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異世界料理道  作者: EDA
第四十一章 賑やかなりし黒の月
705/1683

宿場町の交流会、再び①~見果てぬ願い~

2019.2/17 更新分 1/1

 ダン=ルティムの生誕の日を終えて、黒の月もいよいよ終わりが見えてきた。

 しかし、まだまだイベントは残されている。黒の月の残りの数日は、ここからがクライマックスとばかりに慌ただしく過ぎ去っていった。


 黒の月の大トリを飾るのは、ルウの血族と宿場町の若衆による交流会である。

 その重要なるミッションの隊長に選ばれたのは、当然のごとくルド=ルウであった。もともと気さくな人柄であり、すでに数多くの宿場町の民と親交を結んでいたルド=ルウが連日、血族の若衆を引き連れて、宿場町を来訪することになったのだ。


 ルウは血族も多いためか、フォウの血族が取りしきっていたときよりも、遥かに大勢の人間がこの催しに参加していた。黒の月の27日から30日までの4日間、日替わりで毎日10名を超える人間がやってきて、ユーミの案内で裏通りの店を巡ったり、広場で盤上遊戯や横笛の修練に取り組んだり、さまざまな形で交流を深めることになったわけである。


 ちなみにルウ本家の家人でいえば、4姉妹たちが日替わりで参加していた。ジザ=ルウは、のちのちドーラ家を訪れる予定があったので、今回の参加は見合わせたそうだ。それはきっと、なるべくサティ・レイ=ルウのそばにいたいという気持ちが働いたゆえであるのだろう。


 で――ララ=ルウが参加した日にはシン=ルウが、リミ=ルウが参加した日にはターラが、ついでにシーラ=ルウが参加した日にはダルム=ルウが、それぞれ同席することになった。そこまでは想定の範囲内であったが、ヴィナ=ルウの参加した日にシュミラルまでもがやってきたのは、俺にとって心理的な盲点であった。


「シュミラルだって、ルウの血族の家人だからな。べつにおかしな話じゃねーだろ?」


 ルド=ルウなどは、そのように述べたてていた。

 まあ、ユーミやベンたちであれば、すでにシュミラルとも祝宴をともにしている。それに、シュミラルが森辺の家人となった経緯も、ユーミたちによってぞんぶんに喧伝されていたので、いかにも東の民らしい風貌をしたシュミラルが参上しても、宿場町の若衆を驚かせることにはならなかった。


「でも、あんただったら案内なんて不要だろうね。東の民なら、宿場町の裏の裏まで知り尽くしてるんじゃない?」


 その日、屋台に顔見せにおもむいた際、ユーミがそのように述べていた。

 それに相対するシュミラルは、「はい」と口もとをほころばせる。


「目的、あなたがた、親交、深めるためです。どうぞ、よろしくお願いします」


 シュミラルの顔を見上げていたユーミは、それで目を丸くすることになった。


「へえ……あたし、あんたがそんな風にはっきりと笑うとこ、初めて見たような気がするよ。ま、いまのあんたはもう東の民じゃないんだから、何も驚くような話じゃないんだろうけどさ」


「はい。私、西の民であり、森辺の民です。よって、感情、隠さないよう、心がけています」


「そうだよねー。でも、気持ちのこもったいいお顔だね! これじゃあヴィナ=ルウがクラクラするのも当然かあ」


 ひっそりとたたずんでいたヴィナ=ルウが、顔を赤くしたことは言うまでもない。ヴィナ=ルウが無言でうらめしげににらみつけると、ユーミは「ごめんごめん」と悪びれずに笑っていた。


「それじゃあ、行こっか! 広場で腰を落ち着けたら、ふたりの話をじっくり聞かせてよ!」


「何も話すことなんてないわよ、もう……」


 やはりシュミラルとともにあると、ヴィナ=ルウは羞恥で身をくねらせる機会が増えてしまうようだ。

 しかしその姿は、俺に大きな安心感を与えてくれた。最近はルウ家の人々と祝宴をともにする機会もなかったので、ヴィナ=ルウとシュミラルがどのような雰囲気であるのかも実感できずにいたのだ。


 穏やかに微笑むシュミラルと、その横で顔を赤くしているヴィナ=ルウの姿は、どこからどう見てもお似合いであるように思えてしまう。あと3ヶ月足らずで離ればなれになってしまうという現実が、暗い影を落としている様子も――少なくとも、表面上は感じられない。つい先日にはディック=ドムとモルン=ルティムの幸福な行く末を願ったばかりの俺であったが、このたびもまた、同じ思いを抱かずにはいられなかった。


「……なあ、俺の話を聞いてんのかよ、アスタ?」


 と、逆の側からカーゴが呼びかけてくる。俺はもともと、彼と言葉を交わしているさなかであったのだ。


「うん、聞いてるよ。シン=ルウがどうしたって?」


「だからさ、昨日はシン=ルウと合戦遊びをすることになったんだよ。それで、危うく負け越しそうになっちまったんだ。あいつ、すっげー強いのな!」


「ああ、なるほど。ルウ家でもかなり盤上遊戯は流行ったみたいだから、この数ヶ月でずいぶん経験を積んだんじゃないのかな。……ちなみにアイ=ファも、手が空いたときは近在の人たちとやりあってるみたいだよ」


「うわー、アイ=ファなんて最初っから強かったから、ますます腕を上げてそうだな。俺もうかうかしてらんねーや」


 そんな具合に、あれこれ交流は深まっている様子であった。

 それでこれは、ルウの血族の催しであるのだから、俺も当初は静観のかまえであったのだが、締めくくりの最終日にはお声をかけられることになった。その日は夜まで居座って、《西風亭》にまでおもむくことになったので、俺も屋台の商売の後に参加してみてはどうかと誘っていただけたのである。


 もちろん俺はアイ=ファにお願いして、その申し出を受け入れることができた。

 そして、そこにはジョウ=ランも名乗りをあげることになった。


「《西風亭》におもむくのでしたら、ぜひ俺もご一緒させてください!」


 ジョウ=ランからランの家長に、ランの家長からバードゥ=フォウに、バードゥ=フォウからドンダ=ルウにと言葉が伝えられて、それは承諾されることになった。アイ=ファとジョウ=ランはその日を半休として、後から広場で合流する段に至ったわけである。


 そうして迎えた、黒の月の30日。

 屋台の商売が終わる刻限を見計らって、ユーミが俺たちを迎えに来てくれた。こちらから出向くのは、俺とレイナ=ルウとヤミル=レイとツヴァイ=ルティムの4名である。俺を覗く3名は、いずれも本日が初めての参加であった。


「それじゃあ、行ってくるよ。申し訳ないけど、下ごしらえの仕事はお願いするね」


「はい。どうぞ楽しんできてください」


 ユン=スドラやトゥール=ディンたちに見守られつつ、俺たちは宿場町に繰り出すことになった。

 先頭を切って歩きながら、ユーミは陽気に笑いかけてくる。


「アスタたちは、明後日が休みなんだよね? だったら、夜まで居残るのは明日にしとけばよかったんじゃない?」


「いや、明日は明日でドーラの親父さんの家にお邪魔する予定なんだよ。そっちは泊まりがけだから、どうしても休業日の前日にする必要があったんだよね」


 俺がそのように応じると、ユーミは「そっかそっか」と手を打った。


「そういえば、ルド=ルウもそんな風に言ってたっけ。……あたしがダレイムまで出向けるのは、また復活祭かなー。もちろん復活祭にも、ルウ家のみんなは遊びに来るんでしょ?」


 と、ユーミの視線がレイナ=ルウに転じられる。

 レイナ=ルウは笑顔で「そうですね」と応じていた。


「その頃のルウ家は休息の期間ではないので、男衆も去年ほど頻繁にはおもむけないでしょうが……でも、夜に屋台を開く際には護衛役も必要でしょうし、誰かしらが町に下りることになるのでしょう」


「楽しみだよねー、復活祭! あのあたりから、森辺のみんなといっそう仲良くなれた感じがするからさ。今年も、すっごく楽しみなんだあ」


 レイナ=ルウもいっそう楽しげに「わたしもです」とうなずいた。

 そんなふたりとは対照的に、ヤミル=レイとツヴァイ=ルティムは無表情に黙りこくっている。この両名は自らの意思ではなく、家長の言いつけで交流会に参加することになったのだ。どちらも余人との交流には消極的なタイプであるので、本心では家に帰りたがっているのだろう。


(まあ、だからこそ参加するように言いつけられることになったんだろうけどな)


 そうして裏通りの露店や聖堂を冷やかしつつ、俺たちはヴァイラスの広場へと向かった。

 広場では、なかなか尋常でない活気が渦巻いている。まあ、10名ばかりの森辺の民と、その3倍ぐらいの宿場町の若衆がたむろしているのだから、それも当然の話であるのだろう。あちらこちらに人の輪ができて、盤上遊戯や横笛や談笑に励んでいる様子であった。


「よー、お疲れさん。こっちは相変わらずだぜー」


 と、ルド=ルウが笑顔でこちらに寄ってくる。これでもう交流会も4日目であるというのに、実に楽しげな笑顔である。


「ヤミル=レイが来てくれて、よかったよ。そろそろラウ=レイが騒ぎだしそうだから、面倒を見てやってくんねーかなー?」


「……来て早々、ずいぶん楽しい話を聞かせてくれるものね。うちの家長が、何だというの?」


「いやー、ラウ=レイのやつ、ずーっとカーゴに合戦遊びを挑んでてさー。それでもう、5回は連続で負けてるから――」


 そこに、「ぬわーっ!」という聞き覚えのある声が聞こえてきた。広場に形成された人の輪のひとつが、花が開くように広がっている。その隙間から見えたのは、両手で頭をかきむしっているラウ=レイの姿であった。


「また負けた! どうして、ことごとく負けてしまうのだ!? 中盤までは、俺のほうが優勢だったではないか!」


 向かいに座ったカーゴが何か答えているが、その声までは聞こえない。俺たちは、小走りでそちらに向かうことにした。


「これでは、レイ家の名折れとなる! おい、もうひと勝負、お願いするぞ!」


 ヤミル=レイは冷徹なる面持ちで、家長の後頭部をひっぱたいた。

 振り返ったラウ=レイは、猟犬のごとき眼光で「おお!」と吠える。


「やっと来たのか、ヤミルよ! 聞いてくれ、合戦遊びでまったく勝つことができないのだ!」


「さっきから聞こえていたわよ。あなたはレイの家でも、べつだん強いほうではないじゃない」


「だからといって、5回も連続で負けたことはないぞ! こんな恥をさらしたまま、家に戻ることはできん!」


「そんなものを恥と考えるのは、あなたぐらいのものよ。そのカーゴは、ここに集まった人間の中でも指折りで強いはずなのだから、勝てないのが当たり前でしょうに」


 すると、カーゴがヤミル=レイの姿を見上げて、嬉しそうに笑った。


「俺の名前、憶えてくれてたんだな。そいつは、嬉しいや」


「……あれだけ屋台で顔をあわせていれば、名前ぐらい覚えるわよ」


 それに彼らは、祝宴でもそれなりに交流を深めていたはずだ。ミダ=ルウを囲んでやいやい騒いでいた姿は、いまでも強く印象に残されている。


「いいから、あなたは頭を冷やしなさい。ファの家の修練が、まったく役に立っていないようね」


「あれは、狩人の修練だ! 合戦遊びとは何の関係も――!」


 と、そこでラウ=レイが小首を傾げた。


「……いや、そういえば、この遊びは狩人としての修練にもなる、などと述べたてているやつもいたな。それじゃあ、もしかして……」


 ラウ=レイはしばらく沈思したのち、ものすごい勢いでカーゴを振り返った。


「おい、もうひと勝負、お願いするぞ! もしかしたら、今度こそ勝てるかもしれん!」


「それじゃあ、もうひと勝負だけな。俺も、他の連中の相手をしたいからよ」


 ということで、ふたりは再び対戦することになった。

 溜め息を噛み殺しているヤミル=レイを横目に、俺は視線を巡らせる。


 森辺の民も宿場町の民も、集まっているのは若めの人間ばかりである。平均年齢は、俺より少し低いぐらいだろうか。ユーミの友人が若めであるのは当然であるし、森辺の側も、若い人間こそが視野を広げるべきであるというスタンスであるので、こういう顔ぶれになるわけだ。


 ルウ家の参加者はルド=ルウとレイナ=ルウのみであるので、他に名を知っている人間はほとんどいない。その中で、ただひとりだけ親しくしている相手がいるはずであるので、俺はその姿を探し求めていた。


「ああ、あそこにいた。……ヤミル=レイ、こちらはおまかせしていいですか?」


 ヤミル=レイは、小虫でも払うように手を振った。ユーミとルド=ルウは合戦遊びを見守るかまえであるので、俺はレイナ=ルウおよびツヴァイ=ルティムとともに、そちらへと足を向けることにした。


 そこにも人の輪ができていて、中心からは横笛の音色が聞こえてきている。俺が目指す人物は、人垣から頭半分ほど突出していたので、発見するのも容易いことだった。


「ガズラン=ルティム、どうもお待たせしました」


「ああ、アスタ。それに、レイナ=ルウとツヴァイも……屋台の仕事、お疲れ様でした」


 ガズラン=ルティムが、静かな微笑みとともに振り返る。本日の交流会において、最年長は彼であるかもしれない。それでも森辺とジェノスの今後に思いを馳せるガズラン=ルティムとしては、名乗りをあげずにはいられなかったのだろう。俺としては、もちろんその行いを心から嬉しく思っていた。


「横笛の見物をしていたんですか。交流会は、如何です?」


「とても有意義な時間を過ごしています。ディム=ルティムも、同じ気持ちでしょう」


 ガズラン=ルティムの視線を追うと、横笛の修練をしているのはディム=ルティムであった。なかなか巧みな手さばきで、美しい旋律を紡いでいる。


「さきほどまでは、数多くの人々と言葉を交わしていました。ディム=ルティムなどは、ダバッグの話をあれこれ聞かれていましたよ」


「へえ。ディム=ルティムがダバッグの旅行に同行したことなんて、あまり知れ渡っていないでしょうにね」


「はい。私がそれをユーミに伝えたら、友人たちにも伝わったようです」


 俺は、思わず笑ってしまった。


「それはつまり、あまり愛想のないディム=ルティムのために、ガズラン=ルティムが画策したということですね?」


「はい。せっかくの交流会ですので」


 微笑を含んだガズラン=ルティムの瞳が、小さき家人のほうに向けられる。


「ツヴァイ、あなたも有意義な時間を過ごせるように願っています。どうぞこの会を楽しんでください」


「フン! 宿場町の人間だって、アタシなんかに興味はないだろうサ」


「そのようなことは、ないはずです。あなたはむしろ、宿場町の民に近い気性をしているのですからね。これまでの森辺において、それは異端であったかもしれませんが……これからの森辺にとっては、きっと大きな力になることでしょう」


 そのように述べてから、ガズラン=ルティムは俺に向きなおった。


「ラウ=レイは、まだ合戦遊びに取り組んでいるのですか?」


「はい。カーゴに6度目の勝負を挑んでいるようです」


「では、そちらを見物させていただきましょうか」


 というわけで、俺たちは決戦の場に舞い戻ることになった。

 そうして、俺たちが人垣に突入しようとすると――見物していた人々が、おおっとどよめいた。それと同時に、ラウ=レイの声が響きわたる。


「よし、勝ったぞ!」


 俺は驚きつつ、人垣をかきわけた。

 すると、さらなる驚きがその場に待ち受けていた。ラウ=レイがヤミル=レイの両手を取って、歓喜のステップを踏んでいたのである。


「勝った勝った! これもヤミルの助言のおかげだ! ファの家でつちかった心持ちで戦いに挑んだら、見事に打ち勝つことができたぞ!」


「……何でもいいから、この手を離してくれないかしら?」


 ヤミル=レイは棒立ちなので、まるでマネキンを相手にダンスの練習でもしているかのようだ。人々はその姿に笑っており、盤の前に座したカーゴは「あーあ」と声をあげていた。


「まんまとやられちまった。まるで別人みたいな打ち筋じゃねえか。……よお、アスタ、ついに土をつけられちまったよ」


「そっか。まあラウ=レイは、ルウの血族でも指折りの狩人だからね。その強さが合戦遊びでも発揮できたってことなんじゃないのかな」


「まったく森辺の狩人ってのは、侮れねえなあ。……あ、あんたもものすごく強そうだよな。ひと勝負するかい?」


 カーゴが呼びかけたのは、もちろんガズラン=ルティムである。ガズラン=ルティムは穏やかな笑顔のまま、「いえ」と首を振った。


「よろしければ、こちらのツヴァイにお相手をさせてもらえないでしょうか? ルティムの家で、もっともこの遊びに長けているのは、ツヴァイなのです。私も父ダンも祖父ラーも、ツヴァイにはまったくかないません」


「へえ、そいつは手ごわそうだ。それじゃあ、お願いするよ」


 ツヴァイ=ルティムは深々と溜め息をついてから、盤の前に腰を下ろした。言われてみれば、ツヴァイ=ルティムほど計算能力が高ければ、合戦遊びで尋常ならざる力を発揮しそうなところである。


「ルティムの家でも、けっこう合戦遊びは頻繁に行われているのですか?」


 俺がこっそり問いかけると、ガズラン=ルティムは「はい」とうなずいた。


「だけど私は、いっこうに勝てません。分家の人間には勝てるのですが、本家の中では一番弱いと思います」


「それは意外ですね。ガズラン=ルティムは、こういう遊びがすごく得意そうに見えますけれど」


「私はついつい考えすぎて ひとつの手を打つのに長い時間をかけてしまうのです。それでは勝負が終わらないので、10を数えるまでに手を打つという取り決めになり……それ以来、まったく勝てなくなってしまいました」


「ああ、なるほど……俺の故郷にも似たような競技がありましたが、公式の対戦では制限時間がもうけられていましたよ。ただしそれは何刻にも及ぶ長い時間なので、時には日をまたぐこともあったようですけどね」


「そうですか。それは楽しそうですね」


 そんな会話をしている間にも、盤上では熱戦が繰り広げられていた。

 その末に勝利を収めたのは、ツヴァイ=ルティムである。カーゴが敗北を宣言した瞬間、人々はさきほど以上にどよめくことになった。


「すげえ! 初手合わせでカーゴが負けるなんて、初めてじゃねえか?」


 いつの間にやら見物人にまぎれていたベンが、興奮した様子でカーゴの背中を叩いている。カーゴは眉尻を下げながら、盤面に息をこぼしていた。


「俺じゃあ手も足も出なかったよ。お前、その腕があったら賭博場でいくらでも稼げると思うぜ?」


「フン。そんな話は、絶対に族長が認めないだろうネ」


 仏頂面で言い捨てるツヴァイ=ルティムの身体を、ユーミが背後から「すごいじゃん!」と抱きすくめる。ツヴァイ=ルティムは、仰天した様子で身をよじった。


「い、いきなり何をするのサ! 苦しいから、離してヨ!」


「ごめんごめん! あまりにびっくりしちゃってさ! いやー、まさかあんたに、こんな特技があったとはねえ!」


「……こんな遊びで勝ったって、何の得にもならないでショ?」


 ユーミはすぐに離れたが、ツヴァイ=ルティムは歯を剥いて怒っていた。心臓のあたりに手を置いているので、よほど驚かされたのだろう。人当たりはきついが、意外にデリケートな少女であるのだ。


「損得なんて関係なく、すごいもんはすごいよ! ベン、あんたもちっと鍛えてもらったら?」


「そうだなあ。俺もカーゴに勝てるように、ひとつ手ほどきをしてくれよ」


 ベンがカーゴを押しのけて、ツヴァイ=ルティムの向かいに座り込んだ。ツヴァイ=ルティムは、うろんげにそちらを振り返る。


「こんな遊びで、どう手ほどきしろってのサ? そんなもん、やりようがないヨ」


「それなら勝負をしたのちに、どの手がまずかったのかを説明してやればいいのではないか? 狩人の修練では、そのように手ほどきしていくものだぞ!」


 と、ラウ=レイが横からにゅうっと首を突き出した。ようやく解放されたヤミル=レイは、げんなりした様子で髪をかきあげている。


「俺もそれを見て、学びたいと思う! やはりお前は並々ならぬ才覚を持っているのだな、ツヴァイ=ルティムよ!」


「……だから、こんな才覚が何の役に立つってのサ」


 ぶちぶちと文句を言いながら、ツヴァイ=ルティムはベンの相手をつとめるようだった。

 ガズラン=ルティムは満足そうに微笑みながら、俺を振り返ってくる。


「私はしばらく、この場を見守ろうと思います。アスタはどうぞ、お好きなようになさってください」


「え? それなら、俺も――」と言いかけて、俺は思いなおした。ガズラン=ルティムのそばにいると、心地好すぎて交流会の本分をまっとうできなくなってしまうような気がしたのだ。


「それじゃあ俺たちは、あちこち巡ってみようか?」


 ずっと静かにしていたレイナ=ルウは、「はい」と笑顔でうなずいた。

 俺たちとて、屋台の商売の取り仕切り役なのである。この場に集まった宿場町の若衆はみんな屋台の常連客であるので、見知らぬ顔はひとつもない。それらの人々と交流を深めるのが、本日の目的であるはずだった。


 とある場所では、横笛に合わせてダンスをしている娘たちがいる。どうやら森辺の女衆が、宿場町流のステップを習っているらしい。また、とある場所では森辺の狩人と宿場町の若衆で棒引きが行われている。宿場町の側は3名がかりであるのに、さして大柄でもない狩人は片腕で対抗している。それで互角の勝負になるらしく、周囲の人々は熱っぽい声援を送っていた。


 もちろんここは公共の場であるので、あまり騒がしくすると衛兵を呼ばれてしまう。が、横笛には詰め物をして音量を抑えているし、声援をあげる人々も、きちんと節度を守っているように感じられた。たまたま通りすがった人々などは、目を丸くして見物の輪に加わったり、そそくさと通りすぎたりと、さまざまである。1度、巡回のさなかと思しき衛兵が現れることもあったが、べつだん注意の声をあげるでもなく、ぐるりと広場を一周して立ち去っていった。


 そうして、半刻ていどが過ぎた頃だろうか。

 いくつかの人の輪を巡って、そろそろガズラン=ルティムやラウ=レイたちの様子を見に戻ろうかと考えたとき、ふたり連れの通行人が広場の中に足を踏み入れてきた。


 どちらも旅用のフードつきマントで人相を隠している。最初は東の民かとも思ったが、片方は俺よりも小柄であるように思えた。それに、長身のほうも、東の民にしては厚みのある体格をしているようだ。


「……こちらに近づいてきますね。誰か狩人のそばに寄りましょう」


 と、それに気づいたレイナ=ルウが、俺の袖を引いてくる。その両名は、真っ直ぐ俺たちのほうに向かってきているように感じられたのだ。

 俺はうなずき、手近な場所に狩人はいるだろうかと視線を巡らせる。その途上で、小柄なほうが気安く手をあげる姿を視認した。


「あ……レイナ=ルウ、どうやらあれは、見知った相手であるようだよ」


「え? アスタのお知り合いなのですか?」


「いや、レイナ=ルウも挨拶ぐらいはしているはずだね」


 俺のほうに振られたその者の手は、遠目にも色が白くて、ほっそりとしていた。そして、何気なく手を振っているだけなのに、やたらと優美に感じられる。その印象で、俺はその人物の正体を察することがかなったのである。


「まさか、この場でアスタに会えるとは思ってもみませんでした。これもきっと、西方神のはからいなのでしょう」


 その人物は、襟巻きで口もとを隠していた。

 しかし、その甘いチェロの響きのごとき声音で、レイナ=ルウもようよう理解できたらしい。その青い瞳にいくぶん警戒の光をたたえつつ、レイナ=ルウはうやうやしく一礼した。


「あなたは、外交官のフェルメスですね。こちらこそ、このような場でお目にかかるとは思ってもみませんでした」


「あなたは、族長ドンダ=ルウのご息女の……レイナ=ルウですね。息災なようで、何よりです」


 フードの陰で、にこりと目が細められる。茶色と緑色が複雑にからみあう、神秘的なヘーゼル・アイである。

 従者のジェムドも、レイナ=ルウに負けぬ丁寧さで一礼していた。こちらも主人と同じように、襟巻きで鼻から下を隠しており、茶色の瞳を静かに光らせている。


「いったい、どうされたのです? 今日はお忍びで、宿場町の視察ですか?」


 俺が問いかけると、フェルメスは「はい」とうなずいた。


「先日から、ルウの血族の人々が宿場町で交流の会を開いていると聞き及びましたので、それを見届けようと考えた次第です。……しかし、そのような場所に兵士たちを引き連れて参上したら、せっかくの会が台無しになってしまうでしょう? ですからこうして、ジェムドとふたりきりでこっそり訪れることにしたのです」


「そうだったのですか。……でも、危険ではないのですか? 宿場町には、無法者も多いでしょう?」


「そのために、こうして顔を隠しているのです。まあ、たいていの危険はジェムドが何とかしてくれますので、心配はご無用です」


 襟巻きの下では、きっとあの無邪気で優美な微笑がたたえられているのだろう。フェルメスの瞳は、子供のようにきらきらと輝いていた。

 その瞳が、ふっと俺の右肩の上あたりを通りすぎていく。それと同時に、背後から穏やかな声が響きわたった。


「やはり、あなたがたでしたか。私もご挨拶をさせていただきたく思います」


 俺は、心から安堵することになった。

 フェルメスは、いっそう嬉しそうに目を細めている。


「ああ、ガズラン=ルティム。あなたもいらしたのですね。心から、嬉しく思います」


 ガズラン=ルティムは歩を進めて、俺の隣に立ち並んだ。

 ガズラン=ルティムのために、さきほどと同じ説明が繰り返される。それを聞き終えたガズラン=ルティムは、「そうですか」と静かに微笑んだ。


「ひとたびぐらいは、あなたが様子を見にこられるのではないかと考えていました。それが今日であったことを、私も喜ばしく思います」


「ええ。ジェノスの実情を知るためには、この集まりをきちんと見届ける必要があったのです」


「では、実際にご覧になって、如何でしょう? あなたがどのように思われるのか、とても興味を引かれます」


「そうですね……」と、フェルメスは視線を巡らせた。

 広場に集った人々は、さきほどまでと変わらぬ様子ではしゃいでいる。まさかこのような場に王都の貴族が参上しようなどとは、夢にも考えていないのだろう。フェルメスは、また襟巻きの下で微笑んだようだった。


「まるで、祝宴のようですね。異なる文化で育った人間たちが、おたがいの存在を物珍しがりながら、ひるむことなく、手を差し伸べ合っている。……先日の仮面舞踏会よりも、そういった熱気を強く感じます」


「そうですか。それを正しき行いであると思っていただけたら、嬉しく思います」


「むろん、正しき行いでありましょう。理想的な環境といっても過言ではないはずです。……欲を言えば、僕は最初からこの姿を見届けたかったですね」


「最初から?」と、ガズラン=ルティムが首を傾ける。

「ええ」と、フェルメスは目を細めた。


「森辺の民とジェノスの民が、反目し合っていた時代から……蛮族と蔑まれていた森辺の民が、どのような道筋を辿って、町の人間たちと手を携えることになったのか。その様相を、最初から見届けたかったという意味ですね」


「ああ、なるほど……」


「ですが、そのようなことを言い出してしまったら、際限がありません。本当の真情を語るならば、僕はこの世のすべてを最初から見届けたかったと願っているのです」


 フェルメスの瞳が、ゆらりと色彩を変えた。

 あの、魂を吸い込まれそうな眼差しである。そうして見果てぬ何かを追いかけるように、フェルメスは言葉を紡いでいった。


「この世界は、どのようにして生まれたのか。四大王国が築かれる以前、この世界はどのような様相であったのか。四大王国は、どのような道筋を辿って、現在の繁栄を築いたのか。……その中で、森辺の民はどのようにして生まれたのか。王国の民でありながら、どうして信仰を捨てることができたのか。そして、どうして信仰を取り戻そうと思ったのか。……そういったことのすべてを、僕はこの目で見届けたかったと願っているのです」


「……それができるのは、神と呼ばれる存在だけなのでしょう」


 ひどく静かな声で、ガズラン=ルティムがそのように応じた。


「私は森辺の民ですが、森そのものになりたいと願うことはありません。私は最初から森の一部であるのですから、そのような望みは最初から果たされているのです。そして……モルガの森というのは、王国セルヴァの一部です。森の一部である私たちは、すなわち王国の一部であるのですから、西方神を父とすることに矛盾は生じません。そのような思いでもって、私は西方神の洗礼を受けたのです」


「…………」


「世界の一部であることが、あなたには不満に思えてしまうのでしょうか? しかし、たとえそうだとしても、世界そのもの、神そのものになりたいと願うことは、あまりに危ういことであるように思います。また、それは決して見果てぬ願いなのでしょうから……最後には、あなた自身を苦しめることになってしまうのではないでしょうか?」


 フェルメスが、がくりとうつむいた。

 重みをともなった静寂が、俺たちの周囲にだけたちこめる。広場ではしゃぐ人々の声は、まるで別世界から響いているかのように、遠かった。


「ガズラン=ルティム、あなたは……」


 と、囁くように言いながら、やがてフェルメスは面を上げる。

 その瞳には――歓喜の光がくるめいていた。


「あなたはやはり、僕が見込んだ通りのお人です。あなたほど聡明な人間は、『賢者の塔』にだって何人もいないに違いありません」


「とんでもないお言葉です。私は――」


「あなたは、森辺の狩人です。文字の読み書きすらままならないあなたが、どうしてそのように聡明であれるのか――一冊の書すら読んだこともないあなたが、どうしてそこまで真実を見抜くことができるのか――いえ、余計な知識を持たないからこそ、あなたはそれほどまでに聡明であれるのかもしれません。僕が書物で知ったことを、あなたはその身で感じているのでしょう。もしかしたら、僕は……森辺に生まれ落ちていたら、このような望みを抱くことにもならなかったのかもしれませんね」


 そうしてフェルメスは、襟巻きの下でくすくすと笑い声をたてた。


「聖域の民たちも、きっとそれは同様なのでしょう。でもきっと、彼らはあなたのように語ることができない。神の一部であり続けた彼らには、迷いも惑いもないのです。疑問を持たない人間に、答えを見つけだすことはできない。あなたは森辺の民として原初の世界に身を置きながら、王国の文明の恩恵も受けている。そうしてふたつの世界に接しているあなただからこそ、迷い、惑って、その答えに行きつくことができたのでしょう。僕は、それを……心から羨ましく思います」


 フェルメスの瞳は、真っ直ぐにガズラン=ルティムだけを見つめている。

 その瞳が、ゆっくりと人間らしいきらめきを取り戻していくさまを、俺は黙って見守ることしかできなかった。


「でも僕は、森辺の民ならぬ王都の民です。あなたのように、この身で世界を感じることはできません。だから、やっぱり……これからも、大いに迷い、惑うしかないのでしょうね」


 フェルメスが、ふいに一歩、退いた。


「それでは、城下町に戻ろうと思います。また近日中に、森辺にお邪魔しようと考えていますので、族長たちにはくれぐれもよろしくお伝えください」


「はい。承知いたしました」


 フェルメスは、最後に俺のほうを見た。

 屈託のない、いつも通りのフェルメスの眼差しである。


「そしてアスタには、また美味なる料理をこしらえていただきたく思います。何も悪巧みなどはしないと誓約いたしますので、家長のアイ=ファにもよろしくお伝えください」


「は、はい。承知しました」


 フェルメスはひとつうなずくと、優雅な仕草できびすを返した。

 ジェムドも無言で一礼し、その後を追っていく。ふたりの姿が遠ざかると、レイナ=ルウはほっとしたように息をついた。


「何だか、むやみに胸が騒いでしまいました。あの御方は、決して悪人だとは思わないのですが……だけどやっぱり、どこか普通でないように思います」


「うん。俺もそう思うよ」


「……それに、今日はアスタではなく、ガズラン=ルティムに関心を寄せているご様子でしたね」


「ああ、確かに。あのお人は、最初からガズラン=ルティムにも興味津々だったからね」


 そのように応じながら、ガズラン=ルティムのほうを振り返った俺は、思わず息を呑むことになった。すでに見えなくなりかけているフェルメスたちの姿を見送っていたガズラン=ルティムは――その瞳に、猛禽のごとき鋭い光をたたえていたのである。


「ガ、ガズラン=ルティム。大丈夫ですか?」


「はい。私にも、ようやくフェルメスという御方がどのような人間であるのかを理解できたような気がします」


 その眼光だけは別人のようになりながら、ガズラン=ルティムの声は普段通りの優しさを帯びていた。


「あの御方は……とても気の毒な御方であるようですね」


 優しすぎるぐらい優しい声で、ガズラン=ルティムはそのように述べていた。

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