思わぬ居候①~ルウ家の勉強会~
2019.2/11 更新分 1/1 ・2/15 誤字を修正
・今回の更新は全8話です。
モラ=ナハムがファの家を訪れて、フェイ=ベイムに思わぬ告白をした日の、翌日――黒の月の22日である。
その日、屋台の商売を終えた俺たちは、ルウ家で勉強会を行っていた。
この時期、ルウの血族は休息の期間にある。のちのちには宿場町の民との交流会や、ドーラ家への来訪なども予定が立てられていたが、まずは血族同士の親愛を深めるのが先決という方針で、その日もルウ家の集落はたいそう賑わっていた。
もともと休息の期間というのは、家族や血族が親愛を深める期間であったのだ。普段はギバ狩りの仕事で忙しくしている男衆が、家の仕事を手伝ったり、幼子の面倒を見たりして、家族との関係を密にする。また、普段はあまり行き来のない血族の家にまで出向いて、親睦を深める。それが本来の、休息の期間の在りようであったのだった。
「森辺の外の人間と絆を深めるのも、確かに大切な行いであるのでしょう。しかし、それで血族との絆が薄くなってしまっては、より大切なものを失ってしまいかねません。我々は、もっとも身近な相手との絆をしっかりと結び合わせつつ、それと同時に、新たな友との絆を深めていく……それが肝要なのではないでしょうか」
伝え聞いたところによると、ジザ=ルウはドンダ=ルウに対して、そのように熱弁をふるっていたのだそうだ。
それに同席していたガズラン=ルティムも、強く同意を示していたらしい。森辺の民は変革の時代を迎えているからこそ、根っこの部分をおろそかにしてはならない。それが両者の、共通認識であるようだった。
そういった話を経て、ルウの集落にはたくさんの血族が訪れていた。また逆に、ルウ家から眷族の家を訪れている人間も多数存在するらしい。俺たちが宿場町から帰還したときも、ルウ家の広場では祝宴のような騒ぎが繰り広げられていた。
ミダ=ルウとジィ=マァムが力比べの修練をしていたり、ラー=ルティムがルウ家の年老いた男衆と盤上遊戯に興じていたり、いつも以上の人数である幼子たちが、それを取り囲んで嬌声をあげていたり――本当に、たいそうな賑わいである。休息の期間もそろそろ折り返し地点であるはずだが、その熱気には一点の陰りも見られなかった。
「やっぱりトトスの荷車ってのは便利だよね。昔だったら、家の遠いムファやマァムの幼子がルウ家にまでやってくるなんて、収穫祭のときぐらいだったと思うよ」
本家の前で俺たちを出迎えてくれたミーア・レイ母さんは、笑顔でそのように述べたてていた。
「今日はうちの家人も留守にしてる人間が多くてね。家の中も静かなもんだよ」
「そうなのですね。みなさん、どこに行かれたのですか?」
俺がそのように問い返すと、ミーア・レイ母さんは「えーと」と視線をさまよわせた。
「リミはルティムの家で、ティト・ミンはミンの家で……ドンダとルドは、血族じゃなくってサウティの家に出向いてるはずだね。ララは朝からあちこちうろついてたみたいだけど、かまど仕事の当番だから、ついさっき帰ってきたところだよ」
それでレイナ=ルウとヴィナ=ルウは屋台の当番であったのだから、家には長兄の一家とジバ婆さんしか残されていなかったわけだ。本来であればそれほどさびしい人数でもないが、ダルム=ルウが抜けても12人家族のルウ本家にしてみれば、ずいぶん静かに感じられるのだろう。
「ま、眷族の連中がひっきりなしにジバに顔を見せに来るから、静かってほど静かなわけでもないんだけどね。そう考えたら、ルドとリミが留守にしてるから、静かに感じただけなのかもしれないねえ」
そんな風に言いながら、ミーア・レイ母さんは俺たちをかまど小屋に案内してくれた。
すでに半分の人数は、シーラ=ルウの家の前で行動を別にしている。屋台が増えるに従って、勉強会に参加する人間の数も増えていくので、ここ最近は最初から二手に分かれるようになったのだ。あちらでは、シーラ=ルウとミケルを中心にして、勉強会が行われる段取りになっていた。
本日、こちらの勉強会に参加するのは、俺、ヴィナ=ルウ、レイナ=ルウ、ヤミル=レイ。トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、リリ=ラヴィッツ、そしてリッドの女衆。そこに、晩餐の当番であるミーア・レイ母さんとララ=ルウも加わって、総勢11名である。
ルウ家のほうも下ごしらえの仕事は完了しているとのことであったので、俺たちはさっそく勉強会の準備を始めることにした。
「そういえば、あたしらも新しいぎばかれーをシャスカで試してみたんだけど、あれは確かに美味しいねえ。以前よりも、うんと美味しくなったと思うよ」
てきぱきと準備を進めながら、ミーア・レイ母さんがそのように述べたてた。
「ただ、肝心のシャスカがまだ作りなれていないもんでね。レイナやシーラ=ルウなんかは別として、あたしらはいまだに失敗しやしないかと、ひやひやしながら作ってるよ」
「そうですか。こればっかりは、数をこなすしかないでしょうね。シャスカを美味しく炊きあげられるように、頑張ってください」
ルウ家もファの家と同じように、大量のシャスカを買いつけている。以前に祝宴で出した『カレー・シャスカ』や『ギバ・カツ丼』がたいそうお気に召したようで、眷族からも購入したいという声が多数あがっていたのだそうだ。
「それでも祝宴なんかがあったら、あっという間に食べ尽くしちまいそうだからねえ。城下町に残ってる分が売り切れちまわないうちに、もうちょっと買い足しておこうかと相談していたところなんだよ」
「ああ、実は俺もです。近在の人たちが、予想以上にシャスカを買い取っていったのですよ。シャスカはポイタンに比べるとずいぶん割高なので、ここまで買う家が多いとは思ってなかったのですよね」
「族長筋じゃない氏族も、それだけ豊かになってきたってことだね。そいつは、めでたいことじゃないか」
ミーア・レイ母さんは、嬉しげに微笑んでいる。すると、洗った鉄鍋をかまどにセットしていたララ=ルウが「でもさー」と声をあげた。
「そんなにみんながシャスカを欲しがったら、それこそ城下町にある分もすぐに売り切れちゃうんじゃない? あっちにだって、シャスカを欲しがってる連中はいるんでしょ?」
「うん。だけど、森辺の民ほどではないみたいだね。現在の城下町の料理人たちは、みんなミソに夢中で、なかなかシャスカにまで手が回らないんじゃないのかな」
それに城下町には、1年ほど前からバナームの黒フワノが流通している。どちらかというと、そちらのほうが安定した売れ行きであるように感じられた。
「まあ、麺状でも米状でも、シャスカは使い勝手が独特だからね。城下町の料理人たちは、もっとシャスカの流通が安定するまで様子を見ようとしているのかもしれないね」
「ふーん。でも、今回シャスカを運んできた連中は、森辺の新しい道を通ってきたんでしょ? それで今後は、シムとの行き来も楽になったって話じゃなかったっけ?」
それは、シャスカの到着とともに伝えられた情報であった。ラムルエル率いる商団、《黒の風切り羽》が無事にシムへと帰りつき、新たな道の安全性を喧伝してくれたため、ついに本格的に実用化の運びとなったのだ。
なんでも、新しいルートを使用すると、ひと月半でジェノスに到着できるらしい。これまでよりも、半月ばかりも時間を短縮することがかなったのだ。
なおかつ、もともと使っていたルートにおいては、近在にジャガルの集落が開かれてしまったために、東の民としては安全性を取り沙汰する声があがっていた。モルガの森辺を抜けていくと、それよりも北寄りの区域を通ることになるので、南の民との諍いも避けられるというメリットも生じるというわけであった。
「それでもまあ、片道ひと月半ってのは決して短い距離じゃないからね。流通が安定するには、まだまだ時間がかかるんじゃないのかな。ジェノスのほうでも、余分に買いつけないようにあれこれ模索する必要もあるだろうしね」
「なるほどねー」と言ってから、ララ=ルウはにわかに真面目な面持ちとなって、俺のほうに顔を寄せてきた。
「……そういえばさ、それでシュミラルのお仲間たちが、予定よりも半月早く到着したりするのかなあ?」
その声は、俺にしか聞こえないようにひそめられていた。当然のこと、かまど小屋の片隅で勉強会の準備をしているヴィナ=ルウへの配慮である。俺もララ=ルウの耳もとに口を寄せて、囁き声を返してみせた。
「予定って言っても、もともと細かい日取りまで決められてたわけじゃないからね。半月ぐらいの差は、それほど影響ないんじゃないかな」
「半月ぐらいって言っても、ヴィナ姉やシュミラルにとっては大ごとでしょ? それを境に、半年も会えなくなっちゃうんだからさ」
「うん。だけど、半月早く到着できるんなら、そのぶん出発を遅らせて、故郷でゆっくりするんじゃないのかな。商団の人たちだって、なるべく家族と一緒に過ごしたいと願っているだろうからね」
それから俺は、かねてより考えていたことをララ=ルウに伝えてみせた。
「それにね、予定では《銀の壺》がやってくるのは紫の月だろう? 紫の月といえば、復活祭だ。その時期にはジェノスもたいそう賑わうから、《銀の壺》もそれに合わせてやってくると思うんだよね」
《銀の壺》がジェノスを出立したのは、茶の月の17日。往復に要するのが4ヶ月で、故郷で過ごす期間が半年と考えると、次にやってくるのは紫の月の半ばとなる。ジェノスが復活祭で賑わうのはちょうどその頃からであるのだから、わざわざ日程を繰り上げたりはしないように思うのだ。
「そっか。それでジェノスに到着したら、ひと月ぐらいは居座っていくんだっけ?」
「うん。それで紫の月の頭に到着しちゃったら、年が明けてすぐにジェノスを出立する日取りになっちゃうからね。それじゃああまりに慌ただしいから、紫の月の半ばに到着って期日は動かさないんじゃないかと思うよ」
そうして俺たちが囁き合っていると、ミーア・レイ母さんが苦笑まじりの声をあげた。
「あんたたちは、さっきから何をこそこそ喋ってるんだい? そろそろ準備もできたんじゃないかねえ?」
「あ、そうですね。では、勉強会を始めましょうか」
他のかまど番たちも、俺たちの密談が終わるのを待ちかまえていたようだ。ララ=ルウはひとつ肩をすくめると、すました顔で引きさがった。
「さて、今日はどうしましょう? 何かルウ家からご要望はありますか?」
俺は個人的な修練を開始してから、通常の勉強会はなるべく他のみんなの要望を優先させることにしていた。ミーア・レイ母さんは「そうだねえ」と首をひねりながらレイナ=ルウのほうを見やる。
「あたしは何でもかまわないけど、レイナはどうだい?」
「そうだね。やっぱりシャスカにゆとりのあるうちに、その手ほどきをしてもらうべきじゃないかな。眷族の家でも、それを望んでるだろうしね」
「ああ、確かにね。そいつはもっともな話だ」
この場で習い覚えたことは、ルウ家の人々を通して眷族の家にまで伝えられるのだ。そして眷族の家からは、ダイやサウティやベイムの家に伝えられることになる。家長会議を経て構築された、森辺の新たなネットワークであった。
「この前のちゃーはんについては、わたしやリミやシーラ=ルウが習うことができましたので、それ以外にも何かあったら、手ほどきをお願いしたく思います」
「そうだね。シャスカそのものを使った料理は、まだいくつかあるんだけど……うん、その中から手頃そうなのを選ぼうか」
シャスカはもともともち米よりも粘性の強い性質であるので、ピラフやパエリアのように生米を炒める料理は再現が難しい。ならば、おのずと種類は限られた。
「まずは無難にケチャップライスと、あとは雑炊に……あ、そういえば今日は、ルウ家でキミュスの骨ガラの出汁を取っていたんでしたっけ?」
「ああ、最近は屋台で売る汁物料理にもその出汁を使っているからね。晩餐用に、多めにこしらえておいたのさ」
「よかったら、それを少しだけ分けていただけませんか? そうしたら、リゾットという料理にも挑戦してみようかと思います」
俺がそのように述べたてると、視界の端でマルフィラ=ナハムがうねうねと長身をよじった。ララ=ルウが、そちらをけげんそうに見る。
「どうしたの? 背中に虫でもひっついた?」
「い、い、いえ……な、何でもありません。ど、どうぞお気になさらないでください」
「何でもないって感じじゃなかったけど。また身体の調子でも悪いの?」
「ほ、ほ、本当に何でもないのです。た、ただ、アスタが知らない料理の名前を口にすると、それだけで胸が弾んでしまって……」
ララ=ルウは一瞬きょとんとしてから、ぷっとふきだした。
「変なのー。あんた、やっぱり変わってるね!」
「も、も、申し訳ありません。お、お見苦しいところをお見せしないように、今後は気をつけますので、ど、どうぞご容赦ください」
「見苦しくなんかないから、気にしなくていーよ。あたしだって、ワクワクしてるしさ」
仮面舞踏会以降、ララ=ルウの機嫌は上向いているように感じられる。シン=ルウとの関係も、きっと良好であるのだろう。頭の上で揺れているポニーテールがはしゃぐ子犬の尻尾のようで、とても可愛らしかった。
「それじゃあ、まずはシャスカですね。練習がてら、みなさんで炊いてみてください」
志願した何名かで、シャスカの炊きあげに取りかかる。その間に、残りのメンバーは具材の準備をすることにした。
「こっちは野菜を切り分けましょう。ルウ家の方々は、アリアとネェノンとプラのみじん切りをお願いします」
ミーア・レイ母さんとララ=ルウがシャスカの担当となったので、こちらはレイナ=ルウとヴィナ=ルウだ。無言で調理刀を取りあげるヴィナ=ルウの姿を、俺はこっそり観察することになった。
(ヴィナ=ルウは最近元気がないって、ルド=ルウが言ってたよな。……でも、やっぱり俺にはよくわからないや)
というか、ヴィナ=ルウはこの1年ばかりで、ずいぶん変化を遂げているのだ。
シュミラルと別れてからも、シュミラルと再会してからも、以前よりは物思わしげな表情を見せることが多くなっている。とりたてて沈んでいる様子ではないのだが、ただしっとりとした空気を帯びているというか何というか……あふれんばかりのフェロモンはそのままに、不思議な静謐さを身につけたように思う。ヴィナ=ルウが感情を乱すのは、シュミラルを眼前に迎えたときと、シュミラルをネタにしてからかわれるときぐらいのものであった。
(ヴィナ=ルウはいま、どういう心情なんだろう。やっぱりシュミラルと離れる日が迫っていることを気に病んでいるのかな)
そうして俺が思案しているうちに、下準備は仕上がっていく。
ケチャップライスに関しては、すでにチャーハンをお披露目していたので、ひとひねりすることにした。キミュスの卵を使って、オムライスを作製してみせたのだ。
ギバ肉はベーコンを使用して、野菜はアリア、ネェノン、プラの3種。それらをシャスカとともにケチャップで炒めて、キミュスの卵に封じ込める。評価のほうは、まずまずであった。
「ああ、こいつは美味しいねえ。またジバに喜んでもらえそうだよ」
ミーア・レイ母さんは、笑顔でそのように述べていた。歯の弱いジバ婆さんは、焼きポイタンを食べるのもいささか不自由であるため、シャスカ料理をたいそう喜んでくれているそうなのだ。
「それなら、次の料理はもっと喜んでもらえるかもしれませんね」
お次の献立は、雑炊である。
雑炊は、シンプルに卵とブナシメジモドキのみでこしらえた。炊きあげたシャスカをいったん水で洗ってから、干し魚と海草の出汁で煮込む。味付けは、塩とタウ油で優しく仕上げた。
「なるほどねえ。汁物料理っぽいのにギバ肉が入ってないのが、ちょいと奇妙な感じだけど……シャスカってのは、ポイタンの代わりに食べるもんなんだもんね。そう考えれば、おかしくはないわけか」
ミーア・レイ母さんの独白に、俺は「そうですね」と応じてみせる。
「これはあっさりと食べられるのが大きな特徴なので、肉料理は別に出す、という形が相応しいと思います。……それでこれは、サティ・レイ=ルウにもおすすめしたいと思っていました。食欲がないときとかでも、きっと食べやすい料理だと思うのですよね」
サティ・レイ=ルウは、現在ふたり目のお子を身ごもっているさなかであるのだ。ミーア・レイ母さんは「ああ」と目を細めて微笑んでくれた。
「サティ・レイはただでさえシャスカの料理を好んでるから、いっそう喜びそうだねえ。……気づかいありがとうね、アスタ」
「とんでもない。元気な赤ちゃんが生まれることを祈っています」
そうしてラストは、リゾットであった。
これは生のシャスカを煮込むつもりであるので、ケチャップライスや雑炊に比べると、かなり難易度が高い。それでも、チャレンジのし甲斐はあるのではないかと思われた。
まずはレテンの油でミャームーを炒めて、香りが出てきたらベーコンとアリアを追加する。しかるのちに、生のシャスカを投入し、表面に膜ができるようにまんべんなく馴染ませたら、白ママリア酒でさらなる香りづけだ。
それから、キミュスの骨ガラの出汁を入れて、シャスカの煮込みを開始する。
慎重を期すべきは、ここからであった。
「このシャスカという食材は、俺の故郷の食材よりも粘り気が強いので、加減を間違えると食感が悪くなってしまうかもしれません。こまめに状態を確かめて、理想の食感を追求しようかと思います」
「あはは。何だか、アスタの修練の日とあまり変わらない感じになってきてしまいましたね」
ユン=スドラの言葉に、俺は大いに反省させられてしまった。
「言われてみれば、その通りだね。まだシャスカの基本的な炊き方を修練しているさなかに、こんな料理の作り方を手ほどきするのは、相応しくなかったでしょうか?」
「そんなことはないよ。シャスカの美味しい食べ方を教えてくれるんなら、大歓迎さ」
ミーア・レイ母さんは、陽気に笑ってくれていた。そのかたわらでは、レイナ=ルウが熱心そうにうなずいている。
「はい。わたしもとても嬉しく思います。骨ガラの出汁でシャスカを煮込むと、いったいどのような違いが生じるのでしょう?」
「シャスカっていうのは水気を内側に取り込むことによって、ああいう状態に仕上がるわけだからね。肉や野菜よりも強く、出汁の風味がしみこむはずだよ」
すると、マルフィラ=ナハムが「あ、あ、あの」とひかえめに発言した。
「そ、そ、それでしたら、もしもこの段階で出汁だけでなくタウ油などを入れておいたら、シャスカそのものがタウ油の味になる、ということなのでしょうか?」
「うん、そうだね。俺の故郷の炊きこみご飯っていう料理なんかは、まさしくその方法で味をつけていたよ。……そうか、リゾットじゃなくて炊きこみシャスカでもよかったかもしれないなあ」
しかしそれは後日の楽しみにしておくとして、まずは初志を貫徹しなくてはならない。
さきほど投入した出汁があらかたシャスカに吸われたようなので、俺は食感を確認してみた。
まだまだ生の状態に近い。やわらかいのは表面だけで、内側には固い芯が残されている。
俺は思案し、うるち米を相手にしているときよりも三割減の感覚で、出汁を追加した。
「こうやって少しずつ出汁を加えていって、シャスカの真ん中に少しだけ固さが残るように調節します。水気をやりすぎるとべちゃべちゃの仕上がりになってしまうので、気をつけてください」
果たして、もち米のごときシャスカによるリゾットというのは、如何なる仕上がりになるものなのか。故郷において、俺がもち米でリゾットを作る機会はなかったのだ。
数分後、第二陣の出汁がすべて吸われたところで確かめると、かなり理想に近いアルデンテの状態に仕上がっていた。
「よし。あとは塩とピコの葉で味を整えて、中まで熱を通すために蒸らします」
数分後、ついにシャスカのリゾットが完成した。
具材はベーコンとアリアのみのシンプルな仕上がりであるが、出来栄えは――そこまで悪いものではなかった。
粘性の強いシャスカであるので、俺の知るリゾットよりは、ずいぶんもちもちとした食感になっている。が、これはこれで、独特の美味しさがあるように思える。試食をした他のかまど番たちも、おおむね満足そうな表情であった。
「うーん。だけど何だか、ちょっとばっかり物足りなく感じちまうねえ。こっちの料理はべーこんを使ってるのに、さっきのぞうすいってやつよりも物足りなく感じるのは何でなんだろう?」
と、ミーア・レイ母さんが首を傾げていると、真剣な眼差しをしたレイナ=ルウがそちらを振り返った。
「ギバの肉を使っていると、他の食材がアリアだけだってことが物足りなく感じられちゃうんじゃないかなあ? ぞうすいのほうは物足りないのが当たり前で、こっちの料理は他の食材を期待させる味ってことなんじゃない?」
「レイナの言うことは難しいね! アスタは、どう思うんだい?」
「はい。俺としても、基本の味や食感を確かめたかったので、なるべく具材をひかえめにしていたんです。俺の故郷でも、この料理はタラパや乾酪なんかで強めの味をつけることが多かったのですよね」
俺は、そのように答えてみせた。
「具材としては、キノコ類なんかが合うと思います。あとは、出汁と一緒にカロンの乳を加えてみたりするのもいいかもしれませんね」
「なるほど。アスタの修練の日は、そういうことを色々と試してるってわけだね」
「はい。次の機会に、リゾットでも色々と試してみようと思います。残りの時間は、余っているシャスカで今日のおさらいということにしましょうか」
「うん。あたしらはまず、最初の料理の修練をするべきだろうね。えーと、けちゃっぷらいすだったっけ?」
「あ、ライスというのは、俺の故郷の食材の名前なんです。ここで言うなら、ケチャップ・シャスカといったところでしょうかね」
ということで、残りの時間はケチャップ・シャスカの修練に割り振られることになった。ただ作り方をおさらいするばかりでなく、他の野菜を具材として使ってみたり、これと一緒に出す料理はどのようなものが相応しいか検討したりと、慌ただしくも熱っぽい時間が過ぎていく。
そうして気づくと、2時間ていどの勉強会も終わりの刻限が近づいていた。
手の空いた人間から、後片付けを開始する。まずは、使用した食器の洗い物である。俺はトゥール=ディンと一緒に水瓶を外に運びだして、木皿や木匙を洗う仕事を受け持つことになった。
「シャスカというのは、本当に色々な食べ方が存在するのですね。わたしも何だか、胸が弾んできてしまいました」
満ち足りた面持ちで洗い物に励むトゥール=ディンに、俺は「そうだね」と笑いかけてみせる。
「シャスカは、お菓子にも使えるもんね。ブレの実やきな粉を使ったおはぎなんかは、以前にも作ったけど……それ以外にも、色々あるからね」
「えっ! そうなのですか?」
思わず、というように、トゥール=ディンが身を乗り出してくる。それを微笑ましく思いながら、俺は説明してみせた。
「うん。ぱっと思いつくだけでも、せんべい、おかき、あられ、ちまき……あと、ういろうなんかも、米粉が原料じゃなかったかな」
「そ、そんなにたくさんあるのですか!?」
「そうだねえ。かといって、俺がそれらの作り方をすべてわきまえているわけではないんだけど。でも、大雑把な方向を示すぐらいはできると思うよ」
トゥール=ディンの青い瞳が、きらきらと輝いていた。その小さなお顔も、可愛らしく火照っている。
「帰りの荷車で、説明してあげるよ。本当に、ごく大雑把な説明しかできないけどね。……それに、シャスカをもち状に仕上げると、小さい子供やご老人は咽喉に詰まらせる危険が出てくるんで、そのあたりのこともきちんと伝えておかないといけないね」
「ありがとうございます! 時間があったら、さっそく今日の晩餐で試してみます!」
トゥール=ディンがそのように答えたとき、表のほうから賑やかな気配が伝わってきた。
広場はもともと賑やかだったのであるが、そこに、わあっというさんざめきが生じたようなのである。狩人の力比べで番狂わせでも生じたか、あるいは新たな客人でもやってきたのか――その真相は、後者であった。
「おお、ちょうど仕事を終えたところか! ひさかたぶりだな、アスタよ!」
トトスの手綱を引いた若き狩人が、かまど小屋のほうに回り込んでくる。その姿を見て、俺も「やあ」と笑顔を返してみせた。
「誰かと思ったら、ラウ=レイか。確かに、ちょっとひさびさかもしれないね」
「うむ! 息災そうで、何よりだな!」
ラウ=レイは、颯爽とした足取りで近づいてくる。少女のように繊細な造作と猛々しい狩人の表情をあわせもつその顔には、ずいぶんと朗らかな笑みがたたえられていた。
彼は休息の期間に入ってすぐ、ルウの集落を頻繁に訪れていたのだが、いつも熱心に狩人の修練に取り組んでいたために、なかなか声をかける機会がなかったのだ。こうしてきちんと言葉を交わすのは、ずいぶんひさびさであるように思えた。
「何だか、ご機嫌みたいだね。ヤミル=レイを迎えに来たのかな?」
「うむ? ああ、そうだな。迎えに来たと言えば、迎えに来たということになるのか。あいつにも、この荷車に乗ってもらうつもりだからな」
何だかよくわからない言い回しであった。小首を傾げる俺の姿を真っ直ぐに見つめながら、ラウ=レイはいっそう明るく笑う。
「実は今日から、ファの家に逗留させてもらおうと思っているのだ。手土産にギバ肉と果実酒を持ってきたから、よろしく頼むぞ、アスタよ」
俺はきっと、キミュスが豆鉄砲をくらったような顔になっていたことだろう。
それでもラウ=レイは、いつになく上機嫌で、にこにこと笑うばかりであった。