⑤宴の果てに
2014.9/18 更新分 3/3
「ほおら、正真正銘、こいつが最後の肉だよお!」
追加分の肉が、宴の場に届けられる。
いったい今日1日でどれだけの肉を喰らったのか。もはや勘定する気にもなれないぐらいなのに――男衆も女衆も歓呼の声をあげてそちらに群がっていく。
その情景を、ルウの本家の家屋の横合いから眺めつつ、俺はかたわらの少女へと呼びかけた。
「……ララ=ルウは食べに行かないのかい?」
「うん。もうおなかいっぱいだよ。食べすぎた。太っちゃうかな」
まだまだ太っていい気はする。ふたりの姉君に比べたら、彼女はちょっと痩せすぎなぐらいだ。
しかし、ララ=ルウはまだ12歳。身長が先にのびる体質だったのだろう。数年後には、きっと姉君たちにも劣らない魅力的な女性に成長するに違いない。
「ね。最後のあの火、すごかったね。あれは何だったの?」
「普段とは違う果実酒さ。強い酒は、火で燃えるんだ」
もちろんそれは、カミュア=ヨシュから賜った果実酒だった。
1本しかなかったので他の使い道が思いつかなかったから、宴のフィナーレを飾る小道具として使わせていただいたのである。
「ふーん」と大して興味もなさそうに言ってから、ララ=ルウはうっとりと目を閉じる。
「それにしても、アマ・ミン=ルティムは素敵だったなあ。もともと綺麗な人だったけど、花嫁衣装はまた格別だよねえ」
「そうだね。本当にびっくりした。……だけど、ララ=ルウの衣装だって素敵じゃないか」
もちろんララ=ルウも宴装束に身を包んでいる。
まだまだ幼い少女ではあるが、やっぱり髪を垂らすと格段に女性らしくなる。
それでもその容貌をむやみにほめることはつつしんで、衣装をほめるに留めたのだが、けっきょくは背中をおもいきりひっぱたかれてしまった。
ぐったりと疲労した身体に、強い痛みがしみこんでいく。
「あいててて。……で、俺に用事ってのは、何だったのかな?」
「うん? いや、別にあんたに用事があったわけじゃないんだけど……シン=ルウ、見なかった?」
「シン=ルウ? さあ? ルド=ルウあたりと一緒にいるんじゃない?」
「ルドは他の兄たちと一緒だったよ。おかしいなあ。さっきまではシーラたちと一緒にいたはずなんだけど」
何せ100余名がつめかけた宴なのだから、しかたがない。
俺もこうして仕事を終えることができたというのに、相変わらずアイ=ファには巡り合えずにいる。
「よー、アスタ、おつかれさん。かまど番だけじゃなくスン家のぼんくらどもまで相手取ることになって大変だったなあ、おい?」
噂をすれば何とやら。ルド=ルウがそこにひょっこりと姿を現した。
「ジザ兄がそばにいなきゃ、あんな奴ら俺ひとりでぶちのめしてやったのになあ。ま、ルティムの宴なんだから、あそこはルティムの親父さんに花をもたせるべきか」
「あんたは大人しくしときなよ、ちびルド。……スン家なんて、絶対関わらないほうがいいんだから」
「うっせーよ、男女。……で、お前らは何やってんの? やっぱりこんな男かも女かもわかんねーようなのを嫁に迎えるつもりかよ、アスタ?」
怒ったララ=ルウが平手打ちをかまそうとしたが、若き狩人はひょいっとその攻撃を回避してしまう。
「まあまあ。めでたい席なんだから。……ねえ、ルド=ルウ、シン=ルウがどこにいるか知らないかな?」
「シン=ルウ? ああ、あいつだったら、アスタたちが泊まってた空き家のとこにいたぜ」
と、そこでルド=ルウはちょっとだけ面白くなさそうに眉をひそめた。
「そういえば、アイ=ファと一緒だった。……くそ、シン=ルウに余計なことを言わなきゃよかったな」
余計なこと?
疲れ果てた頭の中で、かちりとパズルのピースがはまる。
「余計なことって何さ? あんた、シン=ルウに何を吹き込んだの? ていうか、何でシン=ルウとアイ=ファが話なんてしてんのさ!」
「うるせー。お前にゃ関係ねーよ」と言いながら、ルド=ルウがじっと俺を見つめやってくる。
俺はうなずき、もたれていた壁から肩を離した。
「ララ=ルウ、行ってみよう。俺もアイ=ファを探してたところだからさ」
「え? ああ、うん……」と、ちょっと気弱げな顔を見せるララ=ルウの腕をひっつかみ、俺は空き家へと足を向けた。
「ねえ、何なのさ? シン=ルウとアイ=ファがどうしたの?」
「それはまだわからないよ。俺はそんなにシン=ルウと気心が知れてないから、ララ=ルウが彼と話してやってくれ」
首をひねるララ=ルウとともに、人混みをかきわけて、空き家に向かう。
みんな、本当に楽しそうだ。
いつもは厳めしい顔をしている男衆たちも、顔を上気させて笑っている。
肉と酒。家族と眷族。オレンジ色に燃える炎。勇壮な新郎と、美しい花嫁――色んなものに、酔いどれているのだろう。
こんな宴に関われたことを、嬉しく思う。
自分の仕事をやりとげられたことを、誇らしいと思う。
この思いを、わかちあうことができるのは――
やっぱり俺には、アイ=ファしか存在しないのだ。
「あ……」とララ=ルウが声をあげる。
そこだけ薄暗くて人気のない空き家の裏手から、アイ=ファとシン=ルウが姿を現したのだ。
シン=ルウの姿は、人の群れに埋没し。
アイ=ファだけが、その場に居残った。
「シン! シン=ルウ!」と、ララ=ルウが俺の手を振り払って、人混みの中に駆けていく。
もちろん俺は、小走りでアイ=ファのもとに向かった。
「アスタ……」と、アイ=ファが驚いたように目を見開く。
「どうした? 何かあったのか?」
「いや……こっちはどうもしないよ」
アイ=ファの前で、立ち止まる。
とたんに、右の膝ががくりと砕けた。
危うく倒れそうになったところを、アイ=ファの強い腕に支えられる。
「どうしたのだ? 身体がおかしいのか?」
「いや……くたびれ果てただけよ。けっきょくつまみ食い以外では何も口にしてないしなあ」
「馬鹿者。これだけの仕事をして、まともに食事をしていないというのか?」
怒った顔で言い捨てて、俺の身体を家屋の壁にもたせかける。
「待っていろ。肉を取ってきてやる」
「いや、いいよ。まだしばらくは咽喉を通りそうにない」と、俺は慌ててアイ=ファの腕を引っつかんだ。
「ようやく仕事が終わったんだ。もうちょっと余韻にひたらせてくれ」
言いながら、ずるずると地面に腰を下ろしていく。
アイ=ファはちょっと迷うような顔をしたが、けっきょく隣りに座ってくれた。
ただし、いつもの片膝あぐらで。
「あのさあ、アイ=ファ。そんな格好をしているときぐらい、女衆ぽく振る舞ってもバチは当たらないんじゃないか?」
「お前までおかしなことを言うな。ジバ婆がどうしてもと言うから、しかたなく着ているだけだ、このようなものは」
と、細い指先で半透明のヴェールをはじくアイ=ファである。
「女衆である前に、私は家長であり、狩人なのだ。私が宴装束など身にまとっても滑稽なだけだ」
「そんなことは、全然ないよ。確かにお前は家長だし狩人だけど、やっぱり女衆であることには間違いないんだから」
不機嫌そうな顔をするアイ=ファに、俺は笑いかけてやる。
「ものすごく似合ってるよ。お世辞じゃなく、本当に綺麗だ」
アイ=ファは顔を赤くしたりはせず、ただ食べ物を咽喉にでも詰まらせたかのように目を白黒とさせた。
そして最終的に放たれた言葉は、「わけのわからぬことを言うな」である。
そうして、いっこうに終わる気配を見せない宴のほうへと、顔を向ける。
「……仕事は、終わったのだな」
「ああ、終わった」
「後のことはどうだか知らぬが、お前はお前の仕事をやりとげた」
「ああ」
「これがお前の力だ、アスタ」
アイ=ファは何だか、ひどく遠い目つきをしていた。
何だろう。
さっきまでは普通だったのに、何だかアイ=ファの存在を遠く感じてしまう。
「アスタ」
「ああ」
「お前は、ルティムとともにあるべきなのではないだろうか」
俺は、じっとアイ=ファの横顔を見つめる。
アイ=ファは、こちらを見ようとしない。
「ガズラン=ルティムは、お前の力を認めている。ダン=ルティムも、それは同様だ。さすがに本家への婿入りまでは認められぬだろうが、今の私と同じように、血の繋がらぬ家人としてなら、諸手を挙げて迎え入れてくれるだろう」
「おい」
「そうして絆を深めれば、分家への婿入りぐらいは認められるかもしれん。そうすれば、お前もこの森辺で――」
「何なんだよ? どうして突然そんなことを言うんだ?」
俺は、アイ=ファに詰め寄った。
しかし、アイ=ファは俺を見ようとしない。
「……それでは逆に問うが、お前はファの家に居座って何を為すつもりなのだ?」
「何って……」
「ファの家はルウやルティムほど豊かではない。このように贅を尽くした食事はとうてい望めない。アリアと、ポイタンと、ギバの肉と、後はわずかな野菜だけを材料に、自分と私だけの食事を作って……それでお前は、満足なのか?」
「満足だよ。俺は料理人としてお前に料理をふるまってるわけじゃない。家族として、ファの家のかまど番として、料理を作っているだけなんだ。家計をやりくりして食卓を彩るのが、かまど番の仕事だろ」
「それでお前は、満足なのか?」
「満足だ」と、俺は言いきった。
「こうやって仕事として料理を作れるなら、それは嬉しい。楽しいし、幸福だ。だけど俺がかまどの番を預かりたいのはルウでもルティムでもない。ファの家だ。俺はお前に、俺の料理を食べてほしいんだよ」
「…………」
「もしかしたら、また酔狂な御仁が現れて、俺に宴や一夜のかまどを預かってほしい、とか言い出すかもしれないだろ? そういう仕事なら、大歓迎だ。そんな期待を胸に抱きながら、俺はファの家で料理を作っていたいんだよ」
「しかし……」と、アイ=ファが俺を見ないまま、つぶやく。
「私は今日、またしてもスン家の連中と悪い縁を結んでしまった」
「そんなの、俺も一緒だろ」
「私には自分の身を守る力がある。しかし、私が森に入っている間、家にひとりでいるお前を守る力はない」
「それは……」
「ルティムやルウには、その力がある。今日のような嫌がらせをすることはできても、今のスン家にルウやルティムに刃を向ける意気地はない」
「…………」
「アスタをファの家に置いておくのは、危険だ」
「……それは、お前が考えたことなのか?」
俺はいっそう、アイ=ファに詰め寄った。
しかし、アイ=ファは動かない。
「そんなの、今さらな話じゃないか? あのドッド=スンっていう男とは、7日も前に顔を合わせてるんだ。それで今さらそんなことを言うのは、何でだ?」
「……あの日以降、お前はずっとこのルウの集落に住みついていた」
「ああ、そうだよ。だけどお前は今日の朝、『明日からはまたこれまで通りの生活だ』って言ってくれたじゃないか? それがどうして今になって突然そんなことを言うんだよ?」
「……今日またスン家と悪い関わりが生まれた。そしてお前は、ルティムに力を示すことができた」
「それだけか?」
「……アスタをファの家に置いておくべきではない、と言われた」
「レイナ=ルウにか」
「…………」
「そんな気がしたよ。彼女が俺の心配をしてくれるのは、ありがたいと思うべきなんだろうけど――」
レイナ=ルウの涙を浮かべた悲痛な顔が、脳裏をよぎっていく。
「だけどそれは彼女の気持ちであり、俺の気持ちじゃない。俺は、自分の気持ちとお前の気持ちにしか従いたくはない」
「…………」
「俺の気持ちは、決まってる。俺はファの家にいたいんだ。俺がファの家を出るのは、お前に愛想を尽かされて追い出されるときだけだ」
「……私に出ていけと言われれば、出ていくのか?」
俺は怒って、遠い側にあるアイ=ファの肩をつかみやり、無理矢理こちらを向かせてやった。
アイ=ファの力だったら、そんなのも簡単にはねのけられるはずであるが、アイ=ファは逆らわなかった。
青い瞳が、ひさかたぶりに俺を見る。
「俺はお前のそばにいたい。お前に嫌われても出ていきたくない。俺を追い出したいなら、力ずくで追い出してみろ。……腕力だったら、さすがにお前にはかなわないからな」
「…………」
「俺に消えてほしくないって言ってくれたのは嘘だったのかよ?」
アイ=ファの瞳に、炎が宿った。
「消えてほしくない。だから、ルティムの家に入るべきなのではないかと言っているのだ、私は!」
「そうか。そう思ってくれているなら、やっぱり俺はお前のそばにいたい。スン家のことは――本当に危険なら、何か対策を考えよう。最悪、俺は、あのカミュア=ヨシュという男を頼ってもいいと思ってる」
「……あの男は、石の都の住人だ」
「お前が嫌なら、それはやめる。だったらルウやルティムに土下座でも何でもしてやる。眷族でも何でもない俺を、守ってくれと。――それでも俺は、アイ=ファと離れたくはないんだ」
アイ=ファの瞳が、炎を宿したまま、ゆらめいた。
怒っているのか、どうなのか――もしかしたら、自分自身でもよくわかっていないのかもしれない。
女衆なのに、狩人としての顔を持つ、アイ=ファ。
この森辺にもたったひとりしか存在しないのであろう、女狩人のアイ=ファ。
俺は――
「……シン=ルウの用事ってのは、何だったんだ?」
「なに?」
「さっきまで話してたんだろ? もしかしたら、『贄狩り』のことか? たったひとりで5人の家族を養っていくために、自分も『贄狩り』がしたいと――もしかしたら、そんな相談だったんじゃないのか?」
「…………」
「お前は何て答えたんだ、アイ=ファ?」
「……『贄狩り』は危険な狩りだ。お前が生命を落としたら誰が5人の家族を守るのだ、と答えた」
「そうか。だけどお前だって、俺っていう家人がいるのに、その『贄狩り』を続けてるじゃないか。お前にこびりついているこの甘い匂いは、そのギバ寄せの実の匂いなんだろう?」
アイ=ファの顔に、うっすらと血の気がのぼってくる。
こんなに激情にとらわれていても、やっぱり匂いについて触れられるのは恥ずかしいのか。
だけど俺は、この匂いが好きなのだ。
ギバ寄せの実の甘い匂いと。
香草の清涼な匂いと。
ピコの葉の鋭い匂いと。
グリギの実の優しい匂いと。
肉と脂の美味そうな匂い。
それらが渾然となったアイ=ファの香りが――俺は好きなのだ。
これは、アイ=ファだけの香りだ。
男衆と女衆の仕事をひとりでこなしてきた、アイ=ファだけの香りなのだ。
森の匂いと家の匂いが溶け合った、アイ=ファだけが持つ香りなのだ。
「そんな危険な真似をしてまで、狩人をする必要はない――なんて、お前は絶対誰にも言われたくないだろう、アイ=ファ?」
「…………」
「俺だって同じだ。ファの家のかまど番なんて危険だ、なんて、どこの誰にも言われたくないんだよ」
ルド=ルウの言葉が、脳裏に蘇る。
心配するんじゃなく、尊敬しろ。
そうまでして、アイ=ファはギバを狩ろうとしているのだ。
森辺の民として――狩人として生きるために。
『贄狩り』をやめるなら、狩人をやめるしかなかったのかもしれない。
女衆として、どこかの家に嫁ぐしかなかったのかもしれない。
そんな運命を拒絶して、アイ=ファが狩人として生きているのなら――
それゆえに、アイ=ファがこんなにも強くて、気高くて、美しい存在たりえたのなら――
俺はやっぱり、アイ=ファの選択を、決断を、否定したくはない。
俺は、アイ=ファがこういう人間だからこそ、魅了されたのだ。
森の匂いと家の匂いを併せ持ち。
狩人としての強さと女の子としての可愛らしさを併せ持つ。
アイ=ファが、こういう人間だったからこそ――俺は、アイ=ファと一緒にいたい、と望んだのだ。
「スン家のことは、俺も考える。だから、お前のそばにいさせてくれ。俺は、お前と一緒にいたいんだ」
しばらくアイ=ファは、黙りこんでいた。
俺の真意を探ろうとするかのように、その強い光をおびた瞳が俺の瞳を見つめやっている。
そのまま、どれぐらいの時間が経ったのか――
やがてアイ=ファは、「……勝手にしろ」と、そっぽを向いた。
唇が、少しとがっている。
頬のあたりが、まだ少し赤い。
ようやく――いつものアイ=ファに戻ってくれた。
安堵の息をつく俺とアイ=ファのもとに、じゃりっと音を鳴らして人影が近づいてくる。
「お取り込み中、すみません。よろしいですか、アスタにアイ=ファ」
何とそれは、ガズラン=ルティムだった。
ギバの頭部つきマントを着た勇壮な狩人の姿で、静かに俺たちを見下ろしている。
「ああ、どうも。別に取り込んではおりませんよ」
と、答えながら、俺はアイ=ファの肩をつかんだ体勢のままだったことを思い出し、慌てて手を離した。
それでアイ=ファはそっぽを向いて頬を赤くして唇をとがらせているのだから、どこをどう見たって取り込み中だ。
というか、よくもまあこんな取り込んだ人間たちに声をかけられるものである、この御仁も。
「すみません。なかなか宴から離れられない身体ですので。失礼とは思ったのですが、声をかけさせていただきました」
「ああ、いえ、どうも」とか言いながら、俺は立ち上がる。
もちろんアイ=ファも立ち上がったが、その際におもいきり肘鉄で脇腹を小突かれた。
「明日は顔を合わせられるかどうかもわかりませんので、今宵の内にと思い、代価をお持ちしました」
と、報酬の残り半分、ギバ10頭分の牙と角が差しだされる。
きっと婚儀の祝福の一部なのだろう。ご丁寧に、きちんと革紐で首飾りに仕立てられている。
「素晴らしい食事をありがとうございました。眷族たちの幸福そうな顔を見て、私も私の判断が間違っていなかったことを確信できました」
「こちらこそ、俺を信用してくださって、ありがとうございます。……そして、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう」と、はにかむように微笑む新郎である。
「そして、スン家のことについても――あなたたちを矢面に立たせることになり、本当に申し訳ありませんでした。父ダンもドンダ=ルウも怒りのあまり刀を抜きかねなかったので、しばらくは周囲の男衆が押さえこんでいたのです」
「いやあ、あれは俺たちが勝手にやったことですから。むしろルティムに災いを寄せることになるんじゃないかと、それだけが心配でした」
「災いは、こちらの思惑など無視して、いつでも降りかかります。それはこの夜にもはっきりわかったことです」
ガズラン=ルティムの真っ直ぐな瞳が、強い光を浮かべやる。
「しかし、スン家も思い切った行動には出られないはずです。どんなに私たちの存在が意に沿わなくとも、私たちの存在なくして森辺を守ることはできないのですから。今の安楽な生活を守るためにも、あちらからルウやルティムに刃を向けることなどはできないはずなのです」
「なるほど」
「しかし、あなたたちは違う。たったふたりの家人しかいないファの家を滅ぼすことに、スン家はそれほどの躊躇いは覚えないでしょう」
「…………」
「それでも、こうしてルウやルティムがあなたがたと親しくしている限り、そうそう悪辣な真似はできないはずですが……今日のような例もあります。どうかご自愛ください、アイ=ファにアスタ」
「はい。色々と考えてみるつもりです」
ガズラン=ルティムはひとつうなずき、それから俺の手に移った首飾りにあらためて視線を落としてきた。
「しかし、本当に代価はギバ20頭分でよろしかったのでしょうか。私としては、やはり本日の祝福をすべて捧げたいぐらいの気持ちなのですが」
「十分ですよ。無茶苦茶に嬉しいです。こいつは遠慮なく、近日中に使わせていただきますから」
そう言って、俺はまだちょっと赤い顔をしているアイ=ファを振り返った。
「これで新しい鉄鍋が買えるな! そうすればファの家でも焼き料理とスープを同時に作れるぞ。苦労した甲斐があったな、家長?」
アイ=ファは唇をとがらせたまま、あんまり強くない力で俺の足を蹴ってきた。