思わぬ居候③~修練~
2019.2/13 更新分 1/1
翌朝である。
窓から差し込む日の光で目を覚ますと、俺のかたわらではラウ=レイが高らかに寝息をたてていた。
寝息といびきの中間といった、なかなか豪快なボリュームである。手足は大の字にのばされており、せっかく持参してきた寝具もしっちゃかめっちゃかになってしまっている。少女のように繊細な面立ちとは裏腹に、実に雄々しい寝姿であった。寝所を女衆に譲り、俺たちが広間で眠ることにしたのは正解であったようだ。
(ダルム=ルウなんかは、見かけに寄らず可愛らしい寝顔だったのにな。人それぞれ、個性があるもんだ)
そんな風に考えながら、俺はラウ=レイの肩をそっと揺すってみせた。
「ラウ=レイ、朝だよ。起きられるかな?」
ラウ=レイは「ううん!」と不機嫌そうに鼻を鳴らして、俺の手を肩から払いのけた。まぶたはぴったりと閉ざされたままで、起きる気配など微塵もない。
「まいったな。おーい、今日は朝から修練をするんだろう? あと、洗い物も手伝ってくれるんじゃなかったっけ?」
俺はさきほどよりも力を込めて、ラウ=レイの肩を揺さぶった。
すると、目にも止まらぬスピードで平手が飛んできて、俺の顔面をぴしゃりと叩く。俺が「ふぎゃあ」とひっくり返ったタイミングで、アイ=ファたちの眠っていた寝所の戸板が引き開けられた。
「……何をやっているのだ、アスタよ?」
どうやらすでに着替えも済ませているらしく、洗い物を詰めた草籠を手に、アイ=ファが仁王立ちになっている。俺はひっくり返ったまま、「おはよう」と挨拶してみせた。
「おはようではない。何をしているのかと問うているのだ」
「いや、俺はただラウ=レイを起こそうとしただけだよ」
「……まさかそれで、暴虐な振る舞いに及ばれたわけではなかろうな?」
アイ=ファの肢体が、怒りのオーラに包まれていく。
すると、その背後からけだるげなヤミル=レイも現れた。
「ああ、家長の起こし方を教えてなかったわね。迂闊に手を出すと、痛い目を見てしまうのよ」
ヤミル=レイは普段よりもスローモーな足取りでラウ=レイに近づくと、すらりとした足の先で家長の足の裏をくすぐった。
ラウ=レイは「うふふ」とおかしな声をあげて、横向きに丸くなってしまう。するとヤミル=レイはその背後に回り込み、今度は足の先で背中を強めに揺さぶり始めた。
「家長、朝よ。この刻限に起こせと言ったのは、あなたのはずよね?」
傍目には、ヤミル=レイがラウ=レイを足蹴にしているようにしか見えない。やがてラウ=レイは「うぐう」とくぐもった声をあげると、ふいにぱちりとまぶたを開いた。
「おお、朝か。……あれ? どうしてアスタがここにいるのだ?」
「それはだね、ここがファの家だからだよ」
「おお、そうかそうか。そういえば、俺はファの家に逗留していたのだったな。うむ、よく寝たぞ!」
ラウ=レイはがばりと身を起こした。普段は首の後ろで束ねている金褐色の髪が大爆発して、まるでライオンのような有り様である。
「とまあ、こんな感じね。面倒だったら、グリギの棒か何かで引っぱたいてやればいいわよ」
そのように述べてから、ヤミル=レイは「あふ……」とあくびを噛み殺した。切れ長の目もいくぶんとろんとしているのが、妙に色っぽい。どうやらヤミル=レイは、あんまり朝に強くないようだった。
「それでは、朝の仕事だな! えーと、まずは何をすればよいのだ?」
「水場に行って、洗い物だよ。洗い物は、あっちの鉄鍋にまとめてあるからね」
「よし! では、俺が運んでやろう! 引き板なんぞはいらんからな! これも修練だ!」
ラウ=レイは、ばねじかけの人形みたいに、ぴょこんと立ち上がった。アンニュイな空気を纏ったヤミル=レイは、眠たげな目でそれを見やっている。
「なかなか起きないくせに、起きたら誰よりも騒がしいのよねえ……いったいどういう身体の作りをしているのかしら」
「……そのようなことよりも、ラウ=レイはまずはアスタに詫びるべきであろうが?」
「うむ? どうして俺が、アスタに詫びなくてはならんのだ?」
ラウ=レイが、きょとんとした面持ちでアイ=ファを振り返る。アイ=ファはまだ眉を吊り上げていたので、俺が「まあまあ」と取りなすことになった。
「ラウ=レイは寝ぼけてただけだから、そんなに目くじらを立てることはないよ。明日からは、俺も気をつけるからさ」
「……やはりこやつらに逗留を許すべきではなかったかもしれんな」
そんな賑やかな一幕を経て、俺たちは水場に向かうことになった。
ティアとギルルはお留守番で、3頭の犬だけが俺たちについてくる。そうして水場に到着すると、近在の女衆たちがびっくりまなこで出迎えてくれた。ユン=スドラやトゥール=ディンであれば事情をわきまえているのだが、このように早い時間では噂が広まる余地もなかったのだろう。
「あら、アスタにアイ=ファ。それに、ヤミル=レイと……あなたは、どなたかしら?」
「俺はレイの家長で、ラウ=レイという者だ。昨日から、ファの家に逗留している」
女衆らは、ますます驚いた顔で目礼をしていた。レイといえば族長筋ルウの眷族で、ルティムの次に力を持つ氏族であるのだ。俺だって、ディック=ドムやジーンの家長などがいきなり水場に現れたら、たいそうたまげてしまうはずだった。
そんな驚きの目に見守られながら、ラウ=レイは抱えていた鉄鍋を足もとに下ろす。鉄鍋などは2枚重ねで、その内には5名分の食器も詰め込まれているのに、ラウ=レイにとっては何ほどの重量でもなかったのだろう。疲れた素振りも見せずに、「さあて」と洗い物に取りかかる。
その洗い物を分担しながら、俺はみんなに詳細を説明することになった。
ランの年かさの女衆が、「なるほどねえ」と感心したような声をあげる。
「そういえば、うちの男衆も休息の期間は、ちょくちょくファの家で修練をしていたものねえ。みんな、アイ=ファの強さにあやかりたいってわけだ」
「そうですね。家人としては、誇らしい限りです」
俺はそのように応じてみせたが、当のアイ=ファは仏頂面で洗い物に専念していた。もともと他者からの称賛を苦手にする奥ゆかしい性格であるし、ラウ=レイの存在がいささかならずストレスの要因になってしまっているのだろう。最後にはそういったわだかまりも解消されて、絆が深まることを願うばかりであった。
そうして洗い物を済ませた後は、ラントの川で水浴びである。
森の端に踏み入りながら、ラウ=レイは「ふーむ」と声をあげる。
「水浴びひとつするのに、ずいぶんと歩くのだな。俺はさっさと修練を始めたいのだが」
「……文句があるならば、レイの家に帰ればよかろうが?」
「文句を言っているわけではないが、洗い物と水浴びで行ったり来たりするのは、時間の無駄ではないか? 水場がもっと大きいか、川がもっと近ければ、洗い物も水浴びも同時に済ませられるではないか」
すると、ようやく普段の怜悧さを取り戻しつつあるヤミル=レイが、ぼやく家長を横目で見やった。
「そういう便利な場所で暮らしているのは、族長筋だけなのじゃないかしら? 迂闊な口を叩くと、不便な場所で暮らしている氏族を見下していると思われかねないわよ、家長?」
「なに? うーむ、そうなのか。だったらどの氏族も、川のそばに家を建てればよかったろうになあ」
「わたしたちの先人は、きっとなるべく木を伐り倒さないように言いつけられたのでしょうよ。とりあえず、北から南に真っ直ぐ道を切り開いて、たまたま川のそばにぶつかった便利な場所に、力のある氏族が住まうようになったのじゃないかしらね」
「ふふん。80年も昔のことを、まるで見てきたように語るのだな」
そのように述べながら、ラウ=レイは俺を振り返ってきた。
「ヤミルというのは、賢い女衆であろう? そういう部分を、俺はけっこう誇らしく思っているのだ」
「そりゃあもう、ヤミル=レイの賢さは森辺で指折りなんじゃないのかな」
ヤミル=レイは、素知らぬ顔で肩をすくめていた。どうもこの組み合わせだと、クールな女衆に稚気あふれる男衆という構図になってしまいがちのようだ。
そんなこんなで、ラントの川に到着である。
大きな岩盤を衝立の代わりにして、まずは女衆と犬たちが水浴びをする。岩盤に背をもたれてぽけっとしていると、ラウ=レイがまた「うーむ」と声をあげた。
「これもまた、まったくもって時間の無駄だな。この間に、薪や香草を集めればよいではないか?」
「ああ、ラウ=レイがいるなら、それもいいかもね。ほら、普段は俺ひとりだからさ。早起きのギバに出くわしたら、危ないだろう? だから、ひとりでは森の中をうろつかないようにしてるんだよ」
「ふむ。早起きのギバなど、そうそうおるまい? そうだからこそ、女衆は朝の内に森での仕事を片付けているのだからな」
「そうなんだけどさ。よりにもよって、俺が初めて水浴びに連れて来られたとき、早起きのギバに遭遇しちゃったんだよ。ついでに、マダラマの大蛇にもね。それ以来、何も危ない目にあうことはなかったんだけど……とにかくファの家では、ひとりで森をうろつくことを禁じられちゃったんだ」
「なんと! アスタは人間ばかりでなく、ギバやマダラマまで引き寄せてしまうのか! それは難儀なことだ!」
ラウ=レイは、愉快そうに笑い声をあげた。
それを見返しながら、俺も「うん」と笑ってみせる。
「それに、普段はこの岩ごしに、アイ=ファと語らってるんだ。1日の始まりに、こういうのんびりした時間があるのも、悪くはないだろう?」
「なるほど。それもまた、ファの家の習わしか。……では、俺もそれに従ってみることにしよう」
そうして俺たちは10分ばかりの間、とりとめもない会話に興じることになった。
昨晩の寝る間際も、こうしてふたりでゆったりとした時間を過ごしたのだ。狩人について、かまど番について、城下町や宿場町について、これからの森辺について、おたがいの父親について――話したいことは、いくらでもあった。
「ラウ=レイと出会ったのは去年の家長会議だから、もう1年と3ヶ月ぐらいは経ってるんだよね。でも、こんな風にのんびり語らうのは、ほとんど初めてなんじゃないかな?」
「うむ。だから俺は、ファの家で過ごしてみたかったのだ」
ラウ=レイは、楽しそうに白い歯をこぼした。
女性的なる繊細な顔立ちでも、フェルメスなどとはまったく違う。目の光が強く、表情はふてぶてしく、自信と力に満ちあふれている。この半日で、俺はラウ=レイがどれぐらい魅力的な人間であるかを、十分に再確認できていた。
そののちはアイ=ファたちと交代で水浴びをして、すみやかにファの家に舞い戻る。普段であればこの帰りしなに薪と香草の採取を済ませるのであるが、それはラウ=レイがのちほど受け持つことに取り決められていた。
「あー、やっと戻ってきたぜ。おーい、待ちくたびれちまったよ!」
と、ファの家ではルド=ルウとシン=ルウが待ちかまえていた。母屋のかたわらにはルウルウが繋がれて、ギルルとともに枝の葉を食んでいる。ちなみにレイ家のトトスと荷車は、昨日のうちに家人が乗って帰っていた。
「おお、よく来てくれたな、ルド=ルウにシン=ルウよ! いささか待たせてしまったか?」
「朝一番でファの家に来いって言伝てを残したのは、ラウ=レイだろー? ったく、俺が留守にしてる間に、勝手に話を決めちまうんだもんなー」
「うむ、すまんな。思っていたよりも、水場が遠かったのだ。明日からは、いまぐらいの時間に来てくれ」
ということで、いよいよラウ=レイの修練の始まりであった。
薪と香草の採取を後回しにした分、俺も時間があまってしまったので、本日は修練の見学をさせていただくことにする。アイ=ファは厳しい眼差しになりながら、その場に集結した若き狩人たちを見回した。
「私は、見守ればよいのだな? ならばまずは、棒引きの勝負でもしてもらおうか」
「棒引き? それも狩人の修練ではあろうが、ルウの血族は闘技の力比べしかしておらんぞ」
「そのようなことは、私とてわきまえている。とっとと準備をするがいい」
準備といっても、引っ張り合う棒と足の下に敷く板切れを準備するだけのことだ。「棒引きなんて、ひさびさだなー」と、ルド=ルウははしゃいだ声をあげていた。
で、その結果――ラウ=レイは、ルド=ルウにもシン=ルウにも敗北を喫することになった。それも、けっこうな秒殺である。
「よし。次は荷運びだ。……アスタはまだ身体が空いているのだな?」
「うん。何か手伝おうか?」
「では、ルド=ルウはシン=ルウを、ラウ=レイはアスタを背負うがいい。その後は、シン=ルウがルド=ルウを背負って、走る速さを競うのだ」
これは、ラウ=レイの圧勝であった。奇しくも俺たちはみんな似たような背格好をしていたが、その中で一番大柄なのは、ラウ=レイなのである。
とはいっても、もっとも小柄なルド=ルウと比べたって、身長差はせいぜい5、6センチだ。そんなわずかな体格差では説明がつかないぐらい、ラウ=レイはこの競技が得意であるようだった。
「次は、木登りだな」
これは、僅差でラウ=レイが勝利した。しかし、近在の氏族で行われた力比べと比較するに、全員がなかなかのタイムを弾き出しているように感じられる。
「弓の準備はないので、的当てはできぬな。では、闘技の力比べだ」
ラウ=レイは「おお!」と勇んで、進み出た。
初戦がルド=ルウで、その次がシン=ルウであったが――結果は、ラウ=レイの2連敗であった。ラウ=レイも、以前よりは猪突猛進でなくなったように思うのだが、それでもやはり猛攻をすかされて地に倒されてしまう。
「……こんな具合にな、ルド=ルウにもシン=ルウにもまったく勝てなくなってしまったのだ。ダルム=ルウやミダ=ルウとは、そこそこいい勝負ができるのだがなあ」
シン=ルウに倒されたラウ=レイは、地面にあぐらをかいて仏頂面をこしらえる。その姿を眺めながら、アイ=ファは「ふむ」と下顎を撫でさすった。
「お前も少しは、頭を使えるようになったのだな。まあ、そうでなくてはダルム=ルウやミダ=ルウとまともに勝負をすることも難しかろう。むしろ、その戦い方で自分よりも大きな相手を倒せるだけ、大したものなのだろうと思う」
「……ほめられているのか、けなされているのか、どちらなのだ?」
「どちらでもない。しかし……確かにお前は、自分の力というものをまったく使いこなせていないように思えるな」
アイ=ファは難しい顔で考え込んでいた。
「お前はルド=ルウやシン=ルウよりも大きいが、それでもせいぜい拳ひとつぶんだ。そうであるにも拘わらず、荷運びの力比べであれだけの差が出るということは……並外れて、身体の力が強いのだろう。木登りですらルド=ルウらに勝てるのも、その身の強さゆえであるのだ」
「うむ。それで?」
「それで……それだけ身の力が強ければ、ルド=ルウらよりも素早く動けるはずだ。ミダ=ルウぐらい身体が大きいと、自らの重さで素早さを損なわれることもあろうが、そういう不利も生じまい。それでも、お前がルド=ルウらにまったく勝つことができないのは……」
「うむ。その理由は?」
「……やはり、頭が悪いのであろうな」
ラウ=レイは、がくりと突っ伏した。
「普段であれば頭に来るところだが、いまのは少し傷ついたぞ、アイ=ファよ」
「他に言葉が思い浮かばなかったのだ。他意はない」
「頭が悪いに、他意もへったくれもあるか!」
ラウ=レイは駄々っ子のように、じたばたと手足を動かした。
そこに、ガラゴロと荷車の近づいてくる音色が響く。
「お待たせしました、アスタ。……ルウとレイのみなさんも、お疲れ様です」
御者台のユン=スドラが、屈託のない笑顔で挨拶をする。祝宴や護衛の仕事を経て親睦の深まりつつあるルド=ルウは、「よー」と気さくに挨拶を返していた。
「アスタはもう仕事の時間かー。なあなあ、俺たちにも昼に食べるもんを作ってもらえねーかなあ?」
「ああ、いいよ。いつもアイ=ファに軽食を作ってるからね。シン=ルウも一緒に食べていくだろう?」
「うむ。アスタの料理を口にできるのなら、嬉しく思う」
シン=ルウは、はにかむように微笑んだ。ラウ=レイは、眉を逆立てながら立ち上がる。
「さあ、それじゃあ修練の続きだな! もうひとたび、ルド=ルウから頼む!」
「いいけどさー。何回やっても、変わらないんじゃねーかなー。ルウの集落でも、そうだったろ?」
「だから今日は、アイ=ファに助言をもらいたいのだ! 修練を繰り返せば、何か見えてくるものもあろう!」
「わかったよ。それじゃあ……あれ? あんたも来てたのか」
ルド=ルウの目が、きょとんと丸くなる。その視線を追いかけた俺は、荷台から飛び降りる小さな人影を発見することになった。
「あ、ライエルファム=スドラ。今日はいったいどうされたのですか?」
「いや。レイの家長が修練に来ているという話をユンから聞いたので、見物に来たのだ」
小猿のような風貌をしたライエルファム=スドラが、族長筋の人々にうっそりと頭を下げる。
「スドラの家長、ライエルファム=スドラだ。レイの家長の修練を見物させてもらってもかまわないだろうか?」
「うん? ああ、お前か。ずいぶんひさしいな。息災なようで何よりだ」
臨戦モードのラウ=レイは、早口で挨拶を返している。
この両名の出会いについては、俺にとっても印象的であった。ファの家の前で、ラウ=レイが俺を小突く姿を目撃してしまい、ライエルファム=スドラは刀を抜かんばかりの勢いで憤慨してくれたのである。それももう、1年以上前の話であるはずだった。
その後も護衛役の仕事などで顔をあわせる機会はあったものの、両者が口をきく姿を見るのは、ずいぶんひさびさであるように感じられる。が、ラウ=レイは久闊を叙する間もなく、ルド=ルウのほうを振り返った。
「見物したいなら、好きにするがいい。さあ、ルド=ルウ、かかってこい!」
「あー、俺はいつでも準備できてるぜー」
「では、行くぞ!」
ラウ=レイが、凄まじい勢いでルド=ルウに躍りかかる。
その両腕をかいくぐり、ルド=ルウはひらりと横合いに飛びすさった。
ラウ=レイもすかさずそちらに向きなおり、ローキックのごとき足払いを仕掛ける。ルド=ルウは片足を上げてそれをやりすごすと、ふわりと右腕を突き出した。
「うぬ!」と声をあげて、ラウ=レイは身をひねる。
その軸足に、ルド=ルウが足を引っかけた。
そうして逆側の肩をちょんとつつくと、ラウ=レイはあっけなくひっくり返ってしまう。さきほどと大差のない秒殺であった。
「くそ、やられたか! 次は、シン=ルウだ!」
「待て。……ライエルファム=スドラは、どのように思う?」
と、アイ=ファがすかさず声をあげた。
ライエルファム=スドラは「うむ」とうなずく。
「レイの家長は、己の力をもてあましているようだな。いま少し、沈着な心持ちで臨むべきではないだろうか?」
「力比べの場で、昂ぶらぬ人間がいるものか! この昂ぶりとて、狩人の力であろうが!?」
ラウ=レイががなりたてると、ルド=ルウが「まー待てよ」とたしなめた。
「たしかスドラの家長ってのは、この近在の氏族の力比べで勇者になってるんだよな。しかも闘技の力比べでは、アイ=ファの次に強いんだろ?」
ルド=ルウと目が合ったので、俺が「うん」と応じることになった。
「6氏族合同の収穫祭はこれまでに2回行われてるけど、闘技の力比べはどっちもアイ=ファとライエルファム=スドラが最後まで勝ち残ってたね」
「なに!? お前はそれほどの狩人であったのか!?」
ラウ=レイが、仰天した様子でライエルファム=スドラを振り返る。アイ=ファと同じく奥ゆかしい気性をしたライエルファム=スドラは、額に皺を寄せながら無言であった。
「フォウやリッドの家長とか、あとはジョウ=ランってやつだって、けっこうな力を持つ狩人なんだよな。そんな中で、2回も最後まで勝ち残るってのは、すげー話だと思うよ。……正直、俺でも勝てるかわかんねーもん」
「それでは、俺よりも強いということではないか! スドラに、それほどの狩人が隠されていたのか!?」
「べつに隠されちゃいねーだろ。ま、ラウ=レイは相手の力をはかる目もからっきしだもんなー」
すると、アイ=ファがライエルファム=スドラを差し招いた。
「何にせよ、ライエルファム=スドラが来てくれたことをありがたく思う。私とともに、レイの家長の力を検分してもらえないだろうか?」
「もとより、そのつもりだ。さして力になれるとは思えんがな」
そうしてラウ=レイとシン=ルウによる手合わせが開始されたところで、俺たちはかまど小屋に移動することにした。
ファファの手綱を引きながら、ユン=スドラがこっそり囁きかけてくる。
「レイの家長は、すごい気迫でしたね。昨日とはまったく様子が違うので、少し驚いてしまいました」
「うん。昨日はずーっとにこにこしてたもんね。まあ、どっちもラウ=レイの本当の姿だと思うよ」
ともあれ、俺としてはラウ=レイがスランプ状態から脱することを願うばかりであった。
下ごしらえの仕事を進めている間も、話題の中心はラウ=レイである。そして、ヤミル=レイがこの時間の仕事に参加するのは初めてのことであったので、そちらにも注目が集まっていた。
中でもトゥール=ディンなどは、ひそかにとても嬉しそうな様子であった。最近では屋台も離ればなれになってしまったので、ルウ家の勉強会ぐらいでしか、ヤミル=レイと絆を深める機会がなかったのだ。
「それにしても、ファの家に泊まり込むなんて、羨ましい話だねえ。あたしらはこうやって、毎日のようにファの家まで来てるけどさ。アイ=ファなんかとは、そうそう口をきく機会がないんだよ」
フォウの女衆がそのように述べたてると、ヤミル=レイはクールに「そう」と返していた。
「でも、無理に逗留など望まないほうが、身のためであるようよ。うちの家長ぐらい面の皮が厚くないと、居たたまれないのじゃないかしら」
「あはは。そうかもしれないねえ。ま、あたしらはいつでも会えるんだから、アイ=ファともじっくり絆を深めさせていただくよ」
後半の言葉は、俺に向けられたものであるようだった。俺は心からの感謝を込めて、「ありがとうございます」と笑顔を返してみせる。
そうして仕事を完了させて、家の前まで戻ってみると、修練は新たな局面を迎えていた。ルド=ルウとシン=ルウが見物に回り、ラウ=レイとライエルファム=スドラが相対していたのである。
ラウ=レイは、すでに肩で息をしていた。
いっぽうライエルファム=スドラは、涼しい顔で間合いを計っている。
「おのれっ!」と咆哮をあげるや、ラウ=レイはライエルファム=スドラにつかみかかった。
ライエルファム=スドラは身をよじり、前にのばされたラウ=レイの腕をひっつかみ、足を引っかける。ラウ=レイの身体は綺麗に一回転して、背中から地面に叩きつけられた。
「レイの家長よ。動く際に、声をあげる必要はあるまい。それでは、余計に動きを読まれやすくなってしまうぞ」
背中を強打したために、ラウ=レイは呼吸ができていない様子であった。それでも振り絞るような声で、「そうか……」と応じている。
「いまの痛みは、お前の力がもたらした痛みだ。何せ、俺はほとんど力を使っていないのだからな。……その強き力を相手にぶつけられるように、もっともっと頭を使うべきであろう」
そのように述べてから、ライエルファム=スドラは俺たちのほうを見た。
「アスタたちは、宿場町に向かう刻限か。では、俺もそろそろ家に戻ろうと思う」
まだまともに言葉を発することのできないラウ=レイは、地面に転がったまま、ライエルファム=スドラの足首をつかんだ。
ライエルファム=スドラはそれを見下ろして、くしゃりと微笑む。
「仕事に向かう前に、赤子たちの相手をしたいのだ。お前が望むのであれば明日も顔を出すので、今日は勘弁してもらいたい」
ラウ=レイはひゅうひゅうと息をもらしながら、ライエルファム=スドラの足首を解放した。
ライエルファム=スドラはアイ=ファたちに目礼をしてから、俺たちのほうに近づいてくる。
「よければ、途中まで乗せてもらいたい。思いの外、長居をしてしまったのでな」
「ええ、もちろんです。こちらの荷車にどうぞ」
俺もアイ=ファたちに挨拶をして、御者台によじのぼった。
同じ側から、ヤミル=レイも荷台に乗り込もうとしている。その面がいくぶん不機嫌そうに見えたので、俺は思わず「どうしたのですか?」と問うてしまった。
「……どうしたって、何の話かしら?」
「いや、何だかご機嫌が悪そうに見えてしまったもので。勘違いだったら、すいません」
御者台の脇に上がったヤミル=レイは、軽く眉をひそめつつ、俺の耳もとに唇を寄せてきた。
「……あなたの家長が、他の狩人たちに寄ってたかって叩きのめされるところを想像してごらんなさい。それほど愉快な気持ちにはなれないでしょう?」
それだけ囁くと、俺に返事をする時間も与えず、荷台のほうに引っ込んでいく。
ギルルの手綱を握りなおしながら、俺はひとりで微笑をもらすことになった。
(つまり、ヤミル=レイにとってのラウ=レイってのは、俺にとってのアイ=ファぐらい大事な存在ってことなのかな)
ようよう立ち上がったラウ=レイは、アイ=ファたちに囲まれて、何やらアドヴァイスを受けている。
その背中に心中でエールを送りながら、俺は宿場町に向かうことにした。