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異世界料理道  作者: EDA
第三章 ルティムの祝宴
71/1675

③招かれざる客

2014.9/18 更新分 1/3

2015.2/22 一部、文章を修正(ミダ=スンの体型について)

「レ、レイナ=ルウ? いったい、どうしたんだい?」


 宴装束のレイナ=ルウが、俺の上に覆いかぶさっている。

 俺の胸に、すがりつくようにして。

 ひどく思いつめた目で、俺の顔を見つめやっている。


「アスタ……」と、その小さいが肉感的な唇が、少し咽喉にからんだ声を搾り出す。


「アスタに、お願いがあるのです……」


「お、お願い?」


「ルウの家人に、なってください」


 とても真剣な光を浮かべた青い瞳が、至近距離から俺を見つめてくる。


「ファの家を出て、ルウの家人に……わたしたちの、家族になってください」


「い、いきなり何を言ってるんだよ? ドンダ=ルウやジザ=ルウがそんなことを許すはずがないだろ?」


「父は、わたしが説得します。ジザ兄も――話せば、わかってもらえるはずです」


 俺にはとうてい、そんな風に思えない。

 というか。

 俺自身が、そのような話を望んでいない。


「……どうして突然そんなことを言うんだ? 俺にはさっぱり君の考えがわからないよ、レイナ=ルウ」


「わたしは、アスタとともにありたいのです! アスタを眷族として迎えたいのです! 力を失った氏族が、他の家に入ることは珍しいことではありません。森辺の民は、そうやって身を寄せ合いながら生きているのです」


 そしてレイナ=ルウは、俺のTシャツの胸もとをぎゅっと握りしめてきた。


「きっと父は、アスタの力をすでに認めています。家長の決定であれば、ジザ兄だってそれに逆らうことはできません。その後は、わたしが時間をかけて説得してみせます!」


「……そうしたら、アイ=ファはまたひとりぼっちになってしまうじゃないか? そんなのは別にかまわないって言うつもりなのかい?」


 俺は、どんな表情をしていただろう。

 レイナ=ルウは、苦しそうに眉をひそめている。


「アイ=ファにも、わたしの気持ちは伝えました。ダルム兄じゃなくてもいい。分家にだって、未婚の男衆はたくさんいます。刀を置いて、嫁入りの気持ちを固めてくれれば……もともとは父ドンダだって、本家に嫁入りをすすめるぐらい、アイ=ファの人柄には魅力を感じていたはずなのです。ファのように眷族の絶えてしまった家の人間にそのような話をすすめるなんて、本来は考えられないことなのですから……」


「だけどアイ=ファには、断られたんだろう?」


 この宴のさなかに、アイ=ファとそんな話までしていたのか。

 戸板が閉められてしまったために、宴のざわめきも遠い。


 そして。

 俺の胸は、悲しみにも似た感情にふさがれてしまっていた。


「……それでもわたしは、アスタとともにありたいのです」


 レイナ=ルウが、俺の胸に顔をうずめてくる。


「アイ=ファは強い人です。怖いぐらいに強い人です。わたしにはアイ=ファの心を動かすことはできませんでした。でも……アイ=ファはきっと、ひとりでも生きていけます。それぐらい、あの人は強い人なんです」


「それは、そうかもしれないな」


 実際にアイ=ファは、この2年間をひとりで生き抜いてきたのだ。

 俺のような存在に出くわさなければ、きっとこの先もひとりで生き抜いていったのだろう。


 でも――

 俺たちは、出会ってしまったのだ。


「アイ=ファは、狩人です。子をなすのではなく、ギバを狩りながら、やがて森に朽ちる道を選んだのです。でも、それだったら――男衆のアスタを家人に迎える意味もないではないですか? ファの血は、アイ=ファで絶えてしまうのです。それなら、アスタは、ルウの人間として――」


「レイナ=ルウ」と、俺はそのなめらかな肩をつかみとった。


「君の気持ちは、わかった。そこまで俺なんかの行く末を案じてくれて、ありがとう。……でも、駄目なんだ」


 レイナ=ルウが、ハッとしたように面を上げる。

 その青い瞳にみるみる大粒の涙が盛り上がっていくのを見つめながら、俺は言った。


「ドンダ=ルウもアイ=ファも関係ない。俺自身がそうしたくないから、そんなことはできないんだ。俺は、ファの家を出る気はない」


「どうして……ですか? 頑なであった分家の男衆も、今ではあなたの力を認めています。ジザ兄さえ時間をかけて説得できれば、ルウの眷族は全員あなたを……」


「俺だって、ここの人たちはみんな大好きだよ。だけど、それでも、俺はファの家の人間なんだ」


 可能な限りやんわりとレイナ=ルウの身体を押し返しながら、俺は地面の上に半身を起こした。


 俺の膝の上あたりにぺたりとしゃがみこむ格好になったレイナ=ルウが、ついにぽろぽろとその頬に涙をこぼし始める。


「ごめん。……仕事が残ってるから」


 レイナ=ルウは、泣きながら立ち上がった。

 そして。

 涙に濡れたその瞳に、とても強い光をたたえつつ、最後に俺を見つめやった。


「……わたしは、あきらめません」


 そんな言葉を最後に、戸板の外へと駆け出していく。


 大きく開け放たれた戸板から、また宴の熱っぽいざわめきがゆるゆると流れこんでくる。


 俺は、泥のように重くなってしまった身体を、地面から引き起こした。


(レイナ=ルウには――それが正しい道なのか)


 俺みたいに得体の知れない人間を家人として迎えて、ともに暮らしていくことが。


 もしも俺が、アイ=ファではなくレイナ=ルウに拾われた存在であったとしたら――それはどれほど幸福で嬉しいことであっただろう。


 だけど。

 それでも。

 俺が出会ったのは、アイ=ファであったのだ。


 アイ=ファと離れて暮らす未来など、今の俺には想像することすらできない。


 俺は、自分のこめかみを2、3度殴りつけてから、貯肉室へと足を向けた。


 しかし。

 再び、その足を止められてしまった。

 戸板の向こうから、絹を裂くような女性の悲鳴が聞こえてきたのだ。


 レイナ=ルウか?

 いや、複数の女衆の声だ、これは。

 何かアクシデントでもあったのだろうか?


 もしかして――スペアリブやハンバーグという異形の料理が続いてしまい、ついに男衆の誰かが怒髪天を衝いてしまったのだろうか?


 そんな風に思考を巡らせるのももどかしく、俺は食糧庫を飛び出した。


 家の脇を駆け抜けて、やぐらの脇を駆け抜けて、大広場に踏み込む。

 広場は、おかしな具合にざわめていた。

 さきほどまでの楽しげなざわめきが嘘であったかのように――負の激情で煮えたってしまっていた。


 視線は全員、やぐらとは反対の方向に向けられている。

 そちらは、広場の出口の方向だ。


 レイとかそのあたりの主だった氏族が、怒り狂って広場を出ていってしまったのだろうか?


 俺は立ち並んだ人々にできるだけぶつからないように気をつけながら、広場の中央、儀式の火のかたわらに躍り出た。


 すると――信じ難い情景が、そこには広がっていた。


(何だよ、こりゃ……?)


 咄嗟には、その情景が理解できなかった。

 何がどうしてどうなったら、このような情景が完成されるのか。それが俺には想像もつかなかったのだ。


 一番出口に近かったかまどが、崩落している。

 その上に乗せられていたのであろうハンバーグや野菜炒めが、地面に四散してしまっている。


 そして――

 その崩落したかまどに頭を突っ込む格好で、1頭の巨大なギバが、死んでいた。


 巨大である。100キロ近くはあるだろう。

 しかし、相当に年老いたギバなのだろうか。毛づやが悪くて、角が1本折れてしまっている。


 そして、その図太い胴体に刺されているのは――グリギで作った、何本もの木槍。


 その黒褐色の毛皮は大量の血で汚されており、においが物凄い。


 そして、かまどの火がまだ完全には消えきっておらず、ギバの頭の毛皮をブスブスと焦がしている。


 野生のギバの獣臭さと、血の匂いと、毛皮の焦げる匂い――それがまるで、祝福の夜を汚す悪意そのものであるかのように、広場を満たし始めていた。


 ギバが、かまどに突っ込んできて、それを男衆が仕留めたのか?

 いやしかし、凶暴だが臆病でもあるギバは、よほど至近距離で出くわさない限り、人影を見れば逃げる習性を有していると聞いている。


 そんなギバが、100名以上もの人間が集う大広場に、しかも明々と燃えるかまどに自ら突っ込むなどとは、考えにくい。


 そして――ほとんど自失してしまいながらも、俺はそんな自分の考えが正しかったことを知ることができた。


 ギバの死骸のその下には、平たい板が敷かれていたのだ。

 その板には、蔓草の引き手が縛りつけられていた。

 鉄鍋や水瓶などを運ぶときに使われる引き板だ、これは。


 ギバは、この場で死んだのではない。

 死骸としてこの場に持ちこまれて、かまどに、叩きつけられたのだ。


 何者かの、悪意によって――


「何だ何だぁ? めでたい宴だってのに、すっかり静まりかえっちまったなあ?」


 悪意ある、男の声。

 少しだけ上ずった、若い男の声。

 ほんの少しだけ聞き覚えのある――野太いのに、ちょっと舌足らずで間延びした声。


 俺はゆっくりと、視線を持ち上げた。


 ブスブスとくすぶる黒い煙の向こうに――3人の男たちが立ちはだかっていた。


 ひとりは、大柄な若い男。

 黒褐色の髪を短く刈りこんで、青い目をした、大柄であるということ以外には特徴らしい特徴もない、若い男。


 もうひとりは、それよりも一回りは小柄な、やはり若い男。

 背は小さいが全身にみっしりと筋肉がついており、顔は四角く、狛犬のような面がまえをしている。ざんばらの髪と、野犬のように光る目は、隣りの男と同じ色合いをしている。


 そして、最後のひとりは――ドンダ=ルウやダン=ルティムよりも巨大な身体を有した、肉風船のような男だった。


 身長は2メートル近くもあり、顔も腕も腹も足もぱんぱんに膨れあがっていて、歩くよりも転がったほうが速いんじゃないかというぐらいの体型だ。


 その額は大きく後退しており、耳もとにだけ黒っぽいもしゃもしゃの髪が渦巻いている。

 そのせいで、ひどく年をくっているようにも見えるが――ぱんぱんに膨らんだ顔は妙に幼げで、俺にはそれが薄気味悪くてしかたがなかった。


 その、最後の肉風船は確実に初見であったが、残りのふたりは、俺の記憶にある男たちだった。


 もうひと月近くも前に1度だけ見たきりの、スン本家の跡取り息子、ディガ=スン。


 そして、7日ばかり前に悪縁を結んでしまった、スン本家の次兄、ドッド=スン。


 間違いなく、そいつらは、この森辺の民を統べる族長筋スン家の男衆たちだった。


「……家長はどうした? ルティムのダンとルウのドンダはどこに隠れちまったんだよ? スン本家の俺たちがわざわざ祝いに出向いてきてやったのに、家長の挨拶もねえのかぁ、ええ?」


 ディガ=スンの上ずった声が、異臭漂う大広場にこだまする。

 おそらく――こいつらは、酩酊している。

 少なくとも、俺の知る長兄と次兄の手には、果実酒の土瓶が下げられていた。


「祝いの品が、お気に召さなかったのかぁ? こんだけ大きなギバだったら文句はねえだろぉ? 角と牙もきっちり3本ひっついてるしよぉ。スン本家の長兄ディガ=スン、次兄ドッド=スン、末弟ミダ=スンからの祝福だぁ。ありがたく受け取れや、ルティムの眷族ども!」


 末弟――末弟と言ったか、今?

 それではこの肉風船が、一番年少なのか。

 一番年長のディガ=スンですら、まだ20を越えているようには見えないのに――


 いや。

 今はそのようなことは、どうでもいい。


 俺は拳を握りしめながら、そっと周囲の人々の様子をうかがってみた。


 女衆は、怯えている。

 男衆は――猛り狂っている。


 何かちょっとでもきっかけがあれば、その腰の刀を抜きかねないぐらい――すべての男衆が、狩人の眼光、狩人の形相に成り果ててしまっていた。


 当たり前だ。

 眷族の宴を、穢されたのだ。

 ただ族長筋であるというだけで、宴の場にこのような形で乱入してきた下衆どもを、誇り高き狩人たちに許せるはずがない。


 しかし、誰もが動かない。

 音がしそうなほどに歯を噛みしめて、血がにじみそうなぐらい拳を握りしめながら、男衆の全員が静かに猛り狂っていた。


 族長筋のスン家と刃を交えれば、森辺を二分する大きな争いとなり、すべての民が滅んでしまうかもしれない――とは聞いている。


 だから、動けないのか?


 ドンダ=ルウもダン=ルティムも、この広場のどこかで静かに猛り狂っているのだろうか?


 だけど、俺は――とうてい黙っていることなどはできなかった。

 そして。

 ルウでもルティムでもない自分だからこそ立ち回れる役があるのではないかと、強く思った。


 俺は、ギバを迂回して、黒煙ごしにではなく、男たちと相対する。


 とたんに――3人中の2人の目が、ギラリと燃えあがった。

 しかし。

 そいつらの眼光は、澱んでいた。


「いったい何なのですか、あなたたちは!?」


 俺は、怒号を叩きつけた。

 男たちの目が、いっそう凶悪に燃えあがる。


「これ以上の客人が増えるなどという話は聞いていませんよ! ルウを親とするルティムの眷族100余名、俺が承った料理の数はそれだけです! こんな飛び入りの客を迎え入れるなどという話は聞いていません!」


「余所者め……ファの家に居座った異国人め!」


 ディガ=スンが、1歩だけ前に進んできた。

 その腰には当然刀が下げられていたが、まだ飛びかかられても届く距離ではない――たぶん。


「こんな余所者を宴に招いて、スンの家には声もかけぬとはどういう道理だ!? もともとミンといえば、80年の昔にはスンの眷族であった家――こんな余所者を招いておきながら、スン家に祝う資格なしとは言わせぬぞ! ルウども! ルティムども!」


「そんな話は、ルウやルティムの家長としてください! 俺はルティムの家から代価をいただき、この宴のかまどを預かったんです! 誰であろうと、俺の仕事の邪魔はさせません!」


 ダン=ルティムらに、主導権を引き渡すのだ。

 道を踏み外した下衆どもに、まっとうな正論を叩きつけることで、こちらに有利な状況を作り上げるのだ。


 そんな計算を頭の片隅でしながらも――だけど俺は、自分の本音をぶちまけているだけでもあった。


 腹の底からわきあがってくる怒りを、そのまま咽喉から言葉としてほとばしらせているだけだった。


 俺は、気の毒なギバの死骸に指先を突きつける。


「今すぐにこのギバの骸を片付けてください! 話はそれからです! あなたたちは、ギバの亡骸を眺めながらギバの肉を喰らうんですか? ギバの血の匂いを嗅ぎながらギバの鍋をすするんですか? 俺のまかされた宴で、そんな作法は認められません! 今すぐこのギバを広場の外に片付けてください!」


「小僧、貴様――!」


「それでルティムの家長らが許すなら、あなたたちにも料理をふるまいましょう! だけど、あなたがたが台無しにしたこの料理は、もう今夜のうちには作りなおせません! 俺の仕事をこれ以上乱すつもりなら、代価はスン家に請求することになりますよ!」


 ディガ=スンは、わなわなと震えるばかりだった。

 その背後で――ドッド=スンが、刀を抜いた。

 女衆が、悲鳴を交錯させる。


「宴の場で刀を抜くのか、この痴れ者がッ!」


 鋼のような声が、女衆の悲鳴を寸断した。


 スン家のぼんくら息子どもより、そして俺なんかよりも数段迫力のある、誇りと、怒りに満ちた声が――


 アイ=ファの声が、響きわたった。


「私と家人アスタはルティム家の長兄ガズラン=ルティムとの取り引きで、この宴に身を置いている! それを余人にとやかく言われる筋合いはない! 貴様らの処遇など、ルティムの家長にまかせる他ないが――ファの家の人間に刃を向けるならば、容赦はせんぞ!」


 そうして、俺とは反対の側から足を進めてきたアイ=ファは。

 美しい、宴衣装にその身を包んでいた。

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