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異世界料理道  作者: EDA
第四十二章 愛の月
714/1681

思わぬ客人③~東の美食家~

2019.3/11 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

「それじゃあわたしは、別の仕事があるので……これで失礼いたしますわぁ……」


 そんな言葉を残して、ヴィナ=ルウはかまど小屋を出ていった。

 勉強会の準備を始めつつ、俺はレイナ=ルウを振り返る。


「ヴィナ=ルウは勉強会に参加しないのに、かまど小屋で待機していたのかい?」


「あ、はい。ヴィナ姉は、下ごしらえの当番だったのです。その仕事が、ちょうど終わったところなのですよ」


 そのように述べてから、レイナ=ルウはにこりと微笑んだ。


「普段であればそのまま勉強会にも参加するところなのですが、今日はあえて外れてもらいました。今日の勉強会では、婚儀の宴料理について学びたいのです」


「ああ、なるほど。それじゃあ、ヴィナ=ルウには外れてもらわないとね」


 俺がそのように答えたとき、入り口のほうから「うひゃー!」という可愛らしい声が聞こえてきた。


「すごーい! ジィ=マァムより、おっきいかも! 東の民でも、こんなにおっきい人がいるんだあ」


 慌てて振り返ると、リミ=ルウが感心しきった面持ちでアルヴァッハの姿を見上げているところであった。レイナ=ルウは眉を寄せて、「こら」と声をあげる。


「失礼よ、リミ。そちらの方々は、大事な客人なのだからね」


「ごめんなさい! リミは、本家の末妹のリミ=ルウです」


 リミ=ルウは直立の姿勢になって、ぴょこんと頭を下げた。そうして面を上げると、そこには満面の笑みがたたえられている。


「でも、ほんとにおっきいね! すごく強そうだし! ……それにちょっと、森辺の狩人っぽいかも?」


「ゲルドの領地は山岳地帯で、ムフルの大熊などの危険な獣が多く棲息するのです。アルヴァッハ殿やナナクエム殿も、そういった獣を狩る機会などがおありなのでしょうか?」


 フェルメスがするりと言葉をさしはさむと、アルヴァッハは重々しく「うむ」とうなずいた。


「ゲルドの男、ムフルの大熊、仕留められなければ、一人前、認められない。藩主の血族、例外ではない」


「すごーい! それじゃあほんとに、狩人みたいだね!」


 では、俺が彼らから感じていた威圧感にも、そういった要因が絡んでいたのだろうか。そういえば、北の民というのも大熊を狩る勇猛な一族である、という話であったのだ。

 そんなやりとりが為されている中、レイナ=ルウはリミ=ルウのかたわらまで歩を進めて、うやうやしく一礼する。


「わたしの家人が、失礼いたしました。お気を悪くされてしまったのなら、わたしが代わってお詫びをいたします」


「詫びの言葉、不要である。幼き子、無邪気であること、当然であろう」


 アルヴァッハが寛容であったので、俺もほっと息をつくことができた。

 そうしてリミ=ルウもみんなのもとに引っ張り込まれて、ようやく勉強会の開始である。レイナ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウの他に、本日はティト・ミン婆さんも顔をそろえていた。あとは、ルウ家の屋台の手伝いをしていたレイやミンの女衆らだ。


「それで、宴料理はどういうものを考えているのかな?」


「はい。おおよその考えはあるのですが……その前に、新しい夫婦に捧げる料理を完成させたいのです」


 婚儀をあげた新郎と新婦には、まずその両名だけが口にする特別料理が捧げられる。俺がルティム家の祝宴を任された際は、ハンバーグとフィレ・ステーキを供してみせたのだ。


「ああ、なるほど。それならますます、ヴィナ=ルウには秘密にしておかないとね」


「はい。それで、シーラ=ルウともこっそり話し合ったのですが……かれーの味とすてーきというのは、調和するものなのでしょうか?」


「カレー味のステーキか。それは、妙案だね」


 俺がそのように応じると、レイナ=ルウは嬉しそうに微笑んだ。


「やはりシュミラル=リリンが口にするなら、かれーの味が望ましいと思ったのです。それでもこういう際には、やはりしっかりとしたギバの肉を出す習わしですので……」


「うん、いいと思うよ。カレー用の香辛料をまぶして香味焼きみたいに仕上げるか、あるいはカレー味のソースを上から掛けるか、色々と手はありそうだよね」


「はい。思いつくものは、すべて試してみたく思います」


 俺とレイナ=ルウで話し合い、まずは香味焼きから研究することになった。

 ただ香辛料をまぶして焼きあげるだけでは、脂や肉汁で流れ落ちてしまう恐れがある。香辛料に漬け込んで、肉そのものに味をしみこませるか、あるいは揚げ物の要領で、肉に香辛料を付着させるか――あるいは、香辛料をペースト状にして、それを塗りつけながら焙り焼きにするという手もあった。


「調理法によって、味の強さが変わってくるからね。特にカレーは味が強いから、そこを注意するべきかな」


「はい。それに、肉の部位もすべてを試す必要があるでしょうね。シュミラル=リリンはわたしたちほど噛む力が強くないでしょうから、なるべくやわらかめの部位が望ましいと思うのですが」


 本日はユン=スドラたちがひかえめであるためか、もっぱら声をあげるのはレイナ=ルウとなった。まあ、これはヴィナ=ルウとシュミラル=リリンのための料理であるので、そういう意味では相応であったかもしれない。


 しかし、いざ調理となれば、みんなの手が鈍ることもなかった。山の民の存在を気にするトゥール=ディンも、それは同様である。かまど小屋にはたちまち香辛料の香りがたちこめて、フェルメスに「ほほう」と声をあげさせた。


「これはまた、あのかれーなる料理の香りですね。アルヴァッハ殿は、とりわけこの料理に関心を寄せておられたのですよ」


 俺は作業をこなしながら、「そうですか」と応じてみせた。

 視界の隅で、フェルメスは「はい」とうなずいている。


「もしよろしければ、アルヴァッハ殿とナナクエム殿にもお味見をさせていただけませんか?」


「え? 貴き方々が、このような場所で立ち食いをされるのですか?」


「ええ。ゲルドの流儀には背かない行いであるかと思われます」


 優雅な微笑みをたたえながら、フェルメスはアルヴァッハたちを振り返る。両名は、無表情にうなずいていた。


「……これは新たな料理を作りあげているさなかですので、美味に仕上がるかもわかりません。それでも、よろしいのですか?」


 と、レイナ=ルウが真剣な面持ちでフェルメスを振り返る。それにもフェルメスは、「ええ」と応じていた。


「あなたがたの会話はすべて聞こえていましたので、おふたりも承知の上でしょう。よろしければ、お願いいたします」


「……承知いたしました」


 そういえば、レイナ=ルウはアルヴァッハが美食家であるという言葉も聞いていなかったのだ。俺がこっそりそれを告げてみせると、レイナ=ルウの瞳にはますます真剣な光が浮かんだ。


「では、どのようなお言葉をいただけるのか、楽しみなところですね。何か不始末があったら、わたしが責任を負いましょう」


 そうして、試作品の第一弾が仕上がった。溶いた卵に肉をくぐらせて、そこにフワノ粉と香辛料をまぶした、カレー味の揚げ焼きである。


「あまりにひどい出来栄えでは申し訳ありませんので、まずはこちらで味を確かめさせていただきます」


 そのように宣言して、レイナ=ルウは肉を切り分けていった。部位は、ロース、バラ、モモ、フィレである。

 十余名のかまど番が、それぞれの作業のかたわらに、それをひとつずつ食していく。真っ先に声をあげたのは、マルフィラ=ナハムであった。


「こ、こ、これはちょっと、味が強すぎるようですね。……あ、さ、差し出口をきいてしまって、申し訳ありません」


「いえ、わたしも同じように感じます。これでは、香草が多すぎるようですね」


 そんな風に答えてから、レイナ=ルウが俺を見つめてきた。


「ただ、シュミラル=リリンであれば、これぐらい強い味のほうが望ましいかもしれません。アスタは、どのように思われますか?」


「うん、確かに。東の生まれなら、ちょうどいいぐらいかもしれないね。……ただ、ヴィナ=ルウは舌が痛くなっちゃうかな」


「はい。次はもっと、香草の量を減らしてみましょう」


 そうしてレイナ=ルウは、毅然と客人たちを振り返った。


「失礼します。山の民の方々は、草原の民と同じぐらい、香草の強い味や香りを好まれているのでしょうか?」


 フェルメスは、視線で山の民たちをうながした。応じたのは、やはりアルヴァッハのほうである。


「我ら、ジギの草原、訪れること、少なくない。食事の好み、大きな違い、なかろう、思う」


「では、こちらの料理でも、それなりの満足は得られるかもしれません」


 何か挑むような面持ちで、レイナ=ルウは料理を木皿に取り分けた。部位は、ロースである。

 粗末な木皿にのせられた料理を、ゲルドの両名は文句も言わずに受け取った。そして、木匙も使わずに皿を傾けて、それを口に放り込む。


「む」と声をあげたのは、ナナクエムのほうであった。この御仁の声を聞くのは、ずいぶんひさびさのことである。


「いかがでしょう? 最初の試作品としては、それなりの出来栄えだと思うのですが」


「うむ。きわめて美味、思う。……フェルメス殿、言葉、真実であった」


「はい。僕もかれーという料理には、すっかり心を奪われているのです。獣の肉を口にできないのが口惜しいほどですね」


 フェルメスはゆったりと微笑みながら、レイナ=ルウを見た。


「レイナ=ルウ、よろしければ、メルフリード殿とジェムドにも味見をさせていただけませんか? のちほどジェムドに、詳しい感想を聞きたく思います」


「はい。ですがおそらく、西の生まれの方々には、味が強すぎるかと思われます」


 それでもレイナ=ルウは臆せず、そちらの両名にも料理を届けていた。

 東の民にも劣らず内心の読めない両名は、木匙を使って料理を口にする。「なるほど」と声をあげたのは、メルフリードであった。


「確かにこの料理を皿いっぱいに食しては、舌が痺れてしまうかもしれん。しかし、こうしてひと口だけ食する分には、十分に美味であるように思う」


「ありがとうございます」と、レイナ=ルウは微笑んだ。

 いっぽうジェムドは深みのある声で、ただ「美味です」と述べている。

 それを見届けてから、フェルメスは笑顔でアルヴァッハを振り返った。


「では、アルヴァッハ殿は如何であったでしょう? 彼らは東の生まれであるシュミラル=リリンのために料理を作っておられるので、あなたの言葉はきっと参考になることでしょう」


 アルヴァッハは、「美味、言い難い」とつぶやいた。

 レイナ=ルウは、ゆっくりとそちらを振り返る。


「申し訳ありません。お気に召しませんでしたか?」


「うむ。香草、味、香り、強すぎる。美味、言い難い」


「……あなたは、香草の味や香りを好まれていないのでしょうか?」


「否。香草、肉の味、消してしまっている。ギバ肉、美味、聞いていたのに、まったくわからない」


 地鳴りのような声で、アルヴァッハはそのように言葉を重ねていった。


「ムフル、ギャマ、臭気、強い。ゆえに、たくさんの香草、必要となる。臭気、香草、調和して、またとない味となる。しかし、この料理、香草のみ、秀でている。ギバ肉、使う意味、どこにあるか?」


 レイナ=ルウは、ちょっと驚いた様子で目を見開いた。

 それから、こらえかねたように口もとをほころばせる。


「確かに、あなたの仰る通りです。わたしたちにとっても、この料理は香草の味と香りが強すぎるように思えたのですが、東のお生まれならばご満足いただけるかと、判断を誤ってしまいました。これから香草の分量を変えて同じ料理を作りますので、そちらも味見をお願いできますか?」


「うむ。ありがたい、思う」


 レイナ=ルウはひとつうなずくと、妙に晴れやかな顔で作業台に向きなおった。

 そんな中、ナナクエムがアルヴァッハに向きなおる。


「アルヴァッハ、文句、多い。さまざまな香草、使われて、きわめて美味だった、思う」


「香草、組み合わせ、素晴らしい、思う。ゆえに、肉の味、活かせていない、惜しい、思った。我、言葉、飾る理由、持たない」


「……やはり、文句、多い。だから、伴侶、怒り、買う」


 アルヴァッハは分厚い肩をすくめるだけで、何も答えようとしなかった。

 そこに、リミ=ルウの「あはは」という笑い声が響く。


「あなたは、伴侶がいるんだね! あなたたちは、何歳なの?」


「我、19歳。アルヴァッハ、21歳。伴侶、ゲルド、待っている」


「そっかあ。21歳なら、ヴィナ姉と一緒だね!」


 想像以上に彼らが若年であったので、俺は内心で驚いていた。

 そしてそれ以上に、彼らが人間がましい面を見せてくれていることに、驚かされている。カミュア=ヨシュからは気性が荒いと聞かされていたし、いかにもそれらしい雰囲気を発散させているのに、彼らは俺の知る草原の民と同じぐらい、柔和そうに思えてしまった。


 そうして次々と料理は仕上がっていき、それらはかまど番と客人の口に運ばれていく。あまりに不出来な分は客人に渡さずにいたのだが、それでもなかなかアルヴァッハの口から「美味」という言葉が出ることはなかった。

 するとレイナ=ルウは、いっそう奮起した様子で次なる料理に取りかかる。アルヴァッハに駄目を出されることを、むしろ喜んでいる様子であるのだ。この頑なな客人を満足させることができれば、理想の料理が完成する――とでも考えているかのような意気込みであった。


 そうして、粛々と時間が流れすぎ、勉強会が終わりの刻限に近づいた頃――ついに、ルウ家の男衆が集落に戻ってきた。


「お客人がた、家長が戻ってきましたよ」


 ミーア・レイ母さんの声に従って、客人たちはかまど小屋を出ていく。その途中で、フェルメスが俺に呼びかけてきた。


「アスタ、贈り物の一件がありますので、できればご一緒していただけませんか?」


 俺は迷ったが、すでに勉強会は後片付けを始めるところであったので、フェルメスの言葉に従うことにした。

 かまど小屋を出てみると、すでにドンダ=ルウたちがゲルドの両名と相対している。ジザ=ルウとルド=ルウは、グリギの棒に足をくくった巨大なギバをふたりがかりで掲げていた。


「俺が森辺の三族長のひとり、ドンダ=ルウだ。貴様たちは、山の民の長の血筋であるそうだな」


 両名は、それぞれ素性と名前を告げていた。ナナクエムのほうがドンダ=ルウと同じぐらいの背丈であり、アルヴァッハはそれよりも頭半分ぐらいも大きい。そんな彼らが向かい合うと、それだけで空気が引き締まるかのようだった。


「かつての同胞、大きな罪、働いた。詫びの言葉、述べさせてもらいたい」


「そのために、わざわざ遠きシムの地からおもむいたそうだな。……我々も、かつては同胞が故郷の外で大罪を犯すことになった。貴様たちの無念は、痛いほどに理解できるように思う」


 昂ぶるでもなく、怯むでもなく、ドンダ=ルウは静かな声でそのように応じた。


「そして、大罪人が処断された今、貴様たちを恨む理由はない。謝罪の言葉を受け入れよう。今後は正しき縁を結べれば、ありがたく思う」


「森辺の族長、温情、感謝する。……そして、詫びの品、受け取ってもらいたい」


 今度はナナクエムが、懐から飾り物を取り出した。

 眉をひそめるドンダ=ルウに、フェルメスが横から声をかける。


「これは、ゲルドの一族の作法であるようです。詫びの品を拒絶すれば、それはまだ相手を許していないという意思の表明になりますので、どうか受け取っていただけませんか?」


「……ジェノスの貴族も、これを受け取ったのか?」


 ドンダ=ルウの問いかけに、メルフリードが「うむ」とうなずいた。


「ジェノス侯爵家にも、銀の飾り物が贈られた。あとは大罪人に脅かされた氏族に、それぞれ贈り物を準備しているとのことだ。ゲルドの一族の謝罪を受け入れる気持ちがあらば、それを受け取ってもらいたい」


「……では、是非もあるまいな」


 ドンダ=ルウはしかたなさそうに、それを受け取った。実に精緻な作りをした、銀の首飾りであるようだ。


「他の氏族の人々が詫びの品を受け取ることも、森辺の族長としてご了承をいただけますか?」


「ルウの家が受け取ったのに、他の者たちに断らせる道理はない。……そのように伝えておけ」


 後半部分は俺に向けられた言葉であったので、「はい」とうなずいてみせる。

 フェルメスは、満足そうに微笑んだ。


「では、ファの家の分はどうしましょう? 今日の内に、アスタへと渡しておきますか?」


 フェルメスの言葉に、アルヴァッハは「いや」と首を振った。


「家長、重んじる、習わしならば、それに従おう、思う。さきほど、性急な行い、申し訳ない、思っている」


「い、いえ。とんでもありません。森辺の習わしを重んじていただけて、とてもありがたく思います」


 俺がそのように答えると、アルヴァッハが青い瞳で俺を見据えてきた。

 アイ=ファやドンダ=ルウに負けないぐらい、強くきらめく碧眼だ。


「アスタ、ひとつ、願いたいこと、ある」


「はい、何でしょうか?」


「明日の夜、晩餐、ともにする、願いたい」


 俺は、心から驚かされることになった。

 フェルメスは、妙に浮きたった面持ちでアルヴァッハの巨体を見上げている。


「突然、どうされました? アスタへの興味がいよいよ高まってきた、ということでしょうか?」


「うむ。森辺、調理の技術、伝えた、アスタ、聞いている。さきほどの料理、未完成だったが、確かな力、感じられた。アスタ、どれほどの腕前か、知りたい、願う」


「では、アスタを城下町に招きたい、と?」


 アルヴァッハは再び、「いや」と首を振る。


「アスタ、足労かける、本意、違う。我ら、森辺の集落、訪れるのだから、ファの家にて、晩餐、ともにしたい」


「シ、シムの貴き方々が、ファの家で晩餐を取ろうと仰るのですか?」


 俺が思わず反問してしまうと、アルヴァッハは逞しい首をわずかに傾げた。


「メルフリード殿、晩餐、供された、聞いている。我ら、同じ行い、おかしいか?」


「い、いえ……家長や族長の了承があれば、何も異存はないのですが……」


 俺が視線を差し向けると、ドンダ=ルウは「ふん」と鼻を鳴らした。


「族長として、異を唱えるつもりはない。偏屈なファの家長にも、そのように伝えておけ」


「しょ、承知しました。のちほど、伝えさせていただきます」


 するとフェルメスはにこやかに微笑みながら、メルフリードの長身を見上げた。


「では、僕たちも見届け人として同行する他ありませんね。まさか、シムの貴き方々だけを森辺の集落に置いていくことはできないでしょう?」


「……それは、否めないところであるな」


 冷徹な声音で応じてから、メルフリードが俺を見やってきた。


「しかし、我らはあくまで見届け人だ。無用の手間をかける必要はない」


「いえ、以前も申し上げた通り、その場に立ちあわれるのでしたら、ご一緒に食べていただいたほうが、心も安らぎます」


 メルフリードは無表情に「そうか」と言った。

 しかし、わずかに申し訳なさそうにしているように見えなくもない。

「では」と、フェルメスが身を乗り出した。


「アスタ、僕からもお願いがあるのですが……何かひと品でも、肉を使わない料理を準備していただけませんか? 僕はもう、ひと月以上もアスタの料理を口にしていないのですよ」


 フェルメスが俺の料理を口にしたのは、最初の歓迎の晩餐会のみであったのだから、確かにひと月以上は経っているだろう。それはそれとして、フェルメスに甘えるような視線を向けられるというのは、たいそう落ち着かないものであった。


「森辺の晩餐というものは、同じものを食べて同じ喜びを分かち合うものなのでしょう? ですから、僕に合わせて魚介尽くしにせよ、とは言いません。ただ、ひと品だけでも準備していただけたらと思うのですが……いかがなものでしょう?」


「わ、わかりました。それも含めて、家長に相談させていただきます」


 フェルメスは、ぱあっと顔を輝かせた。

 まるで、意中の相手から花束を贈られた乙女のごとき表情である。むろんのこと、俺は背中がむずむずしてしかたがなかった。


「では、今日はこれにて失礼しよう。突然の来訪、失礼した」


 と、メルフリードが一同をうながした。

 そこに、「お待ちください」という声が響く。振り返ると、かまど小屋からレイナ=ルウが姿を現したところであった。

 レイナ=ルウは父親や貴族たちに目礼をしてから、アルヴァッハの前に進み出る。


「あの、本日はたくさんのご意見をありがとうございました。あなたのおかげで、美味なる料理に仕上げる道筋が見えたように思います」


「……何か、力、なれたのなら、幸いである」


 アルヴァッハは、相変わらずの無表情である。

 しかし、それを見上げるレイナ=ルウの面には、心からの親愛の笑みが浮かべられているようだった。


                        ◇


「……それでけっきょく、明日の晩には貴族どもをファの家に迎えよ、という話であるのだな?」


 俺が想像していた通り、アイ=ファの反応はすこぶる芳しくなかった。

 ファの家にて、カミュア=ヨシュおよびレイトと晩餐を囲んでいるさなかである。もりもりと食事を進めながら、アイ=ファは毛を逆立てた山猫さながらに不機嫌そうであった。


「シムの貴族のみならず、あのフェルメスまでをもファの家に迎えなくてはならぬとは……とんだ災厄ではないか」


「災厄とはまた、ずいぶんな言い様だね。アイ=ファはそこまで、フェルメスという御仁を嫌っているのかい?」


 こちらは無事にファの家の晩餐にありつけたということで、ご満悦のカミュア=ヨシュが問いかける。アイ=ファは「当然だ」と言い捨てた。


「その中で、歓迎したいと思えるのはメルフリードぐらいのものではないか。腹立たしいこと、この上ない」


「え? メルフリードひとりであれば、歓迎しようと思えるのかい?」


 カミュア=ヨシュが重ねて問うと、アイ=ファは面倒くさそうにそちらを振り返った。


「晩餐というのは家人と喜びを分かち合うものであるのだから、無用の客人を招きたいとは思わない。しかし、あのメルフリードは……貴族にしては、ずいぶん好ましい気性をしているようだからな。あやつだけならば、腹が立つことはあるまい」


「へえ、アイ=ファがそこまでメルフリードを憎からず思っているとは知らなかった。俺も同じように思われていたら幸いなのだけれども、そこのあたりはどうなのだろうね?」


「……私が好ましく思うのは、むやみに騒ぎたてない沈着なる人柄だ。あとは、自分の胸に問い質してみるがいい」


「そうかあ。それじゃあ次にファの家を訪れるときは、メルフリードにも声をかけるとしようかな」


 カミュア=ヨシュはのほほんと笑いながら、ミソ仕立てのクリームシチューをすすりこんだ。ちょっと泣き笑いのような顔に見えるのは、美味なる料理を口にする際の、彼の癖である。


「だけどまあ、それならゲルドのおふたかたは、アイ=ファのお気に召すのじゃないのかな? なにせ東の民だから、沈着さについては折り紙つきさ」


「……山の民は、気性が荒いという話ではなかったか?」


「うん。だけど俺はゲルドの領地に足を踏み入れたことがなかったから、西の地で暴れる盗賊団ぐらいしか顔をあわせたことがなかったんだよ。そしてそれは、他の多くの西の民にとっても同様のことだろう。つまり、山の民の気が荒いというのは、やはりそういう無法者の存在から導き出された風聞なのだろうね」


 そう言って、カミュア=ヨシュは楽しげに微笑んだ。


「確かに草原の民などに比べれば、ずいぶん勇猛なる気性なのだろうと思う。だけど、本日拝見したあのおふたりは、それを内に秘めるすべを知っていた。あえて言うならば……彼らは北の集落の人々に近い気質なのではないかな」


「北の集落? ザザやドムやジーンのことか?」


「うん、そうそう。その中に、グラフ=ザザよりも身体の大きな、若い狩人がいただろう? 彼なんて、かなり山の民と気性が似ているように思えるね」


 カミュア=ヨシュが見知っている中で、その条件に当てはまるのは、ディック=ドムの他になかった。ディック=ドムはサイクレウスらと対決する際、護衛役として同行していたのである。


「そもそも、ゲルドの一族に危ういものを感じていたなら、ドンダ=ルウも彼らの申し出をあんなにあっさりと認めることはなかっただろう。アスタも、そうは思わないかい?」


「そうですね。ドンダ=ルウは顔をあわせてすぐに、彼らは敵じゃないと判断したように思いました」


「うんうん。つまるところ、ゲルドの一族は森辺の民に似たところがあるんだよ。山の中でムフルの大熊を狩るような一族であるんだから、狩人に通ずる部分があるのだろうね」


「……では、問題なのは、フェルメスただひとりということだな」


 アイ=ファはスペアリブの香味焼きをひっつかむと、それを乱暴に噛みちぎった。ご機嫌は、いっこうに回復していない様子である。


「フェルメスだって、危険な存在ではないだろう? まあ、森辺の民と相性のいいお人ではないだろうけどさ」


「……あやつがアスタに執着していなければ、私とてこうまで警戒せずに済むのだがな」


「ああ、アスタに料理をねだる姿などは、可憐な乙女さながらであったねえ」


 アイ=ファの不機嫌そうな目が、俺のもとで固定される。

 俺はそれから逃げるように、カミュア=ヨシュへと向きなおった。


「どうしてカミュアが、そんなことをご存知なんですか? そういえば、ドンダ=ルウとゲルドのお人らが語らってるときだって、その場にはいなかったはずですよね?」


「後ろで、こっそり拝見していたんだよ。べつだん気配は殺していなかったから、ドンダ=ルウたちは気づいていたはずさ」


 だったらいったい、誰の目をはばかって覗き見などをしていたというのか。

 そのように考えたとき、俺は日中の疑念を思い出した。


「そういえば、カミュアはフェルメスのことをどう思っているのですか? 興味深い、という他にも、何か思うところがあるのでしょう?」


「うーん? さあ、どうだろう。興味深いという他には、あまり言葉を思いつかないんだよね」


 そのように述べながら、カミュア=ヨシュはふっと透徹した眼差しになる。


「まあ、ひとつ思うのは……彼は俺とものすごく似ている部分と、まったく似ていない部分を、それぞれ兼ね備えたお人であるのかな、というぐらいさ。だからきっと……あまり相性はよくないのかもしれないね」


「……フェルメスのことを、嫌っているのですか?」


「いやあ、そんなことはないよ。少なくとも、現段階ではね。ただ……あまり近づきすぎると、それもどうなるかわからない。おもいきり意気投合して無二の親友となるか、同じ天を戴くこともかなわない仇敵と成り果てるか、そんな両極端なことになってしまいそうな気がするのだよね」


 そんな風に述べてから、カミュア=ヨシュはふわりと微笑んだ。


「ま、俺はこの手にあまるぐらい、大事な人々と出会うことができたからさ。一か八かの賭けをしてまで、無二の親友を手に入れたいとは思わない。そう考えたら、むやみに近づかないほうがいいのかな、とは考えているよ」


「……我々とて、あのような者に近づきたいとは、これっぽっちも考えてはいないのだがな」


 アイ=ファは唇がとがりそうになるのをこらえている様子で、そのように言い捨てていた。

 ともあれ、明日にはフェルメスがやってくる。それも、シムの貴人というおまけつきだ。俺たちの間に存在するわだかまりが、それで少しでも解消されればいいのだが――すべては森と神々の御心のままに、であろう。俺としてはまず、最愛なる家長と客人たちの双方に喜ばれる料理を作りあげるために、力を尽くすしかなかった。

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