仮面舞踏会②~会場入り~
2019.1/4 更新分 1/1
それから半刻ほどの後、俺たちはついに仮面舞踏会の会場へと案内されることになった。
入り口の受付台では、また花飾りが配られている。赤い花が伴侶のある証、青い花が同伴者のある証、というやつである。どちらの色にせよ、この花飾りは色恋のお誘いをお断りするという意思表明であるのだった。
ゲオル=ザザが青い花飾りを所望すると、それを配っていた女性は不思議そうに目を見開いた。
「あの……失礼ですが、そちらの御方が同伴者であられるのでしょうか?」
ゲオル=ザザのかたわらに立っているのは、もちろんトゥール=ディンである。あまり詳しくは聞いていなかったが、おそらく11歳の幼子を舞踏会の同伴者とすることは、あまりスタンダードな行いではないのだろう。
「うむ。何か問題でもあるのか?」
竜の上顎の陰からゲオル=ザザが見つめ返すと、その女性はいくぶん顔色を失いながら、青い花飾りを差し出した。ゲオル=ザザもべつだん凄んだつもりはないのだろうが、ギバの毛皮をかぶっているときと大差のない迫力がにじみ出てしまっているのだ。
そうして9名の森辺の民は、全員が花飾りを受け取った。
名簿を手にした案内係が、かしこまった面持ちで扉に手をかける。それが大きく開かれると、会場のざわめきと熱気がありありと伝わってきた。
「森辺の族長ダリ=サウティ様、族長夫人ミル・フェイ=サウティ様、ご入場です」
ごく上品に抑制された歓声と拍手が、両者を出迎える。このあたりの段取りも、前回の舞踏会と変わるところはなかった。
その次にはゲオル=ザザとトゥール=ディン、シン=ルウとララ=ルウ、ガズラン=ルティムの順番で会場に招かれて、しんがりが俺とアイ=ファである。
俺とアイ=ファにも、温かい歓声と拍手が送られた。
人々の視線はアイ=ファに集中している様子であるが、それは自然の摂理というものであろう。純白の、勇壮にして艶めいたアイ=ファの甲冑姿は、誰が見たって素晴らしいものであるはずだ。俺としては、姫騎士に付き従っている従者のような心地であった。
「ふむ。我々にばかり珍妙な格好をさせて、笑いものにしてやろうというたくらみではなかったようだな」
会場に足を踏み入れたアイ=ファが、さっそく俺に耳打ちしてくる。俺は周囲の様相に目を配りながら、「そうだな」と答えてみせた。その場には、実に珍妙な姿をした人々ばかりが待ちかまえていたのである。
壁際には、水色の妖精みたいな格好をした若き貴婦人の一団が固まっていた。トゥール=ディンと同じように玉虫色の羽をきらめかせており、フリルだらけの装束をふわふわとゆらめかせている。
武者姿の人間も、多数いた。それにやっぱり、神話やおとぎ話の登場人物であるのか、豪奢な装束を纏った王族のごとき姿も多い。それらの人々の過半数は、きちんとマスクも着用していた。
しかし、それよりもなお珍妙な姿をした人々がいる。
色とりどりの全身タイツみたいな装束で、ピエロみたいなメイクをしている人間や、魔法使いみたいなフードつきマントを着用し、白いつけ髭をつけた人間――クジャクみたいにゴージャスな羽を背負った貴婦人や、明らかに作り物である大蛇を身体に巻きつけた貴公子など、なかなか物凄い様相であった。
本日は、正規の招待客だけで100名弱、従者も加えれば200名近くの人間が参席するのだと聞いている。そのうちの、もう8割方は顔をそろえているのだろう。それだけの人間を集めても窮屈にならないぐらい、この会場は広々としていたが、その参席者が全員仮装をしているのだから、これは大変だ。何というか、サイケデリックな夢の世界に足を踏み入れてしまったような心地であった。
また、これだけの人間が集まると、やはり衣装がかぶってしまうこともままあるのだろう。中にはまったく同じ姿をしながら、別々の場所で歓談している人々もいる。クジャクのような羽を背負った貴婦人などは両手の指に余るぐらいの数が見受けられたし、ゲオル=ザザとよく似た黒い甲冑姿の騎士もちらほらと目にすることができた。
ただし、女性の身で騎士の姿をしている人物は、いまのところアイ=ファの他に見当たらない。
なよやかな貴婦人が騎士の姿をするのも一興なのやもしれないが、やっぱりハードルが高いのだろうか。それに、城下町の貴婦人というのは胸もとを大胆に露出する反面、ほとんど足もとをさらそうとはしないのだ。そういう意味でも、太ももが丸出しである姫騎士ゼリアの装束は、昨今の流行りではないのかもしれなかった。
「おい、あれを見よ」
と、アイ=ファが俺の袖を引っ張ってくる。
そちらを振り返った俺は、思わずぎょっとしてしまった。全身が銀灰色の毛皮に包まれた獣人が、立派なたてがみをなびかせながら、2本足で会場を闊歩していたのである。その顔は、《ギャムレイの一座》が連れていた銀獅子のヒューイにそっくりであった。
「あ、あれって本物の毛皮なのかな?」
「馬鹿を言うな。あれが本物の毛皮であったら、半刻も待たずに汗だくだ」
アイ=ファは、呆れた顔になっていた。
もちろん俺にではなく、ライオン人間に呆れているのだろう。俺としても、ここまで珍妙な格好をしている人々が待ち受けているとは想像していなかった。
それに何だか、会場内には怪しげなムードが漂っているように感じられる。
その理由は、すぐに判明した。会場内の照明は、城下町にしてはずいぶんひかえめな明るさであり、なおかつ薄ぼんやりとしたオレンジがかった光であったのである。
現在はまだ下りの五の刻ぐらいであろうから、日没までは時間がある。しかし、明かり取りの窓はすべてふさがれて、天井のシャンデリアだけが目の頼りだ。そして頭上を見上げてみると、そのシャンデリアはオレンジがかった硝子だか水晶だかで造られていた。それを透かして炎の光が届けられるものだから、会場全体が夕陽に包まれているような情景に成り果てているのだった。
(なるほど。部屋の明るさを抑えることで、いっそう衣装が本物っぽく見えるってことか)
そのように判断した俺は、さりげなくアイ=ファから距離を取って、その全身を視界に収めてみた。
が、アイ=ファの印象はさほど変わらない。アイ=ファはもっと明るい光の下でも、文句のつけようのない立派な姿であったのだ。最初から完成度が高ければ、照明の具合などは問題にならないようだった。
「……何故に私から離れるのだ、アスタよ?」
「いや、もういっぺんその立派な姿を確認しておきたくてな」
アイ=ファはいくぶん顔を赤くしながら、ずかずかと接近してきた。
「いいから、離れるな。他の者たちに置いていかれるではないか」
ダリ=サウティらは、すでに片隅の卓を囲む格好で落ち着いていた。とはいえ、本日も立食パーティーであるのだろう。座席の類いは準備されていない。
俺とアイ=ファも合流すると、森の小人みたいに緑色の装束を纏った小姓が、大きな盆を手に近づいてきた。
「失礼いたします。こちらは、白の果実酒となります」
「うむ。酒を口にするのはまだ早いように思うので、けっこうだ」
「では、アロウの茶をお持ちいたします」
小姓は音もなく立ち去り、まったく同じ格好をした別の人間が茶を運んでくる。ワイングラスのごとき硝子の杯に、赤褐色の茶が美しくきらめいていた。
人々のざわめきの向こうからは、ゆったりとした異国的な旋律が聞こえてきている。逆側の壁際で、楽団が演奏をしているのだ。彼らも全員がピエロのような格好をしており、白地のメイクで素顔を隠していた。
「いや、実に珍妙だな。城下町にこのような習わしが存在したとは、驚きだ」
「うむ。しかし、珍妙な格好をしているせいか、以前の祝宴よりも堅苦しくはないように感じられるな」
ゲオル=ザザとダリ=サウティが、小声で言葉を交わしている。ミル・フェイ=サウティは本物の王族のような優雅さで茶をすすっており、トゥール=ディンはびっくりまなこで周囲を見回していた。
そして、俺とアイ=ファのすぐかたわらでは、シン=ルウとララ=ルウが並んで立っている。さきほどから口のあたりをごにょごにょさせていたララ=ルウは、やがて決然とした面持ちでシン=ルウへと声をかけた。
「ねえ、そんな格好してると、シン=ルウはまるっきり城下町の人間みたいだね。それも、貴族みたいにお偉い身分のさ」
「うむ。そうなのだろうか」
「そうだよ。この花飾りがなかったら、また城下町の娘たちがうじゃうじゃ近づいてきてたんだろうね」
ララ=ルウは、じっとりとした横目でシン=ルウをねめつけている。それを見つめ返しながら、シン=ルウは「そうだな」と口もとをほころばせた。
「俺も、同じことを考えていた。この花飾りの習わしというのは、ありがたいものだな」
「へーえ、自分でもそう思ってたんだ? すっごい自信だね!」
「うむ? ……ああ、違う。俺は、ララ=ルウのことを考えていたのだ。その花飾りがなかったら、城下町の男衆が羽虫のように寄ってきてしまうだろうからな」
髪と衣装の赤いララ=ルウは、顔まで赤くすることになった。
「な、なに言ってんの? ヴィナ姉やレイナ姉じゃないんだから、あたしに男衆なんて寄ってくるわけないじゃん!」
「そのようなことはない。ララ=ルウこそ、本物の姫君のようだ。……口を開くといつも通りのララ=ルウなので、安心した」
ララ=ルウはいっそう顔を赤くしながら、シン=ルウの胸もとを平手でひっぱたいた。シン=ルウはびっくりしたように、切れ長の目を見開いている。
「ララ=ルウの力で叩いたら、この宴衣装が壊れてしまうぞ。これは、布と木でできているのだからな」
「うるさいよ、もう!」
確かに会話を聞いている分には、普段通りのシン=ルウとララ=ルウであった。
だけどやっぱり遠目には、本物の姫君と騎士であるように見えることだろう。どちらにせよ、こんなにお似合いの組み合わせはなかなかないように思われてならなかった。
「ああ、これは森辺の皆様方……どうもおひさしぶりです」
と、何やら聞き覚えのある声がしたので振り返ると、そこには弓と矢筒を背負った狩人の姿があった。
平たい帽子には羽飾りがついており、毛皮のベストを羽織っている。ただ、胴衣や脚衣は飾り気が少ないものの、きわめて上質の絹でこしらえられているようであり、きわめてスタイリッシュな装いであった。
「何だ、誰かと思えば、レイリスではないか」
ゲオル=ザザが声をあげると、若き狩人はそちらに向かって一礼した。
「おひさしぶりです、ゲオル=ザザ殿。森辺の集落で剣技を試し合った日以来でしょうか」
「うむ。お前も珍妙な姿をしているな。それは、狩人のつもりであるのか?」
「はい。『放浪の王』の物語で、魔の森に迷い込んだ王を救う狩人の装束となりますね」
騎士のレイリスが狩人となり、狩人のゲオル=ザザが騎士となる。これが仮面舞踏会の醍醐味というものなのだろうか。
レイリスはゲオル=ザザを見返しながら、その口もとにやわらかい笑みをたたえた。
「ご壮健のようで、何よりです。……スフィラ=ザザも、お元気でしょうか?」
「ああ。婿探しには、いささか難渋しているようだがな。……お前のほうも、まだ伴侶を迎えてはおらんのか?」
「はい。わたしはまず、父の汚した家の名誉を回復しなければなりません。それを果たさぬ限り、伴侶を迎えることなどは、とうていかなわないでしょう」
ゲオル=ザザは窮屈そうに腕を組みながら、「ふん」と鼻を鳴らした。
「お前もスフィラも、とっとと婚儀をあげるべきだろうな。……そうすれば、また心安らかに言葉を交わすこともできよう」
「ええ。ゲオル=ザザ殿のお気遣いに、感謝いたします」
「別に俺は、気などつかっておらん」
ゲオル=ザザは、子供のようにそっぽを向いてしまった。
レイリスは微笑をたたえたまま、シン=ルウのほうを振り返る。
「シン=ルウ殿も、おひさしぶりです。本日は、王都の剣士と剣技の試し合いをされるそうですね」
「うむ。何やら奇妙な雰囲気を持つ相手であるので、いささか落ち着かぬ心地であるのだ」
「奇妙な雰囲気ですか……わたしはまだその御仁のお姿を拝見していないのですが、きっとたいそうな手練であるのでしょう」
そのように述べてから、レイリスは凛然と口もとを引き締めた。
「しかし、メルフリード殿をも退けたシン=ルウ殿であれば、どのような相手にも遅れを取ることはないはずです。素晴らしい戦いを期待しています」
「期待するのは勝手だけど、森辺の狩人は窮屈な格好で動くのは苦手なんだからね」
ぶすっとした面持ちでララ=ルウが口をはさむと、レイリスはけげんそうに眉をひそめた。
「あ……もしかして、あなたは闘技会の祝宴に参加されていた、ルウ家のご息女でしょうか?」
「……だったら、何だっての?」
「いや、すっかり見違えました。森辺の宴衣装も実に似合っておりましたが、そちらの宴衣装もよくお似合いです」
とたんにララ=ルウは顔を赤くして、レイリスの顔をにらみ返す。
「あのさ、むやみに森辺の女衆を褒めそやすのは禁忌だって習わなかった?」
「それはもちろん、うかがっています。ですが、宴衣装を褒めたたえることも許されないのでしょうか?」
レイリスは、むしろ当惑の表情であった。それを見て、ゲオル=ザザがまた「ふん」と鼻を鳴らす。
「このレイリスが、いまさら森辺の女衆にちょっかいを出そうとするはずがあるまい。お前も宴衣装を褒められたぐらいで、いちいち心を乱すな」
「何さ。あたしが悪いっての?」
「悪いとまでは言っておらん。……さすがにルウの女衆は、北の女衆に劣らず、情がこわいようだな。お前も噛みつかれたくなかったら、うかつな口を叩かぬことだ、レイリスよ」
竜の上顎の陰で、ゲオル=ザザは真面目くさった面持ちになっているようだった。きっと彼なりに、族長代理としての仕事を果たそうと考えているのだろう。前回の舞踏会では、あまり見られなかった所作である。
(それに、レイリスのことも信頼してるみたいだな。剣を交えることで、絆が深まったんだろうか)
俺がそんな風に考えたとき、小姓が新たな来場者の名を告げた。
それは、ダレイム伯爵家の面々であった。
当主のパウド、その伴侶であるリッティア、第一子息のアディス、第二子息のポルアース、その伴侶であるメリム――前回の舞踏会と、同じ顔ぶれだ。
彼らもまた、思い思いの扮装に身を包んでいる。ポルアースなどは、モンゴルあたりの民族衣装を思わせる異国的な装いで、頭にはぶかぶかの帽子をかぶっていた。そして、もともとふくよかであるお腹に詰め物でもしているのか、普段以上にでっぷりと肥えて見える。なかなかに、ユーモラスな装いであった。
伯爵家の面々の登場に、人々はこれまで以上の歓声と拍手を送っている。そんな中、俺たちの姿に気づいたポルアースが、母親と伴侶をともなってこちらに近づいてきた。
「やあやあ、森辺の皆様方。母上の準備した宴衣装は、気にいっていただけたでしょうかな?」
「うむ。またしても立派な宴衣装を準備していただき、とても感謝している」
ダリ=サウティがそのように応じると、リッティアは「まあまあ」と満足そうに微笑んだ。リッティアは宿屋のおかみさんのごとき格好をしており、ほっかむりのように大きな布を頭に巻いているのが、なかなかに可愛らしかった。
「みなさん、素晴らしいお姿ですわ。特に、あなた……本物の姫騎士ゼリアが、絵の中から飛び出してきたかのようですよ」
アイ=ファは溜息を噛み殺しながら、「いたみいる」と応じていた。
リッティアの隣では、メリムも楽しげに瞳を光らせている。メリムはママリアの果実酒みたいに深い赤色をした、妖精の姿である。
「本当に、輝くようなお姿ですね……この姫騎士の衣装は、ずっと戸棚に眠っていたというお話でしたよね?」
「ええ、そうなの。ずうっと昔に、わたくしの妹が仕立てさせたものなのだけれど、とうてい着こなせないと言って、衣装部屋に仕舞い込んでしまったのよ。その宴衣装も、ようやく然るべき主人と巡りあうことができて、喜んでいるでしょうねえ」
小柄で、ふくよかで、とても優しげな風貌をしたリッティアは、それこそ我が子を愛でるような眼差しでアイ=ファを見やっている。アイ=ファは凛然とした表情を保っていたものの、いくぶん落ち着かない様子で偽物の刀の柄を撫でていた。
「それでは、またのちほどね。僕たちも、すべての参席者がそろうのを待たなくてはならないからさ」
ポルアースはふたりの貴婦人をせきたてて、父親たちのほうに戻っていった。
その間に、今度はサトゥラス伯爵家の来場が伝えられる。さらにはトゥラン伯爵家が続いたので、いよいよ高位の貴族たちがこぞって入場してきたようだった。
トゥラン伯爵家は、リフレイアとトルストの2名のみだった。
しかし、名前は告げられなかったものの、リフレイアのかたわらには大柄な騎士が控えている。面頬をおろしていたので素顔は見えなかったが、どうやらそれはムスルであるようだった。
リフレイアは目にも鮮やかな金色のドレス姿であり、ムスルも金と白を基調にした見事な騎士の姿だ。トルストは緑色のフードつきマントを纏っており、全身に蔓草を巻きつけて、その手にねじくれた木の杖を掲げていた。
そうしてお次は、ジェノス侯爵家の面々である。
さすがは領主だけあって、その宴衣装の豪奢さは目を見張るものであった。
マルスタインは、逆立つ炎のようなかぶりものをしており、その身の装束も赤系統の色彩でまとめられていた。なおかつ、巨大な丸い盾のようなものが左腕に装着されており、闘神のように雄々しい姿である。
それに続くメルフリードも、ほとんど赤ずくめの姿だ。首に大きな襟巻きのようなものを巻いているのが印象的で、ライオンのたてがみのように真っ赤な毛をなびかせている。それに、彼も左腕に円盤を装着していたのであるが、それもまた鮮やかな真紅であった。
いっぽう伴侶のエウリフィアは、ウェディングドレスを思わせる純白の宴衣装である。その美々しさは言うまでもなかったが、両手で大きな銀色の聖杯のようなものを抱えているのが、何らかの扮装であることを示していた。髪は高々と塔のようにセットされており、目もとはマスクで隠している。
そのかたわらをしずしずと歩いているのは、やはり白装束のオディフィアであった。
オディフィアは白いドレスを着ていることが多いが、本日は格段に愛くるしい。そして、その背にはトゥール=ディンと同じような羽が生えており、腰には小さな銀色の酒杯を下げていた。
「ジェノス侯は火神ヴァイラス、メルフリード殿は太陽神アリル、エウリフィアは月神エイラですね。オディフィア姫は、おそらく月神の眷族である妖精です」
まだ俺たちと同じ卓に留まっていたレイリスが、そのように説明してくれた。
「これは暗黙の習わしですが、七小神の扮装は侯爵家と伯爵家の直系の血筋にのみ許されているのです。以前はジェノス侯が太陽神の扮装をされていたはずですが、このたびはメルフリード殿にお譲りになられたようですね」
「お譲りに? ……ああ、そうか。このジェノスの守護神は太陽神アリルなんですよね」
「ええ。ですがまあ、領主が太陽神の役を負わなければならない、という取り決めが存在するわけではありません。太陽神は月神と対になる存在でありますので、メルフリード殿とエウリフィアがその役を担うことになったのでしょう」
「なるほど」と応じつつ、ささやかなる疑念が俺の中に浮かびあがった。
「でも、太陽神アリルというのは、獅子の顔に馬の足を持つお姿じゃありませんでしたっけ? あの赤いふさふさは獅子のたてがみっぽいですけれど、それ以外の特徴は合致してないみたいですね」
「神々というのは、いくつかのお姿を備えているのです。メルフリード殿の扮装は、太陽神が戦場に臨む際のお姿ですね」
そのように述べてから、レイリスはちょいと首を傾げた。
「ところで、『うま』というのは何でしょう? アスタ殿の故郷に生息する獣の名でしょうか?」
「あ、そうです。こちらに馬という獣はいないみたいですね」
「はい。太陽神アリルはゼボラの鹿の足を持ち、天空を駆けるのだと伝えられています。そうして届けられた灼熱の円盤が、月神エイラの聖杯で清められるわけですね」
鹿はいるのかい、と内心でこっそり突っ込んでおくことにした。
ともあれ、ジェノス側の参席者はこれで勢ぞろいしたのであろう。マルスタインらがもっとも奥まった卓に落ち着くと、それを見計らった様子で、案内係がまた声を張りあげた。
「ヴェヘイム公爵家のフェルメス様、ベリィ男爵家のオーグ様、ご来場です」
会場に満ちたざわめきが、一気に跳ね上がる。
おそらくは、フェルメスらと顔をあわせた人間はごく限られているのだろう。人々の大半は、好奇心に瞳をきらめかせているように感じられた。
「ふん、もったいぶりおって。ようやくの登場か」
ゲオル=ザザが、低くひそめた声で言い捨てる。
そうして扉の向こうから、その両名が姿を現すと――社交辞令でない歓声が巻き起こった。
しかし、オーグの姿を見て驚嘆した人間はいないだろう。オーグはまるで平民のように、ごく質素な姿をしていた。茶色を基調にしたつつましい姿であり、腰にはトンカチのようなものを下げている。それに、もしゃもしゃとしたつけ髭をつけていたために、まるでジャガルの民みたいな扮装であった。
だから人々は、フェルメスの姿に歓声をあげていたのだ。
それは、驚嘆に値する姿であった。
纏っているのは、死神のごとき漆黒の長マントだ。
そのマントの下の装束も黒ずくめで、銀で統一された飾り物をたくさんぶら下げている。特に目をひくのは、人間の拳ぐらいの大きさをした、頭蓋骨の飾り物である。銀色に輝く髑髏の眼窩には、右側に赤い宝石が、左側に青い宝石が埋め込まれており、それが生あるもののように妖しくきらめいていた。
が、首から下の装束など、多くの人々は気に止めていなかったのかもしれない。
俺が視線を奪われたのも、まずはフェルメスの顔貌であった。
フェルメスは、巨大な黒い鳥のかぶりものをしていた。
額の上に鋭いくちばしがにゅうっとのびており、こめかみのあたりに金色の瞳が爛々と輝いている。よく見ると、その巨大カラスのごとき頭部はマントとひとつながりになっており、マントは黒い羽毛のようなものでこしらえられているようだった。
しかし、そういった扮装すら、実は二の次であったのだ。
俺が驚嘆させられたのは、黒いくちばしの下に存在するフェルメスの顔そのものであった。
女性と見まごう、美しい顔である。
その顔が、さらに美しく化粧されていたのだ。
眉の下は淡い紫色で塗られており、目の周りには銀粉が散らされている。形のいい唇は、ほとんど黒に近いぐらいの藍色に彩られて、妖艶なる微笑みをたたえていた。
妖艶――そう、妖艶であるのだ。
普段は無垢なる乙女を思わせるフェルメスの美貌が、妖艶なる魔女のように様変わりしている。
かぶりものからもたらされる陰影までもが、フェルメスの美貌を妖しく演出しているかのようだった。
「あれは……冥神ギリ=グゥの扮装です」
かすかに震える声で、レイリスがそのように述べていた。
「なんとお美しい姿でしょう。でも……あの御方は、男性であられるのですよね?」
「そのはずです」と答える俺の声も、不本意ながら、わずかにかすれてしまっていた。
それほどに、フェルメスの姿は人の心を震わせてやまなかったのだ。
ただ美しいというだけではない。フェルメスは、それこそ人ならぬもののような雰囲気を発散させていた。
まるでそのほっそりとした身体からたちのぼった黒いオーラが、陽炎のように空間をゆらめかせているかのようである。
これが常なる人間と同じように、ものを食べ、汗をかき、笑ったり泣いたりするものであるのか――そんなことさえ疑わしくなりそうなぐらい、彼は不可思議な存在に見えた。
そんなフェルメスのかたわらには、やはり漆黒の姿をした騎士が付き従っている。
従者の、ジェムドである。彼は闇を凝り固めたかのような漆黒の甲冑を纏っており、妖艶なる主人にぴったりと付き添っていた。
人々の視線を一身に集めながら、フェルメスらは広間の奥へと歩を進めていく。
そこで待ち受けているのは、ジェノス侯爵家の人々だ。
フェルメスがその卓の前で足を止めると、マルスタインは我に返った様子で微笑んだ。
「よくぞいらした、フェルメス殿。……いや、実に見事な宴衣装であるな。誰もが魂を抜かれてしまったかのようだ」
「……それこそ、冥神ギリ=グゥの本懐でありましょう……抜かれた魂は、冥神の手によって然るべき場所にご案内いたします……」
ぞくりと背筋の寒くなるような、不吉なる声音であった。
が――次の瞬間、フェルメスはにこりと微笑んだ。
「わざわざ王都から持ち込んだ甲斐もあったというものです。この冥神の扮装は、僕のとっておきなのですよ」
あちらこちらで、安堵の息がつかれる気配がした。
妖艶なる化粧はそのままに、フェルメスが人間らしさを取り戻したのだ。
だが、絶世の美貌であることに変わりはない。正気を取り戻した貴婦人がたは、いまさらのように感嘆の息をついているようだった。
「それでは、歓迎の祝宴を始めるとしよう。皆、酒杯を手に取ってもらいたい」
マルスタインの言葉に、人々が酒杯を取り上げる。俺たちの卓にも、いつの間にやら果実酒の酒杯が準備されていたので、ダリ=サウティやゲオル=ザザらはそれを取り、酒をたしなまない人間はアロウ茶の杯を取った。
ついに、祝宴が始まるのだ。
いったいどのような一夜になるのかと、俺はわずかに鼓動が速くなるのを感じていた。