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異世界料理道  作者: EDA
第三章 ルティムの祝宴
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④宴の終わり

2014.9/18 更新分 2/3

(アイ=ファ――)


 その長い金褐色の髪が、腰のあたりまでゆるやかに流れ落ちている。

 その上から、あの玉虫色に光るヴェールがかけられており、長い髪のあちこちに、小さな花や木の実が留められている。


 首や、腕や、足の先にも、木の実や金属細工の飾りが巻きつけられて。

 腰からは、少し紫がかった薄物がふわりとたなびいている。


 他の女衆と同じような、宴衣装だ。

 他の女衆と同じような、宴衣装であるのだが――

 アイ=ファは、誰よりも綺麗で、美しかった。

 少なくとも、俺にはそう見えてしまった。


 そして、他の女衆と異なるのは、その引き締まった腰に小刀ばかりでなく大刀までもが下げられていることと、何頭分もの牙と角が連ねられた首飾りをしていることと――その美しい面に勇猛なる狩人としての厳しい表情が浮かんでいることだった。


「アイ=ファ……ひさしぶりじゃねえかぁ……?」


 刀を抜いた弟を手で制し、ディガ=スンがそちらに向きなおる。


「何だ、女衆のような格好をして……お前もついに、婿取りかぁ……?」


 ディガ=スンの澱んだ目に嫌な感じの光が灯り、そのゆるんだ顔にはおぞましい下卑た笑いが浮かび始める。


 その、今にも舌なめずりでもしそうな顔を見て――俺は危うく、後先も考えずに飛びかかりそうになるほどの怒りを覚えた。


 そんな泥水みたいに澱んだ目で、アイ=ファを見るな!

 この男は、俺の仕事を汚したばかりでなく――俺の大事な人間までをも汚すつもりか?


 しかし、そんなおぞましい目線を向けられているアイ=ファのほうは、俺なんかとは違って冷徹そのものだった。


「ふん。未婚の女衆でありながら宴衣装を纏わぬは宴の興をそぐ行為とたしなめられて、しかたなしにこのような薄物を羽織っているだけだ。私に婿など必要ないということは、2年前に冷たい川底でさんざん思い知ったのではないのか、スン家の長兄よ」


「貴様……」


「いいから、とっとと刀を収めよ! 招かれてもいない宴の場に足を踏み込み、人心を惑わせ、家人を害そうとする。それが族長筋のやることかッ! 族長筋であるというのなら、我ら森辺の民に規範を示せッ!」


 ディガ=スンとドッド=スンは、それぞれの激情を両目に燃やしながら、アイ=ファをにらみつけている。


 そのかたわらで、ひとりあらぬ方向に視線を漂わせていた肉風船のような末弟が、突然なんの脈絡もなく「ねえ……」とおかしな声をあげた。


「なんだか、すっごくいい匂いだなぁ……ディガ兄、ミダはおなかが空いてきちゃったよぉ……?」


 その声は、何だか幼い子どものように細くて甲高かった。

 普通身体が大きくなると声は太くなると思うのだが。太りすぎて、器官が圧迫されてしまっているのだろうか。

 まるで、スン家の堕落の象徴であるかのような弟だ。


「うるせえ! 黙ってろ、うすのろっ!」


 怒れる兄に一喝されて、不満そうに黙りこんでしまう。

 これは付け入るスキなのかなと、俺は一石を投じてみた。


「あくまであなたたちが婚儀を祝いに来たと言い張るのなら、まずその刀を収めて、このギバをどこかに片付けてください。その上でルティムの家長が許すのなら、あなたたちにも宴の料理を――」


「誰が許すかッ!」と――そう応じたのは、スン家の男衆ではなかった。

 殺気の塊みたいなものが、俺の背後から近づいてくる。


 振り返ると、そこにいたのは――ダン=ルティムと、ドンダ=ルウだった。


 ダン=ルティムは、その手に大きなスペアリブをひっつかんだまま、禿頭に太い血管を走らせていた。


 ドンダ=ルウは、その手に果実酒の土瓶をぶら下げながら、野獣のような顔で笑っていた。


 その双眸は、どちらも火のように燃えている。

 ふたりの家長は、その場にいる誰よりも猛り狂っていた。


「この小童どもが……よくも俺の息子の婚儀を汚してくれたなあッ!」


 ドンダ=ルウはまだしも、このルティムの親父さんがこれほどまでに怒り狂う姿を見たのは、これが初めてだった。


 ぎょろりとした目は裂けんばかりに見開かれ、太い眉は吊り上がり、ゆたかな頬肉がぷるぷると揺れている。


 ぶあつい唇がめくれて白い頑丈そうな歯がむき出しになり、そのこめかみにも太い血管が脈打っている。


 これに比べれば、かつての俺に向けられた怒りなど――子犬に小便をかけられたていどの怒りであったのかもしれない。


 本当に、大魔神のごとき怒りの形相だ。


 こんな激情を向けられて正気を保つことなど可能なのだろうか、と視線を正面に戻してみると――


 ディガ=スンは、蒼白になって立ちすくんでいた。


 ドッド=スンは、震える指先で刀をかまえなおしていた。


 そして、ミダ=スンは――何も理解できていないように、ぽけっと立っていた。


「誰が貴様らのような下衆どもに婚儀を祝わせるか! 誰が貴様らのような下衆どもにこんな美味い料理を喰わせるかッ!」


 咆哮をあげながら、ダン=ルティムはその手のスペアリブを一口でかじりとり、残った白い骨を足もとの地面に叩きつけた。


 ドンダ=ルウも、ずいっと前に進み出る。


「スン家の餓鬼ども……貴様らのような三下に、俺たちの相手がつとまるかッ! ルウとルティムに喧嘩が売りたいのなら、族長とすべての男衆どもを引き連れてこいッ!」


 落雷のような、咆哮である。


 ディガ=スンが、「ひいっ」とか細い声をあげるのが、かすかに聞こえた。


「こんな老いぼれたギバの肉が喰えるかッ! 貴様らなんぞの祝福など受け取れるかッ!」


 と、ダン=ルティムが大股に進み出て、かまどに頭を突っ込んだギバの毛皮を、両手で引っつかむ。


 すると、あまりに信じ難い光景が現出された。


 なんとダン=ルティムは、その2本の腕だけで100キロ近くもありそうなギバの巨体を、頭上に持ち上げてしまったのである。


 それは確かにダン=ルティムも同じぐらいの重量を有しているのかもしれないが。それにしたって、途方もない怪力だった。


「うわ、うわわ」とディガ=スンが後ずさる。

 ドッド=スンも、完全に逃げ腰である。

 ミダ=スンすらも、「ふわあ」と声をあげていた。


「消え失せろッ!」と、ダン=ルティムはギバの巨体を投げつけた。


「うわあっ!」とディガ=スンたちが逃げまどっていく。


 気の毒なギバの身体は、2、3度大きくバウンドし、その背中に刺された木槍をベキベキと折り砕きながら、広場の入り口あたりに転がった。


 男たちの姿は、闇の向こうへと溶けていく。


「馬鹿どもがッ!」というダン=ルティムの声に、すさまじいばかりの歓声がかぶさった。


 眷族たちが、喜びの声を爆発させたのだ。


 それは、彼らがどれほどスン家を忌まわしく思っているか――そして、普段はどれほどの思いでその激情をねじ伏せているか、それを証し立てるかのような歓声の爆発だった。


「ダン=ルティム――すいません、俺なんかが先走ってしまって」


 俺は頭に巻いていたタオルをむしり取って、ダン=ルティムに頭を下げた。


 たちまち、怒れる大魔神の形相がふにゃふにゃに笑み崩れてしまう。


「何を言うておる! 俺は怒りのあまり呼吸ができず、しばらく動きが取れなかっただけだ! その間にお前さんがたが俺の言いたいことを代弁してくれたから、それでようやく正気を取り戻すことができたのだッ!」


 お前さん――がた?

 気づけば、アイ=ファが俺の隣りに立っていた。

 いつも通りの、静かな表情で。

 いつもとは全然違う格好で。


「どうせあの餓鬼どもは酔った勢いで宴に茶々を入れに来ただけだろう。家長の命で動いたのなら、分家の男衆を引き連れてくるだろうからな」


 と、まだその双眸に激情の火を残しつつ、ドンダ=ルウが果実酒をあおる。


「おい! あの老いたギバを森に返してやれ! 餓鬼どもの粗相はムントがなかったことにしてくれるだろう」


 何人かの男衆がうなずいて、気の毒なギバのもとに駆け寄っていく。

 それを見て、ダン=ルティムは情けなさそうに眉尻を下げてしまった。


「あああ。あのギバには悪いことをした。おい! またギバに生まれ変わったら、今度は美味しく喰ってやるからな!」


 俺は思わず吹き出してしまい、ダン=ルティムはぐりんとこちらに向きなおる。


「アスタ! 腹をたてたら腹が空いたぞ! 次の料理はまだなのか?」


 と、その肉厚の手で肩をつかまれそうになり、俺は思わず後方に飛びすさる。


「手! 手を洗ってください! ギバの毛皮をつかんだんですから! 絶対その手であばら肉を食べたりしないでくださいよ?」


「あばら肉は、なくなってしまったのだ。アスタ、あばら肉はもうないのか?」


 と、ぶあつい唇をとがらせるダン=ルティムである。

 やめてください、その赤ちゃんみたいな表情は。


「残っていたら、追加分で焼きますよ。だから手を洗って待っていてください。――それじゃあ、俺は仕事が残ってますので」


「おお! 頼んだぞ、アスタ!」


 俺は、ちらりとアイ=ファを見た。

 アイ=ファはうなずき、「壊れたかまどの始末をする」と背を向ける。


 金褐色の長い髪と、半透明のヴェールに包まれたその優美な背中を数瞬、見つめやってから――俺は、かまどの間へと走った。



            ◇



 そうして、時間は流れすぎ――

 いよいよ、クライマックスである。


 ずっとやぐらの上で宴の様子を見守っていた新郎と新婦が、ルティムの長老とミンの長老に手を取られて、地面に降りてくる。


 導かれたのは、やぐらの正面に設置されたかまどの前。

 そこに、ヴィナ=ルウに手を取られたジバ=ルウが待っている。


 ふたりはジバ=ルウの前に膝をつき、新郎は自分の右肩を、新婦は自分の左肩をつかむようにして、頭を垂れた。


 ジバ=ルウは、震える指先でふたりの草冠を外し、香草の炊かれたかまどの煙で、それを炙った。


 そうして、新郎のかぶっていた草冠を新婦の頭に乗せ、新婦のかぶっていた草冠を新郎の頭に乗せる。


 やがてゆっくりと立ち上がったふたりの前に、ジバ=ルウは自分の首飾りから外した牙と角を、1本ずつ捧げた。


「祝福を……今宵、ミン家のアマ=ミンは、ルティム家のガズラン=ルティムの嫁となり、アマ・ミン=ルティムの名を授かった。ミンとルティムは絆を深め、いっそうの力と繁栄を、この森辺に……」


「ガズラン=ルティムは、森にアマ・ミン=ルティムを賜りました」


「アマ・ミン=ルティムは、森にガズラン=ルティムを賜りました」


 何度目かの歓声が、爆発した。

 その歓声をかきわけるようにして、ルウの分家の女衆が、香草の炊かれたかまどに鉄鍋を運んできた。


 すでに仕上がりを待つばかりのハンバーグと、とっておきのフィレ肉のステーキがひとつずつその内には置かれている。


 女衆はせっせと薪を追加して、強火というも愚かしいほどの炎を噴きあげさせる。


 そして、女衆はジバ=ルウの手を取って、引き下がった。

 代わりに、ヴィナ=ルウが前に進み出る。

 名前を変えて初めて得る肉を花嫁に捧げるのは、親家の最年長の未婚の女衆、と定められているらしい。


 ヴィナ=ルウは、かまどの前に立ち、腰から下げていた果実酒の土瓶をつかみとった。

 中には、必要な量の果実酒しか入れていない。

 その中身を、ヴィナ=ルウはふわりと鉄鍋の上にふりかけた。


 とたんに、真っ赤な炎が一瞬だけ燃えあがり、すぐに消失する。

 おお……と眷族たちがどよめいた。


 ヴィナ=ルウは引き下がり、優雅な仕草で鉄鍋を指し示す。

 女衆が、燃えさかる薪を半分がたかきだして炎を調節する。


 新郎と新婦がかまどの前に進み出て、女衆から受け取った鉄串で、ハンバーグを切りわけた。


 その肉片が、花嫁の口に運ばれるのを見届けて――俺の仕事は、終了した。

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