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異世界料理道  作者: EDA
第四十一章 賑やかなりし黒の月
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思わぬ居候⑤~星のお告げ~

2019.2/15 更新分 1/1

 そうしてレイおよびルウの人々を客人として迎えた日々は、時には賑やかに、時にはしめやかに過ぎ去っていった。


 その間、ずっとファの家に留まっているのは、ラウ=レイのみである。ルド=ルウは中天まで、リミ=ルウは俺がファの家を出立する上りの五の刻までで、いったんルウの家に帰宅するのだ。そうして俺が宿場町から帰還すると、また一緒にファの家に戻る。屋台の常勤当番であるヤミル=レイも、言わずもがなであった。


 そうしてラウ=レイは、アイ=ファの代わりに家の仕事を受け持ってくれているわけであるが、2日目以降も、少なからず時間をもてあましていた。すると、ティアの面倒を見るためにファの家を訪れてくれていたサリス・ラン=フォウが、そんなラウ=レイにひとつの提案をすることになった。


「やはり、代価も払わずに毛皮をなめしていただくのは申し訳なく思います。時間をもてあましておられるのなら、この近在の氏族と絆を深めてみてはいかがでしょうか?」


 その提案に従って、ラウ=レイは近在の家を巡るようになった。さしあたって、ファの家で過ごす2回目の昼下がりには、フォウ、ラン、スドラの家を訪れた、とのことである。

 その時間は、どの家もギバ狩りの仕事のさなかにある。相手が女衆ばかりであったら、ラウ=レイも居たたまれなかったやもしれないが、幸いなことに、そのような事態には至らなかった。ラウ=レイは、どの家に出向いても、幼子たちに大人気であるという話であったのだった。


「何でしょうねえ。女衆のように優しげな面立ちと、男衆としての頼もしさが、幼子たちには心地好いのでしょうか。うちの子供なども、たいそう懐いておりましたよ」


 ランの家の女衆などは、そのように述べたてていた。


「それは単に、うちの家長が幼子めいた気性をしているせいなのじゃないかしら。うかつに叱りとばすこともできないから、幼子よりもよほど厄介だけれどね」


 そのように応じていたのは、もちろんヤミル=レイだ。

 ともあれ、ラウ=レイがさまざまな氏族と絆を深められたのは、誰にとっても幸いな話であった。


 その期間、俺も漫然と過ごしていたわけではない。

 ラウ=レイがフォウの血族の家を巡っている頃、こちらではついにラヴィッツの血族を下ごしらえの仕事と勉強会に迎えることになったのである。


 記念すべきその初日、ファの家にやってきたのは3名の若き女衆であった。ラヴィッツ、ナハム、ヴィンから、それぞれ1名ずつが選出されたのだ。それに、もともとその日の当番であったマルフィラ=ナハムとリリ=ラヴィッツも加わり、とても有意義な時間を過ごすことができた。


 ラヴィッツの血族の人々は、みんな礼儀正しくて、寡黙であった。それはきっと、緊張感のもたらす結果でもあったのだろう。相手はかつて悪縁のあったファの家であるし、ラヴィッツの家長デイ=ラヴィッツも、いまだ全面的に胸襟を開いてくれているわけではない。とりあえず彼女たちは、大きな失敗をしてデイ=ラヴィッツに叱責されることを、何より恐れている様子であった。


「とりあえず、そちらで買いつけている食材の種類を教えてください。それを中心に、勉強会の内容を考えてみましょう」


 俺は根気強く、彼女たちと絆を深めていくしかなかった。

 数ヶ月前に、初めてデイ=ラヴィッツと対面したときに比べたら、これでも大きな躍進であるのだ。彼女たちがファの家で手ほどきを受けたいと願い出て、それをデイ=ラヴィッツが承諾した。リリ=ラヴィッツやマルフィラ=ナハムを通して紡いできた絆をさらに固く結べるように、俺は力を尽くす所存であった。


「……やはりラヴィッツの血族には、淡い色の髪をした御方が多いのですね」


 時には、そのような雑談をさしはさんでみたりもした。今回、初めて顔をあわせた3名のうち、1名は金褐色の髪で、もう1名は淡い栗色の髪をしていたのだ。


「そうですね。とりわけナハムの家は、淡い色の髪をした人間が多いようです。ラヴィッツは、古くからナハムと血の縁を重ねておりましたし……いっぽう、ヴィンは血の縁を重ねてそれほどの歳月が過ぎていないので、こういう髪をした人間はおりません」


 そのように答えてくれたのは、金褐色の髪をしたナハムの女衆であった。ナハムには長身の女衆も多いとのことであったが、この人物は平均的な背丈である。身分としては分家の末娘で、マルフィラ=ナハムにとっては母方の従姉妹にあたる立場であるようだった。


「ただ、ナハムやラヴィッツにおいても、淡い色の髪をした人間は少なくなってきています。血の縁を重ねるごとに、どんどん少なくなっているようなのですね」


「ああ、俺の故郷でも、金色の髪というのは子に受け継がれないことが多いようです。ルウの血族でも、レイの家の他には金色の髪をした御方はなかなか見かけませんしね」


「そうですか。……ナハムの家には、これはシムの血の名残なのではないかという伝承が残されています」


 ぎこちなく微笑みながら、ナハムの女衆はそのようにも言ってくれていた。


「シムにおいても、さまざまな色合いの髪をした人間が生まれるのでしょう? 彼らは宿場町でも頭巾を深くかぶっているので、わたしにはよくわからないのですが……」


「はい。基本的には黒髪が多い印象ですけれども、リリンの家のシュミラルなどは銀色の髪ですしね。シムの北部ではマヒュドラと血の縁を結ぶことも多いと聞きますし、そのあたりのことが関係しているのかもしれません」


 そういえば、ティアをひどい目にあわせた《颶風党》の男は、くすんだ金褐色の髪をしていたのだ。数百年の昔から、マヒュドラと血の縁を重ねてきた結果であるのだろう。


「俺は最初に出会ったのがアイ=ファだったもので、金色がかった髪がそこまで珍しいということを知ったのも、ずいぶん時間が経ってからのことでした。いずれアイ=ファとも絆を深めてくださったら、とても嬉しく思います」


「はい……機会がありましたら」


 そう言って、3名の女衆らはぎこちなく微笑んでくれていた。

 夜になって、そういった話題を持ち出してみると、ラウ=レイなどはたいそう騒いでいたものである。


「絆を深めたいのなら、こうして家に招けばいいではないか! ファとラヴィッツは、悪縁を解きほぐさなければならないのだからな!」


 もちろんアイ=ファは、仏頂面でそれをたしなめていた。


「むやみに客人として招いても、絆が深まるとは限るまい。ラヴィッツの血族が自らアスタに手ほどきを願ったというだけで、我々にとっては大きな一歩であるのだ」


「そんな調子では、いつまで経っても話が進まないではないか! 俺はこの数日で、数年分もお前たちと絆を深められたような心地だぞ!」


「……それはお前の思い込みではないのか?」


「いや! アイ=ファのそういう突き放した物言いも、だんだん好ましく思えてきたほどだ! まあ、もともと俺は、毅然とした女衆を好ましく思うようにできているのであろうがな!」


「……女衆に対して好ましく思う、などという言葉は控えるべきではないか?」


「お前を嫁に迎えたいと思っていたのは、もうずいぶん昔のことだ。あくまで同じ狩人として好ましく思っているだけなのだから、何も気にする必要はない」


 こういう話をあっけらかんと語れてしまうところが、ラウ=レイのラウ=レイたる所以であった。

 ヤミル=レイも、そのような話はとっくの昔に聞かされているのだろう。顔色ひとつ変えずに、食事を進めている。


「あー、ずいぶん懐かしい話だなー。アイ=ファのことを、狩人でなければ嫁にしたいぐらいだとか言ってたっけ」


「……ルド=ルウよ、そのような話を蒸し返さずともよい」


「蒸し返したのは、ラウ=レイだろー? あれはたしか、アスタたちの護衛で宿場町に向かってたときだったっけなー」


 すると、ラウ=レイがふいに表情を引き締めた。


「ルド=ルウよ、やっぱりこの話はもうやめよう。俺は、余計な言葉を口にしてしまったようだ」


「んー? そうか。だったら、別の話でも始めてくれよ」


「うむ! では、フォウやスドラの家の様子でも話すか! スドラの家の赤子たちは、とても小さいがとても愛くるしかったぞ!」


 どうしていきなりラウ=レイが話題の転換をはかったのか、そのときの俺にはわからなかった。それが明かされたのは、女衆が寝所に引っ込んだのちのことである。


「あれはたしか、大罪人のテイ=スンが魂を返した日の話であったからな。ヤミルにとって、テイ=スンというのは大事な家人であったのだろうから、あまり思い出させたくなかったのだ」


 俺はそれで、心から納得することができた。

 そして、傍若無人なるラウ=レイの中に、ヤミル=レイに対する確かな情愛を感じ取って、ひそかに嬉しく思うことができた。


 そんな感じに、日は過ぎていき――

 ついに4日目の、最終日である。

 厳密には、明日の朝までラウ=レイたちは逗留していく。が、起床したらすぐにレイの家に帰るという話であったので、実質的にはこれが最終日だ。


 これまでの2日間と同じように、洗い物の仕事と水浴びを片付けてから、ラウ=レイの修練が始まった。

 なおかつこの修練も、日を重ねるごとに参加人数が増えていき、本日などは、10名ばかりの狩人がファの家に集結していた。顔ぶれは、アイ=ファ、ラウ=レイ、ルド=ルウ、シン=ルウ、ライエルファム=スドラに加えて、ダルム=ルウ、ミダ=ルウ、ジーダ、バードゥ=フォウ、ジョウ=ラン、といったものである。


「……お前はこの数日ていどで、ずいぶん腕を上げたそうだな」


 そのように発言したのは、この中では指折りに寡黙であるはずの、ダルム=ルウであった。


「わずか数日で、いったいどれだけの力をつけることができたのか。よければ、俺が確かめてやろう」


「あー、ちょっと待ってくれ。ダルム兄やミダ=ルウだと、違いがわかりにくそうなんだよなー。ラウ=レイは、自分より小さい人間のほうが苦手みたいだからよ」


 初日から修練を手伝っているルド=ルウが、そのように応じる。


「で、俺とシン=ルウは昨日までにさんざんやりあってるから、最初はジーダあたりがちょうどいいんじゃねーのかな」


「俺は、かまわんぞ」とジーダが進み出ると、ライエルファム=スドラが「ふむ」とうなった。


「お前も、確かな力を持つ狩人であるようだな。……このジーダなる者と、あとはジョウ=ランと五分の勝負ができれば、大きな成果と言えるのではないだろうか」


「え? 俺ですか?」と、ジョウ=ランが目を丸くする。ほぼ初対面に近いラウ=レイも、けげんそうにジョウ=ランの姿を見やっていた。


「こやつは、ダルム=ルウとさほど変わらぬ背丈ではないか。まあ、ダルム=ルウよりは細っこいようだが」


「うむ。しかしジョウ=ランは、相手の動きを読んだり、力を受け流したりする技に長けている。修練を始める前のお前では、3回に1回も勝つことは難しかっただろうと思う」


「そうか! それほどの狩人であるならば、是非とも手合わせを願いたい!」


 ラウ=レイは、本日も元気いっぱいの様子であった。

 リミ=ルウはアイ=ファにぴったりとくっついていたので、俺とヤミル=レイは少し離れた木陰で並んで腰をおろし、それらの様子を見学させてもらっていた。


「……あのジョウ=ランというのは、それほどの狩人であるの?」


「はい。彼は1度、棒引きの勇者になっています。動きがすごく軽やかで、ライエルファム=スドラが言っていた通りの技を持っているので、ラウ=レイにとっては苦手な相手となるでしょうね」


「そう。……今日は何回、家長が這いつくばる姿を見せつけられるのかしら」


 正直に言って、俺たちはそれほどラウ=レイの成長を実感できずにいた。少なくとも、ライエルファム=スドラやルド=ルウやシン=ルウに打ち勝つ姿は、いまだ1度も目にしていないのだ。


 ただ、それでもラウ=レイが秒殺されることはなくなった。それを思えば、決して成長していないことはないのだろう。ラウ=レイが、ジーダやジョウ=ランを相手にして、どれぐらいの力を見せつけることができるのか、俺はひそかに胸を高鳴らせていた。


「では、始め!」


 アイ=ファの凛然とした号令が響く。

 大勢の狩人たちに見守られながら、ラウ=レイとジーダが向かい合っていた。

 どちらも、なかなか動こうとしない。昨日から、ラウ=レイはがむしゃらに突進する戦法を取りやめていたのだ。


 そうなると、ジーダも迂闊には手を出せない。リーチではラウ=レイのほうがまさっているし、瞬発力や機動力でもアイ=ファたちからお墨付きをもらっているラウ=レイであるのだ。ジーダとて、ひとたびはルウ家で勇者の称号を得たほどの狩人であるのだから、それぐらいのことはしっかりとわきまえているはずだった。


「何だか、すごい緊張感ですね」


 俺は思わず、そのように囁いてしまっていた。

 烈火の気性をしたラウ=レイが、懸命に自分を抑え込んでいる。何かちょっとしたきっかけがあれば、たちまちそれが爆発してしまいそうな――そんな気配が、けっこう距離を取っている俺たちのほうにまで伝わってくるかのようだったのだ。


 ジーダは、慎重に間合いをはかっている。

 なんとかラウ=レイの隙を見つけようとしているのだろう。


 そんな中、ラウ=レイがぴくりと右腕を動かした。

 それに反応したのか、ジーダが弾かれたように後ずさる。

 それと同時に、ラウ=レイは前進していた。


 両者の距離があっという間に詰まり、ラウ=レイの右腕がジーダの胸もとにのばされる。

 ジーダは、横合いに飛びすさろうとした。

 すると、ラウ=レイの左腕が弧を描き、ジーダの襟首をわしづかみにする。


 そうして次の瞬間には、ジーダが背中から地に倒されていた。

 俺にははっきりと視認できていなかったが、どうやら襟首をつかむと同時に、片足も引っかけていたらしい。ジーダは半身を起こすと、燃えるような赤毛をかき回しながら、「やられたな」とつぶやいた。


「右腕の動きは、すべて囮であったのか。どうもラウ=レイの気迫に呑まれてしまったようだ」


「ふふん。お前には、すでに何度も倒されているからな。まだまだ借りは返しきれておらん」


 そのように述べながら、ラウ=レイはにっと口もとをほころばせていた。

 無言でこの戦いを見守っていたダルム=ルウが、「なるほどな」とつぶやく。


「たかが数日で何が変わるのかと、いぶかしく思っていたのだが……変わったのは、力量ではなく心持ちであるということか」


「うむ。レイの家長ほどの力があれば、相手が動いた後に動いても、決して遅れを取ることはない。そして、レイの家長ほどの気迫があれば、相手の焦りを招くこともできる。……口で言うのは簡単だが、ようやくそれが身についてきたようだ」


 そのように応じたのは、ライエルファム=スドラである。ダルム=ルウとライエルファム=スドラが言葉を交わすだけで、俺にはものすごく新鮮に感じられてしまった。


「ラウ=レイがじっとしてると、とたんに動きが読みにくくなるんだよなー。動きたくってたまらねーっていう気配がすっげー伝わってくるから、余計にさ」


 ルド=ルウはそのように述べながら、ジーダに笑いかけていた。


「いままでとは比べ物にならねーぐらい、戦いづらくなっただろ? ラウ=レイって、たいして大きくもねーのに、ジィ=マァムみてーな馬鹿力だからさ。こっちもこれまで以上に頭を使わねーと、なかなか勝てないと思うぜー?」


「……もちろんこの後も、ラウ=レイと手合わせさせてもらえるのだろうな?」


 ジーダは普段通りの仏頂面であったが、その声にははっきりと悔しさがにじんでいた。そこに、のほほんとしたジョウ=ランが進み出る。


「でもその前に、まずは俺ですね。まったく勝てる気はしませんが、力を尽くそうと思います」


「うむ。まずはジーダとジョウ=ランを相手にして、交互に3回ずつやりあってもらおう。それでよいな?」


 アイ=ファが毅然とした面持ちで質すと、ラウ=レイは「おう!」と元気に応じていた。

 それを見届けてから、俺はかたわらのヤミル=レイを振り返った。


「やりましたね。これは幸先がいいじゃないですか」


 ヤミル=レイは、「そうね」と肩をすくめていた。

 その向こう側では、ブレイブとドゥルムアとジルベが追いかけっこに興じている。修練に励んでいる狩人らを余所に、こちらはなんとも牧歌的な様相である。


「長々とファの家に居座ったのだから、少しぐらいは成果をあげられないとね。これで少しは、勝手な真似をした申し訳も立つでしょうよ」


「あはは。俺はみんなとともに過ごせただけで、十分に有意義でしたけどね」


 すると、ヤミル=レイが意味ありげな横目をよこしてきた。


「……あなたと家長の絆が深まったのなら、何よりだわ」


「はい。ヤミル=レイも、アイ=ファと絆を深めることはできましたか?」


「どうなのかしらね。そのようなこと、自分ではなかなか判じられないわよ。ただ……」


 そこでヤミル=レイは、口をつぐんでしまった。


「ただ、何です?」


「……ただ、男女で寝所を分けられてしまうから、なかなかあなたとは語らう機会が得られなかったわね」


 俺は、きょとんとしてしまった。


「俺と、ヤミル=レイがですか? 俺たちは毎日のように顔をあわせていますし、いまもこうやって語らっているさなかでありますが……」


「でも、なかなか込み入った話などはする機会もないでしょう?」


 俺はますます、いぶかしく思うことになった。


「何か込み入ったお話があるのなら、ぜひ聞かせてください。ユン=スドラたちも、まだしばらくは来ないでしょうからね」


「……このような朝方に似合う話ではないわ」


「どのような話でも、ヤミル=レイが我慢をする必要はないと思います」


「べつに、我慢をしているわけではないけれど……」


 と、ヤミル=レイはこまかく編み込まれた髪の先を弄り始めた。

 そのしなやかな手の先の陰から、切れ長の瞳がじっと俺を見つめている。


「それじゃあ、ひとつだけ……聞かせてもらってもいいかしら?」


「はい、なんなりと」


 それでもしばらく言いよどんだのち、ようようヤミル=レイはその言葉を口にした。


「アスタ、あなたは……占星師たちに、どのような言葉を聞かされたのかしら?」


 それは、あまりに意想外の言葉であった。


「占星師ですか。俺はべつだん、彼らに星読みをお願いしたわけではないのですけれど……ただ、みんな口をそろえて、俺のことを《星無き民》と認定してきたのですよね」


「それぐらいは、知っているわ。それじゃあ、《星無き民》というのは、いったい何なの?」


「えーとですね、この世界に星を持たない、謎の存在であるようです。星がないために、占星師でも俺の行く末を読み解くことはできなくて……あと、周囲の星に大きな影響を及ぼすだろう、なんて話も聞かされましたね」


「ちょっと待って。あなたの星は存在しないのでしょう? それなのに、『周囲の星』というのはおかしな言い草じゃない?」


「ああ、そうですね。でも、俺はこうしてここに存在していますから……星図では、俺のところだけぽっかり隙間ができている、という感じなのでしょうかねえ」


 すると、ヤミル=レイがふいにぶるっと肩を震わせた。


「そう……そういうこと……つまり、黒き深淵というのは、あなたのことだったのね……」


「え? 何がです?」


「あのライラノスという占星師が言っていたのよ。わたしの周囲には、黒き深淵というものが存在するけれど、その黒き深淵の運命を読み解くことは、自分にもできないってね」


 ヤミル=レイは、自分の身体を抱きすくめるようにして、両肩をつかんだ。それは、悪寒をこらえているようにも見えたし、震える身体を力ずくでねじふせようとしているようにも見えた。


「そして、その黒き深淵がなければ、大獅子と竜の星が邂逅することもなかっただろう、なんて言っていたわ。……おそらく、大獅子というのはドンダ=ルウのことで、竜というのはザッツ=スンのことだったのでしょうね」


「いや、だけど、ドンダ=ルウとザッツ=スンは、もう何年も前から家長会議で出会っていたはずでしょう? そこに俺の存在は関係ないはずですが……」


「きっと、そういう話ではないのよ。あの占星師は、竜の星の滅びについて語っていたから……あなたと出会ったことによって力を得たドンダ=ルウが、ザッツ=スンを滅ぼした、ということなのじゃないかしら? より正確に言うならば、ドンダ=ルウの率いる森辺の民が、総出でザッツ=スンを退けた、ということなのでしょうね。あの占星師は、さまざまな星を率いた大獅子の星が、竜の星を打ち消した、なんて言っていたもの」


 低い声で、囁くように、ヤミル=レイは言葉を重ねた。


「あなたは他者に大きな影響を及ぼす、なんて言われていたのでしょう? それなら、ぴったり合致するじゃない。合致しすぎて、薄気味悪いほどね」


「……それで、ヤミル=レイはどのような託宣を授けられたのですか?」


 俺が問いかけると、ヤミル=レイがまた意想外の行動を取った。

 どこかさびしげにも見える表情で、ふっと微笑んだのである。


「わたしはただ、誰よりも無力な存在であると言われただけよ。それも、真実を射抜いているわよね」


「それはちょっと、納得しかねますね。ヤミル=レイが無力であったら、たいていの人間が無力ということになってしまいます」


「いえ、わたしは無力であるのよ。そうでなければ、きっとザッツ=スンに代わって、森辺を滅ぼすことになっていたのでしょうからね」


 言葉の内容は恐ろしかったが、ヤミル=レイの横顔には静かな表情がたたえられていた。


「竜の星を失って、わたしはちっぽけな小蛇になったという話であったのよ。そうして新たに生まれ変わったようなものだから、行く末を占うのは難しいと言われてしまったの。これで、納得してもらえたかしら?」


「……そうですか。ヤミル=レイが納得しているのなら、俺も納得しようと思います」


「ええ、そうしてちょうだい。それに、わたしのことなどは、どうでもいいのよ」


 そう言って、ヤミル=レイは自分の肩から手を離した。

 いくぶん青みがかった黒瞳が、真剣な光をたたえて、俺を見つめてくる。


「あの占星という技は、やっぱり恐ろしいほど真実を読み当てることができるようね。わたしは、それを確かめたかったのよ」


「そんなことを確かめて、いったいどうしようというつもりなんですか?」


「どうするつもりもないわ。ただ、あなたはしっかりと心を引きしめておくべきじゃない? 王都の外交官は、占星師の言葉を重んじて、あなたの存在に執着しているという話なのだからね」


 ヤミル=レイが、ぐっと顔を近づけてきた。


「たしか、フェルメスといったかしら? その貴族は、ちょっとした占いや言葉遊びの結果で、あなたの存在に執着しているわけではない。なんらかの真実にもとづいて、あなたに執着しているのよ。その先に、どのような目論見があるのかはわからないけれど……あなたがこれまで通りの生活を守りたいと願っているなら、用心に用心を重ねておくべきじゃないかしら?」


「……はい。俺もあのお人のことは、決して軽んじてはいません。あのお人が何をたくらむことになっても、全力でいまの生活を守るつもりです」


「……そう」と、ヤミル=レイが身を引いた。


「それなら、いいわよ。べつだん、わたしが念を押す必要はなかったようね」


「それじゃあヤミル=レイは、ずっと俺のことを心配してくれていたのですね」


 俺は思わず、破顔してしまった。


「だったらべつに、晩餐の席で語らってもよかったんじゃないですか?」


「駄目よ。わたしの家長もあなたの家長も、星読みと聞いただけで頭に血をのぼらせてしまうじゃない。あれじゃあ、まともに話なんてできっこないわ」


「あはは。それはそうかもしれませんね。……心配してくださってありがとうございます、ヤミル=レイ」


 ヤミル=レイは、「ふん」と顔を背けてしまった。

 そこに、ジルベがとことこと近づいてくる。追いかけっこにくたびれてしまったのだろう。猟犬の俊敏さと耐久力は、尋常なものではないのだ。

 その黒くて大きくて丸っこい姿を見やりながら、ヤミル=レイはふっと物思わしな顔になった。


「犬というのは、愉快な生き物よね。……ねえ、アスタ。人間というのは、自分の持つ星の獣に似るものなのかしら?」


「え? どうしてそんな風に思うんですか?」


「以前にリミ=ルウが、旅芸人の連れていた銀獅子のことを、ドンダ=ルウにそっくりだと言っていたのよ。それにわたしも、蛇みたいな人間だし……竜というのは、ちょっとわからないけれどね。あれは、渡来の民が崇める神話の存在だったかしら?」


「はい。俺の故郷でも、竜っていうのは伝説上の存在でしたよ。蛇やトカゲみたいに鱗があって、鋭い牙や角を持っていて……まあ、力や天災の象徴みたいな扱われ方もしていましたね。ザッツ=スンには、相応しい星なのかもしれません」


 考え考え、俺はそのように答えてみせた。


「そういえば、俺もいくつか心当たりがあります。猫だとか猿だとか鷹だとか……たとえ外見が似ていないとしても、妙にしっくりくる組み合わせを連想できるんですよね」


「それじゃあ……犬の星と聞いたら、あなたは誰を連想するのかしら?」


「あ、犬なら真っ先にラウ=レイを思い浮かべますね」


 ヤミル=レイは珍しくも、愕然とした様子で目を見開いていた。


「……どうしてそんな風に思うのかしら?」


「え? どうしてって言われると困りますけど……ラウ=レイって、雰囲気が犬っぽくないですか? 俺なんて、初対面の頃から猟犬みたいな目つきだなって感じてたんですよ」


「……そうか。あなたはもともと犬という獣を知っていたのよね」


「はい。俺の故郷では、かなり馴染みの深い存在でした」


 そこで俺は、小首を傾げてみせた。


「それで、犬の星がどうしたのですか?」


「……無力なわたしは、犬の星に守られながら力を取り戻すだろう、と言われていたのよ」


「ああ、それならラウ=レイにぴったりの星ですね」


 俺がそのように応じると、ヤミル=レイがハッとした様子で身を寄せてきた。


「うっかり口がすべったわ。アスタ、このことを誰かに喋ったら、ただではおかないわよ」


「え? ああ、はい……ラウ=レイの耳には入れないように心がけます」


「それ以外の人間もよ。あなた、アイ=ファに喋るつもりなんでしょう?」


「ええ、まあ、家人の間に隠し事はなし、という取り決めですので……あの、ちょっと、そのアイ=ファがこちらを見ています。もうちょっと離れていただけますか?」


「誰にも喋らないと約束なさい。さもないと……あなたはふたりの家長から、とんでもない怒りを向けられることになるわよ?」


 ヤミル=レイは、それこそ妖艶なる蛇であるかのように、しゅるしゅると鎌首をもたげてくる。俺としては、前門の蛇、後門の山猫といった心境であった。


「えーと、あの、ヤミル=レイとも込み入った話をすることができて、俺はとても嬉しく思っています」


「そんな話、いまは誰もしていないわよ」


 ヤミル=レイには一言のもとに切り捨てられてしまったが、それは俺にとっての本心であった。

 そうして賑やかなる日々は、最後まで賑やかに過ぎ去っていったのである。

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