表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第四十三章 傀儡使いと老剣士
725/1681

新たな出会い②~森辺の集落~

2019.4/16 更新分 1/1

 俺たちが、その面々――リコ、ベルトン、ヴァン=デイロの3名と語らいの場を持ったのは、それから一刻ほどのちのことであった。

 どうやらこれはなかなか込み入った話であったようなので、屋台の商売が終わるのを待ってもらうことにしたのだ。


「さて、それじゃあ聞かせてもらおうかな。まず、傀儡使いっていうのは、いったいどういうものなんだろう?」


 俺がそのように尋ねると、少女リコは「えっ!」と心から驚いたように、その小さな身体をのけぞらせた。


「傀儡使いは、傀儡使いです。アスタは、傀儡使いをご存知ではないのですか?」


「うん。残念ながら、ご存知ではないね。たぶん、森辺では誰も知らないんじゃないのかな」


 ここは《キミュスの尻尾亭》の倉庫の前であり、森辺のかまど番も全員が顔をそろえていた。俺が視線を巡らせると、女衆の何名かが同意を示すためにうなずいてくれる。

 すると、この場を見物していたレビが声をあげた。


「傀儡使いってのは、糸繰り傀儡を使って芸を見せる人間のことだよ。最近はあんまり姿を見ないけど、餓鬼の頃には何度か復活祭で見た覚えがあるな」


「ああ、なるほど。つまり、人形劇っていうことなのかな?」


「そうそう。小さな人形を使って、おとぎ話やら神話やらの劇を見せてくれるわけだな。なかなか愉快な見世物だと思うぜ?」


 レビのおかげで、俺はようやくイメージをつかむことができた。

 が、女衆らはまだ頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。その中で、「あの」とユン=スドラがひかえめに声をあげた。


「それで、アスタの物語を作りたいというのは、どういう意味なのでしょう? アスタは生きた人間ですので、おとぎ話や神話にはならないですよね?」


「はい! わたしはアスタの不思議な生を、物語として作りあげたいのです! そのために、このジェノスにまでやってまいりました!」


 熱意に頬を火照らせながら、リコはそのように述べたてた。

 すると、長く残した髪の先を弄りながら、ヴィナ・ルウ=リリンが「ふぅん……?」と声をあげる。


「それはつまり……『白き賢人ミーシャ』のようなものなのかしら……? あれもおとぎ話や神話ではなく、いちおう生きた人間の話だったわよねぇ……?」


「『白き賢人ミーシャ』は、わたしも大好きな物語です!」


 そんな風に応じてから、リコは可愛らしく小首を傾げる。


「でも、そうですね、あれも数百年前の物語ですので、半分はおとぎ話のようなものなのでしょうが……いちおうは、伝記にふくまれるお話だと思います。わたしはそういう、後世にまで語り継がれるような、アスタの伝記を作りあげてみたいのです!」


「ちょ、ちょっと待った。俺なんて、そんなたいそうな人間じゃないんだからね。伝記を作って人形劇にするなんて、そんなとんでもない話はとうてい了承できないよ」


「何を仰るのですか! アスタの生は、華々しい物語そのものです! わたしなんて、ちょっとそのお話をうかがっただけで、こんなに心をつかまれてしまったのですから!」


 リコは胸の前で手を組み合わせると、うっとりとまぶたを閉ざしてしまった。


「わたしはたくさんの物語を母から受け継ぎましたが、アスタの物語はそれらに負けないぐらい華々しくて、心の躍る内容でした。だから、この手で傀儡の物語に仕立てあげたいと、心から願うようになったのです。こんなに自分で物語を手掛けたいと思ったのは、生まれて初めてのことです!」


「いや、だけどね……」


「それに、アスタや森辺の民は、真実と異なる風聞が流れることに困っておられるかもしれない、と聞きました。それでしたら、ありのままの真実を傀儡の物語として、この世に広く知らしめるべきではないでしょうか?」


 俺は思わず、言葉に詰まってしまった。

 そしてそこで、小さからぬ違和感を覚える。彼女たちはついさきほどジェノスにやってきたばかりだという話であったのに、ずいぶん訳知り顔であるように思えてきてしまったのだ。


「ちょっと待ってもらえるかな。そもそも君は、どこでどんな風に俺や森辺の民の話を聞きつけたんだろう? もしかしたら、君が耳にした話のほうこそ、根も葉もない風聞かもしれないじゃないか?」


「いえ。わたしはアスタと懇意にされている御方から、直接お話をうかがったのです。ですから、わたしの聞いた話に間違いはないと思います」


「俺と懇意にしてるって、それは誰のことなのかな?」


「はい。《ギャムレイの一座》の、ピノという御方です」


 俺は再び、言葉を失ってしまった。

 すると、無言でこの場を見守ってくれていたシーラ=ルウが、小声で呼びかけてくる。


「ピノというのは、あの黒くて長い髪をした、美しい面立ちの幼子のことですよね。アスタはあの娘と懇意にされていたのですか?」


「ええ、まあ、あの一団の中では、一番言葉を交わす機会が多かったように思いますけれども……でも、自分の素性をそんなに詳しく話した覚えはありませんね」


 すると、シーラ=ルウではなくリコのほうがその言葉に反応した。


「ピノは昨年の復活祭で、ジェノスに留まっていたのでしょう? そのときに、ジェノスや森辺でアスタのお話をたくさんうかがったのだと言っていました」


「ああ、なるほど……それで、君はピノとどういう関係なのかな?」


「どういう関係、というほどのものではありません。旅の途中でたまたま出くわして……それで、無法者に襲われていたところを助けていただいたのです」


 すると、不機嫌そうな顔で黙りこくっていた少年ベルトンが「へん」と声をあげた。


「こっちには俺とヴァン=デイロがいたんだから、何も危ないことなんてなかったよ。あいつらは、横から勝手に手を出してきただけだろ」


「でも、相手は10人もいたんだよ? もちろんヴァン=デイロだったら、それでも負けることはなかっただろうけど……でも、《ギャムレイの一座》の人たちが手助けしてくれたのは、本当の話じゃん」


 この老剣士は10人もの無法者を返り討ちにできるような御仁なのかと、俺はこっそり盗み見してみた。

 確かにまあ、老齢のわりには頑健そうな体格をしている。身長などは180センチ近くもありそうであったし、背筋もしっかりのびていて、柔弱なところはこれっぽっちも見受けられない。老いてなお盛ん、といった言葉がぴったりくるような風貌だ。


(それでもって、氏を持っているってことは……きっと、自由開拓民の血筋なんだろうな)


 白髪がまじって灰褐色に見える髪と、光の強い茶色の瞳、それに黄褐色の肌という特徴からして、東の血筋とは思えない。西の民にしては彫りの深い、なかなか渋みのきいた顔立ちであるが、もちろん北の血筋でもないだろう。髪と同じ色合いをした口髭もよく似合っており、若き時代にはけっこうな美丈夫だったのではないだろうかと思われた。


 それに何だか、ちょっと不思議な雰囲気を有した人物でもある。

 存在感が、あるようなないような――どっしりとした大岩のように、すごく自然で、すごく力強くて、それでいて人を圧迫することのない、とても静かな気配であるのだ。それは、ガズラン=ルティムやダリ=サウティを思わせる沈着さであり、町の人間でこういった気配を有する者は、これまでに見たことがなかった。


「とにかく、わたしはアスタの物語を作りあげたいのです! ご迷惑かもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします!」


 と、ベルトンとの言い合いを切り上げて、リコが頭を下げてくる。

 俺は「うーん」と思い悩むことになった。


「正直に言って、まったく気乗りはしないなあ。そもそも、お願いいたしますって、何をどうお願いされればいいんだろう?」


「わたしはアスタから、より詳しいお話を聞きたく思っています。ピノから聞いた話は断片的ですし、きっとアスタしか知り得ない裏事情などもたくさん存在するのでしょう? そういったお話を紡ぎ合わせて、アスタの物語を完成させたいのです!」


 リコの緑色の瞳には、真剣きわまりない光がたたえられていた。

 トゥール=ディンと変わらないような年頃で、顔立ちもごくあどけないのに、なかなかの気迫である。断るなら断るで、きっちりとした理由を提示しなくては、とうてい納得してくれそうになかった。


「そっか。でも、いまの段階では了承できないよ。俺の気持ちとしてもそうだし、それに俺は森辺の民だから、家長や族長の許しもないままに勝手な真似はできないんだ」


「では、そちらの方々とお話をさせていただけますか?」


 俺は、ララ=ルウを振り返った。

 ヴィナ・ルウ=リリンはリリンの人間になっていたので、この場におけるルウ本家の家人は彼女のみであったのだ。

 ララ=ルウは腰のあたりに両手を置いて、ずいっと胸をそらしながら、リコの真剣な顔を見やった。


「あんたたちが森辺で悪さをしないって誓うなら、族長のところまで案内をしてもいいよ。ただし、森辺の集落に留まるときは、刀を預けてもらうからね」


 すると、老剣士ヴァン=デイロがいくぶん眉根を寄せながら、リコを振り返った。


「刀を預けては、おぬしたちを守ることもままならなくなってしまうやもしれぬぞ。それでも、かまわんのか?」


「はい! ピノは森辺の民のことを、とても清廉で心の正しい人たちだと言っていました。わたしたちが悪さをしなければ、何も危ういことにはならないはずです」


「そういうところが、迂闊だってんだよ。ピノなんて、たった1回顔をあわせただけの相手だろ? あんなあやしげなやつを、頭から信じるなよなー」


 ベルトンが文句をつけると、リコはそちらに舌を出した。


「ピノだけじゃなくって、《ギャムレイの一座》はみんないい人だったじゃん。あんないい人たちのことを、どうしてベルトンは信じられないの?」


「いい人だからって、人を見る目があるとは限らねーだろ。あいつの目が節穴だったらどうすんだ?」


「あのピノが、そんな迂闊な人間だと思う? 少なくとも、わたしやベルトンなんかよりは確かな目を持ってるはずだよ」


 どうもこのリコという少女は、年齢の割に弁舌が巧みであるようだった。理論立っていて隙がない、というのではなく、力強い論調で相手の言葉をはね返してしまうのだ。ベルトンはハンチングのような帽子をいっそう深く傾けると、「ちぇっ」と舌を鳴らしていた。


「それでは、ご案内をお願いいたします。わたしたちも、荷車でついていけばいいですか?」


「そうだね。くれぐれも、悪さをするんじゃないよ?」


 そうして俺たちは、ようやく森辺に帰還することになった。

 研修生が増えたので、今日は5台もの荷車を使用している。ファの家で2台、ルウの家で2台、ディンの家で1台という勘定だ。ディンの家も研修生を増やすという話があがってから、ついに独自でトトスと荷車を買いつける事態に至ったのだった。


 リコたちの荷車は2頭引きであるので、俺たちの荷車よりもひと回りは大きい。たった3人の乗員では大仰なようにも思えたが、きっと傀儡の劇に必要な物資もたくさん載せられているのだろう。荷台の側面に、翼を広げた巨大な鳥の骨がユーモラスなタッチで描かれているのが、いかにも旅芸人らしい装飾であった。


 そんなリコたちの分も加えて、6台の荷車が森辺への道を辿っていく。その道中で、ユン=スドラはしきりに首をひねっていた。


「わたしには、まださきほどの話がよくわかりません。傀儡や人形というのは……幼子が、木片や石に目を描いて、それを人に見立てるようなもののことなのでしょうか?」


「うん。その理解で間違っていないと思うよ」


「では……あの娘は、木片や石に目を描いて、それをアスタに見立てるつもりなのでしょうか?」


「それは俺にもわからないけど、もうちょっと精巧な作りなんじゃないのかな。ほら、宿場町に木造りの神像が売ってたろう? あんな感じでさ」


「ああ、なるほど……それが、どのような芸になるのでしょう?」


 そもそも人形というものに馴染みの薄い森辺の民に、人形劇の存在を理解させるのは、ちょっと難儀であるようだった。

 俺がユン=スドラを納得させられる前に、荷車はルウの集落に到着してしまう。そうしてルウの本家の前には、実にたくさんの人々がヴィナ・ルウ=リリンの来訪を待ち受けていた。


「やあ、ずいぶん見違えたね! なかなか立派な姿じゃないか」


 ミーア・レイ母さんが最初に声をあげると、ヴィナ・ルウ=リリンはちょっと気恥ずかしそうな微笑でそれに応えた。朝方はミーア・レイ母さんが忙しくしており、挨拶をすることができなかったという話であったのだ。

 その足もとに、小さな人影がちょこちょこと近づいてくる。それに気づいたヴィナ・ルウ=リリンは、両手をのばしてその小さな身体をすくいあげた。


「元気そうねぇ、コタ=ルウ……この前は、きちんと挨拶ができなかったわねぇ……」


 コタ=ルウは不明瞭な面持ちのまま、ヴィナ・ルウ=リリンの首をぎゅっと抱きすくめた。2歳の幼子では、なかなか婚儀の意味を理解することも難しいだろう。その小さな頭の中では、どうしてヴィナ・ルウ=リリンが自分のことを氏をつけて呼ぶのか、不思議がっているのかもしれなかった。


 そして、サティ・レイ=ルウやティト・ミン婆さんやバルシャも、笑顔でヴィナ・ルウ=リリンを取り囲む。どの顔にも、喜びの色があふれかえっていることは言うまでもなかった。


「さ、かまどではレイナやリミも首を長くして待ってるからね。さっさと顔を見せてやるといいよ。ジバ婆は昼寝の最中だから、帰る前にでも声をかけてやっておくれ」


「うん、わかったわぁ……それじゃあ、後のことはお願いねぇ……?」


 その言葉は、ララ=ルウに向けられたものであった。

 ララ=ルウはちょっと凛々しい面持ちで、「うん」とうなずく。姉に代わってきちんと仕事を果たさねば、と意気込んでいるのだろう。


「ミーア・レイ母さん、今日は客人がいるんだよ。あっちの荷車で待たせてるから、ドンダ父さんが帰ってくる前に、まずは話を聞いてくれる?」


「客人? 町の人間かい? 荷車もすごい数なんで、ひとつ多いとは気づかなかったねえ」


 ヴィナ・ルウ=リリンやシーラ=ルウたちはかまど小屋のほうに消えていき、ララ=ルウは客人を母屋の前まで案内してくる。ミーア・レイ母さんのかたわらには、バルシャだけが居残っていた。


「はじめまして。わたしはリコで、こちらはベルトンにヴァン=デイロと申します。本日は、森辺の方々にお願いがあって参りました」


 そうしてリコ本人の口から詳細が語られたが、ミーア・レイ母さんも普段ほど明瞭に答えることはできなかった。


「傀儡使いねえ。あたしはそんなもん、耳にしたこともないけれど……バルシャだったら、わかるのかい?」


「ああ、もちろん。きちんとした腕を持つ傀儡使いの芸だったら、大人でも子供でも楽しめると思うよ」


 そんな風に述べてから、バルシャは老剣士のほうに目をやった。


「だけどあたしとしては、傀儡使いよりあんたのほうが気になっちまうね、剣士さん。もしかしたら、あんたは《守護人》を生業にしてるんじゃないのかい?」


 ヴァン=デイロは、仏頂面と無表情の中間ぐらいの面持ちでバルシャを振り返った。


「確かに儂は、かつて《守護人》として働いていた。しかしいまは、あてどもなく大陸を放浪する風来坊にすぎん」


「へえ。それじゃあ、その子らとはどういう関係なんだい? その子らが氏を持ってないってことは、孫ってわけでもないんだろう?」


「如何にも。たまさか縁を結んで、行動をともにしているに過ぎん」


 ヴァン=デイロがそれだけ言って口をつぐんでしまうと、代わりにリコが声をあげた。


「ヴァン=デイロは、親切心でわたしたちを守ってくださっているのです。ヴァン=デイロがいなかったら、わたしもベルトンもいくたび魂を返していたかわかりません」


「へえ、そいつは親切なこったねえ」


 分厚い肩をすくめるバルシャに、ミーア・レイ母さんが不思議そうに問いかけた。


「バルシャ、こちらは有名なお人なのかい?」


「ああ。《獅子殺し》のヴァン=デイロといったら、王国中に名を馳せた剣士様だよ。無法者だったら、その名前を聞いただけで逃げ出しちまうだろうねえ」


「ふうん。そいつは、大した話だ」


 そんな風に述べてから、ミーア・レイ母さんはリコに向きなおった。


「まあ、あんたたちも悪い人間には見えないから、族長と話をしてもらいたいところだけどさ……でも、族長だって傀儡使いとか言われても、何のことやらわからないからね。なかなか判断に困るだろうと思うよ?」


「森辺の方々は、傀儡使いの芸に馴染みがないのですね。でしたら、それがどのような芸であるのか、この場でお目にかけましょうか?」


「へえ、そんな簡単に見せられるようなもんなのかい?」


「簡単ではありませんが、難しいわけでもありません。普段通りに準備をするだけですので」


「そうかい。それじゃあ、お願いするよ。族長は、日が暮れる前には戻ってくるはずだからね。それまでは、客人としてくつろいでおくれよ」


 するとリコは、目を輝かせて身を乗り出した。


「では、それまでアスタのそばにいることをお許し願えますか?」


「アスタとかい? でも、アスタはファの家で勉強会をする日取りだったよね?」


「はい。でも、きっとアイ=ファも現状では何も答えようがないでしょうからね。ドンダ=ルウとご一緒に、傀儡使いの芸というものを拝見させてもらうべきだと思います」


 ミーア・レイ母さんは「そうだね」とうなずいた。


「それじゃあ、日が暮れる頃に、アイ=ファと一緒に戻ってきてもらおうか。それでよかったら、うちで晩餐を食べていっておくれよ」


「それはありがたい申し出ですが……でも、ご迷惑ではないですか?」


「迷惑だったら、誘いはしないよ。家人がまたひとり少なくなっちまったから、賑やかにしてくれたらありがたいねえ」


 ダルム=ルウとヴィナ・ルウ=リリンが家を出て、ルウ本家の家人も11人となってしまったのだ。それでもまだまだ大家族の部類であろうが、ミーア・レイ母さんの陽気な声にはほんのりと内心のさびしさがにじんでいるように感じられてしまった。


「わかりました。家長の了承を得ないと正式なお返事はできませんが、きっとアイ=ファもお断りするようなことはないと思います」


「うん、ありがとうね。こっちは晩餐の準備をしておくからさ。アイ=ファたちが来てくれなかったら、ルドの胃袋が破裂しちまうかもしれないって伝えておいておくれよ」


 あくまで冗談めかして言いながら、ミーア・レイ母さんはバルシャを振り返った。


「それじゃあ念のために、バルシャはアスタについててもらえるかい?」


「あたしだけじゃあ、何の役にも立てそうにないね。せめて、リャダ=ルウもご一緒させておくれよ」


「ああ、それじゃあリャダ=ルウも呼びに行かせるよ。……あ、その前に、あんたがたは余所の町から来た人間なんだよね?」


 ミーア・レイ母さんの問いかけに、リコは目をぱちくりとさせた。


「はい。わたしもベルトンもヴァン=デイロも、ジェノスの人間ではありません。それがどうかしましたか?」


「ジェノスの人間は、あまり迂闊にファの家に近づけられないんだよ。そこには、聖域の民ってやつが預けられてるからさ」


「聖域の民?」と、ヴァン=デイロが反応した。


「何故に聖域の民が、このような場所に住まっているのであろうか? もしや、このモルガの山というのは……」


「ああ、どうやら聖域と呼ばれる場所みたいだね。あんたはそれにまつわるややこしい話を、きちんとわきまえているのかい?」


「うむ。聖域の民と王国の民は、遥かなる昔に袂を分かつた。我らは敵とならぬ代わりに、友となることも許されない。聖域を出た聖域の民は、野の獣として扱うべし……というのが、王国の法であろう」


「それがわかってりゃあ、問題ないね。そっちのあんたがたも、大丈夫かい?」


「はい」とうなずきながら、リコは小さな身体を震わせていた。


「でも、聖域の民が住まっているなんて、驚くべき話です。その者は、聖域を捨てたわけではないのですか?」


「ああ。ちょっと事情があって、森辺で身柄を預かることになったんだよ。いずれはモルガの山に戻ってもらうことになってるね」


「そうですか……しかもそれが、アスタの暮らすファの家であるなんて……やっぱりアスタは、物語の主人公となるべくして生まれついたお人なのでしょう」


 リコが感激に打ち震えていると、ヴァン=デイロが「おい」と声をあげた。


「わかっているとは思うが、聖域の民などをうかうかと傀儡の劇で扱ったら、貴族どもに何を言われるかもわからんぞ?」


「はい、承知しています。それにわたしは、あくまでアスタの物語を紡ぎたいのです。それで聖域の民まで織り込んだら、きっと収拾がつかなくなってしまいます」


 そんなやりとりを経て、俺たちはファの家に向かうことになった。

 そこでバルシャが、俺に声をかけてくる。


「あたしとリャダ=ルウは、アスタと同じ荷車に乗せてもらえるかい? ファの家に着く前に、あれこれ話しておきたいことがあるんだよ」


「承知しました。こちらにどうぞ」


 屋台の人員は11名で、なおかつヤミル=レイとはここでお別れであるので、荷台のスペースにはゆとりがある。俺がギルルの手綱をユン=スドラに預けて荷台に乗り込むと、バルシャはさっそく話を始めた。


「アスタ、あのヴァン=デイロってお人は凄腕の剣士としてばかりじゃなく、ものすごい堅物としても有名だったんだよ。どれだけの銀貨を詰まれても、気に食わない貴族からの依頼は絶対に受けないっていう気骨の持ち主って評判だったのさ。……アイ=ファが戻ってきたら、そいつをきっちり伝えてもらえるかい?」


「はい。それは必要な措置なのですか?」


「ああ、必要だね。そうじゃなかったら、あんな物凄い力を持つ人間をうかうかとアスタに近づけるなって、アイ=ファに叱られちまいそうだからさ」


 バルシャの言葉に、リャダ=ルウは「そうだな」とうなずいた。


「正直に言って、俺でもあの老人を打ち倒すことは難しいように思う。以前のダグやイフィウスといった者たちとも、比較にならぬほどであろう。町の人間に、これほどの力を感じたのは……おそらく、カミュア=ヨシュ以来であろうな」


「あのお人は、それほどまでの剣士なのですか。もうけっこうな老齢であるみたいなのに、すごいですね」


「ああ、化け物の類いだろうと思うよ。ヴァン=デイロも、カミュア=ヨシュもね。……しかもヴァン=デイロなんて、あたしがこんな小さい頃から、マサラみたいに辺鄙な場所にまで名前が伝わってくるようなお人だったからね。それこそ、おとぎ話の住人にでも出くわしたような気分さ」


 そんな風に述べながら、バルシャは角張った下顎をぽりぽりと掻いた。


「で……こいつは後でドンダ=ルウにも忠告しておくけど、あいつらの申し出を受け入れるかどうかは、貴族におうかがいを立ててから決めるべきだと思うよ」


「貴族というと、ジェノス侯爵ですか?」


「ああ、そうさ。だってあの娘っ子は、アスタのこれまでの生活を傀儡の劇に仕立てようとしてるんだろう? ってことは、トゥラン伯爵家の話だって、そこには盛り込まれるはずだからね。貴族の名を汚すような話をあちこちで広められたら、あの娘っ子たちが危うい目にあっちまうのさ」


 そう言って、バルシャは面白くもなさそうに笑った。


「こいつは、ずいぶん昔の話なんだけどさ……あたしとゴラムが仕事の合間に、場末の宿場町をうろついてたら、傀儡使いが芸を見せてたんだよ。それが、こともあろうに《赤髭党》の物語だったのさ」


「へえ、それはすごいお話ですね!」


「ああ。ゴラムが天を突くような大男だったり、あたしがアイ=ファみたいに凛々しい女狩人だったり、《赤髭党》のことをなんもわかっちゃいない人間がこしらえた、お笑い種の芝居だったけどさ。でも、あたしらは貴族から富をぶんどって、そいつを貧しい人間に配ったりしてたろう? その寸劇も、《赤髭党》を正義の義賊に仕立てあげて、さんざん貴族を虚仮にするような内容だったもんだからさ。そのうち衛兵がやってきて、傀儡使いはしょっぴかれちまったんだよ」


「なるほど……トゥラン伯爵家のことを悪逆な敵方に配置してしまうと、彼女も同じ目にあう恐れがある、ということですね」


「ああ。トゥラン伯爵家がお取り潰しになってりゃあともかく、いまは新しい当主が懸命に家を立て直そうとしてる最中なんだからね。そのお姫さんと懇意にしてるアスタだって、そんな話は迷惑なだけだろう?」


「もちろんです」と、俺は大きくうなずいてみせた。


「いまさらトゥラン伯爵家の悪行をつつき回したって、誰のためにもならないでしょう。やっぱりアイ=ファやドンダ=ルウの意見を聞く前に、俺がはっきり断っておくべきでしたかね?」


「一概に、そうとは言いきれないさ。あの娘っ子は、真実を世に知らしめるべきだって言ってたろう? それはそれで、森辺の民のためになる行いなんじゃないのかい?」


 それもまた、ひとつの道理である。俺たちは、ジェノスにおける騒動が誤った内容で広まっている、という話をデルスたちから聞き及んでいたのだ。


「だから、森辺の民やジェノスの貴族が納得できるような内容だったら、そいつを傀儡の劇として広めてもらうのも、悪くはない話なんだと思うよ」


「そうですか。……でも、俺が物語の主人公に据えられてしまうなんて、やっぱり気が進みませんね」


「その気持ちは、あたしだって痛いほどわかってるさ。何せ、おんなじ目にあったことがあるんだからね。……ただ、アスタたちが断ったところで、あの娘っ子は勝手に寸劇をこしらえちまうかもしれないよ。だったら、きちんと正しい内容を伝えて、納得のいくもんをこしらえてもらうほうが、まだしも上策なんじゃないのかい?」


 俺は、大いに思い悩むことになった。

 が、この段階で思い悩んでもしかたがない。ここはやはり、アイ=ファやドンダ=ルウにも同じ苦悩を分かち合ってもらうしかないようだった。


(それにしても、俺が人形劇の主人公だなんて……なんて突拍子もないことを思いつくんだよ、まったく)


 揺れる荷車に身をまかせながら、俺は溜め息をつかせていただいた。

 そんな俺の姿を、バルシャはちょっと愉快そうに眺めやっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ