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異世界料理道  作者: EDA
第四十一章 賑やかなりし黒の月
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鉄具屋の食事会①~再会の挨拶~

2019.1/21 更新分 1/1 ・2/3 一部表記に誤りがあったので修正しました。

・今回の更新は全7話です。

 城下町の仮面舞踏会に参席したことによって、俺はようやくフェルメスという謎めいた人物のことが、少しだけ理解できたような気がした。

 彼はおそらく自分で言った通り、根っからの学究の徒であり――それゆえに、俺の存在に着目しているようであったのだった。


 俺は何名かの占星師に、《星無き民》なのであろうと言い渡されている。ジェノスの客分たるアリシュナに、シュミラルのお仲間である《銀の壷》の団員に、《ギャムレイの一座》のライラノスと、それだけの人間がそれぞれ別の場所で、同じ判定を下すことになったのだ。少なくとも、東の占星術を学んだ人間にとって、俺はまぎれもなく《星無き民》というやつであるのだろう。


 しかしまた、俺はその《星無き民》がどういう存在であるのかを、あまりわきまえていない。その正体を知ることに、それほど大きな意味を見いだせなかったためである。


 というか――もしかしたら、俺の存在そのものが、《星無き民》の正体なのではないだろうか?

 それはすなわち、「異なる世界から飛ばされてきた人間」というものである。

 真実がどうなのかは、もちろんわからない。それは、かつて吟遊詩人のニーヤが歌っていた『白き賢人ミーシャ』の内容から導かれた、ひとつの推論に過ぎなかった。


 かつては俺と同じように、別の世界から飛ばされてきた人間が多数存在したというのなら、それは確かに物凄い話である。

 だけど俺には、その先の話に足を踏み込む手段や理由を見いだせずにいたのだった。


 人間を異なる世界に飛ばすだなんて、それはもう神の御技としか思えない。それはどういう手段でなされたのか、だとか、それにはどのような意味が存在するのだろうか、だとか、そのようなものは人智の範疇でないように思えて仕方がないのである。


 だから俺は、そのようなことに頭を悩ませることなく、前を向いて生きていこう、と決めたのだ。

 かつての故郷において、俺は取り返しのつかない失敗をした。無謀な行いに及んで生命を落としてしまい、大事な家族や幼馴染を悲しませる羽目になってしまったのだ。

 もうあのような失敗を繰り返すことなく、懸命に生きていきたい。俺にとっては、その思いがすべてであるのだった。


 だけどまあ、フェルメスが俺の存在に着目する気持ちはわからないでもない。

 要するに、彼は俺の言う言葉――こことはまったく異なる世界から飛ばされてきた、という説明を信じたがゆえに、大きな驚きや学術的な興味をかきたてられた、ということなのだろう。言ってみれば、宇宙人や雪男やネッシーを目の当たりにしたような心地であるのかもしれない。


 それで彼が、俺のことを守らなければならない、と考えてくれたのなら、幸いなことだ。

 警戒すべきは、その思いが行き過ぎて、俺の存在を我が物にしたい――などと思われることであろうか。アイ=ファいわく、彼はものすごく「物欲しそうな目」で俺を見ているのだそうだ。


 俺の故郷の人々だって、実際に宇宙人や雪男やネッシーを捕獲してしまったら、それは我を失ってしまうことだろう。その正体を知りたいと願うあまり、ついつい道を踏み外してしまうかもしれない。俺がフェルメスに対して抱く警戒心というのは、つまりはそういう類いのものであった。



「なるほどねえ。そういう理由で、彼はアスタのことを庇い立てしていたわけか」


 後日、屋台を訪れてくれたカミュア=ヨシュに仮面舞踏会での出来事を報告すると、彼は合点がいったように笑っていた。


「それなら確かに、辻褄は合うようだね。彼が同性愛者だとしたら、アスタと顔をあわせる前から庇い立てしていた理由がわからないものねえ」


「……あの、そういう冗談は控えていただけたら幸いです」


 周囲の人々の耳を気にしながら、俺はそのように言ってみせた。

 カミュア=ヨシュは、にんまりと笑っている。


「でもまあ、これですっきりしたじゃないか。彼は個人的な好意や好奇心にもとづいて、アスタの立場を守ろうとしてくれているんだ。もともと公正な気性である上に、好意までもたれているなら、磐石だろう?」


「そうですね。でも、その好意が行き過ぎたら危険なのかな、とも思えてしまいます」


「ふうん? たとえば彼が、アスタを我が物にしようと目論むだとか、そういう心配をしているのかな? ……だけど、彼は一介の外交官に過ぎないし、おまけに王都の国王陛下は、そういったあやしげな話を忌避されておられるからね。フェルメスがどのように頭をひねっても、アスタを王都に連れ去る算段などは立てようがないと思うよ」


 そう言って、カミュア=ヨシュは笑顔を温かみのあるものに切り替えた。


「それに、森辺の民やジェノス侯が、そんな無法な真似を許すはずがないからね。アスタはこれまで通り、森辺の民として、清く正しく生きていけばいいのさ」


「ええ、もちろんそのつもりです。……ちなみにカミュアは、《星無き民》というものをご存知でしたか?」


「うん、まあ、名前ぐらいはね。この世界に星を持たない、謎の異邦人というやつだろう? でも、俺はそもそも星読みの理屈もわきまえていないから、この世界に星を持たないと言われても、いまひとつピンとこないんだよね」


 カミュア=ヨシュは、あくまでのほほんとしていた。

 まあ、変に深刻ぶられるよりは、よほどありがたい話である。


「フェルメスの言動に不審なものを感じたら、ジェノス侯やドンダ=ルウらに相談すればいいさ。もちろんドンダ=ルウらには、すでに話を通しているのだろう?」


「ええ。舞踏会の翌日に、きっちり報告させていただきました」


 ドンダ=ルウは、普段通りの迫力に満ちみちた様子で「了承した」と言ってくれていた。


「要するに、あいつは貴様の語るわけのわからねえ身の上話に強い興味を抱いているということだな。道理であんな物欲しそうな目で、貴様を見ていたわけだ」


「……ドンダ=ルウも、フェルメスにそういう印象をもたれていたのですね」


「うむ? まさか、貴様自身が気づいていなかったとでも抜かすつもりか?」


 恥ずかしながら、俺は自分だけにそれほどの目を向けられているとは気づいていなかった。森辺の民や聖域の民と同列の扱いで、俺にも関心を寄せているのだろうなと思っていたばかりである。


「何にせよ、貴様は森辺の家人に認められた人間だ。相手が誰であろうとも、森辺の同胞におかしな真似はさせん。……貴様もあいつと揉め事などを起こさないように、せいぜい身をつつしむことだな」


「はい。ありがとうございます、ドンダ=ルウ」


 フェルメスにまつわる顛末は、そういった具合である。

 現時点で、フェルメスは俺に対する強い興味を明かしたに過ぎない。仮面舞踏会のあとは、とりたてて城下町に呼びつけられることもなかったし、俺は至極平穏な日々を送ることができていた。


 ただし、俺の平穏な日常というやつは、それなりの賑やかさを常に備えている。仮面舞踏会を終えたのちも、その年の黒の月は、たいそう派手派手しく過ぎ去っていったのだった。


                       ◇


「よー、待たせたな、アスタ」


《キミュスの尻尾亭》の裏手で待機していた俺たちに、陽気な声が投げかけられる。声の主はルド=ルウであり、そのかたわらにはファファの手綱を握ったアイ=ファも立っていた。


「つっても、約束通りの刻限のはずだよな。屋台の商売が、早く終わったのか?」


「うん。最近、売れ行きも順調でね。定刻より早く売り切れることも珍しくないんだ」


「ふーん。そいつは、めでたい話だな」


 ルド=ルウは頭の後ろで手を組むお得意のポーズで、にっと白い歯を見せる。ルド=ルウも、初めて顔をあわせた頃に比べれば、ずいぶん大人びてきたように思わなくもないのだが、その無邪気さだけは色褪せることもなかった。


「それじゃあ、とっとと出発しよーぜ。リミはどっちの荷車に乗るんだよ?」


「リミは、アイ=ファと一緒がいい!」


 屋台の商売を終えた後、この場には6名のかまど番が居残っていた。俺、リミ=ルウ、トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、マトゥアの女衆という、なかなかの精鋭ぞろいである。本日は、このメンバーで城下町に出向くのであった。


 先日、ついにディアルの父親であるグランナルが、ジェノスにやってきた。そうしてポルアースを通じてマルスタインにおうかがいを立てたところ、森辺のかまど番を城下町に招くことが許されたのである。


 ディアルは前々から、俺に晩餐を作ってほしいと願っていた。王都の人々と心安らかな関係を築くまでは――と、長きに渡って棚上げされてきたそのイベントが、ようやく実現の日を迎えることになったのだ。

 ディアルなどはすでに森辺の祝宴に参加しているぐらいであるのだから、俺の作る晩餐などに固執する理由はないように思えたが、彼女はまったくあきらめていなかった。そこまで俺の料理を強く欲してくれるというのは、ありがたい話である。


 日取りとしては、黒の月の17日。仮面舞踏会の4日後だ。

 その日は屋台の営業日のど真ん中であったものの、最近では下ごしらえの仕事も近在の女衆に一任することができているので、何も不都合なことはない。俺たちは、2台の荷車でさっそく城下町に向かうことになった。


 城門に到着すると、いつもの武官が待ってくれている。城下町への通行証を発行することができるのはジェノスの貴族のみであるので、名目上、俺たちはポルアースに招待されているという格好であるのだ。俺たちは、いつも通りの手順で10名乗りの大きなトトス車に乗り換えて、城下町へといざなわれた。


「にしても、ルウの血族は休息の期間なんだからよ。わざわざアイ=ファがひっついてこなくても、護衛役の人間なんていくらでも出せたんだぜー?」


 トトス車の座席で揺られながら、ルド=ルウがそのように言いたてた。ルウの血族は一昨日、収穫祭を迎えていたのだ。

 俺とリミ=ルウにはさまれたアイ=ファは、凛然たる面持ちでルド=ルウを振り返る。


「ちょうど猟犬らに休みを与えたいと考えていたところであったので、大事ない。それに、リミ=ルウ以外はファの近在に住まう女衆ばかりであるのだから、私が出向くのが相応であろう」


「ふーん? アイ=ファはアスタと一緒にいたいだけじゃねーの?」


「…………」


「そんなおっかねー目でにらむなよ。大事な家人と一緒にいたいと願うのは、当たり前のこったろ?」


 悪びれた様子もなく、ルド=ルウは笑っている。俺などは赤面の至りであったが、ユン=スドラやマトゥアの女衆は窓から町並みをうかがっており、こちらの会話には気づいていない様子であった。


「そういえば、今回の力比べではダン=ルティムが優勝したそうだね。ルド=ルウも、また8人の勇者に選ばれたんだろう?」


 話題の転換をはかるべく、俺がそのように発言すると、ルド=ルウは面白くもなさそうに「まーな」と口をとがらせた。


「ダン=ルティムもここ最近は親父に負けっぱなしだったから、いっそう気合が入ってたみてーだ。俺だってけっこう力をつけたつもりなのに、全然かなわなかったよ」


「あ、ルド=ルウはダン=ルティムと対戦したんだね」


「ああ。俺もダルム兄も、ダン=ルティムにやられちまった。でも、親父なんかはジザ兄やガズラン=ルティムを相手にすることになったから、そこで力をずいぶん使っちまったんだろうな」


 しかしそれでも、決勝戦はまたもやドンダ=ルウとダン=ルティムで執り行うことになったのだ。俺が森辺にやってきてから、ドンダ=ルウが不戦敗でなく勝利を逃したのは初めてであるはずだった。


「その6人が、勇者なんだね。残り2人は、どんな顔ぶれなのかな?」


「シン=ルウとギラン=リリンだよ。ジザ兄やダルム兄や、あとはジーダなんかが前回の勇者に挑みまくったら、ミダ=ルウやラウ=レイが負け越す形になったって感じかなー。ジーダなんかは、けっきょく親父やギラン=リリンにやられちまって、最後の8名までは残れなかったけどよー」


 では、ジザ=ルウとダルム=ルウが勇者の座を得た代わりに、ミダ=ルウとラウ=レイが転落することになった、というわけだ。

 しかし、勇者となった人々の顔ぶれを考えると、それも致し方のないことのように思えてしまう。要するに、ルウの血族には素晴らしい狩人がそろい踏みしている、ということなのだろう。


「そう考えると、ルド=ルウはすごいね。俺が森辺に来てから、これが4度目の力比べのはずだけど、4連続で勇者になってるのは、ルド=ルウとガズラン=ルティムだけなんじゃないのかな」


「んー、そうだっけ? 俺はまだ、親父にもジザ兄にもダン=ルティムにも勝ったことがねーんだけどな」


「でもその3人は、怪我のせいで不戦敗したことがあるからね。……と、余計なことを言っちゃったかな?」


 俺が慌てて振り返ると、アイ=ファは「かまうな」と静かに応じた。狩人の仕事で負傷したドンダ=ルウたちはともかく、力比べのさなかにジザ=ルウを負傷させてしまったのは、他ならぬアイ=ファであったのだ。


「そーいえば、俺はアイ=ファとやりあったことがねーんだよな。お前らも、また収穫祭に来ればいいのによー」


「それはすでに定められた話だ。懇意にしている人間の婚儀などであれば、また招いてもらいたく思う」


「婚儀の祝宴じゃ、力比べしねーじゃん。それじゃー意味がねーんだよ」


 手持ち無沙汰になったのか、ルド=ルウは妹の赤茶けた髪を、わしゃわしゃとかき回した。「なんだよー」と文句を言いながら、リミ=ルウはにこにこ笑っている。


「とにかくさ、同じ相手に負けっぱなしじゃ、自慢になんねーよ。親父やダン=ルティムが老いぼれて力をなくす前に、いっぺんぐらいは勝っておきてーよなー」


「あはは。まだ当分は、大丈夫そうじゃないか。猟犬のおかげで、狩人が不慮の手傷を負うことも少なくなるだろうしね」


 どれほどの力を持つ狩人でも、ギバ狩りの仕事で手傷を負うことはありうる。アイ=ファの父親やリャダ=ルウだって、きっと生半可な実力ではなかったはずであるのだ。そんな狩人でも安穏としていられないぐらい、ギバ狩りの仕事というのは過酷であるのだった。


 しかし、猟犬の数が増えるにつれて、狩人が危うい目にあうことはどんどん減じていっていると、あちこちの氏族から報告が入っている。かえすがえすも、猟犬のもたらす恩恵というのは多大であるのだった。


「猟犬か。……そーいえば、最近ヴィナ姉の元気がねーんだよなー」


 いささか話が飛躍したように思えたが、おそらくは猟犬からシュミラルを連想したのだろう。俺は「そうなのかい?」と応じてみせた。


「そうなのかいって、アスタも3日にいっぺんぐらいはヴィナ姉に会ってるんだろ? ……まあ、ヴィナ姉も人に気づかれないようにしてるんだろうけどなー」


「うん、ごめん。まったく気づいてなかったよ。ヴィナ=ルウは、どうして元気がないんだろう?」


「そりゃー、シュミラルがジェノスを出る日が近づいてるからじゃねーの?」


 それはもちろん、周知の事実である。いずれ《銀の壷》がジェノスにやってきたあかつきには、シュミラルも商団の仕事を果たすために、半年ほど旅立つことになってしまうのだ。

 が、《銀の壷》の来訪が予定されているのはふた月ほどのちのことであるし、ジェノスを出立するのは、さらにそのひと月後である。俺とてシュミラルとの別れはずっと気にかけていたので、その日取りに間違いはないはずだった。


「せめてその前に婚儀をあげられればいいんだけど、シュミラルはまだリリンの氏も授かってねーからなー。……ていうか、ヴィナ姉自身も、まだ婚儀をあげる覚悟が固まってねーみたいだしよー」


「……たとえ家族といえども、余人の婚儀について詮索するべきではなかろう」


 アイ=ファがじろりとにらみつけると、ルド=ルウはべーっと舌を出した。


「そりゃー自分のことを詮索されたくねーだけだろ? 心配しなくても、余所の家の話に口出しはしねーよ」


「…………」


「でもまあ、アイ=ファとアスタはせっかく同じ家に住んでるんだから、とっとと婚儀をあげちまえばいいとは思うけどなー」


「言ったそばから、詮索しているではないか!」


 アイ=ファが顔を赤くして大声をあげると、ユン=スドラたちがびっくりしたように振り返った。


「ど、どうしたのですか、アイ=ファ? 何か問題でも?」


「……大事ない。騒がしくして、悪かった」


 ルド=ルウをにらみつけたまま、アイ=ファが言い捨てる。リミ=ルウは「もー」と可愛らしく眉を吊り上げながら、やんちゃな兄の頬をつまんだ。


「アイ=ファをからかったら駄目だよ、ルド。アイ=ファは、恥ずかしがり屋さんなんだから!」


「……リミ=ルウよ、それではいっそう、私が居たたまれないのだが」


「えへへ」とリミ=ルウは片目をつぶった。

 アイ=ファは赤い顔を隠したいかのように、がりがりと頭をかきむしる。


 そうした微笑ましくも気恥ずかしいやりとりをしているうちに、トトス車は停止した。

 到着したのは、毎度お馴染み、貴賓館である。フェルメスらに魚料理を献上したのは半月前の話であるから、なかなか短いスパンでの再訪であった。


「あー、やっと来た! 待ってたよ、みんな!」


 トトス車を降りるなり、入り口で待ちかまえていたディアルが駆け寄ってくる。俺は「やあ」と笑いかけてみせた。


「お待たせしたね。約束の刻限に遅れちゃったかな?」


「ううん、そんなことはないと思うけど。待ってるこっちは、時間を長く感じちゃうからさ」


 ディアルは初っ端から、全開の笑顔であった。笑うと、天使のように可愛らしい少女であるのだ。本日はいつも通りの男の子っぽい装束であったが、その可愛らしさに変わりはなかった。


「それじゃあ、父さんたちに紹介するからさ。こっちについてきてくれる?」


「うん、了解。……ラービスも、お疲れ様です」


 ラービスは、「ええ」と目礼してくる。彼のほうも、相変わらずの様子であった。

 そんな主従の案内で、俺たちは貴賓館へと足を踏み入れる。城下町の武官も2名ほど追従していたが、彼らは見届け役のようなものなのだろう。ディアルの言動に異を唱えようとはしなかった。


 そうして導かれたのは、ゆったりとした広間のような場所であった。

 この建物には何度となく足を運んでいるものの、いつも特定の場所にしか用事はないので、全容は把握しきれていない。初めて足を踏み入れるその場所は、ホテルのラウンジのように使われているようだった。


「父さん、お待たせ! 森辺の料理人たちが来てくれたよ!」


 卓をはさんで何やら語らっていた2名の人物が、腰をあげる。どちらも南の民であり、どちらも同じぐらい頑固そうな顔をしていた。


「これはこれは。ずいぶんな大人数ですな。あなたがたのお噂は、かねがね娘から聞き及んでおります」


 その風貌にはあまり似合わない丁寧な物腰で、片方の人物が一礼する。南の民は似たような風貌をした人間が多いのであるが、その面立ちには見覚えがあった。


「わたしがディアルの父で、鉄具屋のグランナルと申します。ええと、たしかあなたが……」


「はい。森辺の民、ファの家のアスタと申します。きちんとご挨拶をさせていただくのは、初めてのはずですね」


「ええ」とうなずきながら、グランナルはじろじろと俺を検分していた。およそ1年ほど前、同じこの場所でおかしな対面を果たすことになった俺のことを、記憶の物入れから引っ張り出しているのだろう。

 すると、俺のななめ後ろに控えていたアイ=ファが、すうっと進み出た。


「私はファの家の家長で、アイ=ファという者だ。私のことは、覚えておられるだろうか?」


「うむ?」と、グランナルはもしゃもしゃの眉をひそめた。

 その姿を見て、ディアルは楽しげに笑っている。


「ほら、あの晩餐の騒ぎのとき、アスタを助けに来た森辺の女狩人だよ。あのときは、シムの装束を着てたけどさ」


「ああ、なるほど……ポルアースという御方に襲いかかろうとした武官めを投げ飛ばした御方ですな。本日は髪を結っているので、見違えてしまいました」


「うむ。あのときは、アスタを助けるためとはいえ、数々の虚言を口にしてしまった。どうか許していただきたく思う」


「虚言?」と、グランナルは首を傾げた。


「ほら、彼女はシムの商人の娘だって、身分を偽ってたでしょ? 僕たちには関係ない話だけど、森辺の民は虚言を罪としているって話だから、それを詫びてるんじゃないのかな」


 すっかり森辺の事情通となったディアルの説明に、グランナルはまた「なるほど」とうなずく。


「それはご丁寧なことですな。その虚言で我々に損が生じることはありませんでしたので、どうかお気になさりませんように」


「いたみいる」と小さく頭を下げてから、アイ=ファは退いた。

 そののちに、他の女衆とルド=ルウの紹介をさせてもらう。それが済むと、今度はグランナルが自分の連れを紹介してくれた。


「こちらはわたしの部下で、ハリアスと申します。この1年、娘とともにジェノスで商売を続けていたのですが……お目にかかるのは、初めてであるようですな」


「はい。どうぞよろしくお願いします」


 たしかディアルは、鉄具屋のナンバーツーに当たる人物とともに、ジェノスに居残っていたのだ。そんな話は最初から聞かされていたが、まごうことなき初対面であった。

 グランナルと同じように、いかにも南の民といった風貌をした人物だ。髪も髭ももしゃもしゃで、背はあまり高くなく、骨太のずんぐりとした体格をしている。異なるのは、濃い緑色の瞳をしたグランナルに対して、くっきりとした茶色の瞳をしている点ぐらいであった。


「お初にお目にかかります。……しかし本当に、なかなかの大人数ですな。いささか面食らってしまいましたぞ」


「はい。責任者は俺ですが、万全を期すためにこれだけの人数を準備させていただきました」


 俺がそのように答えると、ディアルが「ふふん」と鼻を鳴らした。


「客の側も、けっこうな人数になっちゃったしね。えーと、最終的にはここにいる3人と、貴き方々がもう3人だったっけ?」


「うん。変更がなければ、そのはずだよ」


 もともとこの話は、ポルアースが見届け役として参席することになっていた。さらに、ディアルの要望で、リフレイアとウェルハイドまでもが招待されることになったのである。


「ダレイム伯爵家の第二子息に、トゥラン伯爵家のご当主に、バナーム侯爵家ゆかりの若君とは……実に錚々たる顔ぶれでありますな」


 むっつりとした顔でハリアスが発言すると、ディアルは何か誇らしそうに胸をそらした。


「バナームとは今後、大きな商いをしていく予定だし、リフレイアは、父さんともアスタとも因縁があったからね。まあ、アスタとリフレイアはすっかり和解できてるから、父さんとも仲良くしてもらおうと思ってさ」


「……またおかしな騒ぎになることはあるまいな?」


 と、グランナルが厳しい眼差しをディアルに差し向ける。

 ディアルは「もちろん」と微笑んでいた。


「いまのリフレイアを見たら、父さんもびっくりするんじゃないかな。少なくとも、もう食事の最中に皿を投げたりはしないから、何も心配はいらないよ」


 グランナルは、かつてトゥラン伯爵邸に逗留していたので、リフレイアが癇癪を爆発させるさまも目にする機会があったのだろう。そういった悪縁を解消させようという、ディアルの心憎い配慮であるのだ。


「それじゃあ、美味しい料理をお願いね! 楽しみに待ってるからさ!」


 笑顔のディアルに見送られて、俺たちは広間を後にした。

 いつの間にやら出現していた小姓が、「こちらにどうぞ」と先導してくれる。まずは浴堂で身を清めなければならないのだ。


「ウェルハイドって、どっかで聞いた名前だな。俺たちと関わりのある貴族だったっけ?」


 その道中で、ルド=ルウがそのように問うてきた。

 俺はさきほどのディアルの真似をして、「もちろん」とうなずいてみせる。


「ウェルハイドは、バナームの使節団の責任者だよ。ほら、10年ぐらい前、スン家に父親を害されてしまったお人さ。ルド=ルウも、顔をあわせたことぐらいはあるんじゃないのかな?」


「あー、レイナ姉に懸想してたかもって貴族か。だから、レイナ姉たちは連れてこなかったのか?」


「いや、そういうわけじゃないけどね。ウェルハイドも、そこまで思いつめてたわけじゃないだろうしさ」


 むしろウェルハイドは、リーハイムの行いに義憤を駆られていた立場であったのだ。貴族たるもの、うかうかと道ならぬ相手に懸想してはならじ――と、なかなかご立腹の様子であったのである。


(まさか、こんな形でウェルハイドと再会するなんてな。でも、挨拶をさせてもらうのが楽しみだ)


 彼は通商の責任者として、数ヶ月にいっぺん、ジェノスを訪れているのだ。それでいつしかディアルと縁が深まり、商いの話が進められたらしい。もともとディアルは「大事な商談のときに、アスタに調理を頼みたい」と言っていたので、父親との食事会もそれに重ねることにしたのだろう。

 何にせよ、俺としてはディアルの面目を潰してしまわないように、精一杯の料理をお出しするだけだった。

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