大輪の蕾③~思わぬ来客~
2019.1/26 更新分 1/1 ・2/3 誤字を修正 ・10/5 ナハムの家族構成を修正
かまど小屋の入り口に立ちはだかったナハムの長兄は、無言のまま、俺の姿を見つめていた。
もしゃもしゃとした金色の巻き毛と、色の淡い水色の瞳、それに骨ばった長身痩躯を持つ、寡黙にして不愛想な男衆である。その縦に長い顔はモアイ像にそっくりで、秀でた眉の下に落ちくぼんだ双眸が、いつも無機的に光っている。身長も180センチオーバーであるし、なかなかの威圧感を有した御仁であった。
「ど、ど、どうしたの? い、いまはまだ、森に入っている時間でしょう? ま、まさか……だ、誰か手傷でも負ってしまったの?」
マルフィラ=ナハムが、普段以上に取り乱した様子で問いかける。
ナハムの長兄は俺の姿を真っすぐ見つめたまま、のろのろと首を振っていた。
「……他の男衆は、森の中だ。……俺だけ、先に切り上げさせてもらった」
「ど、ど、どうして? わ、わたしに何か用事だったの?」
ナハムの長兄は、答えようとしなかった。
そのモアイじみた顔は完全なる無表情であるために、内心はまったくうかがえない。他の女衆たちも、思わぬ人物の登場に、少なからず困惑しているようだった。
「……そちらの男衆は、マルフィラ=ナハムの兄であるのですか?」
と、レイナ=ルウが静かに声をあげた。
彼とはかつて祝宴をともにしているが、面識はなかったのだろう。リミ=ルウも、きょとんとした目でナハムの長兄を見やっていた。
「は、は、はい。あ、あれはわたしの兄で、ナハム本家の長兄、モラ=ナハムと申します」
「モラ=ナハムですか。わたしはルウ本家の次姉レイナ=ルウで、こちらは末妹のリミ=ルウと申します。どうぞお見知りおきください」
「…………」
「あ、あ、あの、兄モラは口をきくのが、とても苦手であるのです。れ、れ、礼を失してしまうことをお許しください」
「そうですか。ルウにも無口な男衆は多いので、べつだん気にはなりませんが……あなたはどういった用件で、このファの家を訪れたのでしょうか?」
レイナ=ルウの物腰は丁寧で、その表情も穏やかなままであったが、青い瞳には毅然とした光がたたえられていた。
「わたしどもは、かまど番としての修練のさなかにあります。狩人とて、修練の邪魔立てをされれば、何事かといぶかるでしょう? 何か用事があるのでしたら、すみやかにそれを伝えていただけませんか?」
それでもナハムの長兄――モラ=ナハムの視線は、俺から離れない。
そうして俺を見つめたまま、モラ=ナハムは厚ぼったい唇をゆっくりと動かした。
「俺は……森でギバを狩ったので、それを運ぶために、いったん家に戻った……そうしたら、家で休んでいると思っていたマルフィラが、ファの家に向かったと聞き……それを追いかけてきた」
「ああ、妹の身が心配であったということですか? 彼女は昨日、病魔で仕事を休んだそうですね」
レイナ=ルウの言葉に、モラ=ナハムは「違う……」と応じる。
「俺は……ファの家のアスタと、言葉を交わすためにやってきた」
「はい。いったい何でしょうか?」
ようよう、俺も声をあげる。俺に用事があるということは、最初から明白であった。
「お前は……マルフィラに嫁入りを願っているのか?」
その場にいるほとんどの人間が、ぎょっとしたように目を見開いた。
しかし俺は動じずに、「いえ」と答えてみせる。
「以前の祝宴でも、そのように仰っていましたね。俺にそのような気持ちはありません」
「しかし……お前はこの前も、城下町にマルフィラを連れていった」
「ですからそれは、かまど番としての腕を見込んでのことです。彼女が素晴らしいかまど番であるということは、同じ家に住むあなたが一番理解できているのではないですか?」
俺が言葉を重ねると、モラ=ナハムはしばし口をつぐんだ。
その間に、マルフィラ=ナハムが上ずった声をあげる。
「そ、そ、その話はもう、済んでいるでしょう? きょ、きょ、虚言は罪なのだから、アスタは本心を語ってくれているんだよ。お、お、同じことをなんべんも問い質すのは、そ、それだけで失礼なんじゃないかなあ?」
家人に対してくだけた口調で語るマルフィラ=ナハムは、なかなかに微笑ましかった。
すると、モラ=ナハムは感情の読めない水色の瞳を、ゆっくりと妹のほうに差し向けた。
「しかし……お前は家で、アスタのことばかり語っている。お前のほうこそ、アスタに嫁入りを願っているのではないのか……?」
「そ、そ、それも誤解だって、なんべんも言ったよね? わ、わ、わたしはアスタのことじゃなく、料理のことを語っているつもりだよ」
「……しかし、お前があれほどに瞳を輝かせて語る姿を、俺はこれまで見たことがなかった……お前とて、本心ではアスタを憎からず思っているのではないのか……?」
「そ、そ、そんなことはないってば!」
マルフィラ=ナハムは、困り果てた様子で眉を下げていた。
すると、それを見かねたらしいリミ=ルウが、可愛らしく眉を吊り上げた。
「ねえねえ。あなたはさっきから、ずーっと『しかし』ばっかり言ってるよね! 虚言は罪なんだから、もっと同胞の言葉を信じるべきだと思うよ!」
「……信じたい、とは願っている。しかし……」
「あー、また『しかし』って言った!」
「……しかし俺は、妹であるマルフィラの行く末を、誰よりも強く気にかけている。アスタとマルフィラが結ばれるならば、それを祝福したいし、それがかなわぬことならば……傷つく前に、正しき道を選んでほしいのだ」
モラ=ナハムの目が、再び俺を見据えてくる。
「アスタよ、お前は本当に……マルフィラに嫁入りを願っているわけではないのか?」
「はい。そういう気持ちを抱いて、マルフィラ=ナハムに接していたわけではありません」
「……では、マルフィラにまったく魅力を感じないというのか?」
これもまた、祝宴で交わしたやりとりの再現であった。
そして、俺が答えるより早く、でろでろとした土砂崩れのように、モラ=ナハムがたたみかけてくる。
「お前はいずれファの家長と結ばれるので、マルフィラの割り込む余地などはないのだと聞かされた。……しかし、ファの家長は狩人として生きていくと言い放っている。それでは、婚儀をあげることなど、永久にかなわないのではないのか……?」
「いえ、ですからそれは――」
「お前は本当に、ファの家長と婚儀をあげるつもりであるのか……? 他の女衆と婚儀をあげる可能性は、まったく残されていないのか……?」
俺は、思わず言いよどんでしまった。
これがふたりきりの会見であったならば、堂々と答えることもできたかもしれない。が、この場には、よりにもよってレイナ=ルウとユン=スドラが同席している。何も隠すような話ではない、と思いつつも、気まずく感じないわけがなかった。
(よし。それなら、外でふたりきりで話させてもらおう)
俺はそのように考えたが、一瞬遅かった。モラ=ナハムが、さらに言葉を重ねてきたのである。
「マルフィラは、ついに昨日、嫁入りを許される身となった。こうなったからには、すべてをはっきりさせておきたい。アスタ、お前は――」
「あなた、お黙りなさい!」
と――烈火のごとき声音が響きわたった。
びっくりして振り返ると、フェイ=ベイムがわなわなと震えながら、モラ=ナハムの長身をにらみすえている。モラ=ナハムも、意表を突かれた様子で彼女を振り返っていた。
「余所の家の男衆の前で、あなたは何を語らっているのですか! ナハムの家長は、あなたに礼節というものを教え忘れたのですか!?」
「いや、俺は……」
「それに、余所の家の婚儀に口をさしはさむのも、森辺の習わしにそぐわないはずです! 勝手に家に押しかけて、勝手にべらべらと語らって、あなたはどういうおつもりなのです!? わたしたちは大事な仕事のさなかにあるのだと、レイナ=ルウもそのように仰っていましたよね!? あなたのやり口は、あまりに不愉快です!」
フェイ=ベイムがこのように激昂した姿を見せるのは、初めてのことであった。
しかしフェイ=ベイムは、怒りに我を失っている様子ではない。それは何だか、イタズラをした幼子を叱りつける母親のような貫禄に満ちみちていた。
「ラヴィッツの血族というのは、古きよりの習わしを重んずる家風ではなかったのですか? わたしはそれを、とても好ましいものと思っていました! ベイムの血族もそういった家風であるので、どこか近しいものを感じていたのです! それは、わたしの思い違いであったのでしょうか!?」
「……俺は……」
「婚儀の話をしたいのならば、ナハムとファの家長の間で、取り交わされるべきでしょう! 長兄とはいえ、あなたに口を出す資格はありません! わかったら、自分の仕事にお戻りなさい!」
モラ=ナハムは、しばらく無言でフェイ=ベイムの姿を見返していた。
そののちに、がっくりと肩を落として、きびすを返す。そうすると、彼の背後にちょこんと座っていたジルベの姿があらわになった。きっと何か不穏な気配を感じて、ずっとモラ=ナハムの様子をうかがっていたのだろう。俺と目が合うと、ジルベは「ばうっ」と嬉しそうに吠えた。
「ほ、ほ、本当に申し訳ありませんでした。モ、モラ兄さんも、決して悪気があったわけではないのです。た、ただ、普段あんまり感情を出さない分、思い詰めると勝手に身体が動いてしまうようで……」
「いいのですよ。何もあなたに罪のある話ではありません」
フェイ=ベイムはそのように答えた後、小声で「おめでとうございます」と付け加えた。
レイナ=ルウやユン=スドラも、さりげなくマルフィラ=ナハムに目礼を送っている。しかし、リミ=ルウとトゥール=ディンはきょとんとした様子で小首を傾げていた。
(嫁入りを許される身になったって、そういう意味だったのか)
それで俺も、合点がいった次第であった。
そういえば、マルフィラ=ナハムは家長に嫁入りを許されていない、という話であったのだ。俺はそれを、内面の未熟さに起因するものなのだろうと思い込んでいたのだが――どうやら、そうではなかったらしい。
(それじゃあ、マルフィラ=ナハムの雰囲気がちょっと変わったように感じられたのも、ホルモンバランスか何かのせいだったのかな?)
ともあれ、フェイ=ベイムの勇躍によって、その日の騒ぎはすみやかに静められることになったのだった。
◇
「……なるほどな。そのような騒ぎがあったのか」
その日の夜である。
俺がせっせと晩餐の準備にいそしんでいる間、アイ=ファは厳粛なる面持ちでそのようにつぶやいていた。
「いまひとつ内心の読みにくい男衆であったが、あやつはそこまで思い詰めていたのだな」
「うん。それだけマルフィラ=ナハムのことが心配だったらしいよ。……まあ、俺もマルフィラ=ナハムもまったくそんな気持ちはなかったんだから、完全に誤解だったんだけどさ」
「まあ、血を分けた家人であれば、それも否めないことなのであろう。本家の長兄という立場を考えれば、いますこし自らの行いを顧みるべきであろうがな」
あくまで厳粛にアイ=ファが言いたてると、腹ばいで寝そべっているティアが「ふふ」と笑い声をもらした。
「まあ、それもこれもアスタとアイ=ファがさっさと婚儀をあげないせいだな。……あ、傷に響くので、頭を叩かないでほしい」
「ならば、余計な口を叩くな!」
そうしてアイ=ファが顔を赤くしたところで、晩餐が完成した。
俺が配膳を始めると、ティアがばたばたと手足を動かす。
「今日はかれーだな! ティアはかれーが大好きだ! アイ=ファ、身体を起こしてほしい」
「まったく、世話の焼ける……」とぼやきながら、アイ=ファはティアの身体をすくいあげた。ティアはにこにこと笑いながら、敷物の上にぺたんと座る。
「カレーはカレーでも、今日は『カレー・シャスカ』だぞ。しかも、とびっきりの細工をほどこしてあるから、気に入ってもらえたら嬉しいな」
俺が木皿を差し出すとアイ=ファの目がかっと見開かれた。
「これは……はんばーぐだな」
「うん。なおかつ、乾酪のおまけつきだ。俺の故郷の言葉で言うなら、チーズをトッピングしたハンバーグカレーってところかな」
アイ=ファはそわそわと身をゆすりかけたが、鋼の精神力でそれを抑制した。
「かれーというのは、それだけで細工に細工を重ねた料理であろう。そこに、シャスカと乾酪とはんばーぐまでをも加えるとは……あまりに細工が過ぎているのではないのか?」
「そうなのかな。でも、俺の故郷ではそれほど珍しい料理でもなかったよ」
そう言って、俺はアイ=ファに笑いかけてみせた。
「まあ、待望のシャスカが届いた記念ってことで、豪勢な料理にしたかったんだ。お味のほうは保証するから、食べてみてくれよ」
「うむ」と重々しくうなずいてから、アイ=ファは食前の文言に取りかかる。その言葉は口の中でつぶやかれているので、余人には聞き取ることもできないのであるが、本日はいささか早口であったように感じられなくもなかった。
そうして木皿をつかみ取り、カレーとシャスカとハンバーグと乾酪を絶妙な配分ですくいあげたアイ=ファは、それをゆっくりと口に運び――とても幸福そうに、目を細めた。
いっぽうティアは、逆手の木匙でがつがつとハンバーグカレーを喰らっている。もともとカレーは好物であるので、その表情もきわめて満足そうだ。
「シャスカが届いて、本当に嬉しいよ。アイ=ファには、まだまだ食べてほしい料理が山積みだからさ」
「ふむ。そのとっておきを、最初の夜に出したということか?」
「そうだな。とっておきはふたつあって、どちらを先にするか迷ったんだけど……せっかくカレーの修練を積んだから、こっちを先にすることにしたんだ」
俺が脳裏に描いているのは、ハンバーグと目玉焼きをシャスカにのせたロコモコである。
アイ=ファは心から驚いた様子で、俺を見つめていた。
「これに匹敵する料理が、まだ存在するというのか? 私には、想像がつかんな」
「いやあ、どこまで気に入るかはわからないけどな。まあ、忘れた頃にお出しするから、期待しないで待っててくれ」
「……それで期待せずに済むとでも思うのか?」
アイ=ファは、幸せそうに微笑んでいた。
ティアの前ではなるべく表情を動かさないように心がけていたのに、今日は抑制できなかったのだろう。それだけで、俺も同じぐらい幸せな気持ちを得ることができた。
副菜もどっさり準備していたが、主菜がお気に召したためか、全体的にペースが速い。3名分とは思えぬ量の晩餐も、あっという間にこの世から消えることになった。
玄関口の戸板が叩かれたのは、そのタイミングである。
「ラヴィッツの家長デイ=ラヴィッツと、その伴侶であるリリ=ラヴィッツだ。ファの人間に話がある」
アイ=ファはたちまち表情をひきしめて、立ち上がる。戸板を開けると、その言葉の通りの両名が立ちはだかっていた。
「これは珍しい客人だ。……ファの家を訪れたという、ナハムの長兄についての話だな?」
「ああ。親筋の家長として、俺が話をつけにきた」
髪の毛ばかりでなく眉毛も髭もない、つるりとした面相のデイ=ラヴィッツである。その額には、早くもひょっとこのような皺が刻みつけられていた。
そのかたわらでは、リリ=ラヴィッツがお地蔵様のように微笑んでいる。土間でくつろいでいた家人に見守られながら、両名は広間に踏み入ってきた。
「こちらはちょうど晩餐を終えたところだ。客人を迎えるには、ちょうどよい頃合いであったな」
デイ=ラヴィッツから受け取った刀を手もとに置きながら、アイ=ファは上座にあぐらをかいた。
その向かいに座したデイ=ラヴィッツは、じろりとティアをねめつける。ティアはすました顔をしながら、壁に手をついて立ち上がった。
「何か大事な話のようだな。ティアはあちらの部屋で休んでいよう」
「うむ。お前は先に眠っておくがいい」
ティアは傷口を刺激しないようにそろそろと歩を進めて、寝所へと消えていった。
そちらの戸板が閉められてから、アイ=ファは両名に向きなおる。
「さて……それでは用向きを聞こう。これは、わざわざデイ=ラヴィッツが出向いてくるほどの話であったのか?」
「眷族の家人が森辺の習わしを踏みにじるような真似をしでかしたのだから、黙っているわけにもいくまい。俺はお前たちと違って、森辺の習わしを重んずる人間であるからな」
額どころか鼻のほうにまで皺を刻みながら、デイ=ラヴィッツはそう言い捨てた。
「まずは、最初に詫びておく。ナハムの長兄が、習わしにそぐわぬ行いに手を染めてしまった。ベイムの女衆に強くたしなめられたという話であったが、俺もまったく同じ心情であるということを、ここに告げておく」
「ならば、ラヴィッツとベイムの絆に傷がつくこともないのだな。それだけが、いささか気にかかっていたのだ」
「ふん。これでベイムの女衆を責めることはできまいよ。ナハムの長兄は立派な狩人であるし、気性も真っ直ぐな人間であるのだが……あの三妹めがからむと、どうにも心を乱してしまうようなのだ」
すると、リリ=ラヴィッツも「そうですねえ」と声をあげた。
「ナハムの本家には多くの子が産まれましたが、長兄の次に生まれた次姉は病魔で魂を返すこととなりました。それを嘆いた長兄は、次に産まれた三姉のマルフィラ=ナハムにいっそう心をかけることになったのでしょう。……幼い頃から、あのふたりはたいそう仲がよろしかったですからねえ」
「そうなのだな。それで、マルフィラ=ナハムの行く末が心配になったということか」
「ええ、ええ。マルフィラ=ナハムは、アスタを好いているのじゃないかとか……アスタのほうも、マルフィラ=ナハムのことを憎からず思っているのじゃないかとか……さまざまなことに思い悩んで、我を失ってしまったようです」
そこでリリ=ラヴィッツは、にんまりと微笑んだ。
「わたしなどは、アスタやマルフィラ=ナハムの様子をずっとそばで拝見しておりましたので、そんな心配がないことは重々承知していたのですが……ひとたび心を乱してしまうと、なかなか余人の言葉も耳に入らないのでしょう。マルフィラ=ナハムがかまど番の仕事に向けている熱情を、アスタに対する熱情であると思い込んでしまったわけですねえ」
「ふん。俺とて、話で聞くばかりの身であったからな。お前ほど呑気にはしておらんぞ、リリよ」
デイ=ラヴィッツがあぐらをかいたまま、ぐいっと身を乗り出してくる。
「そこで、ひとつ確認させてもらいたい。お前は本当に、マルフィラ=ナハムに嫁入りを願っているわけではないのだな、アスタよ?」
「はい。それは本当の真情です。マルフィラ=ナハムには大きな才能を感じたので、たびたび力を借りることになり……きっとそれが、誤解を招くことになったのだろうと思います」
「……あの三妹めは、そこまでたいそうなかまど番であるのか?」
「はい。俺が知る限りでは、森辺でも指折りの才能なのではないかと考えています」
デイ=ラヴィッツは「ふーむ」と腕を組んだ。
それを横目に、リリ=ラヴィッツが発言する。
「マルフィラ=ナハムのほうも、アスタにそのような思いを抱いたことはない、と言っておりました。あの娘こそ、心情を隠せるような人間ではありませんので、それが本心であるのでしょう」
「うむ。ならばこれで、すべては丸く収まったというわけだな」
アイ=ファがそのように述べたてると、デイ=ラヴィッツは片目を細めていっそうひょっとこのような顔つきをこしらえた。
「お前がさっさと狩人の仕事を取りやめて、そこの家人と婚儀をあげれば、このような騒ぎにもならなかったのだ。お前はまだ、狩人として生きていく心づもりであるのか?」
「……余所の家の話に口をはさむのは、森辺の習わしにそぐわないのではなかったか?」
アイ=ファがわずかに頬を染めると、リリ=ラヴィッツが手をあげて伴侶の反論を封じた。
「それを承知で、聞かせていただきたいのですよ。アイ=ファにアスタ、あなたがたは本当に、いずれ婚儀をあげるつもりなのでしょうかねえ? 近在の女衆らはそのように囁きあっておりますが、確たる約定を交わしたわけではないのでしょう?」
「……だから、どうしてそのような話を、余所の家の人間に語らねばならないのだ?」
「それは、わたしらがファの家と絆を深めるためですねえ」
リリ=ラヴィッツは、にたにたと笑っている。デイ=ラヴィッツのほうは、不機嫌そうにそっぽを向いていた。
「実は、ラヴィッツやナハムやヴィンの間から、もっとアスタに手ほどきを受けたいという声があがっているのですよ。ガズやラッツの血族みたいに、下ごしらえの仕事を手伝って、勉強会というものにも参加してみたい、と……」
「それは……得難い話だな」
アイ=ファも顔色を戻して、真剣な面持ちになる。俺としても、それは聞き逃せない話であった。
「ただ、そうするにあたって、ひとつ心配な点があるのです。それが、婚儀についてなのですねえ」
「……それは、どういう意味であろうか?」
「ですから、アスタがこれほどの力を持つ男衆であれば、また別の女衆が懸想してしまうこともありえるでしょう? この近在の女衆は、自らそれを禁じているようですが……ラヴィッツの血族もそうするべきであるのか、それをあらかじめ知っておきたいのですよ」
アイ=ファは何とも言えない面持ちになりながら、俺を横目でねめつけてきた。
俺としても、なかなかとっさに言葉の出てこない状態である。
「これまでの悪縁を考えれば、ラヴィッツの血族がファに嫁入りを願うというのは、大ごとでしょう? それをすげなく断られては、ラヴィッツの面目が立たないのです。何せラヴィッツは、かつてファの家と血の縁を絶った間柄であるのですからねえ」
「…………」
「もちろん、ファの家が無条件で婚儀の話を受け入れるべきだ、などと申しているわけではありません。でも、たとえば3名や4名もの女衆が次々と婚儀を申し入れて、それをすべて断られてしまったら……やっぱりラヴィッツは、森辺の笑いものとなってしまいましょう」
「そ、そこまで大勢の女衆が、俺なんかに嫁入りを願うとは思えないのですが……」
アイ=ファの視線が痛かったので、俺はそのように述べてみせた。
しかし、リリ=ラヴィッツの微笑みは消え去らない。
「そうでしょうかねえ? もしもアスタが嫁を欲しがっているなどという話が広まったら、あちこちの氏族から婚儀の申し入れが届けられるのではないでしょうか? あなたは森辺の豊かさの象徴みたいな存在でありますし……それに、狩人とはまったく異なる意味で、女衆を魅了する力をお持ちのようですしねえ」
閉口する俺の頬に、アイ=ファの視線がきりきりと食い込んでくる。
「でも、アスタが他の女衆を嫁にするつもりはない、と明言してくださるのでしたら、こちらも最初からそのつもりで絆を深めることができましょう? ですから、わたしらは非礼を承知で、あれこれ聞きほじっているのですよ」
「なるほど。了解しました」
そのように答えてから、俺はアイ=ファを振り返った。
「家長を差し置いて申し訳ないけど、ここは俺が話をさせてもらってかまわないかな? これは、俺の気持ちの問題みたいだしさ」
「……勝手にせよ」と、アイ=ファは目をそらした。そのなめらかな頬には、早くも血の色がさしている。たぶん俺のほうも、それは似たり寄ったりの状態であるのだろうと思われた。
「それでラヴィッツの血族の方々と絆を深めることができるのでしたら、俺も明言いたします。……俺は、余所の氏族の女衆と婚儀をあげるつもりはありません」
「……そのように明言してしまって、本当によろしいのですか?」
「はい。虚言は罪ですからね。……実は以前にも、他の氏族の家長に同じ言葉を伝えたことがあるのです」
それはもちろん、ライエルファム=スドラのことであった。ユン=スドラの心情が取り沙汰された際、俺は初めて心中の思いを明かすことになったのだ。
そしてその後は、バードゥ=フォウやランの家長などにも、同じ気持ちを明かすことになった。理由までは明言していないのであるが、それは向こうがとっくに察知していたので、明言せずに済んだというだけの話だ。
「それはつまり、アイ=ファといずれ婚儀をあげたいと願っている、ということなのでしょうか?」
真正面から切り込まれて、俺は「はい」とうなずいてみせた。
人の悪そうな微笑みをたたえていたリリ=ラヴィッツの面に、ふっとやわらかい表情がよぎる。
「では……もしもアイ=ファが森に魂を返してしまったら、どうなさるのでしょう? 狩人の仕事を続けている限り、明日にもそのような運命が訪れるやもしれないのですよ」
俺は胸中の思いに従って、明るく笑ってみせた。
「俺は、そのようなことにはならないと信じています。でも……俺は何が起きようとも、他の女衆と婚儀をあげたりはしません。アイ=ファと婚儀をあげられないならば、俺は生涯、独り身です」
そっぽを向いていたデイ=ラヴィッツが、じろりと俺をねめつけてきた。
「ずいぶん誇らしげに語っているが、それもまた森辺の習わしにそぐわない行いであるのだぞ。男衆であろうと女衆であろうと、子を生すのはもっとも大事な仕事であるのだからな」
「はい。ですから俺も、そのような行く末が訪れないことを、心から願っています」
俺の言葉を最後に、静寂が訪れた。
アイ=ファはいったいどのような顔をしているのか。それが気になってたまらなかったが、俺はひたすらラヴィッツの両名のみを見つめ続けた。
やがてデイ=ラヴィッツが「ふん」と鼻を鳴らして、静寂を打ち破る。
「了承した。どれだけの女衆を送りつけても、もうややこしい騒ぎが起きることはない、ということだな。……ならば、ラヴィッツの血族にも手ほどきを願いたい」
「はい、承知しました」
「俺は、家長に話しているのだ。すべてを決めるのは、家長の役割であろうが?」
すると、俺の横から「うむ」という声があがる。
「ファの家長として、デイ=ラヴィッツの申し入れを受けよう。古きの悪縁にとらわれず、ラヴィッツの血族と絆を深められれば、嬉しく思う」
「ふん。では、話もここまでだな」
デイ=ラヴィッツは、おもむろに立ち上がった。
「では、刀を返してもらおう。帰るぞ、リリ」
「ええ」と身を起こしつつ、リリ=ラヴィッツが最後に俺を見やってきた。
いつも通りの、お地蔵様みたいな表情だ。
だけど、細められたその目の中には、普段とは異なる優しげな光がたたえられているように感じられてならなかった。
そうして両名は家を出ていき、アイ=ファの手によって閂が掛けられる。
俺はそそくさと、中途で放り出されていた晩餐の後片付けに取りかかっていたが――ふいに、ふわりと背後から抱きすくめられた。
全身が、アイ=ファの温もりに包まれる。
その幸福感に酔いしれていると、耳もとにアイ=ファの声が囁きかけられた。
「もう少しだけ……待っていてくれ」
俺は首もとに回されたアイ=ファの腕に手を触れながら、「うん」とうなずいてみせた。