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異世界料理道  作者: EDA
第四十二章 愛の月
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貴き客人たち②~寸評~

2019.3/26 更新分 1/1

 アイ=ファが森から戻ったのは、それから半刻ほどのちのことだった。

 巨大なギバを抱えての帰還である。俺はちょうど屋外のかまどで調理をしていたところであったので、いち早くそれに気づくことができた。


「ああ、お帰り、アイ=ファ。実は、客人が――」


 と、そこまで言いかけたところで、かまど小屋からゲオル=ザザが飛び出してくる。狩人の察知能力を発揮したのだろう。その後からは、スフィラ=ザザもすうっと音もなく姿を現していた。


「戻ったか! ずいぶん早い帰りであったな!」


「……ゲオル=ザザとスフィラ=ザザか。どうしてお前たちまでもが、ファの家におもむいてきたのだ?」


 アイ=ファは足もとにギバを横たえると、額の汗を手の甲でぬぐった。ゲオル=ザザよりも重そうな、実に立派なギバである。


「俺たちは、山の民どもがディンやリッドの家に詫びる姿を見届けに来たのだ! それで、お前にも話がある!」


 そうしてゲオル=ザザが性急にまくしたてると、アイ=ファは「そうか」と冷静に応じた。


「わかった。ファの家長として、お前たちふたりも客人として招くことを了承しよう。……アスタよ、晩餐の準備に問題はなかろうな?」


「うん。こっちは大丈夫だよ」


 俺はほっと息をついて、サムズアップしてみせる。

 いっぽう、ゲオル=ザザは肩透かしをくらった様子で、きょとんとしていた。


「何だ、ずいぶん簡単に了承するのだな。何やかんやと文句をつけてくるのではないかと考えていたのだが」


「どうして私が、文句をつけねばならんのだ? ……もちろん、これが平時であれば、理由もなく客人を迎えたいとは思わぬがな」


 あくまでも沈着に、アイ=ファはそう述べたてた。


「しかし今日は、事情が異なる。正直に言って、お前に同席してもらえるのならば、心強く思う」


「心強い? とはまた、お前らしからぬ言葉だな! 山の民など、お前はひとりで何人も打ち倒したという話ではなかったか?」


「山の民と諍いを起こすつもりはない。私が警戒しているのは、王都の貴族たるフェルメスだ」


 と、アイ=ファは静かに両目を光らせた。


「私はあの男を好いていない。よって、些細なことで心を乱してしまうやもしれんのだ。もしもそのような事態に至ったら、お前に掣肘してもらいたい」


「ゲオルに、仲裁役を願っているのですか?」


 スフィラ=ザザが驚いた様子で声をあげると、アイ=ファは「うむ」とうなずいた。


「ゲオル=ザザも血の気は多かろうが、理由もなく心を乱すような人間ではあるまい。私が王都の貴族などと諍いを起こさないように、どうか次代の族長として取りはからってもらいたい」


「うむ……それはまあ、もちろん俺だってそのつもりだが……お前がそのように殊勝だと、何やら調子が狂ってしまうな」


「べつだん、殊勝に振る舞っているつもりはない。お前が非礼な真似をしでかしたら、私がそれをたしなめることになるぞ」


 そっけなく言い捨てて、アイ=ファは足もとのギバに再び手をかけた。


「では、私は仕事に戻らせてもらう。この後、もう1頭のギバを運ばなければならんのでな」


「なに? たったひとりで、2頭ものギバを仕留めたのか?」


「うむ。ブレイブとドゥルムアがいれば、何も難しい話ではない」


 その2頭は、アイ=ファの足もとにちょこんと控えていた。家族の帰還を喜ぶジルベが、さっそくそちらにすりよっている。


「ううむ。猟犬の力ありきとはいえ、日が暮れる前に2頭ものギバを仕留めるとはな。……やはりお前は、大した狩人であるのだろう」


 ちょっと悔しげに、ゲオル=ザザが顔をしかめている。ギバを持ち上げる前に、アイ=ファがそちらに顔を上げた。


「そういうお前は、ずいぶんと早い時間にやってきたものだな。今日は、森に出ていないのか?」


「いや。朝方に、ジーンの男衆とともにスン家まで出向いて、そちらでしばらく仕事を果たしてから出向いてきた」


 俺は心の中で「なるほど」と相槌を打っておいた。北の集落からファの家までは、トトスにまたがってもそれなりの時間がかかってしまうが、スンの家からならば数十分だ。朝方のうちにスン家まで移動しておけば、そのぶんの移動時間をギバ狩りの仕事にあてがうことができる、という計算であったのだろう。実際、ゲオル=ザザたちが現れた時刻から逆算すると、中天から3時間ぐらいは森に入ることができたはずだった。


「それで1頭のギバを仕留めてみせたから、心置きなくファの家までやってきたのだがな。その間に、お前は2頭ものギバを狩っていたということか……」


「ギバの収穫を余所の家と競っても、意味はあるまい。すべては森の思し召しだ」


 そうしてアイ=ファは、巨大なギバを担ぎあげた。その姿に、ゲオル=ザザはまた「ううむ」とうなる。


「こうして見ると、お前はまぎれもなく卓越した力を持つ狩人だな。……俺よりも、ディック=ドムの目のほうが確かであったということか」


「ディック=ドムが、何だというのだ?」


 かまど小屋の端にある解体部屋に向かいながら、アイ=ファは気もなさそうに問い返した。ゲオル=ザザは、それを追いかける格好で言葉を重ねている。


「あいつは、お前のことをずいぶん買っているようでな。お前と力比べをしても、どうなるかはわからんなどと言っていたのだ。……時には親父に勝つこともあるディック=ドムがだぞ?」


「それは、私も同じように感じていた。ディック=ドムにはドンダ=ルウと同じほどの力を感じるので、私でも勝てるかどうかはわからない」


「あのなあ! 俺はまだ、親父にもディック=ドムにも勝てた試しはないのだぞ!?」


 そんなふたりのやりとりが、遠ざかっていく。

 その場に残されたスフィラ=ザザは、ふっと息をついてから、俺に向きなおってきた。


「では、わたしどもの晩餐もお願いいたします。……少し見ない間に、ゲオルとアイ=ファはずいぶん打ち解けたようですね」


「そうですね。何やかんや、ゲオル=ザザとは顔をあわせる機会もありましたので。アイ=ファなりに、心は開いているのだと思います」


「ええ。ゲオルもあのような顔は、家族や友にしかなかなか見せないと思います」


 スフィラ=ザザは一礼して、トゥール=ディンの待つかまど小屋へと戻っていった。

 俺と一緒に作業をしていたマトゥアの女衆は、くすりと笑っている。


「アイ=ファはずっと無表情で、ザザの長兄はずっと騒ぎたてていましたけれど、あれでも十分に打ち解けているのですね」


「うん。きっとそうなんだろうと思うよ」


 その後、ゲオル=ザザはアイ=ファにひっついて、森に入っていった。もう1頭のギバを運ぶのを手伝ってやろう、というのだ。その行いも、俺にはずいぶんと嬉しく感じられてしまった。


 それから半刻ほども経てば、勉強会も終了の刻限であった。アイ=ファたちが森から戻るより早く、かまど番たちはそれぞれの家に帰っていく。あとは、トゥール=ディンとユン=スドラと、それに飛び入りのスフィラ=ザザも迎えて、4名で晩餐の支度である。


 やがてはアイ=ファたちも戻ってきて、ギバの始末に取りかかる。ゲオル=ザザは、その仕事をも手伝っていた。アイ=ファも最初は固辞していたようだが、晩餐の礼だと言い張るゲオル=ザザに根負けしたらしい。


 そうして、いよいよ太陽が西の彼方に沈みかけた頃――貴族たちが、ファの家にやってきた。

 案内役は、ルド=ルウである。フェルメスらはファの家を訪れるのも2度目であったが、地図でも作成しない限り、正確な場所を把握することも難しいのだろう。俺たちは作業の手を止めて、全員で貴族たちを出迎えることになった。


「昨日の言葉通り、ゲルドの貴人らが詫びの言葉と詫びの品を届けに参られた。わたしとフェルメス殿は、その見届け役である」


 まずはメルフリードが、そのように述べたてる。フェルメスは優美に微笑んでおり、従者のジェムドは穏やかな無表情。そして、アルヴァッハとナナクエムの両名は、昨日と同じようにマントのフードをはねのけて、それぞれの身分を名乗っていた。

 アイ=ファとゲオル=ザザは、それぞれ鋭い眼差しでそれらの姿を見返している。ゲルドの貴人たちに、どのような印象を抱いたのか、現時点では判別できなかった。


「《颶風党》なる無法者たちに脅かされたのは、12の氏族――ファ、ディン、リッド、フォウ、ラン、スドラ、ガズ、マトゥア、ベイム、ダゴラ、ラヴィッツ、ナハム、で相違ないな?」


 メルフリードの言葉に、俺は「はい」とうなずいてみせる。


「ファの家のかまど小屋に集っていたのは、それらの氏族の人間となります。ちょうど下ごしらえの仕事から勉強会に移行しようとしていた時間帯であったので、それだけの人数になってしまいました」


「では、これからそれらの氏族の家を巡ろうと思う。まずは、ファの家からだ」


 メルフリードに視線でうながされて、アルヴァッハとナナクエムが進み出た。

 こちらからは、俺とアイ=ファが進み出る。


「昨日、アスタ、伝えたが、かつての同胞、災い、もたらしたこと、申し訳ない、思っている。詫びの言葉、および、詫びの品、受け取ってもらいたい」


 今日は数が数であるためか、武官のひとりが大きな木箱を掲げていた。その中から、アルヴァッハが銀の飾り物をつかみ取る。


「ゲルドの一族、こしらえた、飾り物だ。受け取ってもらいたい」


 昨日は気づかなかったが、その飾り物には小さな宝石がいくつも埋め込まれていた。

 トパーズのような、黄色い宝石である。磨きぬかれた銀の輝きと相まって、溜め息が出るほどに美しい。これが純銀であるのなら、とほうもない値打ちものであるはずだった。


「……やはりどうしても、これは受け取らねばならぬのであろうか?」


 アイ=ファが静かに問い質すと、アルヴァッハはわずかに首を傾げた。


「我々、許すなら、受け取ってもらいたい。許さないなら、断ればいい。それだけだ」


「このように値の張りそうなものを受け取るのは、気が引けてしかたがないのだが……それが、そちらの習わしであるのだな」


「うむ。不要、思うなら、売ればいい。贈り物、どのように扱うか、自由である。ゲルドの銀細工、高値、つくはずだ」


「そういう問題ではないのだが……しかし、族長ドンダ=ルウがそちらの習わしに従ったのならば、我らもそれに従う他あるまいな」


 ようやくアイ=ファは、飾り物を受け取った。

 アイ=ファがこれを身につけたら、いったいどれほど美しいことか――と、俺は一瞬、夢想してしまう。


「ファの家、和解、成ったこと、ありがたい、思う。今後、正しき絆、結んでもらいたい。……そして、晩餐、ともにする、願い出、聞き入れてもらったこと、嬉しく思っている」


 アイ=ファは短く、「うむ」とだけ答えていた。

 アルヴァッハが引き下がると、フェルメスがゆったりと声をあげる。


「では、次の家に参りましょう。どなたか、ご案内を願えますか?」


「私が同行する。まずは、もっとも遠き場所にあるラヴィッツの家に向かい、そこから南に下るべきであろうな」


 荷車の準備は、すでにできていた。ユン=スドラとトゥール=ディンも当事者であったので、それぞれ立ちあわなければならないのだ。さらに、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザは見届け人であるので、この場に居残るのは俺ひとりになってしまうわけであった。


「それじゃあね。みんなが戻るのはけっこう遅くになるだろうから、あとは俺が仕上げておくよ」


「はい。それでは、またのちほど」


 ギルルの荷車を先頭に、みんながファの家から去っていく。

 気づくと、俺は3頭の家人たちに足もとを取り囲まれていた。


「ああ、そうだ。俺ひとりじゃなかったね」


 ブレイブとドゥルムアは穏やかに瞳を瞬かせており、ジルベは「ばうっ」と元気に吠えた。

 そんな3頭に心を和まされながら、俺はかまど小屋に引き返すことにした。


                        ◇


 アイ=ファたちが戻ったのは、それから一刻ほどのちのこと――つまりは、とっぷりと夜も更けてからのことであった。

 北のラヴィッツから南のベイムまで、小さき氏族の家をほとんど一巡することになったのだから、それも当然の話であるのだろう。族長筋を除いて、このたびの災厄に関わりがなかったのは、ラッツとダイとスンの血族ぐらいのものであったのだった。


 ルド=ルウだけは家に戻って、それ以外の人々はまたファの家に集結している。護衛役の武官たちは、家を遠巻きにしての見張り役だ。それらの掲げた松明の火を遠くに見やりながら、俺は女衆の手を借りて、かまど小屋から母屋へと料理を運ぶことにした。


 母屋では、アイ=ファとティアと客人たちが待ち受けている。

 フェルメス、メルフリード、ジェムド、アルヴァッハ、ナナクエムに加えて、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザ――さらに、ユン=スドラとトゥール=ディンも加えれば、総勢9名の客人だ。これは、ファの家はじまって以来の賑やかさであるはずだった。


 幸いなことに、ファの家は家財も少ないので、それだけの客人を迎えることに不自由はなかった。ただし、決して心安い相手ばかりではなかったので、いささかならず空気は張り詰めている。俺たちが配膳している間、口を開こうとする人間はひとりとして存在しなかった。


(うーむ。マントを脱いだら脱いだで、また迫力満点だな)


 俺がそのような感慨を抱かされたのは、もちろんゲルドの両名に対してであった。

 貴人といえども、それほど華美な装束に身を包んでいたわけではない。森辺の民や東の民が纏っているのと同じような、渦巻き模様の布の装束だ。渦巻き模様の色彩が黒や灰色の混じった暗いものであることを除けば、同系統の装束である。


 しかし彼らは、俺がよく知る草原の民よりも、はるかに多くの装飾品を身につけていた。

 それこそ、詫びの品として各氏族に届けられた飾り物に匹敵するような、豪奢なる銀の飾り物である。さらには、真珠の数珠みたいな首飾りや、骨片を繋ぎあわせたような腕飾りなど、実にさまざまな装飾品で身を飾りたてている。それに、装束そのものは質素であるのに、それを締める帯などは虹色に輝いており、それだけでひと財産なのではないかと思えてしまうような美しさであった。


 なおかつ、それらを纏っているのが、頑健なる巨漢たちであるのだ。

 袖なしの装束からは、ねじれた縄のような筋肉の盛り上がった腕や肩が覗いている。北の民より細身とはいっても、それは比べる相手が規格外であるのだ。北の民がプロレスラーや格闘家のごとき逞しさであるとしたら、彼らは本場のプロバスケ選手のような逞しさであるのかもしれなかった。


 俺がバスケ選手などを連想したのは、やはり彼らが長身であるためなのだろう。首や手足が長くて、頭身が高く、最初の印象としては縦に長いように思えるのに、間近で観察してみると、どこもかしこも分厚くて、ものすごい力感を感じさせられる。そしてそこには、森辺の民にも通ずる野性味や気迫までもが備えられていたのだった。


(ついでに言うと、メルフリードもジェムドも背が高くて立派な体格をしているからな。フェルメスだけが、まるで女の子みたいだ)


 よりにもよって、フェルメスは5名の客人の真ん中に陣取っていたのである。飾り気のない灰色の長衣に包まれたその姿は、いつも以上にたおやかで可憐に見えてしまった。


「お待たせしました。これでひとまず、準備は完了です」


 そのように宣言して、俺はアイ=ファとティアの間に膝を折った。

 俺たちの右手の側には森辺の同胞が、左手の側には客人らが座して、円の形を作っている。その中央に、本日の心尽くしがずらりと並べられることになった。

 アイ=ファはその場に集まった人々を均等に見回してから、凛然と発言する。


「ファの家は、森辺でもっとも家人の少なき、小さな家に過ぎない。貴族をもてなす作法などは知らぬため、色々と礼を失してしまうことも多かろうが、理解をもらえればありがたく思う」


「晩餐、ともにしたい、申し出たのは、我らのほうだ。気遣い、不要である」


 アルヴァッハの返答に、アイ=ファは「いたみいる」とうなずいた。


「では、それぞれの作法に従って、晩餐を始めていただきたい。かまど番をつとめたのは、アスタとトゥール=ディンとユン=スドラとスフィラ=ザザの4名となる」


 森辺の民は食前の文言を詠唱し、ゲルドの貴人らも東の言葉で何かつぶやいたようだった。

 それを見届けてから、俺は晩餐の内容を説明させていただく。


「本日は、大皿に各種の料理を準備しています。森辺においては、家人ならぬ相手と同じ皿の料理をつつくのは禁忌とされていますので、備えつけの器具で小皿に料理をお取り分けください。……そして、肉を食することのできないフェルメスのために、いくつか特別な食事を用意しています。あらかじめ、それをご説明させていただきますね」


 俺はフェルメス対策として、カレーとチャーハンと主菜を2種ずつ準備していた。

 カレーの片方は、ごろりとしたギバ肉の入った通常の『ギバ・カレー』で、もう片方は、マロールとヌニョンパと貝類を使ったシーフードカレー。ベースはどちらも、焼きポイタンで食べることを前提とした、エスニックなインド風のルーである。


 チャーハンは、ギバのチャーシューを使ってラードで仕上げたものと、マロールを使ってホボイの油で仕上げたものを準備している。森辺の民はどうしたって前者を好むものであろうが、そういったことを差し引けば、俺としては遜色のない出来栄えであるつもりであった。


 そして主菜は、『ギバ肉の甘酢あんかけ』と、エビチリを模した料理――『マロールのチリソース』である。

 この『マロールのチリソース』だけが、俺にとっては完全なる新作であった。

 しかし、必要と思える食材はおおよそそろっていたし、マロールというのがなかなか上等な食材であるということは、俺もすっかりわきまえている。それなり以上の自信をもって、俺はそれを主菜のひとつに配置することができた。


 あとはシンプルな野菜炒めと、燻製魚と海草で出汁を取ったキミュスのタマゴスープも準備している。これらの副菜には肉を使用していないため、フェルメスでも口にできるはずだ。

 俺が説明を終えると、フェルメスからは熱い眼差しを向けられることになった。


「僕のために、わざわざこれだけの料理を準備してくれたのですね。アスタの心づかいを、胸が張り裂けてしまいそうなほどに嬉しく思っています」


「いえ、とんでもない。少しでも同じ喜びを分かち合えたら幸いです」


 フェルメスは、輝かんばかりの笑顔であった。

 茶色と緑色のからみあった瞳にも、ごく純然たる喜びの光が灯っている。こういう際のフェルメスは、内心を疑う必要がないぐらい、無邪気で純粋に見えるものであった。


「それでは、お好きな料理をお口にしたいだけお取りください。お口にあえば幸いです」


 まずは貴族たちが取り分けを開始して、森辺の民はそれを待つことになった。

 アルヴァッハやナナクエムは、手慣れた様子で料理を取り分けている。メルフリードは、ふだん自分で料理を取り分ける機会がないのだろう。若干、ぎこちない手つきである。そしてフェルメスは、ごく当たり前のようにその仕事をジェムドに一任していた。


 やはりアルヴァッハたちは、2種のカレーから取りかかるようだ。

 中華に寄せた本日の献立で、あえてカレーを盛り込んだのは、もちろんシム生まれである彼らを慮ってのことであった。試食の場では未完成のカレー料理をさんざん食べさせてしまったので、今宵はきちんと完成されたカレーを食していただきたかったのだ。


 ちぎったポイタンをカレーにつけて、口に運ぶ。シムの主食はシャスカであるはずだが、そういった手つきにもよどみはなかった。

 そうして、カレーを食した両名は――どちらもが、咽喉を詰まらせたように動きを止めてしまった。


 自分たちも料理を取り分けながら、ユン=スドラとトゥール=ディンはじっとその姿を見やっている。料理の取り分けを姉にまかせたゲオル=ザザも、それは同様であった。


「ああ、やはりこのかれーという料理は美味ですね。というか、以前よりもさらに味が向上したのではないでしょうか?」


 と、無言の両名に代わって、フェルメスが称賛の声をあげた。

 ふたりの様子を気にしながら、俺は「ありがとうございます」と応じてみせる。


「以前に魚介尽くしのカレーを手掛けて以来、あれこれ修練を重ねることになったのです。その成果が少しでも表れていれば幸いです」


「僕ですらこれほどの違いを感じるのですから、少していどの成長ではないのでしょう。メルフリード殿も、そのように思いませんか?」


「うむ。わたしも料理を称賛する言葉など、なかなか思いつかないのだが……とにかく、いっそう美味になったことだけは確かなようだ」


 そのように述べるメルフリードは、ギバと魚介のカレーを別々の皿で食べ比べていた。その灰色の目が、ふっと俺のほうを見る。


「ギバを使ったかれーを口にすると、こちらの魚介のかれーに対する心持ちも、いささか変わってくるようだ。どちらもそれぞれ美味であり、上下をつけることは難しいように思う」


「ありがとうございます。それぞれお楽しみいただけたら、嬉しく思います」


「うむ」とうなずいてから、メルフリードはゲルドの貴人らを振り返った。


「如何であろうか? あなたがたの期待が報われたのなら、喜ばしい限りであるのだが」


「……この料理、美味である」


 まずは、ナナクエムがそのように言ってくれた。


「昨日の料理、未完成、意味、わかった。この料理、完成されている。ギバ肉、魚介、どちらも素晴らしい」


 俺は安堵の息をつきながら、「ありがとうございます」を連呼することになった。

 すると、フェルメスが笑いを含んだ目でアルヴァッハの長身を見上げやる。


「アルヴァッハ殿は、如何ですか? 美食家たるアルヴァッハ殿のお口にあったのでしょうか?」


 アルヴァッハは重々しくうなずきながら、「美味である」と言ってくれた。


「しかし、それ以上、伝えること、難しい。我、西の言葉、不自由である」


「では、東のお言葉をお使いください。僕がそれを、西の言葉でアスタに伝えましょう」


 その言葉に、『ギバ肉の甘酢あんかけ』をかき込んでいたゲオル=ザザが「なに?」と目を剥いた。


「外交官よ、お前は東の言葉をあやつることができるのか?」


「ええ。王都で習い覚えました。東の言葉も北の言葉も、意思の疎通に不便がないていどにはわきまえているつもりです」


「北というのは、マヒュドラのことか。敵国であるマヒュドラの言葉など覚えても、意味はなかろうが?」


「とんでもありません。王都においては、東よりも北の言葉のほうが、いっそう熱心に勉強されています。まあ、それが必要となるのは、国境で北の民を相手取る軍人ぐらいなのでしょうけれどね」


 そんな風に述べてから、フェルメスはアルヴァッハに向きなおった。


「さあ、よろしければどうぞ、アルヴァッハ殿。アスタもきっと、あなたのご感想を待ちわびていることでしょう」


 アルヴァッハはひとつうなずくと、東の言葉で語り始めた。

 抑揚があるような、ないような、不思議な呪文の詠唱を思わせる、東の言葉である。以前に少しだけ、シュミラル=リリンから東の言葉を耳にしたことはあったものの、このように長々と聞かされるのは初めてのことであった。


 というか、いつまで経っても、その言葉が終わらない。しまいには、食事に専念していたアイ=ファやスフィラ=ザザまでもが、うろんげにそちらを振り返る始末であった。


「……以上である」


 しばらくののち、アルヴァッハがようやくそのように宣言した。

 フェルメスは、優美な笑顔で俺を振り返る。


「それでは、お伝えいたします。……まず、香草の配合が見事である。この料理に使われている香草は、いずれも見知ったものであるように思えるのだが、それらが複雑に組み合わされることによって、自分に未知なる味わいを体験させてくれた。まずこの香りからしてバザールの妖鳥の羽ばたきのごとき魅惑的なものであるし、そして、それを裏切らない味がこの料理には秘められていた。シムの香草をこれほど多く使いながら、これまでのシム料理とは掛け離れた、奇跡のごとき仕上がりと言えるだろう。このような料理を味わわせてくれた森辺の民アスタに、深く感謝の言葉を述べさせていただきたい」


「は、はい、ありがとうございます」


 俺はアルヴァッハに頭を下げてみせたが、フェルメスの言葉は止まらなかった。


「そして昨日は、ギバ肉の味が香草に殺されていると述べてしまった。その言葉をひるがえすつもりは、一切ない。なおかつ、この料理においても最初は同じような思いを抱きかけたのだが、2種の料理を食べ比べることで、違う思いが胸中に生じた。これらはどちらも美味であり、そしてギバ肉やマロールなる食材が、それぞれ異なる要因を料理に与えているように感じられる。確かにこれらの料理においても、肉の味は希薄であり、香草に負けているように感じられなくもないのだが、この肉を使わなければ、この味は生まれない。そのように感じることができた。たとえば、ギャマやムフルの肉を使っても、また異なる味わいが生み出されるのだろう。それはすなわち、肉の特性が殺されているのではなく、この力強い香草の味わいが、さまざまな食材との調和を成立させているのだろうと思われる。昨日の料理はさすがに香草の味が強すぎて、決して美味とはいえない仕上がりに思えたが、ああして研究を重ねれば、きっといずれは見事な調和を得られるのであろう。それを食することのできるシュミラル=リリンなる者を、心から羨ましく思う」


「は、はい。過分なお言葉をいただき――」


 と言いかけた俺を、フェルメスは片手をあげて制してきた。


「それにつけても、この料理は美味である。香草の形が残されていないので、おそらくは細かくすり潰した上で配合しているのであろうと思われるが、それがこのような形状に仕上げられているのが、ひとつの神秘である。油や煮汁で練りあげるだけでは、このような食感にはならないはずであるので、そこにも何らかの工夫が凝らされているのだろう。また、香草からは強い味と香りが得られるが、それだけでこれほどの深みを生み出すことはかなわない。肉や野菜の出汁との配合が、味と香りを支えているのだ。そういう意味でも、ギバ肉やマロールを使うことに大きな意義が生じている。さらに、ギバ肉やマロールとは異なる風味も感じられるので、おそらくは出汁を取るためだけに、別の食材も煮込まれているのだろう。そういった細工の積み重ねがあってこそ、これだけの料理が存在し得るのだ。そして、昨日の料理ではそういう細工が足らず、ただ香草の粉をまぶしたり塗ったりしていたのみであったので、深みが生まれなかったのであろうと推察される。この料理の味わいの裏には、いったいどれだけの食材の存在が隠されているのか。その中には、きっと自分の知らない西や南の食材も使われているのだろう。そんな自分に、どれだけこの料理の素晴らしさが理解しきれているかは覚束ないところであるが、しかし、この料理が美味であると断言することに迷いはない。あれこれ言葉を重ねてしまったが、これほどに美味なる料理を口にしたのは、自分の21年間の生において初めてのことであろう。期待を大きく上回る喜びを与えてくれたアスタに、ただひたすら感謝の言葉を述べさせていただきたい」


 フェルメスはふっと息をついてから、「以上です」と言いたてた。


「僕の力ではアルヴァッハ殿のお心の機微までは伝えられなかったかもしれませんが、言葉そのものに間違いはないはずです。如何ですか、アスタ?」


「あ、いえ、如何ですかと言われましても……か、過分なお言葉をありがとうございます、アルヴァッハ」


 アルヴァッハは青い瞳を静かに光らせながら、「過分、ならぬ」とだけ言った。

 そうして今度は、2種のチャーハンを小皿に取り分け始める。その姿を、森辺の同胞たちはみんな呆れたような面持ちで見守っていた。

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― 新着の感想 ―
アルバッハさんのくだり最高です。好き。
この話に寸評というタイトルをつける皮肉w
何度見ても笑うw お前は雄山かw
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