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異世界料理道  作者: EDA
第四十三章 傀儡使いと老剣士
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城下町の会合①~貴族の申し出~

2019.4/21 更新分 1/1

 リコたちがジェノスにやってきて、3日目――藍の月の18日である。

 貴族たちの申し出に従って、俺たちは朝早くから城下町を目指していた。


 顔ぶれは、ドンダ=ルウとお供のルド=ルウ、見届け役のガズラン=ルティム、俺とアイ=ファ、ミケルとマイム、リコとベルトンとヴァン=デイロの、合計10名だ。

 城門に到着したのちは、全員が同じトトス車に乗り換える。その中で、もっとも不安そうな面持ちをしていたのは、やはりマイムであった。


 どうしてミケルが城下町に招かれなくてはならないのか、その理由がわからないので、不安でたまらないのだろう。これまでに、ミケルたちが城下町に招かれたのはただ1度きりで、その際には監査官のドレッグたちからたいそう辛辣な言葉をあびせかけられることになってしまったのだ。


 悪い話ではないと、あらかじめ伝えられていたものの、それでもやっぱり不安はぬぐいきれないのだろう。貴族にとってはいい話でも、マイムたちにとっていい話であるとは限らないのだ。むすっとした顔で黙りこくっているミケルのかたわらで、マイムはずっと力なくうつむいてしまっていた。


 それに比べて、リコは実に凛々しい顔つきになっている。普段は決して関わることのない貴族などに名指しで呼び出されることになって、それこそ不安の塊になっているはずであるが、それを傀儡の劇に対する熱情でもってねじ伏せているのだろう。彼女がその幼さに相応しからぬ精神力を持っていることは、そのたたずまいからだけでも明白に見て取れた。


 リコの申し出について、グラフ=ザザとダリ=サウティからはすでに了承を取りつけている。完成した作品を見た上で是非を決するというのなら、それで異存はないとのことだ。お披露目の段に至ったら、ザザとサウティからもそれぞれ見届け人を派遣するということで、話はついていた。

 よって、あとは貴族たちがどう出るかである。

 自然、リコも身の引き締まる思いであるのだろう。


 ちなみにベルトンはハンチングのような帽子を深くかぶって表情を隠しており、ヴァン=デイロは泰然たる無表情だ。この中で、貴族に対して免疫を有しているのは、ヴァン=デイロのみであるはずだった。


「……お待たせいたしました。会議堂に到着です」


 やがてトトス車は停止して、案内役の武官によって扉が開けられる。

 俺たちが導かれたのは、お馴染みの会議堂であった。

 磨きぬかれた回廊を踏破して、扉の前で刀を預ける。今回、扉の外に居残るのは、お供のルド=ルウのみだ。


 扉が開かれると、そこには以前と同じように、横長の卓と椅子が準備されていた。

 しかし今回は、椅子が多めに準備されている。アイ=ファとマイムが参席するかどうかは自由という話であったし、見届け人の有無も言及されていなかったので、余分に準備してくれたのだろう。9名全員が腰を下ろしても、ひとつの椅子が余ることになった。


 それからほどなくして、貴族の来室が告げられる。

 従者の指示によって俺たちが立ち上がると、部屋の横合いに設えられた扉から、見慣れた人々が歩み出てきた。

 すかさずリコが膝を折ろうとすると、先頭を歩いていたマルスタインが「よい」と声をあげる。


「会議や商談の場にあって、膝を折らせる習わしはない。其方たちも、楽にするがいい」


 貴族らが全員腰を落ち着けるのを待ってから、俺たちも再び着席した。

 貴族側の布陣は前回と同じく、マルスタイン、メルフリード、ポルアース、フェルメス、オーグ、ジェムド、書記官の7名であった。マルスタインやオーグと顔をあわせるのは、ひと月と少し前の仮面舞踏会以来となる。従者のジェムドはもちろんひとりだけ着席せず、主人のななめ後方にひっそりとたたずんでいた。


「皆、息災そうで、何よりだ。先日は、ゲルドの貴人らの歓待で世話をかけてしまったな」


 まずはマルスタインがゆったりと笑いながら、そのように述べたててきた。ドンダ=ルウは無言のまま、うっそりとうなずいている。

 そしてこちらでは、フェルメスが優美に微笑みかけてきた。また今回も、俺たちはほとんど真向かいに座することになってしまったのだ。フェルメスとは数日前に祝宴で顔をあわせたばかりであったが、やはりなかなかこの美貌に見慣れることはできなかった。


(フェルメスのほうこそ、傀儡の劇の主人公を張れそうなお人だよなあ)


 俺がそんなことを考えている間に、マルスタインは言葉を重ねている。


「突然の招集となってしまったが、そちらにも用事が生じていたのなら、幸いだ。さっそく議題に取りかかりたいところだが、その前に――」


 と、マルスタインが右端の人物に視線を据えた。

 そこに座していたのは、誰あろうヴァン=デイロである。


「其方が《守護人》のヴァン=デイロか。西の王国にその人ありと名を馳せる、歴戦の剣士――《獅子殺し》と相まみえる幸運を授かったことを、喜ばしく思っている」


「……身に余る光栄ながら、儂は3年も前に《守護人》の仕事から身を引いた老骨に過ぎませぬ。いまは一介の風来坊にてございますれば」


 無表情と仏頂面の中間ぐらいの顔つきで、ヴァン=デイロは慇懃に応じていた。

 マルスタインは楽しげに、「ふむ」と口髭を撫でている。


「吟遊詩人の歌にもなった其方が傀儡使いと行動をともにするというのも、なかなか愉快な巡りあわせであるな。そこなる傀儡使いたちは、其方の物語をも傀儡の劇に仕立てあげているのであろうかな?」


「いえ。幸いなことに、そのようなものは母から受け継ぐこともなかったと聞いております」


「そうか。それは残念なことだ。……では、時が移るので本題と参ろう。まずは、森辺の族長ドンダ=ルウから届けられた傀儡使いの一件から片付けるべきであろうな」


 そんな風に述べてから、マルスタインは頼もしき子息に目をやった。

 メルフリードはひとつうなずいてから、その場に居並んだ俺たちの姿を見回してくる。


「事情は、使者たるリャダ=ルウから聞いている。そちらの者たちが、くだんの傀儡使いか」


 リコは「はい」と、うやうやしくお辞儀をした。

 メルフリードは、月光のごとき灰色の瞳をリコのもとで固定させる。


「一介の傀儡使いがどのような劇をこしらえようとも、我々の関知するところではない。というよりも、それが王国の威信を傷つけるような内容であったとき、初めて罪に問われることになる。……とはいえ、森辺の族長ドンダ=ルウが事前に話を通そうと考えたことは、ありがたく思っている」


 そのように前置きしてから、メルフリードはさらに言った。


「其方たちがむやみに我々の名を貶めようと考えれば、それは王国に叛意ありと見なされることとなる。それは、わきまえているか?」


「はい。わたしは決して、王国に叛意あってアスタの物語を作りあげようと考えたわけではありません。ジェノスの領主様が各領地にお回しになった布告にもとづき、真実のみを紡ぎあげようと考えています」


 これだけの貴族を前にしても、リコは憶するところがなかった。

 ベルトンはさすがに緊迫した面持ちであり、ヴァン=デイロは静かに正面を向いている。それらの姿も確認してから、メルフリードは「なるほど」とつぶやいた。


「では、わたしもこれ以上は言葉を重ねる必要を感じない。森辺の民であれば、悪心ある相手に力を貸すこともなかろうからな。……しかし、ひとつだけ条件をつけさせてもらいたい」


「はい。条件ですか?」


 そこでメルフリードは、視線をフェルメスに差し向けた。

 フェルメスは亜麻色の長い髪をかきあげながら、ふわりと微笑む。


「その条件は、僕から提示させていただきました。……あなたの劇が完成したあかつきには、それを世に広める前に、森辺の民が内容を確認するという話でしたね。その際に、僕たちにもあなたがたの劇を拝見させていただきたく思っています」


「わたしの劇を……貴き方々に?」


「ええ。それで内容に問題があれば、罪人として捕らえる前に、忠告を与えることもかないます。そうして誤った部分を手直しすれば、心置きなく世に広めることもかなうわけです」


 リコはいくぶん当惑気味に、視線をさまよわせることになった。


「わたしなどのために、貴き方々がそこまでの手間をかけてくださるのですか? 何だか……恐れ多いばかりです」


「それは、あなたの行いに大きな意義を認めているためであるのですよ。森辺の民とトゥラン伯爵家にまつわる騒動が、誤った内容で広まってしまっていることを、我々も憂慮していたのです。トゥラン伯爵家を不当に貶めることは、それに爵位を授けたセルヴァ王家をも貶めるに等しい行いであるのですからね」


 リコは表情を引き締めなおして、「はい」とうなずいた。

 いっぽうフェルメスは、いっそうやわらかい笑顔になっている。


「ですがあなたは、アスタを始めとする森辺の民から直接話をうかがって、それを傀儡の劇に仕立てあげようとしているのでしょう? それに、ジェノス侯の布告の内容もわきまえているのなら、きっと正しき物語を紡ぐことがかなうでしょう。そうしてあなたの物語が虚飾に満ちた風聞を少しでも打ち払ってくれれば、それは王国の誇りや権威を守る一助となりえます。本来であれば、褒賞を授けてもいいぐらいの話なのでしょうが……そうすると、今度はあなたの作品の純粋性が疑われることにもなりかねません。あれは貴族から褒賞を授かって作られた、貴族にとって都合のいい筋立てである――などと揶揄されるのは、あなたも本意ではないでしょうからね」


 リコは慎重に、「はい」とだけ答えていた。

 フェルメスは、満足そうにうなずいている。


「あなたには、邪念なく物語を紡いでもらいたいと考えています。その上で、何か誤解や曲解が見られた場合は、我々から手直しを指示させていただく。それで、如何でしょう?」


「はい。寛大なるお申し出に、心から感謝の言葉を述べさせていただきたく思います」


 リコは生まれついての旅芸人という話であったが、実に如才なく言葉を返すことができている。それはもしかしたら、彼女が数々の物語から学んだ貴族への礼節や言葉づかいなのかもしれなかった。


 ともあれ、穏便に話がまとまりそうであったので、俺は安堵の息をつく。

 そんな中、フェルメスはごく何気ない調子で言葉を重ねた。


「ところで、あなたの物語はトゥラン伯爵家にまつわる騒動を中心に描かれるという話でしたね?」


「はい。そのように考えています」


「では、アスタの素性に関しては、どこまで掘り下げるつもりであるのでしょう?」


 リコはけげんそうに眉をひそめ、アイ=ファは静かに瞳を光らせた。


「アスタの素性というのは……大陸の外からやってきた異邦人である、ということでしょうか? わたしはそれ以上の話をうかがっていないのですが」


「そうですか。アスタは東の占星師に《星無き民》であると見なされているのですが、そこには重きを置いてはいないのですね」


「はい。そのようなお話は耳にしたことがありませんでした。それは、アスタの故郷の一族を指すお言葉なのでしょうか?」


 それは俺に向けられた問いかけであったので、「いや」と首を振ってみせた。


「それは、占星師の方々がこしらえた名称であるみたいだね。俺もこの地で、初めて耳にしたんだよ」


「そうですか。もう少しお話をうかがってみないと、確たるお答えはできませんが……たぶん、わたしの紡ぐ物語で、そこの部分を掘り下げることはないかと思われます」


「ほう、そうなのですか?」


「はい。わたしの劇は、西や南の方々にお見せするものですので……東の習わしにまつわるお話を組み入れてしまうと、南の方々に忌避される恐れがあるのです」


「なるほど」と、フェルメスは目を細めて微笑した。

 安堵したのか、残念がっているのか、どっちとも取れる曖昧な表情である。


「それでは、あなたがどのような物語を作りあげるのか、僕も楽しみにさせていただきます。完成は、いつ頃を予定されているのでしょうか?」


「本当の意味で新しい劇を完成させるには、数年がかりの修練が必要になるかと思われますが……せめて半月の間には、皆様のお目にかけられるぐらいの出来栄えに仕上げたいと考えています」


「では、ひとまず完成したら森辺の族長を通して、こちらにもご連絡をいただきましょう。それでよろしいですか、メルフリード殿?」


 メルフリードは「うむ」とうなずき、ドンダ=ルウに視線を戻した。


「フェルメス殿の仰った通り、我々もこの一件には小さからぬ関心を寄せている。何か助力が必要な際は、遠慮なく声をかけていただきたい」


「了承した」と、ドンダ=ルウは短く答えた。

 これにてリコの申し出は、とりもなおさず貴き人々にも受け入れてもらうことがかなったのである。リコは引き締まった面持ちのまま、それでも深々と安堵の息をついているようだった。


「それでは、傀儡使いの一件は、これにて落着とする。我々は森辺の族長らとさらに語るべき議題があるので、其方たちは別室にて控えていてもらいたい」


 マルスタインの言葉に従って、小姓がリコたちに近づいてきた。

 リコたち3名は立ち上がり、貴き人々に一礼してから、退室する。そうして扉が閉められると、マルスタインはあらためて俺たちの姿を見回してきた。


「さて、次の議題だが……事前に伝えていた通り、何も悪い話ではないので、そのつもりで聞いてもらいたい」


 ミケルをはさんだ向こう側で、マイムがぴくりと肩を震わせるのがうかがえた。逆側のアイ=ファやガズラン=ルティムやドンダ=ルウたちは、静かな面持ちでマルスタインの言葉を聞いている。

 そんな中、マルスタインは悠揚せまらぬ様子で述べたてた。


「すでに其方たちも聞き及んでいる通り、我々はトゥラン領で使役している北の民たちを、ジャガルで引き取ってはもらえぬかと打診していた。その使者が、ついに先日ジェノスに戻ったのだ」


 意想外の言葉を聞かされて、俺は息を呑むことになった。

 アイ=ファやドンダ=ルウたちは、けげんそうに眉をひそめている。


「ジャガルの王は、北の民の受け入れを了承してくれた。これより我々は、北の民をジャガルに送り届ける作業に着手することになる。まずはその一点を理解してもらいたい」


「……べつだん、理解の難しい話だとは思わんな。北の民たちが南の民として生きていくことがかなうならば、俺たちも喜ばしく思う」


 ドンダ=ルウが、重々しい声でそのように応じた。

 その後を引き継ぐように、ガズラン=ルティムも発言する。


「それはジェノスにとって、きわめて重要な案件であるのでしょう。ですが、森辺の民に関わりの強い話ではないように思います。何か込み入った事情でもあるのでしょうか?」


「うむ。それほど大仰な話ではないのだが、使者を通じて言葉を交わすのは手間であろうと思い、わざわざ足を運んでいただいた。我々が取り沙汰したいのは……そちらのミケルとマイムの父子についてであるのだ」


 ついにきたか、とばかりにマイムは小さな身体をすくませた。

 いっぽうミケルは、彫像のごとき無表情でマルスタインの言葉を聞いている。


「まずその前に、トゥランの行く末について語らねばならぬだろうな。……当然のこと、数百名にも及ぶ北の民を、いちどきに送り届けることはかなわない。こちらとしては、その者たちに代わる働き手を集めなくてはならないし、ジャガルにしてみても、新たな領民の受け入れ先を検討しなくてはならぬのだ。まずは太陽神の復活祭を終えてから、数十名ずつをジャガルに送り届けることになろう」


「それはもっともな話であるのでしょうね。数百名もの人数であれば、手放すほうも受け入れるほうも大ごとであろうかと思います」


「うむ。それにあたって、我がジェノスにおいては新たな領民を募ることとなる。トゥランのフワノやママリアをこれまで通りに育てあげるために、数百名もの領民を集めなくてはならないのだ」


 そこでマルスタインの目が、ようやくミケルたちを見た。


「それで……其方はもともとトゥランの民であったはずだな、ミケルよ。それが、野盗によって富を奪われ、深手を負うことになり、このままでは生命も危ういということで、森辺の集落の客分と相成った。其方がそこまで追い詰められてしまったのは、トゥランを守るべき護民兵団の人間が、野盗に加担した疑いがあったためである。……それに相違ないな?」


 ミケルは無言でうなずいた。

 マルスタインもうなずいて、メルフリードのほうに視線を向けなおす。


「その報告を受けた我々は、護民兵団の綱紀粛正に取り組むべく、準備を進めていた。しかし、そのさなかに責任者であったメルフリードがジェノスを離れることになってしまったのだ。むろん、メルフリードが後事を託した人間によって、綱紀粛正は進められていたが……新たな領民を迎え入れるにあたって、さらにそれを徹底せねばならない。衛兵たちが野盗の片棒を担ぐような領地では、領民を集めることなどかなうわけもなかろうからな」


「…………」


「そこで、其方の心情を問わせてもらいたい。トゥランが安全な土地となれば、其方ももとの家に戻ろうという心づもりであるのだろうかな?」


 マイムは唇を噛みながら、父親の横顔を見つめていた。

 ミケルは卓の上に視線を落としたまま、無言である。

 マルスタインはゆったりと笑いつつ、メルフリードの向こう側にまで視線を飛ばした。


「このようなことを問うのには、事情がある。……ポルアースよ、其方から説明してもらいたい」


「はい。これは宿場町を治めるサトゥラス伯爵家を通じて得た話であるのですが、そちらのマイム嬢は露店区域にてギバの料理を売っており、それがたいそうな評判を呼んでいるとのことであったのですね。それゆえに、マイム嬢の素性というものも、宿場町においては大きく取り沙汰されているという話であったのです」


 ポルアースは手もとの書面をめくりながら、普段通りの朗らかな調子で言いたてた。


「まあ、大きく取り沙汰されているというよりは、いまでは誰もがマイム嬢の素性を心得ている、といったところでしょうか。あれはもともとトゥランの家の子供であり、ギバ料理で稼いだ銅貨をのきなみ野盗に奪われてしまったため、森辺の集落に身を寄せることになったのだ、と……まあ、そんな具合にですね」


「…………」


「それにまた、その一件が原因で、護民兵団の綱紀粛正が計画されたという話も、同じように広まっています。それで……その風聞があわさることによって、いささか不都合な事態が生じてしまったのです」


「なるほど」と、ガズラン=ルティムが穏やかに声をあげた。


「それはつまり、護民兵団の綱紀粛正というものはいまだに達成されておらず、トゥランは危険な土地のままであるので、マイムやミケルは自分たちの家に戻ろうとしないのだ。……ということでしょうか?」


「ええ、まさしくその通りでありますね。さすがガズラン=ルティム殿は、話が早い」


 ポルアースは顔をあげて、にこりと微笑んだ。


「実際は、数多くの無法者が訪れる宿場町のほうが、よほど危険な区域であるのですが、トゥランはそれよりも危険な区域であるという印象が植えつけられてしまったのです。まあ、本来領地を守るべき立場にある護民兵団の人間が野盗の片棒などを担いでしまったのですから、それも致し方のない話でしょう。綱紀粛正がどのように進められているかなどは、なかなか領民に伝わらないのでしょうからね」


「それで、要するに……ミケルとマイムをトゥランに戻すべきである、という話であるのか?」


 ドンダ=ルウが、底ごもる声で問いかけた。

 ポルアースは、きょとんとした顔でそちらを振り返る。


「戻すべきである、というよりは、戻っても危険なことはない、といったところでしょうかね。今後、トゥランに新たな領民を迎え入れたのちは、宿場町とトゥランを繋ぐ街道にも、ダレイム方面と同じように衛兵が巡回することとなります。きっと新たな領民の中には、宿場町に出て働こうという人間も少なからず現れるでしょうから、そこにもきっちりとした警備体制を整えなければならないわけです」


「では、現時点ではまだその警備体制とやらも整っていない、ということだな?」


 ポルアースは、いっそうきょとんとした顔になる。


「それは確かにその通りですが……ええと、ドンダ=ルウ殿は、何かご不満なのでしょうか?」


「俺が不満などを抱く理由はない。ただ、知るべきことを知るために、言葉を重ねているだけのことだ」


 すると、マルスタインが笑顔で身を乗り出した。


「それでは、話を整理させてもらおうか。トゥランに新たな領民を募るにあたって、我々はトゥランが安全な領地であるということを世に知らしめたい。そのためには、ミケルとマイムにトゥランへ戻ってもらうべきだと考えている。……これで如何かな、族長ドンダ=ルウ?」


「……やはり、ミケルらをトゥランに戻すべし、という話であるのか」


「いや。トゥランが安全であるならば、ミケルらが森辺に留まる理由はなかろう、と考えたのだ。しかし、それ以外にも理由があるのであれば、それを聞かせてもらいたいと願っている」


 ドンダ=ルウはいったんまぶたを閉ざすと、ミケルたちの座っている右手側を向いてから、目を見開いた。


「肝要なのは、ミケルらの考えと心情であろう。ミケルよ、貴様はどのように考えているのだ?」


「……俺はこれまで、森辺の民の好意に甘えてきた。いつまでも、そのように甘い考えが通じるわけではない、ということなのだろう」


 ミケルの硬く強張った声が響く。

 マイムはすでに、涙目になってしまっていた。

 その愛娘の頭に手を置きながら、ミケルはさらに言った。


「しかし……今後もどうにか森辺で暮らし続けることはできないか、何か道筋があるならば聞かせてほしいと願っている」


「ほう」と声をあげたのは、マルスタインであった。


「其方は今後も森辺に留まりたいと考えているのか。では、その理由を聞かせていただこう」


「それは……あの場所が、娘にとってまたとない修行場であるからだ」


 ミケルはちょっと苦しげにも聞こえる声で、そのように答えていた。


「ルウ家には、優れた料理人が何人もいる。そして、数日に1度はアスタとも修練を積むことができる。娘が料理人として大成するのに、これ以上ありがたい場所はないのではないか……と、俺はそのように考えていた」


「なるほど。其方はサイクレウスによって城下町を追放された身であるのだから、城下町に居場所を与えるべきであるという話もあがっていたのだが……其方は城下町よりも、森辺に留まることを望むのであろうかな?」


 ミケルはミケルらしくもなく、力なく首を横に振っていた。


「城下町に、娘が学ぶべき場所はない。もともと俺は城下町の作法や流行というものからはみだした料理人であったので……娘を城下町の料理人に預けても、かつての俺のように息苦しい思いをするだけで終わるだろう」


「しかし、マイムはひとりで城下町に住まうわけではない。其方が師として娘を導けばよいのではないか?」


 マルスタインの微笑まじりの声に、ミケルはまた首を振った。


「それではきっと、俺を超えることはできん。かつての俺が、もうひとり生み出されるだけのことだろう」


「では、森辺で学べば、マイムは其方をも超える料理人になりうる、と?」


 その問いにだけは、ミケルも「なる」と力強く答えていた。

 マルスタインは「なるほど」とつぶやきながら、椅子の背もたれに体重を預けた。


「ミケルの考えと心情は、これで理解できたようだ。それでは、ドンダ=ルウの考えと心情を聞かせていただこうか」


「ふん。……俺もミケルとマイムには、このまま森辺に留まってもらいたいと考えていた。本人らもそう望んでいたのなら、幸いなことだ」


 俺は心から驚いて、ドンダ=ルウのほうを振り返ることになった。

 ドンダ=ルウは仏頂面で、硬そうな顎髭をまさぐっている。


「しかし、こやつらがともに暮らしているのは、バルシャとジーダの母子であるからな。そちらで絆が深まって、いずれ血の縁を結ぶことになろうとも、森辺の家人になることはできん。そうであれば、どういった道筋で森辺に留めさせるべきか……それを長いこと、思い悩んでいた」


「ミケルとマイムを森辺の家人に迎えてもよい、という心情であったのか。それはなかなか驚くべき告白であろうな」


 そんな風に述べるマルスタインは、ずいぶんと愉快げな表情であった。

 それに対して、ドンダ=ルウはますます不機嫌そうな顔になる。


「ルウの血族のかまど番たちは、ミケルやマイムから多くのことを学んでいる。こやつらを森辺の外に追い出したいなどと考えている人間は、ひとりとして存在しないことだろう。ならば俺は、血族を率いるルウ本家の家長として、もっとも正しき道を探し出さねばならん」


「なるほど。とても興味深い話ですね」


 と――しばらく大人しくしていたフェルメスが、するりと言葉をはさみこんだ。


「ですが、アスタは誰とも婚姻の絆を結ばぬまま、森辺の家人となりました。かつて東の民であったシュミラル=リリンも、まずは氏なき家人となり、そののちに氏を与えられた上で、ヴィナ・ルウ=リリンと婚儀をあげたのでしょう? それでしたら、ミケルやマイムをひとまず森辺の家人として迎えることも難しくはないのではないでしょうか?」


「しかし、シュミラル=リリンはもともと血の縁を結びたいと願っていた立場だった。仮にヴィナ・ルウ=リリンと婚儀をあげることがかなわなくとも、いずれは別の女衆を娶ることになったろう。そういった見込みがなければ、たとえこやつらを家人に迎えたとしても、血の縁を持つことはできん」


「ふむ? マイムがいずれ然るべき年齢に達して、森辺の男衆と婚儀をあげれば、それで血の縁は持てるでしょう? ……ああ、そこでジーダの存在が取り沙汰されるわけですか」


 ずっと泣きそうな顔をしていたマイムが、そこで頬を赤らめることになった。

 そういえば、マイムはずいぶんジーダと絆を深めている様子であったのだ。祝宴ぐらいでしかふたりがそろう姿を見る機会のない俺でさえ、そのように思っていたのだから、同じ場所に住むルウ家の人々にとっては、もはや周知の事実であるのだろう。


「それでしたら、いずれマイムとジーダの間に生まれた子が、森辺の誰かと婚儀をあげれば、それで血の縁は結ばれるではないですか。いささか先の話にはなってしまいますが、べつだん問題はないのではないでしょうか?」


 ドンダ=ルウは、うろんげにフェルメスの笑顔をねめつけた。


「……貴様は、ミケルとマイムが森辺の家人となることを望んでいるのか?」


「僕は何も望む立場ではありません。ただ、この世の人間が幸福に生きるには、正しい運命をつかみ取る他ない、と考えているだけのことです」


 そんな風に述べてから、フェルメスは夢見る乙女のように小首を傾げて、あらぬ方向に視線をさまよわせた。


「いや……それとも、順番が逆なのでしょうか。人が幸福な生を望んで道を進めば、それが正しき運命となる、といったところでしょうかね。何にせよ、できるだけ数多くの人間の幸福が合致するであろう道を探すべきだと思います」


「その場合、考えるべきはミケルとマイム、バルシャとジーダ、森辺の民、そして我々を含むジェノスの民の幸福、なのであろうな」


 笑いを含んだ声で、マルスタインがそのように応じた。


「相分かった。どのみち、領民を募るのは復活祭ののちであるのだ。むろん、その前から布告を回すつもりではあるが……バルシャもジーダもおらぬ場で、何かを決することはできまい。この案件は森辺に持ち帰ってもらい、まずは当人らと今後について語らってもらいたい」


「それで、客分の立場であった4名が森辺の家人となることを望めば、それに許しをいただけるのでしょうか?」


 ガズラン=ルティムの問いかけに、マルスタインは「うむ」とうなずいた。


「アスタとシュミラル=リリンに許したものを、その者たちに許さぬと言いたてる法はない。また、森辺の民が心悪しきものを同胞と認めることはなかろう。当人たちがそれを望み、森辺の族長らがそれを許すならば、わたしにも異存はない」


「しばし待たれよ」と、そこで新たな声があがった。

 これまで沈黙を保っていた、外交官の補佐たるオーグである。オーグはその角張った顔にぶすっとした表情を浮かべつつ、さらに言った。


「すべての決定権はジェノス侯にあるのですから、我々も異存はありませぬ。が、モルガの森辺とて、ジェノスの領土であるのですからな。新たな領民を迎え入れるには、もっと慎重にことを進めるべきでありましょう」


「ふむ。オーグ殿には、何か異論でもあるのであろうかな?」


「大いにありますな。そしてそれは、次なる議題にも関わってくる案件でありましょう」


 次なる議題とは――つまり、俺にまつわる議題なのであろうか。

 そのように考えていると、オーグがじろりと俺をねめつけてきた。


「よろしければ、次なる議題に取りかからせていただきたい。その内容は、森辺の民が町で行っている商売についてでありますな」


 オーグがそのように述べたててきたので、俺は背筋をのばして拝聴することにした。

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