貴き客人たち①~下ごしらえ~
2019.3/25 更新分 1/1
・今回の更新は全8回です。*3/30追記 予定を変更して、全9回となります。
藍の月の7日である。
この日から、シュミラル=リリンとヴィナ=ルウの婚儀の前祝いが開始される。今宵はルウ家、明日はリリン家、明後日はルティム家――と、新たな夫婦となる両名とその家長たちが、7日間の夜ごとに血族の家を巡るのだ。血族ならぬ俺にはその姿を見届けることもかなわなかったが、いよいよ婚儀の祝宴が間近に迫っているのだということを十分に実感することができていた。
しかしその前に、俺には果たさなくてはならない大仕事が生じてしまっている。
フェルメスと、ゲルドの貴人たち、そしてメルフリードらをファの家の晩餐に招かなくてはならないのだ。
その眼目は、ゲルドの貴人アルヴァッハが、俺の料理を食することにある。なんでも彼はなかなかの美食家であるということで、俺という料理人にけっこうな好奇心を抱いてしまったのだという話であった。
(ゲルドの貴人の食文化なんて、俺にはさっぱりわからないんだけどなあ)
そのようにも思うが、頭を悩ませても詮無きことだろう。山の民も草原の民も食事の好みに大差はないという前情報を信じて、俺は精一杯の料理を準備するしかなかった。
(むしろ問題は、フェルメスのほうだよな。ひとりだけ内容の違う料理を出すってのは、森辺の習わしにそぐわないだろうから……あのお人に出す料理は、アイ=ファたちにも食べてもらわないといけないってことだ)
しかしまあ、アイ=ファもこれまでに何度かはギバ肉ならぬ料理を口にした経験がある。心からの喜びを得ることは難しくとも、それなりの満足感を得ることはかなうだろう。というか、俺がそういう料理を作りあげなくてはならないのだ。アイ=ファをガッカリさせないように、という思いをモチベーションの基盤につけ加えつつ、俺はその夜の献立を考案することにした。
しかしまずはその前に、日々の仕事を果たさなくてはならない。
屋台を開いて、中天を迎えると、昨日ルウ家でお別れしたデルスとワッズがまたやってきてくれた。
「いらっしゃいませ。ルウ家での晩餐は如何でした?」
「ふん。晩餐には余計な人間もまぎれこんでいなかったので、とりたてて問題はなかったな」
相変わらずの仏頂面で、デルスはそのように述べたてていた。
そのかたわらで、ワッズは大らかに笑っている。
「あそこは、楽しい家だよなあ。不愛想な人間も多いけど、それはデルスもおんなじことだしよお。料理は美味いし、何度でも招かれてえぐらいさあ」
「それは何よりでしたね。そういえば、最長老とはどのようなお話をされたんですか?」
「べつだん、変わった話はしてねえなあ。ジャガルのことをあれこれ聞かれるんだけど、何も珍しい話なんてできねえからさあ。それでもあの婆さまは、何でも楽しそうに聞いてくれるんだあ」
そのように語るワッズのほうこそ、ずいぶん楽しげな面持ちであった。
「森辺の民ってのは、みんな真っ直ぐな気性をしてていいよなあ。西の民なんかより、俺たちのほうがよっぽど仲良くなれるんじゃねえかあ?」
「あはは。どの国のお人とも仲良くしていただけたら幸いですね」
俺がそのように応じると、デルスが不機嫌そうな視線を差し向けてきた。
「それで今日は、あのシムの貴人どもをお前の家に招くそうだな。ルウ家の末弟が、そのように語らっておったぞ」
「ええ。色々あって、そんな話になってしまいました。ずいぶん身分の高いお人たちであるようなので、俺も身が引き締まる思いです」
「ふん。東の民など、香草を食わせておけばいいのだ」
このあたりは、南の民としてごく一般的な反応であるのだろう。たとえ平和な内陸の地で生まれ育とうとも、シムはジャガルの仇国なのである。国境にまで足をのばせば、そこでは今もなお領地争いの戦が繰り広げられているはずなのだった。
(そういえば、ディアルやアリシュナは元気なのかな)
俺はふっと、そんなことを考えてしまった。
ここ最近、ふたりの姿を見ていない。もともとディアルが屋台を訪れるのは10日か半月にいっぺんぐらいのものであったし、今後はひとりきりでジェノスでの商売を切り盛りしなくてはならないので、余計に忙しくなってしまうのだろう。そして、アリシュナにおいては、もともと本人が宿場町に下りてくることは滅多にないのだ。
(アリシュナのお祖父さんをシムから追放したのは『ジ』って領地の藩主なんだから、ゲルドの人たちと諍いになることはないはずだよな。万が一、確執が生じるとしても、マルスタインあたりが何とかしてくれるだろう)
俺としては、そのように信じるしかなかった。
まあいちおう、アリシュナに『ギバ・カレー』を届けているシェイラたちからも、とりたてて変わったことはないようだ、と聞いている。ただ、このひと月ていどで2回ほど、フェルメスがアリシュナのもとを訪れてきたようだ、という話がわずかにひっかかっていた。
(フェルメスは、仮面舞踏会にもアリシュナを呼びつけてたもんな。あのお人の言動からすると、凄腕の占星師ってやつはものすごく学術的な興味をそそられる存在なのかもしれないぞ)
そのように考えると、別の心配もつのってきてしまう。
アリシュナとはその仮面舞踏会以降は顔をあわせていないので、いずれ本人から詳細を聞いてみたいところであった。
そんなこんなで、屋台の商売は無事に終わりを迎えた。
これといって、トラブルはない。お客の入りも上々である。そうして屋台を片付けて、《キミュスの尻尾亭》に向かう途中で、レイナ=ルウが「あの」と声をかけてきた。
「屋台を返した後、わたしたちはしばらく宿場町に居残ろうと思います。申し訳ありませんが、先に戻っていてもらえますか?」
「うん、それはかまわないけれど、レイナ=ルウたちは宿場町で何をするのかな?」
「はい。ネイルやジーゼのもとを訪れて、シムの宴料理について話をうかがおうと考えています。何か森辺の民の気風に合うものがあれば、それを取り入れてみようかと思って……」
俺は心から嬉しく思い、ついつい「ありがとう」などと言ってしまった。
レイナ=ルウは、不思議そうに目を丸くする。
「ど、どうしてアスタが、わたしに礼を言うのでしょうか?」
「あ、ごめん。シュミラル=リリンのためにそこまでしてくれることを嬉しく思ったんだけど、血族でもない俺がお礼を言うのは筋違いだよね」
「いえ、そのようなことはありませんけれど……」と、レイナ=ルウはまぶしいものでも見るように目を細めた。
「……アスタは本当に、シュミラル=リリンのことを大事に思っているのですね。いまのアスタは、心から嬉しそうなお顔をしていました」
「そうかな。ちょっと照れくさいや」
「はい。ほんの少しだけ、シュミラル=リリンのことを妬ましく思ってしまいました」
と、にっこり笑うレイナ=ルウである。
なんとなく、返答に困るような笑顔であった。
そうして屋台を返却したのち、レイナ=ルウらは荷車を引いてもと来た道を戻っていく。ルウの屋台のメンバーは6名ジャストであるので、こちらにはマイムだけを同乗させれば問題はなかった。
「今日は、昨日の貴き方々がファの家にいらっしゃるそうですね。晩餐までともにするというお話でしたが……アスタは、大丈夫ですか?」
と、ギルルの荷車に乗り込みながら、マイムがそのように問うてきた。
ずいぶん心配げな面持ちであったので、俺は「うん」と笑顔を返してみせる。
「さすがに緊張しなくはないけど、思っていたよりも荒っぽい方々ではないようだからね。これまでおつきあいのなかったゲルドの人たちと交流を深められるように、頑張ってみるよ」
「そうですか。アスタはすごいですね。貴き方々に晩餐をお出しするなんて、わたしは考えただけで緊張してしまいます」
そのように述べてから、マイムはにこりと微笑んだ。
「わたしはやっぱり、宿場町で料理を売るのが性に合っているようです。自分が城下町で貴き方々に料理をお出ししている姿なんて、まったく想像がつきません」
マイムの笑顔はとても無邪気なものであったので、俺も「そっか」と笑顔で応じておくことにした。
マイムはまだ、11歳の少女であるのだ。どれだけの才覚を有していたとしても、料理人として身を立てることよりも、家族や身近な人々との暮らしを大事にしたいと願うのが当然のことであるのだろう。
(でも、マイムたちは今後どうするつもりなのかな。このままだと、ルウ家の客人になって一周年を迎えちゃいそうだ)
そしてジーダとバルシャに至っては、すでに1年以上の時が過ぎている。もちろん俺としては、いつまででも森辺にいてほしいぐらいであるのだが――当人たちとはあまりそういう話をしたことがなかったので、いささか気がかりでなくもなかった。
(まあ、ユーミだって森辺に嫁入りするかもしれないんだしな。シュミラルを皮切りに、今後も外から森辺の家人になる人が増えていくかもしれないぞ)
そんな風に考えながら、俺は森辺に向かうことにした。
ルウの集落でマイムとヤミル=レイに別れを告げて、ファの家に進路を取ると、マトゥアの女衆が弾んだ声で語りかけてくる。
「アスタ、今日は婚儀の宴料理の修練を行うのですよね?」
「うん。何せ婚儀の祝宴まで、もう7日しかないからね。今日から婚儀までの間は、いつもの勉強会や俺個人の修練は取りやめて、宴料理に集中することにしたんだよ」
祝宴に参席する小さき氏族のかまど番も、何か料理を準備してもらいたいと、ミーア・レイ母さんからありがたいお言葉をいただくことになったのである。
「ただ、シュミラル=リリンとヴィナ=ルウに捧げる特別料理がまだ完成していないから、それはルウ家で勉強会をする予定だった日に取り組もうって話になったんだよね。レイナ=ルウが、その料理は俺と共同で作りあげたいって言ってくれたからさ」
「では、それ以外の日はずっとファの家で修練をすることになるのですね? 婚儀はもちろん、それも楽しみです!」
「あはは。また祝宴に参席したいって名乗りをあげた甲斐があったね」
本来、祝宴に招かれる客人というのは、15歳以上で未婚の男女が優先される。が、いまだ13歳であるこのマトゥアの女衆は、ことあるごとに祝宴に参席したいと名乗りをあげて、それに成功せしめているのだ。
「それでけっきょく今回は、いくつの氏族が祝宴に出向くのでしたっけ?」
「えーとね、ファ、スドラ、ディン、マトゥア、ラッツ、ベイム、ナハムの7つだね。要するに、屋台の商売を手伝っている氏族から、血族の代表を選出した形になるのかな」
血族ならぬ相手の、しかも族長筋の婚儀に、あまり大人数で詰めかけるのは非礼であろうという話になり、このような結果に落ち着いたのだ。親筋ならぬ氏族が選ばれているのは、ヴィナ=ルウとの関わりの如何を重んじての判断であるはずだった。このマトゥアの女衆も、きっとそのあたりを突破口にして、親筋たるガズから権利を譲ってもらうことがかなったのだろう。
「では、宴料理の修練というのは、その7人で臨むのですね? なんだか、わくわくしてきてしまいました!」
マトゥアの女衆は、あくまで屈託がない。さすがはユン=スドラと並んで、我が屋台のムードメーカーである。運転のために前を向いている俺にも、その無邪気な笑顔は容易に想像することができた。
そんな会話をしている間に、荷車はファの家に到着する。
まずは母屋で、サリス・ラン=フォウに挨拶だ。そのように考えて戸板を開けると、ティアが広間の中をぐるぐると歩き回っていた。
「やあ、ティア。ずいぶん調子がいいみたいだね」
「うむ。実はさっき、転んでしまってな。そのときは背中にものすごい痛みが走ったのだが、それから急に身体が軽くなったのだ」
ティアの言葉に、サリス・ラン=フォウは申し訳なさそうに微笑んだ。
「わたしもそばにあったのに、ティアを助けることができませんでした。ティアはこのように動き回って大丈夫なのでしょうか?」
「いやあ、どうなのでしょう。ティア、いまは痛みも引いているのかい?」
「うむ。いささか疼くような感覚はあるが、引き攣れるような痛みが消え去ったのだ」
歩きながら、ティアはにこりと微笑んだ。まるでラウ=レイと一緒に毛皮をなめしていたときのように、アイム=フォウはその後をついて回っている。
「それで思ったのが、もしかしたら鋼で断ち切られた肉が、たがいにくっつこうとする途中で、あばらに絡みついていたのかもしれん。いままでは、それで肉が引き攣るように痛んだが、転んだ弾みでべりべりと剥がれて、痛みが消え去った……ということなのではないだろうか?」
なんだか聞いているだけで、こちらの背中まで疼いてきそうな話であった。
しかし俺には医学的な知識などないし、この世界の医術もどこまで進んでいるのかわからない。もっとも頼りになるのは、生物的な本能を強く残していそうな、ティアの直感であるのかもしれなかった。
「何にせよ、痛みは消えたのだ。これからは少しずつ、身体に力を取り戻す修練を始めようと思う。こうして楽に動けるようになったのだから、もうサリス・ラン=フォウの見守りもいらぬと思うぞ」
そんな風に述べてから、ティアはサリス・ラン=フォウに向きなおった。
「世話になったな、サリス・ラン=フォウ。お前は本当に心優しい人間だと思う。だからアイ=ファも、お前を大事に思っているのだろう」
「わたしはそんな、大した人間ではありません。……あなたが元気になったのは喜ばしい話ですが、こうして長きの時間を過ごせなくなるのは、少しものさびしく感じられてしまいますね」
「しかたあるまい。ティアたちは、友にもなれぬ身であるのだからな。……だけどティアはこの魂を大神に返すその日まで、サリス・ラン=フォウの名を忘れることはないだろう」
ティアは、にこりと微笑んだ。
なんだか見ているだけで涙腺を刺激されそうなほど、無垢なる微笑である。
そうしてティアは歩きながら後ろに向きなおると、アイム=フォウの小さな身体をひょいっとすくいあげた。
「お前もだぞ、アイム=フォウ。お前がどれほど立派な狩人に育つのか、見届けられないのは残念だ」
アイム=フォウは一瞬きょとんとしてから、ティアにも負けない無邪気さで微笑んだ。
「うむ。アイム=フォウを持ち上げても、背中は痛まない。このままアイム=フォウの重さを修練に使わせてもらおう」
ティアはアイム=フォウを抱えたまま、またぐるぐると歩き始めた。
俺はこっそり目もとをぬぐってから、「あまり無茶をしないようにね」と言い置いて、戸板を閉めた。
「さて、それじゃあ勉強会を始めようか」
2台の荷車を引いてかまど小屋に向かうと、そちらからはカレーの香りが漂ってきていた。手伝いの女衆が、カレーの素の作り置きをしてくれた名残である。そうしてかまど小屋の前では、2名の女衆が木陰で身を休めていた。
「どうもお疲れ様です。他のみなさんは、もう帰られたのですか?」
「はい。少し前に、下ごしらえの仕事は終わりましたので」
残っていたのは、これから勉強会に参加する、ラッツの女衆とマルフィラ=ナハムだ。屋台の当番であった、俺、ユン=スドラ、トゥール=ディン、フェイ=ベイム、マトゥアの女衆をあわせて、これが婚儀の祝宴に参席するかまど番のフルメンバーである。
「それじゃあ、さっそく始めましょう。いま、荷物を下ろしますので」
「はい。わたしたちも手伝います。……でも、今日は本当に大丈夫なのですか?」
「え? 大丈夫って、何がです?」
「今日は、貴族たちを晩餐に招くのでしょう? そちらの修練も必要なのではないですか?」
ラッツの女衆の言葉に、俺は「いえ」と首を振ってみせた。
「献立を選ぶのに頭は使いましたけれど、べつだんそこまで目新しい料理を準備するわけではないので、大丈夫です。それに、晩餐の準備はユン=スドラとトゥール=ディンにも手伝ってもらえることになりましたしね」
「え? それでは、おふたりもファの家で晩餐をともにするのですか?」
ユン=スドラが、笑顔で「はい」とうなずいた。
「それが、森辺の習わしですからね。貴族たちのお相手をするのは気が張りますが、ファの家で晩餐をともにできることは、とても嬉しく思っています」
「そうですね……貴族さえいなかったら、わたしもさぞかし羨ましがっていただろうと思います」
ラッツの女衆は、複雑そうな面持ちで微笑んでいた。
「貴族たちは、5名もやってくるのですものね。やはりそれだけの人数となると、アスタひとりの手には余るということでしょうか?」
「そうですね。勉強会を早めに切り上げれば、何てことはないんですが……宴料理の打ち合わせがある以上、そういうわけにもいきませんしね。だから、ユン=スドラとトゥール=ディンの力を借りることにしたのです」
そのように答えてから、俺はトゥール=ディンに向きなおった。
「でも、トゥール=ディンは本当に大丈夫なのかい? もともと今日は、北の集落に手ほどきに行く日取りだったんだろう?」
「あ、はい。宴料理の修練のためであれば、スフィラ=ザザたちも納得してくれると思います。以前から、何か用事のある際はそちらを優先していいと言ってくれていましたし……」
本日は休業日の前日であり、それはすなわちトゥール=ディンが北の集落に出向く日取りであった。しかしトゥール=ディンは、宴料理の打ち合わせに参加したいということで、こちらに居残っていたのだった。それだったら、ついでにファの家の晩餐も手伝ってくれないかと、俺から持ちかけたわけなのである。
「ありがとうね。トゥール=ディンとユン=スドラがいてくれたら、百人力だよ」
俺の言葉に、ユン=スドラは嬉しそうに微笑み、トゥール=ディンは気恥ずかしそうに顔を赤くした。
そちらに笑いかけてから、俺は荷下ろしを再開する。
ほどなくして、勉強会の準備が整った。
まずは、どのような料理を準備するかの、打ち合わせである。おおよその構想はできあがっていたので、俺はみんなからの意見を拝聴させてもらうことにした。
「まずですね、ルウ家のほうからはギバ肉を使わない料理も準備してほしいと頼まれているのです。言うまでもなく、これは王都の外交官フェルメスのことを気づかっての処置ですね。彼自身は城下町からの客人をもてなす必要はないと仰っていましたが、さすがに食べるものを一切お出ししない、というわけにもいかなかったのでしょう」
「なるほど。だけどもちろん、そのフェルメスという貴族のためだけに料理を作るわけではないのですよね?
フェイ=ベイムの問いかけに、俺は「はい」と応じてみせる。
「今日の晩餐もそうですけれど、ひとりだけ違う食事を準備するというのは、やはり森辺の習わしにそぐわないと思います。フェルメスだけでなく、森辺のみんなにも楽しんでもらえるような料理を準備したいと思っています」
俺はその内容を、その場で簡単に説明してみせた。
最初から熱意丸出しのマトゥアの女衆は、うんうんと笑顔でうなずいている。
「祝宴では、たくさんの宴料理が準備されるのですものね。その中にいくつかギバを使わない料理がまざっていても、文句をつける人間はいないと思います! えーと、何でしたっけ、アスタの教えてくださった……ふくさい? そう、副菜ですね。あの、チャッチやマ・ギーゴを使ったにっころがしという料理なんかは、ギバを使っていなくても、すごく美味しく感じますし!」
「そう言ってもらえると、心強いよ。……とりあえず、ルウ家のほうでもギバ肉を使わない料理をいくつかお出しするそうですから、俺たちのほうはさっき説明した献立で十分だと思います」
「それに加えて、ギバ料理も準備するのですね?」
フェイ=ベイムが、すかさず問うてくる。ルウ家の祝宴のかまど番を任されるということで、フェイ=ベイムもフェイ=ベイムなりに熱意を燃やしているのだろう。
「はい。ギバ料理とギバを使わない料理を1種類ずつ、ということですね。俺たちはあくまで客人ですし、品数をおさえて質を高める方針でいきたいと思います。……それに、祝宴の参席者は総勢で150名ぐらいになりそうなところですから、あまり無理はしないでおきましょう」
「そうですね……でも、菓子などは準備しないのですか?」
と、マトゥアの女衆がトゥール=ディンを見やりながら、そのように発言した。
俺は、「うーむ」と思案する。
「その日はちょうど屋台も休業日なんで、朝から作業を始められれば、何とかなるかな。せっかくトゥール=ディンの新作も完成したことだし、お披露目したいところだよね」
「わ、わたしはどちらでもかまいませんけれど……でも、朝から仕事を始められるのでしたら、間に合わないことはないと思います」
「それじゃあ、菓子も追加しよう。今日はまず、その作り方をトゥール=ディンに手ほどきしてもらおうか」
「しょ、承知しました」
俺が以前にアイディアを託した、シャスカを使った新作の菓子である。バリエーションは豊富であったので、その中からいくつかを宴料理でお披露目することに相成った。
まずは、シャスカの下ごしらえだ。その作業を進めながら、俺は「あ、そうだ」とトゥール=ディンに向きなおった。
「ねえ、トゥール=ディン。新作の菓子のひとつを、今日の晩餐でお披露目してみたらどうだろう?」
「ええ?」と、トゥール=ディンが身をすくませた。
「だ、だけど、今日は山の民をお迎えするのでしょう? 山の民に、甘い菓子を食する習わしなど存在するのでしょうか……?」
「それはわからないけれど、今日はメルフリードもお迎えするだろう? 城下町の人たちに新作の菓子はどう思われるか、それを試す絶好の機会じゃないか」
トゥール=ディンは、シャスカを使った新しい菓子がオディフィアに喜ばれるかどうか、たいそう不安がっていたのだ。父親を使ってその予行演習を行おうというのはいささか不遜であるかもしれないが、オディフィアの喜びのためであったら、きっとメルフリードも気を悪くしたりはしないだろう。
「今回の菓子は、けっこう変わり種もあるからね。でも、メルフリードに美味だと言ってもらえたら、オディフィアにも心置きなくお届けできるんじゃないかな?」
トゥール=ディンはたいそう煩悶していたが、最後には「わかりました」と承諾してくれた。
「そ、それじゃあ、ひと種類だけ……不興を買ったら、わたしがお詫びいたします」
悲愴なまでの覚悟をたたえたお顔である。その心を和ませるべく、俺は笑いかけてみせた。
「山の民に菓子を食べる習わしがなかったら、手をつけないでもらえばいいんだよ。フェルメスなんて、ギバ料理にはいっさい手をつけないんだからさ。余った菓子は、俺たちで美味しくいただくことにしよう」
「はい。トゥール=ディンの菓子だったら、わたしがいくらでも受け持ちます」
と、しっかり聞き耳をたてていたらしいユン=スドラが、笑顔で述べてくる。それでトゥール=ディンも、ようやく「はい」と表情をゆるめてくれた。
そうして着々と時間は過ぎていき、シャスカの菓子は完成した。初めてそれを口にした人々は、みんな驚嘆の表情である。マルフィラ=ナハムなどは、それはもうぞんぶんに目を泳がせていた。
「こ、こ、これは不思議な食べ心地ですし、それにとっても美味ですね。ナ、ナハムの家でも作ってみたいところですが……で、でも、シャスカというのは、いささかならず値が張るのですよね……」
「だけど、以前の祝宴でデイ=ラヴィッツも菓子の美味しさを知っただろう? そこのところをうまくつつけば、シャスカを買うことも許してくれるんじゃないのかな」
「そ、そ、そうですね。あ、兄モラにも相談してみます。あ、兄モラも、甘い菓子を好んでいますので」
黙々と菓子を頬張っていたフェイ=ベイムが、びくりと過敏に反応した。そうしてみんなから顔をそむけて、そっとうつむいてしまう。俺の見間違いでなければ、そのお顔はいくぶん赤らんでいるように感じられた。
(そういえば、祝宴にはモラ=ナハムも来るのかな)
俺はそのように思ったが、フェイ=ベイムに追い打ちをかけることになってしまいそうなので、あえて口には出さずにおいた。
ともあれ、菓子の修練は終了だ。これらの作り方は後日にまたおさらいをさせてもらうことにして、残りの時間は別の料理に費やすべきであろう。
ジルベの控えめな鳴き声が聞こえてきたのは、ちょうどその頃であった。
あまり見慣れないお客がやってきたときの合図である。
「あれ? お客人が来るのは夕暮れ時って言ってたのに、もう来ちゃったのかな?」
まだ勉強会は折り返し地点ぐらいであったので、時刻としては三の刻の半ていどであろう。日が暮れなずむには、まだまだゆとりがあるはずだった。
貴族たちが来訪したのかと、かまど番の多数は面をひきしめている。が、やがて戸板の向こうから聞こえてきたのは、思いも寄らぬ人物の声であった。
「ファの家のアスタよ! ザザの家の、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザだ! この戸を開けてもらいたい!」
トゥール=ディンが、きょとんと目を丸くした。
それを横目に戸板を開くと、名乗りの通りの両名が立ちはだかっている。実に似ていない、ザザ本家の双子の姉弟である。
「どうも、おひさしぶりです。今日はいったい、どうされたのですか?」
「どうもこうもあるか。山の民どもが俺たちの血族に詫びようというのなら、親筋の人間としてそれを見届けぬわけにもいくまい」
そのように述べてから視線をさまよわせたゲオル=ザザは、目当ての人物を発見して、にっと口もとをほころばせた。
「お前も息災そうだな、トゥール=ディン。そういうわけで、俺たちが族長グラフの代わりに見届けてやるぞ」
「は、はい。わざわざ、ありがとうございます。……あの、今日は手ほどきに行けなくなってしまって、申し訳ありませんでした」
弟を押しのけて進み出たスフィラ=ザザが、沈着なる声音で「かまいません」と返事をした。
「ルウ家の宴料理の修練のためなのですから、何もトゥール=ディンが気にする必要はありません。あなたが見事な料理を手掛ければ、それは血族の誇りとなるのですからね」
「うむ! その祝宴には、俺たちも出向くからな! 美味い料理を期待しているぞ、トゥール=ディンよ」
と、ゲオル=ザザが横から会話をかっさらう。
「それで、貴族どもがやってくるのは夕暮れ時なのであろう? それを見届けてから北の集落に戻るのは手間であるから、今日もディン家の世話になるぞ!」
「そ、そうなのですね。……ただ、わたしは今日、ファの家で晩餐をいただくことになっているのですが……」
当然のこと、ゲオル=ザザは驚愕に目を見開くことになった。スフィラ=ザザもわずかに上体をのけぞらせることで、内心をあらわにしてしまっている。
「ど、どうしてトゥール=ディンが、ファの家で晩餐を食わねばならんのだ? 貴族どもに、何か申しつけられたのか?」
「あ、いえ、それをお願いしたのは、俺なのです」
ザザの家には、朝一番でリャダ=ルウが使者としてトトスを走らせていた。昨日いきなり貴族たちがルウ家を訪れたことや、本日は各氏族に詫びの品を届けることになっている、などといった話を伝えるためである。そのついでで、トゥール=ディンは北の集落に手ほどきに行けなくなったことを伝えてもらったと言っていたのであるが――俺が晩餐の手伝いを頼んだのは、その後の話であったのだった。
「……そういうわけで、トゥール=ディンとユン=スドラに、晩餐の手伝いを頼むことになったのです。それで、かまどを預かってもらうからには、同じ場所で同じものを食べてもらうしかない、ということですね」
「うむ。それは森辺の習わしだからな。何も文句を述べたてるつもりはない」
そのように述べてから、ゲオル=ザザは黒い瞳をぎらりと光らせた。
「ただし! 俺たちもその場に同席させてもらうぞ! よもや、嫌だとは抜かさんだろうな?」
「そうですね。大事な血族たるトゥール=ディンが貴族たちと晩餐をともにするのでしたら、わたしたちもそれを見届けずには済まされません」
と、スフィラ=ザザまでもが硬い声音で言いたててくる。その瞳には、冷たい闘志とでも呼びたくなるような光が灯っていた。
「わ、わかりました。アイ=ファが戻ったら、聞いてみます」
「聞いてみます、ではない! 了承を取りつけろ! ……いや、俺が直接了承を取りつけるので、お前は引っ込んでいろ。そのほうが、話が早い」
それは、トゥール=ディンの身を案じてのことなのか、それとも一緒に晩餐を囲みたいだけなのか――おそらくは、その両方なのだろうと思われた。