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異世界料理道  作者: EDA
第四十二章 愛の月
710/1686

狩人の証③~祝いの夜~

2019.3/7 更新分 1/1

・小説家になろうの公式アカウント【N-Star】にて新作を連載開始いたしました。ご興味のあられる方はそちらもよろしくお願いいたします。

 そうして、夜である。

 リリンの集落の広場には、許容量ぎりぎりの数の人々が詰めかけていた。


 リリンの家人が12名で、客人は20名。普段の祝宴に比べればささやかな人数であるものの、広場も小さめであるために、かなりの熱気である。

 ルウ、ルティム、レイ、ミン、マァム、ムファの家長と、男女のお供たち。男衆は狩人の衣を纏っており、女衆は宴衣装に身を包んでいる。これはルウ家の祝い事であるので、アイ=ファも宴衣装ではなく狩人の姿で参じていた。


 それを迎えるリリンの家人は、4名が子供たちだ。10歳ぐらいの男女が1名ずつと、6,7歳に見える男の子が1名、あとは5歳になったばかりの本家の長兄である。

 あとは、ギラン=リリンと、その弟と、2名の若き男衆と、ウル・レイ=リリンと、若き女衆。妊娠中であるもう1名の女衆は、やはり幼子たちから目を離せないために、この場にはいなかった。


 そして、血の繋がりを持たない家人たる、シュミラルである。

 男衆の中で、シュミラルだけは狩人の衣を纏っていなかった。それは、これから授与されるのだ。


「すでに伝えられている通り、今日は家人のシュミラルに狩人の衣を与えたく思う。血族として、どうかその姿を見届けてもらいたい」


 儀式の火を背にしたギラン=リリンが、普段通りの穏やかな表情でそのように述べたてた。声を張り上げるまでもなく、その声はすべての人々に伝わっていることだろう。


 ギラン=リリンは、中肉中背で、灰色がかった髪と口髭をした、一見ではごく普通の男衆だ。しかし、狩人としての力は非凡であり、未知なるものへの好奇心や、急激な変化に対する柔軟性を持ち合わせている。森辺においては、けっこう稀有なる存在であるはずだった。


「そして今日は、血族ならぬ客人も2名ほど招いている。あらたまって紹介する必要もなかろうが、ファの家のアイ=ファとアスタだ。このふたりはシュミラルが森辺の家人となる前からの友であったたため、特別に招かせてもらうことにした」


 少し離れた場所に立っていた俺たちは、それぞれ礼をする。ガズラン=ルティムやラウ=レイや、無事にお供としての座を獲得できたらしいルド=ルウが、それぞれの表情で俺たちを見守ってくれていた。


「では、儀式を始めようと思う。シュミラルよ、前へ」


「はい」とシュミラルが進み出ると、リリンの狩人たちがめいめいギバの大腿骨を取り出して、それを打ち鳴らし始めた。

 軽やかで硬質的な音色が、不規則なリズムを刻んでいる。その間に、今度は10歳ぐらいの子供たちが、草籠から取り出した香草の束を儀式の火に投げ入れた。


 婚儀の祝宴でも焚かれる、あの謎の香草なのだろう。その甘やかで少し酸味のある燻煙をかき分けるようにして、シュミラルはギラン=リリンの前にひざまずいた。


「家人シュミラルよ。お前が狩人としての確かな力を手に入れたことを、心から祝福する」


「はい。ありがとうございます」


 ギラン=リリンは狩人の衣の下に隠し持っていた刀を取り出すと、それを燻煙にまぶしてから、鞘に収められた刀身をシュミラルの右肩に押し当てた。

 ギラン=リリンが刀を引くと、シュミラルが立ち上がる。すると、ウル・レイ=リリンともうひとりの女衆が、背後から近づいた。その手に携えられているのは、真新しい狩人の衣だ。


 それが昨日、シュミラルの仕留めたギバの毛皮であるのだろう。

 ウル・レイ=リリンたちは、やはりそれを燻煙にまぶしてから、ふわりとシュミラルに羽織らせた。

 ウル・レイ=リリンが前側に回り込み、首もとの紐をしめていく。そうしてウル・レイ=リリンが身を引くと、そこには森辺の狩人として立つシュミラルの姿があらわになった。


 見習いの狩人は仕事に臨む際、借り物の狩人の衣を纏うという。しかし、俺はシュミラルが仕事に向かう場面に立ちあったことはないので、彼が狩人の衣を纏った姿を見るのは、これが初めてのことだった。


 いつも旅用のマントを纏っているシュミラルが、狩人の衣を纏って立っている。

 それだけで、俺は涙をこぼしてしまいそうだった。

 そんな中、ギラン=リリンは笑顔で鞘に収まった刀を差し出す。


「この刀と狩人の衣は、お前が森に魂を返すそのときまで、お前だけのものだ。これからも、森辺の民として、リリンの家人として、狩人の仕事に励むがいい」


「はい」と短く答えながら、シュミラルは刀を受け取った。

 それを腰に下げ、俺たちのほうを振り返ると、巨大な人影がそちらに向かっていく。親筋の家長たる、ドンダ=ルウである。


「ルウの家長ドンダ=ルウは、リリンの家のシュミラルを祝福する」


 ドンダ=ルウの手から、ギバの牙が贈られたようだった。

 続いて、ガズラン=ルティムやラウ=レイたちも進み出る。6つの氏族の家長たちが終えると、今度は6名の男衆、その次は6名の女衆――その先頭は、ヴィナ=ルウであった。


「ルウの長姉ヴィナ=ルウは、リリンの家のシュミラルを祝福します……」


 ヴィナ=ルウはこちらに背を向けていたので、どのような表情をしているのかはわからなかった。

 ただその肩ごしに、シュミラルが微笑んでいる姿が見える。

 とても幸福そうな微笑だった。


 そうして最後は、俺とアイ=ファである。

 シュミラルの前に立った瞬間、俺の目のふちに留められていた涙が、ついに頬まで伝ってしまった。


「すみません。おめでたい場なのに」


 俺は照れ隠しに笑いながら、手の甲で涙をぬぐってみせた。

 シュミラルは、さきほどと同じ表情で微笑んでいる。


「ありがとうございます、アスタ。……今日という日、迎えられたのも、アスタ、おかげです」


「いえ。すべてはシュミラルの努力の結果です」


 俺はシュミラルに、大ぶりの牙を手渡した。

 指の長い、優美にさえ見えるシュミラルの手が、それを受け取る。しかし、その表面は以前よりも――俺が屋台で銅貨を受け取っていた時代よりも、硬くてざらついているように感じられた。


 今日という日を迎えるまで、シュミラルはどれほどの修練を重ねたのだろう。

 森辺の狩人となるために、シュミラルは血のにじむような修練に明け暮れていたはずであるのだ。その姿も、俺は見ていない。人間離れした身体能力を持つ森辺の男衆に囲まれて、自分だけが人並みの力しか持たず――しかし、彼らと対等の立場を目指さなければならない。それはどれほど過酷な日々であったのか、俺には想像することさえ難しかった。


 収穫祭の力比べでも、シュミラルはリリンの家人たちにあっさりと負けてしまうため、ルウの集落で競い合う姿を見せることもなかった。それだって、どんなに悔しかったことか――どんなに不安であったことか――そんな思いも、シュミラルはこの優しげな表情の裏に隠しおおせていたのである。


 そんなことを考えると、俺の頬には次から次へと涙がこぼれてしまった。

 俺から渡された牙を手にしたまま、シュミラルは微笑んでいる。


「アスタ、泣かないでください。アイ=ファ、心配しています」


「はい、すみません、本当に。……それじゃあ、またのちほど」


 俺は懐に準備しておいた織布で顔を覆いつつ、その場を離脱した。

 とたんに、アイ=ファが脇腹を小突いてくる。


「まんまと涙をこぼしおって……お前のそれは、なんとかならんものなのか?」


「うん。なんともならないみたいだな」


 涙声で答えると、アイ=ファはますます仏頂面になってしまった。その瞳には、とてもさまざまな感情が渦巻いているようである。


「これにて、シュミラルは森辺の狩人として認められた。母なる森も、大いなる喜びと慈愛の心でシュミラルを見守ってくれていることだろう」


 ギラン=リリンの声が、再び夜気に響きわたった。


「これからもシュミラルには、リリンの家人として、ルウの血族として、その名に恥じぬ働きを見せてもらいたい。……皆に、果実酒を」


 お盆にたくさんの土瓶をのせた女衆や幼子たちが、客人の間を駆け巡っていく。それらの手に果実酒の土瓶が行きわたってから、ギラン=リリンも土瓶を取り上げた。


「あとは、血族の女衆とアスタの準備してくれた料理と果実酒で、喜びを分かち合ってもらいたい。……リリンの家人、シュミラルに祝福を」


「祝福を!」の声が、唱和される。

 それを見届けてから、俺は簡易かまどまで駆けつけることにした。


「ああ、アスタ。大丈夫ですか?」


 先に到着していたルティムの若き女衆が、にこりと微笑みかけてくる。きっと俺がはらはらと涙をこぼす姿を見られていたのだろう。俺はちっとも大丈夫ではなかったが、「大丈夫だよ」と答えてみせた。


「さあ、それじゃあまずは、かまど番としての仕事を果たさないとね」


「そうですね。……でも、アスタとヴィナ=ルウは、まずシュミラルに料理を届けてあげてください」


「え? だけど、最初のうちは大勢の人たちが詰めかけるだろうと思うよ?」


「ヤミル=レイとわたしがいれば、大丈夫です。シャスカの盛りつけも、おまかせください」


 モルン=ルティムに負けないぐらい陽気で朗らかなその女衆は、満面の笑みでそのように述べてくれていた。


「これは文字通り、アスタとヴィナ=ルウの心尽くしです。おふたりには、シュミラルがこの料理を口にする姿を見届けてもらいたいのです。……それに、ほら、男衆は敷物に腰を落ち着けるようですから、料理を届けるのもかまど番の仕事になりそうですよ」


 見てみると、確かに大半の男衆は敷物に座って果実酒をあおっているようだった。このスペースで30名以上の人間が歩き回るのは窮屈だ、と判じたのかもしれない。リリンの家の受け持ったかまどからも、女衆や幼子たちが配膳の仕事に取り組んでいるようだった。


「わかった。それじゃあ、交代制にしよう。まずは俺とヴィナ=ルウが配膳するから、後半は君とヤミル=レイにお願いするよ」


「はい。それでかまいません。……ああ、ヴィナ=ルウとヤミル=レイもやってきたようですよ」


 宴衣装を纏った女衆の中でもとりわけゴージャスな2名が、連れ立って近づいてくる。話し合いの結果を伝えると、ヴィナ=ルウはぼんやりとした表情で「わかったわぁ……」と応じていた。


「では、私も手伝おう」


 名乗りをあげてくれたアイ=ファと3人で、俺たちは配膳の仕事に取りかかることにした。

 本日の主役はシュミラルであるので、真っ先に料理を届けるのは自然なことであるだろう。俺たちはそれぞれ大きな盆を両手に掲げて、車座の中心へと突撃した。


「お待たせしました。俺たちの準備した『ギバ・カレー』となります」


「おお、アスタ。今日はご苦労であったな」


 シュミラルの隣に座していたギラン=リリンが、ゆったりと微笑みかけてくる。それ以外には、ドンダ=ルウ、ルド=ルウ、ガズラン=ルティム、ラウ=レイという、お馴染みの面々がシュミラルを囲っていた。彼らはルウの血族の中心人物であるのだから、これも自然なことなのだろう。


「ふふん。ぎばかれーは香りが強いので、最初から出されるのはわかっていたぞ。まあ、シュミラルの祝いには相応しいのだろうな」


 果実酒の土瓶を片手に、ラウ=レイが陽気な声をあげる。主役のシュミラルは、とても穏やかかつ満ち足りた眼差しで、俺とヴィナ=ルウの姿を見比べていた。


「さあ、まずはお前から食するがいい、シュミラルよ。今日ばかりは、ドンダ=ルウを差し置いても文句は言われまいよ」


「はい。ありがとうございます」


 シュミラルのもとに、ヴィナ=ルウがそっと木皿を差し出した。

 渾身の出来栄えたる、『カレー・シャスカ』である。ヴィナ=ルウが何も言おうとしないので、俺は口を開かずにはいられなかった。


「ちなみに今日は、完全に仕事を分担することにしました。このカレーは、ヴィナ=ルウがひとりでこしらえたものです」


「なに? 俺たちの分も、ちゃんとこしらえてあるのだろうな?」


「もちろんだよ。同じ料理を食べないと、同じ喜びを分かち合うことはできないからね」


 説明しながら、俺は『カレー・シャスカ』を盛りつけられた小皿を各人に回していった。アイ=ファは人々の中央に、カツとハンバーグとサラダののせられた大皿を配置する。


「ヴィナ=ルウはカレーを、俺たちはシャスカとハンバーグと『ギバ・カツ』をこしらえたってことさ。ハンバーグと『ギバ・カツ』はカレーと相性がいいはずだから、上にのせて食べておくれよ」


 そのように述べてから、俺はシュミラルに向きなおった。


「でも、カレーもシャスカもまだまだたっぷり用意しているので、まずはそのまま食べてみてくれませんか?」


 シュミラルは「はい」と木匙を取り上げた。

 配膳を終えたヴィナ=ルウは、荷物のなくなった盆で顔を半分隠しながら、その様子を見守っている。


 この新作のカレーには、キミュスの骨ガラの出汁を使っていた。濃厚な、白湯仕立ての出汁である。

 さらにはまろやかさを追求するために、カロンの乳と、パナムの蜜と、ラマムの実のすりおろしと、そして隠し味に、赤の果実酒と、タウ油と、砂糖と、それにギギの葉まで加えている。具材のほうも、アリア、ネェノン、チャッチの他に、マ・プラやチャンやマッシュルームモドキまで使って、宴料理に相応しい体裁を整えていた。


 また、ギバの肉も3種である。ごろりと角切りにした肩肉に、薄切りにしたバラ肉に、あとはモモの挽き肉だ。俺の好みはバラ肉であるが、入念に煮込んだ肩肉も捨て難かったし、まんべんなくルーに行きわたる挽き肉は森辺の民の好みに合致している。それらのすべてを楽しんでいただこうという算段であった。


 これらのすべてを、ヴィナ=ルウはひとりでこしらえてみせたのだ。

 宴料理というものは、全員で同じ喜びを分かち合わなければ意味がない。その習わしに背かぬため、32名分のカレーをひとりでこしらえることになったのだった。


 しかも本日は、以前のような小盛りではない。多彩なおかずはウル・レイ=リリンたちにおまかせして、こちらはカレーの一点突破であったのだ。そして、シュミラル以外の同胞に物足りないと思われないように、トッピングとしてのカツとハンバーグを準備した次第である。


 ひとりで32名分のカレーを作るというのは、大変な作業であったことだろう。

 だけどこれは、ヴィナ=ルウの望んだ結果であった。

 これまでのカレー作りでは、多かれ少なかれ、余人の手を借りていた。だけど今日ぐらいは、自分ひとりでカレーを作ってみたい――シャスカを上手に炊きあげることはできないので、せめてカレーだけは自分にまかせてくれないかと、ヴィナ=ルウのほうから願ってきたのである。


 シュミラルはカレーとシャスカを大事そうにすくいあげて、それを口に運んだ。

 そうして、ひと噛みした瞬間――ハッとしたように目を見開く。


「このカレー……味、違います」


「はい。ここ最近でまた微調整したので、それをヴィナ=ルウに教えたんです。……それも、つい昨日の話なのですけれどね」


 差し出口をきくつもりはなかったのだが、ヴィナ=ルウが黙っているので、俺が説明する他なかった。


「ヴィナ=ルウに手ほどきをしたその翌日に、こんなお祝いがあるなんて、森の導きとしか思えません。……お味は、どうですか?」


「美味です」と、シュミラルはまぶたを閉ざした。


「これまで食べた、どの料理よりも、美味です。……アスタ、ヴィナ=ルウ、ありがとうございます」


「はい。シャスカの分だけ、そのお言葉はいただいておきます」


 それを合図に、他の人々も食事を開始した。

 その中で、ルド=ルウが「へえ」と真っ先に声をあげる。


「確かになんか、味が変わったみてーだな。どこがどうとは言えねーけどさ」


「うん。俺でも説明に困るぐらいの、微調整だからね」


 それでも俺は、シャスカ用のカレーはこれでひとまず完成したと自負していた。

 カレーというのは奥深い料理であるので、今後もさまざまな変化を見せることに疑いはない。しかし、その土台となるカレーは、この味であるのだ。


「私、ヴィナ=ルウのカレー、食べる、4度目です。リリンの家、家人になること、決まったとき……雨季、手傷、負ったとき……この前、収穫祭……すべて、大事、思い出です」


 シュミラルが、とても静かな声でそう言った。


「そして、4度目、今日です。私、今日という日、決して忘れません」


 ヴィナ=ルウは、「うん……」とうなずくばかりであった。

 盆からわずかに覗くその顔は、赤くなったりはしていない。ただ、淡い色合いをしたその瞳には、わずかに光るものがあった。


「しかしな、シュミラルがなかなかギバを仕留められなかったのは、たぶんギラン=リリンのせいだと思うぞ!」


 と、ラウ=レイがいきなり大きな声で割り込んだ。

 カレーの上にカツをのせようとしていたギラン=リリンは、きょとんとした顔でラウ=レイを振り返る。


「ふむ。俺はそれほど至らない狩人であるのだろうかな?」


「違う! その逆だ! お前はこの数ヶ月間、ずっとシュミラルに付き添っていたという話ではないか! だから、シュミラルがギバを仕留める機会が巡ってこなかったのだ!」


 ルド=ルウが「ああ」と声をあげる。


「要するに、ギラン=リリンがそばにいたら、片っ端から先に仕留められちまうって話か」


「ああ、そうだ! 俺もな、最初の1年はずっと親父と一緒に森を巡っていたのだが、あいつは遠慮も手加減もないから、まったく俺が仕留める機会が回ってこなかったのだ! ギラン=リリンも、俺の親父と同じようなやり口で、シュミラルに手ほどきをしていたのではないか?」


「そうだな。俺は常に、全力で取り組んでいた。ギバ狩りの仕事で手を抜かないのは当然の話だが、シュミラルに先を越されないようにずっと気を張っていた、といってもいいぐらいだろう。……それこそが、俺の役割だと思っていたからな」


 にこやかに微笑みつつ、ギラン=リリンはそのように述べていた。


「シュミラルは、2頭の猟犬を巧みに使う。きっと俺が手出しをしていなければ、最初のひと月であっさりギバを仕留めていたことだろう。それでは狩人としての心が育つまいと考えたのだ」


「俺の親父も、同じように言っていた。だからといって、勇者としての力を持つ狩人に本気になられたら、見習いのこっちはたまったものではないぞ」


「そんな試練を課せられたからこそ、お前もそれほどの力を得ることができたのだろう。……それは、シュミラルも同じことだ」


 そう言って、ギラン=リリンはシュミラルに向きなおった。


「お前は全力の俺に先んじて、ギバを仕留めることができたのだ。まさかこれだけの期間で、お前に先んじられるとは思わなかった。……お前は誰に恥じることもなく、森辺の狩人を名乗るがいい」


「……ありがとうございます、ギラン=リリン」


 カレーの皿を手にしたまま、シュミラルは深く頭を垂れた。

 それを見届けて、ヴィナ=ルウがすうっと後ずさる。


「それじゃあ、わたしは仕事があるから……これで失礼させてもらうわぁ……」


「はい。仕事の後、話、できますか?」


「……たぶんねぇ……」とつぶやきながら、ヴィナ=ルウは身をひるがえす。俺とアイ=ファも、それを追いかけることになった。

 歩きながら、ヴィナ=ルウはまだ盆を顔の前に掲げている。その陰で、ヴィナ=ルウはそっと目もとをぬぐっていた。


(ヴィナ=ルウも、ぞんぶんに心をかき乱されてるんだろうな)


 シュミラルと語らうのは、もうちょっと時間を置いてからのほうが望ましいのだろう。実のところ、俺だってまだまったく情緒は安定していなかったのだった。


「戻ったよ。料理の残りは、どんな感じかな?」


「あ、もう戻られたのですか? まだ最初の鉄鍋が空いたところですよ」


 シャスカは鉄鍋で3杯分も準備していた。本日はこれだけで、胃袋の半分ぐらいを満たしてもらおうという目論見であったのだ。


「それじゃあ今度は、俺たちが盛りつけを担当するからね。まだ食べていない人たちに届けてあげておくれよ」


「それじゃあ、あちらでかまどの仕事をしている女衆に届けてきますね」


 それは、ウル・レイ=リリンをリーダーとするかまど番たちのことであった。確かにあちらも自分たちの仕事に奔走しており、料理を楽しむいとまもないことだろう。


「その帰りがけに、あちらの料理もいただいてきますね。それでは、いって参ります」


 ルティムの女衆がアクティブであるために、ヤミル=レイのほうがそれに引きずられる格好になっている。だけどまあ、ヤミル=レイにとってはそのほうがやりやすい面もあるのだろう。俺はヴィナ=ルウやアイ=ファとともに、その場に陣取ることにした。


 が、思ったほどに人はやってこない。この場の半数を占める男衆は敷物に腰を落ち着けており、女衆はそれぞれの仕事に取り組んでいるために、そもそも歩き回っている人間がごく少ないのだ。俺たちの主たる仕事は、カレーが焦げつかないように攪拌することであるようだった。


「このふたつ目の鍋が空いたら、俺たちも自分の食事をいただこうか。……アイ=ファも、おなかが空いただろう?」


 ヴィナ=ルウに声をかけるのははばかられたので、俺はアイ=ファに語りかける。アイ=ファは厳粛なる面持ちで「うむ」とうなずいた。内心では、『ハンバーグ・カレーシャスカ』を食したくてうずうずしているのかもしれない。


 そこに、複数の人影がやってきた。

 ギラン=リリンの弟と、3名の子供たちである。本家の長兄たる男の子を除いた3名だ。


「客人にこのような仕事を押しつけてしまって、申し訳ないことだな。手が空いたのなら、そちらも腹を満たしてくれ」


「はい、ありがとうございます。こちらの料理は、もう口にされましたか?」


「うむ。たいそう美味だった。リリンの家では、まだ満足にかれーを作れる人間がいないのでな」


 ギラン=リリンよりも大柄で、恰幅のいい男衆である。ただ、灰色がかった髪と明るい眼差しは、ギラン=リリンとよく似ていた。

 10歳ぐらいの男女は静かな面持ちでたたずんでおり、6,7歳ぐらいの男の子は男衆の足に取りすがっている。その目はいずれも、俺の姿をじっと見つめているようだった。


「これまでの祝宴では、あまり顔をあわせる機会もなかったな。それに、ギランのやつは復活祭などでもアスタたちのもとにおもむいていたと思うが、奔放な家長に代わって、俺は家を守らなければならなかったのだ」


「はい。あなたはギラン=リリンの弟さんなのですよね?」


「ああ。こいつとこいつは、俺の子だ。まあ、そのように分けて考える意味はないがな」


 男衆が指し示したのは、足もとに取りすがっている幼子と、あとは女の子のほうだった。

 では、もうひとりの男の子は物心もつかないうちに両親を失った子である、ということだ。彼らはいずれも、リリンがルウの血族になる前に生まれた子供たちであるはずだった。


「こいつらにも、かれーを食わせてもらえるか? ずっとあちらの手伝いをしていて、まだかれーを口にしていないようなのだ」


「承知しました。まだまだたくさんありますので、思うぞんぶん食べてください」


 俺がシャスカの盛りつけを、ヴィナ=ルウがカレーを担当する。アイ=ファはカツとハンバーグののせられた大皿の前で、凛然と立ちはだかっていた。


「好きなほうを、かれーにのせるがいい。そしてそれを食したら、こちらの野菜も食するのだ」


「あ、はい」と応じつつ、年長の男の子がハンバーグを取り上げる。残りの2名は、カツのほうを選んでいた。

 なんとなく、年長の男女は年齢以上に大人びているように見えた。6年前には5歳未満であったのだから、どう計算しても10歳以上ではないはずであるのだが、妙に沈着な眼差しをしているのだ。もしかしたら、苦しい幼年時代を送ったことで、余所の家よりも精神年齢が成長しているのかもしれなかった。


 そんな子供たちが、カレーを口にするなり、目を輝かせる。

 男の子が「美味しいね」と笑いかけると、女の子は「うん」とうなずいた。年少の子は、夢中になってカレーをかきこんでいる。その姿を見ると、俺はまたむやみに胸が詰まってしまった。


「あの、こんなことをお尋ねするのはぶしつけなのですが……あなたは早くに伴侶を亡くされているのですよね?」


 子供たちには聞こえないように、俺はそっと声をかけた。

 男衆は、「うむ」と微笑む。


「ギランがウル・レイを娶る頃には、もう魂を返してしまっていたな。それがどうかしたか?」


「いえ。ただ俺も、7歳の頃に母親を亡くしていたもので……男手ひとつで子供たちを育てるのは大変だったでしょう?」


「リリンの家には、ふたりも女衆がいたからな。べつだん、大変だったという思いはない」


 笑いながら、彼は女の子の頭に手を置いた。

 きょとんとした顔で父親の姿を振り仰いでから、女の子はにこりと笑う。大人びているのに、屈託のない笑顔であった。


「ギランが突拍子もないことを言い出してくれたおかげで、俺たちは氏を失わずに済んだ。若い婿も入ったことだし、俺も憂いなく魂を返す覚悟を固めることができたのだが……今度はシュミラルのもたらした猟犬のおかげで、いっそう長く生きられる見込みが出てきた。人の生というのは、わからんものだな」


「ええ……本当にそうですね」


「そして、アスタが宿場町で商売をしていなければ、シュミラルがリリンの家人となることもなかった。そう考えれば、アスタも俺たちの恩人であるのだろう」


「とんでもありません。すべては、森と西方神の思し召しです」


 そんな風に答えてから、俺は織布で顔を覆った。真っ暗になった世界の中で、「どうしたのだ?」という声が響く。


「何でもありません。今日はちょっと、気持ちが乱れ気味なもので」


 きっとアイ=ファは、隣で溜め息をついていることだろう。

 リリンの家を訪れて以来、俺は気持ちを乱されっぱなしであった。


 こんなに魅力的な人々と、シュミラルは数ヶ月を過ごしていたのだ。

 さまざまな不安や苦悩を抱きながらも、それは幸福な日々であったに違いない――と、俺はそのように信じることができた。

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