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異世界料理道  作者: EDA
第四十三章 傀儡使いと老剣士
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二日目~ファの家の晩餐~

2019.4/20 更新分 1/1

 翌朝である。

 俺とアイ=ファが洗い物を抱えて玄関を出ると、そこにはリコたち3名がずらりと立ち並んでいた。


「おはようございます! 今日もいい天気のようですね!」


 彼女たちは、森辺の集落で一夜を明かしたのだ。

 とはいえ、どこかの家に宿泊したわけではない。ファの家の前に広がる空き地の隅に荷車をとめて、そこで朝を迎えたのである。


 聞くところによると、彼女たちは普段から宿屋というものを利用せず、荷車の中で夜を過ごしているらしい。まあ、旅芸人であれば野宿をすることもしょっちゅうであろうし、銅貨を節約しなければならないという面もあるのだろう。アイ=ファは両手に抱えていた鉄鍋を地面に置くと、土間でくつろいでいた2頭のトトスたちを引っ張り出した。


「では、こやつらを返しておく。日が昇れば、ギバやギーズやムントを警戒する必要もないからな」


「ありがとうございます! どうもお世話をおかけいたしました!」


 あくまでも元気に笑いながら、リコは手綱を受け取った。ベルトンはあくびを噛み殺しており、ヴァン=デイロは岩の彫像のように立ち尽くしている。


「では、水場に向かわれるのですね? お仕事の邪魔にならない範囲で、アスタのお話をお聞かせください!」


「うん、それはかまわないけどさ……でも、貴族からの了承を得られなかったら、それも無駄骨になっちゃうんだよ?」


「決してそのようなことにはならないと信じています! どうかよろしくお願いいたします!」


 彼女はそういった目的のために、ファの家の前で夜を明かすことになったのだ。

 俺の物語を手掛けている期間は、町で芸をして銅貨を稼ぐこともかなわない。よって、蓄えが尽きる前に物語を完成させなければならないのだそうだ。傀儡の新しい衣装を準備するのにも銅貨は必要であるのだから、いっそうのんびりとはしていられない、ということなのだろう。


「えーと、それじゃあ何を話せばいいんだろう? 物語の主体となるのは、スン家やトゥラン伯爵家にまつわる騒動なんだよね?」


「はい! ですが、まずはわたし自身がアスタという御方のことを知り尽くさなければなりません。よろしければ、アスタがこの森辺にやってきたところからお聞かせください!」


 となると、1年半も前の記憶を引っ張り出さなければならなくなる。

 鉄鍋を抱えて歩きながら、俺は「うーん」と思考を巡らせた。


「俺が森辺にやってきたのは、去年の黄の月の24日だね。気がついたら、モルガの森の中に倒れていたんだ」


「はい! アスタはこの大陸のお生まれではないのですよね? いったいどのようにしてこの土地までやってこられたのか、それは不明のままであるのですか?」


「そうだね。そこのあたりは、さっぱりだよ。……導入部からこんなあやふやな感じで、大丈夫なのかな?」


「もちろんです。正体不明の渡来人というのは、物語のひとつの定番ではないですか。『白き賢人ミーシャ』だって、そうでしょう? アスタのそういう来歴が、いっそうその生を神秘的に彩っているのです!」


 俺の来歴は神秘的でも、俺自身は俗物そのものである。これで本当に立派なお芝居など作りあげられるのだろうかと、いまさらながらに首を傾げつつ、俺は言葉を重ねていった。


「えーと、それでわけもわからずに呆然としていたら、飢えたギバに襲われちゃったんだよ。そのギバから逃げまどっているうちに、落とし穴に落ちちゃって……そこをアイ=ファに助けられたんだ」


 アイ=ファは無表情に、颯爽とした足取りで歩いている。

 俺が主人公の物語などを作りあげたら、何をどう考えたってアイ=ファも登場する羽目になってしまうはずであるが、そこのところはまったく気にしていないらしい。外聞を気にかけない森辺の民の豪胆さゆえなのであろう。


「それで俺は事情を説明したんだけど、俺自身が状況を把握できていなかったからさ。とにかく日没が迫ってたんで、まずはファの家に向かおうという話になって――」


「お待ちください。アイ=ファと初めて出会ったとき、アスタはどのような心情を抱かれたのでしょうか?」


「……心情? でも、そんな心情が傀儡の劇で語られるわけではないよね?」


「それはすべてのお話をうかがってからでないと、決められません。何にせよ、物語に生命を吹き込むには、アスタの心情をおうかがいする必要があるのです」


 言われてみれば、もっともな話である。

 しかし、そうだからといって簡単に答えられるものでもなかった。


「うーん、だけど……さすがに本人のいる前では、ちょっと語りにくいかなあ」


「何故だ?」と問うてきたのは、アイ=ファであった。


「何故って、ほら、なんとなく想像はつくだろう?」


「わからんな。お前は、私に心情を隠そうというつもりであるのか?」


 横目で俺を見やるアイ=ファの瞳に、じわりと不穏な光が灯る。


「いやあ、心情を隠すとかそういう話じゃなくってさ。知らぬが花って言葉もあるじゃないか」


「そのような言葉は聞いた覚えもない。つつみ隠さず、心情を述べてみせるがいい」


「でも、それで足を蹴られるのは、俺だからなあ」


 俺がそのように述べたてると、アイ=ファは「ああ」と眼差しをやわらげた。


「あの頃は、おたがいのことを何も知らぬ身であったのだ。そうであれば、どのような思いを抱こうとも不思議なことはない。余計な気は回さずに、正直な心情を述べてみせるがいい」


 まず間違いなく、アイ=ファは誤解しているようだった。

 しかし、こんなに優しげな瞳で見つめられてしまうと、さすがに口をつぐんではいられない。ここは俺が、足を蹴られる覚悟を固めるしかないようだった。


「よし、わかった。アイ=ファの第一印象な。俺の記憶にある限り、それは3つの事項に集約される」


「はい。どのような印象であったのでしょう?」


 リコは、無邪気に問うてくる。

 俺はローキックをくらう覚悟を固めつつ、いざ決然と答えてみせた。


「すごく美人で、すごい迫力で、すごくいい匂いがするなあ。……と、あのときの俺はそう思ったよ」


 アイ=ファのしなやかなる足は、俺の足ではなく尻を蹴り飛ばしてきた。


「……だから、嫌だって言ったのに」


「やかましい!」


 そんな寸劇を演じている間に、水場に到着してしまった。

 水場にはフォウやランの人々がいたので、リコとの対話もしばし休憩だ。こんなペースでは、すべてを語り終えるのにどれだけの時間がかかるかもわからなかった。


 洗い物を片付けながら、俺は人々にリコたちの紹介をする。フォウの年配の女衆は、「なるほどねえ」と目を丸くしていた。


「ファの家から戻ってきた女衆に、おおよそのことは聞いてたけどさ。とにかくまあ、貴族や族長なんかの許しが出たら、アスタがその傀儡の芸ってやつの材料にされるってこったね。こいつは、たまげたもんだ」


「はい! 必ずや立派な物語を作りあげてみせますので、どうぞ楽しみにしていてください!」


 リコは人好きのする女の子であったので、フォウやランの人々もひとまずは好意的に受け入れるかまえであるようだった。そもそもが幼子に老人という組み合わせであったので、それほどの警戒心をかきたてられることもないのだろう。森辺の狩人や歴戦の剣士でもなければ、ヴァン=デイロの比類なき力を感じ取ることも難しいのだ。


 その後もリコたちは、可能な範囲で俺たちに追従してきた。水場から帰った後は、森の端で水浴びと薪拾いである。水浴びと聞いて瞳を輝かせたのは、リコであった。


「森辺には、水浴びができるような川があるのですね! 水浴びなんて、わたしはひと月ぶりです!」


 森の端へと歩を進めながら、アイ=ファはいぶかしげにリコを振り返る。


「では、お前たちはどのようにして身を清めているのだ? 身を清めぬまま過ごしているようには見えないのだが……」


「それはもちろん、水にひたした布で身体をぬぐっています。でも、水場や井戸のある場所でないと、なかなか髪を洗うこともままならないのです」


 町から町へと旅を続ける流浪の身であれば、それも当然の話であるのだろう。水浴びをこよなく愛するアイ=ファは、いくぶん気の毒そうにリコの笑顔を見やっていた。


 そうして俺たちは、男女に分かれて水浴びをすることになったわけであるが――ヴァン=デイロの鍛えぬかれた肉体には、少しばかり驚かされることになった。

 筋骨隆々、というほどではない。しかし、然るべき場所に然るべき筋肉のついた、実に見事な体躯である。60歳でこのような肉体を保持できるというのは、やはり尋常ならざることであるのだろう。なおかつ、その左肩から胸もとにかけて、禍々しい4本の古傷が刻みつけられているのが、なんとも言えない迫力をかもし出していた。


「……それはもしかして、銀獅子に負わされた傷であるのでしょうか?」


 老剣士は「うむ」とうなずいただけで、多くを語ろうとしなかった。

 そんなヴァン=デイロのかたわらでは、ベルトンが心地よさそうに頭から水をかぶっている。出会ったときからずっと不愛想な彼であったが、そのときばかりは年齢相応の無邪気さを垣間見せていた。


 そうして水浴びを済ませた後は、薪拾いと香草の採取を済ませて、家に戻る。

 俺は商売の下ごしらえで、アイ=ファは薪割りなどの家の仕事だ。リコはその日も見学を願い出て、ずっとかまど小屋の片隅にたたずんでいた。


「それで、俺たちが商売をしている間、リコたちはどうするのかな?」


「はい! できれば、ルウ家のみなさんにお話をうかがいたいと願っています! アスタからお話をうかがうばかりでなく、アスタをよく知る方々にもお話をうかがうのが肝要だと思いますので!」


 時間を重ねるにつれて、リコの意欲はますます盛んになっている様子であった。

 下ごしらえの仕事を終えたのちは、アイ=ファとティアに別れを告げて、まずはルウの集落に向かう。リコからの申し出は、ミーア・レイ母さんによって快く受け入れられることになった。


「アスタの話だったら、いくらでも聞かせてあげられるよ。まあ、1日やそこらじゃ語り尽くせないと思うけどね」


「ありがとうございます! どうぞよろしくお願いいたします!」


 それでようやく、リコたちとはしばしの別れであった。

 本日も5台の荷車で、宿場町へと出発する。すると、ルウの集落で合流したヤミル=レイが、「ねえ……」と呼びかけてきた。


「けっきょくドンダ=ルウは、あの娘の申し出を受け入れたそうね。あとは他の族長たちと貴族からの了承を得られたら、傀儡の劇とかいうものを作りあげることになるのよね?」


「はい。それで完成したら、まずは俺たちが拝見することになっています。森辺の民の誇りを汚すような内容であれば、とうてい容認はできませんからね」


「ふうん……」と言ったきり、ヤミル=レイは口をつぐんでしまった。

 おそらくは、スン家がどのような役割を与えられるかを気にしているのだろう。スン家は実際に大きな罪を犯しているのだから、そこを避けて通ることはできないのだ。


(だけど俺の知る限りでは、スン家にだって根っからの悪人なんてものは存在しなかった。リコには、それを理解してもらわないとな)


 その一件があったからこそ、俺も無条件で了承したりはしなかったのだ。

 俺は自分がスン家やトゥラン伯爵家にどのような思いを抱いているのか、それを余さずリコに伝えさせていただく所存であった。


 そうして《キミュスの尻尾亭》で屋台を借り受けて、所定のスペースで準備をしていると、見慣れた一団が接近してきた。森辺と宿場町の若衆たちである。


「やあ、アスタ! ずいぶん面白そうな話が持ち上がってるみたいじゃん!」


 そんな風に声をかけてきたのは、ユーミであった。きっとレビやテリア=マスあたりから事情を聞いたのだろう。そのかたわらには、ジョウ=ランとフォウの男衆の姿も見える。


「うん。面白いというか、とんでもない話だよね。俺はいまだに、何かの間違いなんじゃないかって首を傾げたい気分だよ」


「そう? あたしはべつだん、そうは思わなかったなー。アスタはもちろん、普通の森辺の民だって、ちょっとおとぎ話みたいに不思議なところのあるお人たちだからさ」


 そう言って、ユーミは愉快そうに笑っていた。


「ただ、アスタたちの傀儡がどんな風に仕立てられるかは、楽しみなところだね! いつぐらいに出来上がるんだろう?」


「その前に、まずは貴族や他の族長たちの了承を得ないといけないからさ。族長たちはともかく、貴族たちに口出しされる可能性はあるだろうからね」


「ふーん? いまさら隠し立てするような話でもないし、大丈夫なんじゃない? ……だけどまあ、あのお姫さんが嫌な思いをするのは、ちょっと気の毒かあ」


 それはもちろん、リフレイアのことであろう。ユーミもルウ家の祝宴において、わずかばかりはリフレイアと縁を結んでいるのだ。


「まあ、どっちに転んだって、あたしはかまわないけどさ。その傀儡使いは、どこで何をしてるわけ?」


「いまはルウ家で話を聞いて回ってるはずだよ。もしかしたら、そのうちユーミからも話を聞きたがるかもね」


 すると、ジョウ=ランが横から身を乗り出してきた。


「その者たちは、ユーミのもとを訪れようとしているのですか?」


「え? いや、そういうわけじゃないけどね。あれだけ熱心なら、宿場町の人からも話を聞きたがりそうだなと思っただけさ」


「そうですか……その一団には刀を下げた人間も含まれていると聞いていたので、いささか心配です」


 ジョウ=ランが本当に心配そうな顔をしていたので、ユーミがその胸もとを叩くふりをした。


「あんたは、心配性だねー。ルウ家の人らが歓迎してるんなら、少なくとも悪い連中ではないんでしょ」


「うん。アイ=ファも昨日言葉を交わして、警戒心を解いたみたいだよ」


「そうですか。でも、自分の目で確認しないことには、なかなか安心しきれません。帰り道にはルウの集落に立ち寄って、俺もその者たちと言葉を交わしてみようと思います」


「まったくもう」と言いながら、ユーミは片手で自分の頬を撫でていた。これはすべてユーミを案じての言葉であったので、いくぶん照れ臭くなってしまったのだろう。

 そうして、そろそろ料理も温まったかなという頃合いで、フォウの男衆が「うむ?」と声をあげた。


「あれは、ルウ家の男衆だな。もしかしたら、城下町からの帰りであろうか」


 俺も首をのばしてみると、確かに北の方角からトトスを引いて歩いてくる男衆の姿が見えた。片足をわずかに引きずっている、あれはリャダ=ルウだ。


「ああ、シン=ルウの親父さんかあ。この前は、あんまりお話もできなかったね!」


 ユーミが陽気に呼びかけると、リャダ=ルウは屋台の前まで近づいてきた。


「アスタに伝えておきたいことがある。しばし言葉を交わすことはかなうか?」


「はい、大丈夫ですよ。いったい、どうされたのですか?」


「貴族たちからの返答を、いちおう伝えておきたいのだ」


 リャダ=ルウもけっこうなポーカーフェイスであるので、内心はまったくうかがえない。フェルメスが何かおかしなことを言いだしたのではないかと、俺はいくぶん心配になってきてしまった。


「傀儡使いの一件は、当人たちから直接話を聞きたいとのことだ。明日の朝方、城下町まで連れてくるように言い渡された」


「え? リコたちを城下町に? 貴族の方々は、そんなにこの一件を重くとらえているのでしょうか?」


「いや。もともとあちらも、森辺の民に用事があったらしい。それならば、ついでにその者たちも連れてくれば話が早い、という考えであったようだ」


 森辺の民に用事とは、いったい何の件であろう。

 しかし、その内容はリャダ=ルウにも伝えられてはいないとのことであった。


「何も悪い話ではないので、心配は無用とのことであった。……ただ、その顔ぶれが、ちと奇妙でな」


「顔ぶれ? 森辺の三族長ではないのですか?」


「うむ。族長はドンダ=ルウのみでかまわぬそうだ。あとは、アスタとミケルにも出向いてほしいと言っていた。アイ=ファやマイムをどうするかは、こちらにまかせるという話であったな」


 それは確かに、奇妙な組み合わせであった。ドンダ=ルウと、ミケルと、俺――この組み合わせに、どのような意図が秘められているのだろう。


「もしかしたら、アスタとミケルにはそれぞれ別の用件があるのやもしれん。最初はドンダ=ルウとミケルのみの名前があがり、その後にアスタの名が加えられたのだ」


 それだけ言って、リャダ=ルウは屋台から身を離した。


「では、俺は集落に戻ろうと思う。詳しくは、そちらの仕事の後でな」


「はい。どうもありがとうございました」


 リャダ=ルウは立ち去り、横で聞き耳を立てていたユーミは「ふーん?」と首を傾げる。


「アスタが城下町に呼びつけられるのはしょっちゅうだけど、ミケルってのは何なんだろうね? あのお人が呼びつけられるのなんて、前に王都の貴族がやってきたときぐらいじゃない?」


「うん、そうだね。俺にもさっぱり意味がわからないよ」


 俺は視線を、南の側に差し向けた。

 しかし、マイムの屋台とは距離があるので、彼女の小さな姿は手前の人影に隠されてしまっている。


(まあ、悪い話ではないって言葉を信じるしかないか。……でも、ミケルにどういう用事なんだろう)


 そんな疑念を抱え込みながら、俺はその日の商売に取りかかることになった。


                      ◇


「……私たちも、また城下町まで出向かなくてはならぬのか」


 その日の、夜である。

 俺が晩餐の準備をしている間、アイ=ファはずっと仏頂面をさらしていた。


「いったいどのような用向きであるのか、事前に伝えればよかろうに……どうして貴族というものは、いちいち話をもったいぶるのであろうな」


「わからないけど、それが貴族の習わしなのかもな。まあ、悪い話ではないって言ってるんだから、きっと心配はいらないさ」


「……あのフェルメスがらみの話ではないと知れれば、私とて文句をつける気はないのだがな」


 そんな風にぼやくアイ=ファの向かいでは、リコがかしこまった面持ちで座していた。両隣には、もちろんベルトンとヴァン=デイロも控えている。本日は、彼女たちをファの家の晩餐に招待させていただいたのである。


「アスタたちは、たびたび城下町に招かれているのですね。でも、旅芸人のわたしたちが貴族の御前に招かれるなんて……本当に、信じ難い話です」


「そうかい? 城下町の人間にだって、芸を楽しむ人間はいるんだろう?」


《ギャムレイの一座》のことを思い出しながら、俺はそのように問うてみた。あの中で、ニーヤだけは通行証を所有しており、城下町でも銅貨を稼いでいたという話であったのだ。


「貴族に召される旅芸人なんて、よほど名のある者たちだけです。わたしたちは、野盗と変わるところのない、下賤の身であるのですからね」


「ええ? そんなことはないだろう? 野盗は罪を犯すけど、旅芸人は人を楽しませるだけじゃないか」


「だけどわたしたちは、どこの領地にも属さない根無し草です。物も作らず、税も払わず、領民から銅貨をかすめ取るだけの、卑しき身分……ですから、町の外でわたしたちを斬り捨てても、その者が罪に問われることはありません。旅芸人が魂を返しても、誰の損にもなりはしないからです」


 すると、アイ=ファが鋭い声音で「そのようなことはない」と言いたてた。


「お前たちが魂を返せば、嘆き悲しむ人間もあろう。たとえ血族のない身であっても、こうして縁を結べば友となりえるのであるからな」


 リコは一瞬きょとんとしてから、「ありがとうございます」と微笑んだ。


「森辺の方々は、こうしてわたしたちを夜の食事に招いてくれますものね。町の人間であれば、決して旅芸人に敷居をまたがせたりはしないものなのですよ」


「それじゃあもしかして、銅貨にゆとりがあっても、宿屋に泊まったりはしないのかな?」


「はい。銅貨さえ払えば泊まれないこともないのでしょうが、旅芸人を嫌がる人間は少なくありませんので、こちらから願い出る機会もありません」


 アイ=ファがますます不機嫌そうな面持ちになってしまったため、リコはそれをなだめるように屈託なく微笑む。


「だけどわたしたちは、旅芸人としての誇りを持っています。誇りというか、矜持というべきでしょうかね。町には町の幸福があり、旅芸人には旅芸人の幸福がある。それをわかっていれば、自らを蔑もうという心持ちにはなりません」


「お前たちは……いくぶん、森辺の民に似た部分があるのやもしれんな」


 アイ=ファの言葉に、リコは「そうですね」と目を輝かせた。


「森辺の民は王国の領民であるのに、わたしたちや自由開拓民のように自由な魂をお持ちなのだと思います。それゆえに、時には蛮族と呼ばれてしまうこともあるのでしょう」


「うむ。私たちも、そのような言葉を気にかけたりはせぬからな。……お前たちもそれと同じように、誇りを抱いて生きているということか」


 アイ=ファはようやく納得した様子で、ひそめていた眉をもとに戻した。

 そのタイミングで、晩餐の準備も完了である。


「お待たせしました。それでは、お召し上がりください」


 俺とアイ=ファは食前の文言を唱え、それを待ってから客人たちは木匙をつかみ取る。

「うわあ」とはしゃいだ声をあげたのは、やはりリコであった。


「昨日のルウ家の食事も豪華でしたが、今日もまるで宴みたいですね!」


「お口に合えば幸いだよ。遠慮なく召し上がれ」


 そんな風に述べてから、俺はアイ=ファを振り返った。


「さ、家長もどうぞ。今日も1日、お疲れ様でした」


「うむ」と厳粛に応じつつ、アイ=ファは口もとをごにょごにょとさせている。きっと客人たちの前であるので、ゆるみそうになる口もとを懸命に引き締めているのであろう。これでこそ、腕をふるった甲斐もあったというものであった。


 本日の晩餐は、アイ=ファの好物たる『ロコモコ丼』であったのだ。

 大量のシャスカが手に入ってから、この献立を供するのは本日で2度目となる。去りし日にこの『ロコモコ丼』を供したときも、アイ=ファはそれはもう満足げに食していたのだった。


 内容としては、シンプルなものである。ほかほかに炊きあげたシャスカの上に、ハンバーグと目玉焼きと生野菜をのせて、グレイビーソースを掛ければ完成だ。

 ただひとつ頭を悩ませたのは、この地にレタスに代わる野菜が存在しないことだった。

 キャベツのごときティノでは歯ごたえがありすぎて、いまひとつ調和しないように感じられる。かといって、ハンバーグと目玉焼きだけでは、いささか物足りない。そこで俺が使用したのは、白菜のごときティンファであった。


 ティンファは遠方のバルドという領地から運び込まれたものであるので、腐らないように干し固められている。それを水で戻してから、茹でたり煮込んだりというのがこれまでの使い方であったが、『ロコモコ丼』に着手するにあたって、俺は初めて生のままでそれを使用することになったのである。


 生のティンファは、やはり白菜と同じように、若干のえぐみを持っていた。煮込むとほんのり甘くなるのに、生のままでは味らしい味もしない。

 しかし、そのほどよい噛みごたえと清涼感は、俺の求める『ロコモコ丼』にマッチしていた。


 ソースがそれなりに強めの味であるので、えぐみはそれでかき消される。そして、主張のない味わいと、ティノよりはやわらかめの食感が、いい具合に調和してくれたのだ。結果、『ロコモコ丼』はアイ=ファの好物リストに無事、名を連ねる段に至ったのである。


(まあ、アイ=ファの好物はみんなハンバーグがらみなんだけどな)


 そんな俺の心情も知らぬげに、アイ=ファは『ロコモコ丼』を頬張っていた。

 客人の目を気にして無表情であるが、その青い瞳はきらきらと輝いており、頭の上には音符のマークでも幻視できそうだ。そのさまは、何とはなしに鉄面皮の幼き姫君オディフィアを思い出させてならなかった。


 ちなみに副菜は、タラパ風味の洋風あんかけ肉野菜炒めに、クリームシチュー、それにガーリック・シュリンプならぬ『ミャームー・マロール』であった。

 その『ミャームー・マロール』に目をやったアイ=ファは、わずかに愁眉を曇らせる。


「……お前はまた、フェルメスのためにギバ肉を使わぬ料理の修練を積んでいるのか、アスタよ?」


「え? いや、そういうつもりではなかったよ。ただ、魚介には魚介ならではの滋養があると思うからさ。アイ=ファの健やかな生を願って、献立に加えてみたんだよ」


 するとアイ=ファは『ロコモコ丼』の器を置いて、少し憂いげに前髪をかきあげた。


「そうか。……どうも私は、あやつがからむと目が曇ってしまうようだ。お前の心情も知らず、いらぬ言葉を口にしてしまったな」


「いや、魚介の料理に関心を寄せたきっかけはフェルメスだったから、アイ=ファが連想するのも当然のことさ。そんな気にしないでくれよ」


 すると、満面の笑みで食事を進めていたリコが、きゅっと表情を引き締めた。


「フェルメスというのは、王都の外交官であるという御方のことですよね? その御方は、そのように危険な人物なのでしょうか?」


「いや、危険なわけではないんだけどね。そのお人は個人的な興味で俺に執着してるみたいだから、ちょっと用心してるんだよ」


「個人的な興味……やはりアスタが、卓越した料理人であられるからでしょうか?」


「いや、どちらかというと、俺の不可解な素性が原因であるみたいだね」


「そうですか」と、リコは小首を傾げた。


「だけど、アスタご自身も、自分がどうやってこの地にまでやってきたのか、まるきり覚えておられないのですよね? でしたらそれは、神々の御業なのでしょうから……詮索しても、詮無きことであるように思います」


「うん。みんながリコみたいに考えてくれたら、俺も助かるよ」


「はい。わたしが心をつかまれたのは、アスタがこの地で為した数々の行いであるのです。それだけで胸がはちきれそうなぐらいなので、それ以上のことを詮索する気持ちにはなれないようです」


 と、リコはうっとりと目を細めた。

 その横で、ベルトンは「へん」と鼻を鳴らしている。


「だけどこいつは、自分で剣も取れないひょろひょろのかまど番じゃねーか。こんなやつを主人公にして、そんな立派な劇を作れるのかよ?」


「作れるよ! 『吟遊詩人のオーフィー』や『精霊使いヴィウラ』だって、周りの人間や精霊たちに助けられながら、苦難を乗り越えてたでしょ? 勇者や騎士だけが物語の主人公じゃないんだよ!」


「吟遊詩人や精霊使いだったらサマになるけど、かまど番じゃなあ」


 悪態をつきながら、ベルトンはもりもりと食事を進めている。俺はこの口の悪い男の子にそれなりの好感を抱いていたので、話を別方向に舵取りする役を担うことにした。


「それも、傀儡の劇の物語なのかな? ふたりはどれぐらいの演目を習得してるんだい?」


「人にお見せできるのは、7つか8つぐらいのものですね。母からはたくさんの物語を習いましたし、傀儡の衣装の準備もあるのですけれど、わたしたちの腕がまだまだ足りていないのです」


 そう言って、リコはにこりと微笑んだ。


「これからも修練を積んで、母から習った物語をすべて演じきれるように励みたいと思います。……そして、アスタの物語をそこに加えられることを、心から嬉しく思っています」


 まだその話は本決まりではないのだが、そんな水を差す気になれないぐらい、リコの笑顔は澄みわたっていた。

 そうしてリコたちを迎えた2日目の夜も、至極平穏に過ぎ去っていったわけである。

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