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異世界料理道  作者: EDA
第四十二章 愛の月
721/1684

華燭の典④~かまど巡り~

2019.3/31 更新分 1/1

 幼子の集められた家を出て、ガズラン=ルティムとも別れの挨拶を交わし、ユン=スドラたちの働く簡易かまどに戻ってみると、ようやく仕事も一段落した様子であった。


「アスタ、ちょうど料理を取りに来る人間も途絶えたので、ここでいったんかまどの火を落としてしまおうかと思うのですが、どうでしょう?」


「ああ、そうだね。それじゃあ残りは、婚姻の儀式を終えてからにしようか」


 俺たちの準備したギバ骨のミソラーメンはひとり2杯という分量が定められていたので、間に中休みを入れることを想定していたのだ。祝宴の終盤にも料理を楽しんでいただきたいという判断である。


「そのときは、ユン=スドラとトゥール=ディン以外の5人が仕事を受け持つからね。あとはゆっくり、祝宴を楽しんでおくれよ」


「はい。菓子を出すのも、そのときでいいのでしょうか?」


「うん。ルウ家のほうでも、その頃合いに菓子を出すはずだよ」


 仕事を手伝ってくれていたルウの血族の人々にも礼を言い、その場で一時解散ということになった。


「それじゃあ、ルウ家のかまどを巡ろうか。ふたりも、おなかが空いただろう?」


「はい。アスタたちは、何か口にされたのですか?」


「いや、これからだよ。何人かの人たちに挨拶をしただけで終わっちゃったね」


 ということで、今度はユン=スドラとトゥール=ディンとともに、広場を巡ることになった。

 アイ=ファを含めて3人とも宴衣装に身を包んでいるので、何かまぶしいぐらいである。年頃の女衆はみんな宴衣装であるのだが、ひときわ豪奢に感じられるのは、果たして俺のひいき目であるのだろうか。アイ=ファはもちろん、ユン=スドラもトゥール=ディンもとても綺麗で、可愛らしく、俺は何だか誇らしいような気持ちでいっぱいであった。


「待て、アスタよ。かまどを巡る前に、ドンダ=ルウとギラン=リリンに挨拶をしておくべきではないか?」


「ああ、そっか。それじゃあ、まずはそちらにお邪魔しよう」


 ドンダ=ルウたちが陣取っているのは、やぐらの足もとの大きな敷物である。ドンダ=ルウにギラン=リリン、ミーア・レイ母さんにウル・レイ=リリン、ジバ婆さんとティト・ミン婆さん、ミンの家長やマァムの家長――さらには、カミュア=ヨシュとレイトの姿も、そこには見受けられた。


「失礼する。今日は婚儀の祝宴に招いてもらい、心からありがたく思っている」


 と、まずは家長たるアイ=ファがしかつめらしく礼をする。返事をしてくれたのは、ギラン=リリンであった。


「こちらこそ、素晴らしい宴料理に感謝しているぞ。あのギバの骨とミソを使ったらーめんという料理は、たまらない味わいだったな」


「お気に召したのなら、幸いです。婚姻の儀式を終えた後に、また同じ料理を配りますので」


「うむ。そのように聞いていたから、2杯目は運ばせずにおいたのだ。シュミラルたちも、心待ちにしているだろうさ」


 ここまでやぐらに近づくと、逆にシュミラル=リリンたちの姿は死角になってしまっていた。食事をできないのは気の毒であるものの、それにもまさる喜びを噛みしめていることだろう。


「カミュアたちも、こちらにいらしたのですね。何のお話をされていたのですか?」


「ギラン=リリンやドンダ=ルウから、復活祭の話をうかがっていたのだよ。今度の復活祭では何としてでもジェノスに居座らないとなあと考えていたところさ」


 その期間、カミュア=ヨシュはずいぶん長らくジェノスを離れていたのである。お祭り好きのカミュア=ヨシュであれば、さぞかし楽しい時間を過ごせることだろう。


「そういえば、カミュアは《ギャムレイの一座》の方々ともお知り合いなのですよね。復活祭では、また彼らもジェノスにやってくるかもしれませんよ」


「ああ、彼らともずいぶんご無沙汰だ。復活祭の前にばったり出くわしたことはあるけれど、それももう1年ぐらい前の話なのだねえ」


 そこでカミュア=ヨシュは、にんまりと微笑んだ。


「そういえば、これはまだ言ってなかったかな? 俺が《颶風党》の面々を捕縛したときに、力を貸してくれたのが《ギャムレイの一座》だったのだよね」


 俺は「ええっ!」と驚きの声をあげることになった。

 ギラン=リリンはきょとんとしており、アイ=ファやドンダ=ルウは鋭く目を光らせている。


「というか、俺の目的は別の盗賊団だったからさ。実質、《颶風党》の前身であった《ターレスの月》を壊滅させたのは、ギャムレイたちなんだよ。俺は彼らの代わりに、捕縛した連中を衛兵に引き渡しただけの話だね」


「……では、やつらは貴様の助けもないままに、自力で山の民の盗賊団を討ち倒したということか?」


 ドンダ=ルウの言葉に、カミュア=ヨシュは「ええ」とうなずく。


「俺なんかは、逃げようとした連中を何名か眠らせたぐらいです。俺が手を出す余地もなかった、というのが正しいところでしょうかね」


「呆れた話だな。確かにあの大男と、ひょろひょろとした娘などは、森辺の狩人にも負けない力を持っていたが……それ以外に、剣を取れるような人間がいたのか?」


 好奇心をあらわにしてギラン=リリンが問いかけると、カミュア=ヨシュはまた愉快そうに微笑んだ。


「それは、ドガとロロのことですね? 何にせよ、《ギャムレイの一座》で刀を使うのは、刀子投げのザンぐらいのものでしょう。あとはそれぞれの曲芸と同じ技でもって、無法者を退けることができるのですよ」


「そうか。あのシャントゥとかいう老人などは、獅子や豹や黒猿などという獣を使って、ギバをも退けていたのだったな。それに、天幕にまで乗り込んできた無法者たちも、自力で片付けていたものだが……しかし、山の民を相手にそのような真似ができるとは、大したものだ」


 ギラン=リリンは、笑い皺を深くして微笑んでいた。

 いっぽう、ドンダ=ルウは「ふん」と顎鬚をまさぐっている。


「あいつらが戻ってくるとなると、また騒がしくなりそうだな。貴様がそれに加わろうというのなら、なおさらだ」


「ええ、楽しみなことですねえ。ただ、前回はルウ家もたまたま休息の期間ということで、町に下りることになったのですよね? 今回はそういうわけにもいかないのでしょうか?」


「むろん、ギバ狩りの仕事をおろそかにすることはできん。……しかし、まったく関わらないというわけにもいかんだろうな」


 ドンダ=ルウの双眸が、不機嫌そうに横合いを見る。そこにちょこんと座していたのは、ジバ婆さんであった。


「わがままを言っちまって、申し訳ないねえ……でも、あんたたちもたまには仕事を休む日があるだろう……? そういう日に、あたしのわがままにつきあってくれたら嬉しく思うよ……」


「ふん。言葉だけは、しおらしくしやがる」


 ドンダ=ルウは果実酒をあおってから、俺たちのほうに視線を向けてきた。


「その頃は、ちょうど貴様らが休息の期間を迎えるかもしれんという話であったな。日が近づいたら、護衛役に関して話をさせてもらうぞ」


「うむ。余所の人間が多く集まるその時期には、用心を重ねなければならぬからな」


 アイ=ファは凛然と答えていたが、首から下は女性らしい横座りのポージングである。以前ダン=ルティムに、宴衣装であぐらは不相応だとたしなめられた効果であった。


「では、婚姻の儀式が始まる前に腹を満たしておきたいので、これで失礼する。……ジバ婆も、また後で」


「ああ、また後でねえ……宴の後も、楽しみにしているよ……」


 本日は、俺とアイ=ファと宿場町からの客人のみ、ルウ家で寝所を借りる手はずになっているのだ。アイ=ファはやわらかい眼差しになりながら、「うむ」と応じていた。


 やぐらの下の敷物を離れて、今度こそ手近のかまどを目指す。その道中で、ユン=スドラがしみじみとつぶやいていた。


「あとひと月ていどで、復活祭がやってくるのですね。いまから、心が弾んでしまいます。わたしたちの休息の期間がちょうど重なりそうなのは、本当に幸いなことでしたね」


「うん。夜はもちろん、昼の営業でも護衛役はつけるべきだっていう話になっているからね。もしも休息の期間が重なっていなかったら……休息の期間にある別の氏族に護衛を頼むしかなかっただろうね」


「チムや家長も口には出していませんが、きっと復活祭を心待ちにしているはずです。これも森の導きですね!」


 祝宴の熱気と相まって、ユン=スドラは心から幸福そうな笑顔であった。

 その間にも、食欲中枢を刺激する香りが近づいてきている。そこに待ち受けていたのはレイナ=ルウであり、近くの敷物に陣取っていたのはルティム本家のご一行であった。


「おお、ようやく来おったか! ずいぶん遅かったではないか!」


 ダン=ルティムが、大きな声で出迎えてくれる。かまど巡りの最中にルティム家の団欒に出くわすのは、もはや通例の行事となっていた。

 が、本日は少々顔ぶれが異なっている。ガズラン=ルティムはまだ戻っていないらしく、アマ・ミン=ルティムは分家の家であり、その代わりにディック=ドムとレム=ドムが同じ敷物に座していた。


「やあ、レム=ドムが祝宴に参加するのは、ずいぶんひさびさのことだね」


「そりゃあそうよ。親筋のザザはともかく、わたしたちドムの人間が余所の氏族の祝宴に招かれることなんて、そうそうないんだからねえ」


 レム=ドムはすでに果実酒が回っているらしく、その吊りあがり気味の大きな目は色っぽくとろんとした眼差しになっていた。その目が、俺を通り越してアイ=ファの姿をとらえると、いっそう艶めかしく細められる。


「アイ=ファ、ようやく会えたわね。宴衣装が、とっても素敵だわあ……」


「……お前は宴衣装を纏っていないのだな」


「ええ。嫁入りの話なんて持ちかけられたら、面倒でしかたないもの。族長たちの許しは得ているわよ」


 ふたりの会話を聞きながら、俺はそっと視線を巡らせた。

 モルン=ルティムはダン=ルティムとディック=ドムにはさまれてにこやかに微笑んでおり、ツヴァイ=ルティムはそっぽを向いて木皿の料理をかきこんでいる。そのかたわらに座したオウラ=ルティムは、寡黙なるラー=ルティムと静かに語らっている様子だ。


 さきほどまでは、別の氏族の人々も同席していたのだろう。敷物の片側に、ぽっかりとスペースが空いている。自分たちは座したまま、集まってくる人々と酒杯を酌み交わすという流儀に変わりはないようだ。


「しかし、アスタたちはかまどを巡り終えるまで、腰を落ち着けてはくれんのだろう? ならば、とっとと腹を満たしてくるがいい! この場で待っておるからな!」


「ええ? アイ=ファもトゥール=ディンも行ってしまうの? わたし、さびしいわ……」


 レム=ドムがなよやかに手を差しのべてくると、アイ=ファはそれをぴしゃりとはねのけた。


「酒の入ったお前は、いっそう鬱陶しい。そこで大人しく、ルティムの家と絆を深めているがいい」


「もう、意地悪ねえ……トゥール=ディンも、行っちゃうの……?」


「は、はい。のちほど、またご挨拶をさせていただきます」


 気の毒なレム=ドムをその場に残して、俺たちはいざ簡易かまどへと突撃した。

 大きな鉄鍋を攪拌していたレイナ=ルウが、にこりと笑いかけてくる。


「ようこそ、アスタ。よかったら、こちらの料理をお召し上がりください」


「ありがとう。この汁物料理は、かなり香草を使っているようだね」


「はい。ネイルやジーゼの助言のもとに、作りあげた料理となります」


 それは何とも、興味をそそられる話であった。

 鉄鍋からは、香草の香りが強く匂いたっている。スープの色は白濁しており、タウ油やミソなどは使っていない様子であった。


「それじゃあこれは、シム料理ってことになるのかな?」


「シム料理を参考にはしていますが、香草の種類が異なるでしょうから、なんとも言えません。わたしなりの、祝いの料理となります」


 百聞は一見に如かずである。俺たちは、レイナ=ルウや分家の女衆から、それぞれ木皿を受け取ることにした。

 白く濁ったスープの中に、赤い粒が散見される。この香りからして、チットの実であろう。シム料理を参考にしているからには、辛みを強調した味付けであるはずだ。


 そのように考えながら、木匙でスープをすすりこむと――果たして、それなりの辛みが舌の上にはねあがった。

 チットの実だけではなく、さまざまな香草が使われているのだろう。その分類もままならないぐらい、ちょっと複雑な味わいである。辛さと、酸味と、わずかな苦み――それをなだめてくれるのは、ほんのりと感じられる果実の甘みであった。


「何だか少し、ヴァルカスを思い出させる味だね。それはつまり、ヴァルカスがシム料理の作法を積極的に取り入れているからなのかな」


「はい。ですが、ヴァルカスほど細かな細工はしていません。というか、これほど細工の少ない料理をこしらえたのは、ずいぶんひさびさであるように思います」


「そうなのかい? そのわりには、ずいぶん複雑な味わいに思えるけど……」


「結果的に、そうなったというだけのことです。おそらくこれは、2度と同じようには作れない料理であるのです」


 レイナ=ルウがそのように述べたてたとき、トゥール=ディンが「あひゅう」という可愛らしい声をあげた。

 みんながそちらを振り返ると、トゥール=ディンは真っ赤になってしまう。ユン=スドラは、びっくりまなこでその姿を見守っていた。


「いまのは、トゥール=ディンの声だったのですか? よほど驚いたみたいですね」


「す、すみません。まさか、ギバの目玉が入っているとは考えていなくて……ついついおかしな声をあげてしまいました」


 トゥール=ディンが恐縮しまくっていると、レイナ=ルウが「そうですか」と微笑んだ。


「トゥール=ディンは、ギバの目玉が苦手でしたか? わたしは、嫌いではないのですが」


「わ、わたしも嫌っているわけではありません。ただ、レイナ=ルウたちの話に聞き入っていて、木匙を見ずに口に運んだものですから、びっくりしてしまっただけなのです」


 目玉の煮物はかなり独特の味と食感を有しているが、森辺の民はそれを苦にしていない。もっとも苦にしているのは、おそらく俺であるだろう。俺がトゥール=ディンと同じ立場であったなら、きっともっと珍妙な声をあげていたはずだ。


「目玉の料理は、ずいぶんひさびさだね。それもシム料理を参考にしてのことなのかな?」


「はい。このすーぷには、小ぶりなギバの身体がまるまる使われているのです」


 レイナ=ルウは、そのように説明してくれた。


「シムの祝いの席においては、その場でギャマの魂を返し、毛を焼いた後、すべての身を切り刻んで鍋に投じる、という宴料理が存在するそうなのです。こちらでは森で仕留めたギバを使う他ありませんでしたが、それ以外の作法はすべて真似ています」


「ギバ1頭をまるまる使った鍋か。それは、豪快だね!」


 俺はいっそうの好奇心を誘発されながら、木皿の中身をさらってみた。

 ぶつ切りにされた腸の一部に、皮のついたどこかの肉、濃い褐色をしたレバーの切れ端――と、一杯分の木皿にも、それだけ多様な肉が見受けられる。あとは、細切りにされたアリアや角切りのチャッチ、それに形を残した香草の欠片なども見受けられる。


「もちろん、これまでに使っていなかった臓物に関しては、今日の料理でも使っていません。でも、それ以外のものはすべて使っています。それで、この鍋に調和するであろう食材を、ひとつずつ投じていった、という作り方になりますね」


「へえ。それじゃあ、何の食材を使うかは、作りながら決めるということかい?」


「そうなのです。その日のギャマに相応しいのはどのような香草や野菜であるのか、それをひとつずつ選んでいくのが、この料理の作法であるようです。だから、2度と同じ味には仕立てられないということですね」


 それは何とも、不可思議な調理法であった。

 祝いの料理であるのだから、多分に儀式的な意味合いも込められているのだろう。俺がそのように尋ねると、レイナ=ルウは「はい」とうなずいた。


「祝福の思いを込めて、その日のギャマをもっとも美味に仕立てあげる。そういう作法なのだと、ジーゼは言っていました。ミソやタウ油を使えば、もっと簡単に味の調和を目指すこともできるのでしょうが……それらはジャガルの食材ですし、この料理には似合わないように思ったので、あえて使わないことにしました」


「そっか……うん。これは、シュミラル=リリンの婚儀に相応しい宴料理だと思うよ」


 ありがとう、という言葉が咽喉まで出かかっていた。

 レイナ=ルウは、それを見透かしているかのように微笑んでいる。


「でも、ミャームーやペペの葉などは使っていますからね。そういう意味でも、これはシム料理ではないと思います。シムの作法で作られた森辺の料理というのが、もっとも相応ではないでしょうか?」


「そうだね。だからこそ、いまのシュミラル=リリンにはもっとも相応しい宴料理なんじゃないかな」


 あらためて、俺はその料理を口に運んだ。

 よっぽど入念に煮込まれているのだろう。皮と肉の間の脂は、ぷるぷるのゼラチン質になっている。それに、強い香草の味付けが、どっしりとした出汁に支えられているのを感じる。すべての身を使ったということは、きっと骨ガラも煮込まれているのだろう。それでは灰汁取りも大変であるし、味を調えるのもひと苦労であったはずだ。


「美味しいですね。同じ味で作れないというのを、惜しいように感じてしまいます」


 ユン=スドラがそのように声をあげると、レイナ=ルウはにこりと微笑んだ。


「そうであるからこそ、特別な宴料理であるのかもしれません。ただ1度の宴で作られる、ただ1度の特別な料理であるのです。この料理を、ヴィナ姉とシュミラル=リリンに美味しいと思ってもらえたら……わたしは心から嬉しく思います」


 この料理は、この日にしか口にすることができないのだ。

 きっとこの料理の味わいは、祝宴の思い出とともに、心の奥底に深く刻みつけられることだろう。俺は、そのように確信することができた。


(ありがとう、レイナ=ルウ。心の中で、こっそり言わせてもらうけど……これは本当に、素晴らしい料理だよ)


 気を抜くと、俺はまたもや涙をこぼしてしまいそうなところであった。


「本当に美味しかったよ。ヴィナ=ルウたちに食べてもらうのが待ち遠しいね」


「はい。わたしはずっと、そのことばかりを考えてしまっています」


 そうして俺は満ち足りた気持ちで、レイナ=ルウに別れを告げることになった。

 しばらく歩くと、人だかりが見えてくる。ずいぶんな賑わいであったので、いったい何の料理なのだろうと覗き込んでみると――作業台で、巨大な肉塊を切り分けているシーラ=ルウの姿が見えた。


「ああ、半身の炙り焼きが仕上がったみたいだね」


 本来はギバの丸焼きを想定していたのだが、手頃なサイズのギバが手に入らなかったため、ふたつに割った枝肉を、まるまる炙り焼きにしたのだそうだ。なおかつ肢もついたままであるので、半身だけでも子ギバ1頭よりボリュームではまさっているはずだった。


(そうか。いまにして思えば、小ぶりなギバはレイナ=ルウのほうに回したから、丸焼きの分まで確保できなかったっていうことなんだな)


 ともあれ、半身の枝肉とはいえ、長い時間をかけた炙り焼きは絶品である。俺たちも、人々の後ろに並んでそれを味わわせていただくことにした。


「ああ、アスタにアイ=ファ。それに、ユン=スドラとトゥール=ディンも……ずいぶん挨拶が遅くなってしまいました」


「いえ、どうもお疲れ様です。炙り焼きは、ちょっとひさびさですね」


「はい。シムでもギャマの丸焼きという料理があるそうなので、こちらも準備することにしました」


 いざ作業台に近づいてみると、シーラ=ルウは指示を送っているだけで、実際に肉を切り分けているのは他の女衆であった。屋台の商売も手伝っている、ミンやレイのかまど番たちである。


「復活祭では、またギバの丸焼きを出すことになるかもしれませんので、他の女衆にも切り分け方を覚えてもらっているのです」


「ああ、なるほど。……俺たちも、収穫祭ではそうしてみようか」


 俺が言うと、ユン=スドラとトゥール=ディンは口をそろえて「はい!」と答えてくれた。

 そうして受け取った肉を口にすると、予想通りの美味しさである。ぱりぱりに焼けた皮と、水気を失っているのにしっとりとした肉、そしてほどよく抜けた脂が、さまざまな美味しさを同時に届けてくれる。表面に塗り重ねられたタウ油ベースのタレも、以前よりいっそうクオリティを増しているようだった。


「いやあ、美味しいです。焼きたての肉を味わえるというのも、この料理の醍醐味ですね」


「はい。やはり祝宴には相応しい料理だと思います」


 シーラ=ルウも、穏やかに微笑んでいる。

 そこから少し離れた後方に、長身の人影がうかがえた。


「あ、ダルム=ルウもこちらにいらしたんですね」


 俺が呼びかけると、ダルム=ルウは「ああ」とうなずいた。

 どことはなしに、不機嫌そうな様子である。このおめでたい席にどうしたのだろうと思っていると、シーラ=ルウが菩薩像のように目を細めた。


「ダルムのことは、お気になさらないでください。ちょっと、その……へそを曲げてしまっているだけなのです」


「何だ、その言い草は。人を幼子のように扱うな」


 ふたりが婚儀をあげて以来、ダルム=ルウがそんなぞんざいな口をきく姿は見たことがなかったので、俺はかなりびっくりしてしまった。

 すると、炙り焼きの肉をたいらげたアイ=ファも、わずかに眉をひそめてそちらに向きなおる。


「どうしたのだ、ダルム=ルウよ。大事な家族の婚儀の場でへそを曲げるなどというのは、感心せんな」


「やかましいぞ。俺はへそを曲げてなどおらん」


「だったら、その態度は何なのだ。お前がシーラ=ルウを粗末に扱うのは、腹立たしくてならんぞ」


「いえ、いいのです、アイ=ファ。ダルムはその、わたしのことを思ってへそを曲げてしまっただけですので……」


 そうしてシーラ=ルウはひとつ息をつくと、肉を切り分けている女衆らにいくつかの指示を与えてから、ダルム=ルウのほうに近づいていった。

 きっと余人には聞かせたくない話であるのだろう。アイ=ファは俺だけを引き連れて、その後を追う。ダルム=ルウは、仏頂面でそっぽを向いてしまった。


「どうかお気になさらないでほしいのですが……今日の祝宴には、たくさんの客人が招かれているでしょう? それがダルムの気に障ってしまったようなのです」


「何故だ? 確かに、ヴィナ=ルウやシュミラル=リリンと関わりのない人間を招くのは、私も筋違いであるように思うが……貴族の言いつけでは、それもやむをえまい」


「いえ、貴族たちの話ではなく……森辺や宿場町からの客人についてであるのです」


 俺とアイ=ファは、仲良く小首を傾げることになった。

 シーラ=ルウは、困ったような顔で微笑んでいる。


「わたしとダルムの祝宴では、アスタとアイ=ファしか客人を招いていなかったでしょう? わたしもヴィナ=ルウも同じように屋台の仕事に取り組んでいるのに、どうして今回だけこのように客人が招かれるのかと……これではまるで、ヴィナ=ルウばかりが余所の人間と絆が深く、わたしは誰からも祝福されていないようではないか、とダルムは考えてしまったのですね」


 俺はようやく、理解することができた。

 しかし、アイ=ファはまだ眉をひそめたままである。


「わからんな。それはつまり……ユン=スドラやトゥール=ディン、それにユーミやテリア=マスなどが、ヴィナ=ルウとばかり絆を深めているように感じられる、ということか?」


「はい。ですが、ヴィナ=ルウがそうして余所の人間と絆を深めていることは、ダルムも嬉しく感じているのですね。ただ、わたしがないがしろにされている、と考えてしまったみたいで……決してそのようなことはないと言っているのに、なかなか納得してくれないのです」


「何だ、それは。まるで幼子のようではないか」


 ダルム=ルウは狼のように目を燃やしながら、アイ=ファをねめつけた。

 が、アイ=ファは一転して穏やかな面持ちになっている。ダルム=ルウがシーラ=ルウのためにへそを曲げたのだと理解して、矛を収めることにしたのだろう。


「お前たちが婚儀をあげたのは、たしか黄の月であったな。それから半年もの時間が過ぎているのだから、同じように比べることはできまい。特にあの頃は、血族の祝宴について見直すべきだという気風が強まっていたはずなので、婚儀の祝宴に宿場町の民を招くことなど思いも寄らなかったはずだ」


「…………」


「納得がいかぬか。……よし、それではアスタも何か言うがいい」


「え? 俺が何を言えばいいんだろう?」


「町の人間やかまど番との絆について、もっともわきまえているのはお前であろう。ヴィナ=ルウばかりが余所の人間と絆が深いなどということが、はたしてありうるのか?」


「いやあ、そんなことはないよ。シーラ=ルウとヴィナ=ルウでは立場も人柄も異なるから、それぞれに相応しい相手と絆を深めていたはずさ」


 俺は一考し、自分の印象を並べたててみせた。


「たとえばユーミなんかは、気の強い女性と相性がいいみたいだから、ヴィナ=ルウとは昔から仲良くしていたね。いっぽうテリア=マスは、宿屋で手ほどきをしていたときに、シーラ=ルウと絆を深めていたはずだ。ユン=スドラは物怖じしないからヴィナ=ルウともよく会話をしていたし、トゥール=ディンは引っ込み思案なところがあるから、人当たりのやわらかいシーラ=ルウに懐いてると思う」


 そんな風に述べてから、俺は大事なことを思い出した。


「そうそう。それに、ユーミはシーラ=ルウたちの婚儀のときも、祝宴に参席したいって名乗りをあげていたんだよ。でも、婚儀の祝宴は本来血族のみで祝われるべきだって、ルウ家のほうでお断りしたんだ。それでもって、今回は無関係の貴族たちを招くんだから、自分の参席も許してほしいって、ユーミが懸命に頼み込んだんだよ」


 俺はダルム=ルウに向きなおり、さらに言葉を重ねてみせた。


「あと、白の月にフォウとスドラで婚儀の祝宴が開かれたのですが、そのときなどは名前も知らない相手であったのに、ユーミとテリア=マスは特別に招かれることになりました。ユーミとジョウ=ランの特殊な状況を鑑みて、そういう措置が取られたわけですね。ですから、宿場町の民に関しては、必ずしも懇意にしている相手の婚儀に招いてきたわけではないので、ダルム=ルウが気に病む必要は――」


「誰も、気に病んでなどおらん」


 がりがりと頭をかきながら、ダルム=ルウが俺のほうに顔を突き出してきた。


「お前がやたらとよく回る舌を持っているということを、ひさびさに思い知らされた。俺をやりこめて楽しいのか、お前は?」


「だってそれは、ダルムがふてくされていたからじゃないですか。そうやって八つ当たりをするのも、ダルムのよくないところですよ」


 シーラ=ルウがふわりと微笑みながら、ダルム=ルウの腕に手をかけた。


「今日は大切なヴィナ=ルウの婚儀なのですから、わたしなどのことで機嫌を損ねないでください。ダルムだって、今日という日を心待ちにしていたのでしょう?」


「ふん……いつまで経ってもうじうじと思い悩んでいたあいつが、腹立たしかっただけのことだ」


「ダルムはヴィナ=ルウと仲がいいから、余計にやり場のない気持ちを抱えてしまったのでしょうね。でも、わたしだって色々な人たちと絆を深めていますし、とてもよくしてもらっているのですから、何も心配しないでください」


 それでようやく、話はまとまったようであった。

 アイ=ファは小さく肩をすくめると、視線で俺をうながしてくる。俺は両名に挨拶をしてから、その場を離れることにした。


「あやつは立派な狩人であるのに、ときとして幼子のような面を見せることがあるな。シーラ=ルウの苦労も多かろう」


「うん。でも、それはそれでダルム=ルウの魅力なんじゃないのかな。俺だったら、そういう部分も含めて愛おしいと思うよ」


 トゥール=ディンたちのもとを目指しながら、アイ=ファはぎょっとしたように目を見開いた。


「お前が……ダルム=ルウを、愛おしく思うのか?」


「あ、いや、そうじゃなくって、シーラ=ルウの目線になっただけだよ。俺にもそういう、立派な部分と可愛らしい部分をあわせもった相手に心当たりがないわけじゃないんでね」


 後頭部を、平手で引っぱたかれてしまった。


「……申し訳ありませんでした。祝宴でいささか浮かれすぎていたようです」


 俺は心を込めて謝罪をしたが、顔を赤くしたアイ=ファは何も答えてくれなかった。

 そうしてみんなのもとに到着すると、ユン=スドラがびっくりまなこで「大丈夫ですか?」と問うてくる。きっと、俺がおしおきをされる姿が視界に入ってしまったのだろう。


「大丈夫だよ。それじゃあ、次のかまどに向かおうか」


 しかし、体感としてはそろそろ婚姻の儀式が開始されそうな頃合いであった。

 それで俺たちは、足早に次のかまどを目指そうとしたのだが――そこに到着する前に、足を止めることになった。


「あれ? シン=ルウにララ=ルウ、どうしたんだい?」


 ふたりは、かがり火から離れた薄暗がりで立ち尽くしていた。それでもって、ララ=ルウがぽろぽろと涙をこぼしている姿が、シン=ルウの肩越しに見えてしまったのである。


「うるさいなあ。どうしてアスタたちまで寄ってくるのさ!」


 そんな風にわめく声も、涙声になってしまっている。真っ赤な髪を自然に垂らして、素敵な宴衣装を纏っているというのに、ララ=ルウは子供みたいにべそをかいてしまっていた。


「すまない。ララ=ルウは、少し心を乱してしまったようなのだ。アスタたちは気にせずに、祝宴を楽しんでもらいたい」


 そのように述べながら、シン=ルウもかなりオロオロしてしまっている様子である。そんなふたりの姿を見比べながら、アイ=ファは「どうしたのだ?」と問い質した。


「余計な世話であれば、この場から立ち去ろう。しかし、もしも私たちで力になれることがあれば、何でも言ってもらいたい」


「……どうして? アイ=ファたちには関係ないじゃん」


「関係ないことはない。ララ=ルウとて、私は大事な友と思っている」


 アイ=ファがララ=ルウにそのような言葉をかけるのは、実に珍しいことであった。

 それで激しく情動を揺さぶられたのか、ララ=ルウはいっそう大粒の涙をこぼすや、アイ=ファの胸もとに飛び込んでいた。


「ごめん……本当に何でもないんだよ……ただ、ちょっとさびしくなっちゃっただけで……」


「さびしいとは、ヴィナ=ルウがリリンに嫁入りするからであろうか?」


「うん……あたし、ヴィナ姉が婚儀をあげることが、すごく嬉しかったのに……今日の夜から、もうヴィナ姉は同じ家にいなくなるんだって想像したら……涙が止まらなくなっちゃって……こんなの、おかしいよね……」


「何もおかしくはない」と、アイ=ファはララ=ルウの両肩にそっと手を置いた。


「お前の家族は、みんな同じ気持ちであるはずだ。ただ、それを上回る喜びにすがって、さびしく思う気持ちをこらえているにすぎん」


「でも……ドンダ父さんもミーア・レイ母さんも、みんないつも通りなのに、あたしだけ……」


「それはララ=ルウが、誰よりも素直であるからに過ぎん。家族はみな同じ気持ちであるのだから、何も恥じる必要はない」


 ララ=ルウは顔をくしゃくしゃにすると、アイ=ファの胸もとに頬をうずめて泣きじゃくった。

 アイ=ファは少し困ったような顔で、おずおずとその髪を撫でている。

 すると――俺のかたわらでは、トゥール=ディンまでもが目を潤ませてしまっていた。


「そうですよね……わたしは兄弟がいないので、あまりよくわかりませんけれど……ララ=ルウと同じ立場であったら、きっと泣いてしまうと思います」


「うん、俺もそうだと思うよ」


 ひとりっこである俺たちは、もらい泣きで目を潤ませながら、こっそり微笑みを交わし合う。

 そのとき、その声が響きわたった。


「では、婚姻の儀を執り行う! 両名を、儀式の火の前に!」


 それは、ドンダ=ルウの声であった。

 人々は、待ちかまえていたように歓呼をあげている。

 それを聞きながら、アイ=ファはララ=ルウの肩をつかんだ。


「さあ、ヴィナ=ルウの姿を見届けてやるがいい。ヴィナ=ルウにとっては、何よりも大切な儀であるのだからな」


「うん……ありがとう、アイ=ファ。……シン=ルウ、ごめんね……?」


「いや、ララ=ルウが謝る必要はない。俺だって、姉たるシーラ=ルウの婚儀では涙を流してしまっていたからな。……さあ、ともに婚姻の儀を見届けよう」


 シン=ルウが優しく微笑みかけると、ララ=ルウも涙に濡れた顔で「うん」と笑った。

 そうして俺たちは、ヴィナ=ルウとシュミラル=リリンの新たな門出を見届けるべく、儀式の火の前に集結したのだった。

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