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異世界料理道  作者: EDA
第四十三章 傀儡使いと老剣士
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新たな出会い④~傀儡の劇~

2019.4/18 更新分 1/1 ・7/27 誤字を修正

 やがて勉強会が終了し、俺と客人以外の人間がファの家を辞した後、アイ=ファが森から帰還した。

 時刻としては、下りの五の刻ぐらいであっただろう。かまど小屋に踏み込んできたアイ=ファは開口一番、「この者たちは何者か?」と問うてきた。


 表にはリコたちの乗ってきた荷車が置かれていたし、アイ=ファであれば複数の人間の気配を察知することも容易かったに違いない。アイ=ファの面は鋭く引き締まっており、そして、その瞳は真っ直ぐにヴァン=デイロを見つめていた。


「お帰り、アイ=ファ。ちょっと事情があって、客人を招くことになったんだよ」


 調理器具の手入れに励んでいた俺はそちらに歩み寄ろうとしたが、その前にアイ=ファがずかずかと近づいてきた。そして、俺をかばうように立ちはだかると、あらためてヴァン=デイロのほうに向きなおる。その姿を見て、バルシャが苦笑を浮かべていた。


「ほらね、あたしが言った通りだったろう? 早いとこ、アイ=ファを安心させてあげておくれよ、アスタ」


 バルシャの言葉に従って、俺は事情を説明をしてみせた。その間も、アイ=ファはずっとヴァン=デイロの姿を見据えている。いっぽうヴァン=デイロは、泰然自若とした面持ちでアイ=ファの姿を見返していた。


「……というわけでな、この後はルウ家にお呼ばれしているんだ。ドンダ=ルウたちも、そろそろ森から戻ってる頃合いかな?」


「……そうか」と、アイ=ファは低くつぶやく。


「では、お前はそこの子供たちを守るために行動をともにしているに過ぎない、ということだな、ヴァン=デイロなる者よ」


「うむ。決して森辺の民に悪心などは抱いていない。それを示すために、こうして刀も預けている」


「そうだな。私もお前が無法者であると疑っているわけではない。……しかし、お前のように力を持つ町の人間を見たのはひさかたぶりであったので、いささか用心をさせていただいた。非礼な振る舞いに思えたなら、詫びさせてもらおう」


「何も詫びる必要はない。無理を言って家にまで押しかけたのは、こちらのほうなのだからな」


 そのように述べてから、ヴァン=デイロは眉根に深い皺を刻んだ。


「しかし、こちらのほうこそ、おぬしのように恐るべき力を感じさせる娘御を目にしたのは初めてのことだ。森辺の狩人というのは、誰もがこれほどの力を備え持っておるものなのであろうか?」


「アイ=ファは、類い稀な力を持つ狩人だ。この森辺でも、十指に余ることはなかろう」


 リャダ=ルウがそのように応じると、ヴァン=デイロは「そうか」と息をついた。


「それでも、恐るべき話であるな。おぬしらが真っ当な心を持った一族であることを、西方神に感謝するとしよう」


 かつて王都の騎士ダグは、森辺の狩人を化け物であると評していた。それと同じような感慨を、この老剣士も抱くことになったのだろう。

 そんな老剣士の心境も知らぬげに、リコは瞳を輝かせていた。


「あなたがファの家の家長、アイ=ファなのですね! あなたのお話も、ピノからたくさんうかがっています! お会いできて、光栄です!」


「光栄だなどと言われる筋合いはないが……ともあれ、ルウの集落に出向くとしよう。話は、それからだ」


「わかりました! どうぞよろしくお願いいたします!」


 リコはぺこりと頭を下げて、かまど小屋を出ていった。ベルトンとヴァン=デイロがそれに続き、リャダ=ルウが後を追う。最後に残されたバルシャは、アイ=ファをなだめるように笑いかけていた。


「まあ、そういうわけでね。あのヴァン=デイロってお人は無法者どころか、無法者をとっちめるお立場なんだから、何も心配する必要はないだろうと思うよ」


「うむ、わかっている。それでもバルシャたちがアスタのそばについていてくれたことを、ありがたく思っている」


 バルシャは陽気に片目をつぶってから、かまど小屋を出ていった。

 残されたのは、俺とアイ=ファのみである。アイ=ファはひとつ息をついてから、ようやく俺のほうに向きなおってきた。


「あのヴァン=デイロなる者からは、尋常ならざる力の気配を感じる。決して、諍いなどを起こすのではないぞ?」


「うん、もちろんさ。……やっぱりあのお人は、そんなにたいそうな剣士なんだな」


 アイ=ファは森辺の狩人の中でも、とりわけ他者の力量をはかることを得手にしているのだ。その青い瞳に真剣きわまりない光をたたえつつ、アイ=ファは「うむ」とうなずいた。


「あの者からは、カミュア=ヨシュと同じほどの力を感じる。それはつまり、ドンダ=ルウと互角に近い力量であるということだ」


「それは、すごい話だよな。あのお人は、どうやら60歳らしいぞ」


「60歳……人間とは、そのような齢まで力を残すことがかなうのか」


 そんな風に言いながら、アイ=ファはいっそう鋭く瞳を光らせた。


「あるいは、若き頃より力を失ってなお、あれほどの力であるということなのか……何にせよ、尋常な話ではない。あの者たちが集落に身を置いている間は、決して私から離れるのではないぞ、アスタよ」


「了解したよ。それじゃあ、ルウの集落に出発しようか」


 調理器具の並べられた作業台の上をざっと片付けてから、俺たちもかまど小屋を出ることにした。

 表では、地面に横たえられたギバの周囲に、ブレイブたちが控えている。アイ=ファはギバを吊るすよりも早く、かまど小屋に踏み込んできたのだろう。少し離れた場所にたたずんでいたリャダ=ルウが、俺たちに気づいて近づいてきた。


「アイ=ファたちは、ルウの本家で晩餐を食するという話だったな? その後にギバの始末をするのは大変な手間であろうから、俺がこの場に居残って仕事を果たそうかと思う」


 アイ=ファは逡巡していたが、最後にはリャダ=ルウの好意に甘えていた。のちほどルウ家から迎えの荷車を向かわせることを約束し、俺たちもギルルを荷車に繋ぐことにする。


 リコたちのほうは、すでに出立の準備を済ませていた。手綱を握っているのは、ベルトンである。御者台の上で頬杖をついていたベルトンは、不機嫌そうに「おい」と呼びかけてきた。


「家を出るんだから、とっとと刀を返せよなー」


「ああ、そうだね。すぐに持ってくるよ」


 ギルルの処置を済ませてから、アイ=ファとともに家へと向かう。そうして戻ってみると、バルシャのかたわらにティアがちょこんとたたずんでいた。


「ルウの家に向かうそうだな。ティアは、どうするべきであろうか?」


「あちらには、お前の晩餐も準備されているはずだ。晩餐が始まるまでは、荷車の中で大人しくしているがいい」


 ティアはうなずき、荷台に乗り込んだ。その後にはバルシャとブレイブたちも続く。ファの家人は総出でルウの集落に出発だ。


「……悪いが、バルシャに手綱を預かってもらいたい」


 アイ=ファの申し出を快諾して、バルシャが御者台へと移動した。

 最後に荷台へと乗り込んだアイ=ファは、刀を抱えて床に座り込む。その姿を確認してから、バルシャは荷車を発進させた。


 ベルトンの運転する荷車も、すみやかに後をついてくる。荷台の後部からその姿を見やりつつ、俺はアイ=ファに声をかけた。


「アイ=ファが手綱を人に預けるのは珍しいよな。やっぱり後ろの人たちを警戒してるのか?」


「警戒というほどのものではないが、あやつらに背中を見せる気にはなれなかったのだ」


 一般的には、それを警戒と呼ぶのではないだろうか。

 だけどきっと、アイ=ファもヴァン=デイロが悪さをすると考えているわけではないのだろう。ただ、あの老剣士があまりに尋常ならざる力量を有しているために、落ち着かない心地を抱かされているのだ。


 もちろん俺たちはヴァン=デイロの襲撃を受けることもなく、ルウの集落に辿り着くことができた。

 するとそこには、嬉しい驚きが待ちかまえていた。


「あ、シュミラル=リリン! いったいどうされたのですか?」


 いち早くその姿に気づいた俺は、荷台から降りる前に驚きをあらわにしてみせた。

 広場の片隅に立ち尽くしていたシュミラル=リリンは、ふわりとやわらかく微笑みかけてくる。


「ヴィナ・ルウ、話、聞いて、訪れました。アスタ、会うことできて、嬉しく思います」


「こちらこそです。傀儡の劇というものに興味をひかれたのですか?」


「いえ。アスタ、会いたかったのです。私、アスタ、もっと絆、深めたい、言ったでしょう?」


 その言葉は、確かに一昨日の別れ際に聞かされていた。

 俺がしみじみと幸福感を噛みしめていると、アイ=ファが横から顔を近づけてくる。


「おい……よもや、涙を流すことなどはなかろうな?」


「やだなあ、当たり前じゃないか」


 俺はアイ=ファに両肩をゆさぶられないうちに、目もとをぬぐっておくことにした。

 そうして荷車を降りると、周囲からどやどやと人が集まってくる。ルウ家の狩人の面々である。


「待っていたぞ。ミーア・レイから、話は聞いている」


 その中から、ドンダ=ルウが進み出てきた。

 俺たちの横に立ち並んでいたリコが、そちらに向かってぴょこりと頭を下げる。


「わたしの勝手なお願いを聞き入れていただいて、心から感謝しています。わたしは傀儡使いのリコという者で、こちらはベルトン、こちらはヴァン=デイロと申します」


 ドンダ=ルウの目はリコとベルトンをひと撫でしてから、すみやかにヴァン=デイロのもとに据えられた。

 ヴァン=デイロは、無言でドンダ=ルウを見返している。きっとおたがいに尋常ならざる力の気配をまざまざと感じ取っているのであろうが、外見からそれを推し量ることはできなかった。


「……貴様はこの場で、傀儡の劇とかいう芸を見せようと述べていたそうだな」


 やがてドンダ=ルウがリコのほうに視線を向けなおすと、巻き毛の少女は元気にうなずいた。


「はい! 傀儡の芸を知らなければ判断のしようがないというお話でしたので、それをお目にかけようと思います! 準備を始めても、よろしいでしょうか?」


「まもなく、日が暮れる。日が沈む前に準備を終えることはかなうのか?」


「もちろんです! それでは、少々お待ちください!」


 リコたちは、自分の荷車に引き返した。

 それと入れ替わりで、バルシャがドンダ=ルウに近づいていく。きっと、行き道で俺に語っていた話をドンダ=ルウにも告げるのだろう。


 ルウ家の広場は黄昏刻とも思えぬ賑わいを見せている。男衆も女衆も幼子も老人も、手の空いている人間はこぞって家から出てきているのだろう。彼らはみんな祝宴にて《ギャムレイの一座》の芸をあるていど目にしていたので、傀儡の劇そのものに対する好奇心も喚起されたのかもしれなかった。


 本家の前では、ヴィナ・ルウ=リリンがかつての家人たちと語らっている姿が見える。勉強会を終えてリリンの家まで帰った後、今度は伴侶とともに舞い戻ってきたのだろう。どうやら他の氏族でもそういった動きがあったらしく、広場にはルウの眷族の人々も多数訪れているようだった。


 そうして俺がシュミラル=リリンとの会話を楽しんでいると、新たな荷車が広場に到着する。

 そこから姿を現したのは、ルティム本家の家長とその伴侶、それに先代家長と次代の家長という4名であった。


「おお、アスタ! 町からの客人が、何やら愉快な芸を見せてくれるそうだな!」


 まずは元気な先代家長が、大きな声でそのように呼びかけてくる。いずれも一昨日に祝宴をともにした顔ぶればかりであったものの、もちろん俺は心からの喜びを抱くことができた。


「ルティムのみなさんも来られたのですね。まあ、俺に対するとんでもない申し出のことは置いておくとして、楽しい芸が見られるといいですね」


「うむ! こちらは晩餐を後回しにしてまで駆けつけたのだからな! 愉快でなかったら、困りものだぞ!」


 豪放に笑うダン=ルティムに続いて近づいてきたガズラン=ルティムとアマ・ミン=ルティムが、穏やかに微笑みかけてくる。ゼディアス=ルティムは、母親の腕の中ですやすやと眠っていた。


「客人は、アスタの物語を作りあげたいと申し出てきたそうですね。しかし、それを芸として世に広めるとなると……やはり、相応の用心が必要になるのではないでしょうか?」


「はい。そのあたりのことを、バルシャがドンダ=ルウにお伝えしているさなかだと思います」


「そうですか。それでは私も、そちらで話をうかがうことにします」


 と、ガズラン=ルティムは早々に立ち去ってしまった。

 それと入れ替わりに近づいてきたのは、ギラン=リリンである。シュミラル=リリンたちと一緒に出向いてきていたらしい。


「先日は世話になったな、アスタよ。そうしてまた、ずいぶんややこしい話が舞い込んできたようではないか」


「はい。俺としては、まったく気乗りしない話なのですが……でも、ジェノスや森辺のためになることなのでしたら、無下に断ることはできませんしね」


「ふむ。しかし、アスタばかりがいらぬ苦労を背負いこむ理由はないはずだ。アスタが気乗りしないならば、ドンダ=ルウとて決して了承することはないだろう」


 それは、俺にもわかっている。そうだからこそ、俺の双肩には大きな責任がかかってしまうように感じられるのだった。


(どっちみち、俺の風聞はジャガルにまで伝わってるって話なんだもんな。それだったら、きちんと正しい話を伝えるべきだってのも一理あるし……まあ、リコのお手並みを拝見してから悩むことにするか)


 俺がそのように考えたとき、リコの声が聞こえてきた。


「お待たせしました! 傀儡の劇の準備が整いました!」


 人々が、リコたちの荷車の前に集結する。

 荷車の前には、木造りの大きな卓が置かれていた。その卓のかたわらにリコとベルトンが立ち並んでおり、ヴァン=デイロは少し離れた場所にたたずんでいる。


「よろしければ、前列の方々はお座りください。そうしたら、後ろの方々もご覧になれるかと思います」


 これだけ大勢の森辺の民を前にして、リコはまったく怯んでもいない様子であった。その緑色の瞳は明るくきらめいており、むしろ昂揚しているように感じられる。やはり芸人としては、大勢の人間に芸を見てもらえることが喜びであるのだろうか。


「アスタは『姫騎士ゼリアと七首の竜』の物語に興味をもたれているというお話でしたので、それをお目にかけようと思います。お楽しみいただけたら嬉しいです」


 リコがそのように宣言すると、アイ=ファが横目で俺をねめつけてきた。


「いや、世間話でそういう話になっただけだよ。俺はその他のおとぎ話や神話なんて、ほとんど知らないからさ」


「……私はべつだん、文句など述べたててはおらぬぞ?」


「だって、いかにも文句ありげな目つきじゃないか」


 去りし日の仮面舞踏会において、俺たちは『姫騎士ゼリアと七首の竜』の登場人物の扮装をさせられたのだ。アイ=ファにしてみれば、自分が主人公の扮装をした物語を目の前で見せつけられるのは、いささかならず面映ゆいのかもしれなかった。


「それでは、傀儡の劇を開始いたします」


 リコとベルトンが、卓の裏手に回り込む。

 まずは、卓の上に大きな板が立てられた。リコとベルトンの小さな姿は、それで鼻のあたりまで隠されてしまう。劇の邪魔にならぬよう、演者の姿を隠しているのだろう。


 しばらくの静寂の後、背景の板を乗り越えて1体の傀儡が登場した。

 とたんに、人々はどよめきをあげる。それは背丈が30センチほどの、木造りの傀儡であった。


 俺が想像していた通り、マリオネットによる劇であるようだ。人形の首や手足には細い糸が結ばれており、それがトンボのような形に組み合わされた木の棒に繋がれている。それを操作することによって、人形の手足がひょこひょこと動くわけである。


 舞台に現れた傀儡は、ひと目で姫騎士ゼリアと知れる姿をしていた。

 もちろんずいぶんと簡略化されているものの、銀色に輝く甲冑を纏っているし、手には長剣を握っている。兜からこぼれるのは淡い栗色の髪であり、瞳は明るい灰色だ。


 ただしその傀儡には、鼻も口もなかった。黄白色に塗られた卵型の顔の中に、灰色の丸い石が目の代わりにはめ込まれているばかりである。4頭身ぐらいのデフォルメされた姿と相まって、なかなかユーモラスで可愛らしい様相であった。

 その姫騎士ゼリアの傀儡を操っているのは、ベルトンだ。姫騎士ゼリアはぶんぶんと長剣を振り回しており、その愛くるしい姿に幼子や女衆たちが忍び笑いをもらしていた。


 そしてそこに、リコによるナレーションが重ねられる。

 その声を耳にした瞬間、俺は思わず息を呑んでしまった。

 それは俺が知っている通りのリコの声でありながら、普段とは異なる澄みわたった響きで朗々と空気を震わせていたのだった。


「昔々のお話です。――セルヴァのとある領地に、ゼリアという美しい姫君がいました。だけどゼリアは貴婦人として生きようとはせず、立派な騎士になるために、毎日剣の稽古に明け暮れていたのです。そんなゼリアのことを、人々はいつしか『姫騎士ゼリア』と呼ぶようになりました」


 リコの声が響きわたるなり、人々はぴたりと押し黙っていた。

 やんちゃな幼子たちもはしゃぐのをやめて、リコのナレーションに聞き入っている。そんな中、リコは心地好い抑揚を持つ声音で姫騎士ゼリアの物語を紡いでいった。


 やがてゼリアが16の齢を迎えた頃、隣の領地が魔物に滅ぼされてしまう。

 そこでゼリアの傀儡が、魔物と姫君の傀儡に差し替えられた。

 七つの首を持つ異形の怪物と、赤いドレスを着た可憐な姫君である。


 魔物は、海の外からやってきた、竜王と名乗る異形の存在であった。七つの首を持つ竜王は、その凄まじい魔力で領民を皆殺しにして、ただひとり残された美しい姫君をさらってしまう――リコのナレーションは、そのように告げていた。


 その声にあわせて、竜王の傀儡は七本の首を激しく蠢かせている。まるで生あるものであるかのような、生々しい動作である。それを操っているのは、リコ自身であった。

 いっぽうベルトンは、それにさらわれる姫君を操っている。それはすなわち、ララ=ルウが扮装させられた人物であるはずだった。


 竜王の襲撃を知らされたゼリアの領地では、てんやわんやの騒ぎが巻き起こる。領主たる父親は貢ぎ物を捧げて難を逃れようと考えたが、ゼリアはそれをよしとせず、ふたりの騎士だけを従えて、竜王討伐の旅に出る。

 その白銀の甲冑を纏った騎士たちが、ガズラン=ルティムとシン=ルウである。サウティの家長夫妻が扮装した領主とその伴侶は、台詞だけで傀儡は登場しなかった。


 セルヴァとマヒュドラの境にある岩山に身を潜めた竜王は、魔力を駆使してゼリアたちを苦しめた。大雨や、猛風や、土砂崩れなど、さまざまな苦難がゼリアたちに襲いかかる。うがった見方をするならば、どうやら竜王というのは悪天候や自然災害のメタファーであるようだった。


(ふーむ。シナリオはごくありふれた冒険譚みたいだけど、リコたちの手際はなかなかのものだなあ)


 俺は、そのように考えていた。

 人形の出来栄えや種類の豊富さは大したものであったが、背景はずっと木の板のままであるのだ。しかし、リコとベルトンの指先ひとつで、物語の内容が見事に体現できている。猛風のシーンなどでは、本当にゼリアたちが吹き飛ばされそうなぐらいであったし、顔には目しかないのにきちんと苦しんでいるように思えてしまう。このような芸には馴染みのない森辺の民たちも、みんな息を詰めてゼリアたちの冒険を見守っている様子であった。


 やがてゼリアはお供の騎士たちとはぐれてしまい、敵陣で孤立してしまう。

 しかも刻限は夜であり、さきほどの大雨のせいで火を灯すことすらかなわない。どうしたものかとゼリアが思い悩んでいると――そこに、火の精霊が現れた。

 火神ヴァイラスの恵みを人々に届ける、心正しき火の精霊。すなわち、俺が扮したアレである。その劇においても、火の精霊は頭に鉄鍋をかぶっていた。


『助かった。どうか火神ヴァイラスの恵みを、私にも授けてもらいたい』


『いえいえ。人間の世界で火をおこすには、相応の手順が必要となります。精霊の力で火を灯すのは、すなわち古の魔術。四大神の子たるあなたがたに、魔術を使うことは許されません』


『しかし、準備していたラナの葉も、さきほどの大雨ですっかり湿ってしまったのだ。このままでは、骨まで凍えてしまうことだろう』


『それでは、こちらにいらっしゃい。この山は悪しき竜王のせいですっかり干からびてしまいましたが、あちらにラナの木が何本か生え残っていたはずです』


 そんなやりとりを経て、ゼリアは一夜を明かすための火を手に入れることができた。


『お仲間とははぐれてしまったのですね。あなたももうご自分のお城に帰られてはいかがですか?』


『そういうわけにはいかん。私は姫君を救いださなければならないし、王国の騎士として邪悪なる竜王を退治せねばならぬのだ』


『だけど、あなたとて姫君ではないですか。姫君というものは、宴衣装を纏って貴公子を退治するのがお役目であるはずですよ』


『そのような役目は、姉君や妹たちが果たせばいい。私は騎士として生きていくと、父なる西方神に誓ったのだ』


 そんなやりとりは、何だかアイ=ファの生き様とだぶってしまい、俺をたいそう奇妙な心地にさせた。対話しているのが俺の扮していた精霊であるので、なおさらである。

 ともあれ、物語は粛々と進められていく。夜が明けると、火の精霊は忽然と消えており、ゼリアはひとりで竜王のもとを目指すことになった。

 

 そこに襲いかかってきたのは、竜王の配下たる黒騎士たちであった。

 もちろん人形は隊長格の一体しか準備されていなかったが、リコのナレーションと傀儡の操作によって、ゼリアが絶体絶命のピンチであることがひしひしと伝わってきた。


 その窮地を救ったのが、雄々しき銀獅子である。

 護民兵団の大隊長デヴィアスが扮装していた、あの銀獅子だ。

 デヴィアスはあんなに愉快であったのに、真なる銀獅子の活躍は実に見事なものであった。黒騎士の一団を蹴散らして、姫騎士ゼリアの窮地を救う、ずいぶんと大事な役回りであったのだ。


 そうして、ゲオル=ザザが扮していた黒騎士の隊長をも退けると、銀獅子はゼリアを背中に乗せて、岩山を駆けのぼった。

 途中、毒の雨を降らせる黒妖精――トゥール=ディン――を退治して、ついに竜王の牙城に迫る。


 竜王との最終決戦も、素晴らしい出来栄えであった。

 竜王は七つの首を縦横無尽に巡らせて、ゼリアと銀獅子を迎え撃つ。竜王を操作するリコと、ひとりでゼリアと銀獅子を操作するベルトンの息がぴったりで、手に汗を握る激闘が体現されている。


 やがて銀獅子が竜王の猛攻の前に倒れると、どこかで「ああっ!」という悲痛な声があがった。俺は舞台から目をそらすことができなかったが、おそらくそれはシーラ=ルウの声であった。


 姫騎士ゼリアは西方神の加護を願い、最後の力を振り絞って竜王に突撃する。

 その決死の一撃によって、竜王は崩れ落ちた。


 しかし竜王は呪いの言葉を残して、最後の災厄をゼリアにもたらした。

 決戦の地であった岩山が、竜王の死とともに崩落を始めたのだ。

 ゼリアは捕らわれていた姫君を何とか救い出したが、それ以上は逃げるすべがない。このままでは、竜王の亡骸ともども、地の底に沈んでしまう――


 そこで銀獅子が復活して、ゼリアと姫君を背中に乗せた。

 降り注ぐ岩塊を避けながら、大地の亀裂を飛び越えて、ふたりの姫を下界へと誘う。その躍動感も、見事な手際であった。

 そうしてゼリアは最後の窮地を乗り切ったが――銀獅子は、下界に降り立つなり、力尽きてしまった。


『どうやら私は、ここまでであるようです。あなたがたは、ご自分たちの故郷にお帰りなさい』


『待て! お前は――お前はもしかして、昨日の夜にも私を救ってくれた、あの火の精霊なのではないのか?』


 ぐったりと横たわった銀獅子の傀儡が、かたかたと身体を震わせる。おそらく、笑っているのだ。


『精霊の姿のままでは、あなたをあれ以上お救いすることはできませんでした。だから私は父なる西方神にお願いをして、この肉体を授かったのです』


 そのような言葉を残して、銀獅子の姿をした精霊は魂を返すことになった。

 嘆き悲しむゼリアと姫君のもとに、中盤ではぐれていた騎士たちが駆けつける。


 西方神のはからいによって、自分たちは生き抜くことができた。西方神の御心に沿うために、自分たちは強く正しく生きていかねばならない。そんな思いを新たにして、ゼリアたちは故郷に帰る――それが、この物語のエンディングであった。


「……これにて、『姫騎士ゼリアと七首の竜』の物語は読み終わりでございます」


 そんな挨拶とともに、リコとベルトンが舞台の脇に現れた。

 一拍置いて、歓声と拍手が爆発する。それまでがずっと静まりかえっていたものだから、俺は思わずびくりと首をすくめてしまった。


「すごいすごーい! くぐつのげきって、すごいんだねー!」


 遠くのほうではしゃいでいるのは、きっとリミ=ルウだ。俺の隣では、シュミラル=リリンも穏やかに微笑みながら拍手を送っていた。


 リコは頬を火照らせながら、人々に微笑をふりまいている。ベルトンは仏頂面であったが、帽子を外して申し訳ばかりに一礼していた。

 拍手と歓声は、なかなか鳴りやまない。どうやら多くの人々が、リコたちの芸に心をつかまれたようだ。


 では、我が最愛なる家長は如何だっただろう――と、俺が視線を巡らせてみると、アイ=ファは何やら穏やかならぬ形相になってしまっていた。形のいい眉をきつく寄せて、ぐっと歯をくいしばっているかのようである。


「どうしたんだよ、アイ=ファ? 傀儡の劇が、気にいらなかったのか?」


 俺がそのように問いかけると、アイ=ファはひどく緩慢な仕草で首を横に振った。


「だったら、どうしてそんな顔をしてるんだよ? 姫騎士ゼリアの役回りが気にいらなかったとか、そういうことか?」


「そのようなことは……ない」


 振り絞るような声で、アイ=ファはそのように述べたてた。

 目もとがぴくぴくと痙攣しており、いまにもこめかみに血管が浮きあがりそうな様相である。見れば、両手の拳はぎゅっと握りしめられており、心なし震えを帯びているようだった。


「それじゃあ、もしかしたら……必死に涙をこらえてるとか?」


 激情をひそめた青い瞳が、ものすごい勢いで俺をにらみつけてくる。

 しかしその瞳は、透明のしずくにうっすらと覆われているように思えてならなかった。


「アスタよ……これは、人の手によって作られた物語であるはずだな?」


「うん、そのはずだよ。七つの首を持つ竜王が実在したとは思えないしな」


「ならば……何故に銀獅子は魂を返さねばならなかったのだ? 苦難を乗り越えた喜びは、それにたずさわったすべての者たちで分かち合うべきであろうが?」


「いや、それはこの物語を作った人にしかわからないことだけど……そうか、アイ=ファは銀獅子が不憫でならなかったんだな」


 アイ=ファは俺の頭をわしゃわしゃとかき回してから、そっぽを向いてしまった。

 そうして小さく肩を震わせながら、自分の目もとを手の甲でぬぐう。


「……私は泣いてなどおらん」


 そこで「虚言は罪だぞ」などと言いたてるほど、俺も野暮な人間ではなかった。

 ともあれ、そんな具合にリコとベルトンによる傀儡の劇は、人々の心に大きな感動をもたらしたのだった。

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