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異世界料理道  作者: EDA
第四十章 運命の使者
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森辺の視察①~来訪~

2018.12/31 更新分 1/1

・今回の更新は、全9話です。

 城下町で行われた親睦の会食から、2日後――黒の月の5日である。

 下ごしらえの仕事を済ませた俺たちがルウの集落までおもむくと、そこにはすでにちょっとした騒ぎが巻き起こっていた。


 王都の外交官フェルメスが、視察におもむいてきたのだ。

 もちろん前日にはその旨が伝えられていたが、だからといって驚きや緊張感をすべて打ち消せるはずもなかった。


 まず集落の入り口には、それなりの数のトトス車と、それに乗ってきた衛兵たちの姿が見受けられた。

 リフレイアが祝宴に参席したときと、同じような光景である。たとえ森辺の民のことを信用していたとしても、外部の無法者から襲撃される危険性を考慮しないわけにはいかないのだ。その場には、30名にも及ぼうかという衛兵たちがずらりと立ち並んでいた。


 それらの衛兵に見守られながら、集落の内に足を踏み入れると、本家の家屋の前に人だかりができている。俺とユン=スドラがそれぞれの荷車を引きながら近づいていくと、人垣が分かれてフェルメスたちの姿が見えた。


「ああ、アスタ。2日ぶりとなりますね。ご壮健のようで、何よりです」


 秀麗にして可憐なる少女のごとき風貌をしたフェルメスが、にこりと微笑みかけてくる。その左右をはさんでいるのは、従者の武官ジェムドとメルフリードの両名であった。

 その両名はいかにも頑健なる体格をしているので、フェルメスはいっそうほっそりと見えてしまう。そして、立った状態で向かい合うのはこれが初めてのことであったが、やはりフェルメスは俺よりも何センチか小柄であるようだった。


 フェルメスは、以前にも纏っていた淡灰色の長衣の上に、質のよさそうな外套を羽織っている。しかし、フードは背中にはねのけられていたので、明るい日の下にその美麗なる面が惜しげもなくさらされていた。


 集落の人々がこれほどまでにざわめいているのは、やはりフェルメスが尋常ならざる美貌を有しているためであるのだろう。これでフェルメスが女性であれば、ここまでの驚きをかきたてられることもなかったのかもしれないが、彼はれっきとした男性であるのだ。ただでさえ武骨な男衆に見慣れている森辺の人々では、その驚きもひとしおなのだろうと思われた。


「僕たちも、ついさきほど到着したところなのですよ。いま、森辺の習わしに則って、刀を預けたところですね」


 そんな風に述べるフェルメスらの向かいには、3本の長剣を抱えたミーア・レイ母さんの姿が見えた。フェルメスに刀を扱えるとは思えないので、そのうちの2本はメルフリードのものであるのだろう。彼は二刀流の使い手であるのだ。


「歓迎いたしますよ、貴族の方々。族長ドンダはすぐにやってくるんで、少々お待ちくださいね」


 ミーア・レイ母さんはさすがの貫禄で、物怖じした様子もなく微笑んでいた。その両脇に控えているのは、刀を下げたジザ=ルウとルド=ルウである。

 さして待つこともなく背後の戸板が開かれると、そこからドンダ=ルウおよびララ=ルウの姿が現れる。ドンダ=ルウは中天近くまで眠っていることが多いので、ララ=ルウが起こしにいったのだろう。


「待たせたな。思うぞんぶん、視察というものを果たしてもらおう」


「はい。僕は森辺の民の普段通りの様子を拝見したいと思っていますので、どうぞお気遣いなく。……ですから、族長ドンダ=ルウの眠りを邪魔するにも及ばない、と申し上げたのですけれどね」


「……王の代理人と領主の代理人が出向いてきているのに、俺が眠りこけているわけにもいくまい」


 たとえ寝起きであろうとも、ドンダ=ルウが寝ぼけた姿を見せることはない。その双眸には、いつも通りの強烈な眼光が宿されていた。


「……補佐官とやらは、同行していないのか?」


「はい。オーグ殿には、城下町の視察をお願いしています。ときには行動を別にしたほうが、効率的であるでしょうからね」


 フェルメスはいくぶん首を傾げながら、ふわりと口もとをほころばせる。その、茶色と緑色が複雑にからみあったヘーゼルアイは夢見るようにきらめいて、周囲にたたずむ分家の女衆らに感嘆の息をこぼさせた。


 ジザ=ルウやルド=ルウは、このフェルメスを眼前に迎えて、いったいどのような感慨を抱いているのだろう。ジザ=ルウは糸のように細い目でじっとフェルメスを注視しており、ルド=ルウは焼きポイタンを咽喉に詰まらせたような面持ちになっている。

 そんな中、ドンダ=ルウは周囲の血族たちに鋭い視線を巡らせた。


「シン=ルウはいるか? いるなら、こちらに来い」


「承知した」という声があがり、シン=ルウが進み出る。そちらを振り返って、フェルメスは「ああ」と目を細めた。


「あなたがジェノスの闘技会で第一位の座を獲得したという、シン=ルウですか。いまだ17歳の若者であるとは聞いていましたが……これほど見目の麗しい若者だとは思っていませんでした」


「ふん。貴様が見目の麗しさを語るのか」


 重々しくつぶやきながら、ドンダ=ルウはシン=ルウを自分のかたわらに立たせた。


「昨日の話は、すでにシン=ルウにも伝えている。しかし、シン=ルウの腕を見たいのならば、いっそこの場で力比べをさせてみてはどうだ?」


 その話は、すでにすべての氏族に伝えられていた。近日中に開催される予定である仮面舞踏会において、シン=ルウはフェルメスの従者ジェムドと剣技の試し合いをするように申しつけられてしまったのである。

 フェルメスは優雅に微笑みながら、「いえ」と首を振った。


「それはあくまで、余興に過ぎません。シン=ルウには客人として舞踏会を楽しんでいただきつつ、余興で剣技を披露していただきたいのです」


「ふん。人が真剣に力を試し合う姿を、酒の肴にしようというのか」


「おや、あなたがた森辺の民も、祝宴の際に闘技の力比べなるものを行うという話ではありませんでしたか?」


 それはどうやら、親睦の会食の際に、ダリ=サウティあたりから聞きかじった知識であるようだった。

 ドンダ=ルウは、自分よりもふた回りは小さな外交官の姿を、じっとねめつけている。


「俺たちは母なる森に修練の成果を見せるために、力比べを行っているのだ。決して祝宴の余興で楽しんでいるわけではない」


「そうなのですか? 祝宴のさなかに力比べを楽しむというのは、それほど珍しい話ではないように思うのですが。森辺の民にそれを禁じる掟でも存在するならば、僕も考えなおしましょう」


 ドンダ=ルウは開きかけた口を、いったん閉ざした。森辺にそのような禁忌が存在しないことは、俺でも知っている。かつては祝宴のさなかに、《ギャムレイの一座》のロロやドガなどが、森辺の狩人に力比べを挑まれていたのである。あれなどは、まさしく祝宴の余興であるはずだった。


「何も深刻に考える必要はありません。両名が深い手傷を負ったりしないように取りはからいますし、どちらが勝利しても弱者とそしられることにはならないでしょう。族長グラフ=ザザも評してくださった通り、このジェムドはそれなりの手練であるのです」


「それぐらいのことは、俺にだってわかっている。……まあいい。こちらとしても、頑なに拒むつもりはない」


「はい。サトゥラス伯爵家のゲイマロスなる御仁が、かつて卑劣な手段で勝利を奪おうとした件は聞き及んでいます。僕はジェノスの方々と絆を深めるためにやってきたのですから、そのような真似は決してしないと誓約いたします」


 フェルメスとドンダ=ルウが語っている間、ジェムドとシン=ルウは静かにおたがいの姿を見やっていた。

 ジェムドというのは貴公子めいた風貌をした若者であり、いかにも鍛えぬかれていそうな長身の持ち主ではあったが、俺にはどれほどの力量であるのか、見当もつかなかった。それもそのはずで、他者の力量を測ることに長けたアイ=ファですら、「よくわからん」と述べていたのだ。


「確かに町の人間としては、卓越した力を持っているのだろうと思う。しかし、以前のダグやイフィウスといった連中のように、おかしな気配を纏っているわけではないし、カミュア=ヨシュやメルフリードほどの力を感じることもないのだ」


 しかしそれでいて、あやつを簡単に打ち倒すことはできないような気がしてしまう。――アイ=ファは、そのように述べていたのだった。


「……あくまでシン=ルウを祝宴の客人として招こうというのなら、俺の娘であるララ=ルウを同行させようと考えている」


 ドンダ=ルウがそのように述べたてると、シン=ルウとは反対の側に控えていたララ=ルウが、挑むような眼差しでフェルメスたちをにらみつけた。

 その眼光をさらりと受け流して、フェルメスは「ああ」と微笑む。


「その名は、聞き覚えがあります。たしか、ルウ本家の三女で……闘技会の祝宴にも参席されていた御方ですね」


「……そのような話まで聞き及んでいるのか」


「はい。森辺の民に関わる資料は、すべて拝見いたしました。ジェノス城の祝宴に参席した人間は、すべて名簿に名前が残されますので、そちらで目にしたのですよ」


 そう言って、フェルメスは白魚のごとき指先で亜麻色の髪をかきあげる。


「舞踏会の日取りも、もう間もなく決定されるかと思います。族長ドンダ=ルウは、参席されないのでしょうか?」


「ふん。族長の中からは、ダリ=サウティが参席することになるだろう。俺やグラフ=ザザなどが加わっても、城下町の民を脅かすだけであろうからな」


「そうですか。それは残念です」


 そうしてフェルメスは、すうっと俺のほうを振り返ってきた。


「ああ、アスタはこれから屋台の商売なのですよね。どうぞ僕にはかまわず、宿場町に……おや」


 と、途中で軽く目を見開いたのは、俺のかたわらに家長の姿を見出したゆえであるのだろう。


「ファの家長アイ=ファもご一緒でしたか。あなたも宿場町に同行されるのでしょうか?」


「いや。あなたがたがこの刻限にルウの集落を訪れると聞いていたので、挨拶に出向いてきたまでだ」


 それは虚言ではなかろうが、なるべく俺だけをフェルメスに会わせたくなかったという思いも大きかったのだろう。アイ=ファの目は、凛然とフェルメスの笑顔を見返していた。


「あなたがたはルウ家の視察を終えた後、ファの家にまでおもむいてくるのだな? 私も今日は、早めに仕事を切り上げようと考えている」


「そうなのですね。僕たちに気をつかう必要はないのですよ?」


「……ファの家では猟犬の身体を休ませるため、早めに仕事を切り上げる日を作っている。それを、今日にあてがっただけだ」


「そうですか。では、ファの家でお帰りをお待ちしています」


 にこりと優しげに微笑んでから、フェルメスはドンダ=ルウに向きなおった。


「それでは、ルウの集落を拝見いたします。家人の方々は、どうぞいつも通りにお振る舞いください」


 そうして、フェルメスの視察は開始された。

 それを尻目に、俺たちは宿場町に向かうことになった。


                       ◇


「そうか。ついに王都の貴族様が、森辺の集落にやってきたんだねえ」


 屋台で料理が完成するのを待ちながら、そのように述べたのはドーラの親父さんであった。そのかたわらでは、ターラも好奇心に目を光らせている。


「だけどまあ、今回のお人たちはずいぶん友好的だっていうんだろう? それなら、何よりだったね」


 俺は「そうですね」と笑顔で答えてみせた。

 実のところ、胸の奥底には若干の不安感がないわけでもない。しかしそれは、フェルメスの内心が読みにくいゆえに生じている不安感であるのだ。フェルメスの言動そのものにあやしげなところは見受けられないし、ここまで好意的かつ積極的に絆を深めてくれようとしているのだから、とうてい文句を言うことなどはできなかった。


「その貴族様って、すっごく綺麗なお顔をしてるんでしょ? ターラも見てみたいなあ」


「そっか。たぶんそのうち、宿場町やダレイムの視察もするはずだよ。そのときに、お顔を見られるといいね」


「えーっ! その人、ダレイムにも来るの?」


「うん。ジェノスの領土をくまなく自分の目で確かめたいって言ってたらしいよ。見た目に寄らず、すごく行動派のお人らしいね」


「すごーい! ねえ、ターラたちのおうちに来たら、どうしよう?」


 ターラが興奮して腕を引っ張っると、親父さんは苦笑しながらその姿を見下ろした。


「王都の貴族様が、俺の家に立ち寄るなんてことはないだろうさ。なあ、アスタ?」


「さて、どうでしょう? 親父さんは、ダレイムでも指折りの大きな農園をまかされてるんですよね。それなら、家にまで立ち寄る可能性は高いような気がします」


「ええっ? 冗談だろう? 王都の貴族様なんかがやってきたら、お袋や叔父貴がひっくりかえっちまうよ!」


「それは心配ですね。でも、そのフェルメスってお人は今日、ルウの眷族の家まですべて見て回る予定らしいのですよ。後日には他の族長筋の家を巡る予定ですし、可能であればすべての氏族の家を見て回りたいぐらいだと言ってたらしいんですよね。……それならダレイムでも、めぼしい場所はすべて視察するつもりなんじゃないでしょうか」


「うわあ、そりゃ大変だ! 俺は貴族様なんて、どんな口をきけばいいのかもわからないよ!」


「あはは。それは、森辺の民も一緒です」


 そんなところで、ようやく料理が仕上がった。俺の本日の担当は、ひさびさに復活させたパスタの屋台である。

 なおかつ、この献立は本日が初お披露目であった。その名も、『ミソとタラパのクリーム煮パスタ』だ。


 タラパとクリームの相性については言うまでもなかろうが、そこにミソを加えても、なかなかオツな味わいが得られるのである。アリアとミャームーのみじん切りに、塩とピコの葉、レテンの油とタウ油を少々、あとはギャマの乾酪をこまかく挽いたものをふりかけるだけで、奇抜なことは何もしていない。具材は、キャベツのごときティノとズッキーニのごときチャン、あとはブナシメジモドキと、それにギバ肉は味噌漬けにしたロースを使用していた。


「お待たせしました。ゆっくり食べていってください」


「うん、ありがとう。王都の貴族様が森辺でどんな様子だったかは、また明日にでも聞かせておくれよ」


 温かい笑みを残して、ドーラ親子は青空食堂のほうに立ち去っていく。そうしてわずかに客足が途切れると、隣の屋台で麺を茹でていたラーズがやわらかく笑いかけてきた。


「そろそろ下りの一の刻ってところですかね。ぱすたと並べてもこっちの売れ行きは変わらないみたいで、ほっとしやしたよ」


「ええ。やっぱりパスタとラーメンは別物の料理ですしね。一緒に買う人は少ないかもしれませんが、売上に影響が出ることはないだろうなと思っていました」


「ええ。汁物料理とらーめんを一緒に買うお客が少ないのと、おんなじことなんでしょうね。ありがたいこってす」


 ラーメンの屋台を出して、そろそろ20日ぐらいが経とうとしている。売れ行きも120食で安定しているし、毎日のように買っていく熱狂的なお客も獲得できた。それに、ラーズとレビの手並みに関しても、日を重ねるごとにこなれていくのがはっきりと伝わってきていた。


「アスタには、本当に感謝しておりやすよ。こんな風に笑って過ごせる日がやってくるなんて、あの頃には想像もできやせんでした」


「俺はちょっと背中を押しただけですよ。すべては西方神のお導きです」


「ええ、あの宿を飛び出した日にくたばっちまわなかったことを、俺は毎晩西方神に感謝しておりやすよ。俺みたいな死にぞこないを拾ってくれた、ザッシュマってお人にもね」


 好々爺のように微笑みながら、ラーズはうっすらと涙を浮かべているように感じられた。

 その向こうから、麺の茹であがりを待ちかまえていたレビが顔を突き出してくる。


「商売の最中に、湿っぽい話をしてるんじゃねえよ。……なあ、アスタ。親父のやつ、ついに自分たちもミソを買いつけたいってミラノ=マスにぶちまけちまったんだよ。ミラノ=マスは了承してくれたけど、本当に大丈夫なのかなあ?」


「大丈夫だよ。何せ、キミュスの骨ガラで最高の出汁が取れてるんだからさ。タウ油のタレを開発したときと同じぐらいの時間と手間をかければ、同じぐらい立派なラーメンを作れるんじゃないかな」


 俺の見立てによると、ラーズはけっこうしっかりした舌を持っているようであるのだ。ミソ味のタレに必要と思われる食材に関してはすでに伝授しているし、俺としては何も心配していなかった。


「ちぇっ。目の前のお客を大事にしろって言ってたのは、親父のほうだったのによ。ひと月も経たないうちに味を変えちまったら、せっかくのお客が離れていっちまうんじゃねえのか?」


「だから、ミソとタウ油のらーめんを1日置きに出せばいいって話になったろうがよ? いつまでも肚の据わらない野郎だね」


 威勢のいい言葉を柔和な声で言いながら、ラーズは鉄ざるを引き上げた。入念にお湯を切り、それを木皿に移していく。


「ほら、仕上げは任せたよ。冷めないうちに、お出ししな」


「わかってるよ」と舌を出しつつ、レビは手早く具材を並べていく。このあたりの連携も、この20日ほどですっかり確立されたようだ。

 ちなみにルウ家においても、つい昨日から『ギバのモツ鍋』をミソ味に変更したところである。今後はタウ油味と交互に出して、お客の反応を見ながら方針を定めていくつもりだという話であった。


 さらにここ最近では、トゥール=ディンもメニューの追加を行っていた。キミュスの卵殻を使った生地でブレの実のあんこを包んだ和風の蒸し饅頭を、1日置きに販売するようになったのだ。これまで販売していたギギの葉のチョコ饅頭にも劣らぬ人気で、そちらも連日、定刻を待つことなく売り切っていた。


 俺は俺で積極的にミソを使用して、臆することなく新しい献立をお披露目している。そういった各人の努力の甲斐あって、ギバ料理を売っているこの区画の賑わいはますます高まっているように感じられた。


「やあやあ。今日も新しい料理かな?」


 と、ひょっこり顔を覗かせたのは、カミュア=ヨシュとレイトであった。レイトは俺に目礼をしてから、いそいそとラーメンの行列に向かっていく。


「ああ、どうも。今日からパスタを復活させたんですよ。ラーメンと一緒に買う方は少ないですけど、いかがです?」


「そうだねえ。両方ひとつずついただいて、レイトと半分こにしようかな」


 カミュア=ヨシュは、相変わらずのほほんとしていた。

 他のお客からも注文が入ったので、新しいパスタ麺を鉄鍋に投じつつ、俺はカミュア=ヨシュを招き寄せる。


「王都の方々がやってきて6日目になりますけれど、そちらのほうはいかがです?」


「うん。昨日ようやく、俺にも面談のお声がかかったよ。一刻ばかり、話をしただけだけれどね」


「そうですか。カミュア=ヨシュとしては、どのような印象だったんです?」


「そうだねえ。あのフェルメスなる御仁は、きわめて興味深い人物だと思ったよ」


 そう言って、カミュア=ヨシュは楽しげに下顎を撫でさすった。


「何を置いてもあの博識には、目を見張ってしまうね。俺も俺なりに王国の歴史というものは学んできたつもりなのだけれども、あの御仁は格が違う。聞くところによると、17歳までは学士として『賢者の塔』にこもっていたのだそうだよ」


「『賢者の塔』ですか? 何か、凄そうですね」


「うん。古今のあらゆる書物や資料の取りそろえられた、西の王国の知の宝庫だよ。そこには王宮お抱えの学士や医術師などが引きこもって、日夜研鑽に励んでいるのさ。あのフェルメスという御仁の頭には、そこで学んだ知識がぎっしりと詰め込まれているようなのだよね」


 それは、俺の抱くフェルメスの印象から大きく外れるものではなかった。一を聞いて十を知るというか、とにかく頭の回りはものすごく速いのだろうな、という印象であったのだ。


(そうか。だからあのお人と言葉を交わしていると、少し落ち着かなくなっちゃうのかな。なんというか、言おうとしていることの先回りをされてるような気分になるんだ)


 俺がそのように考えていると、カミュア=ヨシュはにんまり微笑んだ。


「ただまあ俺が見たところ、決して悪辣な貴族ではないようだね。それに、アスタや森辺の民に並々ならぬ関心を持っているようだ」


「はい。それはひしひしと感じられます。だからちょっと、警戒心をかきたてられることもないわけではないのですけれども……」


「うんうん。最低限の警戒心は忘れないことだね。たとえ向こうに悪意はなくとも、習わしが異なれば意見がぶつかることもありえるだろうしさ。……ただまあ、王国の歴史や習わしに通じた人間であるのなら、アスタや森辺の民に関心を持つのは当然のことだろうね」


「え? どうしてですか?」


「どうしてって、俺自身がそうだったからさ」


 いよいよ愉快そうに、カミュア=ヨシュは目尻を下げた。


「森辺の民ほど特異な存在は、この王国にもなかなか存在しない。悪い言い方をするならば、学術的な興味をかきたてられるということだね。……だけど森辺の民は、知れば知るほど魅力的な一族だ。まさか俺が、学術的な興味だけで森辺の民と絆を深めようとしているなんて思わないでくれるよね?」


「ええ、もちろんです。……そして俺は、普通の森辺の民以上に特異な存在、ということですか」


「うん。そこのところは、俺とフェルメスで見解は分かれるかもしれないね」


 そう言って、カミュア=ヨシュは妙に老成した眼差しになった。


「俺がアスタに興味を持ったのは、あれほど閉鎖的であった森辺の民に大きな影響を与えられるような人間であったためだ。だけど、フェルメスは……さらに奥深いところで、アスタに関心を持っているように感じられるね」


「そ、それはどのような性質のものなのでしょう?」


「それは、俺にもわからない。案外、ただの同性愛者なのかもしれないしね」


 俺は、思わず膝から砕けそうになってしまった。

 カミュア=ヨシュはもとのとぼけた目つきに戻って、くすくすと笑う。


「ごめんごめん。それはただの冗談さ。でも、メルフリードから聞く限り、あの御仁はかなりの勢いでアスタの味方に立っていてくれたようだよ。王都においては、アスタが異国の間諜ではないかという意見を片っ端から粉砕していったらしい。その甲斐あって、いまでは王都でもアスタに悪心はないのではないかという意見が大勢を占めているようだよ」


「それはそれで、ものすごくありがたい話なのですけれども……でも、見知らぬ御方がそこまで強く自分の弁護をしてくれるなんて、何か落ち着かない感じですね」


「彼はおそらく、理知を重んずるお人柄であるのだよ。自分の損得とは関係なしに、道理の通らない話を放っておくことのできない人間なのじゃないかな。ジェノス侯もわりと理詰めなお人柄であるから、そういう意味でかなり相性はいいのだろうと思うよ」


 森辺において理知を重んずるといえば、真っ先に思い浮かぶのがガズラン=ルティムだ。フェルメスがガズラン=ルティムに執着するのは、それを鋭く察知したゆえなのだろうか。


(だけど、ガズラン=ルティムとフェルメスはまったく似ていない。ガズラン=ルティムは、理知を重んずるけれど……それと同じぐらい、人の情愛も重んじているからな)


 では、俺もフェルメスの内側に人間らしい温かみを感じられれば、このささやかなる不安感を払拭できるのだろうか。

 やはり、絆と親交を深めて、フェルメスという人間を知る、というのが何よりの近道なのかもしれなかった。


「あ、それと、オーグというお人はどうなのでしょう? あのお人は、いわゆる武闘派の人間なのですよね?」


「べつだん、ベリィ男爵家は武闘派というわけではないよ。ただ、ご当主がちょっと短慮で、ジェノスなど武力で制圧してしまえば憂いもなくなる、と言い張っているだけさ。あのオーグという人物に関しては……フェルメスのほうが飄々としているから、お目付け役という意味合いもあって、補佐官に選出されたのじゃないかな」


「飄々の度合いは、カミュアのほうがまさっていると思いますけれどね。でも、仰ることはわかるような気がします」


「うんうん。まあオーグという御仁も公正さを重んずるお人柄のようだから、何も心配はいらないと思うよ。森辺の民が何よりも求めているのは、その公正さだろうからね」


 どうやらカミュア=ヨシュも、フェルメスとオーグに悪い印象は持っていないようだった。

 これだけ多くの人間の目をあざむいて、フェルメスとオーグが悪辣な人間であったのなら、むしろあっぱれな話である。そんなどんでん返しが訪れないことを、俺はこっそり祈っておくことにした。


 そうしてパスタは茹であがり、カミュア=ヨシュのための料理も完成した。

 本日はカミュア=ヨシュがレイトに声をかけて、先に青空食堂へと向かっていく。俺がぼんやりその後ろ姿を見送っていると、日替わり献立の屋台で『ギバの揚げ焼き』に取り組んでいたユン=スドラが声をかけてきた。


「何やら、難しいお話をされているようでしたね。でも、王都の人々が悪しき心を持っていないのなら、何よりだと思います」


「うん、俺もそう思うよ。でも、そんなに難しそうに聞こえたかな?」


「はい。がくじゅつてきな興味だとか、あまり聞き覚えのない言葉がいくつか出てきました」


 そう言って、ユン=スドラは可愛らしく小首を傾げた。


「あと、どうせいあいしゃとか……それは、どういう意味なのでしょう?」


 俺は再び、地面に崩れ落ちそうになった。


「……ユン=スドラ、虚言は罪だから、いいかげんな返事はできない。でもそれは、きっとユン=スドラが知る必要のない言葉なのだと思うよ」


「そうなのですか。アスタがそのように言ってくださるのでしたら、わたしも聞かずにおこうと思います」


 この際は、ユン=スドラの素直さが何よりありがたかった。

 そして俺は、カミュア=ヨシュのふざけた軽口が真実を射抜いていませんようにと、新たな祈りを捧げることになったわけである。

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