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異世界料理道  作者: EDA
第四十二章 愛の月
720/1681

華燭の典③~宴の始まり~

2019.3/30 更新分 1/1

「本当にもう、いいかげんにするがよい」


 アイ=ファは、ぷりぷりと怒っていた。

 当然のこと、俺が滂沱たる涙を流しているゆえである。やぐらから降りて、あまり人気のない広場の隅に引っ込んでも、俺の涙はなかなか止まってくれなかったのだった。


「ごめんな。だけど、これは嬉し涙なんだから、何も心配はいらないだろう? もう収まると思うから、勘弁してくれ」


「勘弁とか、そういう問題ではない。たとえ嬉し涙であろうとも、お前がそのように目を泣きはらすのは……心が痛んでしかたないのだ」


 そのように述べるアイ=ファの瞳には、心から心配そうな光が瞬いている。

 それを申し訳なく思いながら、俺はあふれる涙をぬぐい続けた。


 そうして俺の準備した織布がすっかりぐしょ濡れとなり、ようよう涙が収まった頃には、祝福の品を届ける儀式も完了したようだった。

 宿場町からの客人たちは、果実酒や飾り物などを贈ったはずだ。城下町からの客人たちも、あまり高価すぎないものをとあらかじめ伝えられていたので、何か相応の品を準備したのだろう。それらの客人の最後尾をつとめたレイトがやぐらを降りると、ドンダ=ルウがあらためて声を張り上げた。


「では、婚儀の祝宴を開始する! シュミラル=リリンとヴィナ=ルウに、祝福を!」


「祝福を!」という復唱の声も、今日は一段と熱がこもっているように感じられた。

 俺は大急ぎで、自分の持ち場に移動する。草冠の交換などは、祝宴の中盤に行われるものであるので、まずはかまど仕事を果たさなければならないのだ。


 やぐらの上にはシュミラル=リリンとヴィナ=ルウだけが残されて、血族や客人たちが宴料理を楽しむ姿を見守っている。それを目の端で確認しながら簡易かまどに駆けつけると、そこではすでにユン=スドラたちの手によって料理が配られ始めていた。


「どうもお疲れさまです、アスタにアイ=ファ。さすがにこの人数だと、すごい勢いですね」


「うん。他のみなさんも、慌てないようにお気をつけください」


 とはいえ、この場に集まっている7名は全員が屋台の商売で鍛えられている。挙動だけは慌てふためいて見えるマルフィラ=ナハムも含めて、何も不安になることはなかった。


「あー、いたいた! アスタたちのかまどは、ここだったんだね!」


 と、元気な声とともに、ユーミが現れる。同行しているのは、テリア=マスとジョウ=ランだ。


「今日は、ギバ肉を使ってない料理も準備してるんでしょ? それが気になったから、真っ先に来ちゃった」


「そっか。口に合えばいいけど、どうだろうね」


 ユーミは興味津々の面持ちで、鉄鍋の中を覗き込んできた。ちょうど俺の担当が、そのギバ肉を使わない料理であったのだ。


「ふーん。タラパのすーぷかあ。見た目はぎばばーがーとかで使ってるやつとあんまり変わらないみたいだけど……やっぱり何か、香りが違うみたいだね!」


「うん。魚介がたっぷり使われてるからね。よかったら、食べてみておくれよ」


 俺がフェルメスのために準備したのは、ブイヤベースをイメージした魚介のタラパスープであった。

 とはいえ、俺にフランス料理の素養はあまりない。タラパ仕立てのスープは得意であったので、それを応用したまでである。


 なおかつ、本来であればキミュスの骨ガラの出汁を使っていたところであるのだが、このたびは燻製魚と海草で出汁を取っている。フェルメスが嫌うのは獣肉のみであり、脂や乳や卵などは問題ないと聞かされていたものの、骨ガラで出汁を取れば獣肉に通ずる強い風味が生まれる。それよりは、魚介の出汁を好ましく思うのではないかと思い、それを採用した次第であった。


 また、王都から運ばれるホタテに似た貝類はずいぶん良質の出汁が取れるので、今回もそれを活用させてもらっている。貝類と燻製魚と海草という3種の出汁を基盤にして、俺はこの料理を作りあげていた。


 まずはレテンの油でたっぷりのミャームーを炒めて、香りが立ったら、アリアとネェノンのみじん切りを投入する。さらにマロールとヌニョンパと貝類もじっくり炒めたら、白ママリア酒を注ぎ入れ、アルコールの飛んだ頃合いで、出汁とタラパの投入だ。


 そして俺は、ここでいくつかの香草も使っていた。

 たしかブイヤベースには、サフランやパセリやローリエなどのスパイスが使われていたように記憶していたのだ。

 それらに似た香草は見つからなかったので、俺は辛みを主体としない香草のいくつかをチョイスしていた。これはもう、ブイヤベースの再現というよりは、このタラパスープと調和する香草の選別、という作業であった。


 その末に選びぬいたのは、カレーでも使用している土っぽい香りのする香草と、森辺でも採取できるリーロ、そしてチャッチの皮を干したものであった。

 それらの香草を加えた後は、じっくりと煮込んで、塩とピコの葉で味を調える。これで完成だ。


「さあどうぞ、召し上がれ」


 俺は準備されていた木皿に魚介のタラパスープを注ぎ、ユーミたちに手渡した。

 ジョウ=ランやテリア=マスも、興味深げにそれを受け取る。真っ先に口にしたのは、やはりユーミであった。


「へえ、不思議な味! なんか、全然知らない料理みたい!」


「それはやっぱり、魚介の出汁の効果かな。宿場町では、あんまり魚介の出汁も使われないもんね」


「そりゃーそうだよ! 魚介とかって、ずいぶん値が張るしさ! 貝とかヌニョンパとかマロールとか、あたしは食べるのも初めてだよ」


 そんな風に述べながら、ユーミは貝の切り身を口に放り込んだ。


「あはは、くにくにしてて、なんか変なの! ……なんか、初めてギバ料理を食べたときのことを思い出しちゃうなあ」


「へえ? それはどうしてだろう? べつだん、味が似ているわけではないよね?」


「うん、タラパを使ってるのは一緒だけど、あとは似てないね。そういうことじゃなくって、なんかこう……味っていうよりは、風味なのかな? なんか知らない風味がするから、これちょっと臭いんじゃないのって気持ちになったりもするんだけど……なんかそれが、美味しく感じられたりもするんだよね」


 ギバ肉に劣らず、魚介というのは風味が強い。食べなれていない人間であれば、それを臭みと感じることもあるだろう。

 だけどそこには、この食材でしか生まれ得ない旨みというものもたっぷり潜んでいるのだ。未知なる味わいという意味で、ユーミはかつてのギバ料理を連想したのかもしれなかった。


「そうですね。わたしも、不思議な味わいだと思います。それに……貴族の好む料理と聞いているせいか、ずいぶん特別な料理を口にしているんだという気持ちになってきてしまいますね」


 テリア=マスがそのように述べたてると、ユーミも賛同の声をあげた。


「あー、わかるわかる! ちょっと臭いかなーとか思う反面、お上品な味! とかも思っちゃうんだよね。ま、それはこっちの思い込みなんだろうけどさー」


 ともあれ、ユーミもテリア=マスも魚介のタラパスープの味わいを楽しんでくれている様子であった。


「ジョウ=ランは、どうだい? 森辺の男衆にも嫌がられないといいんだけど」


「そうですね。アスタが森辺に現れる前であったら、煮汁が腐っているのだと感じて、木皿を放り捨てていたかもしれません」


 実ににこやかに微笑みながら、ジョウ=ランはそのように述べていた。


「この貝やヌニョンパというものも、肉なのか何なのかわかりませんし……美味というよりは、不思議で、奇妙で、面白い料理ですね」


「そっか。もうちょっと辛みをきかせたりしたほうが、むしろ食べやすいぐらいだったのかな」


「それは、強い辛みでこの奇妙さをやわらげるということですか? そうすると、面白さが減じてしまうかもしれません。これはこのままで正しいのだと思いますよ」


 そう言って、ジョウ=ランはいっそう朗らかに微笑んだ。


「ドンダ=ルウやゲオル=ザザが口にしたら、どのような顔をするのでしょうね。ちょっと見てみたい気がします」


「やだなあ。もしも不興を買ったら、木皿を投げつけられるのは、俺なんだよ?」


「でも、アスタはあえてこういう料理を選んだのでしょう? 町の人々が初めてギバ料理を食べたときと同じような驚きを、今日の俺たちは味わわされているのかもしれません」


 そのとき、テリア=マスが「あっ!」と声をあげた。


「ユ、ユン=スドラ、それはもしかしたら、らーめんですか?」


「はい。ギバの骨ガラとミソを使った、新しいらーめんです」


 ユン=スドラとトゥール=ディンが担当していたのは、『ミソ仕立てのギバ骨ラーメン』であった。前回の休業日――アルヴァッハたちがファの家を訪れた日の翌日に、朝からギバ骨の出汁をこしらえて、この料理を完成させたのである。


「キミュスではなく、ギバの骨ガラを使っているのですね。わ、わたしにも一杯いただけますか?」


「もちろんです。ちょうどもうすぐ、茹であがるところですので」


 ユン=スドラとトゥール=ディンのツートップがこの料理を担当しているのは、来たるべき収穫祭に向けての予行練習である。トゥール=ディンが茹であげた麺を木皿に移すと、ユン=スドラが具材をのせて、それをテリア=マスたちに手渡した。


 具材はギバのチャーシューと、ティノとオンダとナナール。レビたちの屋台と異なるのは、そこに黄色いキクラゲのようなキノコを追加している点であった。キノコ類も、それほど高値ではないものの、決して安値の食材ではないので、レビたちは使用していないのだ。


 何やら決然とした様子で、テリア=マスはラーメンをすすっている。

 その隣では、ユーミが「んー!」と満足そうに目を細めていた。


「これは文句なく美味しいね! やっぱりギバの骨ガラの出汁って美味しいんだなあ。まあ、これもちょっと前だったら、臭いって思ってたかもしれないけどね!」


「ええ、本当に……びっくりするぐらい、美味しいです」


 と、テリア=マスは切なげに息をついている。

 ユーミが「どうしたの?」と顔を覗き込むと、テリア=マスは慌てた様子で首を振った。


「い、いえ、何でもありません。ただ……アスタたちは、これを復活祭で売りに出すおつもりなのですよね?」


「はい。まだ確定ではありませんけれど、夜に屋台を出すときじゃないと、これは下ごしらえが間に合いませんからね。せっかくの機会なので、宿場町でもお披露目したいと考えています」


「そう……ですよね……」


 テリア=マスは、なんだかしょんぼりとした面持ちになっていた。

 そこでユーミが、「ははーん」と笑う。


「要するに、こいつのせいでレビたちのらーめんが売れなくなったらどうしようって考えてるわけだ? テリア=マスは、心配性だね!」


「は、はい……わたしにも、これはレビたちのらーめんに負けない美味しさだと思えますので……」


「おんなじぐらい美味しかったら、おんなじぐらい売れるって! だいたい復活祭の夜なんて、馬鹿みたいに客が集まるんだからさ! レビたちの屋台だけじゃあ、らーめんを食べたがるお客の全員分を準備できないんじゃないの?」


 ユーミは笑いながら、ばしばしとテリア=マスの背中を叩いた。


「それにさ、これってレビたちのらーめんとは味も違うじゃん? ギバの骨ガラよりキミュスの骨ガラのほうが好きってやつも、けっこう出てくると思うよ。何も心配することないって!」


「そうですよ。俺だって、レビやラーズの商売の邪魔をするつもりは、これっぽっちもありません。むしろ、色んな種類のラーメンを出すことで、お客さんにいっそう喜んでもらえるんじゃないかって期待しているんです」


 俺もユーミに加勢すると、テリア=マスはようやく弱々しいながらも「そうですね」と微笑んでくれた。


「わたしもレビたちのらーめんは、すごく美味しいと思っています。あんな美味しいらーめんが、売れ残ったりするはずがないですよね……?」


「大丈夫! あたしが保証してあげるって!」


 ユーミはテリア=マスの肩に手を回し、おたがいの髪飾りがぶつからないように気をつけながら、頬ずりをした。テリア=マスは、ちょっと気恥ずかしそうに顔を赤らめている。

 すると、ジョウ=ランがふいに「ああ」と嘆息をこぼした。


「何さ。あんたまで、何か落ち込んでるんじゃないだろうね?」


 目ざといユーミが指摘すると、ジョウ=ランは「はい」とうなずいた。


「もちろん、落ち込んだりはしていません。ただ、ユーミのそういう優しい部分を目にすると、俺は……いや、これ以上はやめておきましょう」


「だったら、最初から黙ってなよ!」


 テリア=マスよりも顔を赤くしたユーミが、ジョウ=ランを蹴っ飛ばすふりをする。それを見て、ユン=スドラは「あはは」と笑っていた。


「家長たちに頼んで、参席を許してもらった甲斐がありましたね、ジョウ=ラン」


「はい。心から幸福に思っています。ユーミもそのように思ってくれているといいのですが……」


「だーかーらー! そういう言葉を口にするんじゃないっての!」


 そうしてユーミたちは、楽しげに騒ぎながらその場を離脱していった。

 その間も、次から次へと人が寄ってきて、俺たちの料理を食したり、家族のもとに運んでいったりしている。やがて姿を現したのは、リリンの祝宴で仕事をともにしたルティムの若き女衆であった。


「アスタ、お疲れさまです。よければ、わたしが仕事を変わりましょうか?」


「え? いや、だけど、これは俺たちの仕事だからさ」


「でも、アスタたちは客人でしょう? 客人たちを働かせて、自分ばかりが祝宴を楽しむ気持ちにはなれません。ましてや、アスタはシュミラル=リリンの友なのですからね」


 すると、それを聞きつけた他の女衆も集まってきた。


「そうですね。わたしたちも、お手伝いいたします」


「この料理を、木皿に注ぐだけでいいのですね? それなら、難しいことはありません」


「そちらは、皿を洗っているのですね。わたしが代わりましょう」


 あれよあれよという間に、俺はレードルを奪われてしまう。

 すると、ユン=スドラが笑顔でこちらを振り返ってきた。


「お言葉に甘えてはいかがですか、アスタ? らーめんはわたしとトゥール=ディンが受け持ちますので、他のみんなも祝宴を楽しんできてください」


「そっか……それじゃあリリンのときみたいに、配膳をしながら祝宴を楽しませてもらおうかな?」


 俺は、ユン=スドラとトゥール=ディンを除く4名に、その内容を説明してみせた。敷物に腰を落ち着けている人々に料理を届けがてら、その場で歓談を楽しむというやり口である。

 ただ仕事を肩代わりしてもらうだけでは心苦しいが、これならば折り合いをつけることもできるだろう。最後には、もっとも謹厳なるフェイ=ベイムも「了承しました」と言ってくれた。


「ユン=スドラとトゥール=ディンは、あとで交代するからね。しばらくはお願いするよ」


「はい。こちらはお気になさらず、楽しんできてください」


 ということで、俺たちは盆に料理をのせて、配膳を開始することにした。

 そこで俺は、ひっそりと静かにしていたアイ=ファを振り返る。


「アイ=ファ。まずは貴族の方々にご挨拶をしておかないか? 祝宴の間に、1度ぐらいは挨拶しておくべきだろうしさ」


「……そうだな。厄介な仕事は最初に片付けておくべきであろう」


 貴族たちは、やぐらから少し離れた敷物に腰を落ち着けていた。そちらに足を向けながら、俺はやぐらの上もこっそり観察する。

 シュミラル=リリンとヴィナ=ルウは、何か静かに語らっている様子であった。

 この時間は料理を食べることもできないし、人々もさきほど祝福を捧げたばかりであるので、あまり近づかないようにしているのだろう。熱気の渦巻く広場の中で、そこだけは静かに時間が流れているように感じられた。


「ああ、アスタにアイ=ファ。もしかしたら、貴族たちのもとに向かうのでしょうか?」


 と、やぐらの下から大柄な人影が近づいてくる。それは頼もしき、ガズラン=ルティムの姿であった。


「よかったら、ご一緒しましょう。私もちょうど、挨拶に行くところであったのです」


「うむ。ガズラン=ルティムも同行してくれるのならば、心強く思う」


 そうして俺たちは、ガズラン=ルティムをともなってその敷物に近づいた。

 彼らはあくまで見届け人であるので、仰々しく歓待されてはいない。ただ、ジザ=ルウにゲオル=ザザという強力なコンビが、6名の貴き人々とともに腰を下ろしていた。


「失礼します。こちらの料理は、すでにお口にされましたか?」


「おお、アスタ殿! ようやく顔をあわせることができたね! 手ずから料理を運んでくれたのかい?」


 ジザ=ルウと語らっていたポルアースが、満面の笑みで振り返る。ポルアースと対面するのは、ちょっとひさかたぶりなところであった。

 敷物にはいくつかの木皿や果実酒が届けられていたが、料理はあらかたなくなっていた。巨大な置物のように座していたアルヴァッハが、光の強い碧眼で俺を見据えてくる。


「アイ=ファ、アスタ、再会、喜ばしく思う。……ルティムの家長、同様である」


「はい。先日は、素晴らしい贈り物をありがとうございました」


 ルティムの家も、ルウの家とともに《颶風党》の撃退にひと役買ったということで、贈り物が届けられたのだそうだ。ガズラン=ルティムは、アルヴァッハの正面にあたる位置に腰を下ろした。

 俺とアイ=ファは持参した料理を並べて、空いている木皿を片付けてから、あらためてメルフリードのほうを見る。


「我々も、挨拶をさせてもらいたい。しばし邪魔をしてもかまわぬだろうか?」


「もちろんだ。心づかいを、ありがたく思う」


 メルフリードも背筋を真っ直ぐにのばして、実に堂々たる姿であった。

 フェルメスは、どうやら城下町から持ち込んだらしい硝子の酒杯で果実酒を楽しんでおり、従者のジェムドは相変わらず影のようにひっそりと控えている。やはりそれらの人々は、森辺の祝宴の熱気に気圧されることもないようだ。ただひとり、ポルアースだけはいくぶん落ち着かなげな様子であったものの、それでもそのふくよかなお顔には楽しげな表情があふれかえっていた。


「いやあ、どの料理も見事な出来栄えだったよ。これは、アスタ殿の準備した料理なのかな?」


「はい。客人として招かれた7つの氏族のかまど番でこしらえました。お口に合えば幸いです」


 どちらの料理も熱が逃げては台無しであるので、まずは食していただくことにした。

 フェルメスだけは、ひとつの皿だ。ブイヤベース風のタラパスープに焼きポイタンを添えて差し出すと、フェルメスは心から嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。このような日にまで、僕のために料理を準備してくださるとは思っていませんでした」


 そんな風に述べてから、タラパスープをすすったフェルメスは、満足そうに「ああ」と吐息をもらした。


「それほど込み入った細工はしていないのでしょうけれど、実に美味です。むしろ、簡素な料理であるからこそ、アスタの腕が際立つようですね」


「ありがとうございます。お気に召したのなら、幸いです」


 すると、ナナクエムも「うむ」と声をあげてきた。


「いささか、香草、物足りない、思うが……西の料理、本来、こういう味わいであるのだろう。手並み、見事である」


「いやあ、本当に! ジェノスの城下町においても香草の料理は好まれておりますが、この味わいであれば文句をつける人間もいないことでしょう」


 ポルアースもにこにこと笑いながら、スープをすすっている。

 すると、ギバ骨ラーメンから手をつけていたアルヴァッハが、こちらを振り返ってきた。


「この料理、シャスカ、異なるのか。似ているのに、味、異なるようだ」


「あ、はい。それはフワノやポイタンといった食材を使っています」


 そう考えると、俺はシャスカでシャスカらしからぬ料理を作り、フワノやポイタンでシャスカめいた料理を作っているのだ。傍目には、とんでもないひねくれ者に見えてしまうのではないだろうか。

 が、アルヴァッハがそれを不満に思っている様子はなく、その目にはひどく真剣そうな光が瞬いていた。


「この料理、美味である。ミソ、使った料理、城下町にて、食したが……際立って、美味である」


「感想、後にせよ。アルヴァッハ、話、長い」


 そのように述べてからラーメンを口にしたナナクエムは、ぴくりと肩を震わせていた。


「……確かに、美味である。香草、感じないが、きわめて力強い……この料理、何であるか?」


「それは、ギバの骨ガラを使った料理となります。森辺の民にも好まれる方々が多い料理ですね。もしも辛みが物足りなかったら、こちらをお使いください」


 俺は敷物に置いておいた木皿を両名のもとに押しやってみせる。それは、料理を配っている場所にも準備してある、七味チットを取り分けた皿であった。

 皿には木匙も添えてあるので、それを使って両名が七味チットをラーメンの皿に加える。そうして味を確かめた両名は、そろって巨体を揺すっていた。


「味、格段に、よくなったようだ。何故、最初から、入れないのであろうか?」


「これを加えないほうが好ましい人もいるだろうと思って、後がけにいたしました。自分のお好みで加減していただく作法となります」


 表情は変わらないままであるが、両名はいっそう熱心にラーメンをすすり始める。ユーミにお上品と評されたタラパスープよりも、ギバ骨ラーメンのほうがゲルドの人々のお気に召した様子であった。

 ジザ=ルウやゲオル=ザザも、もちろんギバ骨ラーメンをすすっている。そうして珍しくも、ジザ=ルウのほうが「うむ」と声をあげていた。


「ルウの家でも、収穫祭にて似た料理が出されていたのだが……やはりこれは、驚くほどに力強い味わいだな」


「はい。ギバ骨の出汁は力強いので、ミソの強い味にも負けないのでしょうね。予想以上に、調和してくれました」


 そういえば、ジザ=ルウは『ギバ・カツ』と並んでギバ骨スープを好んでいたように記憶している。相変わらず内心の読みにくいジザ=ルウであったものの、そんなお言葉をいただけるだけで、俺としては感無量だった。


「うん、こちらも本当に素晴らしい味わいだね! アスタ殿の言う通り、強い風味とミソの味がとてもよく合っているようだ。いやあ、目の覚めるような美味しさだよ」


 ポルアースも、不慣れな麺を懸命にすすってくれている。

 すると、フェルメスがかたわらのジェムドを振り返った。


「肉を除ければ、僕でも食べることはかなうのかな。ジェムド、君の皿を貸しておくれよ」


 ジェムドはお行儀のよい無表情のまま、「どうぞ」と木皿を差し出した。

 が、木皿に顔を近づけたフェルメスは、残念そうに眉を下げている。


「ああ、ちょっとこれは……僕には肉の風味が強すぎるかもしれない。香りだけで、肉を噛んでしまったような心地だ」


「しかし、美味です」


 ジェムドが同じ表情のまま述べたてると、フェルメスは「わかっているよ」と少しすねたような顔をした。これまでには見せたことのない表情である。


「君たちは、魚介の料理よりもそちらのギバ料理を美味しそうに食べているものね。それぐらいは見て取れるのだから、いちいち念を押してくれなくても大丈夫だよ」


「そうですか。失礼いたしました」


 ジェムドのほうは、悠然としている。主人たるフェルメスに対して絶対的な忠誠心を抱いている様子であるのに、不興を買うことを恐れている様子もない。このていどでは揺るぐことのない信頼関係が構築できている、ということなのだろうか。


(ふむ……フェルメスが一番人間らしい顔を見せるのは、やっぱりジェムドに対してなのかな)


 そんな風に考えながら、横目でアイ=ファのほうをうかがうと、そちらも真剣な眼差しでフェルメスたちの様子を注視していた。


「しかし、これっぽっちではまったく足りんな! 倍の量でも物足りぬほどだ!」


 と、ゲオル=ザザが笑い声をあげる。タラパスープもギバ骨ラーメンも、すでに木皿は空っぽだ。どうやら魚介の料理にも不満はなかったらしい。俺はほっと息をつきながら、「すみません」と笑顔で答えてみせた。


「いちおう今回も、ひとり2杯の目安で料理を準備しています。でも、1度に2杯分を食べるのは、ちょっともったいなくないですか?」


「ふん。だったらその前に、他の料理を腹に入れておくか。俺もそろそろ、広場を巡ろうかと考えていたところであるのだ」


 と、ゲオル=ザザが客人らのほうに目を向ける。


「そういうわけで、俺は席を立たせてもらうが……お前たちは、ずっとこの場に座しているつもりであるのか?」


 ゲオル=ザザの言葉に、ナナクエムがわずかに首を傾げた。


「我々、動き回る、迷惑でないだろうか?」


「迷惑なことはあるまいよ。ひとつところに留まっても、見届け役としての仕事は果たせまい? 俺とて今日は、同じ役目でこの場に参じたのだからな」


 ゲオル=ザザに視線を向けられると、ジザ=ルウも「うむ」とうなずいた。


「ただし、本日は宿場町からも客人を招いている。宿場町の民は貴族を恐れる気持ちも強かろうから、貴方がたが広場を巡られる際は、血族の誰かを案内につけたく思う」


「では、婚姻の儀式を見届けたら、僕たちも広場を巡らせていただきましょう。それまでは、この場で仕事を果たしたく思います」


 そうして俺たちはしばし歓談を楽しんでから、その場を辞去させていただくことにした。そのうちの長きの時間は、アルヴァッハの感想に費やされたことは言うまでもない。

 ゲオル=ザザも席を立ち、ジザ=ルウだけがその場に居残る様子だ。俺とアイ=ファが次なる配膳に取りかかるべくかまどのほうに足を向けると、ガズラン=ルティムもそれについてきた。


「幼子の面倒を見ているアマ・ミンたちにも、アスタの料理を届けたく思います」


「あ、それなら俺もご一緒しますよ。アマ・ミン=ルティムに料理をお届けすると約束していましたので」


 アイ=ファとガズラン=ルティムにはさまれて、なんとも幸福な気分である。

 簡易かまどの前には、相変わらず大勢の人々が群がっていた。それに並んで2種の料理を確保してから、俺たちは幼子の集められている分家の家に向かう。


 その場には、見知った顔がいくつもあった。アマ・ミン=ルティムに、サティ・レイ=ルウに、リリンの女衆である。あとは乳飲み子を中心に集められているようで、それほど騒がしい様相ではなかった。


「失礼します。7つの氏族でこしらえた宴料理をお持ちしました」


「ありがとうございます。アスタたちの料理を心待ちにしていました」


 サティ・レイ=ルウが、穏やかな微笑みを返してくる。コタ=ルウは、そのかたわらでうとうとと舟をこいでいた。


「俺たちが準備したのは、ギバ骨のミソラーメンと魚介のタラパスープです。どちらも香りが強めなのですが、大丈夫そうですか?」


「はい。今日は強い香りも気になりません。らーめんはとても好きな料理ですので、嬉しく思います」


 俺たちは広間にお邪魔をして、サティ・レイ=ルウたちに料理をお届けした。

 伴侶のそばに膝を折ったガズラン=ルティムが、優しい笑顔を差し向ける。


「こちらの料理は脂が強めで、こちらの料理は香草を多少使っているようだけれど、乳に影響が出るほどではないだろう。今日は祝宴なのだから、遠慮をせずに食べるといい」


 アマ・ミン=ルティムは、「はい」と微笑んだ。

 子を宿しているふたりと、子を産んだばかりのアマ・ミン=ルティムである。その場には、なんともいえないやわらかな空気が満ちているように感じられた。


「両名に祝福を捧げる際は、わたしたちも交代で広場のほうに出ていたのですけれど……今日のヴィナは、ひときわ美しかったですね」


 と、ギバ骨ラーメンを満足そうに食していたサティ・レイ=ルウが、そのように言いたてた。


「ヴィナの美しさはもともと際立っていましたけれど、それとも比較にならぬほどです。それだけヴィナが幸福なのだろうと考えると、わたしは何だか胸が詰まってしまいました」


「俺もです。おふたりが婚儀をあげることができて、心から嬉しく思っています」


「ああ、シュミラル=リリンの友であったアスタであれば、なおさらでしょうね。きっとアスタは、ルウの血族に劣らぬ喜びを抱いてくれているのでしょう」


 もともと穏やかで人当たりのいいサティ・レイ=ルウであるが、子を宿して以来、包容力といったものが増幅されたように感じられてしまう。なおかつ、彼女はもともと理知的な女性でもあったので、ものすごく頼もしい存在であるように思えてしまった。


「……婚儀が決まるまでの間、おふたりはヴィナ=ルウの相談に乗ったりする機会も多かったのでしょうか?」


 俺がそのように尋ねると、まずはアマ・ミン=ルティムが答えてくれた。


「屋台の商売を手伝い始めた当初は、ルウの家で寝所を借りる機会も多かったので、そういうときに何度か話した記憶があります。ですから、シュミラル=リリンがジェノスを離れていた間、ということですね」


「ああ……そういえば、ちょうど復活祭のあたりを境い目にして、ヴィナと言葉を交わす機会が増えたように思います。アマ・ミン=ルティムが屋台の仕事を取りやめたのは、ちょうどその頃でしたものね」


 と、サティ・レイ=ルウもゆったりと微笑みながら言葉を重ねる。


「具体的な相談というわけではありませんでしたが、色々なことをヴィナに聞かれました。それで少しでも、ヴィナの心を晴らす役に立っていればよかったのですけれど……なかなか難しいでしょうね」


「いえ、きっとおふたりを始めとして、さまざまな人たちがヴィナ=ルウを支えていたのでしょう。それが、血族というものですものね」


 俺の言葉に、ずっと聞き役に徹していたリリンの女衆が声をあげた。


「シュミラル=リリンにとっても、アスタの存在は支えになっていたはずです。シュミラル=リリンがファの家から戻ってきたときに、それを強く感じました」


「ファの家から? ……ああ、ティアの治療をシュミラル=リリンにお頼みしたときですか?」


「はい。アスタとこんなに長き時間を過ごせたのは初めてのことだと、それはもう子供のようにはしゃいでいたのですよ。もちろんシュミラル=リリンは表情を動かすことが不得手ですけれど、どれだけ嬉しかったかはひしひしと伝わってきました」


 そんな言葉を聞かされてしまうと、俺はまた目頭が熱くなってしまった。

 無言で俺たちのやりとりを聞いていたアイ=ファが、とたんに鋭い眼差しを向けてくる。


「おい……大概にするのだぞ?」


「だ、大丈夫。ほら、涙はこぼれてないし」


 アイ=ファは俺の肩をわしづかみにすると、ものすごい力でぐわんぐわんと身体をゆさぶってきた。

 その弾みで、まぶたにひっかかっていた涙がぽろりとこぼれてしまう。


「……大概にせよと言っているのだ」


「い、いまのはアイ=ファのせいじゃないか」


 アマ・ミン=ルティムとサティ・レイ=ルウは、まるで姉妹のようにそっくりな様子でくすくすと笑っていた。

 ガズラン=ルティムもリリンの女衆も、静かに微笑んでいる。熱気の渦巻く祝宴の場を離れても、今日のルウの集落には隅々にまで喜びの気配が満ちており、どこにも逃げ場は存在しないようであった。

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