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異世界料理道  作者: EDA
第四十章 運命の使者
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親睦の会食②~試食会~

2018.12/14 更新分 1/1 ・12/15 誤字を修正

 それからしばらくして、晩餐会の料理は無事に仕上がった。

 会食の開始までには、まだいくぶんのゆとりがありそうだ。とりあえず、俺とヴァルカスは給仕役の小姓たちに配膳の仕方を伝授してから、厨の隣の小部屋に移動することにした。


 ポルアースはこの時間に自分たちの食事を進めておけばいいと言っていたが、実のところ、時間的には少し厳しい。俺もヴァルカスも、5品目の魚料理については小姓まかせにできない最後の仕上げが残されていたのだ。


 というわけで、この時間にはおたがいの料理の試食だけを済ませることにした。

 きちんとした晩餐は、会食が終わったのちにゆっくりと食べればいい。よろしければ、ヴァルカスたちも一緒にギバ料理を如何ですかと提案すると、覆面姿のヴァルカスにぎゅっと手を握られたものである。


 そうした紆余曲折を経て、いざ試食会だ。

 おたがいの料理を隣の部屋に運び込み、卓をはさんで向かい合う。シリィ=ロウやボズルやタートゥマイたちも壮健なご様子で、まずは何よりであった。


「今回は、料理の出し方をこちらに合わせてもらって、どうもありがとうございます」


 俺がそのように述べてみせると、ヴァルカスは無表情に「いえ」と首を振った。


「貴族の方々には、料理の出し方や組み合わせを細かく指示されることも珍しくはありません。それに比べれば、手間は少ない作法だと思われます」


 俺がお願いしたのは、いわゆる略式の作法というやつであった。前菜と汁物料理とフワノ料理、野菜料理と魚料理、そして食後の菓子、と3段階に分けて料理をお出しする作法である。


「ところで、ひとつご提案があるのですが」


 いざ配膳、というところで、ヴァルカスがそのように声をあげてきた。


「同時に試食をするのではなく、片方の料理を食べ終えたら、もう片方が料理をお出しする、という形にしてみてはいかがでしょうか?」


「はい。もちろん、かまいませんけれど……でも、どうしてですか?」


「アスタ殿の料理を口にすると、心がそれだけに占められて、こちらの料理のご感想を聞くゆとりがなくなってしまうのです」


 ぼんやりとした面持ちのまま、至極熱烈な言葉を語ってくれるヴァルカスであった。

 俺はくすぐったいような心地を味わわされながら、「光栄です」と応じてみせる。


「では、最初の三品、次の二品、最後の菓子、と順番におたがいの料理を食べていきましょうか。貴族の方々にも、そのようにお出しすることになっていますしね」


「承知しました。それでは実際の会食と同じように、わたしの料理からお出しいたしましょう」


 そんなわけで、森辺のかまど番はいったん着席することになった。

 自分たちの料理はすでに味見を終えているので、この場ではヴァルカスの料理を堪能するばかりである。なおかつ、アイ=ファとルド=ルウは試食のメンバーに含まれていないので、俺やリミ=ルウの背後に無言で立ち尽くしていた。


 ヴァルカスたちは5人がかりで、てきぱきと皿を配膳してくれる。こちらは人数が多かったし、ギバ料理のまかないも準備していたので、ヴァルカスの料理は実にささやかな分量である。


「最初の三品は、わたしなりのジャガル料理となります」


 3種の皿が、俺たちの前に並べられていく。

 ついにヴァルカスのフルコースを口にすることになったマルフィラ=ナハムなどは、怒涛の勢いで目を泳がせていた。


「ジャ、ジャ、ジャガル料理ですか。み、南の民たちは、故郷でこのような料理を食べている、ということですね」


「あくまで、わたしなりのジャガル料理となります。昔ながらのジャガル料理を好む方々であれば、なんと奇異なる料理だと眉をひそめるかもしれません」


「そ、そ、そうなのですね。さ、差し出口をきいてしまい、申し訳ありませんでした」


 ぺこぺこと頭を下げるマルフィラ=ナハムを見やりながら、ヴァルカスは小首を傾げていた。


「たしかあなたは、ミソの吟味の際にも参席されていましたね。アスタ殿の、新しいお弟子ということでしょうか?」


「はい。弟子という言い方は不適当かもしれませんが、ふた月ほど前から手ほどきをすることになりました。名前は、マルフィラ=ナハムといいます」


 俺はそのように紹介してみせたが、今後マルフィラ=ナハムが才能を開花させて、自分の料理をお披露目するような事態にでもならない限り、ヴァルカスに名前を覚えてもらうことは難しいのだろう。顔を見知ってもらえたのは、前回の初顔合わせからあまり日が開いていないためと――それにやっぱり、マルフィラ=ナハムが記憶に残りやすい風貌および挙動であるためなのだろうと思われた。


 それはともかくとして、ヴァルカスの料理である。

 ヴァルカスのこしらえたジャガル料理ということで、俺はぞんぶんに好奇心をかきたてられたわけであるが――一見では、何がジャガル風なのかも判然としなかった。


 前菜は、そろそろお馴染みになってきた献立である。1センチ四方の薄いフワノの生地にジャムのようなペーストがのせられた、可愛らしい料理だ。本来は9つで一人前という話であるが、今回も各人にひとつずつしか配られていない。


 フワノ料理は、饅頭である。直前まで蒸し籠に入れられていたため、まだほかほかと湯気をたてている。これも、ピンポン球をちょっと平たく潰したぐらいの、ささやかなサイズであった。


 そして汁物料理は、タラパ仕立てのスープである。実に複雑な香気であり、ジャガル料理と銘打ちながらも、ぞんぶんに香草が使われているようだった。


「ふーん。これにも、肉は使われてないってことだよなー?」


 ルド=ルウがリミ=ルウの手もとを覗き込みながらコメントすると、ヴァルカスは律儀に「はい」と応じた。


「ジェノスにおいては魚料理で統一せよ、とご依頼されるお客様もあまりお見かけしませんが、わたしにとっては手馴れた献立ばかりです。熱の逃げない内に、お召し上がりください」


「はい。それでは、いただきます」


 これは試食ということで、食前の文言もなく、まずは前菜に手をのばすことにした。

 本日のペーストは綺麗な桜色をしており、そこに黒や赤の粒が散っている。こんなに小さくとも破壊力が抜群であることは重々承知しているので、俺はしっかりと気を引き締めながら、それを口に投じようとしたのであるが――遠くのほうから、「ひゃあ」という悲鳴まじりの声が聞こえてきた。


「す、す、すみません。あ、あまりに強い味と香りであったもので、びっくりしてしまいました」


 予想に違わず、それはマルフィラ=ナハムであった。

 席に座したまま、誰にともなくぺこぺこと頭を下げている。それを微笑ましく思いながら、俺はいざヴァルカスの前菜を口にした。


 確かに、鮮烈な味わいである。

 ただ、しっかりと魚介の風味がする。これは、甘エビに似たマロールの風味であった。

 そこに、香草の強い辛みが練り込まれている。トウガラシ系の、熱い辛みだ。しかし、まろやかな甘みとほのかな苦みがその角をくるんでおり、食べにくいことはまったくなかった。


 パイ生地のようなさくさくとした食感が、心地好い。甘さの大部分は、こちらの生地が担っているのだろう。砂糖やパナムの蜜に、乳脂の風味も強く感じられる。

 苦みは、やはりギギの葉だろうか。香ばしくて、ほんのわずかに酸味があり、マロールの風味には絶妙にマッチしていた。


「何度食べても、ヴァルカスの料理には慣れることができませんね。ギバを使った料理でもないのに、胸が高鳴ってしまいます」


 隣の席に座したレイナ=ルウが、小声でそのようにつぶやいていた。

 俺はそちらにうなずき返してから、木匙を取る。本来の順番に従って、汁物料理を味わわせてもらうことにした。


 タラパ仕立ての赤いスープに、うっすらと油の膜が張っている。

 それを軽くかき混ぜてから、俺はまずスープだけを口に運んだ。


 とたんに、えもいわれぬ味わいが口の中に広がっていく。

 魚介である。これでもかとばかりに、そこには魚介の滋養が溶け込んでいた。

 タラパの風味は強いのに、それを圧倒するかのような存在感がある。香草の味や香りではなく、出汁の風味がまず一番に感じられるというのは、ヴァルカスの料理においては珍しい現象かもしれなかった。


 しかしもちろん、香草もふんだんに使われている。

 意外に、辛みはきいていない。まったく辛くないことはないが、魚介とタラパの濃厚な風味の裏に、ちらりと刺激的な味が散っているような感覚であった。


 甘みや苦みも、然りである。意識を向けると、そこにはさまざまな味わいが隠されているのだが、まるでかくれんぼのように舌の上で逃げ隠れされているような心地であった。


(つまり……繊細な味わいってことか)


 つくづく、料理の味わいを言葉で表すのは難しい。

 そんな風に考えながら、俺は具材をさらってみた。

 最初にすくいあげたのは、小さく切り分けられた白身の魚の肉片であった。

 そして、判別不能の糸のようなものが、その肉片にからみついている。相手がヴァルカスでなければ、髪の毛でも混入していたのではないかと思わされるところであった。


(あんな覆面までかぶってるのに、髪の毛が落ちることはないだろうな)


 そんなわけで、俺は懸念を抱くこともなく、木匙を口に運ぶことにした。

 とたんに、強い辛みが口の中にはねあがる。

 何のことはない。それは、香草を糸のように細く刻んだものであったのだ。


 その強烈な辛みが白身魚にまとわりついて、新たな味を生み出している。

 いや、濃厚にして繊細なるスープとの、相乗効果であるのだろう。この糸のように細く刻まれた香草によって、まったく異なる美味しさが現出したのである。


 やっぱりヴァルカスの手腕というのは、魔法使いさながらであった。

 俺は万感の思いを込めて、ヴァルカスのほうを振り返る。


「これは素晴らしい料理ですね。ジャガルでは、こういう魚料理が好まれているのですか?」


「いえいえ。確かにジャガルでは魚料理が好まれていますが、かなりの南方の海辺でもない限り、これほどふんだんに魚介を使うことはできないでしょう。もちろん香草などはほとんど使われませんし、タラパで魚を煮込むという手法が、かろうじてジャガル料理の名残を残しているぐらいでしょうな」


 ボズルが笑顔でそのように答えると、ヴァルカスはぼんやりとそちらを見返した。


「そうでしょうか? この料理には、砂糖もタウ油も欠かせません。タラパと砂糖とタウ油を使った川魚の汁物料理というのは、ジャガルの名物でしょう?」


「しかし、この料理から砂糖やタウ油の味を感じる人間は少ないことでしょう。それらは魚介の出汁と香草に主役を譲って、裏方に引っ込んでしまっておりますからな」


 ボズルは、いっそう陽気に笑った。

 いっぽうこちらのかまど番たちは、みんな真剣な面持ちでスープをすすっている。その中で、やはりリミ=ルウだけが無邪気な笑顔であった。


「不思議な味だけど、美味しいねー。ギバのお肉を入れたら、もっと美味しそう!」


「……ここにギバ肉を入れたら、味が壊れてしまいます」


 そのように答えてから、ヴァルカスはふっと目を伏せた。


「いや、しかし、香草の量を調整すれば、あるいは……リリオネとギバの両方と調和させることも可能でしょうか……もともとギバ肉は、タラパと相性のいい食材でもありますし……そうですね。取り組む甲斐はあるのかもしれません」


「ううん。何か困らせちゃったんなら、ごめんなさい」


「何も困ってはおりません。きわめて興味深いご提案でした」


 それからヴァルカスは、俺のほうに目を向けなおした。


「ともあれ、試食をお続けください。そちらのフワノ料理は、汁物料理と同時に味わっていただくための調整をしております」


「あ、そうなのですね。それでは」


 俺は可愛らしい饅頭を、いちおうナイフとフォークで切り分けてみた。

 断面からは、また桜色のペーストが覗いている。これもマロールなのかしらんと思いつつ、半分に切り分けた饅頭を口に運んでみると――前菜とはまったく異なる味が広がった。


 こちらは、甘みを主体にしている。甘エビのごときマロールのミンチに、甘いラマムの果汁やシナモンのごとき香りまでもが感じられたのだ。

 それに、ほかほかに蒸されたフワノの生地にも、カロン乳や乳脂の甘やかさを感じる。さらに、マロールのペーストには、粒状の乾酪まで練り込まれているようだった。


 エビやリンゴやシナモンに、ミルクやバターやチーズという取り合わせであるのだ。

 普通に考えたら、とうてい調和しなそうな取り合わせである。

 が、それは、小洒落た菓子のように美味であった。

 マロールさえなければ、普通に菓子として通用する取り合わせであるのだ。しかしこれは、あくまでマロールを味の主体にしており――それでいて、きっちり成立しているのが、俺にとっては摩訶不思議であった。


 それでもって、これがタラパのスープと、実によく合うのである。

 菓子のように甘いのに、魚介の風味の匂いたつスープと調和する。俺は何だか、狐に化かされているような心地であった。


(こんなヴァルカスの手腕を毎日間近に見せつけられて、そこに俺の作法まで取り込もうと考えるなんて、本当にロイは大したもんだな)


 そのロイは、弟子たちの末席で静かに俺たちの様子をうかがっていた。

 ぐったりとくたびれ果てている様子であるのに、目の力は強い。ヴァルカスの料理を口にした俺たちが、何をどのように感じたのか、決して見逃すまいと目を凝らしているかのようである。


「本当にどれも素晴らしい味わいです。ヴァルカスの料理を食べるたびに、俺は調和という言葉を強く思い浮かべてしまいます」


「料理とは、味の調和の結晶なのでしょうから、それが当然の話であるのでしょう。わたしとて、アスタ殿の作られる料理には、確かな調和を感じています」


「いやあ、俺なんて、ヴァルカスの足もとにも及びませんよ。今日は不慣れな魚料理なので、ヴァルカスをがっかりさせてしまわないか、とても心配です」


「そうですか。わたしは期待に胸が高鳴って、昨晩はなかなか寝つけないほどでした」


 本日のヴァルカスは、いつにも増して熱情的に感じられた。

 が、その顔は眠たげにも見えるほど、茫洋とした面持ちである。


 レイナ=ルウやシーラ=ルウ、それにユン=スドラやトゥール=ディンも、口々にヴァルカスの料理をほめたたえた。ヴァルカス流の複雑な味わいにもだいぶん免疫のついてきた彼女たちは、これらの料理を美味であると認めることをためらわなかった。ただひとり、マルフィラ=ナハムだけは「す、す、すごいです」とだけコメントして、あとは二の句が継げない様子だ。


「では、こちらの料理をお出しします。少々お待ちくださいね」


 今度は俺たちが、総出で配膳に取りかかる。

 その中から汁物料理が回されていくと、ヴァルカスが「ああ」と溜息をこぼした。


「調理中の香りでわかりきっていたことではありますが、やはりこの料理であったのですね」


「はい。特別仕立ての、カレーです」


「そして、本日は獣肉と鳥肉の使用を禁じられているのですから……」


「はい。魚介を使ったカレーとなります」


 それは遥かなる昔日に、ヴァルカスが興味を示した献立であった。

 あれはたしか、黒フワノの使い道として考案した『カレーそば』をお披露目した日であったから――足掛け9ヶ月前の出来事であったのだ。


「いつかヴァルカスに食べていただきたいと願っていたのですが、なかなか本格的に魚介の食材を吟味する機会がなくって……ずいぶんお待たせしてしまって、申し訳ありませんでした」


「……わたしが口にした言葉を、覚えてくださっていたのですか?」


「もちろんですよ。ヴァルカスがそこまで俺の料理に関心を持ってくださるのは、本当に光栄なことだと思っているのですから」


 ヴァルカスは無表情のまま、そわそわと身をゆすっていた。

 席を立って俺の手を握りしめにいくのと、目の前の料理の味を確かめるのと、どちらを優先させるべきか。そんな風に思い悩んでいるように見えなくもない。すでに配膳は完了していたので、俺は「どうぞ」と笑いかけることにした。


「お召しあがりください。まだまだ拙いところもあるかと思いますが、いまの俺にとっては最善を尽くした料理となります」


 繰り返すが、俺はこの土地における魚介の扱いに慣れていない。それをカバーするために、カレーの強烈な味をもちいることに決めたのだ。

 シーフード・カレーは汁物料理とさせていただいて、フワノ料理はナン代わりの焼きポイタン、前菜は箸休めの簡単なサラダである。


 焼きポイタンは3種を準備して、それぞれギャマの乾酪、ミャームー、干したアロウを生地に練り込んでいる。

 干したアロウというのは、甘さの足りないドライフルーツのイチゴのごとき味わいであるのだが、これが意外にシーフード・カレーと合わなくもなかったので、採用とした。シナモンに似た香草でわずかに甘い香りをつけ、これまで手を出したことのなかったココナッツミルクのような食材までをも使用した、けっこうなチャレンジ料理である。


 しかしそれでも、単品として食べる分には、あまりにささやかな細工であっただろう。

 だけど今回は、3種の料理を同時にお出しするという作法が認められることになった。シーフード・カレーの付け合わせとしては、最善の献立であろうと判断したのだった。


 前菜も、また然りである。

 こちらなどは、軽く塩ゆでした野菜にシールの果汁とわずかな香草をまぶしただけのものであった。

 野菜の種類は、タマネギのごときアリア、トマトのごときタラパ、ニンジンのごときネェノン、パプリカのごときマ・プラ、ズッキーニのごときチャンといったものである。これは、俺がインドカレーの専門店で口にしたことのある、たしかカチュンバルというサラダを参考にしていた。

 このサラダには辛みのある香草も使用してはいるものの、それよりもシールの果汁の酸味が先に立つ。カレーで疲れた舌を休めるためのひと品であるのだ。


「焼きポイタンは、カレーと交互に食べても、カレーにひたして食べても、美味しくいただけると思います。お気に召したら幸いです」


 ロイやシリィ=ロウなどは、実に神妙なる面持ちで焼きポイタンをつまみあげていた。ヴァルカスとタートゥマイは無表情で、ボズルがひとりにこやかな表情であるのも、いつも通りの様相だ。


『ギバ・カレー』であれば、誰しも口にしたことがある。ボズルなどは数ヶ月に一度、宿場町に出てくる用事があるので、そのたびにヴァルカスたちの分まで屋台の料理を持ち帰ってくれていたのだ。


 ヴァルカスは、焼きポイタンやサラダには目もくれず、シーフード・カレーだけを匙ですくっていた。

 さきほどの俺と同じように、まずは汁だけを口にした様子である。

 そうしてシーフード・カレーを口に入れたヴァルカスは、虚空に目をやったまま動きを停止してしまった。


 俺の記憶によると、ヴァルカスはけっこうな早食いであったはずであるのだが――なかなかふた口目を口にしようとしない。

 もしや、味付けが気に食わなかったのでは、と俺が心配になりかけたところで、タートゥマイがヴァルカスのほうを振り向いた。


「ヴァルカス、お気は確かでしょうか?」


「……はい、何か言いましたか?」


「ヴァルカスが動きを止めてしまわれたので、アスタ殿が心配されております」


 そう言って、タートゥマイはふっと微笑んだ。

 俺がこのご老人の笑顔を目にするのは、たぶん初めてのことであった。


「ヴァルカスがそのように心をわななかせるのを見るのは、実にひさかたぶりのことです。こちらの料理が、お気に召したのですな」


「お気に召した、などという言葉では収まりません」


 そうしてヴァルカスは、ふた口目で具材を食し、その次には3種のポイタンをそれぞれカレーにひたして食した。

 その末に、のろのろと俺を振り返ってくる。


「アスタ殿、こちらの料理は……普段の料理と、香草の配分を変えておられるのですね?」


「はい。微調整に過ぎませんが、魚介の具材に合うように分量を調節したつもりです」


「……それを、わずか2日間で?」


「はい。昨日はほとんど1日中、香草や魚介の乾物と格闘することになりました」


 俺はこの料理に、王都から届けられる魚介の乾物をあらかた使用していた。

 魚や海草のみならず、これまでほとんど使ったことのなかった貝類や、マロール、それにタコに似た生き物の乾物も、残らずぶちこんでいるのである。


 その中で、かなり大きな役割を担うことになったのは、貝類の乾物であった。

 これはホタテもかくやという立派なサイズの貝類で、ひと晩かけてじっくり水で戻したところ、実に立派な具材と出汁に仕上がったのである。その戻し水の上品かつ旨みたっぷりの味わいといったら、最高級のホタテの貝柱にも匹敵するほどではないかと思われた。


 こんな立派な出汁をカレーで使用するというのは、贅沢な話である。

 が、この料理の土台を支えているのは、間違いなくこの貝類の出汁であるはずだった。


 もちろんマロールやタコに似た生き物の乾物も、具材としては確かな存在感を示している。こちらでは生鮮の魚を使っていなかったし、野菜類は細かく刻んでしまっていたので、具材の主役はそれらの身であったのだ。


 なおかつ、カレーのルーにはタラパをどっさり使っている。

 乾物の戻し水と、赤ママリアの果実酒、カロンの乳、それにタラパから生じる水気だけで、この料理は仕上げられているのである。

 あとは、魚介の風味が悪い作用となってしまわないように、ミャームーやケルの根も使って味を調えている。それにヴァルカスが指摘した通り、カレーの素の香草の配合も微調整する羽目になったのだった。


「これは、素晴らしい味わいです。ほんのあとひとつの食材を加えることで、完璧な調和をもたらすことができるのではないでしょうか」


 ヴァルカスの言葉に、俺はいささかならず、ぎょっとした。


「過分なお言葉をありがとうございます。……実は、試してみたいと思っていた食材があったのですが、手に入れることができなかったのですよね」


 ヴァルカスが、とろんと眠たげに目を細めた。


「……それがいかなる食材であったのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


「はい。はっきりとは言えないのですが、カロン乳の酪が手に入れば、試してみたかったなと――」


 ヴァルカスが、椅子を鳴らして立ち上がった。


「どうして、お声をかけてくださらなかったのですか?」


「え? な、何でしょうか?」


「カロンの乳の酪であれば、わたしは自分の厨で作製しています。お声をかけてくだされば、いくらでもお届けすることが可能でした」


「ちょっと、落ち着いてくださいよ、ヴァルカス」


 そのように声をあげたのは、俺ではなくロイであった。


「それよりも、いまはこの料理をもっとじっくり味わうべきじゃないですか? うかうかしていると熱が逃げて、味が落ちてしまいますよ」


 眠たげな眼差しで俺を見つめていたヴァルカスは、ひとつ溜息をついてから腰を下ろした。


「思わず取り乱してしまいました。試食の最中に、申し訳ありません」


「い、いえ。ヴァルカスにそんな風に言ってもらえるのは、光栄の限りです」


 そのように答えながら、俺はむしろ当惑気味であった。ヴァルカスに喜んでもらえたら嬉しいな、とは思っていたが、ここまでの強烈な反応は予想していなかったのである。


 ヴァルカスは、残されていた料理を口に運んでいる。しかし、ひと口ごとに動きを止めてしまうので、試食用のわずかな量であるのに、なかなか食べ終わらない。レイナ=ルウたちは、そんなヴァルカスの様子をくいいるように見つめていた。


「……これを2日で考案したっていうんなら、本当にすげえ話だと思うよ」


 と、無言になってしまったヴァルカスの代わりに、ロイがそのように言ってくれた。


「魚や海草の乾物なんかは、ギバ料理でもさんざん使ってたよな。貝やマロールやヌニョンパなんかは、陰でこっそり研究してたのか?」


「ヌニョンパっていうのは、あのたくさん足のある生き物のことかな? いや、どの食材もときどき突発的に使っていたぐらいで、本格的に使うのは、これが初めてだよ」


「それじゃあやっぱり、故郷に似た食材があったってことか」


「うん。まったく同じなわけではないけどね」


 ヌニョンパなる生き物の乾物は、見た目はタコに近いが、スルメのような風味であった。ただし、足の太さは人間の指ぐらいもあったので、水で戻してみると、なかなか食感も心地好い。タコといえばタコのような、イカといえばイカのような――なんとも判別のつけ難い味わいであった。


 もちろん、貝類だってホタテに似てはいても、ホタテそのものではない。おそらくはホタテの出汁でカレーをこしらえても、このような味わいは生まれないのだろう。この貝類の出汁がカレーとマッチしたのは幸運なる偶然であり、試行錯誤の結果であった。


「確かにこいつは、すげえ料理だと思うよ。……でも、それを言うなら、もともとすげえ仕上がりの料理だったんだよな」


 と、ロイは何かをいぶかるように眉をひそめて、無言の師匠を振り返った。


「食べている最中にすいません。俺はギバ肉を使ったもともとの料理と、そこまで大きな差は感じなかったんですけど……ヴァルカスにとっては、そうではなかったんですか?」


 ヴァルカスは、一拍おかしな間を置いてから、ロイを振り返った。


「確かに、アスタ殿の作るかれーという料理は、最初から素晴らしい仕上がりでありました。しかし、以前に食べたギバ肉のカレーは……何か、迷いのようなものが感じられたのです」


「迷い、ですか?」


「はい。アスタ殿ご自身が、まだ到達すべき場所を見出していないかのような……そういった迷いが、わずかに調和を乱していたのではないでしょうか?」


 俺はしばし考え込んでから、「ああ」と膝を打つことになった。


「言われてみれば、思い当たることがあります。実際、俺はこの仕上がりでいいのかな、と迷っていた部分があったのですよね」


「ほう。その原因は、いまだに不明なのでしょうか?」


「いえ。実は、最初から明確でした。もともと俺の故郷の家では、シャスカに似た食材とカレーを合わせて食べていたのですよ。焼きポイタンと似た食材と合わせて食べるカレーというのは、香草の分量や作り方からして、まったく違っているはずなのですよね」


 それは言うまでもなく、イギリス料理を元にした日本式のカレーと、本場のインドカレーとの差異であった。


「俺がカレーを完成させたのは、シャスカを知るよりずっと前のことでした。でも、俺にとって故郷の味と思えるのは、シャスカと合わせて食べるほうのカレーであったので……焼きポイタンとの相性を考慮しつつ、なるべく故郷の味に寄せたいと考えていました。今回は、最初から焼きポイタンとの相性を最優先に味を組み立てたので、そのあたりに違いがあるのかもしれません」


「なるほど」と述べてから、ヴァルカスはゆらりとロイのほうを見た。

 いや、その目はタートゥマイを通りこして、それ以外の3名を均等に見つめている様子である。シリィ=ロウは背筋をのばし、ボズルは何か申し訳なさそうに微笑みをたたえている。


「たしか、あなたがた3名は、森辺でシャスカを使ったかれーを口にしているはずでしたね?」


「ええ、あれは絶品でしたよ。……そうか、いまにして思えば、あのときに食べたかれーが一番美味かったかもしれませんね」


 返事をしたロイに、ヴァルカスの視線が固定される。


「あなたが先にかれーの完成品を食していたならば、今日のかれーと差異が感じられないのも、当然の話ではないですか」


「言われてみれば、その通りですね。でも、ヴァルカスは焼きポイタンとの相性を確認する前から、今日のかれーが素晴らしいと判断したんでしょう? それなら、添え物は関係なくないですか?」


「ですから、以前のかれーの調和が乱れていたのは、アスタ殿の迷いが原因だと思われます。シャスカを手に入れたアスタ殿が、シャスカとの相性を考慮して作製したかれーであるならば、それは単体でも完成されているはずです」


「えー? それじゃあ、屋台で売ってるかれーと、あの祝宴で出したかれーは、味が違ってたっていうのかよ?」


 それは俺に向けられた言葉であったので、「うん」とうなずいてみせた。


「ちょこっとだけど、微調整はしていたよ。屋台で売ってるカレーは焼きポイタンとの相性も考慮した味付けだから、シャスカを使った祝宴のときは心置きなく故郷の味に寄せることができたんだ」


「それで、ギバ肉を使ったかれーも完成されたはずです。あなたには、その差異が判別できなかったというのですか?」


 淡々と問い詰めるヴァルカスに、ロイは「はい」と応じていた。


「俺には、判別できませんでしたよ。……シリィ=ロウやボズルだって、そんなことは言ってなかったはずですけどね」


「そうですな。あのときは、シャスカの味わいに心を奪われておりましたので、かれーの変化にまでは考えが及びませんでした」


 頭をかきながら答えるボズルのかたわらで、シリィ=ロウはがっくりと肩を落としていた。


「自分の不明を恥じ入るばかりです。心から無念に思います……」


「あ、いや、ちょっとお待ちください。故郷の味に寄せたといっても、本当に微調整ていどだったのですよ? 香草の配分を変えたわけでもありませんし……」


 俺は慌てて口をはさんだが、ヴァルカスは「いえ」と首を振っていた。


「アスタ殿が迷いもなく、食材に過不足もないと考えておられたなら、きっとその料理は完成されていたのでしょう。わたしがその場に同席できなかったことを、心から口惜しく思います」


「それはだって、砂塵や人混みに弱い、ヴァルカスのお身体が原因じゃないですか」


 ロイが口をとがらせて言い返すと、ヴァルカスはまたとろんと目を細めた。


「わたしより先んじて、アスタ殿の完成された料理を口にしたあげく、その言い草は何ですか?」


「そんな子供みたいなこと言わないでくださいよ。今日この場で立派なかれーを食べられたんだから、いいじゃないですか」


「このかれーはまだ完成されておりません。カロンの乳の酪が欠けているのです」


「だったら、祝宴のかれーも何か欠けていたかもしれませんよ。アスタが気づいていないだけで」


「そうです」と、俺もフォローすることにした。


「俺はいま、すべての料理の見直しを考えているところであるのですよ。カレーに関しても、きっとまた微調整することになると思います。そういう意味では、まだまだ完成していません」


「……それでは、この魚介を使ったかれーも、まだ完成はしていない、と?」


「もちろんです。何せ、準備期間が2日しかなかったのですからね。酪が足りないというだけじゃなく、他にも手直しするべき点はいくらでもあるんだろうと思っています」


 ヴァルカスは無表情のまま、妙に切々とした感じで「ああ」と嘆息した。


「わたしはアスタ殿のことを、誰よりも正しく評価しているのではないかと考えていたのですが……それでも、まったく足りていなかったのかもしれません」


「そんなことはありませんよ。俺なんて、まだまだ半人前なのですから」


「その言葉が真実であるということを、わたしはこの場で実感させられることになったのです」


 ヴァルカスはまぶたを閉ざし、天に許しを乞うかのように上を向いた。


「アスタ殿はその若さで、もう8割方は完成された料理人であるのだろうと考えていたのですが……あなたはきっと、年齢相応の半人前であるのでしょう。あなたはまだ、5割ていどしか完成されていないのかもしれない……それを考えると、空恐ろしくなるほどです」


「それはつまり、アスタが一人前になったら、ヴァルカスにも太刀打ちできなくなるって意味ですか?」


 ロイがそのように声をあげると、シリィ=ロウがものすごい目つきでそちらを振り返った。

 しかしロイはいつになく毅然とした面持ちで手を上げて、シリィ=ロウの口を開かせない。


「あなたは、いつかアスタが好敵手になりうるって公言してましたもんね。あと2割増しの成長で好敵手だとすると、5割増しじゃあ太刀打ちできないですよね?」


「……揚げ足を取られているような心地ですが、まあそういう計算になるのでしょう」


 ヴァルカスは目を開き、ぼんやりとした眼差しでロイを見た。


「ですが、アスタ殿が料理人として完成されたとき、わたしが同じ場に留まっているとは限りません。料理人とは、年を取るごとに力を失っていくものですが……幸い、わたしの舌はいまだに衰えを見せてはおりませんので」


「それを聞いて、安心しましたよ。あなたは、俺の師匠なんですからね」


 ロイが、にっと白い歯を見せた。

 ロイがこのような笑顔を見せるのは、珍しいことである。というか、表情は豊かなタイプであるのに、笑顔はほとんど見せることのないロイであるのだ。

 シリィ=ロウもそれでようやく怒りの火を消して、ヴァルカスを振り返る。そうしてそこにいつも通りの茫洋とした師匠の姿を見出すと、ほっとした様子で息をついていた。


「ともあれ、これは極めて美味なる料理でありました。時間もせまっているでしょうから、次の料理をお出ししましょう」


 そんな言葉とともに、ヴァルカスが立ち上がる。4名の弟子たちも、あらためて気合をみなぎらせている様子であった。

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