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異世界料理道  作者: EDA
第四十一章 賑やかなりし黒の月
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鉄具屋の食事会②~幕間劇~

2019.1/22 更新分 1/1

 そうして浴堂で身を清めた後は、いざ調理である。

 本日はけっこうな品数を予定しているので、調理時間もけっこう目いっぱいになるはずだ。俺は頼もしい同胞たちに、てきぱきと指示を送らなければならなかった。


 ちなみに、本日借り受けたのは、小さなほうの厨であった。

 客人の数は6名のみであるし、こちらの厨でも設備は充実しているので、何も問題はない。広さだって、森辺のかまど小屋よりゆったりしているぐらいであるのだ。俺たちは、誰の目をはばかることなく、作業に没頭することができた。


「今日は貴族も同席するのに、6種の料理ではないのですね?」


 水瓶の水で野菜を洗いながら、ユン=スドラがそのように問うてくる。

 作業台に食材を配置しつつ、俺は「うん」と応じてみせた。


「あれはあくまで、セルヴァの作法らしいからね。今日はそれよりも、ディアルなりのやりかたで客人がたをもてなしたいんだってさ」


「それじゃあ今日の献立は、ディアルが考えたものであるのですか?」


「いや、ディアルの要望に沿う形で、俺が考案したんだよ。ディアルの期待を裏切ったら、あとでひっぱたかれちゃうかな」


 そのように述べてから、俺は背後のアイ=ファを振り返った。


「えーと、いまのは、もののたとえだからな?」


「それぐらいは、私もわきまえている。あの娘が、いまさらそのように無法な真似に及ぶわけがあるまい」


 凛然とした面持ちで応じつつ、アイ=ファはきらりと瞳を光らせる。


「……もしもそれが私の見込み違いであれば、然るべき報いを与える他ないがな」


「大丈夫だよ。ディアルをがっかりさせないように、頑張るからさ」


 というわけで、作業開始である。

 6名のかまど番は、ペアで作業をしてもらう。俺とマトゥアの女衆、ユン=スドラとマルフィラ=ナハム、トゥール=ディンとリミ=ルウという組み合わせである。これが2度目の参戦となるマトゥアの女衆は、本日も誇らしげに頬を火照らせていた。


 マルフィラ=ナハムは相変わらず溺れた金魚のごとき風情であるものの、その手さばきにはよどみがない。彼女がファの家の商売に関わって、間もなく3ヶ月が経とうとしているが、調理の手際だけで言うならば、もはやユン=スドラを追い越しそうな勢いであるのだった。


「そういえば、生鮮肉の仕事の引き継ぎに関しては、順調なのかな?」


 作業のかたわら、俺がそのように問うてみると、野菜を切り分けていたマトゥアの女衆が「はい」と大きくうなずいた。


「もともとわたしたちは、フォウの血族から仕事の内容をよく耳にしていたので、戸惑うこともありません。みんな、町で商売をすることを楽しんでいる様子です」


「そっか。それなら、何よりだったよ」


 黒の月は、そろそろ終わりに差しかかってきている。そのタイミングで、生鮮肉を販売する仕事と、腸詰肉およびベーコンを準備する仕事が、また次の氏族に引き継がれるのである。


 生鮮肉の仕事は、サウティとラヴィッツから、ガズとラッツに。燻製の仕事は、ベイムからザザにと引き継がれる。マトゥアはガズの眷族であるので、今後は彼女の血族もその仕事を担うことになるわけであった。


「でも、燻製の仕事に関しては、ベイムではなくルウの血族が手ほどきをしているのですよね?」


「うん。ベイムとザザじゃ、家が遠すぎるからね。ルウはそれ以上に遠いけど、ザザとは家人を交換する機会があったから、それで手ほどきを進めたみたいだね」


 そして現在も、ルティムの家人たちが手ほどきの仕上げをしているはずだ。北の集落の人々も、これで町との商売に深く関わると同時に、美味しいベーコンと腸詰肉を食する手段を得たわけである。


「あとはスンにまで仕事が回れば、森辺のすべての氏族が商売に関わったことになるんだね。たぶん3ヶ月後には、ザザからスンに燻製の仕事が引き継がれるんじゃないのかな」


「ああ、ザザとスンなら、それほど家も遠くはありませんしね」


 そのように述べてから、マトゥアの女衆はふいににっこりと微笑んだ。それが、ディアルにも負けない素敵な笑顔であったために、俺は思わず「どうしたの?」と問うてしまう。


「いえ。アスタの始めた商売が、家長会議で正しい行いであると認められて……それでついに、すべての氏族が商売に関わるのかと思うと、何だかすごく嬉しく思えてきてしまったのです」


 俺は「そっか」と笑い返してみせた。

 そのようなことで、こんなに素敵な笑顔を作ってくれたとなると、俺のほうこそ胸が熱くなってしまう。


 そうして作業を進めていくうちに、厨の扉がノックされて、ルド=ルウの声が聞こえてきた。


「おーい。リフレイアたちが、挨拶したいってよー」


 調理中に客人が現れるのは、もはや恒例の行事である。俺は水で手を清めて、アイ=ファとともにそちらへとおもむいた。


「どうも、お待たせしました。……あ、シフォン=チェル!」


 と、俺は思わず、大きな声をあげてしまう。

 リフレイアのかたわらに控えたシフォン=チェルは、とてもやわらかい微笑をたたえつつ、頭を下げてきた。


「おひさしぶりです、アスタ様……その後、お変わりはありませんか……?」


「はい。元気にやっています。シフォン=チェルも、お変わりないようで何よりです」


 シフォン=チェルと顔をあわせるのは、サイクレウスが魂を返した際、リフレイアのお供で宿場町までやってきた日以来であろう。ゴージャスな蜂蜜色のロングヘアと、深みのある紫色の瞳、ぬけるような白い肌と、すらりとした長身を持つ、北の民の女性である。便宜上、お変わりはないようだと述べてしまったものの、彼女は以前よりもいっそう美しさに磨きがかけられたように感じられてしまった。


「あ……主人を差し置いてご挨拶をしてしまい、申し訳ありません……」


「べつにいいわよ。わたしとアスタは、つい先日にも舞踏会で顔をあわせているのだから」


 リフレイアは、つんと下顎をそびやかせた。

 その背後には、サンジュラとムスルも控えている。リフレイア一派が勢ぞろいといったところだ。サンジュラは静かに微笑んでおり、ムスルはしかつめらしい面持ちで一礼していた。


「今日はディアルのおかげで、またあなたたちのギバ料理を食べられることになったわ。縁というのは、結んでおくものね」


「ええ、まったくです」


 俺が笑顔で応じると、リフレイアはたちまち眉をひそめた。


「何もかしこまるような場所ではないでしょう? 口調をあらためてはもらえないかしら?」


「ああ、えーと……それでかまわないのでしょうか?」


 その場には、ルド=ルウとともに城下町の武官も控えていたのだ。俺の視線を追ったリフレイアは、気取った仕草で肩をすくめた。


「あなたは気を回しすぎね、アスタ。かまわないから、いつもの調子で喋ってちょうだい」


「わかったよ」と、俺は苦笑してみせた。つい先日にはリフレイアに涙を流させることになってしまったが、本日は元気そうで何よりであった。


「今日はディアルの父親や、バナーム侯爵家のウェルハイドまで招かれているそうね。わたしとしては、ただ料理を楽しむだけでは済まされないところだわ」


「うん、まあ、それは俺たちも同じことだよ。特に、ウェルハイドに関してはね」


 ウェルハイドの父親を害したのはスン家の人間であり、それを命じたのはサイクレウスやシルエルであったのだ。森辺の民もトゥラン伯爵家も、彼には大きな負い目が存在するのだった。


「でも、ウェルハイドという御方は、とても真っ直ぐな気性をされているからね。礼を尽くせば、きちんとそれに応えてくれる御方だと思うよ」


「そう。あのお人とは、歓待の食事会をご一緒して以来なのよ。今度こそ、きちんとお詫びをしなければね」


 それは、俺がヴァルカスと初めてともに厨を預かった日のことだ。あの頃のリフレイアは、お人形のように静かにしていることで、何とか体裁を保っていたのだった。

 俺がそんな風に考えていると、リフレイアはアイ=ファの肩ごしに厨の扉を見やった。


「その厨……わたしがあなたをさらったとき、あなたはそこで調理をさせられていたのよね」


「ああ、うん。まあ、そうだね」


「……そのときのことを思い出して、嫌な気持ちになったりはしないの?」


 俺は「全然」と首を振ってみせた。


「確かにあのときは苦しかったし、しばらくはこの屋敷に招かれるたびに、複雑な気持ちになったりもしたけどね。いまとなっては、楽しい思い出のほうが多いぐらいさ」


「そう……そのように言ってもらえることを、心からありがたく思うわ」


 リフレイアは、かたわらに控える従者たちを見回した。


「わたしは諸悪の根源だし、ムスルとサンジュラはわたしの命令で悪事に手を染めてしまった身だし……この場で後ろめたさもなくアスタと向き合えるのは、きっとあなたぐらいなのでしょうね、シフォン=チェル」


「いえ……決して、そのようなことは……」


「でも、それが真実でしょう? ひさしぶりに会えたのだから、あなたももっとアスタと言葉を交わしてみたら?」


 もしかして、リフレイアは俺とシフォン=チェルを引きあわせるために、わざわざ挨拶に出向いてきてくれたのだろうか。

 シフォン=チェルはしばしリフレイアの面を見つめてから、俺に向きなおってきた。


「アスタ様と過ごした日々は、いまでも強く心に刻みつけられています……御礼のお言葉を述べさせていただいても、かまわないでしょうか……?」


「御礼? 俺は何も、御礼を言われるようなことをした覚えはないのですが……」


「いえ……わたくしはアスタ様と出会ったことで、色々なことに気づかされたのです……」


 そう言って、シフォン=チェルはやわらかく微笑んだ。

 温かい、心にしみいるような笑顔である。もともと魅力的な笑顔を有するシフォン=チェルではあったが、彼女の笑顔からこれほどの温かみを感じるのは、初めてのことかもしれなかった。


(シフォン=チェルは昔よりも人間らしい表情を見せるようになったって、ムスルが言ってたっけ……)


 確かに彼女は、何かが大きく変化したようだった。

 でもきっと、それは俺じゃなく、リフレイアの存在があってこその変化であるのだろう。人間らしい心を取り戻したというのなら、それはリフレイアも同じことだ。孤独な空間で身を寄せ合っているうちに、おたがいに対する情愛が育まれて、ふたりともに大きな変化を遂げることになった――俺には、そのように思えてならなかった。


「……俺のほうこそ、御礼を言わせてください。この屋敷に閉じ込められている間、シフォン=チェルの存在は大きな支えであったんです。たぶんあなたには、他者の孤独を癒す力が備わっているんだと思います」


「いえ……滅相もないことです……わたくしなど、何の力も持たない侍女に過ぎないのですから……」


 そのような言葉を口にしても、シフォン=チェルに自分を卑下するような気配はなかった。

 ただ、その紫色の瞳に、いくぶん心配そうな光が浮かんでいる。おそらく、武官の耳を気にしているのだろう。西の人間が北の人間と友愛を育むことは、大きな禁忌とされているのだ。


(そういうあなたの優しさが、きっとリフレイアを救ったんですよ)


 シフォン=チェルを心配させないように、俺は心の中でそのようにつぶやいた。

 そして、思う。誰の耳をはばかることなく、シフォン=チェルと言葉を交わしたい。彼女が南方神に神を移せば、それが許されるようになるのだ。もしもそれで、彼女がジャガルに移り住むことになってしまったとしても――その前に、ひとたびだけでも心ゆくまで語らいたいと、俺は強くそう願った。


「……それじゃあ、そろそろ行こうかしら。仕事の邪魔をしてしまって、申し訳なかったわね、アスタ」


「いや、とても嬉しかったよ。食事のときは、俺も立ちあわせていただくからね」


「ええ。それじゃあ、またそのときに」


 3名の従者を引き連れて、リフレイアはしずしずと立ち去っていく。

 そうして厨に戻ろうとすると、アイ=ファが素早く囁きかけてきた。


「アスタよ。お前はずいぶん、あのマヒュドラの女衆に思い入れを抱いているようだな」


「うん。その理由は、以前にも話したよな?」


「うむ。しかし今日は、これまでよりも強くその心情が伝わってきた」


 そのように語るアイ=ファの口もとが、何か不規則なゆらぎを見せている。これは、唇がとがりそうになるのを必死にこらえているときの仕草であった。


(俺だって、アイ=ファが他の男衆に強い思い入れを持ったら、あれこれ心を乱されちゃうだろうしな)


 そんな甘やかな心地を胸中に抱きつつ、俺はアイ=ファに笑いかけてみせた。そして、武官の耳をはばかって、そっと囁き返してみせる。


「シフォン=チェルとリフレイアの間に確かな絆を感じられたことが、すごく嬉しかったんだよ。ただ、武官の前ではそういう話もできなかったから、ちょっとおたがいに含むような会話になっちゃったんだ」


「そうか」と、アイ=ファの唇が沈静化した。


「確かにあの者たちは、おたがいの存在を強く思いやっているように感じられたな。リフレイアが人間がましい心を取り戻すことができたのも、あの女衆のおかげということか」


「うん。きっかけはサイクレウスとの別れだったんだろうけど、その後にリフレイアの心を支えたのは、きっとシフォン=チェルやサンジュラだったんだろうと思うよ」


 そして俺は、自分が彼女たちに情動をゆさぶられる理由が、ふいに理解できた。

 俺とアイ=ファもまた、強い孤独を感じていたがゆえに、おたがいの存在が大きな支えとなった身なのである。

 アイ=ファは父親を失い、森辺の同胞との絆も断ち切り、たったひとりで生きていた。俺はもとの故郷から遠く離れて、まったく寄る辺のない身であった。そんな俺たちであったからこそ、ここまでの情愛が育まれることになったのだろうと思うのだ。


 もちろん、誰が相手でもかまわなかったわけではない。どれほど孤独な身であっても、意に沿わない相手と情愛を育むことは難しいだろう。

 相手がアイ=ファであったから、俺はこんなにも、強い気持ちを抱くことができた。俺は、そのように信じている。絶対的な孤独の中で、アイ=ファと出会えた奇跡的な幸運を、心の底から感謝しているのである。


 リフレイアとシフォン=チェルの身にも、そういう幸運が訪れたのではないだろうか。

 俺には、そのように思えてならなかったのだった。


「あ……ちょっと待て。次の客人が来たみたいだぜ?」


 と、扉に手をかけたところで、ルド=ルウがそのように呼びかけてきた。

 振り返った俺は、小さく息を呑む。回廊の果てから姿を現したのは、亜麻色の長い髪を持つ優美な貴族と、それに付き従う長身の武官であったのだ。


「おや、アスタ。いまは仕事のさなかだったのではないですか?」


 外交官のフェルメスは、にこりと微笑みながら、そのように問うてきた。

 俺は気持ちを引きしめて、「ええ」と応じてみせる。


「いま、トゥラン伯爵家のご当主がご挨拶に来てくださったので、そのお相手をしていたのです。回廊ですれ違いませんでしたか?」


「ええ、行き違いであったようですね。……アイ=ファにルド=ルウも、お元気そうで何よりです」


 アイ=ファは毅然たる面持ちで、ルド=ルウは曖昧な表情で、それぞれ目礼を返していた。従者のジェムドは、凪いだ海のように穏やかな眼差しで、狩人たちの姿を見比べている。


「ちょうど近くに用事があったので、僕もご挨拶をさせていただこうと思ったのです。本日は、ポルアース殿やリフレイア姫に晩餐を準備されるそうですね」


「はい。それに、バナーム侯爵家のウェルハイドも招待されているはずです」


「ええ。その御方は、さきほどジェノス城でご挨拶をさせていただきました。明日の晩餐は、僕もご一緒させていただく予定です」


 ジェノスの資料を読みあさったのなら、ウェルハイドがトゥラン伯爵家の乱に関わっていることも確認済みであるのだろう。フェルメスらしい、周到な手際であった。


「本当であれば、今日もご一緒させていただきたいところであったのですが……もともとは、ジャガルの鉄具屋の方々から持ち上がった話であるとのことで、自重いたしました。いずれはまた、僕にもアスタの料理を口にさせていただきたく思います」


「はい。ジェノス侯と森辺の族長からのお許しがあれば、喜んで」


「ありがとうございます」と微笑んでから、フェルメスはアイ=ファに目をやった。


「ところで……僕は何か、アイ=ファの気分を害するような真似をしでかしてしまったでしょうか?」


 アイ=ファは普段通りの凛々しい眼差しで、フェルメスを見つめていた。

 ただ、その青い瞳に、ちろちろと激情の火が燃えているように感じられる。フェルメスも、それを明敏に見て取ったのだろう。


「何も、気分を害したわけではない。……ただ、あなたにひとつだけうかがっておきたいことがある」


「はい、何でしょうか?」


「あなたは、アスタをどうしようというつもりであるのだ?」


 アイ=ファは、真正面から切り込んだ。

 フェルメスは、それをふわりと受け流す。


「僕が考えているのは、ただひとつ。アスタと絆を深めたく思っています」


「それは、アスタが《星無き民》などと呼ばれているゆえであるのだろう?」


「そうです」と、フェルメスはあっさりうなずいた。


「その人間の気性や立ち居振る舞いではなく、身分や素性を理由として、絆を深めたいと願うのは、きっと森辺の民の気風にはそぐわないのでしょうね。ですから、そのように警戒されてしまうことは、最初から覚悟していました」


「……その上で、アスタに真情を明かしたということか?」


「はい。森辺の民は、真情を隠さぬことを美徳としていると聞いていましたので。……僕は、あなたがたとも絆を深めたいと願っているのですよ」


 フェルメスの美貌には、何の陰りも見られない。彼は幼子のように無邪気であり、そして誰よりも優美であった。


「あなたがたと絆を深めたいと願うのも、あなたがたが森辺の民という特異な存在であるためです。ですがそれは、あなたがたも同じことでしょう? あなたがたは、僕という個人ではなく、王都の外交官と絆を深めるべきだと考えている。その絆が、それぞれの立場から生じる義務的なもので終わるか、あるいは個人と個人の情愛にまで昇華されるかは、それこそ相性次第というものでしょう。それはこの先、長きの時間をかけて、じっくり見定めていただきたく思います」


「…………」


「アスタに対しても、同じことです。僕は、アスタがどのような存在であるのかを、しっかり見定めたいと願っています。……その上で、人間としての情愛にまで昇華できれば、最高の結果なのでしょう」


 フェルメスのヘーゼルアイが、不可思議なきらめきとともに、俺を見つめてきた。あの仮面舞踏会でも垣間見せた、魂を吸い込むような眼差しである。


「……無礼を承知で言わせてもらうが、あなたのその目つきは、いささかならず気に食わん」


 アイ=ファが断固とした口調で言いたてると、フェルメスはくすりと微笑んだ。


「申し訳ありません。僕があまりに浮かれているので、あなたを心配させてしまうのでしょうね。でも、僕が外交官という立場を利用して、無法な強権をふるうことはありえませんので、どうぞご安心ください。そういう行いを、僕は心から忌避しているのです」


 アイ=ファは口を引き結び、何も答えようとはしなかった。

 ルド=ルウは、仏頂面で頭をかいている。


「ま、虚言を吐いてるようには見えねーんだよな。……ただ、俺にもまだ、あんたっていう人間がよくわからねーんだよ」


「ええ。そのような言葉は、王都でもよく聞かされました。僕は見たままの人間であるつもりであるのですが、何か裏があると思われがちなのですよね」


 フェルメスは、あくまで屈託がなかった。

 そうして最後までにこやかな笑みを振りまきながら、ふわりときびすを返す。


「それでは、仕事のさなかに失礼いたしました。どうぞお元気で、森辺の皆様方。また近日中に、お会いいたしましょう」


 ジェムドも無言で一礼して、主人を追いかけていく。その姿が十分に遠ざかってから、ルド=ルウはやれやれとばかりに肩をすくめた。


「やっぱり今日も、よくわかんなかったなー。カミュアのおっさんより腹の中が読みにくい人間がいるなんて、俺は思ってもみなかったぜ」


「確かにね。カミュアみたいに仲良くなれることを祈るばかりだよ」


「ふん。ターラなんかは、なーんにも警戒してないみたいだったんだよな」


 フェルメスはダレイム伯爵領を視察した折、やはりドーラ家に立ち寄ることになったのである。ルド=ルウはいまでも横笛の修練で宿場町に下りることが多かったので、ターラからその顛末を聞かされることになったのだろう。


「まあ、ターラはカミュアにも最初から懐いてたみたいだしね。カミュアもフェルメスも、小さな子供に警戒心を抱かれるようなタイプではないってことなのかな」


「たいぷ?」


「ああ、ごめん。型とか種類とか、そういう意味だよ」


 すると、アイ=ファがずいっと俺に顔を近づけてきた。


「それは、アスタの故郷の異国の言葉だな? あのフェルメスの前では、迂闊に口にするのではないぞ?」


「ああ、うん。またあのお人の好奇心をかきたてちゃいそうだもんな」


 やはり俺よりも、アイ=ファのほうがフェルメスの存在を強く意識している様子である。

 そんなアイ=ファの姿を見やっていたルド=ルウは、頭の後ろで手を組みながら、言った。


「確かにありゃー、アスタを嫁に欲しがってるような目つきだよなー。アイ=ファがイライラする気持ちはわかるよ」


「私はべつだん、そんなつもりで用心しているわけでは――」


「でも、あいつが女衆じゃなくてよかったなーとか思ってるんだろ?」


 アイ=ファは口をぱくぱくとさせてから、押し黙った。その末に顔を赤くして、何故だか俺をにらみつけてくる。


「何だよ? たとえフェルメスが女性だったとしても、俺は心を乱されたりしないぞ? その理由が知りたいんだったら――」


「もうよいわ! とっとと自分の仕事に戻れ!」


 アイ=ファは俺の襟首をひっつかみ、厨の扉を引き開けた。半ばアイ=ファに引きずられるようにして、俺はルド=ルウに手を振ってみせる。ずっとお行儀のよい沈黙を保っていた城下町の武官は、笑っていいものか悩むように頬をぴくぴくとさせていた。

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