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異世界料理道  作者: EDA
第四十二章 愛の月
717/1705

貴き客人たち③~新たな絆~

2019.3/27 更新分 1/1

 その後もアルヴァッハは、すべての料理を長々とした東の言葉で称賛してくれた。

 特にチャーハンに関しては、これが本当にシャスカであるのかという驚きも加味されていたようであるが――しまいには、野菜炒めやタマゴスープといったシンプルな副菜にまで、実に懇切丁寧なるコメントをひねりだしてくれたのだ。この地において、すでに1年半近くも過ごしている俺であるが、ここまで料理の感想に膨大なるお言葉をいただいたのは初めてのことであった。


「アルヴァッハ、理屈、多い。何故、そこまでの言葉、思いつくこと、できるのか、不思議でならぬ」


 ナナクエムなどはそのように述べていたので、これはゲルドの一般的な流儀ではなく、アルヴァッハ個人の資質であるのだろう。

 しばらく無言で旺盛な食欲を満たしていたゲオル=ザザも、なんとも言えない面持ちでアルヴァッハを見やっていた。


「見かけによらず、お前は饒舌であるのだな。山の民というものが、ますますわからなくなってきてしまったぞ」


「何か、疑念、あるだろうか?」


 アルヴァッハは、無表情にゲオル=ザザを見る。

 かぶりものを外しているゲオル=ザザは、右目の上にある古傷をかきながら、顔をしかめていた。


「疑念といえば、すべてが疑念だ。まず、お前たちはちっとも貴族らしくない。それで本当に、ジェノス侯爵よりも高貴な身分であるのか?」


「我ら、シム、貴人である。……ただし、ゲルドの一族、蛮族、見なされている。ラオリムの一族、我々、名ばかりの貴人、思っていることだろう」


「ラオリムというのは、シムの石の都のことか。貴人であるのに蛮族とは、これまたよくわからん話だな」


 すると、フェルメスが瞳を輝かせて口をはさんできた。


「シムというのは四大王国の中でも、いささか異質な歴史を辿ってきた王国であるのです。そもそも四大王国というのは、およそ600年ほどの昔に建立されたものであるのですが、シムにおいてはその王政が一度、瓦解しているのです」


「瓦解? 潰れてなくなった、ということか?」


「はい。王を擁していた一族は滅亡し、シムの民はいくつかの藩に分かれて、独自の法や掟を打ち立てました。それでも東方神への信仰を捨て去ることはできませんので、数十年ばかりは王なき王国という混沌とした時代を過ごしたのだと聞きます」


 今度はフェルメスが、水を得た魚のように語り始める。歴史の考証というものは、きっと彼にとって一番得意なフィールドであるのだろう。


「その状態が長く続けば、シムは本当に滅んでいたかもしれません。そこに、新たな王が誕生したのですが……それが、ゲルドやドゥラに迫害されていた、ラオの一族の長であったのです」


 俺は内心で、ギクリとした。そのラオの一族を救ったのは、謎の異邦人ミーシャである――と、『白き賢人ミーシャ』の歌では、そのように語られていたのだ。

 しかし、フェルメスの口からミーシャの名が語られることはなかった。


「石の都を築いたラオの一族は、リムの一族を仲間に引き入れて、ゲルドやドゥラの一族を退けました。そうしてラオの長が、新たな王としてシムを平定することになったわけですが――かつてラオの一族と敵対していたゲルドとドゥラの一族は、同じ藩主でも一段低い立場であると定められてしまったのですね」


「うむ。我々の祖、南の領地、引き渡し、北の領地、移り住んだ、聞いている。それが、今のゲルド領である」


「マヒュドラとの境にある、北方の山岳地帯ですね。寒さは厳しく、ムフルの大熊などの危険な獣が出没しますが、とても実りの多い豊かな土地であると聞き及びます。それに、シムにおいてはもっとも銀と鉄の産出が多い地でもありましたね」


「うむ。ゲルドの山、多くの鉄、採れる。それで、ゲルの一族、剣術、習い覚え、毒の技、廃れることになった。ドの一族や、草原の民ほど、毒、薬、扱うこと、できない」


「それに、星読みの術ですね。あれも、ドとジとギに伝わる、いにしえの術であるのでしょう?」


 アイ=ファの肩が、ぴくりと揺れた。星読みというワードに反応したのだろう。


「本来それは、前時代の文化であったはずです。四大王国の建立とともに失われた、数々の秘術――それをもっとも強く残していたのが、シムの民となります。あなたがたが、少し前まで魔法使いなどと呼ばれていた所以ですね」


「うむ。しかし、四大王国の禁忌、破っていないはずだ」


「ええ。僕たちにとっては星読みも毒草の知識も驚くべきものでありますが、それも前時代の文化の残り香のようなものであるのでしょう。自然と調和し、共生し、魔術の技で築かれた文明――それはいったい、どのようなものであったのでしょうね」


 フェルメスの瞳が、妖しくゆらめいた。

 しかし、あの畏怖をかきたてられるような眼差しになる前に、それはすうっと隠されてしまう。


「……ともあれ、シムの領内にあって、ゲルドはいささか不遇の身をかこつているのでしょう。しかし、それをお気になさらない高貴さと豪胆さが、あなたがたには備わっておられるのだとお見受けいたします」


「我ら、誇り、有している。誇り、汚すもの、決して許さない。……しかし、堅苦しい作法、好まない。蛮族、呼ばれるほうが、よほど気楽である」


 アルヴァッハは、ごくあっさりとそのように言ってのけた。

 感情はきっちり隠されてしまっているものの、その言葉の内容だけで、彼の人柄が伝わってくるかのようである。


「それが、貴人らしからぬ、思えたのだろうか? ゲオル=ザザ、疑念、応えられていれば、幸いである」


「そうですね。それはきっと、ゲルドとセルヴァの貴人の作法の差異から生まれる違和感であるのでしょう。森辺の民はこれまでセルヴァの貴族としかまみえる機会がなかったので、あなたがたの作法が貴人らしからぬように思えてしまうのだと思います」


 フェルメスは、穏やかな口調でそのように述べたてた。


「たとえばセルヴァの貴族であれば、こうして椅子や卓も使わずに食事をとることもありません。それに、詫びの品を贈るときは、飾り物を絹の包みや木箱に収めることでしょう」


「我ら、ラオリム、貢ぎ物、贈るとき、そのようにする。森辺の民、作法、こだわらない、思って、準備しなかったが、非礼だったであろうか?」


「いえ。森辺の民が、それを非礼と感じることはないと思います。ただ、貴人であればもっと仰々しくするのではないかと、疑念を抱くことになったのでしょう」


「そうだな。俺たちのほうこそ、仰々しい作法などさっぱりわからんのだ。お前たちが堅苦しい作法を嫌っているというのなら、それは俺たちも同じことだ」


 ゲオル=ザザがそのように応じると、ナナクエムが「うむ」とうなずいた。


「我ら、習わし、似ているのだろう。フェルメス殿、昨晩、そのように言っていた」


「はい。ゲルドの一族に限らず、東の民の多くは自らの住まう地を母と称しておられますからね。セルヴァにおいて、その習わしが許されているのは、自由開拓民と森辺の民のみであるのです」


 亜麻色の長い髪をかきあげながら、フェルメスはまた優美に微笑んだ。


「それもまた、前時代の文化の名残であるのでしょう。大神の民との相似性が、その事実を示唆しています。彼らもまた、自らの故郷を母と称する習わしを持つはずですからね」


「大神の民」と、ナナクエムがティアのほうを見た。

 ティアは素知らぬ顔で、食事を進めている。客人のあるときは自ら口をきかないというのが、彼女の定めた自分なりのルールであった。


「大神の民、森辺の集落、暮らしている、大きな驚きである。いずれ、聖域、戻る、本心であるか?」


 ギバの料理も魚介の料理もわけへだてなく食していたティアは、きょとんとした面持ちでナナクエムを見やった。


「それは、ティアに問うているのだろうか? ティアは傷が癒えたら、母なる山に帰りたいと願っている」


「そうか。聖域、捨てたのなら、理解、できるのだが。聖域、離れた民、大神、許すのだろうか?」


「わからない。許されなければ、魂を返すだけだ。それを決めるのは、故郷の族長たちだろう」


「そうか」と、ナナクエムは息をつく。

 それを見やりながら、フェルメスはくすくすと笑い声をたてた。


「そういえば、ナナクエム殿もかつて大神の民と遭遇した経験がおありだそうですね」


 俺は思わず、「えっ!」と声をあげてしまった。

 アイ=ファやユン=スドラやトゥール=ディンたちも、愕然とした表情でナナクエムを振り返る。しかしナナクエムは、無表情に「うむ」とうなずくばかりであった。


「大神の民の住まう聖域というのは、大陸の各地に点在しています。ドの領地の近在にも、聖域が存在したということですね。ナナクエム殿が遭遇した大神の民は、自らを『青き民』と称していたそうです」


「そ、それで、その相手とはどうされたのですか?」


「その者は、大神と故郷を捨てた身であったそうです。もっと聖域から遠く離れて、自分に相応しい神と土地を探したいと言い残して、姿を隠してしまったそうですね」


 そのように述べてから、フェルメスはティアを振り返った。


「とても興味深いお話です。あなたの暮らすモルガの山でも、そうして神と故郷を捨てるような人間は存在したのでしょうか?」


「そういう者がかつて存在した、という話は聞いたことがある。しかし、ティアの身近に、そういう人間はいなかった」


「そういった者たちは、どうして神と故郷を捨てることになってしまったのでしょう? あなたがたは、大神の一部であるはずですよね?」


「うむ。それを感じることのできない人間が、大神と故郷を捨てることになるのではないだろうか」


 べつだん深刻ぶった様子もなく、ティアはそのように答えていた。


「この大地は大神の肉体であり、吹きすぎる風は大神の息吹である。大神が寝返りを打てば大地が揺れ、大神が涙を流せば大雨となる。そういう当たり前のことを当たり前と思えない気の毒な人間が、かつては存在したのだろう――と、ティアの母にしてナムカルの族長たるハムラは、そのように言っていたことがある」


「なるほど。大神の子として生まれ損なった、ということですね。それは確かに、気の毒すぎるほど気の毒なお話です」


 そこでフェルメスの瞳が、また一瞬だけ妖しくゆらめいた。


「そういえば……あなたにお聞きしたいことがあったのです。さきほど、吹きすぎる風は大神の息吹と仰いましたが……大神の民は、幼き時代に高熱を出す病魔に見舞われるものなのでしょうか?」


「高熱を出す病魔?」


「はい。大陸に住まう人間は、必ずその病魔に見舞われます。我々は、それを《アムスホルンの息吹》と呼んでいるのですよ」


 ティアは、興味なさげに肩をすくめていた。


「高熱を出す病魔は存在するが、それは身体の弱い人間や、何か不始末をした人間が見舞われるものだ。幼き時代に必ずかかる病魔など、存在しない」


「やはり、そうでしたか。大神の子たるあなたがたに、大神の選別などは必要ない、ということですね。……ありがとうございます。大変参考になりました」


 フェルメスは、また魂を吸い込むような眼差しになる前に、それをひっこめた。


(もしかしたら、フェルメスもフェルメスなりに、いまは外交官としての立場をわきまえようと自重しているのかな)


 そうだとしたら、フェルメスは俺たちが思っているよりも、自由気ままな人間ではないのかもしれなかった。

 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、フェルメスは誰にともなく笑みを振りまいている。


「さて、そろそろ料理も残りわずかになってきましたね。今日は素晴らしい料理をありがとうございました、アスタ」


「あ、ちょっとお待ちください。実は、食後の菓子というものも準備しておいたのです」


 ゲオル=ザザとスフィラ=ザザにはさまれていたトゥール=ディンが、たちまち背筋をのばしていた。

 フェルメスは「そうですか」と嬉しげに微笑んでいる。


「菓子まで準備してくださったとは、望外の喜びです。アルヴァッハ殿とナナクエム殿も、同じ気持ちであることでしょう」


「あ、ゲルドにおいても、菓子を食する習慣はあったのですか?」


 俺の言葉に、アルヴァッハは少しだけ首を傾げていた。


「菓子、食さない習慣、存在するのであろうか?」


「はい。ジェノスにおいては城下町ぐらいにしかその習慣はなく、最近になってようやく森辺や宿場町でもその習慣が根付き始めたところであるのです」


「そうか。我、菓子、好物である」


 それは吉報であったが、トゥール=ディンの緊張した面持ちに変化は生じない。どっちみち、異国の貴人に菓子をお出しするというのは、トゥール=ディンにとって緊迫の場面であるのだろう。


「こ、この菓子は、わたしが取り仕切って作りあげたものとなります。もしも至らないところがあっても、アスタや他のかまど番に責はありません」


 そんな風に宣言してから、トゥール=ディンはかまどの脇に隠しておいた草籠を運んできた。

 上に掛けられていた織り布を取り去ると、新作の菓子が衆目にさらされる。きょとんと目を丸くしていたのは、ゲオル=ザザであった。


「これが、菓子なのか? まるで、木の皮か何かのようだな」


「は、はい。シャスカを使った、新しい菓子となります」


 それは、細かく挽いたシャスカを水で練って、平たい形で焼き上げた、新作の菓子――つまりは、煎餅であった。

 砂糖とタウ油と赤ママリア酒を煮詰めたものを塗った上で焼いており、なかなか甘みもきいている。茶色の色合いとその質感で、ゲオル=ザザは「木の皮」と称したのだろう。


「これもまた、シャスカ、思えぬ、形である。味、どのようなものか、楽しみ、思う」


 巨大な蜘蛛を思わせるアルヴァッハの指先が、シャスカの煎餅をそっとつまみあげた。

 煎餅は小さめにこしらえてあるので、それをひょいっと口の中に投じ入れる。次の瞬間、煎餅を咀嚼する硬い音色が響きわたると、ゲオル=ザザはぎょっとしたように身を引いた。


「何だ、ギバの骨でも噛み砕いているような音がするぞ。トゥール=ディンよ、本当にこれは食えるものであるのか?」


「は、はい。よろしければ、お試しください」


 ゲオル=ザザは「うーむ」とうなりながら、煎餅をつまみあげた。

 そうしておそるおそる口に入れると、たちまち瞳を輝かせる。


「うむ、甘いな。しかも、これは……何とも言えない噛み心地だ」


 他の貴族たちやアイ=ファも手をのばし、煎餅を口にする。それを見届けてから、すでに試食を済ませている俺たちもシャスカの煎餅を味わわせていただくことにした。


 味付けは、かなり甘めになっている。菓子というのは甘いもの、という概念に従って、甘みのタレはかなり厚めに塗られていたのだ。

 ただし、半分がたは果実酒の糖分であるので、やわらかいフルーティな味わいでもある。タウ油のしょっぱさは、隠し味に近いぐらいかもしれない。俺がこれまでに食してきた煎餅の中では、ダントツの甘さであることに疑いはなかった。


 しかし、そんな俺でも違和感なく食することのできる味わいである。くどく感じるような甘さではないし、噛みごたえのあるシャスカの生地にもよく合っているように思える。そこはさすがの、トゥール=ディンの調理センスであった。


「これは……美味いな」


 と、アイ=ファがぽつりとつぶやいた。

 アイ=ファが本日、料理の感想を口にするのは、これが初めてのことであった。


「アイ=ファが菓子を美味いなんて言うのは、珍しいな。煎餅がお気に召したのかな?」


「うむ。この不思議な噛みごたえを心地好く思う。これまでに食べてきた菓子の中で、もっとも美味だと思えるぐらいかもしれん」


 すると、俺の中にむくむくと創作意欲がわきおこってきた。


「だったら俺も、美味しい煎餅作りの修練に挑んでみようかな。もちろん、婚儀の祝宴が終わってからになっちゃうだろうけどさ」


 アイ=ファは目もとだけで微笑みながら、「そうか」と言っていた。

 他の人々も、なかなか満足そうに食べてくれている様子である。そんな人々の食べっぷりを上目づかいで観察していたトゥール=ディンが、やがて意を決した様子でメルフリードに呼びかけた。


「あ、あの、こちらの菓子のお味は、いかがでしょう? 城下町の方々に喜んでいただけるようなお味でしたら……いずれ、オディフィアにもお届けしたいと考えているのですが……」


「わたしはあまり、食事の善し悪しのわかる人間ではないので、参考にはならないように思う。……が、わたし自身は、美味だと思う。また、かつてこのような菓子は口にしたことがないので、誰でも大きな驚きと喜びを得られるのではないだろうか」


「そうですか」と、トゥール=ディンは顔を輝かせた。

 それを見返すメルフリードの瞳に、いくぶん真剣そうな光が宿る。


「ところで、わたしも問うておきたいことがあったのだ。7日後に行われる婚儀の祝宴に、トゥール=ディンも参席するのであろうか?」


「あ、はい。ディンの家長から、参席を許してもらうことができました」


「そうか」と、メルフリードは息をつく。

 その表情に変化はなかったが、なんとなくトゥール=ディンの返答に落胆したように思えてしまった。


「どうされたのですか、メルフリード? トゥール=ディンが参席すると、何かまずいことでもあるのでしょうか?」


「いや……実はオディフィアが、自分も参席したいと述べたてていたのだ。しかしわたしはゲルドの方々が参席するさまを見届けるために同行する立場であるのだから、幼い娘を連れていくことなど、許されるはずもない。そのように説明をして、オディフィアをたしなめることになった」


 そのように述べながら、メルフリードはもう一度息をつく。


「その際に、トゥール=ディンとて参席すると決まったわけではない、と言いつけたのだが……トゥール=ディンは、参席するのだな」


「ふふん。それでまた、幼き姫が駄々をこねそうだ、ということか。なかなかに気苦労の多いことだな」


 と、ゲオル=ザザが陽気に笑った。


「しかし確かに、見届け役という立場にある人間が幼子などを同行させては、筋が通るまいな。また、ヴィナ=ルウともシュミラル=リリンとも関わりのない人間を、婚儀の祝宴に招く理由はない。あの幼き姫がそれほどまでに祝宴に来たがっているのなら、別の機会をうかがうべきであろうよ」


「別の機会などというものが、果たして存在するのであろうか? 原則として、森辺の祝宴というものは血族のみで祝われるものなのであろう?」


「以前には、町の人間と交流を深めるといった名目で祝宴が開かれたではないか。それに、ディンの家を含めた6氏族の収穫祭も、そろそろ間近に迫っているのではないか?」


 ゲオル=ザザの目が、答えを探すように巡らされる。誰も答えようとしなかったので、俺が声をあげることにした。


「そうですね。6氏族の復活祭は、だいたいルウの血族の休息の期間が終わってから、ひと月かひと月半ぐらい経った頃に開かれています」


「うむ。収穫祭とて、本来は血族のみで祝われるべきものであるが、そもそもお前たちは血族ならぬ氏族と収穫祭を行っているわけだしな。それに今回は、ユーミという宿場町の民や、他の氏族の人間も見学を願い出ているという話ではなかったか?」


「はい。ユーミはラン家と交流を深めるために、参席が許されることになりました。あと、他の氏族の人たちは、血族ならぬ氏族と行う収穫祭というのがどういうものであるのか、それを見学させてほしいというお気持ちであるようですね。それを参考にして、自分たちもその新しい習わしに取り組むべきかどうか、検討しようと考えているようです」


「そうか。そこまで血族ならぬ人間を招こうという話であるのなら、城下町から客人を招いても悪いことはあるまい」


 そのように述べてから、ゲオル=ザザはふいに目の光を強くした。

 その眼光の向かう先は、無言でこのやりとりを聞いていたフェルメスである。


「しかし……そうして城下町から客人を招くとなると、またお前まで同行を願い出てきそうなところだな」


「そうですね。ジェノスの実情を知り尽くすというのが外交官の仕事でありますため、やはり看過はできないように思います」


「やはりそうか。しかし、婚儀の祝宴も収穫祭も、俺たちにとっては大事な祝いの場であるのだ。お前が姿を現すことによって、その喜びに水を差される人間がいるならば、うかうかと招くことはできまいな」


 フェルメスはにこやかに微笑みながら、ほっそりとした首を傾げた。


「僕が参席することによって、気分を害される御方がいる、ということでしょうか?」


「さて、どうだかな。お前のほうに心当たりがないならば、べつだん気にする必要はあるまいよ」


 笑いを含んだフェルメスの眼差しと、敵を威嚇するようなゲオル=ザザの眼光が、虚空でからみあうかのようである。

 その末に、フェルメスはいっそう穏やかに微笑んだ。


「ともあれ僕は、外交官としての仕事を果たさなければなりません。僕が森辺の方々の喜びに水を差すような人間であるかどうかは、7日後の祝宴にて見届けていただけたらと思います」


「……そうだな。それを見届けた上で、あの幼き姫を祝宴に招くかどうか、決めればいい。それを果たすのは、お前たち6氏族の人間だぞ」


 ゲオル=ザザは眼光をゆるめると、俺たちの姿を見回してくる。そうして最後にアイ=ファの姿をとらえたとき、ゲオル=ザザはにやりと笑った。


(トゥール=ディンだけじゃなく、きちんとアイ=ファの気持ちまで考えてくれたんだな)


 オディフィアを招待すれば、フェルメスももれなくついてきてしまう。それを理解した上で、どのような道を選ぶべきか、自分たちで判断をせよ、ということだ。

 そして、森辺の祝宴で水を差すような真似をすれば、森辺の民の反感を招くことになると、フェルメスに警告を与えたのだろう。いささかヒヤヒヤしてしまったが、それも必要な処置であるはずだった。


「……婚儀の祝宴、見届けたい、願い出た、我々である。決して、邪魔しない、ここに誓おう」


 と、ふいにナナクエムがそのように述べたてた。

 ゲオル=ザザは、すっかりリラックスした面持ちでそちらに向きなおる。


「それを了承したのは族長にしてルウの家長たるドンダ=ルウなのだから、俺が文句をつけるつもりはない。ただ、シムを捨てたシュミラル=リリンに対して悪心を持っていないかどうかは、いちおう聞いておきたいところだな」


「悪心、ない。シム、捨ててまで、森辺の民、なりたい、願った、その理由、知りたい、思ったまでである」


 そんな風に述べてから、ナナクエムは何回かまばたきをした。


「森辺、料理、美味である。また、花嫁、きわめて美しい。しかし、それだけで、シム、捨てる人間、いるはずがない。我々、森辺の民、深く知りたい、願っている。今日、ファの家、訪れた、それも、理由、ひとつである」


「ほう。お前たちは、すでにルウの長姉とも顔をあわせていたのか。確かにあれは、たいそう色気のある女衆であるようだったな」


「うむ。きわめて美しい、思う」


 俺はそこで、ちょっとした違和感を覚えてしまった。

 実に些末な話であるのだが、しばし悩んだ末、「あの」と声をあげさせていただく。


「東の方々は、細身の女性を好まれるという話を聞いたことがあるのですが、それは草原の民に限った話であるのでしょうか?」


「うむ? 草原の民、好み、知らぬが……ゲルドの一族、細身の女衆、好まない。ヴィナ=ルウ、きわめて美しい、思う。もう少し、背、あれば、理想である」


 すると、アルヴァッハが重々しい声音で割り込んできた。


「何故、女衆、美しさ、語っているか? いま、美味なる菓子、語るべき、思う」


「アルヴァッハ、話、長い。我々、話すべきこと、他にある」


 そう言って、ナナクエムはメルフリードのほうに目をやった。


「明日、ジェノス侯爵、語ろう、思っている。しかし、この場でも、少し、語らせてもらいたい」


「うむ。何の議題であろうかな?」


「ゲルド、ジェノス、交易、提案である」


 ナナクエムは、そのように言葉を重ねていった。


「ゲルド、食材、豊富である。また、ジェノス、食材、豊富である。おたがい、食材、交換すれば、喜び、分かち合える。交易、願いたい、思っている」


「ゲルド領の食材というと……やはり、香草の類いであろうか?」


「香草、果実、野菜、ギャマ肉、さまざまである。また、シャスカ、ありあまっている。ジェノス、シャスカ、求めている、聞いた」


「ああ」と声をあげたのは、フェルメスであった。


「そういえば、シャスカというのは、もともとゲルド領の山岳地帯が産地であるそうですね。それが遥かなる昔にジギ領の草原地帯に伝わったのだと、何かの文献で見かけた記憶があります」


「うむ。そして、我々、マヒュドラ、食材、買いつけている。必要、あれば、それも、運ぶこと、可能である」


「マヒュドラ産の食材は、きわめて希少です。このジェノスでは、たしかあのヴァルカスという料理人が個人的に買いつけているのみ、というお話ではありませんでしたか?」


 メルフリードが「うむ」とうなずく。


「それも、ごく一部の草原の民が、売れ残りの食材を運んでくるていどであるらしい。そのていどの小さな取り引きであれば、我々が取り仕切る必要もなかろうと考えて、あのヴァルカスに一任されることになったのだ」


「ええ。東の民であればいくらでもマヒュドラの食材を買いつけることがかなうのでしょうが、たいていはまず王都アルグラッドへと運び込まれるのでしょう。マヒュドラとの国境からでは、ジェノスよりも王都のほうが近いぐらいでしょうからね」


 確かに俺も、そんなような話を小耳にはさんだことがある。なおかつ、マヒュドラの食材などというものは、ヴァルカスがたまに扱うアマンサの実というブルーベリーみたいな果実しか覚えがなかった。


「ですが、シムにおいて行商に励むのは、草原の民ぐらいのものであるはずですね。ゲルドの方々は、近在のセルヴァの領土とも、ほとんど取り引きはしていないのではないですか?」


「否。銀細工、織物、取り引き、している。しかし、鉄具、食材、取り引き、していない。マヒュドラ、国境、近いため、それらの取り引き、不可である」


「ああ、鋼の武器などを国境の領地で売ってしまったら、それはただちにマヒュドラの民の血を吸うことになってしまうでしょうからね。マヒュドラとの友好的な関係を保つために、セルヴァで武器を売ることは許されないということですか」


 そこでフェルメスは、可憐にも見える仕草で首を傾げた。


「あと、食材の取り引きも不可というのは……もしや、毒物の混入でも恐れているのでしょうか?」


「うむ。我々、マヒュドラ、絆、強いので、信用、されていない。また、ドの一族、毒物、扱い、長けているので、余計、心配、つのるのだろう」


「なるほど。国境の領地では、それも致し方のないことなのかもしれませんね。彼らはマヒュドラに脅かされる日々を送っているので、ゲルドの方々に対しても小さからぬ不安を抱いてしまうのでしょう」


「うむ。さらに、国境、ゲルドの盗賊、横行している。西の民、我々、恐れる、当然である」


「そうですね。その地域を根城にするゲルドの盗賊団は、西の民ばかりを襲撃するのだと聞いています。北の民は屈強であり、草原の民は毒物を扱うので、西の民がもっとも手頃な獲物であるのでしょう。……一部の盗賊団などは、西の民の旅人を指して、『容易くもぎ取れる果実』などと呼んでいるそうですね」


「……無法者、ゲルド、恥である。我々、強く、無念、感じている」


 感情を表さないナナクエムが、ほんの一瞬だけ紫の瞳に瞋恚の炎を閃かせた。

 が、すぐにそれを消し去って、俺のほうに目を向けてくる。


「我々、セルヴァの民、絆、深める必要、感じている。まず、ジェノス、手、携えたい。また、素晴らしい料理人、存在するので、食材、売る気持ち、いっそう固まった」


「なるほど。だから、アスタの前でもこの話をしておきたかったということですね」


 フェルメスは、目を細めて微笑んだ。

 なんとなく――またちょっと妖しい感じに瞳を光らせているように感じられてしまう。


「では、アスタの存在が、また新たな絆をもたらしたということですか。そもそもあなたがたがジェノスを訪れることになったのも、《颶風党》なる盗賊団がアスタを狙ったためでありますし……人の縁とは、不思議なものですね」


「うむ。しかし、我々、この出会い、祝福したい、思っている」


 ナナクエムのほうは、あくまでも静かにそう述べたてていた。


「我々、もたらす食材、美味なる料理、生み出せば、本懐である。アスタ、料理、手掛けてほしい、願っている」


「あ、ありがとうございます。また新しい食材を扱えるようになったら、俺も嬉しいです」


「うむ。ゲルドの食材、マヒュドラの食材、どちらも、ジェノス、見かけない。きっと、新しい料理、生み出せる、思う」


 そんな風に述べてから、ナナクエムはちょっと考え込むような顔をした。


「そういえば、アスタ、南の食材、今日、使っていない、思える。もしや、我々、忌避する、考えたか?」


「いえ、あえて主体にはしませんでしたが、ところどころでは使っていました。チャーハンや野菜炒めで使ったタウ油だとかホボイの油だとかは、ジャガルの食材となりますね」


「そうか。ジャガル、敵だが、食材、罪、ない。我々、南の食材、買いつけるすべ、なかったので、交易、かなえば、喜ばしい、思う」


「ああ、昨日の城下町の晩餐では、ミソを使った汁物料理がお気に召したご様子でしたね。確かにあれも、ジャガルから買いつけた食材となります」


 笑いの形に細められたフェルメスの目が、俺のほうに向けられる。


「そういえば、あのミソの行商人の方々も、タウ油を売るお相手を探しておられるという話ではありませんでしたか?」


「あ、はい。……だけど、南と東で取り引きすることはできませんよね?」


「だからこそ、ジェノスの仲介が必要になるのでしょう。ゲルドの方々はマヒュドラの食材を売り、ジェノスの方々はジャガルの食材を売る。そうしておたがいに、普段はなかなか手にすることのできない敵対国の食材を手にすることがかなうのです」


 フェルメスが、くすくすと声をたてて笑う。


「ジェノスの方々とて、タウ油は重宝しているのですからね。ゲルドの方々と取り引きをするには、また新たなタウ油を確保しておく必要があるでしょう。まあ、そのあたりのことはポルアース殿に一任するとして……ジェノスと交易をしたいというのは、ゲルドの方々の総意であられるのですか?」


「うむ。藩主、望んでいる。交易、可能かどうか、我々、見定める、役割だった。ジェノス侯爵、了承、得られれば、即刻、使者、送ろう、思う」


「あなたがたは、10日足らずでジェノスにまでおもむくことがかなったそうですね。ゲルドのトトスの健脚には驚かされてしまいました」


「うむ。トトス、荷車、引かせても、ひと月、かからぬはずだ。山育ち、トトス、身体、大きく、力、強い」


「我々の準備するトトスでは、ひと月半以上もかかるはずですからね。そう考えたら、草原のジギ領と取り引きするよりも迅速であるわけです。これはジェノス侯もお喜びになられるのではないでしょうか?」


 ずっと静かにしていたメルフリードは、沈着なる灰色の瞳でフェルメスを見返した。


「異国との交易に関しては外務官の管轄であるので、わたしに口をはさむ権限はない。ゲルドの方々には、城下町にて然るべき相手と言葉を交わしてもらいたく思う」


「うむ。その場、作ってもらいたい」


 それで話はまとまった様子であった。

 思いも寄らぬ方向に話が進んで、森辺のメンバーは目をぱちくりとさせている。その中で、アイ=ファはただひとり、鋭い眼差しでフェルメスだけを見つめていた。


 いまのフェルメスは、もう普段通りの優美で無邪気な様子である。俺なんかは、自らの好奇心や探求心などを何とか抑制しようとするその姿に、好感を抱かなくもなかったのだが――アイ=ファとしては、そういったものを完全に殺しきれないフェルメスの態度に、警戒心を喚起されるのかもしれなかった。


(俺が呑気すぎるのか、アイ=ファが神経質すぎるのか……まあ、その両方なのかもしれないな)


 ともあれ、いまの森辺の民には、どちらの目線も必要なのではないかと思われた。

 警戒しつつ、手を差しのべあい、相互理解を目指す。そのためであれば、俺としてはフェルメスを収穫祭に招待するのもやぶさかではなかった。


「では、我の話、始めたい、思う」


 と、アルヴァッハが巨体を揺らして居住まいを正した。

 ナナクエムは無表情ながらも、いぶかしげにそちらを振り返る。


「話、まだ、残されていたか?」


「シャスカの菓子、感想、伝えていない。フェルメス殿、通訳、頼めるだろうか?」


 フェルメスは「もちろん」と微笑み、トゥール=ディンは「ええ?」と目を泳がせる。その感想とは、のきなみトゥール=ディンへと届けられるものであるのだ。

 そのトゥール=ディンの反応が愉快であったのか、ゲオル=ザザはひさかたぶりに笑い声をあげた。


「お前はまた、長々と言葉を連ねるつもりであるのだな? よかろう。俺の血族たるトゥール=ディンがこしらえたさきほどの菓子に、いったいどのような思いを抱いたのか、心ゆくまで聞かせてもらうぞ」


「うむ。では、述べさせていただく」


 そうしてアルヴァッハは、また東の言葉で語り始めた。

 料理も菓子も綺麗になくなっているので、これが終了したら本日の晩餐会も終了であろう。アイ=ファはずいぶんと剣呑な目つきをしていたが、まずは穏便な――というか、きわめて実りの多い時間だったのではないだろうか。


(フェルメスもちょこちょこフェルメスらしさを発揮してたけど、それでもずいぶん自重してたみたいだし……何より、ゲルドの人たちの人柄を知れたのは収穫だったな)


 俺はもう、ゲルドの両名の真情を疑う気持ちには、まったくならなかった。そしてそのことを、シュミラル=リリンとヴィナ=ルウのために、心から嬉しく思うことができた。俺にとってもっとも気がかりであったのは、彼らが本当にシュミラル=リリンの婚儀に悪念を抱いたりはしていないだろうか――という、その一点であったのである。


 これで俺も、心置きなく婚儀の祝宴に臨むことができる。

 新たな食材の取り引きというのも、心の躍る展開ではあったものの、いまの俺にとっては、目の前に迫った婚儀の祝宴こそが、もっとも重要であったのだった。

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[気になる点] >「そうですね。6氏族の復活祭は、だいたいルウの血族の休息の期間が終わってから、ひと月かひと月半ぐらい経った頃に開かれています」 ここは復活祭ではなく収穫祭ですね。
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