国の民として、分相応の富を確保できたからには、そろそろ次の段階に踏み込むべきではないでしょうかな?」
「次の段階?」と、ドンダ=ルウが反問する。
オーグは大きくうなずいてから、そちらを振り返った。
「それはすなわち、租税に関してでありますな。本日は、その一件に関して論じ合わせていただきたく思います」
「そぜい」と、今度は口の中でその言葉を繰り返して、ドンダ=ルウがガズラン=ルティムのほうを見る。
ガズラン=ルティムは、得たりとばかりに発言した。
「その取り決めに関しては、私も耳にした覚えがあります。町の人間は、稼いだ銅貨のいくらかを領主に支払っており、その代価として身の安全を守られている、とのことでしたね」
「民を守る兵団の運営というのは、数多く存在する政のひとつに過ぎませぬな。民を導くは領主の役割であり、領主を支えるのは民の役割であります。森辺の民とてジェノスの領民であるのですから、その責務といつまでも無縁ではいられますまい?」
オーグの目が、射るようにガズラン=ルティムを見る。
その視線をふわりと受け流して、ガズラン=ルティムはドンダ=ルウの耳もとに口を寄せた。
「つまり、町を町として維持するには、膨大な資金というものが必要になる、ということです。領主というのは町を維持するために働いており、領民はその働きに代価を支払っている、とも言えるのでしょう」
ガズラン=ルティムの声はそれほど潜められていなかったので、間にアイ=ファをはさんでいる俺にもぎりぎり聞き取ることができた。
「たとえば、町を守る衛兵たちです。衛兵たちが生きていくには、当然銅貨が必要となりますが、それはジェノス侯の管理するジェノスの町そのものから払われているのだと聞きます。領民がジェノス侯に銅貨を支払い、ジェノス侯がその銅貨を衛兵たちに受け渡す。簡単に言えば、そのようなものなのだと思われます」
「ふむ……」
「また、アスタたちの行っている屋台の商売ですね。屋台の置かれる場所は、雑木林が切り開かれて、平にならされています。その仕事を行ったのは、ジェノスの町に雇われた人夫というものであるようですが……その代価も、同じようにジェノスから支払われていたのでしょう。町という場を作るために、ジェノス侯を筆頭とする貴族たちは、力を尽くしているのです。税というのは、そういった貴族たちに支払われる代価であり、また、町を維持するのに必要な資金であるということですね」
俺とてガズラン=ルティムと、そこまで税に関して語り合った覚えはない。だからそれは、きっとガズラン=ルティムが町の人々と交流を深めるうちに得た知識であるのだろう。
その言葉に聞き入っていたドンダ=ルウは、やがて「なるほどな」と視線を上げた。
「おおよそは理解できた。ジェノスという領地を支えるには多くの銅貨が必要であり、ジェノスの領民に他ならない俺たちも、そのために代価を支払う必要がある、ということか」
「うむ。そもそも森辺の民は、森の恵みを収穫することや、森辺に田畑を作ることを禁じられていた。それゆえに、危険な生活に見合わぬわずかな富しか手にすることができなかったため、これまでは租税も免除されていたのだ」
そのように応じたのは、マルスタインであった。
その面に浮かぶのは、わずかに苦笑の気配をはらんだ微笑である。
「その議題については、次の三族長との会合で、メルフリードと話し合ってもらう予定でいた。しかしオーグ殿が、せっかくであるのだからその話も取り沙汰するべきだと言っておられてな」
「本日、議題の内容を伝えておけば、次の会合で決を取ることも難しくはありますまい。わたしとしては、復活祭が訪れる前に決着をつけるべきであると考えたまでであります」
不機嫌そうな表情のまま、オーグはそのように述べたてていた。
「それに、ミケル、マイム、バルシャ、ジーダの4名を森辺の家人として受け入れる可能性が生じたのならば、いっそうこの議題を早急に片付けるべきでありましょう」
「其方はさきほども、そのようなことを述べたてていたな。ミケルらの一件が、租税の一件とどのように関わってくるのであろうかな?」
マルスタインの問いかけに、オーグは眉間の皺を深める。
「そちらのミケルなる者は、あくまで森辺の集落の客分であり、トゥランに籍を残しております。それゆえに、現在でもトゥランの民として、租税を支払っている。それで相違はありませんな?」
「うむ。ミケルの身分はトゥランの民であり、炭焼き屋の働き手としての租税を支払っているはずであるな」
「ですが、ミケルが森辺の家人となれば、それらの租税も人頭税も免除されることとなります。それを聞きつけた者たちが、次から次へと森辺の家人になることを望んでしまったら、ジェノスばかりでなく王国の基盤を揺るがすことにもなってしまいましょう?」
マルスタインは、今度ははっきりと苦笑を浮かべた。
「森辺の族長らが、そのような者たちを同胞として受け入れるとは思えんが……しかしまあ、宿場町のユーミなる者も、森辺に嫁入りする可能性があると聞くしな。長い目で見れば、オーグ殿の言葉ももっともであるのだろう。とりあえず、話を続けていただこうか」
オーグは「はい」とうなずきながら、手もとの書面の束をせわしなくめくった。
「まずわたしが提示したいのは、屋台の商売に関してであります。その点において、ジェノス侯と我々は意見が分かれてしまっておりますのでな」
「うむ。生鮮肉や腸詰肉の販売はともかくとして、屋台の商売に関しては租税を課す法もない。森辺の民にだけ租税を課すというのは、道理が通るまい?」
「しかし、森辺の民の行っている屋台の商売は、他の屋台とその規模が掛け離れております。現在は……ファ、ルウ、ディンの3氏族が取り仕切り、合計で6つの屋台が、月に25日ていどの営業日、毎日数百食もの料理や菓子を売っておるのです。本来、ジェノスの宿場町の屋台というのは、宿屋の人間か、あるいは余所の領地から出向いてきた行商人が、不定期に商売をしているのみで、日の売り上げはせいぜい50食ていどと聞き及んでおります。森辺の民の行っている屋台の商売は、もはや酒場や料理店と同等の規模であると言えるのではないでしょうかな?」
一歩もひかじという熱意を見せて、オーグはそのように言い放った。
ドンダ=ルウは、「ふむ」と下顎を撫でさすっている。
「それで、俺たちはどれだけの銅貨をジェノスに支払えばいいのだろうか?」
「生鮮肉と腸詰肉の販売に関しては、収入の2割。屋台の商売に関しては、収入の1割というのが妥当でありましょうな」
オーグが、ぐっと身を乗り出した。
それを見返しながら、ドンダ=ルウは「了承した」と言い放つ。
「集落に戻ったら、すべての氏族に通達させてもらおう。生の肉や腸詰肉に関しては、すべての氏族が関わっている仕事なのでな」
オーグは、きょとんと目を見開く。
「あ、いや……それで異存はないのでしょうかな?」
「何か異存があらねばならんのか?」
ドンダ=ルウは眉をひそめつつ、居並ぶ貴族たちを見回した。
「俺たちは、どれだけの銅貨が妥当であるのかも知るすべはない。ジェノスの法にもとづいて、然るべき代価の額を提示してもらいたい」
「生鮮肉や腸詰肉に関しては、キミュスやカロンと同額であるな。しかしそれらは、いずれも飼育された獣の肉であるのだ」
マルスタインは、また苦笑気味の表情でドンダ=ルウを見返していた。
「其方たちは、生命をかけてギバ狩りの仕事に励んでいる。それをキミュスやカロンの肉と同列に扱っていいものかどうか、議論の余地はあろうな」
「議論といっても、俺たちにはそれを論じるすべもない。そもそもギバの肉の値段を定めたのも、そちらであるのだからな。そういった法を定めるのは、貴族の役割なのではないのか?」
「それを言われると、苦しいところだ。しかし、其方たちは誇りをもってギバ狩りの仕事に励んでいるのであろう? 誇りある仕事には、然るべき代価が必要だとは思わぬか?」
ドンダ=ルウは、その双眸にゆらりと青い炎を瞬かせた。
「ギバの肉に銅貨1枚の価値もない頃から、俺たちは同じ誇りを抱いて生きてきた。たとえこの先、ギバの肉を売ることを禁じられようとも、俺たちの思いに変わりはない。銅貨のもたらす豊かな暮らしには大きな意味があろうとも、それで狩人の誇りが左右されるものではない、と言っておこう」
「そうか。いささか言葉を間違えってしまったようだな。わたしはただ、ようやくその仕事に相応しい豊かさを得ることになった其方たちから、富を奪うのは忍びないと思ったまでであるのだ」
そう言って、マルスタインはゆったりと微笑んだ。
「それにまた、生鮮肉や腸詰肉などの販売を始めてから、まだそれほどの時間が過ぎたわけでもない。この段階で、通常と変わらぬ租税を課すのは、いささか時期尚早なのではないか、という思いもある。そういった話を、其方たちと論じたかったのだよ」
「ふん。それを論じるのは、俺の仕事ではないようだ」
ドンダ=ルウがふんぞり返って、ガズラン=ルティムとアイ=ファの背中ごしに、強い視線を送ってきた。
族長の勅命に従って、俺は「はい」と声をあげてみせる。
「税率や、課税の時期などに関しては、やっぱりそちらにおまかせしたいと思います。ただ、そろそろ頃合いなのではないか、という思いは、俺もひそかに抱いていました」
「ほう。何故にアスタが、そのような思いにとらわれることになったのであろうかな?」
「俺も最近、宿屋の商会の寄り合いというものに参加させてもらっているのです。いまのところ、商会のみなさんもおおよそはわけへだてなく、森辺の民に接してくれているのですが……オーグ補佐官の仰る通り、自分たちの屋台は他の屋台と比べて、莫大な売り上げを叩き出しています。屋台1台ずつに換算すれば、せいぜい倍ぐらいの額であると思うのですが、ファの家は3台、ルウの家は2台の屋台を出していますからね。屋台の賃料や場所代などはささやかなものであるのですから、純利益の格差はかなりのものでしょう。それがいずれは、他のみなさんに疎まれる原因になってしまうのではないか……という思いがあったのです」
俺は、正直な気持ちを述べてみせた。
「森辺の民はこれまで、不遇な生を強いられていたと思います。こちらがそれを不遇とは思っていなかったとしても、他の領民よりも規制の多い生活であったことは事実でしょう。ジェノスの貴き方々はそれを慮って、こうして正しき道を模索してくださっているかと思うのですが……その手心を間違うと、逆差別を生んでしまうことになると思うのですよね」
「逆差別というと……森辺の民が不当に優遇されている、という思いを、他の領民に与えてしまうことか」
「はい。ただでさえ森辺の民は、城下町の祝宴に招かれたり、森辺の祝宴に貴き方々をお招きしたりと、いささか特殊な立場を築きつつあります。俺自身は、城下町の方々と絆を深められることを、心から嬉しく思っているのですが……そうであるからこそ、決しておかしな誤解を招きたくはないと願っているのです」
「うむ。次の機会にはオディフィアも森辺の祝宴に招いてもらわないことには、収まりがつかぬ様子であるからな」
マルスタインは笑いを含んだ視線を子息に差し向けたが、メルフリードは冷徹なる無表情でそれを跳ね返していた。その代わりに声をあげたのは、ポルアースである。
「僕も課税の実施に関しては、賛成の立場を取っております。領民が求めるのは平等さであるでしょうからね。森辺の民とその他の領民たちが正しい絆を紡いでいくためにも、どちらか一方を優遇するような措置は不適当だと思われます。森辺の民には地代も人頭税も課せられていないのですから、商売に対する租税ぐらいはきっちり課すべきだと思うのです」
そう言って、ポルアースは朗らかに微笑んだ。
「またそれは、ギバ肉とギバ料理の商売が順当に実を結んだという証でもありますからね。森辺の民はこれだけ立派な商売を確立させたのですから、他の商人たちと同じ義務と権利を得るべきでしょう」
「ポルアース殿も、賛成の立場であられたのですね」
フェルメスが優美なる微笑とともに問いかけると、ポルアースは「もちろんです」と胸を張った。
「ただし、森辺の民が生鮮肉の販売を開始したのは、黄の月の終わり頃でしたからね。いまだ、半年とは経過しておりません。ここで租税を課したとしても、その額が適切であるかどうかは、定期的に考察するべきです。三族長との会合はおおよそ隔月で行われておりますので、そのたびに話し合いの場を持って、適切な税率を論じ合うべきでしょう」
「では、屋台の商売に関しては、如何でしょうかな?」
オーグがあらためて身を乗り出すと、ポルアースは「うーん」とわずかに眉尻を下げた。
「屋台の商売に関しては、いささか悩ましいところであるのですよね。アスタ殿を始めとする森辺の方々には、なるべくさまざまな食材を使って、新しい食材の普及に尽力していただきたいと依頼しておりましたので。そこに1割もの税を課してしまうと、食材の費用を削ることになり、我々からの依頼を達成することも難しくなってしまうやもしれません」
「なるほど」と声をあげたのは、ガズラン=ルティムであった。
「他の屋台も同じ条件であれば、こちらもそれに従うべきでしょう。しかし、他の屋台には租税というものも掛けられてはいないというお話でしたね」
「はい。料理の屋台の大半は、宿屋の人間が出しているものであるはずですが……宿屋の租税というのは、建物の大きさや部屋の数などから、おおよその利益を算出して、それにもとづく額を徴収しているのですね。そういった場合、屋台の商売の売り上げなどは度外視されているのです」
しかし料理の屋台の売り上げは、よくて日に50食ていどとされている。宿屋の人々にしてみれば、割のいい副収入ぐらいの感覚であるのだろう。
「では、屋台の租税は稼ぎの1割という額は、どのようにして算出されたのでしょう?」
ガズラン=ルティムが尋ねると、オーグは書面に軽く視線を走らせてから答えた。
「森辺の民の経営する屋台は、日に100食以上の売り上げを出しており、これは通常の屋台の倍ていどの売り上げと目されます。ならば、50食分には課税せず、残りの50食分に2割の税を課すのが妥当ではないかと考えました。それを平にならすと、100食分の売り上げに対して1割の課税、という計算でありますな」
「なるほど。私は商売のことなど何もわきまえてはいませんが、きっと妥当な計算なのだろうと思います」
そのように述べてから、ガズラン=ルティムはふっと微笑をもらした。
「ルウやディンの家であれば、それらの租税が負担になることもないでしょう。しかし……ファの家はどうなのでしょうね」
「ファの家? ファの家こそ、もっとも多くの売り上げを出しているはずですぞ」
「ええ。ですが、ファの家で商売に関わっているのは、取り仕切り役のアスタのみです。アスタは大きな商売を行うために、近在の女衆に代価を支払って手伝いを頼んでいる身であるのです」
ガズラン=ルティムの目が、アイ=ファごしに俺を見つめてきた。
「家長会議でも、その話は議題にあがりましたね。稼ぎの1割を租税として支払うと……休息の期間、ファの家は稼ぎがなくなってしまうのではないですか?」
「稼ぎがなくなる?」と、ポルアースが目を丸くした。
「それは、どういう意味なのです、ガズラン=ルティム殿? 3台の屋台を経営しているアスタ殿は、日割りで白銅貨90枚は稼いでいるはずでしょう?」
「はい。ですが、休息の期間は自分たちでギバ肉を準備できないため、他の氏族から肉を買いつけることになるのです。女衆への代価と食材の代価を差し引くと、ファの家の稼ぎは白銅貨8枚ていどであると聞きました。白銅貨90枚の1割は白銅貨9枚なのですから、稼ぎがなくなるどころか損をすることになってしまいます」
そこで俺は、慌てて声をあげることにした。
「あのですね、家長会議から4ヶ月ほどが経過して、その間に屋台の売り上げも微増しました。それも考えあわせると、おそらく赤字にはならないかと思われます」
「微増ですか。では、多少の稼ぎは出るのでしょうか?」
「はい。まあ、赤字にならないていどには……それに、休息の期間でなければ、ギバ肉の代価である白銅貨12枚分ぐらいはまるまる稼ぎにできますので」
ポルアースは「うーむ」と考え込んでしまった。
「白銅貨90枚の売り上げで、アスタ殿の手にはわずか12枚しか残らないのか。しかも、休息の期間には赤字ぎりぎり……ええと、休息の期間は年に3回、期間は半月ていどという話だったよね?」
「はい。最近は猟犬のおかげで少しずつ間遠になってきていますが、おおよそはそれぐらいです」
「では、1年のうちのひと月半は赤字ぎりぎりになってしまうわけだね。それはやっぱり、腑に落ちないなあ」
すると、マルスタインがひさかたぶりに発言した。
「ルウやディンの家は、1割の租税を課せられても負担は少ないと言っていたな。それはやはり、家人の数に起因するのであろうか?」
「はい。ルウ家は屋台の仕事に関わった血族と稼ぎを分け合っていますので、稼ぎが1割減るならば、ひとりずつの稼ぎが1割ずつ減ることになります。ディンの家も、それは同じことでしょう。しかし、アスタの場合は余所の氏族の女衆に定まった代価を支払っているために、租税で稼ぎが減る分は、すべてファの家が負うことになってしまうのです」
「それはやっぱり、納得いかないなあ。もしも赤字ぎりぎりであったなら、食費や生活費でけっきょく赤字になってしまうじゃないか。これだけ食材の流通や露店区域の活性化に貢献してきたアスタ殿がそんな損をかぶってしまうなんて、僕は納得がいかないよ」
ポルアースがそうして丁寧語を取りやめるのは、俺に個人的に語りかけている場合である。しかし俺としては、何とも答えようのない呼びかけであった。
そんな俺に代わって、アイ=ファが毅然と言葉を返す。
「たとえ休息の期間に稼ぎがなくなろうとも、それ以外の日に白銅貨12枚も稼げていれば、貧しさに苦しむことはない。もともと森辺の民は、赤銅貨12枚があれば、10日を健やかに暮らせるとされていたのだからな。1日に白銅貨12枚を稼げば、赤銅貨12枚の10倍で……しかも、10日ではなく1日なのだから……100倍の稼ぎはあることになる。とうてい不平を言うような額ではあるまい」
俺としても、白銅貨12枚は日本円の感覚でおよそ24000円ていどであったから、それなりの稼ぎであるという思いがある。
が、年にひと月半は赤字ぎりぎりとなると、多少は節制が必要であるのだろうかという思いに至ってきた。
(まあ節制っていっても、いまでも無駄遣いをしてるつもりはないからな。せいぜい勉強会で使う食材を、ちょっと控えるぐらいか)
俺がそのように考えを巡らせていると、「なるほど」というしかつめらしい声が響きわたった。
声のしたほうを見てみると、オーグがその声以上に難しい顔で腕を組んでいる。
「そうであれば……租税の額を、いささか見直すべきでありましょうな」
「ほう、それは如何様に?」
マルスタインも、興味深げな顔でそちらを振り返った。
オーグは「そうですな……」と額と眉間の皺を深める。
「氏族によって経営の方式が異なるというのは、わたしも考えにありませんでした。あくまで公平さを重んずるならば、森辺の氏族間にも不平等な思いを与えるわけにはいきますまい」
「うむ。その考えには、わたしも同意いたそう」
「であれば……ファの家の屋台の商売に関しては、総売り上げではなく純利益からの1割を徴収する、という形式で如何でしょう?」
「ふむ!」と身を乗り出したのは、ポルアースであった。
「つまり、総売り上げ白銅貨90枚に対して白銅貨9枚の税を課すのではなく、ファの家の純利益である白銅貨12枚に対して、赤銅貨12枚を課す、ということですね?」
「ファの家の純利益が12枚というのは、平常時に、1割の租税を差し引いたときの額であったはずですぞ。休息の期間に租税を徴収されたら赤字もありえるという話であったのですから、その期間にも白銅貨9枚前後の純利益が生じるはずです。であれば、平常時は白銅貨21枚ていどの純利益が生じるのでしょう。何にせよ、そこから1割の租税を徴収する、ということです。休息の期間の純利益が白銅貨9枚であるならば、租税は赤銅貨9枚である、ということですな」
不機嫌そうな面持ちのまま、オーグは俺を振り返ってきた。
「しかし、純利益から租税を徴収するとなると、綿密な帳簿というものが必要になります。あなたにそれを準備することはかないますかな、ファの家のアスタ?」
「はい。収支を把握するために、いちおう帳簿はつけています。でもそうすると、今度はファの家だけが優遇されることになってしまいませんか?」
「ルウやディンの家がそれを不服と思うならば、ファの家と同じ形式で商売をすればいいのです。誰かひとりが経営者となって、手伝いをする人間には定額の報酬を支払う。どうでありましょうかな、族長ドンダ=ルウ?」
「俺たちは、血族のすべてで苦楽を分かち合う。娘のレイナひとりに取り仕切り役を任せるつもりもない。いずれはあいつも婿を取って、取り仕切り役を退くのであろうしな」
「ならば、ルウ家の屋台では食材や場所代のみを諸経費として、それを差し引いた純利益から租税を徴収するのが妥当でしょうな。休息の期間に他の氏族から肉を買いつけているならば、それも諸経費となります。それで収入の極端な変動は抑えられることでしょう」
そこで、くすりと笑い声をあげる者がいた。オーグの隣で静観のかまえを見せていたフェルメスである。
「まったく頼もしい補佐官殿ですね。僕もこれで、外交官としてはそれなりの経験を積んできたつもりであるのですが……どうも銅貨の勘定というものだけは、なかなか得意になれないのです」
「ことは、銅貨の勘定に留まりませぬぞ。王国の領土でありながら、租税を課せられていないという、その特殊に過ぎる状態を是正することが眼目であるのです」
オーグはフェルメスの美麗なる笑顔を、すがめた目でねめつけた。
「むろん、そのような状態を放置していたのはジェノスの側であり、森辺の民に罪のある話ではありますまい。また、つい先年までは王国の民として然るべき庇護も受けていなかった立場であるのですから、すぐさま義務だけを押しつけるわけにもいかぬでしょう。これまで不当な貧困にあえいでいたことも考えあわせれば、いましばらくは地代も人頭税も免除して、安定した生活を構築するのが先決だと思われます」
このオーグは、かつてジェノスと森辺の民に謀略を仕掛けてきたタルオンと同じく、ベリィ男爵家の血筋であるのだ。
しかし、かつてのタルオンのように、不穏な目論見があって租税の話を持ち出したわけではないのだろう。彼が重んじているのは、きっとあくまで王国の法と倫理であるのだ。
「まったく耳の痛い話であるな。今後も正しき道を進めるように、我々も力を尽くしたいと思っている」
マルスタインが、会議の場をしめくくるように、そう宣言した。
「では、これまでの話も森辺に持ち帰り、他の族長たちと協議してもらいたい。次の会合は紫の月の頭であったな、メルフリードよ?」
「はい。その予定です」
「では、ミケルらの一件も、租税の一件も、その日にあらためて論じ合っていただこう。他に何か話がなければ、本日の会議を終了させてもらおうと思うが、如何かな?」
すると、ガズラン=ルティムが遠慮がちに発言した。
「これはあくまで、私の個人的な疑問としてうかがいたいのですが……旅芸人というのものは、町の人間から下賤の身分として扱われていると聞きました。それはやはり、租税を払っていないことが要因となっているのでしょうか?」
「うむ? まあ、おおよそはその通りであろうな。どこの領地にも根付いていない人間から、租税を徴収するすべはない。そして、王国の民のすべてが放浪者となってしまったら、王国は瓦解してしまう。旅芸人というものは、王国の枠組みから外れた存在であるのだ」
「なるほど……それゆえに、町の外で旅芸人を斬り捨てても、罪には問われないということですか」
「うむ。王国の民としての責務を果たしていないのだから、王国の法に守られることもない。よって、たいていの旅芸人は、自らの身を守る力を備え持っているものであるが……あの幼子たちには、ヴァン=デイロという頼もしい剣士がついている。今後も健やかに生きていくことがかなうであろう」
そう言って、マルスタインは大らかに微笑んだ。
「わたしも立場上、旅芸人の存在をことさら歓迎することはできぬが、怒りや憎しみを抱く理由もない。あの者たちがどのような傀儡の劇をこしらえるのか、楽しみなところであるな」
ガズラン=ルティムも、穏やかな笑顔で「ええ」と応じた。
「では」とマルスタインは居住まいを正す。
「本日の会議は、これにて終了とする。各人、大儀であったな」
貴族たちが退室した後、俺たちも小姓によって部屋の外に導かれた。
扉の外では、ルド=ルウとリコたちが顔をそろえている。別室で控えていよ、と申しつけられていたはずであるが、その場に留まることを許されたらしい。
「みなさん、お疲れ様でした! ……何も面倒なことにはなりませんでしたか?」
リコが小声で問うてきたので、俺は「うん」と応じてみせた。
「こちらは問題なかったよ。リコも傀儡の劇を作ることを認められて、よかったね」
「はい! 森辺に戻ったら、また他の氏族のみなさんにお話をうかがいたいと思います!」
俺はこのまま宿場町のユン=スドラたちと合流して、屋台の商売だ。アイ=ファたちはギバ狩りの仕事で、マイムは――本日は屋台の商売も休業としたので、ミケルとともにルウ家に戻るのだろう。その顔には戸惑いの色が濃かったが、行き道で見せていた不安げな表情は払拭されていた。
(ミケルたちは、どうするんだろう。バルシャたちは……あまりマサラの山に帰りたがってる様子もないけど、森辺の家人になることを望んでいるんだろうか)
そして俺たち、森辺の民もだ。
俺も租税に関しては、まったく考えていなかったわけではない。いつかはこのような話が持ち上がるだろうと予期していたし、また、そうあるべきなのだという思いも強かった。
何度も取り沙汰されている通り、森辺の民はジェノスの民であり、王国の民であるのだ。王国の民としての責務を果たし、すべての同胞と手を取り合うべきであるのだろう。
(でも、きっと……森辺の民が、森辺の民としての誇りを失うことはないはずだ)
アイ=ファの凛々しい横顔を見やりながら、俺はそのように考えた。
とたんに、アイ=ファがこちらに向きなおってくる。
「何だ? 言いたいことがあるならば、告げてみよ」
「いや、別に。……フェルメスからおかしな申し出をされなくて、よかったな」
「ふん。あやつは隙あらば、アスタのことをちらちら見やっていたがな」
鼻のあたりに可愛らしく皺を寄せて、アイ=ファはそのように言い捨てた。
そうして俺たちは、さまざまな課題を抱え込みつつ、それなりに安らかな気持ちで城下町を後にすることになったのだった。




