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異世界料理道  作者: EDA
第一章 異世界の見習い料理人
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異郷の朝①在りし日の夢

2014.10/29 誤字修正

 その夜は、夢を見た。


 猟友会のファームキャンプに参加して、シシ鍋を喰らった日の記憶だ。

 あのシシ鍋は、本当に美味かった。


 エノキやシイタケ、白菜や人参、牛蒡や里芋などをぶち込んだ白味噌仕立てで、噂に聞いていたような臭みなどはまったく感じられなかった。

 けっこう豪快な分厚さであったのだが、肉質は豚肉よりも柔らかいぐらいで、脂もまったくしつこくはなく、いくらでも食べることができた。


 時節は、12月。冬休みの真っ只中。

 冷えきった身体が芯から温まるとはこういうことか、と十全に実感できたものだ。


 食事の前には、イノシシをさばかせていただいた。

 それまでには鶏や鴨ぐらいしかさばいた経験もなかったので、緊張し、興奮した。

 すごくありきたりな感想だが、肉を食うというのはこういうことなのかと再認識させられた。


 残念ながら、さばいた肉は何日か放置して熟成させないといけないので、俺が食したのは猟友会のおじさまがたがあらかじめ準備しておいてくれた肉である。


 それでも、死ぬほど美味かった。


 三日間の泊まり込みのキャンプで、二日目の夜には親父と玲奈が陣中見舞いにやってきた。

 俺のさばいたイノシシを見て、玲奈などは貧血を起こしそうになっていたが、それでもシシ鍋は俺と同じぐらい食べていた。たくましいんだか軟弱なんだか、よくわからないやつだ。


(まあ、うちの店でシシ肉をさばく機会なんてないんだけどな)

 と、親父は笑っていた。


(あすたちゃんのさばいたお肉を食べてみたかったなあ)

 と、玲奈のやつも笑っていた。


 たぶん、俺だって笑っていただろう。


 ファームキャンプなんて、店を三日も休んでまで参加する意義があるのだろうかと、俺も最初は半信半疑であったのだが。とても楽しく、有意義な三日間だった。


「……おい、起きろ」


 明日は鹿をさばくんだぜと自慢すると、玲奈は丸っこい目をさらに丸くして驚いていた。


(鹿って食べれるの? なんかちょっと可哀想じゃない?)


(何でだよ。あんだけイノシシをガツガツ食ってたくせに、不公平なこと言うな)


(えー? だってイノシシは、ブタさんみたいなもんじゃん)


 などと言って、頬をふくらませる。

 だから、それが不公平なんだろと俺は諭した。


(お前、ブタとかイノシシとかちゃんと見たことあるのかよ? どっちかって言うと、俺は鹿よりあいつらのほうが可愛い顔をしてると思うけどなあ)


(やめてやめて! ブタさんが食べられなくなっちゃう!)


 海外ではもっと日本人には受け容れ難い食肉の文化もあるのだぞと言ってやりたかったが、さすがに気の毒なのでやめておいた。


「……おい、いつまで寝ている気だ。起きろ!」


 うるさいな。

 ああそれにしても、あのシシ鍋は本当に美味かった。

 けっこう強めの味噌味だったから、もっと肉そのものの味を楽しめる調理法も試してみたかった。

 イノシシの骨髄なんかでダシをとったら、もう最高なんじゃなかろうか?


「ここにいろとは言ったが、無駄飯を食わせるつもりはないぞ! おい!」


 ああ、乱暴に肩をゆさぶられている。

 それはともかくとして、俺はたぶん、くせの強い肉が好きなのだ。

 数回だけ食べたことのあるヒツジなんかもかなり好みの味だったし。そもそも肉や脂の匂いが大好きだ。前世は肉食動物だったんじゃないかなとさえ思う。


 ラーメンも、とんこつ醤油が一番の好みである。もちろん、ただ脂っこいだけのラーメンなどは御免こうむるが。店を継いだあかつきには、限定商品としてとんこつラーメンをメニューに加えてやろうと、俺はこっそり画策していたのだった。


「おい……いいかげんにしないと、痛い目を見せるぞ?」


 そう、その匂いだよ。

 ギバが臭いなんて、誰が言った?

 ん? いや、ギバって何だったっけ?

 とにかく、本当にいい匂いだ。

 さっきシシ鍋をたいらげたばかりなのに、また腹が減ってきてしまったよ。


 昨日の晩餐は散々だったしな。

 晩餐が散々とか韻を踏んでるな。

 まあいいや。

 とにかくお腹が空いたので、いただきます。


 やわらかい肉の食感が、俺の歯と舌を心地よく刺激して。


 次の瞬間、目の奥に白い火花が爆発した。



                 ◇



「……あれ?」


 現状を把握するのに、時間がかかった。

 鼻腔を刺激する、肉と香辛料の匂い。

 窓から差しこむ、早朝の日差し。

 ごわごわとした毛皮の感触。

 木の壁と、梁がむきだしになった天井。


 ああ。

 そうだ、俺は異世界で初めての夜を明かしたのだった。


 ここは俺の部屋ではない。森辺の民、アイ=ファの家だ。

 今、俺の目の前で仁王立ちになっているのが、そのアイ=ファだ。


 左手の平を首筋にあてて、綺麗な顔を真っ赤に染めて、抜き身の小刀を俺に向かって振り上げているのが、生命の恩人たるアイ=ファその人だ。


「ちょ……ちょっと待て! 俺は食っても美味くないぞ、たぶん!」


 一気に俺は覚醒し、寝転がったまま背後の壁まで後ずさった。


 鋼の刀身が、朝日を反射してギラギラ輝いている。

 そいつを振り上げたアイ=ファの右腕は、激情をこらえかねているようにぷるぷると震えていた。


「……殺す」


「だから、何でだよ! どうして朝っぱらからそんな物騒な真似を……」


 とか、わめいていたら、頭のてっぺんがズキンとうずいた。

 ん? そういえば、夢の中でも誰かに殴られたような気がする。


「あ、もしかしたら俺を殴ったのはお前かよ? ひでえなあ。寝てる人間の頭を殴るなんて、いったいどういう了見だ?」


「……自分の胸に聞いてみろ」


 アイ=ファの顔は、怒りのあまりか真っ赤に染まってしまっている。

 昨日もそうだったけど、クールぶってるくせに沸点が低いよな、こいつは。


 しかし、その反面、何の理由もなく怒り狂うやつではないとも思う。

 ひょっとして、俺が何か粗相をしてしまったのだろうか。


「ごめん。俺が何かしちまったのかな? 寝ぼけてて何の記憶もないんだよ。お前に何か失礼な真似をしちまったんなら、謝る」


「…………した」


「ん?」


「私を! 食おうとした!」


 たぶん出会ってから一番大きな声でわめき、アイ=ファは両手で小刀をかまえなおした。

 今まで左手で隠されていた、なめらかな首筋に――くっきりと、実に健康的な歯型が刻印されている。


「おお」と、俺は手を打った。


「思い出した。夢の中で、俺は何か食ってたんだよ。そんで、お前は美味そうな匂いをプンプンさせてるから、間違えて噛みついちまったのかな?」


「……殺す」


「うわあ待て待て! 俺が悪かった! 本当に悪かった! 心の底から謝罪を申し上げる! どうかお生命だけは勘弁を……」


「やかましい!」


 こうして異世界生活の2日目は、まことに騒々しくスタートすることと相成ったのである。


 不幸中の幸いとして、俺がカニバリズムに覚醒することはなかったという事実を、尾籠ながらもつけ加えさせていただきたい。

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