思わぬ居候④~新たな客人~
2019.2/14 更新分 1/1
宿場町における商売は、その日も平穏に終わりを遂げた。
そののちは、精鋭の6名だけが宿場町に居残って、《ラムリアのとぐろ亭》へと出陣する。本日は、俺の個人的な修練の日であったので、《ラムリアのとぐろ亭》の主人であるジーゼに香草の扱い方の手ほどきをしていただく約定を取りつけていたのだ。
俺が宿場町で修練をするのは、これが初めてのことであった。ヤンのほうはちょっと都合がつかないという話であったので、まずはジーゼに教えを乞うことになった次第である。
そのお返しは、ギバ肉の扱い方の手ほどきであった。もともとはお礼の銅貨を支払うつもりでいたのだが、それはやんわりと固辞されてしまったので、ならばとこちらから申し出た結果だ。《ラムリアのとぐろ亭》でもギバ料理はたいそう好評であるとのことで、何よりの話であった。
そうして2時間ばかりの時を《ラムリアのとぐろ亭》で過ごし、満ち足りた気持ちでルウの集落に帰りつくと――そこにはルド=ルウとリミ=ルウの仲良し兄妹が待ち受けていた。
「やあ、ルド=ルウ。もうこっちに戻ってきてたんだね」
「ああ。ラウ=レイの薪割りを眺めてたってしかたねーからな。……よ、シーラ=ルウもおつかれさん」
「はい。何かわたしにご用事でしょうか?」
仲良し兄妹は、シ-ラ=ルウの家の前で待ちかまえていたのだ。にこにこと笑っているリミ=ルウのかたわらで、ルド=ルウは「いやー」と頭をかいた。
「俺たちは、アスタに用事だったんだよ。シーラ=ルウの家で待ってりゃ、会えると思ってさ」
「俺に? いったいどうしたのかな?」
すると、リミ=ルウが「あのねー!」と元気な声をあげた。
「リミたちも、ファの家に連れていってほしいの! もう寝具とかは、荷車に詰め込んであるから!」
「え? それはつまり……リミ=ルウとルド=ルウもファの家に逗留したいってこと?」
返事は「うん!」であった。
きょとんとする俺に、ルド=ルウが説明をしてくれる。
「ま、こんな話をリミが聞きつけたら、黙ってられるはずがねーだろ? 俺がおもりでついていくから、よろしく頼むよ」
「いや、俺はまったくかまわないんだけど……これは、おたがいの家長の了承が必要な話だよね?」
「あー、親父もしぶしぶ認めてたよ。それでアスタと話がしたいって言ってたから、ちょっと本家のほうに顔を出してくれねーかなあ?」
「うん、わかったよ」
俺はルド=ルウに手綱を預けて、ひとり本家に向かうことになった。
そうして戸板を叩いて名乗りをあげると、意想外の人物が出現する。本家の長兄みずからが、俺などを出迎えてくれたのだ。
「ああ、アスタ。家長ドンダが待っているので、入ってもらいたい」
「は、はい。失礼いたします」
そうして入室させていただくと、その場にはドンダ=ルウの他に、サティ・レイ=ルウとコタ=ルウがいた。身重の伴侶を慮って、ジザ=ルウが腰を上げることになったのだろう。
「来たか。ご苦労だったな」
ドンダ=ルウは普段通りの威厳に満ちみちた様子で、上座にあぐらをかいている。が、その右肩には小さなコタ=ルウが這いのぼっており、獅子のたてがみのごとき蓬髪をわしづかみにしていた。以前にも見たことがあるような、実に微笑ましい光景である。
「コタ。家長はアスタと大事な話があるので、こちらに来なさい」
ジザ=ルウが、愛息の身体をひょいっと持ち上げる。その身を腕に抱いたまま、ジザ=ルウは伴侶のかたわらに腰を落ち着けた。
「まずは、レイの家長が迷惑をかけたことを詫びておく。あの馬鹿は、俺の許しも得ずに、勝手にファの家まで出向いてしまったのだ」
「あ、そうだったのですね。てっきり了承済みなのかと思っていました」
「俺は昨日、ルドやガズラン=ルティムを連れてサウティの家まで出向いていたのでな。家に戻った後、言伝てを聞かされた。……あやつの父親も血の気は多かったが、ここまで粗忽ではなかったはずだ」
ドンダ=ルウをしてここまで言わしめるというのは、やはり大した器である。俺がラウ=レイの立場であったら、恐ろしくてそんな真似は絶対にできないことだろう。
「まあ、ファの家長が認めなければ、追い返されるだけのことだからな。わざわざ口をはさむまでもあるまいと考えていた。朝方の様子も、ルドから聞いている」
「はい。それで、今度はルド=ルウとリミ=ルウを送り出すことになったわけですか?」
もしかしたら、それは見届け役のようなものなのだろうか、と俺は考えたのだが、どうやらそうではなかったらしい。ドンダ=ルウは、仏頂面で顎髭をまさぐっている。
「あれは、リミが勝手に言い出しただけのことだ。迷惑であれば、追い返せばいい。習わしにそぐわぬことを言い出したのはこちらなのだから、それでファの人間が責められることはない」
「あはは。アイ=ファがリミ=ルウを追い返す姿は想像できませんね。では、アイ=ファが森から戻るのを待って、了承をいただこうと思います」
そうして俺が腰を上げかけると、「待て」と止められた。
「ファとスドラの家長がふたりがかりで、あの粗忽者の面倒を見ているそうだな。アイ=ファのやつめは、内心で煙たがっているのではないか?」
「内心というか、露骨に煙たがっている面はありますが、修練につきあうこと自体には文句もないようです。とても熱心にラウ=レイの面倒を見ていたように思いますので」
「そうか。ルドもそのように言っていたが、貴様の目から見ても、そうなのだな?」
「はい。アイ=ファにとってもラウ=レイは大事な同胞であり、友ですからね。ラウ=レイの力になりたいという気持ちは持っているはずです」
「そうか」と、ドンダ=ルウは繰り返した。
「ならば、しばらくはあの粗忽者の面倒を頼む。親筋の家長として感謝していると、貴様の家長に伝えておけ」
「承知しました。……ラウ=レイは、こちらでも色々と修練に励んでいたそうですね?」
「ああ。しかし俺たちでは、あいつを上手く導くことができなかった。あいつが本来の力を出しきれていないことは明らかだが、どうにも言葉が伝わらんのだ。しかし、ファとスドラの家長の言葉は、あいつに響いているようだと、ルドがそのように抜かしていた」
そう言って、ドンダ=ルウは真正面から俺を見据えてくる。
「これであいつが少しでも本来の力を取り戻すことができれば、俺も心からありがたく思う。……ファだけではなく、スドラの家長にもそう伝えておけ」
「わかりました」と応じながら、俺はちょっと胸が熱くなっていた。なんだかんだで、ドンダ=ルウもラウ=レイのことを強く気にかけているということが、ありありと伝わってきたのだ。むろん、ルウとレイの関係性を考えれば、それが当たり前の話であるのだが――年齢が離れているせいか、ドンダ=ルウとラウ=レイの間に結ばれた絆というものが、俺にとってはちょっと見えにくくなっていたのである。
「……俺もラウ=レイには、どこかちぐはぐなものを感じていた」
と、コタ=ルウをあやしていたジザ=ルウが、ふいに発言した。
「俺はルドほど他者の力量を見る目はないが、それでもラウ=レイからは強い力を感じている。……しかし、実際に手を合わせてみると、ミダ=ルウやジーダのほうが、よほど手ごわいのだ。ラウ=レイは、見果てぬものを追いかけているのではなく、目の前にあるものを見過ごしているように感じられる」
「なるほど。確かな実力を持っているのに、何故かそれを発揮できないということですね。アイ=ファも、同じようなことを言っていました」
「《弱者の眼力》を持つ人間ならば、なおさらそのように感じるのだろう。ファとスドラの家長がラウ=レイを正しき道に導けるのならば、俺もありがたく思う」
真剣に語る父親の腕の中で、コタ=ルウはきゃっきゃと楽しげにはしゃいでいる。その姿に心を癒されながら、俺は「はい」と笑顔を返してみせた。
「俺もラウ=レイが本来の力を発揮できるようになることを、心から願っています。それでアイ=ファがお力になれるなら、とても嬉しく思います」
「では、あの粗忽者を頼む」
ドンダ=ルウの言葉で、俺は今度こそ腰をあげることになった。
そこに、サティ・レイ=ルウが「あの」と声をあげる。
「昨日アスタに手ほどきされたというシャスカの料理は、とても美味でした。日によって、重い食事を受けつけないこともありますので、そういう日にはあのぞうすいという料理を作ってもらおうと思います」
「それは何よりです。お身体のほうはいかがですか?」
「はい。きっとコタにも負けない元気な子が生まれることでしょう」
自分のおなかを愛おしげに撫でながら、サティ・レイ=ルウは幸福そうに微笑んだ。
ドンダ=ルウもジザ=ルウも内心は読めないが、きっと同じ心情であるのだろう。俺はとても充足した気持ちでルウの本家を後にすることになった。
そうしてルド=ルウたちと合流し、他のメンバーを各自の家に送り届けつつ、ファの家を目指す。
宿場町で長きの時間を過ごしていたので、太陽はずいぶんと西に傾いている。日没まで、残りは1時間半といったところだろう。客人が2名追加されるならば、急いで晩餐の支度に取りかからなければならなかった。
(でもまあ、リミ=ルウとヤミル=レイが手伝ってくれるなら、何てことはないな)
そんな思いを胸に、俺はファの家に帰宅した。
下ごしらえの仕事はとっくに完了しているはずであるので、かまど小屋のほうもひっそりと静まりかえっている。俺はそちらに向かう前に、母屋の様子を見ておくことにした。
「ただいま戻りました。……って、ラウ=レイ、何をやってるんだい?」
「おお、アスタ。見ての通り、毛皮をなめしているのだ」
ラウ=レイは広間の真ん中で、大きな板の上に敷かれた毛皮の上を、ぐるぐると円を描くようにして歩いていた。少し離れたところに座したサリス・ラン=フォウと、寝具に寝そべったティアがそれを見守っており――そして、アイム=フォウはラウ=レイと一緒になってステップを踏んでいる。
「毛皮をなめしているのはわかるけど、そんな仕事は頼んでいないはずだよね? そもそもファの家では、毛皮をなめしてないんだからさ」
「うむ。これはフォウの家から持ってきたのだ。ファの家の仕事などは、すぐに片付いてしまったからな」
サリス・ラン=フォウはいくぶん眉尻を下げながら、俺に微笑みかけてきた。
「仕上がった毛皮はフォウの家にいただけるというお話なのですが……でも、レイの家長に毛皮をなめしていただくなんて、ちょっと恐縮してしまいます」
「何も遠慮をする必要はない。俺は退屈しのぎをしているだけだし、フォウの血族たるこやつも手伝っているのだからな」
アイム=フォウは、いつになく楽しげな様子でステップを踏んでいた。2歳児の体重でどれだけ効果があるのかはわからないが、とても熱心に励んでいる様子である。
(はにかみ屋さんのアイム=フォウが、ラウ=レイにはずいぶん懐いてる様子だな。……そういえば、コタ=ルウもラウ=レイに懐いてたっけ)
何にせよ、中天の後も平穏に過ごしていたのなら、何よりの話である。俺の横から家の中を覗き込んだルド=ルウは、「ふーん」と鼻を鳴らした。
「ラウ=レイのことだから、ひとりで無茶な修練をしてるんじゃねーかと思ってたのに、ずいぶん大人しくしてたみたいだな」
「当たり前だ! 無茶をして、明日の修練で身体が動かなかったら、もったいないではないか! アイ=ファばかりでなく、スドラの家長という立派な狩人に巡りあうことができて、俺はとても嬉しく思っているのだ!」
あれだけみんなに投げ飛ばされながら、ラウ=レイは元気いっぱいの様子であった。その水色の瞳などは、朝方よりも明るく輝いているようである。
「よかったら、ルド=ルウもこちらを手伝うか? かまど小屋に出向いても、邪魔にしかなるまい?」
「ま、気が向いたらな。いちおう俺は、リミのおもりだからよ」
そうして俺たちは、戸板を閉めることになった。
ルド=ルウは、俺に向かって楽しげに笑いかけてくる。
「やっぱラウ=レイは、ファの家に来て正解だったみたいだな。収穫祭のときなんかは、悪酔いしちまって大変だったんだよ」
「そっか。勇者になれなかったのが、そんなに悔しかったんだね」
「勇者うんぬんじゃなく、これまで勝ててた相手にちっとも勝てなくなっちまったのが悔しいんだろうな。俺やシン=ルウだって、1年ちょっと前まではラウ=レイに勝てたことなんてなかったしよ」
そう言って、ルド=ルウはいっそう楽しげに白い歯をこぼした。
「ま、ラウ=レイが強くなったって、そうそう簡単に勝たしちゃやんねーけどな。アイ=ファやスドラの家長と一緒に修練してたら、俺だってもっと強くなれそうだしよ」
「そっか」と、俺も笑顔を返してみせた。
アイ=ファばかりでなく、ライエルファム=スドラまでもがみんなに頼られていることが、無性に誇らしく感じられてしまう。俺にとって、やっぱりライエルファム=スドラというのは特別な存在であるのだった。
(それにルド=ルウは、自分でもライエルファム=スドラに勝てるかどうかわからない、なんて言ってたもんな。ってことは、ライエルファム=スドラもルウ家の勇者に負けない実力を持っているってことじゃないか)
そんな思いを胸に、俺はかまど小屋に向かうことにした。
◇
そして、夜である。
昨晩は仏頂面であったアイ=ファが、本日はとても複雑そうな面持ちをしていた。理由はもちろん、リミ=ルウとルド=ルウまでもがファの家にやってきたためである。家の中が騒々しくなるのは好ましくないが、リミ=ルウと長きの時間を過ごせるのは嬉しい。そんな相反する気持ちが、アイ=ファを困惑させているようだった。
「えへへー。ファの家にお泊りできるなんて、嬉しいなあ」
いっぽうリミ=ルウは、最初から満面の笑みである。たとえ数年来の友でなくとも、この笑顔を前にして「帰れ」などと言える人間はいないことだろう。そんなわけで、ルウ家の両名もファの家に逗留することが、めでたく決定されたのだった。
それにアイ=ファは、ヤミル=レイと寝所をともにすることがたいそう気詰まりであったようなので、リミ=ルウの登場はなおさらありがたかったはずだ。ティアも含めれば4名なので、いささか寝所も狭苦しくなってしまうやもしれないが、収まりきらないことはないだろう。アイ=ファとリミ=ルウがぴったり寄り添って眠るところを想像しただけで、俺は微笑ましい気持ちになってしまった。
「……では、晩餐を開始する」
家の主人たるアイ=ファが聞こえぬ声で文言を唱え、残りの5名がそれを復唱する。俺たちは、車座になって本日の晩餐を取り囲んでいた。
「ふむ、今日はぎばかつか! ぎばかつを食べるのは、ちょっとひさびさだ!」
ラウ=レイが、弾んだ声をあげている。その言葉の通り、本日の主菜は『ギバ・カツ』であった。そこにコロッケを添えているのは、ルド=ルウの喜ぶ顔を見たいがためである。
「でも、シャスカはちゃーはんとかりぞっととかじゃなくて、普通のシャスカなんだね?」
リミ=ルウの無邪気な問いかけに、俺は「うん」と応じてみせる。
「たぶんカツやコロッケには、普通のシャスカが合うと思うんだよね。それはまあ、俺の故郷の習わしだから、そんな風に感じるだけかもしれないんだけどさ」
「ふむ。そういえば、アスタは自分の故郷において、ポイタンではなくシャスカのようなものを食べていたそうだな。ヤミルから、そのように聞いているぞ」
「そう。だからこれは、俺の故郷の一般的な食事の再現を目指した格好になるのかな」
白いシャスカに、カツとコロッケ。付け合わせにはティノの千切りで、もちろんウスターソースも準備している。副菜は、ミソを使った『ギバ汁』と、ナナールのおひたし、それにマ・ギーゴの煮っころがしである。『ギバ汁』にはふんだんに野菜とキノコを使っているので、栄養の偏りも心配はないだろう。
「アスタは故郷で、このような晩餐を食べていたということだな? それは楽しみだ」
ラウ=レイは木匙を改造したフォークで『ギバ・カツ』を突き刺すと、それを口の中に放り込んだ。それから山盛りのティノもかきこみ、慌ただしくシャスカの器にも手をのばす。意外と口内調味の作法も確立されているようで、俺としてはひと安心であった。
「あー、やっぱころっけは美味いなー。みんなぎばかつのほうが好きだから、なかなか作ってくれねーんだよなー」
と、ルド=ルウも嬉しそうな笑顔になっている。これでこそ、コロッケを準備した甲斐もあったというものだ。
ルド=ルウとリミ=ルウが増えたおかげで、晩餐の場はいっそう賑やかになっていた。最初はクールに決めていたアイ=ファも、だんだんとリミ=ルウの無邪気な様子に感化されてきたのか、やわらかい表情になってきている。過半数は客人であったものの、一家団欒と呼びたくなるような様相であった。
「なんだか、ぎばかつがいつもよりもっと美味しく感じられるねー! これって、シャスカのおかげなのかなあ?」
「俺にとっては、もちろんそうなんだけどね。でも、リミ=ルウたちはずっと『ギバ・カツ』を焼きポイタンと一緒に食べてきたから、そっちのほうが馴染みが深いんじゃないかな?」
「わかんないけど、リミはこっちのほうが好きみたい! ぎばかつどんも、大好きだしね!」
リミ=ルウの笑顔を見ていると、やはりカツにはシャスカのほうが合うのだろうかという気持ちが強まってきた。食べなれているかどうかの問題ではなく、米に似たシャスカの味や食感が、カツにマッチするのかもしれない。
ともあれ、誰もが満足そうに食事を進めてくれていた。
俺の故郷でもポピュラーな献立を、森辺の民が何の不満もなく受け入れてくれている。その光景は、俺にあらためて幸福な気持ちを実感させてくれた。
「あ、そうだ。今日の成果を、みんなにも味わってもらわないと」
と、俺が後ろに引っ込めておいた木皿を取り出すと、ヤミル=レイを覗く全員がその中身を覗き込んだ。アイ=ファはわずかに眉をひそめながら、「チットの実か?」と問うてくる。
「うん。チットの実に、いくつかの食材を混ぜたものだね。『ギバ汁』には、こいつがよく合うと思うんだ」
それは、七味唐辛子をイメージして配合した、新たな調味料であった。その正体を知るのは、宿場町での修練に参加したヤミル=レイのみである。
「実は、《ラムリアのとぐろ亭》のジーゼが、チャッチの干した皮をすり潰して、チットの実に加えていたんだよ。その味見をさせてもらったときに、こいつを閃いたんだ」
七味唐辛子の原料のひとつに、陳皮というものが存在する。あれは、乾燥させたミカンの皮であるのだ。で、ジャガイモのごときチャッチはミカンのごとき皮に包まれており、それを乾燥させたものは茶の原料に使われている。それは、チャッチの皮が馥郁たる香りを有しているという、何よりの証であった。
それでもチャッチは柑橘類ではないので、ミカンの皮と同じ香りがするわけではない。しかし、その香りが有する清涼感は、チットの実と素晴らしく調和していた。そこにさらなる手を加えて、俺は七味唐辛子に似た風味を目指したのである。
「最終的には、ホボイの実とケルの根と、あとは名前を知らないいくつかの香草を混ぜあわせてるんだ。味が強いから、ほんのひとつまみで十分だと思うよ」
俺は見本を示すために、木匙ですくったわずかな分量を『ギバ汁』の皿に投じてみせた。
それをかき混ぜてすすってみると、ぴりりとした辛さがミソの甘さを引き立てて、なおかつ味を引き締めてくれている。期待通りの効果であった。
「なるほど。確かに、いっそう美味くなったように感じられなくもない。しかし、こいつに合うのは汁物料理だけなのか?」
ラウ=レイの言葉に、俺は「いや」と応じてみせた。
「汁物料理限定ってわけじゃなく、その料理の味付けに左右されるはずだね。基本的に、タウ油やミソとは調和すると思うから……今日の献立だと、このマ・ギーゴの煮っころがしには合うだろうね」
「その料理は、もう食べ尽くしてしまったな。ヤミル、少し分けてくれ」
ヤミル=レイの返事も聞かずに、ラウ=レイが木皿をひったくる。同じ家に住む家人なので、食べかけの料理を分かち合うことも許されるのだろうか。ヤミル=レイは、知らん顔で肩をすくめていた。
そうしてマ・ギーゴの煮っころがしに七味唐辛子もどきをふりかけたラウ=レイは、それを口にすると、「うむ」と大きくうなずいた。
「確かにこれも、美味くなったような気がするぞ! 俺が食べ尽くす前に出してほしかったものだな!」
「ごめんごめん。うっかり出し忘れちゃってたんだ。明日にはまた、この調味料に合う料理を準備するからさ」
「うむ、期待して待っているぞ! ほら、ヤミルも食べてみるがいい」
ラウ=レイが、木匙ですくったマ・ギーゴをヤミル=レイの口もとに差し向ける。ヤミル=レイは、毒虫でも突きつけられたかのように身を引いていた。
「わたしは幼子じゃないのよ? あなたは本当に、恥じらいの気持ちというものを持ち合わせていないようね」
「ものを食うのに、恥じらう必要などあるまい。いいから、食べてみろ」
「……いいかげんにしないと、本当に怒るわよ?」
ぎゃあぎゃあと騒ぐレイ家の両名を横目に、リミ=ルウは自分の煮っころがしを幸福そうについばんでいる。その目が、ふっと俺のほうに向けられてきた。
「ねえねえ、これは何ていう名前なの?」
「え? そうだねえ。俺は七味唐辛子もどきって呼んでたけど……それじゃあ長いから、七味チットにしようかな。使ってる食材の数も、たまたま7つに収まったからね」
「わかったー! 今度はリミも、作り方を教えてもらおっと!」
それほど辛い味付けを好まないリミ=ルウも、七味チットの風味はお気に召した様子であった。
そんなこんなで、料理は着実に各人の胃袋へと収められていく。真っ先に食べ終えたラウ=レイは、「いやあ、美味かった!」と宣言するなり、ばたりと大の字にひっくり返っていた。
「ファの家では、毎日が祝宴であるかのようだな! あと3日で帰らなければならないのが惜しいほどだ!」
「……まさか、逗留の期日をのばしたいなどとは言うまいな?」
「うむ! しかし、次の休息の期間には、また訪れたいと願っているぞ!」
アイ=ファはげんなりとしていたが、数ヶ月先の話に文句をつけても始まらないと悟ったのか、何も言葉を返そうとはしなかった。
そうして他の人々も食事を終えたあたりのタイミングで、豪快な寝息が聞こえてくる。ラウ=レイが、そのまま眠りに落ちてしまったのだ。
「……どうしてこやつは、余所の家でこうまで好きに振る舞えるのだ?」
アイ=ファが溜め息まじりにつぶやくと、ヤミル=レイが「申し訳ないわね」とぶっきらぼうに応じた。
「まあ、これが気に食わないのだったら、最初から逗留など許すべきではなかったということよ」
「やかましいわ」と眉を吊り上げるアイ=ファの腕を、リミ=ルウが横から抱きすくめる。
「でも、今日はリミとアイ=ファとティアとヤミル=レイの、4人で眠れるんだもんねー! リミ、すっごく楽しみにしてたんだー!」
「……リミ=ルウは、ヤミル=レイともそこまで絆を深めていたのか?」
「ううん。ヤミル=レイはいっつもアスタのお手伝いだから、あんまりおしゃべりしたことないの。だから、よけいに楽しみだったんだよねー!」
アイ=ファに抱きついたまま、リミ=ルウは無邪気な笑顔をヤミル=レイに差し向けた。ヤミル=レイは、いくぶん困惑気味に「そう」と応じる。
「わたしなどはつまらない人間だから、さぞかしがっかりさせてしまうでしょうね。せっかくなのだから、あなたはぞんぶんにアイ=ファと語らうべきじゃないかしら」
「だめー! みんなとおしゃべりするのー!」
リミ=ルウであれば、きっと緩衝材や潤滑油に留まらない働きをしてくれることだろう。俺は安心して、個性豊かな女衆たちを寝所に送り出すことができた。
で、広間に残される男衆である。とりあえず、俺とルド=ルウは床に寝具を敷いてから、くすぐったりつついたり転がしたりして、ラウ=レイの身体をそちらに誘導することにした。
「まったく、世話が焼けるよなー。レイの本家には男衆が少ねーから、毎日苦労してるんじゃねーのかなー」
自分の寝床に横たわりながら、ルド=ルウがそのように発言した。
「ああ、ラウ=レイには3人のお姉さんしかいなかったんだってね。それでいまは、長姉だけ婿を迎え入れたんだっけ?」
「ああ。次姉はルティムに、末妹はミンに嫁入りしちまったからな。あとはラウ=レイの母親とヤミル=レイだけだよ。……アスタはラウ=レイの母親と会ったことはあったっけ?」
「いや。祝宴で顔をあわせてるかもしれないけど、紹介されたことはないね」
「そっかー。会ってたら、きっとひと目でわかると思うぜー。何せ、ラウ=レイとそっくりだからなー」
「へえ、そうなんだ? それじゃあ、さぞかし美人なんだろうね。……と、容姿をほめそやすのはまずいか」
「本人がいなきゃいいんだよ。うん、あれは美人っていうんだろうなー。うちの親父と同じぐらいの年のはずなのに、すっげー若く見えて、すらーっとしてて、しかもこーんなに胸がでっけーんだよ」
「あはは。それはすごいね」
まだしばらくは睡魔が訪れる様子もなかったので、俺はうつ伏せになってルド=ルウとのおしゃべりを楽しむことにした。
「だから、ラウ=レイの親父が魂を返した後は、あちこちの男衆から婚儀を申し入れられたって話なんだよなー。末っ子のラウ=レイがこんなでっけー年なのに、すげー話だよ」
「そっか。でも、その申し入れには応じてないんだね」
「ああ。4人も子を生んでれば、十分に女衆としての仕事は果たせてるし……魂を返した伴侶のことが忘れられねーんじゃねーのかなあ」
ルド=ルウは頭の後ろで手を組みながら、天井を見上げていた。
「……なあ、アスタはまだアイ=ファと婚儀をあげねーのか?」
「い、いきなりだね。……うん、まだしばらくはこのままだと思うよ」
「そっか。ま、お前らの好きにすりゃいいけどよ。……でも、後悔だけはすんなよな。ラウ=レイの親たちみたいに、いつどっちが魂を返すことになるかもわからねーんだからさ」
「うん、ありがとう」
昨晩はラウ=レイと語り明かし、今宵はルド=ルウと語り明かすことができる。やっぱりこれは、俺にとって得難い体験であるはずだった。
(同世代の同性と語り明かすなんて、それこそ修学旅行みたいだな)
そんな風に考えながら、俺はルド=ルウに笑いかけた。
「そういえば、ルド=ルウのほうはどうなんだい? 口出しするつもりはないけど、嫁入りを願う女衆はいくらでもいそうじゃないか」
「あー、俺はまだピンとこねーなー。北の集落にも色っぽい女衆は山ほどいたけど、なんか違うんだよなー」
「そっか。まあ、ルウ家では20歳ぐらいまで、婚儀をせっつかれることもないんだもんね。つい最近、ようやくダルム=ルウが婚儀をあげたところだしさ」
「そーそー。ガズラン=ルティムなんて、本家の長兄なのに24歳まで婚儀をあげなかったしよー。俺もそれぐらい、のんびりやりてーよ」
ルド=ルウは、いまだ16歳。24歳になるまでは、8年ばかりも残されている。
そうして8年も経過したら、リミ=ルウと同い年のターラも17歳になっている。それはちょうど、ガズラン=ルティムとアマ・ミン=ルティムの年齢差と同一であるはずだった。
もちろん俺としても、いまだ9歳のターラとルド=ルウが結ばれるなどとは、本気で考えているわけでもなかったのだが――とりあえず、リミ=ルウを溺愛しているルド=ルウとしては、それと同じぐらい大事に思える相手と巡りあわない限り、なかなか婚儀をあげたりはしないのではないかと考えていた。
「……すべては森と西方神の思すままにだね」
「そーゆーこった。そういえば昨日、親父のお供でサウティの家に行ったんだけど――」
ルド=ルウも、まだまだ眠くはないらしい。
アイ=ファもこうして幸福な時間を過ごしているだろうか、とぼんやり考えながら、俺はルド=ルウとの絆を静かに深めていった。