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異世界料理道  作者: EDA
第四十一章 賑やかなりし黒の月
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鉄具屋の食事会③~会食~

2019.1/23 更新分 1/1

 そんな幕間劇を経て、6名分の料理は無事に完成した。

 日没の少し前、下りの五の刻の半に、俺たちは食堂へと招かれる。同行してくれたのは護衛役のアイ=ファと、配膳係のユン=スドラおよびトゥール=ディンであった。


「お待たせしました。本日、特別に厨を預からせていただいた、ファの家のアスタです」


 あらためて、俺は挨拶をしてみせる。すると、数ヶ月ぶりに再会するウェルハイドが「ああ」と口もとをほころばせた。


「おひさしぶりです、アスタ殿。それに、そちらは――ええと、家長のアイ=ファ殿でしたね。息災なようで何よりです」


 ウェルハイドは、ジェノスではあまり見ない黒髪と、光の強い茶色の瞳を持つ、バナーム侯爵家の若き貴公子である。とても丁寧な物腰でありながら、内には熱い心をあわせもっており、レイリスあたりと少し似たところのある、とても好ましい人柄であった。


「今日はひさびさにアスタ殿のギバ料理を口にできると聞いて、楽しみにしていました。噂では、かなり腕を上げられたという話ですね」


「恐縮です。お気に入っていただけたら、嬉しく思います」


 大きな卓をはさんで、右側がジャガルの面々、左側が貴族の面々という配置になっている。末席のハリアスはいくぶん緊張の面持ちであり、ディアルは可愛らしいドレス姿に変じていた。


「偶然ですけれど、ここはアスタと父が初めてまみえた食堂であるのですよね」


 と、貴族の前なのでおしとやかな口調のディアルが、そのように言いたてた。


「顔ぶれも、わたしと父、リフレイアとポルアース、それにアイ=ファまでそろっているのは、すごい偶然です」


「おお、本当だ。あのときの顔ぶれに、ウェルハイド殿とハリアス殿を加えた格好になるのだね。そちらには、ムスル殿も控えていることだし」


 ポルアースが、愉快そうな笑顔で応じる。ムスルはリフレイアの背後にあたる壁際に、ひっそりとたたずんでいたのだった。

 確かにこれで、ウェルハイドたちの代わりにアイ=ファが座したら、あの夜の再現となるのだ。それでいまさら、俺の心が辛い記憶に苛まれることはなかったが――5日ぶりにアイ=ファを見出したときの幸福感が、温かな追憶として心をよぎっていった。


「あの夜の騒ぎについては、さきほどリフレイアから謝罪があったのです。それに、ウェルハイドにも謝罪されていましたから……これでもう、心置きなく料理を楽しむ準備ができたということですよね」


 ディアルの言葉に、ウェルハイドは「ええ」と笑顔でうなずいた。


「もとより、リフレイア姫に罪のある話ではありませんでしたし、僕は何も気にしていませんでした。むしろ、リフレイア姫がお元気になられたことを嬉しく思います」


「それでは、料理を楽しみましょう。アスタ、お願いします」


「承知しました。まずは、俺なりのジャガル料理というものを召し上がっていただきたく思います」


 台車にのせられていた料理を、ユン=スドラやトゥール=ディンとともに配膳する。ポルアースとウェルハイドは、最初から期待に瞳を輝かせてくれていた。


「本日はディアル嬢の意向で、6種に収まらない料理を出してくれるそうだね。いやあ、こいつは楽しみだ」


「はい。俺としても、こういう自由な作法のほうがぞんぶんに腕をふるえるので、とてもありがたく思いました」


 今回は副菜が多いので、この段階でもかなりの皿を必要とする。それらが並べ終えられるまで、ポルアースはそわそわと身をゆすっていた。


 主菜は、かつてディアルもほめちぎってくれた、『ギバの角煮』である。これはいまだに《南の大樹亭》でも人気であるし、ディアル以外の人々は口にする機会がなかったはずなので、主菜に抜擢させていただいた。


 汁物は、ミソを使った『ギバのモツ鍋』だ。アリア、ネェノン、チャッチ、マ・ギーゴの他に、シイタケモドキやブナシメジモドキもたっぷり使っている。それらのキノコ類はいずれもジャガル産であったので、南の民にはたいそう好評であるのだった。


 そして副菜としては、シィマとギーゴのサラダに、マ・ギーゴの煮っころがし、それにミソ味の肉野菜炒めを準備している。サラダは梅干のごとき干しキキのドレッシングでさっぱりと召し上がっていただき、煮っころがしはシンプルなタウ油の味、肉野菜炒めはホボイの油やケルの根も使って香り高く仕上げていた。


 俺にとっては、どれも目新しくはない献立だ。

 しかし俺は、個人的な修練の日を設けて、基本的な調理の見直しをはかっているさなかである。本日準備した料理にも、その成果は少なからず反映されているはずだった。


「それでは」と、ポルアースが『ギバの角煮』から手をつける。

 ナイフで切り分けた肉を口に運ぶと、その目は陶然と細められた。


「ああ、これは……甘くてしょっぱくて、いかにもジャガル料理らしいお味だねえ。タウ油が素晴らしい食材であるということを、つくづく思い知らされてしまうよ」


「本当ですね。というか、バナームにはこれだけタウ油を巧みに扱える人間はいないのではないかと思わされてしまいます」


 ウェルハイドもご満悦なようで、何よりであった。

 そして、ジャガルの面々である。

 グランナルとハリアスはぎょっとした様子で目を剥いており、ディアルまでもが同じような反応を見せていた。


「あ、あの、アスタ、これはあの、森辺の祝宴でも出されていた料理ですよね?」


「はい。あれからまた、色々と味の向上を目指してみたんです」


 俺も丁寧な口調で答えてみせると、ディアルは「すごいなあ」と口もとをほころばせた。とたんに父親ににらまれたので、慌てた様子で取りつくろう。


「本当にすごいです。あの祝宴でも、こんなに味が変わったのかと驚かされたのに、あれからたったふた月足らずで、こんなに美味しくできるなんて……ね、アスタの料理はすごいでしょう?」


 ディアルが逆襲にかかると、その父親は「うーむ」と渋面をこしらえた。


「わたしなどは一介の商人にすぎませんので、何も偉そうな口を叩くことはできないのですが……これは、心から驚かされました。これほど美味なる料理を口にしたのは、生まれて初めてであるように思いますぞ」


「だったら、そんな渋いお顔をしなくてもいいでしょうに」


 口調だけは丁寧に、ディアルが悪戯っぽい笑顔をひらめかせる。グランナルは、太い指先で頭をかいていた。


「あまりに、驚きがまさってしまってな。……いや、わたしはかつてこの屋敷で雇われていたヴァルカスという御方の料理を何度となく口にしていたので、ああいった不可思議な料理が出されるのだろうと思っていたのです。あなたはあの御方と同じように、この城下町で凄腕の料理人と認められたというお話でしたからな」


「まだまだヴァルカスにはとうてい及ばない腕前ですが、作法はずいぶん異なっているのだろうと思います。ジャガル料理と銘打ってしまいましたが、これらはみんな自分の故郷で学んだ料理なのですよね」


「だとしたら、あなたの故郷はジャガルと似た土地なのでしょうな。正直に言って、わたしはあのヴァルカスという御方の料理は、いまひとつ理解しきれないところがあったのです」


 そのように述べながら、グランナルは次々と他の料理を食していった。

 そのたびに、どんどん難しげな面持ちになっていく様子であるが、それと比例して、食べるスピードが増していくようにも感じられる。内心と表情があまり一致しないタイプなのかもしれなかった。


「ハリアスはいかがですか? ギバ肉というのは、美味なものでしょう?」


 ディアルに水を向けられると、ハリアスは「ええ」とうなずいた。こちらはいまだにびっくりまなこのまま、せわしない手つきで食事を進めている。


「わたしも、ご主人と同じ気持ちであります。ギバ料理がこれだけ美味であるからこそ、お嬢はあれほど宿場町に通いたがっていたのですな」


「ええ。だから、ハリアスにもご一緒しましょうと声をかけていたのですよ」


 ハリアスは、感服しきった様子で息をついていた。「最初の料理ではタウ油とミソを使ったジャガル風の献立を」というディアルの作戦は、どうやら功を奏したようである。


「いやあ、この肉料理などは、もっともっと味わいたかったところだね。あっという間になくなってしまったよ」


 ポルアースは、名残惜しそうな面持ちでそのように述べていた。今回は品数が多かったので、ひと品ずつの分量はごく抑えられているのだ。


「申し訳ありません。本日は、多彩な料理をお楽しみいただくという趣旨だったもので……次の料理を準備いたしましょうか?」


「うん! 他の方々も、それを望んでおられるだろうと思うよ」


 それでは、と次なる料理の配膳に取りかかる。トゥール=ディンが鉄鍋の蓋を開けると、肉野菜炒めの最後のひと口を食していたグランナルが眉をひそめた。


「さきほどから、鼻がむずむずしておったのです。そちらには、シムの香草が使われているようですな」


「はい。俺なりのシム料理を準備いたしました」


「……その香りが漏れ出ていたために、わたしも不可思議な料理を食べさせられるのだろうと考えていたのです」


 グランナルは、明らかにそれを歓迎していない面持ちであった。

 それを見て、ディアルがくすりと笑う。


「ごめんなさいね、父さん。アスタにこの料理をお願いしたのは、わたしなのです。父さんたちにも、わたしの味わった驚きと困惑を味わってもらいたかったのですよ」


「……驚きはともかく、どうして困惑まで味わわないといかんのだ?」


 グランナルが小声で囁くと、ディアルは楽しそうに白い歯をこぼした。そして、貴き方々の耳をはばかり、小声で言葉を返す。


「この料理は宿場町でも売られてるんだけど、南の民にもすごい人気なんだよね。シムっぽい料理なのに、僕たちが美味しく感じるなんて、すごいことじゃない? そのすごさを、父さんたちにも知ってほしかったんだよ」


 俺はちょうどディアルの前に皿を置こうとしていたところなので、その言葉をあまさず聞くことができた。まあ、事前に聞いていた通りの内容である。


「ふむふむ。お次はかれーなのだね」


 と、ポルアースが丸っこい鼻をひくつかせているので、俺は「はい」とうなずいてみせる。


「ポルアースは半月前にも食したばかりなのに、申し訳ありません。少し味を変えていますので、お楽しみいただけたら幸いです」


「いやいや、かれーだってなかなか口にできない料理だし、それにあのときは魚介を使ったかれーだったからね。ギバ肉を使ったかれーなら、それだけで僕にとってはひさびささ!」


 そんなポルアースのかたわらでは、ウェルハイドが物珍しそうに皿の中身を覗き込んでいる。


「これはすごい香りですね。これは確かに、ジェノス流の作法であるように思います」


「ええ。ですが、これもまたアスタ殿の故郷の作法であるそうですよ。ここまで数多くの香草を使う料理人は、ジェノスにおいてもヴァルカス殿ぐらいでしょうからね」


 そんな言葉が交わされているうちに、配膳は完了した。カレーを中心とした、4種の料理である。

 本日のカレーは、先日に研究を進めた、豆カレーだ。南の民ならばタウ豆を好むであろうと考えてのチョイスであった。こちらはやはりタウ豆の主張が強いので、野菜は細かく刻んでおり、ギバの肉だけがごろりとした形状をしている。


 舌休めはシンプルな生野菜のサラダで、付け合せはナンを意識した焼きポイタン。そこにアクセントが欲しかったので、あばら肉の香味焼きを添えていた。

 本当であればタンドリーチキンやチキンティッカを準備したいところであったのだが、あれらは鶏肉をヨーグルト等で漬け込んでから焼きあげる料理であったはずだ。キミュスの肉はあまり使いなれていない上に、まだ酪を手に入れる段取りも確立されていなかったので、香草をふんだんに使ったスペアリブを準備した次第である。


「さあ、召し上がれ」とグランナルをうながしたのは、俺ではなくディアルであった。グランナルはこれ以上ないほど眉をひそめながら、木匙で豆カレーをすくいあげる。


「どうです? びっくりするようなお味でしょう?」


「……これは、舌が痛くなってしまいそうだ」


 グランナルはティノの千切りサラダをかきこんでから、スペアリブに手をのばす。それをかじると、卓に置かれていたナプキンでこれ見よがしに汗をぬぐった。


「こちらも、たまらない辛さだな。これでは、逃げ場がない」


「かれーは、焼きポイタンにつけて食べるといいよ。気に食わないなら、残してもいいからね」


 父娘がぼそぼそと語らっている間に、貴族チームの面々はよどみなく食事を進めていた。初のカレーとなるウェルハイドも、目を丸くしながら不満はない様子である。


「リフレイアは、いかがですか?」


 ずっと静かにしている幼き姫君に問うてみると、「美味よ」という言葉が返ってきた。


「この料理は、ディアルがたびたび宿場町から持ち帰ってくれたから、食べなれているの。……でも、それとはけっこう味が変わっているようね」


「はい。食材の種類や分量に、調理の方法まで、あれこれ試行錯誤しているさなかなのです」


「ふふん。あなたもヴァルカスと同様に、足るということを知らないようね」


 リフレイアが、わずかに口もとをほころばせる。リフレイアの貴重な笑顔を見ることができて、俺は心から満足であった。


 で、気づいてみると、グランナルおよびハリアスは、さきほどと変わらないせわしなさで豆カレーを食している。辛い料理の持つ中毒性が、ついに彼らの食欲中枢を支配したのだろうか。ハリアスなどは大汗をかきながら、皿の底のカレーを熱心にさらっていた。


「どうですか? シムの魔法にかけられたような心地でしょう?」


 ディアルが笑いを含んだ声で問いかけると、グランナルは「ふん」と鼻を鳴らした。明確な感想はいただけないようだが、完食していただけるだけで、こちらとしては幸いであった。


「いやあ、辛い料理を食べると、ますます空腹になるような心地がしてしまうのだよね。もうそれなりには胃袋を満たしたはずなのになあ」


 ふくよかなおなかを撫でさすりながら、ポルアースがそのように述べたてた。それを合図に、俺は次なる配膳に取りかかる。


「食後の菓子を除けば、こちらが最後の料理となります。お熱いので、どうぞお気をつけください」


 保温の機能のある台車から、俺は慎重に耐熱皿を取り上げた。その蓋が開けられると、今度は乾酪の濃厚な香りが、カレーの残り香を圧倒していく。


「乾酪の料理ですか。僕の好物です」


 と、ウェルハイドが瞳を輝かせる。

 実はこれも、ディアルの計略であった。ウェルハイドの故郷であるバナームではカロンの飼育が盛んであると聞きつけたディアルは、締めの料理にカロン乳や乾酪の料理を要請してきたのである。


 それで俺が準備したのは、森辺の祝宴でもたびたび登場しているグラタンであった。

 城下町の厨には鉄製のオーブンのごとき設備が備わっているので、グラタンを作製するのに不自由はない。ユン=スドラの手によってその皿を届けられると、ポルアースは「ほほう」と弾んだ声をあげた。


「これは何だか、帽子焼きを思わせる料理だね! 僕も帽子焼きは好物なんだよ!」


「はい。いささかならず作法の異なる料理だとは思いますが、お気に召したら幸いです」


 そのように述べてから、俺はディアルを振り返った。


「あと、事前にひとつだけお知らせしなくてはなりません。ディアルからは、とびっきりのギバ料理を準備してほしいと頼まれていたのですが……最後のこの品だけは、ギバ肉を使っていないのです」


「え? それじゃあ、何を使っているのです?」


「マロールです。ジャガルでは、マロールやそれに似た食材が好まれているという話を小耳にはさんだので、使ってみました。……俺の故郷でも、この料理ではギバに似た肉よりもマロールに似たもののほうが一般的だったのです」


 マロールは、甘エビに似た食材である。ジャガルにおいては、川でマロールに似た甲殻類がとれるのだと、そんな話を小耳にはさんだのだ。ちなみに情報源は、先月末にジェノスを出立したデルスとワッズのコンビであった。


「森辺においてはギバ肉のほうが好まれますが、こういう場では無理に使うこともないかと思って……事前に確認するべきだったでしょうか?」


「いえ、とんでもない。美味しければ、それで十分です」


 ディアルは、にっこりと微笑んだ。ディアルと丁寧な言葉を交わすのは奇妙な気分だが、表情だけを見ていれば、いつも通りの愛くるしいディアルであった。


「その代わりに、副菜ではギバ肉を使っています。城下町でも売りに出されている、腸詰肉となりますね」


 副菜は、2種類。腸詰肉とブナシメジモドキのソテーと、焼き野菜のマリネである。そしてパンの代わりには、黒フワノをさっくりと焼きあげたものを添えていた。3段階に分けた最後の品であるのだから、ボリュームとしては申し分ないだろう。


「ふむ。このフワノは、ずいぶん奇妙な色合いをしておりますな」


 と、グランナルがけげんそうに黒フワノの生地を見やっている。すると、向かいのウェルハイドが楽しげに微笑んだ。


「こちらは僕がジェノスまで届けている、バナームのフワノであるようです。ジェノスでは、黒フワノなどと呼ばれているそうですね」


「はい。そしてそちらの野菜料理には、やはりバナームの白ママリア酢が使われています」


 俺の言葉に、ウェルハイドはいっそう嬉しそうな顔をした。


「わざわざ僕のために、このような献立を選んでくれたのですね。ジャガルの方々のお口に合えば幸いです」


「それでは、さっそくいただこうか!」


 ポルアースの号令で、各人が食器を取り上げた。

 この地には乾酪の帽子焼きなる料理が存在するので、グラタンの熱さに怯む人間はいない。ポルアースなどは手馴れた所作で焦げ目のついた乾酪の表面を割り破り、そこに黒フワノをひたしていた。


 ジャガルの人々は用心して、匙ですくったグラタンにふうふうと息を吐きかけている。そうして、各人の口にその料理が運ばれると、あちこちから感嘆の声がわきおこった。


「うん、これは美味だね! マロールの身も、実にこの料理に合っているようだ! ……これはまた、フェルメス殿に羨ましがられそうだなあ」


 ポルアースの言葉に、アイ=ファがぴくりと眉を動かした。

 が、余計な口をはさもうとはせず、護衛役の仕事に徹している。


「本当に美味です。帽子焼きとは、やはり異なる料理であるようですが……むしろ、帽子焼きよりも美味であるように思ってしまいます」


「本当ね。いいかげんにおなかはふくれていたのに、いくらでも食べられてしまいそうだわ」


 ウェルハイドとリフレイアも、よどみのない手つきで食事を進めている。

 いっぽうジャガル陣営は口数が少なかったものの、食べるスピードは貴族陣営を上回っている。自身もぞんぶんに手と口を動かしつつ、ディアルは至極満足そうに両名の姿を見守っていた。


(なんとか、期待に応えられたかな)


 そんな風に考える俺のかたわらでは、トゥール=ディンがせっせと菓子の準備をしている。通例通り、最後の菓子だけはトゥール=ディンとリミ=ルウに一任していたのだ。


 そうしてトゥール=ディンが準備したのは、キミュスの卵の白身を使った、メレンゲクッキーであった。あの、キミュスの卵殻の研究をしているうちに生み出された副産物である。

 ヴァルカスなどはクッキーの生地そのものに果汁などで味をつけていたが、トゥール=ディンはカロン乳や乳脂だけを使って、クリーミーな味に仕上げていた。その代わりに、アロウのジャムとチョコソースを小分けにして添えている。そのまま食べても十分に美味しいクッキーであるが、物足りなければそちらをお掛けください、という趣向だ。


 トゥール=ディンは、ヴァルカスの菓子の模倣をするつもりはない、と述べていた。が、今回はとりわけ料理の品数が多いのだと聞き及び、ならば締めくくりの菓子はヴァルカスのようにさっぱりとした軽いものが好まれるのではないか――と思案して、この献立を選んだのである。


 その思惑が功を奏して、客人たちもきわめて満足げな表情であった。ここで生クリームたっぷりのデコレーション・ケーキなどを出されたら、何名かは辟易していたかもしれない。みんなが和やかにメレンゲクッキーを食している姿を見て、トゥール=ディンはほっと胸を撫でおろしていた。


「そういえば、この菓子はオディフィア姫にも届けられるという話だったよね?」


 と、ポルアースに水を向けられて、トゥール=ディンは「はい!」と居住まいを正す。


「きょ、今日はオディフィアを呼ぶことも難しいというお話であったので、菓子だけでも届けていただくことにしました。ご面倒をかけてしまい、申し訳なく思っています」


「いやいや。いまだから打ち明けるけど、オディフィア姫はこの食事会にぜひ参席したいと言っておられたのだよ。それを僕の裁量でお断りしてしまったので、トゥール=ディン殿の配慮をありがたく思っていたのさ」


「そうなのですか?」と、ディアルが目を丸くした。


「それは、わたしも知りませんでした。まあ、オディフィアを招いても、何も問題はなかったかと思いますが……」


「うん。だけど、あまり無関係の人間を増やしてしまうと、主旨がぶれてしまいそうだったからね。……一番無関係の僕がそのように述べたてても、説得力はないかもしれないけどさ」


「とんでもありません。ポルアースのお口添えがなければ、アスタたちを招くこともかなわなかったのですから」


 そう言って、ディアルはまた天使のごとき微笑みを俺に差し向けてきた。その顔が一度として曇らなかったことを、俺は心から嬉しく思った。


「何にせよ、みなさんにもご満足いただけたようで、何よりでした。父さんも、ずっと難しいお顔をしていたけれど、何の文句もないでしょう?」


「文句など、つけようがない。さきほどのシム料理には、いささか面食らってしまったが……これほど豪勢な晩餐を口にしたのは、初めてであるように思う」


 そうしてグランナルは、真面目くさった面持ちで俺に向きなおってきた。


「素晴らしい料理をありがとうございました、アスタ。大事な客人を迎えた今日という日に、これほど相応しい晩餐はなかったことでしょう」


「そのように言っていただけて、心より嬉しく思います。またジェノスにお立ち寄りの際は、お声をかけてくださったら幸いです」


「そうですな。わたしなどは、半年置きにしか顔を出すこともありませんが……」


 と、グランナルは何やら難しげな面持ちで、ディアルとハリアスの顔を見比べた。ディアルは満面の笑みであり、ハリアスはいくぶん悄然とした面持ちである。

 その姿を見て、ポルアースが「そうか」と手を打った。


「そういえば、このたびはディアル嬢とハリアス殿のどちらかをジャガルに連れ帰るというお話でしたね。どちらを連れ帰り、どちらをジェノスに残すか、もう決定されたのですか?」


 それは、俺には初耳の話であった。こっそりと息を呑む俺の眼前で、グランナルはますます難しげな顔になっている。


「それはまあ……本来であれば、娘を連れ帰りたいところであったのですが……娘はバナームを始めとして、いくつも大きな仕事を取りつけていましたからな。それを考えれば……娘に残ってもらう他ないかと……」


「本当に?」と、ディアルが父親の腕に取りすがった。その翡翠のごとき瞳には、期待と喜びの光がくるめいている。


「大きな商いを取りつけたほうを残すと言い出したのは、俺だからな。その約定を破るわけにもいくまい。……ああ、貴き方々の前で、つまらない身内の話を申し訳ありませんでした」


「いえ、滅相もない。僕としても、ディアル嬢に残っていただけるのでしたら、安心です」


 ウェルハイドは、屈託のない笑顔である。

 すると、俺の隣でもじもじしていたユン=スドラが「あの」とひかえめに声をあげた。


「横から割り込んでしまって、申し訳ありません。それでは今後も、ディアルはジェノスで暮らし続けることができるのでしょうか?」


「ええ、そういうことになりますな」


 グランナルの言葉に、ユン=スドラは「そうですか」と安心したように息をついた。


「実はわたしたちも、ディアルから鉄具を買いつけたいと考えていたので、ほっとしました。もちろんディアルの同胞が仕事を引き継ぐのでしたら、何も心配はないのでしょうが……やはり、以前から交流のあったディアルのほうが、安心できますので」


「ほう。君はたしか、バードゥ=フォウ殿の血族であるという話であったよね。いったいディアル嬢から何を買いつけようとしていたのかな?」


 興味津々の様子でポルアースが問いかけると、ユン=スドラは「はい」と口もとをほころばせた。


「調理で使う刀や、片手で扱える鍋、それに鉄の網などですね。フォウの血族もずいぶん銅貨にゆとりが出てきましたので、そういったものを買いつけることができるようになったのです」


 そう言って、ユン=スドラはディアルに向きなおった。


「もちろんそういった鉄具は、ディアルの他にも売っている人間はいるのでしょうが……わたしたちに、こんなに立派な料理を作れるなら、もっと立派な刀を使ったほうがいい、と言ってくれたのは、ディアルであったのです。そういったいきさつもあって、ディアル自身から買いつけたいと願っていました」


「なるほど。ディアル嬢は、また新しい取り引きを成立させることができそうだね。それも、なかなか大口の取り引きになるのじゃないかな?」


「はい。その場には、他にもたくさんの氏族のかまど番がいましたので、そちらでも新しい刀や器具を買いつけたいという話があがっているようです」


 ディアルは「どうだい」と言わんばかりの面持ちで、父親を見やっていた。

 グランナルは、深々と溜息をついている。


「ハリアスとて、決して不出来な結果ではなかったのにな……まったく、呆れたやつだ」


「ふふん。跡取り娘が立派な成果を示してみせたのですから、少しは嬉しそうになさったらいかがですか?」


「家族たちは、今度こそお前が戻ってくるはずだと、首を長くして待っているのだ。これでまた、俺がひとりで文句を引き受けることになってしまうではないか」


「でも、約束は約束ですものね?」


「わかっている」と、グランナルは口をへの字にした。

 ディアルはにっこり笑いつつ、壁際で彫像のように控えていたラービスを振り返る。


「ごめんね、ラービス。まだまだしばらくはつきあってもらうからね!」


「……わたしの仕事はディアル様をお守りすることですので、ご随意に」


 ラービスは、忠実な騎士のごとく一礼する。

 両者の姿を見比べて、グランナルはまた溜息をついた。


「そのような話は、後にせよ。貴き方々の前で、はしたない口をきくものではない」


「何だよー。父さんだって、さっきから乱暴な口をきいてたじゃん」


 ポルアースとウェルハイドが、愉快そうに笑い声をあげる。もちろん彼らは、そのようなことを失礼だと言いたてるような貴族ではなかった。

 そうしてその夜の食事会は、至極なごやかな空気の中で幕を閉じることになったのである。

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