新たな出会い①~奇妙な三人~
2019.4/15 更新分 1/1
・今回の更新は全8話です。
シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンの婚儀が行われた日の、翌々日――藍の月の16日である。
その日も俺たちは、元気に屋台の仕事に取り組んでいた。
昨日も臨時で休業とさせていただいたので、屋台の商売は2日ぶりだ。
そのせいもあってか、その日は普段よりもいっそうお客の勢いが増しているように感じられた。
なおかつその日から、俺たちのほうも新たな取り組みに挑んでいた。ひと月後にせまった太陽神の復活祭に向けて、人員を補強することになったのだ。
とはいえ、1年前と比べても、すでに人員はぞんぶんに補強されている。その頃から屋台の手伝いをしてくれていたメンバーはもうベテランの域であるし、それ以降も頼もしい顔ぶれが続々と増員されているのだ。正直なところ、そのメンバーだけでも復活祭を乗り越えることは、きっと難しくなかっただろう。
しかし、森辺の民が取り組んでいる屋台の商売というのは、ただ銅貨を稼ぐだけが目的ではない。外界の人々と正しい絆を紡いでいく、という大事な目的も存在するのだ。ゆえに、俺としてはなるべく多くの氏族の方々に関わってもらいたい、という思いが強かった。
そうしてこのたび白羽の矢が立てられたのは、4名のかまど番――ラヴィッツ、ナハム、ヴィン、そしてアウロの女衆たちである。
ラヴィッツを親筋とする3氏族の女衆には、少し前から下ごしらえの仕事と勉強会に参加してもらっていた。それが開始されたのは、ラウ=レイがファの家に押しかけてきた頃であったから、まもなくひと月が経とうとしているのだ。それで十分に下地はできあがったように思えたので、俺のほうから屋台の仕事も手伝ってはいただけないかと、親筋の家長たるデイ=ラヴィッツに打診させてもらったのである。
何やかんやと文句を述べていたデイ=ラヴィッツであったが、最終的には俺の提案を受け入れてくれた。その裏には、いつまでも女衆の取り仕切り役であるリリ=ラヴィッツに屋台の仕事をまかせてはいられない、という思いもあったらしい。今後はリリ=ラヴィッツの当番を減らす代わりに、新たな3名の参加を了承してくれたのだった。
いっぽうアウロというのは、ラッツの眷族にあたる氏族である。
もうひとつの眷族であるミームは前々から屋台の仕事に参加していたが、アウロのほうは下ごしらえの仕事にしか参加していなかった。それで、俺が人員を補強したいという提案をすると、真っ先に手をあげてくれたわけである。
これにてファの家が取り仕切る屋台の商売は、ガズ、ラッツ、ベイム、ラヴィッツを親筋とする10の氏族すべてに手伝ってもらえることとなった。
こうなってくると、フォウやランの人々だけ参加させていないことが、心苦しくも思えてくるのだが――バードゥ=フォウの伴侶たる女衆は、大らかに笑っていたものであった。
「あたしらはそのぶん、下ごしらえのほうで頑張らせていただくよ。そっちの仕事をおろそかにしていたら、屋台の商売だってままならなくなっちまうんだからねえ」
それが、彼女の言い分であった。
「ま、あたしらはジョウ=ランとユーミの一件があるから、率先して宿場町の人らと絆を深めるべきなんだろうけど……最近は、若い男衆がしょっちゅう宿場町に下りてるからさ。休息の期間には、女衆や年を食った人間にももっと町に下りてもらおうと考えているんだよ。それだったら、むしろ屋台の商売に関わってないほうが動きやすいって面もあるんじゃないのかね」
そういうことならばと、俺もフォウ家の意向を尊重させていただくことにした。
屋台の商売に関しては、これからも恒久的に続けていきたいと願っているのだ。フォウやランの人々に手伝いをお願いする機会は、これからいくらでも巡ってくることだろう。
そんなわけで、俺たちは本日から4名の研修生を迎えることになったわけである。
ちなみに、菓子の販売をしているトゥール=ディンのほうも、人員補強に取り組んでいた。これまではずっとリッドの同じ女衆と商売に励んでいたのだが、ディンとリッドから新たな女衆を1名ずつ研修させることになったのだ。
ただこれは、有事に備えての措置であるらしい。屋台の商売の熟練者がふたりきりだと、怪我や病魔に見舞われた際、たいそう困った事態になってしまうし、今後の展開によっては、ふたり以上の人員が必要になる場面も出てくるかもしれない。そういった配慮から、研修を始めることにしたのだそうだ。
それにやっぱり、できるだけ多くの人間が宿場町の人々と絆を深めるべきである、という思いもあったのだろう。研修が終了したのちは、トゥール=ディンを除く3名が日替わりで当番をつとめる予定である、とのことだった。
そして、ルウ家の取り仕切る屋台においても、最近は細かな変化を繰り返している。
新たな女衆の研修を始めたり、オウラ=ルティムがゼディアス=ルティムの面倒を見るために当番から外れたりしたのは記憶に新しいところであるが、このたびヴィナ・ルウ=リリンの参加する日取りが3日から5日にいっぺんに縮小されたことで、また新たなローテーションを組み立てることになったのだ。
さしあたって、リミ=ルウとララ=ルウは今後、毎日交代で宿場町に下りるらしい。ヴィナ・ルウ=リリンが家を出て、サティ・レイ=ルウが身重であることを考えると、本家の家の仕事は大丈夫なのだろうかと心配になってしまうところであるが、それは分家の人間の手を借りて乗り越える方針であるようだった。
そしてもう一点、ツヴァイ=ルティムの出勤も、今後は1日置きになるのだという話であった。
彼女は肉の市が開かれる日のみ、屋台の仕事を免除されていたのであるが、取り仕切り役であるレイナ=ルウとシーラ=ルウでさえ1日置きに出勤している中、自分ばかりが出ずっぱりになる必要はないのではないか、と本人から申告があったのだそうだ。
「ただでさえ、アタシは余所の氏族に引っ張り出されることが多いんだからネ! これじゃあ、家の仕事をするヒマもないヨ!」
と、そのようにわめきたてる姿を、俺もちらりと垣間見たことがある。
確かにツヴァイ=ルティムは、生鮮肉の販売を受け持つことになった氏族から、計算や読み書きの手ほどきを願われることが多かった。森辺の民には希少な才覚を持つ人間として、あれこれ頼られる場面が増えていたのである。
ただし、現在生鮮肉の販売を受け持っているのはガズとラッツを親筋とする氏族であったが、彼らは族長筋に対する遠慮があったので、そんなにしょっちゅうツヴァイ=ルティムを頼ったりはしていないはずであった。
だからまあ、ツヴァイ=ルティムとしては、オウラ=ルティムとともに自分の家で過ごす時間を増やしたかっただけなのかもしれない。そんな気持ちを汲んだのかどうなのか、レイナ=ルウたちも快くツヴァイ=ルティムの提案を受け入れたようだった。
そうして、ほぼ同時期にヴィナ・ルウ=リリンとツヴァイ=ルティムの出勤日数が減じることになった。
それで空いた穴を埋めるために、また新たな女衆を2名、増員することになったのである。それに選ばれたのは、ルティムとマァムの女衆であった。
もともとルウ家の屋台を日替わりで手伝っていたのは、ミン、レイ、ムファの3名であり、そこに先ごろ、ミンのふたり目、マァム、リリンが追加されている。ここに新たな2名が加わることで、総勢8名になったわけだ。
これで、レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、リミ=ルウ、ララ=ルウ、ツヴァイ=ルティム、ヴィナ・ルウ=リリンを加えると、ちょうどいい人数になるらしい。ヴィナ・ルウ=リリンとリリンの女衆と、あとはマァムの片方の女衆が5日にいっぺんの出勤となり、他のメンバーは1日置きの出勤となるローテーションであるようだった。
ちなみにルティムから参戦する新メンバーは、リリンがらみの祝宴で俺と縁を重ねることになった、あの年若い朗らかな女衆であった。
彼女は以前から屋台の手伝いを熱望していたらしく、このたびようやく願いがかなったので、ご満悦であるそうだ。
そんなわけで、ずいぶん前置きが長くなってしまったが――俺たちは、そういった新体制で屋台の商売に取り組んでいた。
ファ、ルウ、ディンと、それぞれの屋台がいっぺんに新人の研修を開始したので、なかなか人数が凄いことになっている。正規のメンバーが15名で、研修生が8名にものぼるのだ。そしてもちろん、マイムやレビたちも変わらず屋台を出している。お客の勢いもさることながら、それをお相手する屋台の裏側も、相当な賑わいであった。
ファの屋台の4名の研修生は、3台の屋台と青空食堂にそれぞれ配置して、俺、ユン=スドラ、ヤミル=レイ、フェイ=ベイムが、マンツーマンで指導している。その中で、ラヴィッツの血族たる3名は、屋台に押し寄せるお客の勢いに、少なからずおののいているように見受けられた。
「まあ、こればっかりは慣れるしかないからね。最初はゆっくりでいいから、丁寧さを心がけておくれよ」
最初の頃は敬語で接していた俺であるが、リリ=ラヴィッツに「みんな年少の女衆ですので、それに相応しい言葉づかいを」とたしなめられて、それに従っている。
それにやっぱり、女衆の側もそのほうが打ち解けやすかったのかもしれない。ひと月前にはかなり緊張した様子であった彼女たちも、この頃にはそれなりにくだけた態度を見せてくれるようになっていた。
アウロの女衆に関しては、下ごしらえの仕事で古くから面識があったので、問題なくコミュニケーションも取れている。現在は、ヤミル=レイのもとで『ケル焼き』の作り方を学んでいた。
「さて、だいぶ客足も落ち着いてきたみたいだね。そろそろ仕事を交代しようか」
俺が受け持っているのは、ラヴィッツの女衆である。淡い栗色の髪をした、15歳のうら若き娘さんであった。
「今度は、盛りつけの仕事をお願いするよ。カレーの分量に応じて、焼きポイタンをお渡しするのを忘れないようにね」
俺の担当は『ギバ・カレー』であったので、何も難しい仕事ではない。それでもラヴィッツの女衆はかしこまった様子で「はい」とうなずいていた。
刻限は、そろそろ下りの一の刻ぐらいであろうか。青空食堂のほうはたいそうな賑わいであるが、屋台を訪れるお客はまばらになってきていた。あとは一刻ばかりをかけて、残された料理を売り切るのみである。
「へー、そっかあ。そんなに小さな子供が多いと、やっぱり大変なんだね!」
と、隣のルウ家の屋台から、ララ=ルウの元気な声が聞こえてくる。
ヴィナ・ルウ=リリンが、営業日の初日から当番をつとめることになったのだ。ヴィナ・ルウ=リリンはつい一昨日の夜に家を出たばかりであったが、ララ=ルウのはしゃぎっぷりといったら、それはもう見ているだけで微笑ましい限りであった。
もちろん俺としても、日を置かずにヴィナ・ルウ=リリンと再会できたのは、この上ない喜びである。
それに、ヴィナ・ルウ=リリンは――このわずかな期間で、色々と様子が変わっていた。
まず、服装からして異なっている。未婚の女衆は胸あてと腰あてを着用しているが、伴侶を迎えた女衆は胸から腰までを覆う一枚布の装束を纏う習わしにあるのだ。
それに加えて、長くのばした髪を短く切りそろえる習わしもある。ヴィナ・ルウ=リリンも、ゆるくウェーブした栗色の髪を、ばっさりと短くしていた。
ただし、ごくありふれたショートヘアではない。ヴィナ・ルウ=リリンは、左右のこめかみのあたりの髪だけを、長くのばしたままにしていた。
後ろのほうはかなり大胆に短くしているので、色っぽいうなじが人目にさらされている。そして、サイドの髪は結いあげたりもしていないので、これまで通りに美麗なる面の左右をふわりと彩っていたのだった。
あらためて、容姿に恵まれているヴィナ・ルウ=リリンである。
というか――婚儀の祝宴でもそれはもう美しい姿であったヴィナ・ルウ=リリンであるが、本日はまたそれとも異なる美しさが発露されているように感じられた。
装束をあらためて、以前よりも肌の露出は少なくなっているというのに、色気のほうは増している。それも、以前のようにフェロモン過剰といった様相ではなく、何というか――内側から静かに匂いたってくるかのような、実に不可思議な雰囲気なのである。
ララ=ルウと言葉を交わしているその横顔も、以前の通りで変わりはない。いや、むしろ以前よりも落ち着いたようにすら感じられる。淡い色合いをした瞳の輝きも、すっと筋の通った鼻梁も、肉感的な唇も、造作は変わっていないはずであるのに、これまでよりも穏やかで、静謐で、しとやかで――それでいて、咲き誇る大輪のように艶やかであったのだった。
(これが、人妻の色気というものなんだろうか)
などと、俺が馬鹿なことを考えたとき――ヴィナ・ルウ=リリンの静かな眼差しが、ふわりとこちらに向けられてきた。
「わたしに何か用かしらぁ、アスタ……?」
「あ、いえ。べつだん、そういうわけではなかったのですが……」
「でも、ずっとわたしのほうを見ていたでしょう……?」
不思議そうに、小首を傾げる。そんな何気ない仕草にも、これまでにはなかった可憐さと艶やかさが備わっているように感じられてしまった。
「本当に、何でもないんです。ただちょっと、雰囲気が変わったなあと思っただけなのですよ」
「そう……? まあ、髪の長さや装束が変わったら、雰囲気ぐらいは変わるかもねぇ……」
「そうですね。……でも、その髪型もよくお似合いですよ」
これぐらいならば森辺の習わしに抵触しないだろうと思い、俺はそのように告げてみた。
ヴィナ・ルウ=リリンはくすりと笑って、長く残した髪のひとふさを、自分の顔の前に持ち上げる。
「これねぇ……ここだけ長く残してしまって、変じゃないかしら……?」
「いえ、変なことはまったくありませんよ」
「そう、だったらいいけれど……これは、シュミラルに言われて残すことにしたのよぉ……」
「へえ。それじゃあ、シム流の髪型なんでしょうか?」
しかし、故郷を捨てたシュミラル=リリンがそのようなことを望むとは思えない。
俺がそのように考えていると、ヴィナ・ルウ=リリンはちょっと考え込んでから、俺の耳もとに口を寄せてきた。
「そうじゃなくって……髪の下に透けるわたしの顔を、とても好ましく思っていたのですってよぉ……恥ずかしいから、他の人には言わないでねぇ……?」
俺が言葉を失っている間に、ヴィナ・ルウ=リリンは身を引いて、またくすくすと笑い声をたてた。
そんな仕草も、反則級なまでに魅力的である。
「ねえねえ、アスタのことはいいから、もっとリリンの家のことを聞かせてよ!」
と、ララ=ルウが姉の腕にからみつく。
貴重な姉妹の団欒を邪魔してしまわないように、俺も職務に戻ることにした。
とはいえ、客足は止まっている。ラヴィッツの女衆はひたすら鉄鍋を攪拌しており、俺の本来の相方であるマルフィラ=ナハムは、ひたすら目を泳がせていた。
「なんか、早い時間に客足が集中しちゃったみたいだね。やっぱり2日ぶりの営業だったからかな」
「そ、そ、そうかもしれませんね。で、でも、料理の残りはわずかですし、売れ残ることはないかと思いますけれど」
どんなに慌てふためいているように見えても、色々なところに目の行き届いているマルフィラ=ナハムである。いざ復活祭を迎えても、彼女はこうしてあたふたと目を泳がせながら、しっかり仕事をやりとげてくれることだろう。心強いこと、この上なかった。
「そ、そ、そういえば、本日はジャガルのおふたりがまだお見えになっていませんね?」
「ジャガルのおふたり? ……ああ、デルスとワッズのことだね。うん、今日あたりはもしかして、城下町に招かれてるんじゃないのかな」
藍の月ももう半ばを過ぎようとしているのに、その両名はまだジェノスに居残っていた。例のゲルドとの交易の兼ね合いで、城下町からタウ油の仕入れを打診されているのだそうだ。自慢のタウ油がシムの領土に流されてしまうのか、とデルスも最初は渋い顔をしていたが、なにせ取り引きの規模が尋常ではないので、いまは前向きに検討しているらしい。今頃は、ジェノスの外務官およびポルアースと顔を突き合わせて、商談に励んでいるさなかなのではないかと思われた。
「ゲ、ゲ、ゲルドの方々も、まだ城下町におられるのですよね? な、な、何かまだ用事が残されているのでしょうか?」
「さあ、どうなんだろう。とりあえずゲルドの領地に使者を飛ばして、食材の見本品を運ばせる段取りはつけたらしいけどね。それが到着するのはひと月以上も先の話だろうから、それまで居残ってるってことはないんだろうけど……まあ、ジェノスの貴き方々と絆を深めているんじゃないのかな」
なおかつアルヴァッハなどは、故郷に帰る前にもう1度、俺に料理を作ってもらいたいと言ってくれていた。彼らがまたファの家を訪れるのか、それとも俺のほうが城下町に呼びつけられるのか、そこのあたりもまだ判然とはしていなかった。
(そろそろヴァルカスにも、ご挨拶をしたい頃合いなんだよな。酪を使わないまま、インド風のカレーもあれこれ手を加えてみたけれど、ヴァルカスだったらどんな評価を下してくれるだろう)
と、俺がそんな風に考えたとき、「ねぇ……」とヴィナ・ルウ=リリンの声が聞こえてきた。
「あの荷車は、何かしらぁ……? さっきから、ちっとも動こうとしないのよねぇ……」
ヴィナ・ルウ=リリンの視線を追ってみると、街道の端に1台の荷車が停められていた。
2頭引きの、大きいけれど古びた幌の荷車だ。正面のスペースには屋台も出ていなかったので、その空き地に半ば踏み込む形で停車されている。そして、その乗員と思しき人々が、ちらちらと俺たちの屋台を盗み見している様子であった。
「何でしょうね。でも、無法者の類いではないんじゃないですか? 小さな子供の姿も見えていますしね」
「うん……だけど、あの年老いた男衆のほうは、刀を下げているようよ……?」
確かに1名、腰に刀を下げている人物がいた。が、すでに頭の白くなりかけた、老境の人物であるように見受けられる。そしてそのかたわらで、小柄な男の子と女の子がひそひそと耳打ちをし合っているようであった。
「旅人にしては、ちょっと珍しい顔ぶれですね。ギバ料理を買うかどうか、悩んでいるのでしょうか」
「うぅん……そんな話だったら、いいのだけれどねぇ……」
ヴィナ・ルウ=リリンは、その瞳にいくぶん気がかりそうな光を浮かべていた。
そんな中、子供のひとりが意を決したように近づいてくる。近づいてきたのは女の子のほうで、男の子のほうは慌てた様子でそれを追いかけてきた。
「あの、お仕事の最中に申し訳ありません! ちょっとお時間をよろしいですか?」
屋台の前にまで到着した女の子が、そのように述べたててくる。トゥール=ディンと同い年ぐらいの、ごく可愛らしい女の子だ。短めの茶色い髪はくるくると渦を巻いており、南の民を思わせる緑色の瞳には、何やら決然とした光がたたえられている。
「何だろう? 屋台のお客さんではないのかな?」
俺がにこやかに問い返すと、女の子は「はい」とうなずいた。
「わたしは、リコと申します。失礼ですが……あなたは森辺の民、ファの家のアスタという御方でしょうか?」
「うん、そうだよ。俺に何かご用事かな?」
リコと名乗った女の子はとたんに顔を輝かせると、ななめ後ろにたたずんでいた男の子を振り返った。
「ほら、やっぱりそうだったじゃん! 何も考え込む必要なんてなかったんだよ!」
「俺は別に、考え込んでたわけじゃねーよ。ただ、迂闊に近づくべきじゃないって言っただけだ」
男の子は、不服そうに口をとがらせている。こちらもなかなか可愛らしい顔立ちをしていたが、目深にかぶったハンチングのような帽子と、ずいぶんぶかぶかの長袖の上衣、それにやっぱりぶかぶかの脚衣をサスペンダーのようなもので留めているのが、あまり見かけないファッションであった。女の子のほうは、ごくありふれたワンピースのような装束である。
「迂闊に近づくべきじゃないって、どういうこと? 近づかないと、お話もできないでしょ?」
「だから、話をする前に色々と探るべきだったって言ってるんだよ。お前、ほんとに人の話を聞いてねーんだな」
「ベルトンの話が、よくわからなかったんだもん。アスタはすごく優しい人だっていう話だったんだから、何も心配する必要はないでしょ?」
「へん。そいつが優しかったとしても、森辺の民は――」
と、男の子は途中で口をつぐんでしまった。森辺の民がずらりと居並んだ場所で口にするべきではない、と考えたのだろう。マルフィラ=ナハムはあたふたと目を泳がせており、ラヴィッツの女衆はけげんそうにふたりの子供たちを見やっていた。
「リコにベルトンよ。そのような場所で言い合いをするものではない。そちらの者たちも困ってしまっているではないか」
新たな人物が、ふたりを仲裁する。いつのまにやら、刀を下げたご老人も、ふたりのそばまで歩を進めていたのだ。
「それに、おぬしたちが荷車を離れてしまったら、儂はどちらを守ればよいのだ? 儂の身体は、ひとつしかないのだぞ?」
「ごめんなさい、ヴァン=デイロ。このお人がファの家のアスタかと思ったら、じっとしていられなくなっちゃったんです」
女の子は老剣士のほうにぺこりと頭を下げてから、あらためて俺のほうに向きなおってきた。
「あの、ファの家のアスタ! 実はあなたに、お願いがあるのです!」
「うん、何だろう? 俺で力になれるようなことなのかな?」
「これは、あなたにしかお願いできないことなのです! ぶしつけですが、どうぞよろしくお願いいたします!」
リコなる女の子の眼差しは、真剣そのものであった。
しかし――その後に発せられた彼女の言葉は、予想のななめ上どころか、はるかなる上空を飛来していて、俺にはまったく理解が及ばないような内容であった。
「実はわたしに、あなたの物語を作らせていただきたいのです!」
俺は、ぽかんと言葉を失ってしまった。
しかしそれも、無理からぬことであっただろう。マルフィラ=ナハムとラヴィッツの女衆も、きょとんとした顔でそれぞれ首を傾げていた。
「あなたは、何を言っているのかしらぁ……? 物語って、どういう意味なのぉ……?」
隣の屋台から、ヴィナ・ルウ=リリンが問いかけてくる。その表情は穏やかであったが、かたわらのララ=ルウは不信感もあらわに少女たちのことを見やっていた。
そんなふたりのほうに向きなおり、少女は「はい!」と元気に声をあげる。
「わたしは、傀儡使いを生業にしているのです! アスタには、わたしの物語の主人公になっていただきたいのです!」
それでもやっぱり俺たちは、何ひとつ理解することができなかった。
ともあれ――俺たちは、その風変りな面々と、ここで縁を結ぶことになってしまったわけである。