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異世界料理道  作者: EDA
第四十三章 傀儡使いと老剣士
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新たな出会い③~ファの家の勉強会~

2019.4/17 更新分 1/1 ・5/18 誤字を修正

 しばらくののち、俺たちはファの家に帰りついた。

 荷車を降りて、ファの家の母屋を前にするなり、リコは「うわあ」と目を輝かせる。


「アスタは、ここで暮らしているのですね。……なんだかいよいよ、胸が高鳴ってきてしまいました!」


「ああ、そう。……えーと、まずは番犬に顔を覚えてもらわないとね。犬っていうのは見たことがあるかな?」


「もちろんです! わたしとベルトンは、町から町へと流れゆく旅芸人ですので! ジャガルでは、猟犬を育てる牧場を見たこともありますよ!」


 ならばと、俺は戸板を引き開けることにした。

「ばうっ!」と嬉しげに声をあげながら、ジルベが巨体をあらわにすると、リコは「うわあ」とさらに目を輝かせた。


「それは、獅子犬ですね! 獅子犬というのは、貴族や豊かな商人が身を守らせるために育てた犬でしょう? どうして獅子犬が、森辺で飼われているのですか?」


「ちょっとご縁があって、貴族からもらいうけることになったんだよ。……ジルベ、こちらの方々は客人だからね」


 ジルベはきょとんとした面持ちで、真っ直ぐにヴァン=デイロだけを見やっていた。

 ヴァン=デイロがリャダ=ルウでもかなわない剣士であるならば、ジルベでもかないはしないだろう。俺としては、この老剣士が評判通りの善人であることを信じるしかなかった。


「それじゃあ、俺たちはかまどの仕事があるんだけど……君たちはどうしたいのかな?」


「はい! アスタの生活を見学させてください! そういった何気ない日常を垣間見ることで、物語にいっそうの生命を吹き込むことができるはずです!」


 俺は溜め息をこらえながら、3名の客人をかまど小屋まで案内することになった。

 ファおよびディンの屋台を手伝っていた女衆はこのまま勉強会にも参加する予定であったので、俺を含めて14名の大所帯だ。それらの人々は、いまひとつリコの申し出を理解しきれていなかったので、みんないくぶん不明瞭な面持ちになっていた。


 かまど小屋の前では、フォウとランの女衆が1名ずつくつろいでいた。下ごしらえの仕事は、すでに完了しているようだ。


「どうも、お疲れ様です。えーと、ティアはどこでしょう?」


「アスタ、戻ったのだな」


 と、頭上の梢からティアの声が降ってくる。

 リコとベルトンはびっくりまなこで周囲を見回し、ヴァン=デイロは梢の一点をじっと見つめていた。


「それは、町の人間であろう? ティアは、姿を見せてもいいのか?」


「うん。こちらの方々はジェノスの生まれじゃないんでね。もちろんそれでも王国の民だから、親睦を深めることは許されないけれど」


「そうか」という声とともに、ティアは梢から顔だけを覗かせた。ヴァン=デイロが視線を据えていた場所である。


「もう木登りの修練を始めたのか。背中のほうは、大丈夫なのかい?」


「うむ。まだ右腕がうまく動かないが、背中の痛みはすっかりなくなった。木から落ちる心配はない。……それよりも、アスタよ」


 と、ティアは可愛らしく口をとがらせる。


「アスタはティアの恩人だが、その身を傷つけた罪の贖いはもう果たしている。アスタの身が危うくなろうとも、ティアがこの生命を使って助ける理由はない」


「うん。それがどうかしたかい?」


「しかしティアは、アスタが危うい目にあってしまったら、それを見捨てる気持ちにはなれない。それが大神の掟を犯す行いでない限り、やはりアスタを助けようとしてしまうだろう」


 ティアのガーネットを思わせる瞳もまた、ヴァン=デイロの姿のみを注視していた。


「だけど、いまのティアではその年老いた人間を打ち負かすことはできそうにない。その人間は、アスタの敵ではないのだな?」


「うん。敵じゃなくて、客人だよ」


「そうか。ならば、いいのだが……絶対にその人間と争わないでほしい。ティアは、アスタが傷つく姿を決して見たくないのだ」


 俺は「わかった」とうなずいてみせた。

 ティアは口をとがらせたまま、梢の中に顔をひっこめる。


「ジェノスという土地の人間でなくとも、ティアはむやみに近づくべきではないだろう。アスタが仕事をしている間、ティアも修練を続けようと思う」


「了解したよ。無茶だけはしないようにね」


「うむ」という言葉を残して、ティアは高い木の上を目指し始めたようだった。

 がさがさと揺れる梢の動きを目で追いながら、ヴァン=デイロは鼻で息をついている。


「あれが、聖域の民か。風聞に違わぬ、野獣のごとき存在であるようだ。……あのような者と相争ったら、こちらも無事では済むまいな」


「大丈夫です! わたしたちが争う理由なんて、これっぽっちもないのですから!」


 リコはひとりで、ご満悦の様子であった。ベルトンは、そっぽを向いて舌を出している。

 さっぱり事情のわかっていないフォウとランの女衆に、俺はざっくりと説明をしてから、頭を下げてみせた。


「ティアの面倒を見ていただいて、ありがとうございました。バードゥ=フォウにも、よろしくお伝えください」


「はい。それでは、失礼いたします」


 彼女たちは、ティアをひとりにしないために、仕事の後も居残ってくれていたのである。見慣れぬ客人たちに目礼をしてから、ふたりはかまど小屋を立ち去っていった。

 これでようやく勉強会の始まりであるが、その前に果たさなければならない仕事が残されている。他の女衆に荷下ろしをお願いしてから、俺はヴァン=デイロを振り返った。


「それでは、刀をお預かりしたいのですが……了承していただけますか?」


「……それが、約定であったからな」


 むすっとした顔のまま、ヴァン=デイロは腰の長剣を差し出してきた。


「あと、刀の中に短剣は含まれるのであろうか?」


「あ、はい。鋼でできた武器はお預かりする習わしです」


「では、おぬしも懐のものを差し出さねばなるまいな」


 ヴァン=デイロの言葉を受けて、ベルトンが「何でだよ!」と飛び上がった。


「何でも何も、それがこの地の習わしであるならば、従う他あるまい」


「あんた、よく剣士の魂をそんな簡単に差し出せるな! こいつらが評判通りの蛮族だったら、どうするんだよ!?」


「そうと知りつつ足を踏み入れたのは、我らのほうなのだ。だから儂も、本当によいのかと最初に問うたのであろうが?」


 光の強い茶色の瞳が、少年の不満げな顔をじっと見据える。


「我々は、自ら望んでこの場所に足を踏み入れたのだ。習わしに従うつもりがないならば、すみやかにこの土地から立ち去るがいい」


「そんなもんを望んだのは、リコの馬鹿だけだろ! 俺は絶対に、御免だね!」


「であれば、リコにもこの場を立ち去るように説得すればいい。おぬしに、それがかなうのであればな」


 ベルトンは、帽子の上から頭をかきむしった。

 その姿を見やりながら、リコは「もー!」と腕を組む。


「ベルトンって、どうしてそんなに聞き分けが悪いの? わたしより年長のくせに、小さな子供みたいだよ?」


「あのなー! どう考えたって、悪いのはお前だろ! 何で俺が責められなきゃいけねーんだよ?」


「わたしは、悪くないもん」


 リコは茶色の巻き毛を揺らして、ぷいっとそっぽを向いてしまう。

 ベルトンには申し訳なかったが、俺も立場上、そのやりとりをただ見守っているわけにはいかなかった。


「君たちを客人として迎えるには、鋼をお預かりしないといけないんだ。どうしてもその気になれないなら、宿場町まで送ってあげるけど……どうする?」


 ベルトンはしばらく黙りこくっていたが、やがて大きく息をつくと、ぶかぶかの上衣の袖口に手を突っ込んだ。

 そこから引っ張り出されたのは、数珠繋ぎにされた10本もの刀子である。危険な部位は革の鞘に収められ、その鞘が革紐で結び合わされているのだ。同じものが、逆の袖口からも引っ張り出されることになった。


「あとは、足もとの短剣であるな」


 ヴァン=デイロが声をあげると、ベルトンは不満たっぷりの視線をそちらに差し向けた。


「あのさー! そもそも俺が刀子や短剣を隠し持ってることなんて、言わなきゃわからないことだろ? あんたはどうしてそう、融通がきかないんだよ!」


「儂がおぬしたちのそばにあろうと考えたのは、おぬしたちが正しき心を持っていると信じたがためだ。おぬしが正しからぬ行いに手を染めようとするならば、それを見過ごすことはできん」


 ベルトンは頬をふくらませながら、だぶだぶの脚衣をまくりあげた。

 すると、ほっそりとした脛に短剣が革帯で巻きつけられている。刀子よりもひと回りは大きい、立派な短剣だ。それも左右の足に1本ずつが隠されていた。


「……1本でもなくしたら、ただじゃおかねーからな?」


 ふてくされきった声で言いながら、ベルトンはそれらの得物を俺に突き出してきた。

 俺の両手はヴァン=デイロの長剣と短剣でうまってしまっていたので、ユン=スドラが代わりに受け取ってくれる。リャダ=ルウとバルシャの刀を受け取ってくれたのは、マルフィラ=ナハムだ。懇意にしている相手であれば、母屋に足を踏み入れない限り、刀を預かることもなかったのだが、この際はヴァン=デイロたちの手前、習わしを厳守するしかなかった。

 それらを母屋に保管してから、俺たちはあらためてかまど小屋に足を踏み入れる。


「それじゃあ君たちは、邪魔にならないところで見物してもらうしかないけど……それでいいのかな?」


「はい! ありがとうございます!」


 リコはまた瞳を輝かせながら、かまど小屋の内部を見回していた。

 近在の男衆が総出で建ててくれた、自慢のかまど小屋である。調理器具もずいぶん充実してきたし、棚の上では火神ヴァイラスの小さな木像が俺たちの姿を見下ろしている。壁に残されているいくつかの焦げ目は、《颶風党》に襲撃された際の名残であった。


 リコたち3名は入り口のあたりに立ち並び、バルシャとリャダ=ルウはそれをはさみこむ格好で横に並ぶ。その姿を見届けてから、俺は居並ぶかまど番たちと向き合った。


「さて、通常の勉強会はちょっとひさびさだね。今日は何の修練に取り組もうか?」


「そうですね。やはりここは、ラヴィッツの方々に希望を聞くべきではないでしょうか?」


 この中で、もっとも学ぶべきことが多いのは、やはりラヴィッツの血族の面々であろう。ユン=スドラの親切な提案に、ラヴィッツの女衆は恐縮した様子で頭を下げていた。


「それでしたら……シャスカを使った菓子の作り方を手ほどきしていただけないでしょうか? この場では、まだマルフィラ=ナハムしかそれを習っておりませんので……」


「ああ、デイ=ラヴィッツはシャスカを菓子に使うことを了承してくれたのかな?」


「いえ、まだです。家長はシャスカを好んでいるゆえに、それを無駄にはしたくないと思っているご様子ですので……」


 シャスカはそれなりの値段であるので、あまり冒険はしたくない、ということなのだろう。しかし、シャスカそのものを好ましく思っているのなら、突破口は開けそうなところであった。


「なるほど。だったらまず、シャスカの新しい食べ方ということで、デイ=ラヴィッツにその美味しさを知ってもらったらどうだろう?」


「シャスカの新しい食べ方、ですか?」


「うん。トゥール=ディンの考案したゴヌモキ巻きっていう菓子は、シャスカを餅の形に仕上げてるんだけど、これは菓子だけじゃなく通常の食事としても使える調理法なんだ。まずは普通の料理で餅の美味しさを知ってもらって、これは菓子にも転用できるんだって説明したほうが、デイ=ラヴィッツも受け入れやすいんじゃないのかな」


「ああ、それはそうかもしれません。やはり家長は、菓子よりもギバを使った料理のほうが大事である、というお気持ちが強いようなので……」


 そんな風に述べてから、ラヴィッツの女衆はくすりと笑った。


「……でも、家長も本当は甘い菓子を好ましく思っているはずであるのです。晩餐でけーきなどを出すと、あまり食材を無駄にするなよと仰りながら、とても満足そうに食べておられるという話でした」


 彼女は分家の人間であるので、それを実際に見たわけではないのだろう。

 何の根拠もないのであるが、それを彼女にリークしたのはリリ=ラヴィッツなのではないだろうかと、俺は内心で苦笑することになった。


「それじゃあ、その方向で進めてみよう。これだったら、他のみんなにとっても新しい修練になるしね」


 ということで、まずはシャスカの炊き込みに取りかかる。

 が、ゴヌモキ巻きにはもうひとつの調理法が存在したので、同時進行でそちらも進めることにした。


「菓子じゃないゴヌモキ巻きっていうと、俺としてはこっちのほうが本道なんだよね。ちょっと難易度は上がっちゃうかもしれないけど、せっかくだから挑戦してみよう」


 俺はみんなの手を借りて、具材を切り分けた。使う食材は、ギバのバラ肉と、ニンジンのごときネェノン、タケノコのごときチャムチャム、そしてオレンジ色のシイタケモドキである。

 切り方はすべて角切りで、シイタケモドキのみ細切りだ。バラ肉はケルの根の汁に漬けて軽く下味をつけておく。それらをホボイ油で炒めたら、シャスカを生のまま投入し、塩、ピコの葉、タウ油、ニャッタの蒸留酒で味付けをほどこす。あとは深みをもたせるために、燻製魚の出汁も加えておくことにした。


「この後にも熱を通すから、シャスカは生の状態でかまわないよ。調味料と出汁がまんべんなく馴染んだら、それをゴヌモキの葉で包み込むんだ」


 その場には14名ものかまど番が顔をそろえていたので、ペアになって実践してもらうことにした。いったいどのような料理に仕上がるのかと、大半の女衆は期待に瞳を輝かせている。


「みんな、出来上がったかな? それじゃあ、蒸し籠で熱を通そう」


 ゴヌモキの葉でくるみ、フィバッハの蔓草で結んだものを、蒸し籠に並べて鉄鍋に掛ける。壁にもたれて腕を組んでいたバルシャは、大きな鼻を犬のようにひくつかせていた。


「さっそく、いい匂いがしてきたね。……まさかアスタは、あたしやリャダ=ルウにひもじい思いをさせやしないだろうねえ?」


「はい、もちろん。おふたりの分も準備していますよ」


「ありがとさん。ミケルやマイムに自慢してやらなくなっちゃね」


 そんな風に笑うバルシャの隣では、リコがもじもじとしている。

 なかなか厄介な問題を持ち込んできてくれた彼女であるが、それを理由に冷たくあしらうつもりはない。俺は次なる作業の準備を進めつつ、そちらにも笑いかけてみせた。


「いちおう君たちの分も準備しているんだけど、ギバの肉を口にする気はあるかな?」


「えっ! わたしたちにも、いただけるのですか!?」


 リコは嬉しげに声をあげてから、ちょっと心配げにうつむいてしまう。


「だけど、あの……わたしたちは、あまり銅貨に余分がないので……昼は干し肉やフワノの団子だけと決めているのですが……」


「これは料理の味見だから、銅貨をいただくわけにはいかないよ。まあ、お近づきのしるしってところかな」


「ありがとうございます! ピノの話を聞いてから、ずっとギバの料理を口にしたいと思っていたのです!」


 それは、とても無邪気な笑顔であった。

 もともとは、可愛らしい風体をした女の子なのである。俺を人形劇の主人公に仕立てあげたいなどという話がなければ、こちらのほうから絆を深めさせていただきたいぐらいの相手であった。


「……そういえば、君は何歳なのかな?」


「わたしは11歳で、ベルトンは12歳です! ヴァン=デイロは……たしか、60歳ですよね?」


 はからずも、ヴァン=デイロの年齢まで知ることができた。俺の故郷では60歳を老人と呼ぶかどうかは意見が分かれるところであろうが、この世界においてはまぎれもなく老境に分類されるはずだ。


(11歳っていうと、トゥール=ディンやマイムと同い年か。まあ、見た目通りの年齢だな)


 しかし、傀儡使いの話になると、彼女は年齢に不相応な熱意を見せる。トゥール=ディンやマイムとて、料理に関しては同じぐらい真剣であるはずだが、それとは毛色の異なる気迫を感じてしまうのである。


(それは年齢じゃなくって、性格に関わってるのかな。なんとなく……レイナ=ルウやシリィ=ロウを思い出させる気迫なんだ)


 何にせよ、このリコは傀儡使いという生業に全身全霊を傾けているのだろう。それだけは、疑う余地のないところであった。


「さて、そろそろ出来上がったかな?」


 俺は蒸し籠の蓋を開けて、自分でこしらえたゴヌモキ巻きのひとつを取り出してみた。

 取り出す際には箸を使って、しばらくは冷めるのを待つ。そうして蔓草をほどいてみると、シャスカはつやつやとキツネ色に照り輝いていた。

 ネェノンやシイタケモドキのオレンジ色がところどころに覗いており、鮮やかだ。タウ油のもたらす芳しい香りは、ぞんぶんに鼻を喜ばせてくれた。


「きちんと仕上がってるかどうか、先に味見をさせていただくよ」


 試食品なので、サイズはささやかなものである。俺は火傷をしないように、それを小さくかじり取った。

 シャスカには、十分に熱が通っている。通常のもち米よりも粘性の強いシャスカであるので、なかなかねっとりとした噛みごたえだ。


 しかし、お味のほうは、まずまずであった。シャスカがべたつく寸前であったので、これは鉄鍋で炒める際の水気や時間を調節するべきだろう。そこをクリアできれば、どこに出しても恥ずかしくないひと品に仕上げられそうなところであった。


「うん、大丈夫だね。蒸らしすぎると仕上がりが悪くなりそうだから、他の分も取り出そう」


 女衆は、木べらや木串を使って、めいめいゴヌモキ巻きをすくいあげる。みんなゴヌモキの葉に折り目をつけたり、蔓草の結び方に細工をしたりしていたので、自分でこしらえた分をきちんと確保できたようだ。


 客人たちに食べていただくのは、俺とラヴィッツの女衆がこしらえた分である。

 手でつかめるぐらいの熱に落ち着いたことを確認してから、俺はそれを木皿へと移し替えた。


「どうぞ。あくまで試食品ですので万全の仕上がりではありませんが、食べられないことはないと思います」


 まずはバルシャとリャダ=ルウがそれをつかみ取り、続いて、リコとヴァン=デイロが手をのばす。

 木皿には、ひとつのゴヌモキ巻きがぽつんと取り残されることになった。

 そっぽを向いている男の子の前に、俺は木皿を差し出してみせる。


「君は、いらないのかな? それならそれで、べつだんかまわないけれど」


「へん! 縁もゆかりもない相手に、ほどこしを受ける筋合いはねーよ!」


「なるほど。だけどここはファの家の敷地内だし、君は客人として刀を預けているよね。この段階で、もう縁は結ばれてしまっているんじゃないのかな?」


「…………」


「新しい料理を完成させるには、色々な人の感想が役に立つんだよ。余所の土地で生まれ育った君がどんな感想を抱くのか、俺としても気になるところなんだよね」


 ベルトンは帽子のつばの陰から、木皿の上のゴヌモキ巻きをちらちら見やっている様子であった。

 そこに、リコのはしゃいだ声が響く。


「何ですか、この料理は!? わたし、こんな不思議な料理を食べたのは初めてです!」


「これは、東の王国から買いつけたシャスカという食材を使っているんだよ。あちらでは、フワノの代わりに食べられてるって話だね」


「そうなのですか! すごく不思議な噛み心地です! それに……これが、ギバ肉なのですよね? ちょっと風味が強いですけれど、びっくりするぐらい美味しいです!」


 リコはもう、感激の極みといった様子であった。


「アスタはこれほどまでに優れた料理人であるからこそ、この森辺やジェノスで稀有なる運命を授かることになったのでしょうね……ありがとうございます! アスタの物語を紡ぎたいという気持ちが、いっそう明確になってきました!」


 だったら藪蛇だったなあと思いつつ、その無邪気な笑顔には心を和まされてしまう俺であった。

 そうして小さなゴヌモキ巻きを大事そうに食していたリコは、きょとんとした目で俺の手もとを見つめやる。


「あれ? ベルトンは、まだ食べてなかったの? これ、すっごく美味しいよ!」


「……うっせーなあ。食べようが食べまいが、俺の勝手だろ」


「もう、意地っ張りだなあ。だったら、わたしがもらっちゃおーっと」


 そうしてリコが木皿に手をのばそうとすると、ベルトンは慌てふためいた様子でゴヌモキ巻きをつかみ取った。


「お、お前に食われるぐらいだったら、俺が食ったほうがましだ! お前、食い意地が張りすぎだぞ!」


「だって、せっかくの料理を残したらもったいないじゃん」


 そんな風に答えながら、リコはくすくすと笑っていた。

 おそらくは、ベルトンのために食いしん坊の役を演じてみせたのだろう。最初に顔をあわせたときから言い争いばかりをしている両名であったが、心の底ではおたがいの存在を強く思いやっていることがひしひしと感じられた。


「ヴァン=デイロは、いかがですか? よろしければ、ご感想をお聞かせください」


 俺がそのように水を向けると、不愛想なる老剣士は「ふむ」と鼻を鳴らした。


「シムのシャスカなる料理は、儂も何度か口にした覚えがある。しかしあれは、紐のように細く仕上げられた料理であったはずだ」


「はい。こちらではあえてこのような形に仕上げているのですが、お気に召しませんでしたか?」


「気に召さなかったわけではない。なかなか愉快な噛み心地であったし、それにギバの肉からは豊かな滋養が感じられた。これはきっと、野生の獣ならではの滋養であるのだろう」


《守護人》というのはあちこちの領地に出向くものであるし、それに貴族の護衛役をつとめる機会も多いと聞く。よって、この老剣士もさまざまな土地の料理を口にした経験があるようだった。


「ベルトンは、どう? すっごく美味しいよね?」


 リコがそのように問いかけると、ベルトンは指についたシャスカの粒をなめ取りながら、「へん」と肩をすくめた。


「ま、食べられないことはねーな。肉はちょっと臭かったけどよ」


「臭くないよ! こういうのは、風味が豊かって言うの! ……ごめんなさい、ベルトンは素直じゃないんです」


「謝ることはないよ。ギバ肉の風味が強いっていうのは本当のことだからね」


 そうして客人との交流を済ませた俺は、本来の職務に戻ることにした。

 13名のかまど番たちは、すでに試食を終えて感想を言い合っているさなかである。その中で、俺はラヴィッツの女衆に声をかけてみた。


「お味のほうは、如何だったかな? 出来栄えそのものは、悪くなかったと思うんだけど」


「ええ、非常に美味でした。……でも、これは以前に教えていただいた、たきこみシャスカという料理に似ていますね? この料理をお出しするだけでは、家長の心を動かすことは難しいように思うのですが……」


 ラヴィッツの女衆は、ひかえめながらも正直な心情を述べてくれた。


「ああ、確かにね。これじゃあ餅の美味しさを伝えることはできないか。それじゃあ、こっちの料理に取りかかってみよう」


 ちょうどかまどに掛けていたシャスカも仕上がる頃合いであったので、俺たちは次なる作業に移行した。

 炊きあがったシャスカを木皿に取り分けて、水を加えながらすりこぎで餅に仕上げていく。それで具材を包み込み、またゴヌモキの葉に包んで蒸しあげるのだ。


「こっちでは、挽き肉を使うべきだろうね。とりあえずは、いつも『ギバまん』で使ってる具材を転用してみよう」


 俺が知る「肉ちまき」というものは、さきほど作りあげた料理のような「もち米を蒸したおにぎり」とでも言うべき料理であった。このように、餅を生地にして具材を包み込むという料理は、寡聞にして知らない。いったいどのような仕上がりになるのか、俺としても楽しみなところであったのだが――いざ試食してみると、俺ばかりでなく、大半のかまど番が首を傾げることになった。


「不味い……ことはないと思います。でも……どちらかといえば、わたしはさきほどの料理や、あるいは普通のぎばまんのほうが、好ましく思えるようです」


「そうですね。ぎばまんであれば、生地と具材をともに食することで、いっそう美味しく思えるのですが、こちらの料理は……なんというか、別々に食したほうが美味なのではないかと思えてしまいます」


 ユン=スドラとトゥール=ディンをして、そのような感想であった。そしてそれは、俺の意見と完全に一致していた。


 餅の食感が、まったくもっていい方向に働いていないのだ。むしろ、具材の美味しさを殺しにかかっていると感じられなくもない。これはひさびさの大失敗であると認めざるを得なかった。


「うーむ。予想以上に、餅と具材が調和しなかったね。発想自体は、面白いと思ったんだけどなあ」


「あの……もしかしたら、アスタの故郷にもこのような料理は存在しなかったのでしょうか?」


 ラヴィッツの女衆がおそるおそる問うてきたので、俺は「うん」とうなずいてみせた。


「もしかしたら存在したのかもしれないけど、俺の知識にはなかったね。俺の知識にあったのは、最初に作った料理のほうだったからさ」


「そうなのですか……わたしが余計な話をしてしまったばかりに、貴重な時間と食材を無駄にさせてしまいましたね」


 ラヴィッツの女衆がしょんぼりとうなだれてしまったので、俺は「そんなことないよ」と笑いかけてみせた。


「何でも実際に手掛けてみないと、成功するかどうかはわからないからね。それにこの料理だって、あれこれ手を加えたらどう化けるかもわからないよ。無駄なことなんて、何もないさ」


 が、これを立派な料理に仕上げるには、ずいぶんな時間と手間がかかってしまいそうだ。その前に、デイ=ラヴィッツには別なる餅の料理を供したいところであった。


「餅そのものは、いくらでも他の料理で使うことができるんだよ。汁物料理に入れたっていいし、ピザやお好み焼きにも合うと思う。あとは……トマトソースやクリームソースで、パスタ風に仕上げるのもいいかもね」


「そ、そうなのですか? では、どうして覚えのない料理から手をつけることになったのでしょう?」


「いやあ、なるべく菓子と似たような形で出したほうが、デイ=ラヴィッツを説得しやすいかと思ってね。どんな仕上がりになるのかも興味があったからさ」


 俺がそのように述べたてると、隣で話を聞いていたユン=スドラが「あはは」と笑い声をあげた。


「最近のアスタは、失敗を恐れていませんものね。ご自分の修練の日には、もっと色々なことに挑んでおられますし」


「うん、まあね。でも、失敗作で勉強会が終わったら申し訳ないから、残りの時間でいくつか餅の料理を仕上げてみようか」


 そんな風に答えてから、俺はその場にいるかまど番の全員を見回してみせた。


「ただ、以前に伝えた通り、餅の取り扱いには十分に気をつけてほしい。俺の故郷では、餅を咽喉に詰まらせてお亡くなりになるという話が珍しくなかったんだよ。特にご老人や幼子は、噛む力も呑み下す力も弱いから、そういう人たちでも安全に食べられるように、決して大きな形のままではお出ししないようにね」


「はい、重々承知しています」


 かまど番たちも、真剣な面持ちでうなずいてくれていた。

 俺のもたらす新しい料理が、決して森辺の民に災いをもたらしてはならない――誰もが、そのように考えてくれているのだろう。


「それじゃあまずは簡単なところで、お好み焼きに取り組んでみようか。お好み焼きなら、どの氏族でも普段から作られているだろうしね」


 そうして次なる作業に取りかかりながら、ふっと客人たちのほうをうかがってみると、リコが深々と息をついている姿が見えた。


「いきなり失敗する姿を見せつけられて、幻滅しちゃったかな?」


 リコは「いいえ」と首を横に振った。


「むしろ、感銘を受けていたのです。アスタはこうして失敗を繰り返しながら、この地に美味なる料理をもたらしてきたのでしょうね。わたしとて傀儡使いの端くれであるのですから、何かを作りあげるのに失敗を恐れたりはいたしません」


「そっか。料理と人形劇じゃあ、ずいぶん勝手が違うように思えるけどね」


「そうだとしても、本質の部分に変わりはないように思います。……それもあって、わたしはアスタの存在に心をひかれたのかもしれません」


 そのように述べるリコは、とても11歳とは思えないような、大人びた微笑を浮かべていた。

 いまだに俺は、自分が人形劇の主人公に仕立てられるなんて、とんでもない――という心境でいたのだが、このリコという少女には強い興味と魅力を感じないわけにはいかなかった。

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