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異世界料理道  作者: EDA
第四十二章 愛の月
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思わぬ客人①~来訪~

2019.3/9 更新分 1/1

 シュミラル=リリンとヴィナ=ルウが婚儀をあげることが、無事に決定された。

 俺たちが広場に戻った後、人々がどれだけの歓声をほとばしらせたかは、言うまでもない。リリンの家人はもちろん、血族の人々も、誰もがふたりの婚儀を祝福してくれていた。


 この9ヶ月ほどで、シュミラル=リリンはそこまでの人望を積み上げていたのである。

 シュミラル=リリンの想いが報われればいいと、誰もがそのように願ってくれていたのだろう。そんな人々の騒ぎを見やっているだけで、俺はまた涙をこぼしてしまっていた。


 しかし、婚儀が決まったからといって、それじゃあ明日にでも、という話にはならない。このたびの婚儀には、事前に踏まなければならないさまざまな手順が存在したのだ。


 まずは族長筋たるザザとサウティに、使者が飛ばされることになった。

 これが通常の婚儀であれば、余所の氏族に通達する必要などないのだが、シュミラル=リリンは出自が特殊なのである。外界から家人に迎えられた人間が、ついに氏を与えられて、しかも婚儀まであげることになった。その裁量はルウ家に一任されていたものの、やはりすみやかに伝達しないわけにはいかなかったのだった。


 そうして族長筋への報告を果たした後は、城下町への報告である。

 これもまた、事情はそっくりそのままだ。シュミラル=リリンの行状は最初から伝えられていたので、いまさら反対される恐れはなかったが、それでも礼儀として報告しないわけにはいかない。城下町の人々にとっても、外界の人間が森辺の民と婚儀をあげるというのは、ジェノス始まって以来の椿事であったのだった。


 しかるのちに、ルウの血族には婚儀の前祝いというものが存在する。俺が初めてガズラン=ルティムたちと対面することになった、あれである。ルウの血族が婚儀をあげる際には、7日間の夜ごとに各血族の家を回り、そこで新たな夫妻のお披露目を果たさなければならなかったのだった。


 そしてまた、婚儀の祝宴をどこであげるか、という問題も残されている。

 通常であれば、それは嫁や婿を迎える側の家で行われる。ガズラン=ルティムたちの婚儀はルウの集落で行われたが、あれはルティム本家の長兄という立場であったためなのだ。

 しかし、リリンの集落は手狭であるし、ザザやサウティからは見届け人を送りたいという要望を伝えられている。また、ヴィナ=ルウは親筋たるルウの本家の長姉であるのだから、本来であれば血族の過半数を招待するのが通例であった。


「それに、シュミラル=リリンの特殊な立場を考えると、血族の全員がこの婚儀を見届けるべきではないでしょうか?」


 臨時の血族会議において、ガズラン=ルティムはそのように提案していたらしい。

 それでけっきょく、会場はルウの集落に定められて、ザザやサウティばかりでなく、希望の声をあげた小さき氏族の人々も招待されることが決定されたのだった。

 もちろんその中には、ファの家も含まれる。というか、ファの家の人間を招待するからこそ、他の氏族にも希望を聞いてみようという話になったのだろう。その結果として、屋台の商売を手伝っている氏族のいくつかから、参席を希望する声があがっていた。


 そして、話はまだ終わらない。

 婚儀の話が宿場町にも通達されると、ユーミまでもが参加表明してきたのである。


「シーラ=ルウとダルム=ルウのときは、そこまでのつきあいじゃないって断られちゃったけどさ。今回は、ヴィナ=ルウの婚儀なんでしょ? あたし、ヴィナ=ルウとは屋台を開いた頃から、仲良くさせてもらってたよ!」


 確かに俺の記憶でも、ユーミは開店当初からヴィナ=ルウに懐いていた。一見はなよやかでありながら、宿場町の無法者をぴしゃりとたしなめることのできるヴィナ=ルウを、ユーミはずいぶん気に入っていた様子であったのだ。


 で、ユーミが声をあげたとなると、ターラも黙ってはいられない。奇しくも数日前に、ターラはルウの集落にお呼ばれしたいと熱望していたのだ。

 シーラ=ルウたちが婚儀をあげたときよりも、現在は宿場町の民との交流も格段に深まっている。それに、ミケルやマイム、バルシャやジーダだって元来は町の人間であるし、このたびは血族ならぬ氏族からも多数招待する予定でいる。そうすると、ゆくゆくは森辺に嫁入りする可能性のあるユーミだって、無下にするべきではないのかもしれない――という結論に落ち着いたようだった。


 さらにさらに、最後の爆弾が残されていた。

 なんと、フェルメスまでもがその祝宴を見届けたいと願い出てきたのである。


「外界の人間が、ついに森辺の民と婚儀をあげるのでしたら、外交官としてそれを見届けないわけにはいきません。本来であれば、氏を与える儀式というものも見届けておくべきであったと思います」


 フェルメスは、そのように述べたてていたらしい。


「もちろん僕は賓客でも何でもありませんし、そもそも肉を口にできない人間です。何ももてなす必要はありませんので、広場の片隅に居場所を準備していただけたら幸いです」


 最終的に、族長たちはその判断をジェノス侯爵マルスタインに一任した。

 フェルメスの言葉が正しいのかどうか、自分たちでは判断しきれない。それが本当に外交官としてのつとめであると、マルスタインがそのように判断するのであれば従おう、ということである。


 結果、フェルメスも祝宴に参席することが決定された。

 同行するのは、ジェノス側の見届け人であるメルフリードとポルアース、そして従者のジェムドである。

 リフレイアに続いて、ついにメルフリードとポルアースが森辺の祝宴に参席することになったのだ。フェルメスの来訪にはちょっと複雑な気持ちになってしまった俺であるが、そちらに関しては心から嬉しく思うことができた。


 そんな感じで、外的な取り決め事がすべて完了したのは、リリンの家の祝宴の3日後であった。

 日付けとしては、藍の月の6日。血族の前祝いは明日から行われて、婚儀の本番は藍の月の14日となる。そうして婚儀の日取りまで決定されると、俺などはますます浮き立った気持ちになってしまったのだった。


「いやあ、本当にめでたいねえ。あのヴィナ=ルウが婚儀をあげるなんて、俺も感慨深くてたまらないよ」


 その日、屋台を訪れてそのように述べたてたのは、カミュア=ヨシュであった。カミュア=ヨシュはフェルメスに危険はないと判じて、あれこれ《守護人》としての仕事を再開させていたが、それでも10日と空けずに顔を出していた。ザッシュマに聞いたところ、それ以上の期間がかかる依頼はのきなみ断っているという話なのである。


「カミュアも、祝宴に招いてもらえるそうですね。今朝、ルウ家の人たちから聞きましたよ」


「うん。俺は昨日まで、ジェノスを離れていたからさ。《キミュスの尻尾亭》で話を聞いて、慌ててルウ家までトトスを飛ばしたんだよ。もう晩餐も終わろうかという刻限にいきなりお邪魔してしまって、申し訳なかったなあ」


 それで、熱意が伝わったのだろうか。カミュア=ヨシュとレイトも招待客リストに名を連ねることになったのである。そのレイトは、隣の屋台でレビたちと何やら語らっていた。


「これで宿場町からは、ユーミ、ターラ、テリア=マス、カミュア、レイトの5名ですね。あちこちの氏族からも招待されるので、以前の祝宴よりも大がかりになるかもしれませんよ」


「楽しみだねえ。何せこれは、森辺の民が初めて外の人間と婚儀をあげるっていう一大事なんだからさ。……ただ俺としては、アスタよりも先に別の人間が婚儀をあげることになるなんて、まったく想像もしていなかったよ」


 そう言って、カミュア=ヨシュはにんまりと微笑んだ。


「まあ、それだけ外の人間との交流が深まったってことなんだろうけど……アスタとアイ=ファは、いつになったら婚儀をあげるのかな?」


「……それは秘密です」


「ふうん? これだけ強くおたがいのことを想っているのに、どうしてそんなに引きのばさなければならないのだろうね?」


「あのですね。言葉を濁しているのですから、そこは察してくださいよ」


 頬のあたりに熱を感じながら文句を言うと、カミュア=ヨシュは「ごめんごめん」と愉快げに笑った。

 そこに、大小の人影がのそりと近づいてくる。


「ふん。料理はまだ残っていたか。おい、そいつをふた皿だ」


「あ、いらっしゃいませ。今日は普段よりゆっくりでしたね」


 それは、ミソ売りの商人たるデルスとワッズのコンビであった。黒の月の終わり頃にやってきた彼らは、いまだジェノスに留まっていたのだ。

 デルスは鼻を鳴らしながら、大柄な相棒の腹を肘で小突く。


「この馬鹿が、いつまでたっても目を覚まさなかったのでな。俺たちは、遊びに出向いてきているわけではないのだぞ?」


「昨日はちっと、飲みすぎちまったんだよお。デルスだって、楽しそうにしてたじゃねえかあ?」


「だからといって、昼まで眠りこけていたら商売にならんわ。まったく、半日を無駄にしおって」


 ひと月ぶりに再会した彼らは、徹頭徹尾、相変わらずであった。いつも仏頂面のデルスと、いつものほほんとしたワッズの、いいコンビである。すると、カミュア=ヨシュの姿に気づいたワッズが「おおん?」と奇妙な声をあげた。


「お前、何だあ? まさか、北の民じゃねえよなあ?」


「はい。俺はれっきとした西の民でありますよ。あなたこそ、北の民と見まごう立派な体格でありますね」


「そうだよなあ。髪や瞳の色は北の民みてえだけど、東の民みてえにひょろひょろだもんなあ」


 呑気な笑顔が、デルスの頭ごしに交わされている。デルスはもしゃもしゃの髭をまさぐりながら、カミュア=ヨシュの長身を上から下までねめつけた。


「お前さんは、料理も買わずにべらべらと喋りたおしている様子だったな。ここの店主の知り合いか?」


「はい。俺は《守護人》のカミュア=ヨシュという者です。店主のアスタとは、懇意にさせてもらっておりますよ」


「へえ、《守護人》かあ。確かにとぼけた面がまえだけど、やたらと腕が立ちそうだもんなあ」


「いえいえ、あなたこそ。なかなかの腕とお見受けします」


 妙に波長が合ったのか、カミュア=ヨシュとワッズはのんびり笑い合っている。それを尻目に、デルスは「おい」と屋台の中に首を突っ込んできた。


「とにかく、そいつをふた皿よこせ。……それで、今日こそルウの家に招いてもらえるのだろうな?」


「あ、はい。帰りの荷車でご一緒してもらうと、ルウ家の人たちが言っていましたよ」


 彼らは再び、ルウ家の晩餐に招かれていた。が、黒の月の終わりは交流会でバタバタしていたので、藍の月にあらためて――というところに婚儀の話が持ち上がったので、延期に延期を重ねていたのだ。


 幸いなことに、デルスたちはしばらくジェノスに逗留するという話であった。何でも今度は、タウ油の販売相手を見つくろっているのだそうだ。ミソの定期販売を取りつけたばかりであるというのに、商魂たくましいこと、この上ない。現在は宿場町の宿屋を巡って、自分たちのタウ油がいかに上質であるかを喧伝しているさなかであるとのことであった。


「え? あなたがたは、ルウ家に招かれているのですか?」


 と、カミュア=ヨシュまでもが屋台に首を突っ込んでくる。デルスは短い首をねじって、そちらをにらみあげた。


「だったら、何だ? 文句でもあるのか?」


「いえいえ。森辺に客人が招かれるなんて、そうそうないことですからねえ。かくいう俺も、そういった幸運に預かったことのある身の上であるのですよ」


 カミュア=ヨシュの目が、もの問いたげに俺を見つめる。カミュア=ヨシュとしては、とうてい看過できぬ出来事であるのだろう。


「この御方たちは、ミソ売りの行商人ですよ。その顛末に関しては、以前にお話ししましたよね?」


「ああ、なるほど! ポルアースからも、お話はうかがっておりますよ。そうですか、あなたがたがこの素晴らしい食材をジェノスにもたらした方々であったのですねえ」


 俺の本日の担当は、日替わり献立の『ギバ肉のミソ漬け焼き』であり、カミュア=ヨシュはすでにそれをたいらげた後だった。デルスはうろんげに顔をしかめつつ、「ふん」と鼻を鳴らす。


「お前さんは、あの貴族様とも懇意にしているのか? 妙なところで、話が繋がるものだな」


「ええ、本当に。これも西方神と南方神のお導きでありましょう」


 カミュア=ヨシュは愛想よく笑っていたが、デルスのほうはほだされた様子もなく、俺に向きなおってきた。


「とにかく俺は、腹が減っているのだ。銅貨は、4枚だな? ほら、そいつをよこせ」


 俺の手から『ギバ肉のミソ漬け焼き』の皿を強奪して、デルスは別の屋台へと歩み去っていく。ワッズは「待ってくれよお」と言いながら、その後を追いかけていった。


「南の民らしい、一本気な御方であるようだね。それにしても、ルウ家の晩餐に招待されるなんて、羨ましいことだなあ」


「そうですね。でもカミュアは、もうすぐ婚儀の祝宴に招かれるじゃないですか」


「祝宴は祝宴で素晴らしいけど、家でじっくり語らうのも楽しいじゃないか」


 そのように述べてから、カミュア=ヨシュは「おお」と手を打った。


「それじゃあ俺は、ファの家にお招きされようかな。ここのところ、アイ=ファとはすっかりご無沙汰だしねえ」


「え? それはもしかして、今日の話ですか? いきなりの来訪は、アイ=ファを不機嫌にさせる恐れがありますけれど……あと、ティアとはあまり顔をあわせないほうがいいんじゃないですか?」


「赤き民との接触を避けるように、とされているのは、ジェノスの民だけだよ。それだって、友誼を結ぶことを禁じられているだけだからね。そもそもメルフリードやフェルメスたちだって、赤き民のいる場におもむいたのだろう?」


「ええ、それはそうですけれど……」


「そのときだって、俺はたいそう羨ましく思ったものさ。俺が遠慮をしている間に、他の人間ばかりが招待されるなんて、ずるいじゃないか」


 俺は思わず、ふきだしてしまった。

 カミュア=ヨシュは、細長い首を傾げている。


「俺は何か、愉快なことでも口走っていたかな?」


「いえ、すみません。ちょっと前にも同じようなことを言い張って、レイの家長がうちに乗り込んできたものですから、それを思い出してしまいました」


「ふうん? レイの家長というのは、俺やアイ=ファみたいな髪の色をした、あの綺麗な顔立ちの若衆だよね。それで彼は、ファの家にお招きされることになったのかな?」


「はい。アイ=ファはずいぶんと不機嫌そうな様子でしたけれどね」


「それは大丈夫! 俺の巧みな話術で、アイ=ファの心を解きほぐしてみせるさ」


 カミュア=ヨシュとのつきあいもずいぶん長いが、彼の話術でアイ=ファが和んだことなど、1度としてなかったように思われた。

 ともあれ、こんな風に好意を寄せてもらえるのは、とても嬉しいものである。そういえば、カミュア=ヨシュが訪れるのはもっぱらルウ家であったので、ファの家に招待したのはそれこそ出会った当初にまでさかのぼってしまいそうだった。


「それじゃあ、アイ=ファを説得してください。それに成功できたら、俺が腕によりをかけて晩餐をこしらえますよ」


「ありがたい! もちろん、レイトの分もお願いするよ」


 カミュア=ヨシュは、にこにこと笑っている。そこで俺は、ささやかなる疑念にとらわれることになった。


「何だか今日は、ずいぶん機嫌がよさそうですね。何かいいことでもあったのですか?」


「うん? いいことといえば、それはヴィナ=ルウの婚儀ぐらいしか思い当たらないねえ。俺としては、外の人間が森辺の民に迎えられることが、嬉しくてならないんだよ」


 そう言って、カミュア=ヨシュはふっと透明な眼差しになった。


「前にも言ったかもしれないけどさ。俺はべつだん、森辺の民と町の人間が仲良く手を取り合う姿を見たかったわけじゃないんだ。忌み嫌われていた森辺の民が、正当な立場を取り戻すことさえできれば、それで俺は満足だったし……それに、森辺の民の荒ぶる魂が、町の人間に感化されてしまうことは、まったく俺の本意ではなかったんだよ」


「ああ……確かにカミュアは、そんな風に言っていましたね」


「うん。だけど、森辺の民はその清廉さと勇猛さを失わないまま、町の人間と手を取り合うことができている。そんなことが可能だなんて、俺はこれっぽっちも考えていなかったんだ。つくづく俺は、森辺の民の力を見誤っていたのだろうねえ」


 ジバ婆さんを思わせる、不思議な透徹した眼差しである。

 それをひさびさに目にした瞬間、俺は(ああ……)と深い理解を得た。


(そうだ、この目だ。俺はきっと……この眼差しを知っているから、カミュアを信用することができたんだ)


 遠い何かを見透かすような、この眼差し――とても老成していながら、幼子のような無邪気さもあわせもったこの眼差しに、俺はいつも心をつかまれるのである。

 そしてまた、カミュア=ヨシュとフェルメスが決定的に異なるのは、この眼差しであるように思われた。


 フェルメスも、不思議な目つきを見せることがある。それは、見る者の魂を吸い込んでしまいそうな、ちょっと畏怖の念をかきたてられるような眼差しであった。

 彼の瞳も、ここではないどこかを見透かしているように感じられる。しかしそこに、カミュア=ヨシュやジバ婆さんのような温かさややわらかさは感じられない。フェルメスはフェルメスで、達観しており、無邪気でもあり、とても純粋であるように思えるのに――どこか、他者を寄せつけない壁のようなものを感じてしまうのである。


「……どうかしたかい、アスタ?」


 と、カミュア=ヨシュがまた屋台の中に首を突っ込んでくる。

 その紫色の瞳には、普段通りの朗らかな光が蘇っていた。


「さっきから、そちらの娘さんたちが声をかけていいものかどうか、困っている様子だよ。アスタの指示でも待っているのじゃないかな?」


 俺が振り返ると、そこでは2名の女衆がおろおろとしていた。俺の手伝いをしてくれていたマルフィラ=ナハムと、いつのまにか近づいてきていたトゥール=ディンである。その一歩後ろでは、リッドの女衆が眉を下げて微笑んでいた。


「も、も、申し訳ありません。な、なかなかアスタにお声をかけることができなくて」


「い、いえ、わたしが悪いのです。アスタがお忙しいのでしたら、そのまま食堂に向かうべきでした」


 どうやら自分の商売を終えたトゥール=ディンたちが、青空食堂の手伝いを始める前に、俺に声をかけようとしていた様子であった。


「いや、こちらこそ申し訳なかったね。菓子は無事に売り切ったのかな?」


「は、はい。食堂のほうを手伝わせていただきます」


 トゥール=ディンはぺこりと頭を下げると、食堂のほうに駆け去っていった。リッドの女衆も一礼してから、それを追いかける。


「俺のおしゃべりにつきあわせてしまったせいだよね。俺のほうこそ、悪いことをしてしまったなあ」


「いえ。ぼーっとしていた、俺が悪いんです。閉店の刻限も近いようですね」


 気づけば、俺の屋台の料理も残りわずかであった。隣では、ラーメンを売り切ったレビたちが後片付けを始めている。ずっと立ち話をしていたレイトも、その手伝いに励んでいた。


「それじゃあ俺も、アスタたちと一緒に森辺にお邪魔しようかな。こっちでトトスを準備すれば、問題はないよね?」


「はい。今日はルウ家で勉強会なのですが、カミュアたちはどうしますか?」


 営業4日目である今日は、本来であればファの家での勉強会であったのだが、今期は初日にリリンの家に招待されたので、ルウ家の人らが気をつかい、日程の変更を申し出てくれたのである。2日目と5日目がファの家での勉強会となり、ルウ家での勉強会は本日のみ、という日程に変更されたのだ。

 まあ、カミュア=ヨシュがそのような裏事情を知るすべもないし、知ったところで意味はない。カミュア=ヨシュは楽しげに微笑みながら、「そうだねえ」と無精髭の浮いた細長い下顎を撫でていた。


「俺は適当に、話し相手でも見つけるよ。最近、バルシャとも語らってなかったしね」


「ああ、バルシャとは旧知の間柄ですもんね。きっとバルシャも喜びますよ」


「うんうん。アイ=ファにも喜んでほしいところだよ」


 それはどう転ぶか知れたものではないが、カミュア=ヨシュであればきっと説得に成功することだろう。俺としては、ぶちぶちとぼやくアイ=ファの心を慰めるべく、美味しい晩餐を準備したいところであった。

 そうして下りの二の刻が近づくにつれ、料理は着実に減じていく。本日も、定刻の前にすべての料理を売り切ることができそうであった。


「よし、俺たちもおしまいだね。大して仕事は残ってないだろうけど、食堂のほうを手伝おうか」


「は、は、はい。しょ、承知いたしました」


 俺はマルフィラ=ナハムをともなって、青空食堂へと足を向けた。残る屋台は、シーラ=ルウの担当である『ギバのモツ鍋』と、ヤミル=レイの担当する『ミャームー焼き』のみだ。そうすると、青空食堂でも人手があふれてしまい、食事をしているお客さんがたとおしゃべりに興じるのが常であった。


 デルスとワッズは食事を終えた後もその場に居座って、ララ=ルウやツヴァイ=ルティムを相手に、何やら語らっている様子である。他に名前まで知るお客はいなかったが、誰もが森辺の女衆との語らいを楽しんでいる様子だ。閉店間際のこういう和やかな空気は、俺にとって非常に好ましいものであった。


「そういえば、レビは祝宴に参席しないんだね?」


 俺はお客ではなく、退屈そうにあくびをしていたレビに語りかけることにした。

 レビは「まあな」と頭をかく。


「行きたくないことはないけどよ。テリア=マスが出向くんなら、宿のほうが手薄だろ? 俺はそれほどヴィナ=ルウともつきあいはねえから、大人しくしておくよ」


「そっか。レビもまた、いつか祝宴に参席できるといいね」


「そうだなあ。ベンやカーゴにもお声がかかるような祝宴があったら、よろしく頼むよ」


 それはつまり、ベンやカーゴを差し置いて祝宴に参席を希望する気持ちにはなれなかった、ということなのだろうか。

 確かにまあ、テリア=マス自身もそこまでヴィナ=ルウとのつきあいが深いわけではなく、どちらかというとユーミの付き添い的な立場であるのだ。もともとは血族のための祝宴であるわけだし、レビぐらいの立場では遠慮が生じるのかもしれなかった。


(まあ、遠慮とは無縁な人も、ここにいるけどな)


 その人物は、にこやかな笑顔でレイトに事情を説明していた。いきなり森辺にお邪魔して、晩餐まで預かろうという師匠の企てに、幼き弟子たる少年は苦笑しているようだ。そういえば、レイトをファの家に迎えるのは、これが初めてであるような気がした。


「……おや? アスタは何か、城下町の方々と約束でもしていたのかな?」


 と、カミュア=ヨシュがけげんそうな声をあげた。

 その視線を追うと、町の入り口に箱型のトトス車が停車している。その側面に掲げられているのは――ジェノス侯爵家の紋章だ。その後ろには、トトスにまたがった兵士たちの姿も見える。


「いえ、何も約束はしていません。カミュアにご用事なんじゃないですか?」


「俺なんかに、わざわざトトス車が差し向けられることはないと思うよ。俺は城下町にだって、しょっちゅう顔を出しているんだからさ」


 しかし、婚儀についてはすでに話もまとまっているはずなので、心当たりは何もない。それとも何か、追加で確認したいことでも生じたのだろうか。とりあえず、俺はルウ本家の家人であるララ=ルウに声をかけておくことにした。


「んー、何なんだろ? まさか、ヴィナ姉たちの婚儀にケチをつける気じゃないだろうね?」


 ララ=ルウは、早くも眉を吊り上げていた。

 そんな中、箱型の荷台から複数の人々が降りてくる。その先頭は、メルフリードに他ならなかった。


 ほっとしたのも束の間で、その後ろからフードつきマントを纏った2名が現れる。交流会でも目にすることになった、フェルメスとジェムドのお忍びフォームであろう。しかし、カミュア=ヨシュが「おやおや」と声をあげたのは、その両名に続いて出現した人々の姿を目にしてからであった。


「何とまあ、これは予想外の客人だね。彼らはやっぱり、森辺の民に用事があるのじゃないのかな」


 それは、フェルメスたちと同じように、フードつきマントで人相を隠した二人組であった。

 ただ、どちらもずいぶんな長身である。長身というか、巨体というべきであろうか。片方などは、軽く2メートルもありそうな大男であったのだ。


「だ、誰ですか、あれは? カミュアの見知った人たちなのですか?」


「いやあ、おそらく知人ではないだろうね。あれはおそらく、ゲルドの一族――東の王国の、山の民だよ」


 ララ=ルウが、緊迫しきった面持ちでカミュア=ヨシュを振り返る。


「山の民って、どういうことさ? 大罪人は、ジェノスの外に追い出されたんじゃないの?」


「うん。《颶風党》の面々は、王都アルグラッドに送還されたはずだよ。だからあれは、大罪人ならぬ山の民なのだろうね」


 俺が言葉を失っている間に、武官のひとりがこちらに小走りでやってきた。


「失礼いたします。ファの家のアスタ殿でありますね? メルフリード殿がお呼びですので、ご足労を願えますでしょうか?」


「は、はい。ですが、俺にどのようなご用件なのでしょうか?」


「シムから、客人が参られたのです。あちらの方々は、シムの北方に住まうゲルドの貴き方々であり――アスタ殿に、謝罪の言葉を届けに参られたのです」


「しゃ、謝罪の言葉を?」


「はい。かつての同胞たちが大罪人と成り果てて、アスタ殿および森辺の方々に大変な迷惑をかけたことを、お詫びしたいとのことで……ご足労を願えますか?」


 婚儀の話が一段落したと思ったら、この騒ぎである。

 俺としては、武官の真面目くさった顔を見返しながら、溜め息を噛み殺すしかなかった。

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