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異世界料理道  作者: EDA
第四十二章 愛の月
713/1682

思わぬ客人②~異郷の貴人~

2019.3/10 更新分 1/1

「仕事の最中に、申し訳なかった。この後、森辺の集落に向かうつもりでいたので、その前に挨拶をしておきたかったのだ」


 俺とララ=ルウが町の入り口まで足を運ぶと、まずはメルフリードがそのように述べたててきた。白い武官の装束で、甲冑などは纏っていないが、腰には2本の長剣が下げられている。


「すでにそちらの者が伝えた通り、こちらの方々はシムのゲルド領から訪れた貴人である。先日の《颶風党》が巻き起こした騒ぎに胸を痛めて、わざわざ謝罪に出向いてこられたのだ」


 メルフリードの言葉を受けて、長身の2名が進み出る。その片方は、北の民もかくやという大男であった。

 その身に纏っているのは、何の変哲もないフードつきマントである。両名は至極ゆったりとした動作で、フードを背中にはねのけた。


「我、『ゲル』の藩主、長兄、アルヴァッハ=ゲル=ドルムフタンである」


「我、『ド』の藩主、長兄、ナナクエム=ド=シュヴァリーヤである」


 彼らはどちらも長身であったが、より大きいのはアルヴァッハと名乗ったほうの人物であった。2メートルはあろうかという長身で、北の民やジィ=マァムに比べれば細身であるものの、やはりなかなかの迫力である。しかもその髪はララ=ルウにも負けない鮮やかな深紅であり、背中にまで長くのばされているようだった。瞳の色は、深みのある青だ。


 もう片方のナナクエムは、東の民の平均的な身長――185センチぐらいであろうか。それでも長身であることに違いはないし、普通の東の民よりは厚みのある体格をしている。それこそ、かたわらのメルフリードと大差のない逞しさであるのだ。それで背丈は上回っているのだから、十分に大男の範疇であった。髪の色は黒褐色で、瞳の色は紫である。


 どちらも、インパクトのある容姿であった。

 というか――その姿は、嫌でも俺に《颶風党》の記憶を想起させた。

 鋭く切れあがった双眸に、高い鼻梁と、薄い唇――そして、そういった顔立ちには不似合いな、ごつごつと角ばった輪郭をしており、肌は炭を塗ったように黒い。草原の民しか見慣れていない俺にとって、それはいくぶんアンバランスに感じられてしまうのだった。


(だけどこれが、山の民のスタンダードってことなんだろうな)


 より魁偉な風貌をした北の民と血の縁を重ねることによって、山の民はこういった容姿を備えることになったのだろう。だったらそれは、俺が見慣れていないだけの話なので、何も怖がる必要はないのであるが――やはり彼らも東の流儀に則って、完全無欠の無表情を保っているものだから、どうしても小さからぬ威圧感を覚えてしまうのかもしれなかった。


「……あたしは森辺の族長筋、ルウ家の三姉でララ=ルウだよ」


 と、ララ=ルウが力のこもった声でそのように名乗りをあげた。

 それで俺も、ここは名乗りをあげる場面なのだと思い至り、慌てて口を開く。


「俺は森辺の民、ファの家の家人でアスタと申します」


「ファの家のアスタ。……では、ゲルドの大罪人、脅かした、貴殿であるな」


 アルヴァッハのほうが、地鳴りのような声音でそのように述べてきた。


「ゲルドの一族、代表して、詫びの言葉、届けに来た。許し、もらえれば、幸いである」


「い、いえ、滅相もない。御覧の通り、何も手傷などは負ったりもしていませんので……」


「しかし、同胞、大罪を犯す、大きな恥である」


 と、アルヴァッハがマントの内側をまさぐった。

 その巨大な黒い蜘蛛を思わせる骨ばった指先がつかみだしたのは、ぎらぎらと輝く銀の飾り物である。とうてい貴人とは思えぬ所作で、彼はそれを無造作に突き出してきた。


「詫びの品、受け取ってもらいたい」


「あ、いえ、とんでもない。そのようなものをいただくいわれはありません」


「……では、我々の罪、許さない、意味であるか?」


 アルヴァッハは、感情の読めない眼差しで俺を見据えてくる。

 俺が返答に窮していると、小柄な人影がふわりと横から割り込んできた。


「アルヴァッハ殿。森辺の民というのは、家長の意向を重んずるものであるのです。アスタはきっと、ファの家長の許しがない限りは、詫びの品を受け取ることもかなわないのだと思われます」


 もちろんそれは、フェルメスであった。フードは深くかぶっているものの、襟巻きまではしていないので、その美麗なる面が白日のもとにさらされている。その顔は、とても楽しげに微笑みながら、俺たちの姿を見比べていた。


「ましてや、あなたはシムの貴人です。この際は、家長のみならず族長の了承も必要となることでしょう。アスタに詫びの品を授けるのは、族長と家長の双方に了承をもらったのちに為すべきではないでしょうか?」


「……ファの家のアスタ、その言葉、肯定するか?」


「は、はい。そうしていただけたら、ありがたく思います」


「そうか」と言って、アルヴァッハは飾り物を引っ込めた。

 フェルメスはひとつうなずくと、俺のほうに視線を固定させる。


「まあ、そういうわけで、僕たちはこれから森辺の集落に向かうところであったのですよ。アスタたちも、そろそろ商売を切り上げる刻限であるはずですね?」


「は、はい。二の刻になる前には、引き上げることになるかと思いますが……」


「では、それに同行させてください。つもる話は、集落に到着してからということにいたしましょう」


 山の民の両名は一礼すると、フードをかぶりなおして、トトス車に乗り込んでいった。

 それを見届けてから、フェルメスはメルフリードに向きなおる。


「僕はもうちょっと、アスタたちに事情を詳しく伝えておこうかと思います。メルフリード殿は、あちらのお相手をお願いできますか?」


「……了承した」とメルフリードも姿を消すと、そこにはフェルメスとジェムドだけが残された。フェルメスは、仏頂面で腕を組んでいるララ=ルウに微笑みかける。


「山の民が訪れたと聞いて、無用の警戒心を抱かせてしまったでしょうか? 最初にご紹介した通り、あちらの方々はゲルドの貴人でありますので、何もご心配はいりません」


「貴人って、貴族のこと? はんしゅとか言われても、よくわかんないんだけど」


「シムというのは、7つの藩で構成されているのです。藩というのは、領地のことで……石の都のラオとリム、草原のジとギ、海辺のドゥラ、そして山岳部のゲルとド、合わせて7つとなります。彼らはそのうちの、ゲルとドの長の第一子息である、ということですね」


「ふーん。よくわかんないけど、要するに貴族ってこと?」


「そうですね。格式で言えば、侯爵家の第一子息であるメルフリード殿や、公爵家の末席である僕などよりも、よほど高貴といえましょう」


「へー、あんたやメルフリードより偉いんだ?」


 ララ=ルウは、びっくりしたように目を見開いた。

 フェルメスはその反応を面白がっている様子で、「ええ」と口もとをほころばせる。


「そんな方々が、わずか数名の護衛とともに、自らトトスにまたがって、このジェノスにまで謝罪の言葉を届けに来られたのです。《颶風党》なる盗賊団の巻き起こした騒動は、それだけ彼らにとって不名誉な行いであったのでしょう」


「でも、あの騒ぎからまだふた月も経ってはいませんよね? それなのに、もうそのような話があちらに届いていたのですか?」


 俺が口をはさむと、フェルメスは「はい」とうなずいた。


「僕がこちらに到着する前から、ジェノス侯はゲルド領に使者を送っていたようです。まあ、領主としては正しい判断と言えるでしょう。これは、国交にも支障が出かねないほどの騒動でありましたからね」


「国交ですか。でも、山の民はマヒュドラとゆかりが深いため、セルヴァとは交流が薄い、という話ではありませんでしたか?」


「それでも彼らは、セルヴァともマヒュドラとも友国であるシムの民であるのです。マヒュドラにばかり肩入れして、セルヴァに害を為すことなどは、シムの王に許されません。むしろ彼らは、シムの王の怒りに触れることを恐れているのでしょう。ただでさえ、ゲルドには西の民を襲う盗賊団が多数存在するのですからね」


「なるほど」と、俺は納得した。たとえばジェノスが、シムかジャガルのどちらかに肩入れをして、どちらかに牙を剥いたりしたら、それはもうセルヴァの王の逆鱗に触れてしまうのだろう。辺境の領主が王国同士の国交に傷をつけることなど、許されるはずもないのだ。


「これを機に、ゲルドの一族と健やかなる絆を結べたら、セルヴァにとっては大きな益となるでしょう。……ジェノス侯というのは、慧眼をお持ちです。災いを福と転じさせる才覚をお持ちなのでしょうね」


 その言葉に、俺はピンときた。


「それはもしかしたら、トゥラン伯爵家と森辺の民にまつわる騒動を踏まえてのお言葉なのでしょうか?」


 フェルメスは「おや」と嬉しそうに目を細めた。


「アスタには料理人ばかりではなく、宰相としての才覚も備わっておられるようですね」


「とんでもありません。料理だけが取り柄の非才な身です」


 フェルメスは口もとに手をやって、くすくすと笑い声をたてた。可憐な少女のごとき仕草である。


「アスタと言葉を交わしていると、心が癒されます。……では、そういうわけで、森辺への同行をお許しください」


「でもさ、こんな早い時間に集落に来られても、ドンダ父さんたちはまだ森の中だよ? 休息の期間が明けたばかりだから、早めに戻ってくるだろうとは思うけどさ」


 疑り深そうな面持ちでララ=ルウが述べたてると、フェルメスは「そうなのです」と首肯した。


「実は僕も、同じようにご説明をさせていただいたのですよ。今宵はジェノス城で歓待の宴を開きますので、明日の夕暮れ時にでもごゆるりと集落を訪れては如何かと。……しかしアルヴァッハ殿らは、謝罪も済ませぬ内に歓待などされるのは不本意である、と仰るのですね。それに、ルウ家は明日から婚儀の前祝いというものを始めるのでしょう? それならば、今日の内に族長ドンダ=ルウと、最たる被害に見舞われたアスタにだけでも謝罪をしておきたいと、そのような話に落ち着いた次第です」


「ふーん? それじゃあ明日には、別の人らにも謝罪をしようってこと?」


「はい。ゲルドの大罪人に脅かされた氏族には、すべて謝罪の言葉と詫びの品を届けたい、と仰っています」


 ゲルドの大罪人に脅かされた氏族というと――かまど小屋で火矢を射かけられた面々、ということだろうか。そうだとしたら、けっこうな数にのぼるはずである。


「そちらは明日の夕暮れ時、森辺の狩人らが集落に戻る頃合いを見計らって、お邪魔しようと考えています。つきましては、ゲルドの大罪人に脅かされた氏族の名を、今日の内に教えていただけますでしょうか?」


「はい、承知しました」


 なんだかずいぶんと大仰な話になってきた。

 しかも、侯爵家の人間よりも格式の高い身分の人々が、わざわざ謝罪の言葉を届けるために森辺の集落を巡ろうだなんて、ずいぶんな話である。これはララ=ルウでなくても、いくばくかの警戒心をかきたてられるところであった。


「ああ、どうやらあちらも、仕事が完了したようですよ」


 と、フェルメスが笑いを含んだ声をあげる。

 見てみると、青空食堂にはすでにお客の姿もなく、出入りを禁じる縄を張ろうとしているさなかであった。洗い物も完了して、女衆らが水瓶を荷台に運んでいる姿が見える。


「では、宿屋で屋台を返してから、森辺に戻ろうと思います」


「承知しました。僕たちは、それに追従しますので」


 フェルメスが一礼して、きびすを返そうとする。そこで俺は、「あ」と思い至った。


「ちょ、ちょっとお待ちください。みなさんは、これからルウの集落に向かわれるのですよね?」


「はい。アスタたちも、いったんはそちらに向かわれるのでしょう?」


「ええ、それはそうなのですけれども……」


 と、俺はララ=ルウのほうに目をやった。それでララ=ルウも、ようやく思い至ったようだった。


「あ、そっか。今日は南の民のお客人をルウ家に招いてるんだよね。南と東の民って、仲が悪いんでしょ? なんか騒ぎになっちゃったりしないかなあ?」


「南の民が、ルウの家に? ……失礼ですが、それはどのような立場にあられる方々なのですか?」


「ミソを売ってる人らだよ。ポルアースって貴族なら、知ってるはずだけど」


「ああ、なるほど……では、僕が間を取り持ちましょう」


 フェルメスは何でもないように言って、青空食堂のほうに足を向けた。むろんのこと、ジェムドは影のように追従していく。


「なるほどねえ。そういう顛末だったのか」


 と、いきなりあらぬ方向から声があがったので、俺は「うわあ」と声をあげてしまった。振り返ると、雑木林の陰からカミュア=ヨシュが顔を覗かせている。


「び、びっくりするじゃないですか。お得意の盗み聞きですか?」


「人聞きが悪いなあ。アスタたちの身を案じて、こっそり待機していただけだよ」


 のほほんと笑いながら、カミュア=ヨシュが近づいてくる。ララ=ルウも、呆れた顔をしていた。


「しかしまさか、藩主の跡取りがふたりそろって謝罪に来るとはねえ。まあ、あれだけの大罪人を身内から出してしまったら、それぐらいの行いが必要になってしまうのかな」


「カミュアは、山の民にもお詳しいんですか? ……何も危険なことはありませんよね?」


「もちろんだよ。まあ俺は、ゲルドの領内に足を踏み入れたことはないけどね。山の民よりも、北の民に出くわすとややこしい話になってしまうからさ」


 カミュア=ヨシュは北と西の混血であり、マヒュドラを捨てた身であるのだ。敵対国に神を移したカミュア=ヨシュは、決して許されない存在であるのだろう。


「山の民は総じて気が荒いという話だけれども、盗賊団などに身をやつすのは、ごく一部の人間であるはずだからね。真っ当な山の民の姿を知る、いい機会になるのじゃないかな」


「そうですか。……気が荒いという前置きに、一抹の不安を覚えてしまうのですけれども」


「何を言っているのさ。それを言ったら、森辺の民だって蛮族扱いされていたし、ごく一部の人間は盗賊団まがいの大罪を働いていたじゃないか」


 そう言って、カミュア=ヨシュはにんまりと微笑んだ。


「それでも森辺の民は、町の人間の偏見を打ち砕くことに成功しただろう? 今度は君たちが、偏見を捨てる番なのじゃないだろうかね。……ま、俺の見立てによると、森辺の民と山の民はなかなか気が合うのじゃないかと思うよ」


                       ◇


 そうして俺たちは、大勢の客人を引き連れて、森辺の集落に帰還することになった。

 もともとの客人はデルスとワッズのみであったのに、カミュア=ヨシュとレイトが加わり、しまいには貴族の一団である。もちろんその一団には護衛役の兵士たちまでついてきたので、宿場町を闊歩している間は人目をひくこと、おびただしかった。


「ジェノスの貴族のみならず、王都の貴族にシムの貴人だと? どうして俺たちが、こんな心労を背負い込まなくてはならないのだ」


 ルウ家の荷車に乗り込む際、デルスはぶちぶちとぼやいていた。

 そばで話を聞いていたユン=スドラによると、デルスは当初「日を改めたい」と申し出ていたらしい。しかしそれは、フェルメスに笑顔で退けられてしまったそうだ。


「あなたがたは先約であったのですから、そのような真似はさせられません。どうしてもお気にそまないという話であれば、こちらのほうこそが日を改めましょう」


「……とんでもないことです。貴き方々にそのような真似はさせられません」


「では、どうか同行をお許し願えませんでしょうか? 僕たちは、日が暮れる前に戻る予定でありますし……それに、あなたがたはコルネリアの方々なのでしょう? それでしたら、東の民に恨みの気持ちなどは抱いていないのではないですか? コルネリアであればシムとの国境からも遠く、戦火に脅かされることもありえないでしょうからね」


「ええ、それはその通りでありますが……」


「また、ゲルドの方々も事情は同じで、南の方々に恨みを抱く立場でもありません。ゲルドなどはシムの最北端の領地なのですから、これまで南の民と顔をあわせる機会すらなかったことでしょう。あとはセルヴァとの盟約に基づいて、おたがいが節度のある態度を保持すれば、何も問題はないのではないでしょうか?」


 そうして、デルスも押し切られてしまったのだという話であった。


(まあ、弁舌でフェルメスに太刀打ちすることなんて、なかなかできないだろうからなあ)


 何にしても、俺は無用の騒ぎが起きませんようにと祈るばかりであった。

 ルウの集落に到着すると、城下町のトトス車は入り口で停車し、先触れの武官がルウの本家の戸板を叩いた。事情を聞いたミーア・レイ母さんは、「へえ」と目を丸くしたものである。


「いきなり、貴族様がやってきたってのかい。しかも、シムの貴族まで? そいつは、大変なこったねえ」


 しかし、それで動じるミーア・レイ母さんでもなかった。


「まあ、ルウの家は休息の期間が明けたばかりなんでね。暗くなる前に、家長たちは戻ってくるはずだよ。それまでは、どうぞおくつろぎくださいな」


 かくして、貴族の一団はルウの集落へと踏み入ってきた。

 いつも通り、護衛の兵士たちは集落の入り口に陣取り、貴き身分の人々と従者のジェムドだけが、列になって進み出てくる。広場に顔を出していた女衆や幼子たちは、みんな目を真ん丸にしていた。


「ルウの家にようこそ。刀を預からせてもらえますかね?」


 笑顔のミーア・レイ母さんに、各人が刀を差しだしていく。ゲルドの両名は、アルヴァッハだけが大ぶりの半月刀を差しだしていた。


「そちらの御方は、刀を持ってなさらないんだね」


 ミーア・レイ母さんに視線を向けられると、ナナクエムは「うむ」とうなずいた。


「『ド』の民、刀、あまり使わない。我々、弓、吹き矢、猫爪、得手にしている」


「ねこづめ? そいつは、武器か何かなのかい?」


「うむ。獣の骨、鋭く研ぎ、毒を塗る。鋼、異なるが、預ける必要、あるだろうか?」


「そいつは剣呑な代物だねえ。でも、森辺では鋼だけを預かる習わしだよ」


 そうして貴族らが退くと、今度は貴族ならぬ人々が進み出た。デルス、ワッズ、カミュア=ヨシュ、レイトの4名だ。預かった刀をララ=ルウに託しながら、ミーア・レイ母さんはまた微笑んだ。


「おひさしぶりだね、ジャガルの客人がた。またあんたがたをお迎えすることができて、嬉しいよ」


「うむ。今日も世話になる」


「うんうん。他の家族も、みんな楽しみにしていたからさ。またジャガルの色んな話を聞かせておくれよ」


 そうしてミーア・レイ母さんは、笑いを含んだ目をカミュア=ヨシュに差し向けた。


「あんたがたは、つい昨日も顔だけはあわせていたよね。今日は、どういうご用事だい?」


「いやあ、俺たちはアスタにひっついてきただけなのですよね。アスタと一緒に引き上げますので、どうぞおかまいなく」


 そのように述べてから、カミュア=ヨシュは普段よりもやわらかい感じに微笑んだ。


「婚儀の祝宴に関しては、ありがとうございました。あらためて、ヴィナ=ルウの婚儀を祝福いたしますよ」


「ありがとうねえ。ヴィナはかまど小屋にいるから、よかったら声をかけてあげておくれよ」


 全員から刀を預かったミーア・レイ母さんは、「さて」と一同を見回した。


「それじゃあ、男衆が戻るまで、どうしてもらおうかね。……あ、あんたがたは、本家に来てもらえるかい? ジバ婆が話したがっているんでね」


 あんたがたというのは、デルスとワッズのことであった。まあ、本来の客人は彼らのみであったのだから、それも当然の話であろう。

 しかし、その言葉に反応した人間が、ふたりいた。カミュア=ヨシュと、フェルメスである。


「最長老とお話ができるとは、羨ましい。よければ俺も、その後にご挨拶をさせてもらませんかねえ?」


「ええ、僕もそれを望みます。最長老としばし語らうお時間をいただけないでしょうか?」


 ミーア・レイ母さんはきょとんと目を丸くしてから、大いに笑った。


「ジバ婆は、人気だね! それじゃあまあ、順番にお願いするよ」


 デルスとワッズが、本家の母屋に導かれていく。すると、彫像のように立ち尽くしていたメルフリードが、冷徹なる灰色の瞳でフェルメスを見下ろした。


「フェルメス殿。我々の本日の役割は、見届け役と仲介役であったはずだ。それをお忘れにならぬよう、願いたい」


「ええ、それはもちろん。……ただ、森辺の最長老ジバ=ルウとの語らいは、外交官としても必要な行いであるのです」


「それならばなおのこと、別の仕事の片手間に為すべきではないのではないだろうか?」


「メルフリード殿は、意地悪ですね」


 フェルメスは、甘えるような上目づかいでメルフリードを見上げていた。俺は何となく背中がかゆくなり、ララ=ルウは「げー」と舌を出している。


「いまの声、聞いた? まるで、婚儀をあげたばっかの女衆みたい」


「ううん、言い得て妙だねえ」


 俺たちは、決してフェルメスに聞かれぬように、小声でそのようなことを囁き合った。そこに、カミュア=ヨシュが笑いかけてくる。


「それじゃあ俺は最長老の身体が空くまで、バルシャとでも語らってこようかな。その後にかまど小屋にお邪魔をして、ヴィナ=ルウに挨拶をさせていただくよ。……フェルメス殿らは、これからどうされるのです?」


「族長ドンダ=ルウが戻るまで、アスタたちの仕事を拝見しようかと思います。アルヴァッハ殿が、アスタの腕前にご興味を持たれていますので」


「アスタの腕前に?」


「はい。アルヴァッハ殿は、なかなかの美食家であられるようですよ」


 俺はいくぶんひやひやしながら、その御仁の巨体を振り返ることになった。

 2メートルの高みから、アルヴァッハは無表情に俺を見やっている。


「それにしても、あなたとお会いできるとは思ってもいませんでした。できれば、あなたともまたゆっくり語らいたいところですね、カミュア=ヨシュ」


 と、フェルメスがゆったり微笑むと、カミュア=ヨシュはにんまり微笑んだ。


「それは光栄なお言葉です。しばらくはジェノスに留まるつもりですので、ご用向きの際はお声をおかけください」


「はい。近日中には、必ず」


 俺が想像していたよりも、両名の語らう姿は劇的でもなかった。俺にとっては似て異なる変人の巨頭たちであったので、もっと激烈な化学作用が生じるのではないかと想像していたのだ。

 しかしそれは、両名ともに表面を取りつくろうのが巧みであるためであるのかもしれない。おたがいがおたがいのことをどのように思っているのか、内心のほうはさっぱりうかがえなかった。


(そういえば、カミュアはフェルメスのことをたいそう興味深いとか言ってたけど、好きだとか嫌いだとか、そういうことはいっさい口に出してなかったんだよな)


 俺がそのように考えたのは、カミュア=ヨシュの笑顔に若干のよそよそしさを感じたためであった。

 たとえばカミュア=ヨシュは、メルフリードやポルアースに対しても、屈託がない。むろん、出会ったばかりのフェルメスに、なれなれしい態度を取らないのは当然のことであるのだろうが――それにしても、一枚壁を隔てているような感じであったのだ。


(なんというか、おたがいがおたがいを観察し合ってるみたいな気配だな。……おたがいが、珍獣みたいに見えてるんだろうか)


 ともあれ、俺たちもいつまでもぼんやりとはしていられなかった。時間は、有限なのである。


「それじゃあ、勉強会を始めようか。ララ=ルウ、案内をお願いするよ」


 かまど番は二手に分かれて、それぞれのかまど小屋に向かうことにした。バルシャは分家のかまど小屋で待機しているという話であったので、カミュア=ヨシュとレイトはそちらに向かう。馴染みのメンバーとしては、トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハムがこちらに同行した。


 しかし、いつにも増して、トゥール=ディンたちは静かである。きっと、貴族たちの前で粗相は許されない、と気を張っているのだろう。マルフィラ=ナハムなどは、それはもう気の毒なぐらい目を泳がせてしまっている。それに、《颶風党》の襲撃が小さからぬ心傷になってしまっているトゥール=ディンは、山の民の両名に若干以上の恐怖心を抱いてしまっている様子であった。


「ああ、アスタ、お待ちしていました。……え?」


 かまど小屋で待っていたレイナ=ルウも、途中でびっくりまなこになってしまう。事情を説明すると、レイナ=ルウは「そうですか」とヴィナ=ルウに向きなおった。


「それじゃあ、ヴィナ姉から挨拶をするべきじゃない?」


「ああ、そうねぇ……ルウの家にようこそ、お客人がた……もう母のミーア・レイから挨拶をされているでしょうけれど……あなたがたを、歓迎いたしますわぁ……」


 栗色の髪を揺らして、ヴィナ=ルウが優雅に一礼する。

 すると、一同を代表してフェルメスが進み出た。


「このたびは、おめでとうございます、ヴィナ=ルウ。外交官として見届けたいなどと願い出てしまいましたが、それとは別に、あなたの婚儀を祝福させていただきます」


 きっとマルフィラ=ナハムと同様に、フェルメスもルウ本家の家人ぐらいは全員名前を暗記しているのだろう。面を上げたヴィナ=ルウは、よそゆきながらも艶然と微笑んだ。


「祝福のお言葉、ありがとうございます……たとえ見届け役だとしても、その日の喜びを分かち合えたら幸いですわぁ……」


 婚儀の約定を交わしてから3日が経ち、ヴィナ=ルウはすっかり落ち着いていた。

 ただ、その美しさと色っぽさには、いよいよ磨きがかけられたように感じられる。もともと誰よりも美麗であったヴィナ=ルウであるのに、まだ底があったのかと、俺はいささか驚嘆させられたぐらいであった。


 その端麗なる面も、長くのばした栗色の髪も、ひときわ肉感的な肢体も、すべてが輝いているかのようである。女神のような、という形容詞が大げさでないぐらい、いまのヴィナ=ルウは美しかった。


 が、それと相対する貴き人々は、まったくもって内心がうかがえない。なにせ、5名中の4名は無表情であり、残る1名はフェルメスであるのだ。これほどまでの輝きを前にして、どうしてそうまで内心を出さずにいられるのか、俺には信じ難いほどであった。


「……これはのちほど、族長ドンダ=ルウにご相談させてもらおうと思っているのですが」


 と、優雅に微笑みながら、フェルメスがそのように述べたてた。


「あなたの婚儀の祝宴に、こちらの方々も参席させていただきたいのです。理由は、お察しできますでしょう?」


「ええ……それは、シュミラル=リリンがもともと東の民であったからかしら……」


「はい。東方神を捨てた人間が、異郷で婚儀をあげるのならば、それを見届けたいと願っておられます。ご了承を、いただけますか?」


 ヴィナ=ルウは栗色の髪を揺らして小首を傾げつつ、アルヴァッハのほうに視線を転じた。


「あなたがたは……シムを捨てたシュミラル=リリンのことを、お恨みになっているのかしら……?」


 アルヴァッハは無表情に、「いや」と応じた。


「神を移す、咎めること、誰にも許されない。それが、南方神ならば、怒り、禁じ得ないところだが……西方神ならば、祝福するべき、思っている」


「そう……シュミラル=リリンの婚儀を祝福してくれるなら、大事なお客人ですわぁ……」


 ヴィナ=ルウは、静かに微笑んだ。

 さきほどのよそゆきの表情とは異なる、心からの微笑みである。

 すると――アルヴァッハの目が、ほんのわずかに見開かれた。そして、それをごまかすかのように、すっと目を伏せてしまう。


(いまのヴィナ=ルウなら、山の民の心を動かすことだってできるだろうさ)


 その結果に満足して、俺は勉強会に取りかかることにした。

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