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異世界料理道  作者: EDA
第三章 ルティムの祝宴
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ルティムの祝宴(下)①御入来

2014.9/17 更新分 1/2

2014.10/17 誤字修正 ・2017.9/26 誤字を修正

 ゆっくりと、陽が西に傾いていく。

 あと2時間も待つことなく、世界は夕闇に包まれるだろう。

 その陽が西の森景に触れる頃合いを目安に新郎と新婦が大広場にやってきて、宴が開かれる手はずになっている。

 今頃は眷族の家をひとつずつ回って、1本ずつの祝福を賜っている、はずだ。


 そして、祝福を終えた眷族から順に、この大広場へとやってくる。

 すでに大広場には30名近い眷族が集まっていた。


ただし、5歳に満たない子どもは宴に参加する資格が与えられていないそうで、気の毒なことに、ルウの乳幼児たちと同じ分家の家に集められて、女衆に交代で面倒を見られている。


 そして、男衆の姿は、ごく少ない老人たちや、13歳未満の幼い少年たちしか見えない。


 狩人たちは、こんな日でも森に入っているのである。


 宴の日に不幸を起こさぬよう、無理はせず早めに戻ってくる手はずだが、それでもルティムを除く6つの氏族の男衆は、狩人としてのつとめを果たしているのだ。

 その日に狩ったギバの角や牙を送ることができれば、それが何よりの祝福なのだという。


 清廉で、そして猛々しい、それが森辺の民なのだった。



            ◇



「よし――準備は万端だな」


 7割方の調理を終えて、俺は額の汗をぬぐう。


 ポイタンは焼きあがった。

 3種の野菜炒めも、仕上がった。

 シチューも、スープも完成している。

 ハンバーグ用の果実酒ソースは、空になった果実酒の瓶につめなおした。

 残るは、肉を焼きあげるだけだ。


 ルウ本家のかまどの間には、100個プラス予備20個のハンバーグと、ステーキの一部がずらりと並べられている。


 かまどは全部で6つあるが、強火と弱火を使いわけるために、同時に3組ずつしか焼くことはできない。

 それでも鉄鍋は大きいので、いっぺんに5個ずつぐらいは調理することができる。

 それが3組で、同時に焼けるのは15個。

 そろそろ――頃合いであろう。


「よし。焼こう」


 俺の合図で、ハンバーグが鍋に投じられる。

 じゅうっと白い煙が噴きあがる。

 そして、肉と脂が焼けるたまらない匂いがかまどの間を満たす。


 一番扱いの難しいハンバーグの焼き作業を請け負ったのは、俺と、レイナ=ルウと、ミーア・レイ=ルウだった。

 本家の残りの女衆は分家に散り、そちらでステーキを焼いている。

 分家で手の空いた女衆は、鉄鍋用の運搬係として、こちらに出向いてもらっている。

 俺のかたわらでグリギの棒を握っているのは、シン=ルウ少年の母親と姉君だった。


「よし。お願いします」


 左右から鍋の手にグリギの棒を引っ掛けて、ふたりが弱火のかまどへと移動させる。

 赤い肉汁が浮きあがってきたら、パテをひっくり返し、再び強火のかまどに戻し、果実酒を投じて蓋をしめる。

 蓋をしめきる前に噴出したさらなる芳香が、かまどの間にひろがっていく。


 背面のかまどを使っているミーア・レイ=ルウも、屋外のかまどを使っているレイナ=ルウも、順調のようだ。


「……あなたのお手伝いをすることができて光栄です、アスタ」


 と、ひかえめな声で呼びかけられた。

 シン=ルウの姉、シーラ=ルウである。

 森辺の民にしては線が細くて、少しはかなげな雰囲気を有する娘さんだ。年齢は、俺より少し上なぐらいだろう。


「父リャダが狩人としての力を失い、弟のシンが16歳の若さで家長を継ぐことになり、わたしたちは途方に暮れかけてもいたのですが……あなたに教えていただいた食事を食べると、とても幸福な気持ちを得て、強く生きていこうと考えられるようになりました。……あなたには、本当に感謝しています」


「ご過分なお言葉をいただき、恐縮です。でも、あなたの刀さばきはレイナ=ルウに負けないぐらい見事なものでありましたよ」


 蓋を開け、焼け具合を確認してから、俺はそちらに笑いかけてやる。


「これからも、美味しい料理を作ってみんなの気持ちを満たしてあげてください。それは、あなたたちにしかできないことです。……そろそろ弱火にお願いします」


「はい」


 また母娘が協力して鍋を移動してくれる。

 これで焼きあがれば、第一陣は完成だ。


「アスタ。あなたは、不思議な人です。弟のシンも言っておりましたが、あなたはかまど番なのに、時として狩人のように勇猛に見えることがあります」


「それはまた過分なお言葉ですね。俺はそこまで大層な人間じゃないですよ」


「いえ。本当です。このように炎を自在に操って、あんなに固くて臭かったギバの肉をこんなに美味しい料理に変化させてしまう……本当に、東の王国の魔法使いみたいです」


「料理人とは、そういうものです。東の王国なんて持ち出さなくても、きっと西の王国にだって俺なんかとは比べ物にならない料理人がゴロゴロいるんだろうなと思いますよ。……よし、完成です」


 焼きあがったハンバーグを、台の上のゴムノキモドキの葉の上に並べていく。

 鍋に付着した不純物を木べらでこそぎ取り、強火に戻して、新たな脂を落とし、また5枚のパテを投じる。


 その間に、アイ=ファは焼きあがったハンバーグの上にもゴムノキモドキを敷いていき、支えの平たい石を左右に置いてから、細長い割り板をその上に重ねた。

 こうして完成品はどんどん積み上げられていく。


「あ、アイ=ファ。そういえばその葉は何ていう木の葉なんだ? これだけしょっちゅうお世話になってるのに、俺はいまだに正式名称を知らないんだよな」


「ゴヌモキ」


「え?」


「ゴヌモキの葉だ、これは」


 ああ、そうですか。

 ゴムノキモドキでいいや、もう。


 人間の両手の平よりも大きくて、匂いもなく、表面のつるつるとしたその葉っぱは、これだけの肉を焼くにあたってなくてはならない皿の代用品だった。


 普段だったら、広場に設置された簡易型のかまどで直接肉を焼くスタイルであったから、配膳で悩むこともほとんどなかったのだという。

 しかし俺は完成品を料理ごとに配らなくてはならないので、大いに悩まさせていただいた。


 客が持参するのは、自分で使う木皿と金串だけなのである。


 なので、割り板をお盆代わりにして、ゴムノキモドキを皿の代わりにすることにした。

 この割り板の作成と数百枚にも及ぶゴムノキモドキの葉の採取も、女衆にとっては非常な負担であったはずだ。


 しかし、女衆の顔は、みな明るい。

 これらの料理で、家族や眷族がどれほど驚くか、どれほど喜んでくれるか、期待に顔を輝かせている。


 料理長は俺であったが、これはみんなで作り上げた料理だ。

 本当にこれで、一族の絆が深まればよいと思う。

 みんなで喜びをわかちあえればよいと思う。

 ガズラン=ルティムとアマ=ミンの婚儀が、最高の形で成し遂げられればよいと思う。


「アスタ! こっちの分のハンバーグは終わったよ! ステーキに取りかかるからね!」


「はい! お願いします!」


「ただいまー! アスタ、他の家も今のところは順調だよー」


「ありがとう、リミ=ルウ。そろそろシチューに火をいれるように伝えてきてもらえるかな?」


「りょうかーい!」


 作業は、順調に進んでいる。


 その後、鉄鍋の移動でしくじって5枚分のステーキを台無しにしてしまった、という報告が入ったが。その分家の女衆たちはすぐに自分たちで新たな肉を切り分け、塩とピコをまぶし、飛ぶような勢いで帰っていった。


「大変大変! 今度はヴィナ姉がアリアのスープをひっくり返しちゃった!」


「何!? みんな火傷とかしてないか!?」


「だいじょぶ! でもヴィナ姉が泣きそう! ていうか泣いてた!」


「泣かなくていい! シチュー以外は取り返しがつく! どうせ長丁場の宴なんだから、ゆっくり慌てず今まで通りに作りなおしてくれって伝えてくれ! ……あ、今その家にスープをきちんと作れる人はいたっけ?」


「わかんない! いなかったら、リミが手伝ってくる!」


「よし、頼む!」


 これぐらいのハプニングは、想定内だ。

 やがてルウの本家においてもすべての肉が焼きあがり、その後は、鉄鍋に水が張られて、蓋をされて、その上に乗せられるだけの割り板が乗せられた。大した効果は見込めないが、せめてもの保温対策である。


「よし、これでここはオッケーと。俺は他の家を見回ってきますね」


「了解だよ。それじゃあ、レイナたちは着替えておいで。ここはあたしらが見ておくから」


 ミーア・レイ母さんがそう応じると、レイナ=ルウやシーラ=ルウを筆頭とする若い女衆が「はい」とかまどの間を出ていった。


 俺の表情に気づいて、おっかさんはにっこりと笑う。


「宴だからね。未婚の女衆にとっては、ささやかな晴れ舞台なんだよ。こういう場で新しい嫁入りが決まることも、うんと多いんだ」


「ああ……そうなんですか」


 ならば、仕事外でヴィナ=ルウやレイナ=ルウには近づかないほうが無難であろう。


 ただひとり、未婚の女衆でありながらかまどの間に居残り仁王立ちになっているアイ=ファを見やると、「私はファの家の人間だ」とおっかない顔でにらみ返された。


 よくわからんけど、着飾らないのですね。

 ほっとしたような残念なような、何とも複雑な心地である。


「それじゃあ、行ってきます。問題がなければ、すぐに戻ってきますんで」


 俺は、アイ=ファとともにかまどの間を出た。

 すでに太陽は西の森景に触れかけている。

 けっこうギリギリのタイミングであったようだ。


「これで、半分方は終わったかな」


 だいぶ人影の増えてきた大広場の様相を横目に、俺は手近な分家の家へと足を向ける。


「半分? もはやすべての仕事は終わったのではないのか?」


「調理は終了。でも、お客さんのもとに料理を届けるまでが仕事さ。最後のステーキとハンバーグが花嫁さんたちの口にまで届いたら、終了かな」


 分家の様子にも、異常はなかった。

 ある家では、野菜炒めが山積みとなり。

 ある家では、焼きポイタンが山積みとなり。

 ある家ではステーキが山積みとなり。

 ある家では、本家から移動されたシチューが温めなおされている。


 俺たちが泊めてもらっている空き家は素通りして、最後の一軒に到着すると、そこではリミ=ルウがひとりで一生懸命スープの灰汁取りをしていた。


「おお、リミ=ルウ、おつかれさま! なるほど、これがヴィナ姉さんの涙の元凶か」


 その隣りのかまどがじっとりと濡れており、あちらこちらにアリアや肉片が四散していた。


「リミ=ルウひとりか? 他のみんなは?」


「みんな着替えに行っちゃった! みんな未婚の女衆だったの!」


「リミ=ルウは? 着替えないのか?」


「うん! これが終わったら、着替えに行くよ!」


 そうなのか。リミ=ルウの晴れ姿だけは、是非とも拝見したいものだ。


「じゃあ、俺が代わるよ。そろそろ花嫁さんたちも到着する頃合いだから、急いで着替えておいで。あ、その後は本家でミーア・レイ母さんたちを手伝ってあげてくれ」


「わかった! ありがとう! ……あれ? アイ=ファは着替えないの?」


「私は、ファの家の人間だからな。今日はルティムの眷族の祝いであろう?」


「そっか。アイ=ファの宴衣装も見てみたかったなあ。じゃあ、リミも行ってくるね! ふたりとも、ありがとう!」


 ぴゅーっとリミ=ルウがかまどの間の外に駆け出していく。

 すると、それと入れ違いに、シン=ルウがやってきた。

 ここは、シン=ルウの家だったのだ、そういえば。


「やあ、おかえり、シン=ルウ。無事で何よりだ」


「ああ。……そちらも問題はなかったか?」


「大丈夫だよ。君の姉さんや母さんもすごくよく働いてくれた」


 お愛想でなく、俺はそう言った。

 あのおふたりはかなりの戦力であったから、あえてこの自宅には残さず本家でハンバーグ作りを手伝ってもらったのである。鉄鍋の移動だけではなく、肉挽きとパテ作りの作業でその力は如何なく発揮されていた。


 それに――俺はこの、無口で無愛想で不器用そうな少年も、けっこうお気に入りなのだった。

 正反対の気性をしたルド=ルウなんかとの掛け合いは、見ていて実に心がなごむのだ。


「……あなたが、ファの家のアイ=ファか」


 と、シン=ルウのちょっと切れ長の目が、アイ=ファを見やる。

 そういえば、このふたりは初対面だったっけ。


「俺はこの家の家長で、シン=ルウというものだ。ちょうど良かった。あなたには、聞きたいことがあったので」


 え?と俺はふたりの姿を見比べる。

 どちらも無表情なので、視覚情報からは何も得られない。

 しかし、どちらも静かなたたずまいで、これといって不安感を煽られることはなかった。


「アイ=ファ、あなたは――」とシン=ルウが続けようとしたとき。

「シン。帰っているの?」というシーラ=ルウの声が聞こえてきた。


「あら……」と、かまどの間に踏みこんできて、止まる。


「あなたたちもいらしていたのですか。ようこそ、アイ=ファにアスタ」


 ほんのついさっき別れたばかりのシーラ=ルウであったが、彼女はすでに宴衣装とやらへの着替えを済ませていた。


 へえ……と、俺はちょっと感心してしまう。

 少しはかなげで、外見的には強い印象のなかったシーラ=ルウでも、何だか別人のように綺麗になってしまっていた。


 弟と同じく黒褐色をした長い髪を、ほどいて背中に垂らしている。

 そして、その髪にいくつかの小さな花や木の実を留めて、さらにその上から半透明のヴェールのようなものをかぶっている。


 そのヴェールが少しオレンジがかってきた夕陽をあびて、きらきらと玉虫色に光っているのだ。


 この世界にもこんな繊維があるのかと、俺はちょっと目を見張るぐらいだった。


 胸あてや腰あても、さっきまでとは違うのかもしれない。そこまで詳細は覚えていないが、渦巻き模様の柄がこまかくて、色合いも少し華やかになった気がする。


 そして、その腰あてから足首まで、こちらはちょっと紫がかっているがやっぱり半透明でふわりとした布をたなびかせており。首と、手首と、足首に、虫除けのグリギの実だけではない色とりどりの木工や金属細工の飾りものを巻きつけて――シーラ=ルウは、とても綺麗だった。


「ああ、これが作り直したすーぷですか? 良かったら、後はわたしが火の番をしておきますよ」


「そうですか。それじゃあお願いします。……あの、衣装を燃やしてしまわないように気をつけてくださいね?」


「はい。わきまえています」


 にこりと微笑むその顔も、とても優しげで魅力的である。


 そうしてシン=ルウを振り返ると、少年は静かな面持ちのまま、首を振った。


「そちらはまだ仕事の最中だったな。すまない。また後で」


「そうか。では」


 と、アイ=ファが何の未練もなさそうにかまどの間を出ていってしまったので、俺もふたりに会釈をしてそれに続くしかなかった。


「なあ。シン=ルウはお前に何の用事だったんだろうな?」


「知らん」とアイ=ファはにべもない。


「あれはルウの分家の男衆であろう? そんな人間に声をかけられる心当たりはない」


「そうか」


 まあ、あのシン=ルウであったら、何かよからぬことを企んだりはしないだろう。ちょっと引っかかるものはあったが、俺とてまだ仕事の真っ最中であるのだ。


 そして、俺たちが広場へと足を踏み出すと――

 とたんに、歓声が爆発した。


 新郎と新婦が、到着したのだ。


 おそらくは、ルティム家とミン家の家族と思われる人々を引き連れて――ガズラン=ルティムと、アマ=ミンがやってきた。


 先頭に立つのは、見知らぬ老人だ。

 ルティムの長老か何かだろうか。禿頭で、白い顎髭を胸もとに垂らし、かなりの老齢であろうと察せられるが、背筋はぴんと伸び、足取りもしっかりしていて、そして、狩人の装束に身を包んでいる。


 その左右には、小さな子どもたちが2名。

 ひとりは男の子で、ひとりは女の子。

 どちらも、リミ=ルウより小さいぐらいだろう。


 男の子は、こんなに小さいのに狩人を模した装束を着させられて、誇らしそうに胸をそらしている。

 女の子は、さっきのシーラ=ルウみたいに透き通るヴェールをたなびかせて、にこにこと元気に笑っている。


 その小さな手には、花や木の実が織りこまれた平かごが掲げられており、そこには、ギバの白い牙や角が山積みになっている。

 眷族から賜った、祝福なのだろう。

 まだ祝福を済ませていなかった男衆たちが静かに歩み寄り、先頭の老人に一声かけてから、牙や角をその平かごに重ねていく。


 そして、やはり狩人の格好をした男衆と、薄物を羽織った女衆にはさまれるようにして――本日の主役たちが、入場してきた。


 ガズラン=ルティムと、アマ=ミンだ。


 ガズラン=ルティムは、当然のように狩人の姿をしていた。

 ただ、決定的に違ったのは、その頑健なる肉体を包む、ギバの毛皮のマントだった。

 ギバの毛皮であることに間違いはない――何故なら、そのマントにはギバの頭部の毛皮も残されていたのだ。


 ガズランの逞しい右肩にかぶりつくようにして、ギバの頭が乗っている。

 相当に巨大なギバの頭部である。

 そして、その牙と角も後から縫いつけられたのか、4本の鋭い切っ先がにゅうっと伸びている。


 そのマントに右半身が隠されており、左側だけがはだけられて、そこからは大小の刀が覗いている。

 それも宴のための特別あつらえなのだろう。中身は自前かもしれないが、どちらの革鞘にも革の紐が縫いつけられたり焼印が押されたりされ、なおかつ、あちこちに綺麗な色をした石が留められている。


 あとは、褐色をした髪にエメラルドグリーンの草冠が載せられているだけなのだが――それでもルティム家の後継者は、普段よりもいっそう雄々しく、勇壮に見えた。


 その隣りを静かに歩く花嫁は、やはり玉虫色のヴェールをかぶっている。

 だが、シーラ=ルウや周りの女衆とは異なり、二重三重にヴェールをかぶされて、それが夫となる人物と同じ草冠で留められていた。


 ヴェールのすそが顔のほうにまでかかっており、その表情までもが玉虫色の光の向こうに霞んでしまっていたが――それでも、花嫁が幸福そうに微笑んでいることだけは確認できた。


 さらに彼女は肩からも腰からも半透明のショールを垂らしており、その褐色の肌のすべてがふわりとした光に包みこまれていた。


 その下に着た胸あてや腰あてにはやはり色とりどりの紋様が渦を巻き、首や手足に巻かれた装飾品もさぞかしきらびやかであったのだろうが――その玉虫色の輝きだけで、彼女は誰よりも特別で、美しかった。


 ふたりを祝福する歓声が絶え間なく広場の空気を震わし、さらにそれを圧するほどの馬鹿でかい笑い声が響きわたった。


 新郎の父親、ダン=ルティムだ。

 男衆の先頭に立って歩く禿頭の大男が、意味不明の笑い声をあげている。

 意味は不明だが――楽しいのだろう。

 幸福なのだろう。

 自分の息子がこれほどまでに立派に育ち、これほどまでに美しい花嫁を得ることができたのが――嬉しくて嬉しくてたまらないのだろう。


 太鼓腹が大きく揺れて、頬の肉もぶるぶる揺れている。

 それを見た周りの子どもたちが、笑い声をあげている。

 それを見たダン=ルティムが、またいっそうの馬鹿笑いをあげる。

 この距離ではよくわからなかったが――そのぎょろりと大きな目玉には、うっすらと光るものがあるような気がした。


「アスタ」と軽く腕を引かれる。

 振り返ると、アイ=ファが静かに俺を見つめていた。

 俺はうなずき、拳を握りしめる。


「ああ。いよいよ後半戦だな」


 宴が――始まるのだ。

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