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異世界料理道  作者: EDA
第四十章 運命の使者
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仮面舞踏会①~扮装~

2019.1/3 更新分 1/1 ・4/13 一部文章を修正しました。

 それから、7日の日が過ぎて――黒の月の13日である。

 その日が、ジェノス侯爵マルスタインから提示された、仮面舞踏会の当日であった。


 仮面舞踏会の開催が決定されたのは、俺とヴァルカスが魚料理を提供した親睦の会食、黒の月の3日であるから、それなりに日は空いていることになる。これはすなわち、森辺の民の宴衣装を準備するのに必要であった期日であった。


 むろん仕立て屋の人々にしてみれば、もっと期日にゆとりを欲していたことであろう。何せ彼らは、9名分にも及ぶ宴衣装をこしらえなければならなかったのだ。

 ポルアースの言によると、通常ではそれだけの期日で9名分の宴衣装をこしらえるのは難しかったらしい。しかし、フェルメスは1日も早い開催を望んでいたし、王都の人々を歓迎する祝宴をあまり先延ばしにすることもできなかった。それで苦肉の策として、もともとダレイム伯爵家に存在したお古の宴衣装を、森辺の民のために仕立てなおすことに取り決められたのだった。


「以前にも話したかもしれないけれど、僕の母上は着道楽で、宴衣装を準備することを何よりの楽しみにしているのだよ。それも、自分ではなく他者の衣装を手がけることが一番の楽しみだというのだから、変わったお人だよね」


 ポルアースは、そのように述べていた。


「ダレイム伯爵家には宴衣装もありあまっているから、それをあれこれ仕立てなおそうという心づもりであるらしいね。ただまあ、我々の血筋には大柄な人間が少ないので、ガズラン=ルティム殿みたいに立派な体格をした御仁の衣装は、別の家から調達するのかな。……何にせよ、僕の母上が責任をもって準備してみせるとはりきっていたから、まかせておいておくれよ」


 そんなわけで、森辺の民はまたしても、無料で宴衣装を借り受けることになったわけである。

 こちらの側の手間としては、衣装のサイズを合わせるために採寸を求められたぐらいであった。前回は宿場町に下りているメンバーだけが採寸されて、狩人たる男衆らは当日に現場でこまかい仕立てをしていたのだが、このたびはわざわざ仕立て屋が森辺の集落まで派遣されることになったのだ。


 何せ今回は仮面舞踏会であるために、前回よりも凝った衣装が準備されているらしい。俺がポルアースに確認したところ、やっぱりそれは仮装パーティーのような催しであるらしく、参席者は神々や妖精やおとぎ話の登場人物などの衣装に扮して、祝宴を楽しむのだそうだ。


「どのような衣装になるかは、当日のお楽しみだね。森辺の民の誇りを汚すような衣装には決してならないだろうから、安心して参席しておくれよ」


 俺たちとしては、ポルアースの言葉とその母上たるリッティアのセンスを信じる他なかった。

 しかしそもそも城下町の宴衣装に関心を寄せる人間は皆無に等しかったので、いったいどのような格好をさせられるのだろうという淡い不安感を胸に、俺たちは城下町へと向かうことになったわけであった。


                      ◇


「あのフェルメスという貴族などは、さぞかし華美な宴衣装に身を包むのだろうな」


 城門で乗り換えたトトス車の中で、そのように発言したのはゲオル=ザザであった。本日も、彼が族長の代理として参席することになったのだ。


「ゲオル=ザザも、視察の際にフェルメスと顔をあわせたんですか?」


 俺が尋ねると、ゲオル=ザザは「当然だ」と言い捨てた。この7日間で、フェルメスはザザとサウティに連なる氏族の家の視察も完了させていたのである。


「族長グラフから話は聞いていたが、あそこまで女めいた面がまえだとは思っていなかった。あやつが森辺に生まれていたら、お前と同じようにかまど番を果たすしかなかったろうな」


 すると、俺の隣に座していたアイ=ファが、とげのある視線をゲオル=ザザに差し向けた。


「アスタは確かに優しげな風貌をしているが、あそこまで女めいてはおらん。それに、かまど番を下に見るような言葉も気障りだ」


「何だ、機嫌が悪そうだな、アイ=ファよ。俺がいまさら、かまど番を下に見るとでも思うのか?」


「思っていないのなら、口をつつしめ。それに、王都の貴族を悪し様に言うのも控えるべきであろう」


「同胞しかいないのに口をつつしむ必要はなかろう。心配せずとも、貴族と諍いを起こしたりはせんさ」


 あまりご機嫌の麗しくないアイ=ファに対して、ゲオル=ザザはなかなかに上機嫌の様子であった。それはおそらく、彼の隣で困ったように微笑んでいるトゥール=ディンの存在ゆえであるのだろう。オディフィアの要望を受諾したトゥール=ディンは、ゲオル=ザザのパートナーとして参席することになったのである。


(まあ、単に血族ってだけで、深い意味はないんだろうけどな。前回に参席したダルム=ルウとシーラ=ルウだって、当時は婚儀の約束を交わしていたわけでもないんだし)


 なおかつ、前回ゲオル=ザザとともに参席したスフィラ=ザザは、その後にレイリスとひとかたならぬ騒ぎを起こすことになってしまったため、今回は辞退することになった。その空席に、トゥール=ディンが収まる段に至ったわけである。


 他の顔ぶれは、ルウ家からシン=ルウとララ=ルウ、サウティ家からダリ=サウティとミル・フェイ=サウティ、ファの家から俺とアイ=ファ、そしてルティム家からガズラン=ルティム。これにゲオル=ザザとトゥール=ディンを含めて、総勢9名であった。


「……ガズラン=ルティムも、本当は家で家族と過ごしたかったんじゃないですか?」


 俺がそのように呼びかけると、ガズラン=ルティムはいつもの穏やかな表情で「いえ」と首を振った。


「森辺の民にとっては、これも大事な行いであるのでしょう。もちろん、家族と過ごしたいという気持ちはいつでも抱えていますが……家族のためにも、自分の仕事を果たしたく思います」


 さすがガズラン=ルティムに、物怖じしている気配はなかった。

 これが2度目の参席となるサウティの家長夫妻も落ち着いたものであるし、シン=ルウの様子にも変わったところはない。ただひとり、アイ=ファ以上に張り詰めた面持ちをしているのは、ララ=ルウであった。


 しかしララ=ルウは、仮面舞踏会そのものではなく、その中で余興として剣技の試し合いを行わなくてはならないシン=ルウの心配をしているのだろう。それが明白であるためか、シン=ルウもたびたびララ=ルウへと声をかけていた。


「何も案ずる必要はないぞ、ララ=ルウ。何名もの人間と試し合いをした闘技会でも、俺は傷ひとつ負うことはなかったろう?」


「うん、わかってる。町の人間なんて、シン=ルウの相手じゃないからね」


 そんな風に答えながら、ララ=ルウは苛々と身を揺すっている。シン=ルウはほんの少しだけ眉を下げながら、そんなララ=ルウの姿をじっと見やっていた。


 そうして各人の思いを乗せたトトス車は、やがて停止する。

 本日の仮面舞踏会の会場、その名も《紅鳥宮》に到着したのだ。


 トトス車から降りた俺たちは、横並びでその立派な建造物を見上げることになった。

 茶会の会場としてたびたび使われている《白鳥宮》よりも、遥かに規模の大きな宮殿である。その外壁は赤褐色の煉瓦で造られており、入り口の扉には真紅と黄金の翼を持つ不死鳥のごとき鳥の紋様が彫りつけられていた。


「お待ちしておりました、森辺の皆様方。こちらにお進みください」


 小姓の案内で、建物の中に導かれる。天井の高い回廊の先に待ちかまえていたのは、予想通りの浴堂であった。

 男女で別れて、それぞれの控えの間に案内される。この後は宴衣装への着替えが完了するまで合流できないことがわかっていたため、アイ=ファはシン=ルウに「アスタを頼む」とこっそり告げていた。


 ヨモギのような香りのする蒸気で身を清めて、控えの間に戻ってみると、そこには前回の舞踏会のときと同じように、前合わせのガウンのごとき装束が準備されていた。

 それを纏って、裏の回廊から二階へと案内される。やがて到着した着替えの間で俺たちを待ち受けていたのは、前回もお世話になった初老の仕立て屋とその助手たちであった。


「おひさしぶりでございます、森辺の方々。本日もリッティア様のご用命により、わたくしが着付けをお手伝いさせていただきます」


「うむ。よろしくお願いする」


 一同を代表して、ダリ=サウティが挨拶をする。この御仁と再会するのは、およそ8ヶ月ぶりのはずだった。

 前回よりも大人数の助手たちが、てきぱきと俺たちに宴衣装を着せていく。今回は全員が採寸を済ませていたので、調整の必要などはほとんどなく、すべてが流れるように進行されていた。


「そういえば、ルウ家のかまど番たちは先に到着しているのだったな?」


「あ、はい。中天を少し過ぎたぐらいの時間には、もう城下町に向かっていましたよ」


 着付けの最中にダリ=サウティが呼びかけてきたので、俺はそのように答えてみせた。

 本日は、ルウの血族のかまど番たちが、宴料理を準備するお役目を担うことになったのだ。よって、ルウ家は本日屋台の商売を休業とし、俺たちは普段よりも5割増しの料理を準備して商売に励むことになったのである。


 なおかつ、明日はもともとの休業日であるために、俺もレイナ=ルウたちも憂いなく自分の仕事を果たすことができる。いまごろレイナ=ルウたちはこの宮殿の厨にて、100名以上にも及ぶ参席者のために料理をこしらえているはずだった。


「ルウ家のかまど番たちは、魚料理ではなくギバ料理を準備するのだという話だったな?」


「はい。ひと品かふた品ぐらいは、魚介を使った料理に挑戦したいと言っていましたけれどね。基本的に、魚料理はヴァルカスが受け持ってくれるはずです」


「そうか。何にせよ、ギバ料理を口にできるのはありがたいことだ」


 俺にとっては、レイナ=ルウたちのギバ料理もヴァルカスたちの魚料理も、等しくありがたい存在であった。


(こんなに立て続けで、ヴァルカスの料理を口にできる機会はないからな。フェルメスの偏食に感謝するべきなんだろうか)


 言うまでもなく、ヴァルカスはフェルメスを喜ばせるために、本日の調理を任されることになったのである。ヴァルカスと、レイナ=ルウたちと、あとは他にも城下町の料理人が何名か招集されているはずだった。


「では、最後にこちらをおかぶりください」


 と、俺の着付けを担当していた人物が、奇妙なものを手渡してきた。

 真っ黒で、半円の形をした、大きな帽子のようである。しかしそれは黒々と鈍く照り輝いており、まるで鉄鍋をひっくり返したような形状と質感をしていた。


 受け取ってみると、もちろん鉄鍋のように重くはない。帽子の表面には布が張りつけられており、それがわずかに光沢のある金属のような色彩に染色されているのだ。


「内側に、結び紐がございます。それを顎の下に通して、お結びください」


 その人物の言葉に従って、俺は鉄鍋のごとき帽子を着用した。

 ちなみに首から下については、それほど珍妙な姿ではない。焦げ茶色の胴衣とぶかぶかの白い脚衣の上に、ふわりとした素材の赤いベストを羽織った格好で、かなり上質の生地ではあるのであろうが、まったく華美なことはなかった。


「あの、これはどういった趣向の宴衣装であるのでしょうか?」


「そちらは火神ヴァイラスの使いである精霊を模した装束となっております」


「なるほど」と、俺は納得した。火神ヴァイラスは、同じく火神であるセルヴァから授かった火を人間の世界に届ける神であり、ファの家のかまど小屋にも木彫りの彫像が飾られている。あの彫像は鍋からちょこんと顔を覗かせているユーモラスな姿であったが、その精霊は頭に鍋をかぶっている、ということなのだろう。


(まあ、かまど番の俺には相応しい格好だな)


 しかし、森辺の狩人たちがこのような格好をさせられたら、さぞかし滑稽な姿になってしまうことだろう。俺はいくぶんの懸念を抱きながら、横合いで着付けを進められている同胞たちに目をやったが――俺の心配は、完全に杞憂であったようだった。


「ふむ。闘技会のときのように邪魔くさい甲冑を纏わされるかと思ったが、こいつは布作りの偽物か」


 そのように述べていたのは、ゲオル=ザザであった。

 彼はまさしく闘技会での姿を思い起こさせる、甲冑姿であったのだ。それも全身が黒ずくめで、妙に鋭角的な装飾のほどこされた、名のある将軍のごとき武者姿であった。床までつきそうな長いマントも漆黒で、裏地だけが血のように赤く、腰には長剣まで下げられている。


「では、最後にこちらをおかぶりください」


 俺のときと同じ台詞とともに、実に立派な兜が手渡される。

 彼はふだん、ギバの頭部の毛皮をかぶっていたが、まるでそれをアレンジしたかのようなデザインだ。しかし、モチーフとされているのはギバではなく、鋭い角と牙を持つドラゴンであるようだった。


「こちらは竜王の配下である竜騎士の装束でございます。……実によくお似合いでございますよ」


 そのように述べる助手のひとりは、いくぶん腰が引けているように見えた。似合いすぎて、迫力がものすごいのだ。戦場でこのような相手と出くわしたら、剣を交える前に逃げだしたくなるような姿であった。


 それにしても、俺の鉄鍋帽子と同様に、金属の質感の再現度が素晴らしかった。おそらくは木作りの骨組みに布を張ったハリボテなのであろうが、ちょっと遠目に見る分には本物の甲冑としか思えないぐらいであった。


「ほう。ガズラン=ルティムも、俺と同じような格好だな」


 ゲオル=ザザの視線を追いかけると、そこには光り輝くような騎士の姿があった。

 確かにこちらも甲冑姿であったが、基本の色彩が純白であったのだ。兜もドラゴンなどを模してはおらず、頭頂には真紅の房飾りがたなびいている。鎧の胸もとには獅子が牙を剥いた紋章が緋色で描かれており、王国の騎士そのものの姿であった。


「ふふん。このような格好で向かい合っていると、思わず剣技を比べ合いたくなってしまうな、ガズラン=ルティムよ?」


「ええ。しかし、この偽物の刀では、ひとたび打ち合わせただけで真っ二つにへし折れてしまうでしょうね」


 額に上げた面頬の下で、ガズラン=ルティムはゆったりと微笑んでいる。とても穏やかな気性であるが、顔立ちは精悍なガズラン=ルティムであるのだ。白い甲冑に褐色の肌が映えて、ほれぼれとするような武者姿であった。


「何だ、このような面を着けさせられたのは、俺だけか」


 と、別の方向からダリ=サウティの声があがる。そちらを振り返った俺は、また別なる驚きにとらわれることになった。

 ダリ=サウティは、まるで王族のごとき立派な装束をあてがわれていたのである。頭には宝冠をかぶせられ、長いマントには白い毛皮の縁取りがされている。その合わせ目から覗くのは、銀色の糸で刺繍のされた緋色の長衣で、腰の帯は七色に輝いていた。


 そして本人の言う通り、その顔に仮面が装着させられている。

 俺のよく知る仮面舞踏会でお馴染みの、目もとだけを隠すマスクである。


「仮面がお邪魔でしたら、紐の長さを調節して、お首のほうに下げていただけますが、如何いたしましょうか?」


「うむ。できれば、そのように願いたい」


「承知いたしました。……お顔の隠れない装束を召されるときは仮面を準備するのが作法となりますので、ご了承ください」


 長身のダリ=サウティが膝を折ると、仕立て屋の助手が仮面の紐を調節した。

 それで仮面は、首飾りのように胸もとへと垂らされる。そうして素顔が露出すると、ダリ=サウティはいっそう威厳のある姿に見えた。


「すごいですね。まるで本物の貴族みたいですよ」


 俺がそのように述べたてると、ダリ=サウティは嬉しくもなさそうに頭をかいていた。


「冗談はよせ。ジェノス侯爵や王都の貴族たちでも、ここまで仰々しい格好はしておらんぞ」


「でも、ダリ=サウティは貫禄がありますからね。本当にお似合いです」


 しかしまあ、森辺の狩人がそのような言葉で喜ぶわけはないので、俺も賞賛の言葉はそのていどにしておいた。


 それで最後に残されたのはシン=ルウであったが、こちらはガズラン=ルティムとまったく同じデザインをした純白の甲冑であった。

 以前に茶会で着させられた武官のお仕着せと同様に、その格好はシン=ルウの凛々しさを際立たせていた。ララ=ルウをパートナーとして同伴させていなかったら、また数多くの貴婦人たちが胸をかき乱されたことだろう。


「……俺はこの格好で、剣技の試し合いに臨むことになるのだろうか?」


 シン=ルウがそのように問い質すと、仕立て屋の主人が「とんでもない」と目を丸くした。


「そのお姿で激しく動かれたら、あちこちの糸がすぐにちぎれてしまいます。試技の際には、本物の甲冑が準備されるのでございましょう」


「そうか。ならばいいのだ」


「それでは、向かいの部屋が控えの間となっておりますので、そちらでおくつろぎください。お連れの方々も、間もなく着付けを終えるはずですので」


 隅っこにたたずんでいた小姓が、回廊をはさんだ場所にある控えの間に、俺たちを導いてくれた。小姓は自分の感情を押し隠すものであるが、その目はガズラン=ルティムやシン=ルウの勇姿にうっとりとしているように感じられた。


「しかし、くつろげと言われても、この格好ではな。腰を下ろすのも難儀なようだぞ」


「しかたあるまい。これが、城下町の流儀であるのだ。……しかしこれなら、前回の舞踏会のほうが、まだしも気楽な格好であったな」


 ゲオル=ザザとダリ=サウティは、それほど深刻でない様子で文句を言い合っていた。とりわけゲオル=ザザのほうは、この状況を面白がっているように見えなくもない。もしかしたら、トゥール=ディンとともに祝宴へとおもむける喜びが、窮屈な格好に対する不満感を上回っているのかもしれなかった。


 小姓が茶の準備をしてくれたので、それをすすりながら、女衆の到着を待つ。

 およそ四半刻ていどが経過したところで、ようやく扉はノックされた。


「失礼いたします。お連れ様の着付けが終了いたしました」


「おや」と思って振り返ると、扉を開けたのはダレイム伯爵家の侍女たるシェイラであった。俺と目が合うと、シェイラはにこりと微笑んでお辞儀をする。

 そうしてシェイラが脇に退くと、宴衣装に身を包んだ女衆が続々と入室してきた。


 トップバッターは、ミル・フェイ=サウティである。

 彼女もまた、王族のごとき立派な装束を身に纏っていた。上半身はぴったりとしていて、スカートはふわりとひろがった、城下町ではスタンダードな装束であるが、前回よりも豪奢な作りだ。ダリ=サウティと似たデザインの立派なマントを羽織っているし、胸もとや腕には銀色の飾り物が輝いている。そして、彼女も首から仮面を下げていた。


 その次に現れたのは、ララ=ルウであった。

 こちらも、見事な宴衣装である。なおかつ、普段はポニーテールにしている真っ赤な髪をほどいて、そこにも銀色の髪飾りをつけているために、いっそう見違えている。ドレスも赤を主体にしているため、鮮烈さはミル・フェイ=サウティ以上であった。


 ただ一点、城下町のドレスというのは非常に襟ぐりが開いていて、目のやり場に困るぐらい胸もとも露出させられてしまうものであるのだが――ララ=ルウのドレスは、胸もとで炎のように過剰なフリルが波打っていた。ここだけの話、彼女はふたりの姉たちほど発育に恵まれていなかったので、それを補うためのデザインであるのかもしれなかった。


 ただし、発育というのは女性らしい隆起に関する面においてのみである。ララ=ルウはレイナ=ルウよりも背が高く、とてもしなやかなすらりとしたスタイルをしているのだ。

 腰から下はふわふわとしたスカートであるので、スレンダーな上半身がいっそう際立っている。そして、襟ぐりから覗く綺麗な鎖骨や、細くてもまったく弱々しげなところのない首から肩へのラインが、とても優美である。表情はぶすっとしているものの、ララ=ルウはお姫様みたいに豪奢かつ可愛らしかった。


 そして、ララ=ルウの影のように、トゥール=ディンがちょこちょこと入室してくる。

 影のように見えたのは、トゥール=ディンが黒ずくめの格好をしているためであった。


 しかし、黒ずくめであっても、地味なことはまったくない。ワンピースのドレスは上から下までふわふわとしたフリルに包まれており、こめかみには大きな黒い花飾りがつけられている。それに、ノースリーブで剥き出しの腕にもあちこちフリルやリボンの飾りが巻きつけられており、足の先を包んだ黒い毛皮のサンダルにも、同じような装飾がほどこされていた。


 そして特筆すべきは、その背中である。

 トゥール=ディンは、背中に大きな羽を背負っていた。

 玉虫色に輝く、蝶のごとき羽である。その装飾のおかげで、それが何らかの妖精をモチーフにしていることが容易に推測できた。


「おお、なんと愉快な格好をしておるのだ! まるで羽虫が人間の姿をとったかのようだな!」


 ゲオル=ザザが笑い声をあげると、そちらを振り向いたトゥール=ディンがびっくりしたように目を見開いた。


「ゲ、ゲオル=ザザは、とても勇壮なお姿ですね。重くはないのですか?」


「これは、偽物の甲冑だからな! トゥール=ディンとて、その羽で飛ぶことはできまい?」


 そんな両者のやりとりを聞きながら、俺は必死に自制していた。

 言うまでもなく、トゥール=ディンのすぐ後にはアイ=ファが入室していたためである。

 以前の宴衣装でも、俺は心を奪われることになった。しかし、本日の宴衣装は――それ以上の驚嘆を、俺にもたらしていたのだった。


 アイ=ファもまた、純白の甲冑に身を纏っている。

 しかしそれは、単なる甲冑ではなかった。明らかに、女性のためにデザインされた甲冑であるのだ。

 およそ実用的とは言えないデザインであり、普通の宴衣装に負けないぐらい、襟ぐりが開いている。また、上腕も太ももも剥き出しで、ただ手足の先を白い篭手やブーツで隠されているていどであるのだ。


 しかし、実用的でない分、装飾的には素晴らしいデザインであった。

 鎧にも篭手にもブーツにも、きわめて精緻な装飾がほどこされている。肩あてからは純白のマントが足もとまで流れ落ち、腰に下げた長剣の鞘には色とりどりの宝石が輝いていた。


 いちおう兜らしきものもかぶってはいるのだが、それもまったく実用性に乏しく、見ようによっては宝冠であるように思えてしまう。こめかみのあたりには翼のような飾りがそそりたち、額のあたりには真紅の宝石が埋め込まれていた。

 その宝冠めいた兜から、長い金褐色の髪が自然に垂らされている。そのきらめきが、いっそうアイ=ファを彩っているのだ。


 そして、大きく開いた胸もとには、青い宝石の首飾りが輝いていた。

 前回と同様に、俺の贈った首飾りが、銀色の鎖や飾り紐で装飾されているのである。


 アイ=ファはこの上もなく凛々しくて、そして美しかった。

 本当に、神話やおとぎ話から飛び出してきたかのような姿である。

 アイ=ファ以外の、誰にこのような装束を着こなせるというのか。それはまるで、アイ=ファのためだけに仕立てあげられた甲冑のように思えてならなかった。


「衣装の仕立ては、如何でございましたでしょうか?」


 と、いつの間にやら入室していた仕立て屋の主人が、にこやかな面持ちでそのように述べたてた。

 一同は、ダリ=サウティのほうに目を向ける。やはり、こういった場で返事をするのは、族長の役目であるのだろう。


「うむ。以前にも述べた通り、俺たちには宴衣装の善し悪しを判ずることも難しいのだが……やはり仮面舞踏会というものでは、ずいぶんと奇異なる装束が準備されるものであるのだな」


「はい。このたびは、『姫騎士ゼリアと七首の竜』の物語を模した装束とさせていただきました」


 主人の言葉に、ダリ=サウティは小首を傾げる。


「まったく耳に馴染みがないのだが、それは町に伝わる伝承か何かなのだろうか?」


「伝承というよりは、おとぎ話に類するものでございますね。セルヴァのとある領地の姫であるゼリアが、王国に災いをもたらす七首の竜を討伐する、という物語でございます」


 そのように述べながら、主人はアイ=ファのほうに手を差し伸べた。


「そちらの御方が、姫騎士ゼリア。それに、ゼリアに付き従う2名の若き騎士。ゼリアの両親である領主とその伴侶。悪しき竜王にさらわれる近隣の領地の姫君。ゼリアの窮地を救う火神ヴァイラスの精霊。そして、竜王の配下である竜騎士と黒妖精。……以上が、装束の内容でございます」


「ほお。俺とトゥール=ディンは、敵方の役割であるのだな」


 ゲオル=ザザが愉快そうに言うと、主人は「はい」とうなずいた。


「仮面舞踏会においては、悪鬼や魔物などの装束も好まれております。古き時代には邪気を払うために、あえて魔物の姿を模する祝宴が開かれていたと聞き及びますので……そういった習わしが、時を経てなお継がれていったのでしょう」


「ふふん。まあ、俺たちは道を踏み外したスン家の血族であったからな。敵方の役割を担うのが相応なのだろうさ」


 そのように述べながら、ゲオル=ザザはまったく気分を害した様子ではなかった。森辺の外に伝わるおとぎ話の内容など知ったことではない、という心境なのだろう。あとはやっぱり、トゥール=ディンとペアであったのが嬉しかったのかもしれない。


「七首の竜たる竜王の装束も準備するべきかと迷いましたが、あれは7人ひと組で扮するのが習わしでありましたため、このたびは控えることにいたしました。お気に召しましたら幸いでございます」


「うむ、まあ、立派な装束ではあるのだろうと思う。色々と手間をかけさせてしまい、感謝している」


「とんでもございません。森辺の方々は殿方もご婦人方も立派なお姿をされておりますので、仕立て屋としては腕のふるい甲斐もあろうというものでございます」


 そんな言葉を残して、仕立て屋の主人は退室していった。

 シェイラと小姓も「お時間までおくつろぎください」と姿を消したので、しばし歓談タイムである。アイ=ファは溜息をこらえているような面持ちで、俺のほうに近づいてきてくれた。


「アスタはずいぶんと、気楽な装束を与えられたのだな。とても羨ましく思うぞ」


「いやあ、アイ=ファはものすごく似合ってるよ。しかも、おとぎ話の主人公なんて、すごいじゃないか」


「……族長筋の人間を差し置いて、そのような役目を負うのは不相応であると言いたてたのだがな。そういった格式は関係ないのだと、あっさりはねのけられてしまったのだ」


 アイ=ファは、とても不機嫌そうな様子であった。前回にも増して、窮屈な格好であると嘆いているのだろう。

 しかし、俺としては自制するのにひと苦労であった。ともすれば、うっとりと見とれて返事をするのも忘れてしまいそうになる。「見とれる」というのはこういう状態であるのだぞ、とアイ=ファに言ってやりたいほどであった。


「ダリ=サウティらが私の親であるというのも、おかしな心地だ。あのふたりの子が私のような偏屈者に育つことはあるまい。年齢とて、十も離れてはいないのだしな」


「まあ、こまかいことはいいじゃないか。俺はどうやらアイ=ファを助ける精霊って役目らしいし、大満足だよ」


 姫騎士の姿で腕を組んだアイ=ファは、うろんげに俺の鉄鍋帽子を見上げた。


「火神ヴァイラスというのは、アスタが宿場町で買いつけた彫像の神であったな。では、その頭にかぶっているのは、鉄鍋ということか」


「うん。こうしたら、ヴァイラスの眷族っぽいかな?」


 俺はかまど小屋にある彫像のことを思い浮かべながら、じっとりとした目つきでアイ=ファをねめつけてみせた。鉄鍋から顔を覗かせた火神ヴァイラスは、そういう悪戯小僧のような目つきをしていたのだ。

 アイ=ファは自分の口もとを隠しながら、指先で俺の鼻を弾いてきた。思いの外にツボを押してしまったらしく、必死に笑いをこらえている様子である。


「やめんか、馬鹿者め。余人の目があるだろうが」


 どうやらアイ=ファは、物真似の類いに弱いらしい。トトスの声真似やヴァイラスの顔真似でアイ=ファを笑わせることができるなら、ありがたい話であった。


(どうもアイ=ファは、いまだにフェルメスのことが気に食わないみたいだしな。ちょっとは楽しい気分で祝宴に臨んでもらいたいもんだ)


 ともあれ、仮面舞踏会の開始はもう間近であろう。

 貴族の方々はいったいどのような姿で祝宴の場に現れるのか。ヴァルカスやレイナ=ルウたちの料理とともに、それを心待ちにさせていただくことにした。

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