仮面舞踏会③~宴の始まり~
2019.1/5 更新分 1/1
「今宵はこれだけ数多くの貴き人々に集まってもらうことができて、非常に嬉しく思っている。いまこの場で地震いなどが起きて《紅鳥宮》が崩れ落ちてしまったら、ジェノスは明日から立ち行かなくなってしまうことだろう」
マルスタインのブラックユーモアに、あちらこちらから上品そうな笑い声があがった。ジェノスに何名の貴族が存在するのかは知らないが、おそらくはその主流にある人々のほとんどが結集しているのだろう。これはジェノスの貴族が総動員で王都の人々を歓待しようという会なのである。
「また、本日は外交官フェルメス殿の取りはからいで、森辺の民の何名かを招待することになった。同じ領土で暮らしながら、城下町の民と森辺の民はなかなか顔をあわせる機会もない。これを機に、絆を深めてもらえれば幸いである」
周囲の視線が、俺たちの卓に向けられてくる。が、わざわざ挨拶でダリ=サウティが呼ばれることはなかった。
「まずは美味なる料理をつまみながら、歓談を楽しんでもらいたい。その後には、いくつか余興も準備しているのでな。……父なる西方神に、祝福と感謝を」
人々はお行儀のいい声量で唱和して、それぞれの酒杯を目の高さに掲げた。
森辺の祝宴のような熱気は望むべくもないが、しかしこれだけの人数である。その場には、仮面舞踏会ならではの煩雑で心躍るような空気が満ちているように感じられた。
そして、そこにさらなる彩りを与えるべく、森の小人みたいな姿をした小姓たちが料理を運び込んでくる。
会場のあちこちに設置された大きな卓は、あっという間に料理の皿で埋め尽くされていった。酒杯の果実酒を一息で飲み干したゲオル=ザザは、「どれ」と視線を巡らせていく。
「まずは、ギバ料理を腹に入れておきたいところだな。ルウ家のかまど番が準備した料理は、どこだ?」
「これだけの広さだから、それを探すだけでもひと苦労だな。適当に卓を回ることにしよう」
そのように述べてから、ダリ=サウティが俺たちの姿を見回してきた。
「しかし、この人数ではともに動くのも難しかろう。より多くの人間と言葉を交わすためにも、また何名かずつで分かれるべきではないだろうか?」
ならば、血族同士で分かれるのが相応であろうという声があがった。その中で、ガズラン=ルティムが俺とアイ=ファに同行したい、と発言すると、ララ=ルウが「えー」と口をとがらせた。
「でもさ、あたしらは舞踏会なんて初めてなんだよ? それに、シン=ルウはそのうち、力比べで呼び出されちゃうんだろうし……そしたら、あたしがひとりになっちゃうじゃん」
「では、シン=ルウの力比べが終わるまでは、5名で行動をともにしましょう。……それでいかがですか、ダリ=サウティ?」
「お前がそのように判断したのなら、異存はない。では、またのちほどな」
ダリ=サウティは伴侶をともなって、人混みの向こうに消えていった。
ゲオル=ザザは、ご機嫌の様子でトゥール=ディンの黒くてふわふわした姿を見下ろす。
「では、俺たちもギバ料理を探すとするか。俺はこのような集まりに加わるのも2度目だから、何も心配はいらんぞ」
「はい、ありがとうございます」と述べながら、トゥール=ディンは奥まった場所で歓談している侯爵家の人々のほうに目をやっていた。
それに気づいたゲオル=ザザは、かぶりものの下でにやりと笑う。
「どうせこの祝宴は長々と続くのだ。あの小さな娘とは、後でいくらでも絆を深めることができよう。……本当にトゥール=ディンは、あの幼子に心をひかれているのだな」
「あ、はい、申し訳ありません……」
「何も詫びる必要はない。ザザの血族で、もっとも城下町の民と絆を深めているのは、お前であるのだ。それは、誇るべきことではないのか?」
ゲオル=ザザは、いつになく鷹揚であった。それに、いつぞやの食事会などでは、オディフィアにトゥール=ディンを独占されてしまい、退屈そうに果実酒をなめていたはずだ。それでもなお、子供のように対抗心を燃やさないのは、ひとつの成長の表れなのかもしれなかった。
「そら、行くぞ。どれがギバ料理であるのか、お前が見分けてくれ」
「しょ、承知しました。では、アスタたちも、またのちほど……」
「うん。ゲオル=ザザとはぐれないようにね」
俺は笑顔で、黒ずくめのふたりを見送った。
残されたのは、ファとルウの混成軍である5名だ。しかし、何故だかそこにはまだレイリスが居残っていた。
「よろしければ、わたしがご案内しましょうか? 見知らぬ相手に声をかけられても、おおよそはご紹介することができるかと思います」
「それはありがたい話ですけれど……でも、せっかくの祝宴なのに、いいのですか?」
「はい。シン=ルウ殿とご一緒できれば、嬉しく思います」
レイリスがはにかむように微笑むと、ララ=ルウは複雑そうな面持ちで下唇を吸い込んでいた。かつては彼の父親がシン=ルウに卑劣な罠を仕掛けたし、その後は彼の要望で闘技会にまで引っ張り出されることになってしまったため、レイリスに対しては安らかならぬ心象を抱いていたのだろう。
(でも、レイリスは前回の舞踏会でも、シン=ルウに挨拶したいとか言ってたもんな。ふたりはすっかり和解してるんだから、それがわかればララ=ルウも安心できるだろう)
ということで、いよいよ料理巡りである。
ギバ料理のみを欲しているゲオル=ザザと異なり、俺にとってはすべての料理が期待の的であった。
大がかりな扮装をした人々にぶつかってしまわないように気をつけながら、手近な卓に足を向ける。その間も、周囲の人々は俺たちに熱い視線を送っていた。
森辺の民というだけで関心をひくには十分であるのに、俺以外の4名はきわめて美々なる宴衣装を纏っているのだ。姫騎士のアイ=ファも、赤いドレス姿のララ=ルウも、純白の甲冑を纏ったガズラン=ルティムとシン=ルウも、それぞれ人の目を楽しませているはずだった。
「こちらは、城下町の料理人がこしらえた料理のようですね。別の卓に移りますか?」
レイリスの言葉に、俺は「いえいえ」と応じてみせる。
「かなうことなら、すべての料理を口にしたいと思っています。……アイ=ファたちにも、おすすめの料理を探してやるからな」
前回も、そうやって俺は試食役を担ってみせたのだ。
あのときはシーラ=ルウがいたし、ダリ=サウティまでもが積極的に料理を口にしていた。が、本日は俺がひとりでその役を果たすしかないだろう。ガズラン=ルティムあたりが名乗りをあげるのではないかと思わなくもなかったのだが、彼はそれよりも城下町の人々の様子に関心をひかれている様子であった。
ということで、俺は大皿に乗せられた軽食をつまみあげる。
黒フワノの生地に、細長く刻んだカロンの肉がのせられた料理だ。香草の匂いたつその料理を口の中に放り入れると――とたんに、すさまじいばかりの脂肪分が口の中にひろがった。
「うーん。これはティマロの肉料理を思い出すなあ……どうやら、カロンの肉に脂を注入して、蒸し焼きにした料理のようですね」
「ああ、驚くべきやわらかさですね。こんなにしっかりとした肉が、まるで溶けていくかのようです」
レイリスは、ご満悦の様子である。城下町の民にとっては、食べにくい料理ではないのだろう。俺としても、前回の舞踏会ではこれとよく似た料理を美味であると判じたものであるのだが――それを作製したのは、何を隠そうボズルであった。彼の料理の脂加減は、本当にぎりぎりのラインで絶妙であったのだ。
どうやらその卓は、見知らぬ料理人の料理で埋め尽くされているようだった。どれも複雑な味わいで、それでいてあまり調和も取れていないように感じられてしまう。俺の印象としては、ティマロよりも未熟な料理人の手によるものなのではないかと思われた。
(ティマロは、トゥラン伯爵家の副料理長だったんだもんな。ヴァルカスには及ばないとしても、きっとジェノスでは指折りの料理人なんだろう)
何にせよ、せっかくの宴料理に文句をつけるなどという不遜な真似が許されるわけもないので、俺はお行儀よく試食を済ませることにした。
そうして次の卓に移動すると、見覚えのある顔があった。海賊のようにけばけばしい衣装を纏った、痩せぎすの若き貴公子――サトゥラス伯爵家の嫡子、リーハイムである。
「おひさしぶりです、リーハイム。ご立派な宴衣装ですね」
俺が率先して挨拶をしてみせると、うろんげに振り返ったリーハイムがくわっと目を見開いた。
「これはこれは……そちらこそ、目を見張るような姿ではないか」
リーハイムの目は俺を素通りして、ななめ後方にたたずむアイ=ファの姿をとらえているようだった。
「姫騎士ゼリアの扮装か。ううむ、見事だな。清廉なのに色っぽい、おとぎ話の挿絵そのままの姿だ」
アイ=ファが沈黙を保っていると、レイリスが苦笑気味の声をあげた。
「リーハイム殿、森辺の女衆をむやみに褒めそやすのは、禁忌とされておりますよ。わたしもさきほど不興を買ってしまった身でありますが、色っぽいなどという言葉はつつしむべきではないでしょうか?」
「ああん?」とリーハイムは眉をひそめかけたが、すぐに気を取りなおした様子で頭をかいた。
「まあ、俺とお前は、他の連中よりも気をつかうべき立場だったか。気分を害したんなら、詫びてやるよ」
「…………」
「何だよ、詫びるって言ってるんだから、そんな目でにらむなよ」
「……私はもともと、こういう目つきであるのだ」
リーハイムは「ちぇっ」と子供のように舌を鳴らしてから、ララ=ルウのほうに視線を転じた。
「そっちの赤髪も、どこかで見た顔だな。たしか、ルウ家の娘じゃなかったか?」
「あたしはルウ本家の三姉、ララ=ルウだよ」
ララ=ルウも、アイ=ファに劣らず冷ややかな眼差しでリーハイムを見やっている。威勢はいいが胆の据わっていないリーハイムは、渋面を作りながら首をすくめていた。
「ルウ家とサトゥラス伯爵家は、和解したはずだろ? どうしてお前まで、そんな目で俺をにらみつけてるんだよ?」
「あたしももともと、こういう目つきなだけだよ」
「何だよ、もう。何とかしろよ、レイリス」
「わたしとて、森辺の民と絆を結びなおしているさなかです。リーハイム殿も、誠心をもって言葉を交わす他ないのではないでしょうか?」
年長の従兄弟を見やりながら、やっぱりレイリスは苦笑を浮かべている。まったく似たところのないこの両名は、いったいどのような幼年時代を過ごしてきたのだろうと、ふっとそんなことを考えさせられてしまった。
「ところで、リーハイム殿はおひとりでどうされたのですか? これだけ大きな祝宴であれば、まだまだ挨拶回りのお相手をしているさなかのはずでしょう?」
「それが面倒くせえから、こっそり抜け出してきたんだよ。挨拶回りのお相手なんざ、当主になってからで十分だ」
仏頂面で言いながら、リーハイムは酒杯をあおる。この御仁と顔をあわせるのはひさびさであるが、あまりお変わりはない様子であった。
「……あなたがサトゥラス伯爵家の長兄、リーハイムであったのですね」
と、ガズラン=ルティムがゆったりと進み出た。
「お初にお目にかかります。私はルウの眷族であるルティムの家長で、ガズラン=ルティムと申します」
「え? ああ、うん……ルウの血筋ってことは、お前も俺のことを疎んでるんだろ。無理に挨拶をする必要はねえよ」
「ルウ家とサトゥラス伯爵家の和解は為されたのですから、あなたを疎む理由はありません。今後も正しき絆を結ばせていただきたく思います」
サトゥラス伯爵家の嫡子となれば、このジェノスにおいて指折りの大貴族であるのだ。それはどのような人物であるのかと、ガズラン=ルティムは大きな関心をひかれた様子であった。
いっぽうのリーハイムは、いくぶん尻込みしている様子である。ガズラン=ルティムはまったく人を威圧するところのない、どっしりとした大樹のごとき雰囲気を有する人間であるのだが、それでもリーハイムを萎縮させるには十分な重圧であるのかもしれなかった。
「ジザ=ルウからも、あなたの話はうかがっています。よろしければ、私とも言葉をお交わしください」
「ジザ=ルウって、あのおっかねえ大男だろ? 森辺の狩人ってのは、どいつもこいつも……」
リーハイムがそのようにぼやいているのを聞きながら、俺はその卓の料理を味わわさせていただくことにした。
こちらもギバ料理ではないし、おそらくはヴァルカスの料理でもない。見た感じでそれを察することはできたが、出来栄えはなかなかのものであった。
だけどやっぱり、完全なる調和と評するには難しい。どこか味がとっちらかっていて、「美味い」とは言い切れない料理であるのだ。多種多様な食材を使いまくろうと意気込むあまり、味の調和がおろそかになってしまっているような――そんな印象であった。
「……アスタよ。私もいくぶん、腹が空いてきたのだが」
と、ひと通りの料理を味見したあたりで、アイ=ファがそのように耳打ちしてきた。俺は「ごめんな」と詫びてみせる。
「俺ばっかり料理を食べてて、申し訳ない。なかなかアイ=ファたちにおすすめできるような料理がなくてさ。……でも、よかったら味見をしてみるか?」
「……城下町のかまど番には悪いが、好みに合わない料理を空きっ腹には入れたくないように思う」
「そっか。それじゃあ、次の卓に向かおうか」
そうしてかたわらを振り返ると、ガズラン=ルティムはまだリーハイムと語らっていた。
「なるほど。あなたがたも、外交官フェルメスに悪心は感じていないのですね」
「まあな。少なくとも、これまでの連中の中では一番ましだろ。とりあえずは、公平な目でジェノスを検分しようって気持ちは持ち合わせてるみたいだからな」
おやおや、と俺は驚くことになった。ちょっと前まで尻込みしていたはずのリーハイムが、しかつめらしい面持ちでガズラン=ルティムと語らっている。ガズラン=ルティムの巧みな話術か、あるいは相手をふわりと包み込むような温かい空気が、リーハイムの警戒心を解いたのかもしれない。ガズラン=ルティム、おそるべしである。
「ありがとうございます。とても参考になりました。王都の人々と確かな絆を深められるように、我々も力を尽くそうと思います」
「それは、こっちも同じことだよ。王都の連中を怒らせたら、俺たちだって呑気にはしていられねえんだからな」
それで話はまとまったようなので、俺たちはいったんお別れの挨拶をさせていただいた。
次なる卓に向かいながら、ララ=ルウは「ねえねえ」とガズラン=ルティムに呼びかける。
「ガズラン=ルティムって、どうして誰が相手でも、あんな風ににこにこ喋ることができるの?」
「べつだん、にこやかに振る舞っているつもりはありません。ただ、相手の真情を知りたいと願いながら、言葉を交わしているだけです」
「ふーん。で、さっきの貴族はどうだったの? ほめる部分なんて、どこにもなさそうだったけど」
「そのようなことはないと思います。確かにあのリーハイムという人物は、力のある家に生まれついたことにあぐらをかいている部分も多いようですが……それでいて、自分が家長の座を継ぐことに、大きな懸念を抱いてもいるのでしょう。その苦悩は、私にも少しは理解できると思います」
「ガズラン=ルティムは、とっくに立派な家長じゃん! あんなひょろひょろの貴族とは比べようがないでしょ」
「リーハイムは、私よりも遥かに大きな家の誇りと血筋を守らなければならないのです。その重圧を乗り越えることができれば……きっと立派な家長になるでしょう」
どうやらガズラン=ルティムは、リーハイムの中に何か光るものを感じた様子であった。
ならばきっと、サトゥラス伯爵家も明るい行く末を迎えることができるだろう。メルフリードやダレイム伯爵家のアディスや、いずれリフレイアの伴侶となる誰かとともに、ジェノスの民を正しき道に導いてほしいところであった。
そうして次なる卓が見えてくると、レイリスが「おや」と声をあげた。さきほど別れたばかりのトゥール=ディンとゲオル=ザザが、奇異なる格好をした貴族に囲まれながら、料理を食していたのだ。
「何だ、お前たちもギバ料理を嗅ぎつけたのか。行動を別にしても、詮無きことだったな」
ゲオル=ザザは、陽気に笑っている。この短い時間で、ぞんぶんに果実酒も楽しんだのだろう。そのかたわらで、トゥール=ディンもほっとしたように微笑んでいた。
「あー、ほんとだ。ここのはみんな、ギバ料理みたいだね。食べよー食べよー」
ひさびさに、ララ=ルウがはしゃいだ声をあげる。すると、同じ卓でギバ料理を食していた貴族のひとりが、はっとしたように面をあげた。
「もしかしたら、そちらの御方はシン=ルウ殿でしょうか? どうも、おひさしぶりです」
シン=ルウは、けげんそうに眉をひそめている。相手は猿人のように毛むくじゃらの扮装をしており、口もとぐらいしかあらわになっていなかったのだ。
その人物が名乗りをあげると、シン=ルウもようやく「ああ」と愁眉を開く。どうやら彼はダレイム騎士団の若き剣士であり、闘技会の予選でぶつかった相手であるらしかった。
(そうか。前回の舞踏会でも、ゲオル=ザザはけっこう剣士たちにちやほやされてたっけ)
そういえば、この卓を囲んでいるのは、みんな若い男性であるようだった。剣を志す人間としては、森辺の狩人の強靱さには感服せざるを得ないのだろう。
「ほら、デヴィアス殿。シン=ルウ殿がいらっしゃいましたよ。ご挨拶をなさりたかったのでしょう?」
と、毛むくじゃらの剣士が壁際の誰かに声をかける。その声に振り返ったのは、あの銀獅子の扮装をしているライオン人間であった。
「おお、シン=ルウ殿か。息災なようで、何よりだ。今日は見事な騎士の姿であるな」
ライオンのマスクごしに、くぐもった声で呼びかけてくる。こうして間近で拝見すると、そのマスクも全身の着ぐるみも、明らかに本皮ではなく作り物であった。しかし、毛皮よりは通気性のいい毛織物だとしても、さぞかし暑苦しいことだろう。いちおう口の部分に穴は空けられているようであったが、飲み食いするのにも難渋しそうだ。
「デヴィアスというと……あなたも闘技会で剣を交えた相手であったな」
「うむ。シン=ルウ殿にはわずか一合で刀を弾かれてしまい、あえなく敗退することになった。今日の試技も、楽しみにしているぞ」
デヴィアスという名前には、どこか聞き覚えがあるような気がした。
そのように考えて、アイ=ファにこっそり尋ねてみると、最愛なる家長はひさびさに驚異的な記憶力を発揮してくれた。
「デヴィアスといえば、闘技会とやらで最後の8名まで勝ち残っていた男だな。ザッシュマが、自分では太刀打ちできないと述べていた者のひとりだ。たしか……護民兵団の大隊長とかいう身分であったはずだぞ」
「それじゃあ俺たちも、その試合は目にしてるはずだな」
しかしあのときは兜をかぶっていたし、本日は銀獅子のかぶりものをしている。彼がどのような素顔をしているのか、本日も拝見することはできなそうだった。
すると、そのデヴィアスが「失礼」と言いながら、こちらに近づいてきた。
そして、アイ=ファのかたわらでちょこんと座り込むと、卓を囲んでいた剣士たちがどっと笑い声をあげる。アイ=ファは腕を組み、実に冷ややかなる眼差しでデヴィアスを見下ろした。
「……あなたはいったい、何をしているのだろうか?」
「いや、姫騎士ゼリアは竜王の城を目指す途中で、1頭の銀獅子を手懐けるのだ。この背にまたがっていただければ、いっそうそれらしく見えるように思うのだが、如何であろうか?」
「……それは断固として断らせていただきたく思う」
「それは残念だ。気が変わったら、いつでも声をかけていただきたい」
デヴィアスが立ち上がり、うやうやしく一礼した。アイ=ファは仏頂面で溜息をついており、ララ=ルウなどはぽかんとしている。
「ねえねえ、こんなにたくさんの貴族が集まってるのに、そんなふざけた真似をして許されるの?」
「これは、仮面舞踏会であるからな」というのが、ライオン人間の返答であった。
通常の舞踏会よりは、羽目を外すことも許される、ということなのだろう。
「まったくデヴィアス殿は、酒を召されると人が変わってしまうな。……さあ、お待ちかねのギバ料理をいただきましょう、森辺の方々」
レイリスの取りなしで、俺たちはようやくギバ料理に手をのばすことができた。
城下町の祝宴では手づかみで食べられる料理を所望されるので、そういった料理がずらりと並べられている。腸詰肉をはさんだホットドッグに、乾酪がたっぷりのピザ、蒸し籠に入れられた饅頭に、肉と野菜の串焼きといったラインナップである。
「ああ、そちらの料理などは、ギバ肉が使われていなかったぞ。……まあべつだん、文句を言いたくなるような味ではなかったがな」
ゲオル=ザザが指し示しているのは、ピザであった。ピザは何種類か準備されており、それには甘エビのごときマロールが惜しみなく使われていた。
(これは、フェルメスにも喜ばれそうだな)
俺は、そのマロールのピザからいただくことにした。
これにも乾酪とタラパがどっさり使われており、さらにはブナシメジモドキやローリエのごとき香草も散りばめられていた。
皿の下に保温の細工がされていたらしく、人肌よりは高い温もりが残されている。かじってみると、文句のない美味しさであった。
(ああ、何だか、ほっとするな)
これにはギバ肉も使われていなかったが、俺の作法で作られた料理だ。城下町の料理では得られない安心感が生じてしまうのは、やむをえないところであった。
森辺の民ならぬ人々も、至極満足そうにこの卓の料理を食べてくれている。若い男性が多いだけあって、料理の減り具合もなかなかのものであった。
「む。このまんじゅうは、知らぬ味がするな」
ほかほかの饅頭を口にしたアイ=ファがそのように発言したので、俺も同じものに手をのばした。かじってみると、ギバのミンチが辛めの香草で味付けされている。さらには乳脂の風味まで感じられるし、なかなかオリジナリティのある味わいであった。
(レイナ=ルウたちも、色々と試行錯誤してるんだろうな)
肉と野菜の串焼きにはミソのタレが使われており、それも城下町の人々には好評であるようだった。きっとギバ料理を初めて口にする人間も多いのだろう。奇異なる扮装の下で、若き剣士たちが笑顔でギバ料理を頬張っている。その姿を、ガズラン=ルティムは静かに見守っていた。
「どの料理も美味しいね! ま、レイナ姉やシーラ=ルウたちが作ってるんだから、当たり前なんだけどさ」
ララ=ルウもすっかりご機嫌を回復させた様子で、次々とギバ料理を口に運んでいる。
「ほら、こっちのほっとどっぐも美味しいよ! シン=ルウは、もう食べた?」
「いや。これから力比べなので、あとはそれが終わってから食べようと思う」
「えー? でも、力比べが終わる頃には、なくなっちゃってるんじゃない?」
「そうなのだろうか?」と、シン=ルウが真剣な面持ちで俺を振り返ってきた。
俺は笑顔で「大丈夫だよ」と応じてみせる。
「いっぺんに運ぶと冷めちゃうから、料理は何度かに分けて運ばれるはずだよ。レイナ=ルウたちは、いまでも調理に励んでるはずさ」
「そうか」とシン=ルウが微笑むと、ララ=ルウもつられたように微笑んだ。
「何だか、子供みたい。昔はよく、ルドと祝宴で肉を取り合ってたよね」
「うむ。懐かしいな」
シン=ルウとララ=ルウの間に、ふっと温かい空気が流れる。ときおり感じるこういう空気が、俺は大好きだった。
(ララ=ルウの婚儀が許されるまで、まだ1年近くあるのか。このふたりだったら、ダルム=ルウとシーラ=ルウに負けないぐらいお似合いの夫婦になるだろうな)
俺は、ちらりとアイ=ファのほうを盗み見た。
アイ=ファは黙々とギバ料理を口にしている。が、その目は2秒と待たずに俺へと向けられてきた。
「どうした? 話があるなら、何でも語るがいい」
「いや、とりたてて話があったわけじゃないんだ」
俺はただ、余人に俺たちの姿はどう映っているのだろうと、ぼんやり考えただけだった。
まあ、現在は姫騎士とかまどの精にしか見えないに違いない。
「そういえば、先日は災難なことであったな」
と、銀獅子の巨大な顔が、俺たちの間にぬっと割り込んできた。
アイ=ファはたちまち毅然とした面持ちになり、そちらをねめつける。
「災難とは? もしかしたら、アスタを襲った盗賊どものことであろうか?」
「うむ。まさか盗賊どもが、森をかきわけて集落に踏み入るなどとは考えていなかった。領民を守るという役目を十分に果たすことができず、とても口惜しく思っている」
ライオン人間は、真面目くさった口調でそのように述べたてた。
「大罪人シルエルの逃亡を阻止できたことだけが、唯一の救いであろうか。……己の栄誉を誇るつもりはないが、シルエルを討ち取った兵士は、わたしの部下であったのだ」
「そうなのか」と、アイ=ファはわずかに目を見開いた。
デヴィアスは「うむ」と獅子の顔でうなずく。
「とはいえ、小隊長ですらない末端の兵士に過ぎないがな。わたしはともかく、あやつには己の武勲を誇る資格があろう」
「その者も、深い手傷を負ったのだと聞いている。その後、力は取り戻せたのであろうか?」
「うむ。左の肩に斬撃を受けて、骨まで砕かれてしまったため、いまは宿舎で身体を休めている。しばらくすれば、また護民兵団の一員として働くことができよう」
「そうか」と、アイ=ファは息をついた。
「その者が、1日も早く力を取り戻せることを祈っている。そして、森辺の集落を守ってくれていたあなたがたにも、深く感謝をしているぞ」
「そうか。では、わたしの背にまたがっていただくこともかなうだろうか?」
せっかくやわらぎかけていたアイ=ファの表情が、たちまち仏頂面に変じた。
「それは断らせていただくと述べたはずだ。……あなたはいったい、何なのだ?」
「何なのだと言われても、いまはアルグラの銀獅子であるとしか答えようはないな」
いかにも騎士らしい毅然とした口調であるのに、やっぱり酒が過ぎているのだろうか。アイ=ファには申し訳なかったが、俺は掛け合いのコントでも見せられているような心地であった。
「ああ、ようやく見つけたわ。殿方の陰に隠れてしまっていたのね、トゥール=ディン」
と、ふいに華やかな声が響きわたる。
若き剣士たちは、食事の手を止めて一礼した。それは純白の宴衣装を纏ったエウリフィアとオディフィアであった。
トゥール=ディンはぱあっと顔を輝かせて、オディフィアは無表情のまま、それを見つめ返す。ただ俺は、フリルだらけのスカートの裾に、ぶんぶんと振られる子犬のごとき尻尾を幻視していた。
「なかなか抜け出すのが難しくて、こんなに時間がかかってしまったの。ねえ、トゥール=ディン、しばらくオディフィアを預かってもらえないかしら?」
「え? エウリフィアは、どこかに行かれるのですか?」
「わたくしはまだ、色々な方たちに挨拶をしなくてはならないの。それに最後までつきあわせていたら、あなたがたの語らう時間がなくなってしまうでしょうからね」
エウリフィアは、愛娘の小さな背中を、そっと押した。
「さ、お役目を果たしたら、わたくしもご一緒させていただきますからね。それまでは、トゥール=ディンと一緒に料理や舞踏をお楽しみなさい」
オディフィアは若き剣士たちに見守られながら、しずしずとトゥール=ディンに近づいていった。
そうしてトゥール=ディンの手の先を握りしめると、灰色の瞳で相手を見上げる。
「トゥール=ディン、すごくきれい」
「ありがとうございます。オディフィアも、すごく素敵です」
トゥール=ディンは黒ずくめで、オディフィアは白ずくめであるが、どちらも玉虫色の羽を背負った、妖精の姿だ。若き剣士たちは、何やら感じ入った様子で息をついていた。
「何だか、絵画や挿絵でありそうなお姿だ。姫騎士ゼリアの物語に、このような一幕はなかったか?」
「ないだろう。しかし、そのように思う気持ちはわからなくもない」
俺などはその物語の内容もわからないのに、同意を示したくなるような心地であった。
このふたりのかもしだす雰囲気も、俺は大好きであるのだ。人と人とが寄り添い合って、真っ直ぐに情愛をぶつけ合う。その幸福感のおすそ分けをしてもらっているようなものであるのだろう。
そのとき、周囲の人々がわあっと華やいだ声をあげた。
見ると、広間の中央で何組かの男女が優雅にダンスを楽しんでいる。ピエロめいた楽団のもたらす演奏も、これまでよりはっきりとボリュームをあげていた。
祝宴が、第2段階に突入したのだろう。
そちらに視線を向けていたオディフィアが、あらためてトゥール=ディンに向きなおった。
「このぶとうは、まだおどれないの。じゆうにおどれるきょくがはじまったら、オディフィアとおどってくれる?」
「え? は、はい……ですが、わたしなどに踊ることができるでしょうか……?」
「オディフィアがおしえるから、だいじょうぶ」
オディフィアは、くいいるようにトゥール=ディンを見つめていた。
トゥール=ディンはふっと微笑んで、オディフィアの小さな手を握り返す。
「わかりました。どうぞよろしくお願いします、オディフィア」
オディフィアは「うん」とうなずくと、こらえかねた様子でトゥール=ディンに抱きついた。
「ゆめのなかではトゥール=ディンとおどれなかったから、すごくたのしみにしてたの」
「わたしもオディフィアと会えることを楽しみにしていました。……あ、菓子は無事に届きましたか?」
「うん。すごくおいしかった」
トゥール=ディンは、オディフィアに菓子を売り渡す日を数日ずらして、本日従者に手渡したのだった。オディフィアの見た夢の話を聞かされていたので、そうせずにはいられなかったのだろう。
白と黒の小さな妖精たちが抱き合う姿を見て、人々は微笑ましそうに目を細めている。そこに、緑色の扮装をした小姓が近づいてきた。
「森辺の民、シン=ルウ様。剣闘の準備をいたしますので、こちらにおいでいただけますでしょうか?」
「うむ。了承した」
シン=ルウが、ララ=ルウを振り返る。
ララ=ルウが笑みを消した代わりに、シン=ルウが優しげに微笑んだ。
「それでは、行ってくる。すぐに戻ってくるから、待っていてくれ」
「うん。気をつけてね、シン=ルウ。怪我なんてしたら、嫌だよ?」
それはまさしく、出陣する騎士とそれを見送る姫君のような姿であった。
シン=ルウは笑顔のまま「うむ」とうなずき、きびすを返す。
その間も広間の中央では、奇異なる格好をした貴族たちによる優雅なダンスが繰り広げられていた。