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異世界料理道  作者: EDA
第四十二章 愛の月
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ダレイムの食事会

2018.3/4 更新分 1/1

・今回の更新は全8話です。

 とても賑やかであった黒の月が終わりを迎えて、新たな月がやってきた。

 新たな月は、藍の月である。どの月であっても賑やかなことに変わりはないのだが、昨年の藍の月を思い起こしてみると――やはり、なんと賑やかな月であったのだろうと思うことしきりであった。


 まず真っ先に思い出すのは、ヴァルカスとの出会いである。

 厳密には、ヴァルカスと出会ったのは黒の月の27日であった。日付けまできちんと覚えているのは、それがダン=ルティムの生誕の日の翌日であったためだ。よって、正確な言葉で言い表すならば、俺とヴァルカスが初めて同じ日に厨を預かったのが藍の月である、ということだった。


 それは、ジェノスとの通商を開始したバナームの人々を歓待する晩餐会であった。ギバ肉が美味であるという事実を同胞に知らしめたいというウェルハイドの要望を受けて、俺がかまどを預かることになったのだ。

 その仕事を無事にやりとげたのち、俺はヴァルカスと絆を結ぶことになった。俺たちはおたがいを研磨し合うために出会ったに違いないと、そんなありがたい言葉をヴァルカスからいただく段に至ったのだった。


 そうしてその翌日には初めてダレイムの地を訪れて、ドーラ家の畑を見学させてもらい、さらにその数日後には、隣町のダバッグにまで向かうことになったのだ。

 それらもまた、俺にとっては忘れ難い思い出であった。ドーラの親父さんやザッシュマの家族たちとも初めて顔をあわせることになり、キミュスやカロンがどのような姿をしているのかを知ることができた。また、ダバッグへの旅は泊まりがけであったため、俺たちは初めてジェノスの外で一夜を明かすことになったのだった。


 で、ダバッグの旅行に出向いていたということは、アリシュナに出会ったのもちょうどその頃ということだ。

 これもまたヴァルカスと同様に、初めて顔をあわせたのは黒の月の終わり頃であったのかもしれない。その後に屋台で再会して、旅のお守りを受け取ったのが藍の月である、ということだ。


 アリシュナも、俺にとっては大事な存在であった。ヴァルカスほど明確な理由はないのだが、出会った当初から妙に印象的な相手であったのだ。

 それにアリシュナは、俺のことを初めてはっきりと《星無き民》であると告げた人物でもあった。《ギャムレイの一座》のライラノスもそうであったが、凄腕の占星師にとって、それは一目瞭然の事実であるらしい。だからきっと、アリシュナにとっても俺の存在は最初から特殊なものであったのだろう。


 しかしアリシュナは、決して学術的な興味だけで近づいてきたわけではない。彼女はきちんと、俺という個人に対して善意や好意を抱いてくれているのだ。東の民たるアリシュナがどれだけ感情を隠そうとも、俺がその一点を疑うことはなかった。


 そうしてダバッグから帰った後には、屋台で青空食堂をオープンすることになった。

 これもまた、俺たちにとっては大きな転機である。食堂を設置していなければ、こうまで大々的に商売の手を広げることも難しかったことだろう。皿や匙などの食器をもちいることによって、俺たちは一気に料理のバリエーションを広げることがかなったのだった。


 さらにさらに、サウティの血族が『森の主』なる巨大ギバの災厄に見舞われたのも、この頃のはずだった。青空食堂をオープンしたその日にサウティ家から悲報が届けられたので、これもまた強烈な記憶として残されているのだ。


 あのときは、狩人とかまど番の精鋭が、数日ばかりもサウティの集落に居座ることになった。そうして最後には森の主を退治することがかなったが、その代償として、アイ=ファやドンダ=ルウやダルム=ルウたちが深手を負うことになってしまったのだ。


 アイ=ファはなどは肋骨をひどく痛めてしまったため、それは不自由な生活を余儀なくされていた。翌月の紫の月はまるまる狩人としての仕事を休むことになったぐらい、それは重い手傷であったのだ。

 ただ、そのおかげで、俺は復活祭の期間をずっとアイ=ファのそばで過ごすことができたのである。アイ=ファが怪我をしてしまったのだから、あまり大きな声では言えないところであるが――それは俺にとって、蜜月のように幸福な日々であった。


 とまあ、そんな具合に、去年の藍の月というのは、イベントもアクシデントも盛りだくさんであったのだった。

 本年は、いったいどのような月になるのか。予期せぬイベントは大歓迎であるが、誰かが痛い目を見るようなアクシデントは起きませんようにと、俺は母なる森と父なる西方神に祈りながら、この地で2度目の藍の月に臨むことになったわけである。


                       ◇


 そうしてやってきた、藍の月の1日。

 その日は予期せぬイベントではなく、前月から予定されていたイベントが無事に開かれることになった。ダレイムのドーラ家にて開催された、親睦の会である。


 今回はあくまでルウ家の主催であったが、俺とアイ=ファにも声をかけてもらうことができた。それを猛烈にプッシュしてくれたのは、言うまでもなくリミ=ルウである。この集まりにはジバ婆さんが参加することが決定されていたし、ドーラ家にはターラが住まっている。前回の集まりでもその4名が同じ寝所で眠ることになったので、リミ=ルウとしてはその楽しさが忘れられなかったのだろう。


 ということで、俺たちは屋台の商売を終えた後、森辺からやってきた別動隊と合流して、ドーラ家を訪れていた。

 アイ=ファだけは狩人の仕事があるので途中参加であるが、ルウ家の人々は勢ぞろいしている。女性陣は、ジバ婆さん、レイナ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウ、シーラ=ルウ。男性陣は、ジザ=ルウ、ダルム=ルウ、ルド=ルウ、シン=ルウ、ダン=ルティム、という顔ぶれである。ただひとり、ルティム家の先代家長が加わっているのは、ラウ=レイの逗留騒ぎや宿場町の交流会に参加し損ねたことで、もともと旺盛であった好奇心が決壊したゆえであるようだった。


「家でゼディアスの顔を見ているだけで、十分に幸福であるのだがな! しかし、気づけば休息の期間も終わりが目の前だ! ひとたびぐらいは森辺の外に出ておくべきであろうと思い、名乗りをあげることになったわけだな!」


 本人は、ガハハと笑いながら、そのように述べたてていた。

 まあ、宿場町の交流会には若い人間が参加するべきという話があがっていたが、このたびの集まりでは年齢にこだわる必要もないだろう。むしろ、ドーラ家で待ち受けているのは半数が年配の人々であるのだから、こちらも若者づくしでないほうが釣り合いも取れそうなところであった。


 とりあえず今回も、かまど番はローテーションを組んで調理を受け持つことにした。まずは、俺とレイナ=ルウとララ=ルウが当番となり、ドーラ家のご婦人がたに料理の手ほどきをしつつ作業を仕上げていくのだ。

 いっぽう男衆は、2名が護衛役として家の外を見回る。最初にその役を担うのがジザ=ルウとルド=ルウであり、残りのメンバーはドーラ家の人々と談笑を楽しむ。――とはいえ、親父さんや息子さんたちはまだ畑の仕事のさなかであるので、広間に居残るのはターラとその祖母と大叔父の3名のみであった。


「うちの年寄りたちは相変わらず難しい顔をしてたけどね。でも、なんだかんだ言って、最長老さんがやってくることを楽しみにしてたみたいなんだよ」


 厨にて、こっそりそのように打ち明けてくれたのは、ターラの母君であった。ターラの兄の奥方も、「そうですね」と微笑んでいる。


「昨日の夜は、ふたりそろってそわそわしている様子でした。口に出しては、やれ面倒だ、やれ迷惑だ、と文句ばかりなのですけれど……きっと、最長老さんのお人柄にひかれるものを感じているのでしょう」


「そうですか。ジバ婆も今日のことはとても楽しみにしていたので、ありがたく思います」


 料理の準備を進めながら、レイナ=ルウが笑顔で応じる。


「夜には、ミシルもいらっしゃるのですよね? ジバ婆は、ミシルに会えることも楽しみにしているようでした」


「ああ、ミシルの婆さんも相変わらずみたいだねえ。笑顔のひとつも見せやしないだろうけど、きっと内心ではほくそ笑んでるだろうさ」


 こちらとて、数ヶ月ぶりの対面であるのだが、コミュニケーションに支障はない様子であった。どちらの奥方も、実に朗らかな様子で俺たちを受け入れてくれている。


「王都のお人らとも、ひとまずは円満なんだろう? これからは、もっとちょいちょい遊びに来ておくれよ」


 母君がそのように述べたてると、レイナ=ルウの笑顔が少しだけ曖昧なものになった。ドーラ家の人々もフェルメスがダレイムを視察した際に顔をあわせているのだが、個人的に言葉を交わしたわけではないので、森辺の民が有する不審の念を共有することが難しいのである。


 しかしまた、俺たちもフェルメスのことを悪人ではないかと疑っているわけではない。ただ、あまりに理解し難い部分が多いので、判断を保留している状態にあるのだ。

 そんな状態で、フェルメスに対する不信感を表に出すべきではない、と判断したのだろう。レイナ=ルウはわずかに口ごもった末に、「そうですね」と微笑んだ。


「ただ、休息の期間でないと、なかなか男衆をともに連れることが難しいので……折を見て、またお声をかけさせてもらえればと思います」


「ふうん? 宿場町で商売をするときも、護衛役なんてのは引き連れてないんだろう? ダレイムなんて、宿場町よりよっぽどのどかなんだから、何も心配はいらないと思うけどねえ」


「はい……ですが、ダレイムというのはあまり訪れる機会がありませんし、森辺の集落からも離れているので、色々と心配がつのるのだろうと思います」


「そーそー。それに最近では、森辺に無法者がやってくるなんていう、とんでもないことも起きちゃったしさー。ドンダ父さんとしても、馴染みの薄い場所に女衆だけを送り出す気持ちにはなれないんじゃないかなー」


 人見知りという概念を持たないララ=ルウが、元気に姉の援護をする。母君は、「なるほどねえ」といくぶん眉尻を下げていた。


「そういえば、そのときもアスタが災難に見舞われたそうだね。亭主から話を聞いたときは、びっくりしちまったよ」


「はい、ご心配をおかけしました。みんなのおかげで、大事に至らずに済みました」


「どうしてアスタばっかり、そんなひどい目にあうのかねえ。……まあ、それだけアスタが大層な人間ってことなのかもしれないけどさ」


 気を取りなおしたように、母君が口もとをほころばせる。


「さて、それじゃあ仕事に取りかかろうかね。今日はどんな料理を作ってくれるんだい?」


「はい。今日は、ミソを使った料理にしようかと思います」


 ミソは宿場町でも売られているし、タウ油と同じ値段であるので、親父さんがちょくちょく買って帰っているという話であったのだ。「そいつはありがたいねえ」と、母君はますます嬉しそうな顔をしてくれた。


 本日はルウ家が主役であるので、献立のチョイスはレイナ=ルウたちに一任している。彼女たちが選んだのは、いずれもミソを使った肉野菜炒めと、煮込み料理と、そしてクリームシチューであった。


「へえ、くりーむしちゅーにミソを使うのかい? そいつは、思いも寄らなかったね!」


 クリームシチューそのものは、かつてドーラ家の人々にも作り方を手ほどきしたことがあったのだ。

 仰天した様子の母君に、レイナ=ルウが「はい」と笑顔を返す。


「実はこれは、昨日の夜、宿場町の《西風亭》で口にした料理に、自分なりの手を加えた料理であるのです」


「昨日の夜に初めて口にして、そいつをもう自分のものにしちまったのかい? それもすごい話だねえ」


「何だかとても心のひかれる料理であったので、朝からシーラ=ルウとふたりであれこれ手を加えることになってしまったのです。家の人間にも、ちょっと呆れられてしまいました」


 気恥ずかしそうに言いながら、レイナ=ルウは作製の手順をざっくりと公表してくれた。もともと《西風亭》で扱われていたのは簡易版のクリームシチューであったので、フワノ粉を乳脂で炒めたりはせず、生ポイタンでとろみをつけることになる。レイナ=ルウたちの考察によると、ミソを使うならば簡易版のほうが適しているようだ、とのことであった。


「今日はギバ肉を使わせていただきますけれど、キミュスの肉でも美味しく仕上げられると思います。よかったら、参考にしてみてください」


「うん、ありがとうねえ。うちでもたまにはギバ肉を買いつけるようになったんだけど、そいつは半月にいっぺんぐらいの贅沢ってことにしてるからさ」


 そんな風に楽しく言葉を交わしながら、俺たちは調理をスタートさせた。

 その間も、広間のほうからはひっきりなしに笑い声が聞こえてきている。過半数は寡黙な人々であったものの、リミ=ルウやターラやダン=ルティムがそれを補っているのだろう。みんなが楽しい時間を過ごせていれば、幸いであった。


「そういえば、今日はヴィナ=ルウ以外の7兄弟が勢ぞろいしてることになるんだね」


 俺が何気なく話題を振ると、隣でアリアを刻んでいたララ=ルウが顔を寄せてきた。


「ヴィナ姉も誘ったんだけど、気分じゃないって断られちゃったんだよね。宿場町での集まりが終わったばかりだから、ちょっと疲れちゃってるんじゃないのかな」


「ふうん? でも、ヴィナ=ルウが交流会に参加したのは、もう3日も前のことだよね?」


 しかも、最初の3日間に参加した面々は、日が暮れる前に帰宅しているのだ。昨日は夜まで宿場町に居残っていた俺とレイナ=ルウはピンピンしているのに、俺たちよりも体力のありそうなヴィナ=ルウが疲れを覚えるというのは、いささかならず腑に落ちなかった。


「身体じゃなくって、気持ちの話だよ。……シュミラルと顔をあわせると、そうなっちゃうみたいなんだよね」


 と、ララ=ルウは声をひそめて、そのように言葉を重ねた。


「いままで休息の期間だったから、ヴィナ姉とシュミラルも普段よりは顔をあわせることが多かったんだよ。それで、顔をあわせてる間は元気なんだけど……それが終わると、ぐったりしちゃうの」


「それはちょっと……いや、かなり心配だね」


「うん。だけど、それだけヴィナ姉もシュミラルのそばにいたいってことなんじゃないかなあ。一緒にいると楽しい分、離ればなれになるのがつらいんだよ、きっと」


 いつになく真面目な面持ちで、ララ=ルウはそのように語っていた。


「あたし、あのふたりは婚儀をあげるべきだと思う。ヴィナ姉があんな風に男衆のことを気にかけるのは、初めてのことだもん。これで駄目だったら……きっとヴィナ姉は、婚儀をあげる相手がいなくなっちゃうよ」


「うん。俺もそうなればいいと願っているけど……まずは、シュミラルがリリンの氏をもらわないといけないんだよね」


「それって、いつの話なんだろう? うかうかしてたら、シュミラルがジェノスを出ていっちゃうじゃん」


 怒っているとも悲しんでいるともつかない顔で、ララ=ルウはそのように言いたてた。


「このまま婚儀もあげずに、シュミラルが半年もいなくなっちゃうなんて、あたしは絶対にやだな。……そんなの、ヴィナ姉が可哀想すぎるよ」


 ララ=ルウの真っ直ぐな言葉は、俺の胸に深く食い入っていた。俺が遠慮をしてなかなか言えないような言葉を、ララ=ルウはためらいなく口にしている。それが、ララ=ルウの強さであるのだろう。


(駄目だな、俺は。ヴィナ=ルウとシュミラルが幸せそうにしている姿を見て、それだけで安心しちゃってたんだ)


 それにシュミラルだって、その胸の内には不安や苦悩が渦巻いているはずであるのだ。どんなにシュミラルが沈着で、俺なんかよりもよほど頼もしい人間であったとしても、それだけで安心していいはずがなかったのだった。


「……ルウの血族は、明日から狩人の仕事を再開するんだっけ?」


「うん。収穫祭から、昨日でちょうど半月だからね。今日はこの集まりがあったから、明日から始めるって話になってたはずだよ。……それがどうかした?」


「いや、いっぺんぐらいはリリンの家にお邪魔しとけばよかったなあと思ってね」


 ララ=ルウは、小生意気な顔で肩をすくめた。


「アスタが行ったって、どうにもならないじゃん。話がうまく進むように、森と西方神に祈っておいたら?」


「それは、何度も祈ってるよ。でも、もっと力になれることがあればと思ってさ」


「ないない。アスタは、おとなしくしておきなよ。……なんか、ややこしいことになりそうだし」


 俺は内心で、ギクリとすることになった。おそらくララ=ルウは、かつてヴィナ=ルウが俺にモーションをかけていたことを、うすうす察していたのである。また、そうでなければこのような言葉も出てこないように思われた。


(俺なんかが心配するのは、余計なお世話なのかな。……そりゃまあ俺なんて、料理しか取り柄のない唐変木だけど)


 などと、ついつい悲観的になってしまう。すると、ララ=ルウがいきなり背中をひっぱたいてきた。


「さ、アリアは終わったよ。この後は、何をすればいいのさ?」


「あいててて……俺はあくまで助手なんだから、そういう指示はレイナ=ルウに仰ぐべきなんじゃないのかな?」


「あー、そうだっけ? すっかり忘れてたよ」


 すました顔で、ララ=ルウはネェノンを取り上げる。きっと俺が辛気臭い顔をしていたので、発破をかけてくれたのだろう。それもまた、ララ=ルウの美点であるはずだった。


「……アスタとララは、さっきから何を小声で語らっているのですか?」


 と、奥方たちの面倒を見ていたレイナ=ルウが、不思議そうに問うてくる。ララ=ルウはネェノンを刻みながら、「べっつにー」と言い返した。


「レイナ姉には関係ない話だよ。……こういう話は、レイナ姉もからっきし頼りにならないしなー」


「えー、何それ!」と、レイナ=ルウは頬をふくらませる。

 それから俺の視線に気づくと、慌てた様子で顔を赤くした。


「も、申し訳ありません。ついついはしたない姿を見せてしまって……」


「いやあ、謝る必要なんてないよ」


 むしろ俺は、レイナ=ルウが家族にだけ見せる心安い仕草を好ましく思っていた。

 が、それを口にするのはつつしむべきであるのだろう。森辺において、未婚の男女は節度ある距離感を保たなければならないのだ。


「ごめんごめん。そんなムキにならないでよ。あたしだって、何の頼りにもなってないんだから。……あーあ、どうしてルウにはアマ・ミン=ルティムみたいに頼り甲斐のある女衆が少ないんだろうね?」


「なんの話かわからないけど、アマ・ミン=ルティムを頼りたくなるような話だったら、サティ・レイを頼ればいいんじゃない?」


「でも、サティ・レイは身体が大変そうだしさー。アマ・ミン=ルティムも赤ん坊の面倒で手一杯だろうし。……ま、何にせよ、周りの人間がどうこうできるような話でもないんだろうけどさー」


「だから、なんの話かわかんないってば!」


 レイナ=ルウは、いよいよすねた面持ちになってしまっていた。その青い瞳が、ちょっとうらめしげに俺のほうを見つめてくる。


「……やはりわたしが頼りない人間だから、話を聞かせていただけないのでしょうか?」


「いや、そういうことじゃないんだよ。気になるんなら、今度時間のあるときにララ=ルウと話してみればいいさ」


 それでレイナ=ルウも、ドーラ家の人々の前で話すべき内容ではないのだと察することができたようだった。またちょっと恥じ入ったように頬を赤らめながら、「そうですか」と食材に向きなおる。


(確かにララ=ルウの言う通り、周りの人間にどうこうできる話じゃないのかな。……それでもアマ・ミン=ルティムやサティ・レイ=ルウだったら、ヴィナ=ルウの心を安らがせることもできるんだろうか)


 そんな風に考えながら、俺も仕事に集中することにした。


                      ◇


 そうして数刻の時間が流れすぎ、太陽が西に沈みかけると、食卓には予定通りのメンバーが顔をそろえることになった。

 ドーラ家の家人が8名、ルウの血族が10名、特別ゲストの俺とアイ=ファとミシル婆さんが3名、合計21名の賑やかさである。


「ほお! お前さんも、盤上遊戯をたしなむのか! ならば、晩餐の後にでもひと勝負願いたいところだな!」


 とりわけ賑やかなダン=ルティムが、豪放な笑い声とともに述べたてる。お相手は、ターラの大叔父にあたる初老の男性だ。大叔父はダン=ルティムの笑顔を横目でねめつけながら、「ふん」と鼻を鳴らした。


「きのう今日、盤上遊戯を覚えた連中なんぞは、相手にならん。赤っ恥をかきたくなかったら、やめておけ」


「べつだん、負けることは恥ではなかろう! 腕に自信があるならば、なおさら願いたいところだぞ!」


 無愛想の権化ともいうべきその人物も、ダン=ルティムにかかってはこの有り様であった。

 また、それと同じ気質を持つターラの祖母とミシル婆さんは、ジバ婆さんを相手にぽつりぽつりと言葉を交わしている。とうてい華やいだ雰囲気とは言えないような様相であったが、そこにはやわらかくて居心地のいい空気がたちこめているように思えてならなかった。


 俺とアイ=ファは、平均年齢の高いそちらの卓を一緒に囲んでいる。あとはジバ婆さんの左右にジザ=ルウとレイナ=ルウが控えており、残りの顔ぶれは隣の卓であった。

 卓の上に並んでいるのは、半分が俺たちのこしらえたギバ料理で、残りの半分がドーラ家で準備されたキミュスと野菜の料理だ。ギバ以外の肉には興味の薄い森辺の狩人たちも、もちろん不満の声をあげることなく、ドーラ家の心尽くしを口に運んでいる。城下町の複雑な料理よりは、こういった素朴な料理のほうが狩人たちの口には合うのだろうと思われた。


「そういえば、この前はまたターラがお世話になっちまったね。えーと、交流会とか言ったっけ? そいつの様子はターラからも聞いてるけど、ずいぶん盛り上がったみたいじゃないか」


 隣の卓では、ドーラの親父さんが早くも果実酒で顔を赤くしながら、そのように言いたてていた。ターラやリミ=ルウと横並びで食欲を満たしていたルド=ルウは、笑顔で「まーな」と応じている。


「俺たちも最近は、ちょいちょい宿場町に下りてるけどよ。あんな風に長い時間を過ごせるのは、やっぱ休息の期間だけだからな。他の連中も、みんな楽しそうにしてたよ」


「うんうん。森辺の民が気兼ねなく宿場町に遊びに出向いてくるなんて、本当にいい時代になったもんだねえ。俺ももうちっと若かったら、一緒に遊びたかったところだよ」


「ターラなんかは森辺の祝宴にも呼んでるけど、あんたはさっぱりだもんなー。やっぱ雨季じゃねーと、身動き取れねーのか?」


「そうだねえ。ちょいと頑張りゃあ、夜の間ぐらいはお邪魔できるだろうけど……だけどやっぱり、そういうのは子供たちに機会を譲ってやらなきゃな」


「そうだよ。親父やターラなんて、毎日のようにアスタたちと顔をあわせてるんだからさ」


 ターラの下の兄君が、穏やかに微笑みながら口をはさむ。彼らがルウ家の祝宴に招かれてから、もうずいぶんと長い月日が経過しているはずだ。

 すると、リミ=ルウと談笑していたターラが「ねえねえ!」とルド=ルウの袖を引っ張った。


「ターラがお祝いに呼んでもらったのも、ずいぶん昔だよ。最近は、お祝いごとがないの?」


「そうだなー。収穫祭は血族だけでやるべきって話になっちまったし。そうなると、客人を呼べるのは婚儀の祝いぐらいだけど……ララはまだ14歳だもんなー」


 向かいの席に座っていたララ=ルウは、顔を赤くして木匙を投げるふりをした。その隣でキミュスの乳脂ソテーをかじっていたシン=ルウは、無表情のままに頬を染めている。


「分家のほうでも、婚儀の話は持ちあがってねーみたいだし……なあ、屋台の仕事を手伝ってる眷族の女衆で、婚儀をあげそうなやつっているのかなあ? そーゆー連中なら、ターラも見知った仲だろ?」


 ルド=ルウが、こちらの卓に呼びかけてくる。ジバ婆さんの食事を手伝っていたレイナ=ルウは「ううん」と首を振った。


「婚儀をあげると、屋台の仕事を手伝うのも難しくなっちゃうでしょう? だから、13歳とか14歳とか、それぐらいの若い人間に手伝ってもらうようにしてるんだよね」


「へー、そうなのか。そーいえば、屋台で働いてる人間の中で婚儀をあげてるのって、シーラ=ルウとリリンの女衆ぐらいだもんなー」


 以前はそこにオウラ=ルティムも加えられていたが、彼女はゼディアス=ルティムが生まれて以来、屋台の仕事は休んでいるのだ。ダルム=ルウの隣で食事を進めていたシーラ=ルウは、「そうですね」とひそやかに微笑んだ。


「わたしは屋台の取り仕切り役ですので、仕事を続けさせてもらっていますが、普通は婚儀をあげたら、別の人間に席を譲ることになると思います。リリンに関しては、そもそも未婚の女衆がいないので、5日にいっぺんだけその女衆を働かせることにしたようですね」


「ふーん。やっぱ、家の仕事が忙しいのかなー」


「ええ。リリンはもともと家人が少ない上に、幼子の数が多いので、余計に大変なのでしょう」


「だけどあんたも、婚儀をあげたんだから他人事じゃないよね。子でもできたら、さすがにしばらくは宿場町で働くこともできないだろう?」


 と、母君が陽気な声をあげる。


「そういえば、雨季にあんたがやってきたときには、あれこれ余計な話を聞きほじっちゃったんだよね。だけどまあ、こんなに立派な相手と添い遂げることになって、何よりだったよ。あんたがたの間にどんな可愛い子が生まれるのか、いまから楽しみでならないねえ」


 シーラ=ルウはわずかに頬を染めながら、「ありがとうございます」と微笑んだ。ダルム=ルウは、何とも言えない面持ちで黒髪をかき回している。

 そんな若夫婦を余所に、ルド=ルウはまだ「うーん」とうなっていた。


「あとは年頃の女衆っていったら、ヴィナ姉とレイナ姉とヤミル=レイぐらいだもんなー。……うん、しばらく婚儀はねーかもしれねーな」


「へえ。ヴィナ=ルウはもちろん、レイナ=ルウだって大層な器量よしなのに、婚儀の相手が見つからないのかい?」


 親父さんが不思議そうに振り返ると、レイナ=ルウはお行儀のよい微笑を返した。


「そうですね。わたしはしばらく料理の修練に集中したいと言ってありますので……あと数年は、婚儀をあげることもないと思います」


「なるほど。まあ、レイナ=ルウだったらその気になれば引く手あまただろうから、何も焦る必要はないだろうしね」


 親父さんはそれだけ言って、ヴィナ=ルウのことには触れようとしなかった。シュミラルの一件は熟知しているので、口をはさむべきではない、と考えたのだろう。ターラは「そっかあ」と残念そうに肩を落としていた。


「またルウの家に遊びに行きたいなあ。……何かあったら、絶対に呼んでね?」


 リミ=ルウは輝くような笑顔で、「うん!」と応じていた。ターラもつられて笑顔になり、一件落着の様子である。


(どうも最近は、婚儀について考えさせられる機会が多いみたいだな。……まあ、俺のもといた世界よりも婚期が早いから、それも当然のことなのか)


 俺がそのように考えていると、アイ=ファが「どうしたのだ?」と顔を寄せてきた。


「いや、何でもないよ。……ただちょっと、シュミラルのことが気にかかってさ」


「シュミラルのこと? 何故だ?」


「何故って言われると困るけど……やっぱり、シュミラルが旅立つ日が、着々と近づいてきてるからかな」


 俺の見込みでは、《銀の壺》がジェノスにやってくるのは紫の月の半ばであり、それはもうひと月半後に迫っているのだ。ジェノスにひと月は逗留することを計算に入れても、ふた月半後にはシュミラルも長い旅に出てしまう。藍の月を迎えたことで、そういったものがいよいよ間近に感じられてきたようだった。


「……お前が気に病んでも、詮無きことだ。大事な友たちに正しき道が開かれるよう、祈るしかあるまい」


「うん。ララ=ルウにも、同じように言われたよ。何か少しでも力になれればと思うんだけど……やっぱり、難しいよなあ」


 アイ=ファはわずかに眉をひそめると、いっそう密接に顔を寄せてきた。


「そのように悲しげな目をするな。私まで悲しい心地になってしまうではないか」


「うん、ごめん。どうも今日は、気持ちを切り替えるのが難しくってさ」


「ならば……美味なる料理でもこしらえてやればどうだ? お前の料理を口にすれば、誰にとっても力になろう」


 俺は思わず、「あはは」と笑ってしまった。

 俺を気づかうアイ=ファの優しさが、しみじみと胸にしみいってくる。余人の目がなかったら、俺はまたアイ=ファの手を握っていたところであった。


「そうだな。俺にできるのは、やっぱり料理を作ることぐらいだ。……ねえ、レイナ=ルウ、明日はルウの家で修練させてもらってもいいかなあ?」


 俺がそのように呼びかけると、レイナ=ルウがぱあっと顔を輝かせた。


「もちろんです。……あ、いえ、それを決めるのはミーア・レイ母さんですが、絶対に大丈夫だと思います」


「それじゃあ明日の帰りがけに、俺から相談させていただくよ。……それで、よかったらヴィナ=ルウにも参加してもらいたいって話を、レイナ=ルウから伝えてもらえるかい?」


 レイナ=ルウは不思議そうに小首を傾げたが、「わかりました」とうなずいてくれた。

 もちろん俺は、ヴィナ=ルウに料理を作ってあげようと考えたわけではない。ここ最近で練り上げた、美味しいカレー作りのノウハウを、ヴィナ=ルウに伝授したかったのだ。俺にできることなんて、いまはそれぐらいしか考えつかなかったのだった。

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