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異世界料理道  作者: EDA
第四十章 運命の使者
690/1675

仮面舞踏会⑤~剣闘の余興~

2019.1/7 更新分 1/1

 シン=ルウとジェムドが向かいあっているのは、石敷きの丸い広場の中央であった。

 広場の周囲にはいくつもの燭台が設置されているため、ふたりの姿はくっきりと浮かびあがっている。そして両名のかたわらには、刀を抱えた小姓たちがそれぞれ控えていた。


 大きな扉をくぐった祝宴の参席者たちは、バルコニーからその姿を見守っている。マルスタインのはからいで、森辺の民はその最前列に立ち並ぶことができた。右手の側にはジェノス侯爵家の人々が、左手の側にはフェルメスとオーグが並んでいる。


「……シン=ルウたちは、あの姿で剣技の力比べを行うのでしょうか?」


 と、ガズラン=ルティムが声をあげると、太陽神の扮装をしたメルフリードが「うむ」とうなずいた。


「フェルメス殿の提案によって、装備の種類はあのように定められた。ジェノスにおいては、兵士たちの鍛錬で使用される装備となる」


 ガズラン=ルティムが声をあげる前から、俺もその一点が気にかかっていた。本日のシン=ルウたちは、かつての闘技会などに比べると、ずいぶん軽装であったのだ。

 頭には、いちおう兜をかぶっている。しかし、顔を覆う面頬などは存在しない、アメフトで使うヘルメットのような形状である。それで首から下などは、革の胸あてと厚手のグローブを装着しているぐらいで、胴衣や脚衣は何の変哲もない布の装束であるようだった。


「刀は白く塗られているが、木剣となる。よほど悪運が重ならなければ、深い手傷を負うことにはなるまい。また、窮屈な装備や視界の悪さを嫌う森辺の狩人にとっても、不都合のない装備ではないだろうか?」


「はい。これならば、森辺の狩人も十全の力をふるうことができるでしょう。……ただし、それが危険を招くことになってしまうのではないでしょうか?」


 ガズラン=ルティムの言葉に、ゲオル=ザザも「そうだ」と声をあげた。


「木作りの剣とはいえ、俺たちの力で振り回せば、手足の骨など簡単に砕けてしまうはずだぞ。首に当たれば、一撃で魂を返すことになろうしな」


 この物騒な発言に、忍び笑いで応じる者がいた。当然のことながら、フェルメスである。


「ジェムドは何よりも、他者の攻撃をかわすことを得意にしているのです。ご心配には及びません」


「いや、しかし――」


「そしてまた、両名には相手に深い手傷を負わせないよう、言い置いています。兵士たちの鍛錬と同じように、血が流されることもないでしょう」


 妖艶な化粧のほどこされた顔で、フェルメスは無邪気に微笑んでいる。ゲオル=ザザは、毒気を抜かれた面持ちで口をつぐむことになった。


「それでは、余興を始めましょう。……メルフリード殿、お願いいたします」


「うむ」と応じたメルフリードが、力強い足取りでシン=ルウたちのほうに向かっていく。どうやら本日も、彼が審判をつとめるようだ。


 メルフリードが到着すると、2名の小姓がうやうやしい仕草で刀を掲げる。刀身が白く塗られた、木剣である。柄には滑り止めの革紐が巻かれて、きちんと鍔もついている。遠目には、本物の刀にしか見えなかった。


 その刀身を入念に確認してから、メルフリードは両名に刀を手渡す。役目を終えた小姓たちは、楚々とした足取りで退場していった。

 3メートルほどの距離を取って、両者はまだ泰然と立っている。その中心に陣取ったメルフリードは、むしろ俺たちに聞かせるように声を張り上げた。


「これより、森辺の狩人シン=ルウと王都の剣士ジェムドによる、剣技の試し合いを執り行う! 勝敗の判定は、審判に生命の危険があると判断されたときと、あとは自ら敗北を認めたときのみに下される! 剣が折れても交換は認められず、徒手による攻撃も有効とする!」


 ゲオル=ザザとレイリスが森辺で勝負したときも、メルフリードがこの役を担うことになったのだ。太陽神の扮装をしたメルフリードは、まるで自分のために捧げられる神前の戦いを取り仕切っているように見えてしまった。


「ただし、これはあくまで祝宴の余興である! 勝利に執着するあまり、決して危険な真似に及ばないように願いたい! もしも危険と判じた場合は、審判たるわたしの裁量で、勝負を取りやめさせていただく!」


 メルフリードの硬質な声が、朗々と夜気に響いている。

 バルコニーの見物人たちは固唾を飲んでその言葉を聞いており、2名の剣士は静かにたたずんでいた。


「それでは、勝負を開始する! 両名、西方神に宣誓を!」


「西方神セルヴァと我が主人フェルメスの名にかけて、正々堂々と戦うことを誓います」


「……母なる森と父なる西方神にかけて、ルウの分家の家長シン=ルウは正しく戦うことを誓う」


 やはり、両名の言葉によどみはなかった。

 メルフリードは、身体をこちらに向けたまま、後ずさっていく。


「では、始め!」


 ふたりは同時に、すうっと刀を持ち上げた。

 シン=ルウは正眼の構えで、ジェムドはそれよりもやや剣先が下がっている。どちらも空気も乱さぬような、なめらかな所作であった。


 俺のかたわらでは、ララ=ルウが祈るように両手を組み合わせながら、シン=ルウの姿を見つめている。その向こうでは、トゥール=ディンとオディフィアが手を取り合っている姿が見えた。


(シン=ルウやゲオル=ザザは闘技会のとき、窮屈な甲冑のせいで、本来の力を出せずにいたんだ。それでもメルフリードやレイリスを倒すことができたんだから……これで勝負になるんだろうか?)


 俺の胸には、そのような疑念が渦巻いていた。

 はっきり言って、森辺の狩人の身体能力というのは、規格外であるのだ。ジェノスで行われた闘技会においても、メルフリードとレイリスを除くほとんどの剣士は、シン=ルウに一撃で刀を弾き飛ばされていた。着慣れない甲冑というハンデがあってそれなのだから、まったく底知れない話である。


 ただその反面、森辺の狩人にも劣らぬ力を持つと見なされている人間は、わずかながらに存在する。カミュア=ヨシュやメルフリード、それにサンジュラなどが、それである。彼らはきっと、五分の条件でも森辺の狩人と渡り合うことのできる実力者であるのだろう。


(このジェムドも、それぐらいの実力を持っているんだろうか。……でも、そんな風には思えないって、アイ=ファは言ってたんだよな)


 ともあれ、俺にはここでシン=ルウの無事を祈ることしかできない。

 他の人々と同じように、俺も両名の動きだけを注視することにした。


 ふたりは円を描くように足場を変えながら、じりじりと間合いを測っている。

 シン=ルウも、かなり慎重になっているようだ。

 それにシン=ルウは、相手の動きに合わせたカウンターを狙っているのだろう。相手を傷つけずに勝利するために、また刀を弾き飛ばす作戦を取るのではないだろうか。


 しかし、ジェムドはなかなか刀を繰り出そうとしない。

 彼は彼で、シン=ルウの動きを待っているのかもしれなかった。

 それに、きちんとした力量を持つ剣士であれば、森辺の狩人の規格外の力を感じ取れるはずであるのだ。それなら、むやみに斬りかかれるはずもなかった。


 同じ距離を取ったまま、両名はひたすら円を描いている。

 と――ふいにジェムドが、刀を突き出した。

 白い剣先が、シン=ルウの手もとにするするとのびていく。それはまるで、獲物に忍び寄る白蛇のごとき動きであった。


 シン=ルウは、素晴らしい反射神経で、その剣先を弾き返す。

 しかし、ジェムドの刀が宙を舞うことはなかった。

 シン=ルウの斬撃をくにゃりと受け流して、再び前方に突き出される。力などまったくこもっていなそうな、ゆるやかきわまりない動きであった。


 シン=ルウは、小刻みに剣を動かして、ジェムドの刀を弾いている。が、ジェムドの攻撃は執拗であった。森辺の狩人の怪力で刀を弾かれているのに、剣筋を鈍らせることなく、しゅるりしゅるりと迫り寄っていく。それほど迅速な動きには見えないのに、なかなかシン=ルウが反撃に転じることができない。やっぱりそれは、獲物を追い詰めていく白蛇のごときであった。


 シン=ルウが後退すればジェムドが前進し、シン=ルウが前進すればジェムドが後退する。木作りの剣がぶつかりあう硬い音色がかすかに響くばかりで、しばらくは同じような動作が続いた。


「あやつは……シン=ルウの身に斬りかかる気がないのだな」


 と、ふいにゲオル=ザザが低い声でつぶやいた。

 耳をそばだてると、ダリ=サウティが「うむ」と応じる声が聞こえる。


「俺もそう思う。あれは、シン=ルウの刀を絡め取ろうという動きであるのだろうな」


「ああ。隙があれば、シン=ルウの手首にでも刀を当てようと目論んでいるのであろうが、それはすべて防がれている。だから何とか、刀を奪おうとしているのだ」


 その瞬間、ジェムドの刀がいきなり方向を転じた。

 前に踏み出そうとしたシン=ルウの右足に、くいっと切っ先を向けたのだ。

 シン=ルウは、弾かれたような勢いで足を引っ込める。

 すると、ジェムドの刀が再びシン=ルウの手もとを襲った。


 シン=ルウは、刀身の根もとで、それを弾き返す。

 だけどやっぱり、ジェムドの切っ先はあまりぶれない。力の逃がし方が、絶妙であるのだろう。刀を弾かれても、それに合わせて手首をひねり、小さく弧を描くようにして、すかさず追撃に移行するのだ。


 そうしたジェムドの攻撃はまったく切れ間がないために、シン=ルウは大きく刀をふるうことができない。それで狩人の膂力も半ば封じられてしまっているのだろう。剣の素人である俺にも、ようやくそういった構造が理解できてきた。


「こいつは厄介だな。俺だったら――」


 と、ゲオル=ザザが何か言いかけたとき、シン=ルウが後方に飛びすさった。

 ジェムドもふわりと足を踏み出したが、まだ距離は詰まっていない。シン=ルウは大きく膝を曲げると、さらに後方へと跳躍した。


 両者の距離が、5メートルほど引き離される。

 どうあがいても、刀の届かない距離だ。

 それだけの距離が確保できた瞬間、シン=ルウは獣のように身を伏せた。


 今度は膝だけではなく、全身の力をたわめて、シン=ルウが跳躍する。

 後方にではなく、前方にだ。

 弾丸のような勢いで突進しながら、シン=ルウは刀を横なぎに振り払った。


 両者の刀身が、中空で激突する。

 これが鋼の剣であれば、青白い火花が散っていたことだろう。

 息を詰めて見守っていた人々の間から、おおっと驚嘆の息がこぼれる。


 ジェムドの身体が、後方に吹き飛ばされていた。

 しかし、ジェムドは倒れ伏すことなく、石敷きの地面に片手をついて、くるりと後方回転してから、体勢を立て直した。


 その咽喉もとに、シン=ルウの刀が突きつけられる。

 ジェムドの刀は、下に向けられたままだ。それでも、シン=ルウの渾身の一撃をくらって刀を手放さなかったのは、賞賛に値することだろう。

 ジェムドは静かにシン=ルウの面を見返しながら、落ち着いた声で「参りました」と宣言した。


「勝負あり! 森辺の狩人、シン=ルウの勝利!」


 メルフリードの声に、歓声がかぶさった。

 これまで上品にふるまっていた貴き人々が、ついに歓声を爆発させたのだ。

 そんな中、フェルメスは優雅に手を打ち鳴らしていた。


「いや、お見事です。ジェムドがここまでなすすべもなく敗れる姿は、初めて目にしました。森辺の狩人の力というのは、はかり知れないものですね」


 ゲオル=ザザは、その姿をじろりと見下ろした。


「べつだん、悔しそうな様子でもないな。お前はいったいどのような思惑で、このような力比べをさせたのだ?」


「それはもちろん、祝宴に華をそえるためです。他の方々も満足されている様子で、何よりでした」


 すると、逆の側からはマルスタインが声をあげた。


「勝利をおさめたシン=ルウには、のちほど祝福の銀貨を授けよう。それでは、広間に戻っていただきたい」


 人々はさんざめきながら、広間のほうに戻っていった。

 その後に続きながら、俺はこっそりアイ=ファへと語りかける。


「なんだか、不思議な勝負だったな。でも、無事に終わって何よりだったよ」


「うむ。少しでも気を抜けば、シン=ルウのほうが刀を弾かれていたことであろう。いささか風変わりではあるが、あのような戦い方も存在するのだな」


 アイ=ファは何だか、すっきりとした面持ちになっていた。いまひとつ力量を測ることのできなかったジェムドの剣技を目にすることができて、何か腑に落ちたのだろうか。確かにジェムドというのは、驚くほどの力量ではないが倒しにくい相手、という存在なのかもしれなかった。


 そうして広間に戻ってみると、人々はこれまでよりも大きな声で談笑していた。おそらくは、いまの余興に関して熱っぽく語らっているのだろう。


「ララ=ルウも、ほっとしただろう? シン=ルウはもちろん、相手も怪我をすることがなくて、よかったね」


 俺がそのように呼びかけると、ララ=ルウは元気に「うん!」とうなずいた。その面には、リミ=ルウさながらの無邪気な笑みが浮かべられている。

 すると、ふわふわとした一団が、こちらに接近してきた。会場入りした際にも目についていた、水色の妖精の一団である。そのうちの何名かが、頬を火照らせつつ、ララ=ルウを取り囲んだ。


「素晴らしい勝負でしたね! やっぱりシン=ルウは、ジェノスで一番の剣士です!」


「ええ、本当に! こんな間近でシン=ルウの戦う姿を見ることができて、わたくしは心が打ち震えてしまいましたわ!」


「え? え? な、何さ、いきなり?」


 ララ=ルウは、困惑の表情で貴婦人たちを見回している。貴婦人がたは、ララ=ルウに抱きつかんばかりに昂揚しているようだった。


「あ、あなたはたしか、お茶会のときの――」


 俺がそのように声をあげかけると、昂揚のきわみにある貴婦人のひとりが勢いよく振り返ってきた。


「はい! マーデル子爵家のセランジュですわ。わたくしのことを覚えてくださっていたのですね、森辺の料理人アスタ」


「わたくしは、タルフォーン子爵家のベスタです。お茶会では美味なるお菓子をありがとうございました、アスタ」


 それはつまり、最初にシン=ルウを見初めた城下町の貴婦人2名であった。たしかこの両名とは、ララ=ルウも闘技会の祝宴で顔をあわせているはずである。


「ああ、あんたたちかあ……いったい何を、そんなに興奮してるのさ?」


 ララ=ルウが惑乱した面持ちで問い質すと、セランジュらはぐりんとそちらに向きなおった。


「あのような剣技を見せられたら、誰でも昂揚してしまいますわ! シン=ルウは、本当に素晴らしい剣士です!」


「わたくしたちは、ララ=ルウとこの喜びを分かち合いたくて集まったのです!」


 ララ=ルウの赤いドレス姿が、水色の妖精たちの中に埋没していく。俺やアイ=ファやガズラン=ルティムは、なすすべもなくそれを見守ることしかできなかった。


「ララ=ルウも、素敵な宴衣装ですわね。そちらの宴衣装は、ララ=ルウの髪の色にぴったりですわ」


「本当に、お美しい……シン=ルウと並んだら、これ以上もなくお似合いなことでしょう」


「あら、おふたりはさっきからそのお姿を見せていたじゃない? わたくしなどは、何度目を奪われたかもわからないほどですわ」


 何だか放っておいたら、ララ=ルウがもみくちゃにされてしまいそうである。それに、ララ=ルウを置いてこの場を離脱するわけにもいかなかった。


「うーむ。ここはひとつ、アイ=ファが助け出すべきじゃないだろうか?」


「……どうして私が、その役を負わなければならないのだ?」


「俺やガズラン=ルティムだと、角が立つかもしれないからさ。貴婦人がたの扱いなんて、俺たちにはさっぱりわからないし」


「そのようなものは、私とてわきまえてはおらん」


 アイ=ファはそのように答えたが、やっぱりララ=ルウが不憫であったのだろう。ひとつ溜息をつくと、妖精の姿をした貴婦人がたに「おい」と声を投げかけた。


「申し訳ないが、そろそろ場所を移動したく思う。ララ=ルウとは、またのちほど言葉を交わしていただきたい」


 頬を火照らせた妖精たちが、アイ=ファに向きなおる。

 すると今度は、アイ=ファが取り囲まれることになった。


「ああ、アイ=ファ様。すっかりご挨拶が遅くなってしまいました。その姫騎士ゼリアのお姿、本当に素敵ですわ」


「な、何? どうして私の名を知っているのだ?」


「まあ。先日の祝宴でもご挨拶をさせていただいたではないですか」


 玉虫色の羽を躍らせながら、妖精たちがアイ=ファに群れ集う。すると、あちらこちらから別の貴婦人がたまで集まってきてしまった。


「おひさしぶりです、アイ=ファ。ずっとお声をかけたく思っていたのですよ」


「わたくしにもご挨拶をさせてください。……ああ、先日の宴衣装も見事でしたが、今日はそれよりもお美しい姿ですわね」


 そういえば、前回の舞踏会においても、アイ=ファは貴婦人がたから散々もてはやされていたのだった。大勢の人々が、アイ=ファに声をかけるチャンスをうかがっていたのだろうか。


「ふいー、助かったあ。……もう、何なんだよ、このお姫さんたちは!」


 ララ=ルウが、げっそりとした面持ちで俺たちのほうに帰還してくる。

 すると、アイ=ファを愛でる集まりには加わっていなかったセランジュとベスタが、どこからともなく取り出した花束をララ=ルウに差し出してきた。


「ララ=ルウ、どうぞこちらをお受け取りください」


「え? 何これ? 森辺では、生誕の日でもないのに花を贈る習わしはないんだけど」


「闘技で勝利を収めた剣士には、もっとも近しい貴婦人から花を贈るものなのです。闘技会のときにも、そのようにお話ししたでしょう?」


 セランジュはにこりと微笑みながら、ララ=ルウの胸もとに花束を押しつけた。


「シン=ルウに花を贈るべきは、ララ=ルウであるはずです。どうか城下町の習わしにお従いください」


「いや、だけど……」


「あら、それでは、わたくしやベスタに花を贈るお役目を譲ってくださるのですか?」


 セランジュの瞳に、悪戯っぽい光がくるめいた。

 ララ=ルウはいくぶん頬を赤くしながら、花束をひったくる。


「わかったよ、もう! ……あんたたち、あたしをからかってるんじゃないだろうね?」


「からかうなんて、とんでもない。わたくしたちは、ララ=ルウとシン=ルウに幸せになってほしいと願っているだけですわ」


「ええ。おふたりが婚儀をあげられるときは、どうか祝福させてください」


 ララ=ルウはいよいよ顔を赤くしながら、ふたりの貴婦人をねめつける。

 セランジュとベスタは、悪戯好きの妖精のようにころころと笑っていた。


「……森辺の民と城下町の民の間にも、確かな絆が育っているようですね」


 と、ふいに背後から笑いを含んだ声が響く。

 振り返るまでもなく、その正体は明白であった。それは、甘いチェロのごとき声音であったのだ。


「ああ、どうも。……ジェムドという御方も、素晴らしい剣技でしたね」


「ありがとうございます。それでもやはり、森辺の狩人に打ち勝つことは難しいのでしょう」


 フェルメスは、やはり優雅に微笑んでいた。そのヘーゼルアイは、俺とガズラン=ルティムの姿を等分に見やっている。


「アスタたちとも、ゆっくり語らいたいところですね。でも、まだ他の方々とご挨拶をしなくてはならないので……ジェムドが戻ってきたら、あらためてご挨拶をさせていただけますか?」


「は、はい。どうぞよろしくお願いいたします」


 が、今度はアイ=ファが行動の自由を奪われてしまっているために、俺たちも立ち去ることができない。それに気づいたフェルメスは、「ああ」と目を細めながら、貴婦人がたの包囲網に視線を向けた。


「たおやかなる貴婦人がたがお相手では、アイ=ファも苦労なさることでしょうね。それでは僭越ながら、僕が露払いのお役目を承りましょうか」


 そのように述べるなり、フェルメスはすうっと貴婦人がたのほうに接近していった。それに気づいた妖精のひとりが、慌てた様子で貴婦人の礼をする。


「みなさん、素晴らしい宴衣装ですね。……よろしければ、のちほど舞踏をともにしていただけませんか?」


 美しく化粧のされた美貌でフェルメスが微笑むと、それを向けられた貴婦人は魂を抜かれたように、ぼうっとしてしまった。

 まるでそれが感染する病であるかのごとく、貴婦人の輪がじわじわとフェルメスのほうに移行していく。そこに間隙を見出したアイ=ファは、狩人の俊敏さで包囲網を突破し、俺たちのほうに駆け戻ってきた。


「行くぞ。ぐずぐずするな」


 アイ=ファの指先が俺の手首をひっつかみ、ぐいぐい引っ張ってくる。優雅に手を振るセランジュとベスタに見守られながら、俺たちはようやくその場を離脱することになった。


「まったく、ひどい目にあった。どうしてお前は、私を助けようとしないのだ?」


「いやあ、もうちょっとだけ様子を見るつもりだったんだよ。あのお人たちだって、アイ=ファに再会できるのを楽しみにしてたみたいだからさ」


「……おかげで、あの外交官めに弱みを見せることになってしまったではないか」


 ようやく足を止めたアイ=ファは、すねた目つきで俺をにらみつけてくる。俺は心をこめて、「ごめんな」と詫びてみせた。


「私が動けぬ間、あやつと言葉を交わしていたようだな。いったい何を語らっていたのだ?」


「ただの挨拶だよ。ジェムドが戻ってきたら、あらためて挨拶をさせてくれって言ってたな」


 同意を求めてガズラン=ルティムを振り返ると、「そうですね」という微笑が返ってきた。


「何も怪しげな様子はありませんでした。それに、アイ=ファが困っている姿を見て、捨て置けないと思ってくれたのでしょう」


「だけど、やっぱ変なやつだよねー。あれで男衆だなんて、いまだに信じられないよ」


 花束を抱えたララ=ルウがそのように言いたててから、「ん?」と目を細めた。


「あれ……ねえ、アスタ。あの女衆って、アスタの知り合いじゃない?」


「え? 誰のことだろう?」


 城下町の知り合いなど、ごく限られている。本日はディアルも招待されていないので、顔見知りの女性などはすでに全員顔をあわせているように思われた。

 そうして、ララ=ルウの指し示すほうに目をやると――広間の隅に、貴婦人や若い貴公子が何名か集まっている。こちらに背を向けて、壁際の誰かを取り囲んでいる様子である。


「みんな後ろ姿で顔が見えないけど、誰のことを言ってるのかな?」


「あの連中の向こう側にいる女衆のことだよ。ほら、椅子に座ってるでしょ?」


 本日は立食パーティーであるので、椅子などは準備されていない。

 が、ララ=ルウのその言葉は、俺の記憶巣をわずかに刺激した。前回の舞踏会においても、ただひとりだけ座席を準備されていた人物がいたのだ。


 俺はアイ=ファに目配せをして、そちらに近づいていく。

 ちょうど用事が済んだのか、先に集まっていた人々が散開するところであった。

 その向こう側から姿を現したのは、ひっそりと椅子に座したアリシュナである。


「アリシュナ……アリシュナも、今日の舞踏会に呼ばれていたのですか?」


「はい。アスタ、ようやく会えました」


 アリシュナは椅子に座ったまま、深々と頭を垂れてきた。その前には瀟洒な卓が置かれており、小さな獣の頭蓋骨が鎮座ましましている。


「王都の外交官たちを歓待する祝宴で、アリシュナが呼ばれるとは思っていませんでした。占星の余興をされているのですか?」


「はい。ジェノス侯爵、お声をかけられました。外交官、それを望んでいるそうなのです」


 夜の湖を思わせるアリシュナの瞳が、じっと俺を見つめてくる。


「セルヴァの王、占星、嫌っているのに、外交官、どうして私を呼んだのか……不可解です」


「そうですね。でもまあ、あのフェルメスというお人自身は、いにしえの術を嫌ってはいないようです。だから、アリシュナのことも疎んじてはいない、ということなんじゃないですか?」


「それなら、いいのですが……不可解で、胃、痛みます」


 アリシュナは完全なる無表情であったが、心なしぐったりしているようにも見えた。

 俺の横に並んだアイ=ファは、凛然とした面持ちでその姿を見下ろしている。


「ジェノス侯爵であれば、外交官たちにも無法な真似は許すまい。……それよりも、この前は礼を失した態度を取ってしまったな」


「……あなた、礼、失していましたか?」


「私は、そのように考えている。お前が事あるごとにアスタの身を案じてくれていることは、前々からありがたく思っていたのだ」


 アリシュナは、不思議そうに小首を傾げる。


「あなた、失礼、ありません。むしろ、私、身をつつしむべきだったでしょうか? ……ただ、アスタの存在、捨て置くこと、できないのです」


「アスタを友と思ってくれているのならば、それが当然の話であるのだろう」


 アリシュナは「はい」とうなずいた。


「アスタ、大切な友、思っています。ですから、嫉妬、不要です」


 家長としての威厳を保っていたアイ=ファの顔が、瞬時に赤く染まる。ガズラン=ルティムたちが数メートルの距離を取っていたのは、幸いな話であった。


「私は嫉妬などしていない。たわけたことを抜かすな、うつけ者め」


「そうなのですか? 嫉妬した、ゆえに、礼を失した、思ったのではないですか?」


 アイ=ファは荒っぽく歩を進めると、身体を屈めて至近距離からアリシュナをにらみつけた。


「わざわざ謝罪に出向いてきたのに、お前は私を怒らせようという心づもりか?」


「いえ。そのようなつもり、毛頭ありません。あなた、猫の星、アスタを――」


 と、アリシュナはそこでいったん口をつぐんだ。


「……申し訳ありません。また、星の動き、語るところでした。あなた、占星、求めていませんね?」


「ああ。私はそのようなものに興味はない」


 まるで接吻を迫ろうとしているかのような距離感で、アイ=ファが言い捨てる。アリシュナは、やわらかい闇のような眼差しでそれを見つめ返していた。


「では、私、語りません。森辺の民、強き力、持っているので、占星、必要ないのでしょう。あなたがた、自らの力、運命、切り開けるのです」


「占星というのは、弱き人間がすがるものであるのか? だったら、我々には無用の長物だな」


 アイ=ファはようやく身を起こして、そのように宣言した。俺も、ほっと胸を撫でおろす。


「それじゃあ、そろそろ行こうか。アリシュナも、色々と気苦労は多いでしょうけれど、頑張ってくださいね」


「はい、ありがとうございます。……ひとつだけ、よろしいでしょうか?」


 アリシュナは、感情の読み取れない声で、静かに言った。


「私、あなたがた、結ばれる、願っています。どうぞこれからも、情愛、育んでください」


 凛々しい表情を取り戻しつつあったアイ=ファはまた一瞬で真っ赤になり、アリシュナの卓に手の平を打ちつけた。


「余人にそのようなことを申しつけられる覚えはない! お前はやっぱり、私を怒らせようとしているのだな!」


「いえ。あなたの存在、祝福しています」


 アイ=ファはいまにもアリシュナにつかみかかりそうな勢いであったので、俺が仲裁することになった。

 そこに、案内係の声が響きわたる。


「森辺の狩人シン=ルウ様と、王都の剣士ジェムド様が、お戻りになりました」


 広間に、歓声が満ちみちた。

 騎士の装束を纏いなおした両名が、ゆったりとした足取りで踏み入ってくる。その姿を見て、ララ=ルウが飛び上がった。


「ほら、シン=ルウが戻ってきたよ! さっさと行こうよ!」


「ああ、うん、了解。ほら、アイ=ファ。シン=ルウを迎えに行かないと」


 ぐるぐると咽喉を鳴らす山猫をなだめるような心境で、俺はアイ=ファをせきたてた。アリシュナは、優美なシャム猫のようなたたずまいで、その姿を見守っている。


(どうもこのふたりは、あんまり相性がよろしくないみたいだな)


 しかし、アリシュナの口から、いきなりあのような言葉が飛び出すとは考えていなかった。あまりに不意打ちであったため、俺もわずかに心臓が高鳴ってしまっている。


(俺とアイ=ファが結ばれることを願っている、か……そりゃあ俺だって、心からそれを望んでるよ)


 ただ、いまはまだそのときではない、というだけだ。

 いつかアイ=ファが狩人の仕事をやり尽くしたと思える日が来たら、そのときこそ――というのが、俺の胸の奥底に仕舞い込まれた想いであるのだ。

 そしてアイ=ファも、同じように考えてくれている。それだけで、俺はこの世で誰よりも幸福な気分でいられるのだった。

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