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異世界料理道  作者: EDA
第四十章 運命の使者
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外交官フェルメス③~会談~

2018.12/12 更新分 1/1 ・12/22 誤字を修正

 フェルメスからマルスタイン、マルスタインから小姓たちにと言葉が伝達されて、隣室から新しい椅子が運び込まれてきた。

 もともと座していた4名は片側に詰めて、俺の右手側に新しい椅子が並べられていく。入室を許された4名は、アイ=ファ、ガズラン=ルティム、バードゥ=フォウ、ベイムの家長の順で、その席に腰を落ち着けた。


「同席を許していただき、ありがとうございます。心より、感謝の言葉を述べさせていただきます」


 ガズラン=ルティムが穏やかな声でそう伝えると、フェルメスは「はい」と口もとをほころばせた。


「察するところ、あなたがガズラン=ルティムなる御方であるのですね。なるほど、まるで学士のように理知的な瞳をしていらっしゃる」


「学士、ですか。それは何かの身分であるのでしょうか?」


「学士とは、学問を業とする人間のことです。学び舎で教えを乞う立場にある学徒も、それを導く立場にある学師も、王都においては総じて学士の範疇でありますけれど……あなたはもちろん、後者に分類される人間を思わせますね」


 ガズラン=ルティムは、いつも通りの柔和かつ重厚な微笑みを返していた。


「私は文字の読み書きもままならない、狩人にすぎません。学士などというものにたとえられるのは、不相応であるかと思われます」


「いいえ。僕は魂の在りようを語っているのです。たとえば刀を持つこともできない柔弱な人間でも、狩人のごとき勇壮なる魂を持つ人間がいない、とは限らないでしょう? そういう意味で、僕はあなたに学士のごとき魂を感じたのです」


 そのように述べてから、フェルメスはふわりと微笑んだ。


「ともあれ、無駄口が過ぎてしまいましたね。僕はこういう気性なもので、なるべく少ない人数で語らいたかったのです。8名もの人々と心ゆくまで語らおうと思ったら、どれだけ時間があっても足りないでしょうからね」


「ならば、早々に議題を進めるべきでしょうな」


 と、補佐官のオーグが、初めて声をあげることになった。

 眉間に皺の刻み込まれた、いかにも頑固そうな壮年の男性である。そのオーグが、厳しい眼差しで森辺の一同を見回してきた。


「まずは最初に、お詫びの言葉から申し述べさせていただきたい。先日は、監査官のタルオンがとんでもない不始末を起こしてしまいました。ベリィ男爵家の末席に名を連ねる者として、ここに謝罪をさせていただきます」


「あなたは、かのタルオンなる者と同じ家の人間であったのか」


 ダリ=サウティが静かに問うと、マルスタインがそれに答えた。


「ご紹介が遅れたね。オーグ殿はベリィ男爵家、フェルメス殿はヴェヘイム公爵家の血に連なるお立場となる。ヴェヘイム公爵家というのは、王家に次ぐ貴き家柄となる、五大公爵家のひとつだ」


「とはいえ、僕の家は傍流で、末席中の末席ですけれどね」


 と、フェルメスが優雅に笑い声をあげる。


「前任の監査官であられたドレッグ殿などはバンズ公爵家の第三子息なのですから、そのように貴きお立場とは比べるべくもありません。……まあ幸いなことに、森辺の方々は爵位の格式で態度を変えるようなお人柄ではないようですけれど」


「……我々にとって重要なのは、爵位の格式といったものではなく、外交官というあなたがたの立場であるのだろうと考えている」


 ダリ=サウティは、相手の内心を見透かしたいかのように、じっと目を凝らしているようだった。


「それで、タルオンなる者が罪に問われるかどうかは王都の審問次第と聞いていたのだが……あの者は、罪人と認められることになったのだろうか?」


「罪人とは、少し異なるでしょうね。ルイド殿は叛逆罪にもなりかねない行いであると訴えましたが……さしあたっては、監査官としての身分を剥奪されるに留まりました」


 フェルメスの言葉に、オーグが「しかし」と言葉をかぶせる。


「ベリィ男爵家にとっては、家名を汚されたも同然であります。公正たる立場であるべき監査官が、恣意的な挑発を繰り返して相手方の失敗を誘導しようなどとは……そのように下劣な真似が許されるはずもありません。あの恥知らずめがジェノスの地を踏むことは二度とありえませんので、どうぞご安心なされますように」


「そうか。しかし、ベリィ男爵家というのは、ジェノスを武力で制圧すべしと主張している、という話ではなかったか?」


 ダリ=サウティがあくまでも穏やかな声音でそのように問い質すと、オーグは同じ表情のまま、「そうですな」とうなずいた。


「我がベリィ男爵家のご当主が、そのように主張しているのは事実であります。しかしわたしはご当主の代理人ではなく、王陛下の代理人たるフェルメス殿の補佐官として、いまこの場に参じております。王陛下のご意向よりもベリィ男爵家の意向を重んずるような真似は決してしないと、ここで西方神に誓わせていただきましょう」


「そうか。そのように言ってもらえることを、ありがたく思う。……それに、ルイドなる者の立場が悪くならなかったのなら、何よりだ」


「ルイド殿は遠征兵団としての正しい立場を回復して、いまもマヒュドラやゼラドの軍と刃を交えていることでしょう」


 そのように述べながら、フェルメスは不思議な色合いをしたヘーゼルアイを俺のほうに向けてきた。


「そして、ドレッグ殿は……タルオン殿の暴走を見過ごしてしまった責任を取るために、自ら監査官の職から退きましたが、現在はご自分の領土において、ひとかたならぬ勇躍を見せておられるようです」


「はい。勇躍ですか?」


 それははっきりと俺個人に向けられた言葉であったようなので、おそるおそる反問してみると、フェルメスは「ええ」と魅力的に微笑んだ。


「バンズ公爵領には、王都の軍の食糧庫という異名が与えられているのです。バンズは土地が痩せていて、どのような作物も育てるには適していないのですが……唯一の例外が存在するのですね」


「ああ、ポイタンのことですね。自分も少しだけ、お話はうかがっています」


「そうです。これまでは兵糧や旅人の常備食としてのみ食べられていたポイタンが、フワノにも劣らない食材に加工できるということで、バンズではさらに広大なるポイタンの畑が開墾されることになりました。これでバンズ公爵家は、さらなる富を築きあげることが可能になるでしょう」


 フェルメスは卓に両方の肘をつくと、軽く組み合わせた指先の上に下顎を乗せた。

 貴族でもそういう仕草をする人間はいなくもないが、この御仁の場合は妙齢の娘さんみたいに可憐に見えてしまう。


「そういえば、ドレッグ殿からお言葉を預かっていたのでした。……あなたにはとりわけ深く感謝していると申されていましたよ、ファの家のアスタ」


「そ、そうですか。それで、ポイタンが新しい商品としてもてはやされる分、フワノを売る方々に大きな損が出なければいいのですが……」


 俺がそのように答えると、フェルメスはくすくすと笑い声をあげた。


「ご心配はいりません。確かに王都の他の領地においては、フワノの荘園が多く作られておりますが、とうていそれだけでは全領民の食事はまかないきれないため、少なからぬ量が他の場所から買いつけられていたのです。それらの取り引きを少しずつ削っていけば、誰かひとりが大きな損をするという事態には至らないことでしょう」


「我々も、多少の損をかぶる立場になったことだしな」


 鷹揚に微笑みながら、マルスタインが口をはさんでくる。


「我々は、王都から運び込まれてくる食材の代価として、フワノとママリアを引き渡していたのだが、今後はママリアの比重を大きくしてもらいたいと申し伝えられたのだ」


「ジェノスのママリアでこしらえた果実酒は絶品でありますからね。今宵の晩餐も楽しみなところです」


 マルスタインとフェルメスが会話をすると、俺は何とも落ち着かない心地になった。どちらも内心が読みにくいので、狐と狸の化かし合いを見せつけられているような気分になってしまうのだ。


「さて……それでは、そろそろ本題に入りましょうか」


 と、フェルメスがゆったりと身を起こした。


「もちろん、タルオン殿の不始末を謝罪するというのも、立派な本題ではあるのですけれど……より重要であるのは、来し方ではなく行く末のほうでありましょう。我々が今後、どのような道を進んでいくことができるのか、それを語らいたいと思います」


「うむ。しかし、フェルメス殿のお言葉を聞く限り、大きな不安はないように思えるな」


 マルスタインは、そのように述べている。すでに貴族の間では、会談の場が作られていたのだろう。石像のように無言で無表情のメルフリードはさておき、マルスタインもポルアースもずっとリラックスした面持ちであったのだった。


「ジェノスには外交官を常駐させて、王都との関係を密にするべきである……という、ジェノス侯のお言葉を真摯に受け止められた王陛下は、我々をジェノスに派遣されました。いまだ期間は定まっていないのですが、今後は我々が恐れ多くも陛下の代理人として、ジェノスの方々との絆を深めさせていただきたく思います」


「ではやはり、あるていどの日数で、また別の人間が派遣されることになる、ということだろうか?」


 ダリ=サウティの言葉に、フェルメスは「はい」とうなずく。


「外交官の任期は、原則として半年とされています。ただし、二期から三期は延長されるのが通例になっておりますね。……僕はジェノスに派遣される以前、ラッカスという領地で外交官の仕事を果たしていたのですが、その任期も1年まで延長されました」


「なるほど。では、短くとも半年から1年ていどはじっくりと腰を据えて、我々の行いを見定めよう、ということであるのだな」


「はい。……ただしその前に、いくつかの懸念を解消しておかなければなりません」


 フェルメスのヘーゼルアイが、また俺のほうに向けられる。

 いよいよ審問か、と俺はあらためて背筋をのばしたが、フェルメスはそれを見透かしたかのように、やわらかく微笑んだ。


「何も気を張る必要はありません。僕はただ、これまでに聞いた話の再確認をさせていただきたいだけです」


「はい。なんなりとお尋ねください」


「それでは、遠慮なく……これまでの調査や審問の内容は、すべて書面にまとめられています。そこに、ファの家のアスタは大陸アムスホルンの外からやってきた人間であると記されておりました。それはニホンという島国であり、ファの家のアスタは大陸アムスホルンの名さえ知らなかった、と……それは、真実なのでしょうか?」


「はい、真実です」


「そうですか。では、何故にあなたは西の言葉をあやつることができるのでしょう? 外界から訪れた人間はもちろん、同じ四大神の子であるシムやマヒュドラの民でさえもが異なる言葉を使うというのに、あなたは最初から西の言葉を発していたと聞きます。それはあまりに、不可思議な話ではないでしょうか?」


 俺にとっては、幾度となく重ねられてきた疑問である。

 だけど俺は、やっぱり「わかりません」と答えるしかなかった。


「俺は故郷の言葉を喋っているつもりなのですが、何故か最初から会話をすることができたのです。ただ、俺が知る異国の言葉というのは、こちらでも通用しないようなのですよね」


「あなたの知る、異国の言葉?」


「はい。俺の故郷でも、国によって色々な言葉が存在したのです。剣はソード、車輪はタイヤ、献立はメニュー、といった感じなのですが……こちらでは、通用しないようです」


 フェルメスは「ふむ」と華奢な下顎に手をやった。


「シムの都にタイヤンという区域があったように思いますが……まあ、無関係なのでしょうね」


「はい。それに、言葉は通じますが文字は異なっていて、自分もいま西の文字の読み書きを学んでいる最中です。どうしてこんな奇妙な状況であるのか、俺にも理解しきれていません」


「なるほど、不可思議な話です」


 フェルメスが、何やら楽しげな面持ちで微笑む。


「普通に考えれば、あなたはもともと西の民であり、素性を隠すために虚言を吐いている、ということになるのですが……それならば、もう少しは現実味のある話をこしらえることでしょう。しかもあなたは、もともとの故郷で死んだはずの身である、と言いたてているのですよね?」


「はい。自分でも道理が通っていないことは重々承知しているのですが……こんな自分に親切にしてくれる人たちに嘘はつきたくなかったので、すべてを打ち明けることにしました」


「そうですね。僕にも、あなたが嘘をついているようには思えません」


 フェルメスは、あっさりとそう言った。


「あなたはきっと、正気を失っているのでしょう。王都には、そのように伝えようと思います」


「しかし、それは――」と、アイ=ファが声をあげかけた。

 フェルメスは、やわらかい声でそれをさえぎる。


「何でしょう? あなたとて、そういう心情でアスタという存在を受け入れることに決めたのではないですか、ファの家長アイ=ファ?」


「それは、出会ったばかりの頃の話だ。いまは、アスタの言葉を疑ったりはしていない」


 こういったやりとりは、前回にもドレッグたちと交わすことになったのである。

 フェルメスは、「そうですか」と静かに微笑んでいる。


「しかし、我々としては便宜上、そのように報告するしかないのですよ。王都においては、いまだにアスタが異国の間諜なのではないかという声があがっています。シムの間諜であるという声はだいぶん静まってきたのですが……今度は、ゼラドの回し者なのではないか、という声があがり始めてしまったのですね」


 それは、初めて聞く説であった。

 眉を寄せるアイ=ファに向かって、フェルメスは滔々と語り続ける。


「ジェノスが独立を目論んでいる、という疑いをかけられていたことは、ご存知でしょう? これまでは、シムがその後ろ盾なのではないかと囁かれていたのですが、それがメルフリード殿にあえなく論破されると、今度はゼラド大公国が持ち出されてしまったのです。叛逆の同志を作りあげるために、ゼラドがジェノスに独立をそそのかしている。ファの家のアスタは、そのための間諜だったのではないか――といった具合にですね」


「お待ちください」と、ガズラン=ルティムが静かに声をあげた。


「見届け役の身として僭越ですが、ひとつ確認させていただいてもよろしいでしょうか?」


「はい。何でもご遠慮なくお尋ねください」


「ありがとうございます。……以前に、アスタは西方神としての洗礼を受ければ、そういった疑いからも解放されるだろうと聞いていたのですが、そうではなかったということなのでしょうか?」


「ああ」と、フェルメスは楽しそうに目を細めた。


「それは、メルフリード殿が王陛下に進言されたお言葉でありますね。アスタがもともとこの大陸の人間であれば、渡来の民として西方神の洗礼を受けることは、神の前で許されざる虚偽を述べることになる。間諜としての仕事のために、自らの魂を犠牲にすることなどありえない……ゆえに、アスタは虚言を吐いていない、という、そんな論調であったようですね」


 それはそのまま、マルスタインがドレッグに語った言葉であった。

 メルフリードは月光のごとき灰色の瞳を光らせながら、無言でフェルメスの言葉を聞いている。


「それはまことに、筋の通ったお言葉であるかと思われます。普通に考えれば、間諜としての仕事をまっとうするために、魂を犠牲にすることなどありえません。神を移す儀式の際にそのような虚偽を申し立てれば、死後に魂を砕かれることになるのでしょうからね」


「そうですか。では――」


「ええ。普通に考えれば、そうなのです。だからこれは、普通の事態ではないのだろう、と主張する人間が出てきたのです」


 ガズラン=ルティムにみなまで言わさず、フェルメスはそのように言葉を重ねた。


「一例をあげますと……ファの家のアスタは、ゼラドに家族を人質にされているのではないか、という意見を申し述べる者もおりました。間諜としての仕事をまっとうしなければ、大事な家族を処刑されてしまう。そのために、自らの魂をも犠牲にして、間諜としての使命を果たそうとしているのではないか……といった具合にですね」


「……どうしても、アスタの行いには裏があると考えなければ気が済まないのだな」


 こらえかねたように、アイ=ファが低くつぶやいた。

「そうですね」と、フェルメスは優雅に微笑んでいる。


「ただし、その説にも現実味はありません。アスタの素性を取り沙汰する前に、ゼラドなどを持ち出すことに無理があるのです。……ゼラドがジェノスを同志に引き込んだところで、王都までひと月もかかる場所では、大した力にはなりえないでしょう? たとえジェノスが軍勢を差し向けようとしたところで、王都との間に存在する領地の軍に阻まれて、まともに進軍することもかないません。そうして後は自分たちがセルヴァの軍に包囲されて、滅びの道を辿るだけです」


 そう言って、フェルメスはゆったりと髪をかきあげた。


「それでまあ、僕もそのように進言してしまった手前、アスタの正体に言及しないわけにはいかないのですよ。シムやゼラドの間諜ではないのなら、いったいファの家のアスタというのは何者であるのか――それをつぶさに見極めてこい、と厳命されてしまっているのです」


「進言?」と、アイ=ファが鋭く目を細めた。


「それはつまり――あなたがアスタの疑いを晴らしたということか?」


「まだ晴れきってはいないのですよ。そのためにこそ、アスタは正気を失っており、何か深刻な記憶違いを起こしている、と報告せざるを得ないのです」


 すると、しばらく無言でいたオーグが厳しい視線を上官に差し向けた。


「しかし、ただひとたび顔をあわせただけで、そのように決めつけるのは、あまりに尚早なのではないでしょうかな、フェルメス殿? 王陛下は、つぶさに見極めよと命じられたのでしょう?」


「ええ、もちろん。これからじっくり見定めていくつもりでありますよ。陛下にご報告を申し上げるのは、半年から1年の先の話です」


 そんな風に述べてから、フェルメスはまた可憐な少女のごとき微笑をふりまく。


「ただ、僕の目から見ても、アスタは嘘をついているようには思えないのです。ならば、本当に正気を失っているか……あるいは、我々には理解できない超常的な作用のもとに、アムスホルンにやってきた、ということになるのでしょうね」


「……そのような報告を持ち帰ったら、陛下は怒り心頭でありましょうな」


「ええ。陛下はまじないやあやかしの類いをたいそう嫌っておられますからね。ですからまあ、アスタが嘘をついていないと断じた際には、正気を失っているようだと申し上げる他ないでしょう」


 アイ=ファはいくぶん複雑そうな面持ちで、両者のやりとりを見守っていた。やはり、フェルメスの内心が計り難いので、困っているのだろう。

 いっぽう、ガズラン=ルティムやダリ=サウティなどは、たいそう興味深げな面持ちでフェルメスを見やっていた。彼らの目に、この美麗なる貴族はどのように映っているのか、俺としても気になるところであった。


「……それにしても、ドレッグ殿らがジェノスを出立した後にも、さまざまな不測の事態が生じたようですね」


 と、フェルメスがまたこちらに向きなおってくる。


「まずはモルガの山に棲息していた聖域の民が森辺の集落にまぎれこみ、次の月には地震いが原因でトゥラン伯爵家の前当主サイクレウスが魂を返し、そして先日にはその弟であった大罪人シルエルが盗賊団の首領となってトゥランと森辺を襲撃した――わずか3ヶ月ていどでこれほどの事件が立て続くとは、本当に驚くべきことです」


「それに、ズーロ=スンの一件もあったな。王都の審問官の温情に、我々も深く感謝している」


 マルスタインの言葉に、フェルメスは「そうですね」と微笑んだ。さきほどから、もう何度となく「そうですね」という言葉を聞かされているような気がする。そうしていったん相手の意見を受け入れるのが、彼なりの話法であるのかもしれなかった。

 と、俺が益体もないことを考えている間も、フェルメスは語り続けている。


「その一件で、森辺の民の存在が、少なからず見直されたという面もあるのでしょう。……ああ、そうそう。ズーロ=スンの一件は、まだ森辺の方々にお伝えしていないのではないでしょうか?」


「ああ、そうであったな。……実はフェルメス殿らが、審問官の新たな言葉を届けてくれたのだ」


 ズーロ=スンの話に至り、グラフ=ザザがわずかに身じろぐと、マルスタインはそちらに向けて笑いかけた。


「ズーロ=スンの傷は1年ていどで癒えるという話であったが、審問官の判断により、その期間は刑期から差し引かれることになったのだ。……つまり、1年の療養を終えたのち、本来であれば残り9年を刑に服するはずであったが、それは8年に縮められた。最初に定められた通り、刑に服した日から10年で、ズーロ=スンは森辺に帰ることが許されることになるわけだ」


「……そうか」と、グラフ=ザザは重々しく答えるばかりであった。

 しかしきっとその分厚い胸の中では、さまざまな思いが渦巻いていることだろう。ツヴァイ=ルティムやミダ=ルウたちも、心から喜ぶに違いない。俺だって、審問官のはからいには感謝の思いしかなかった。


(なんだか前回に比べると、すごく友好的な雰囲気だな。このフェルメスってお人が友好的な態度だから、そんな風に感じるんだろうか)


 俺がそのように考えていると、フェルメスがさらにたたみかけてきた。


「あと、これはこのような場で持ち出す話ではないかもしれませんけれど……トゥラン領で働く北の民たちについても、ジェノス侯と語らうことになりました。あなたがたは森辺に道を切り開く工事の際に北の民と顔をあわせて、食事の内容の改善などを呼びかける立場であったと聞いていますので、いちおうお伝えさせていただきたく思います」


「北の民?」と、ダリ=サウティがうろんげに声をあげる。

 フェルメスは「はい」とうなずいた。


「その北の民たちは、南方神に神を移させるべきではないか……と、ジェノス侯がそのように提案されてきたのです。マヒュドラを捨ててジャガルの子となれば、自由に生きていくことができるようになる、ということですね」


「そのような話が、許されるのか?」


 ダリ=サウティが驚いて聞き返すと、フェルメスはこともなげに「ええ」と応じた。


「神を移す行いは、四大王国のすべての民に許されています。あなたがたとて、ジャガルからセルヴァに神を移された身でありましょう?」


「それはそうだが……以前にも話した通り、俺たちには四大神の子であるという意識が欠けていたのだ。本来は、そう簡単に神を移すことは許されないのだろう?」


「それを許さないのは、自分自身です。森辺の民でたとえるならば、モルガの森を捨てて別なる山や川の民になれ、というようなものなのではないでしょうか」


 不可思議な色合いをした目を細めながら、フェルメスはそう言った。


「北の民たちが、それほどの覚悟をもって神を移したいと願うならば、それを止めることは誰にもできません。……それに、ジェノス侯から聞いたところによると、トゥラン領で働く北の民たちは、幼き時代にマヒュドラから連れ去られた人間が多いようだ、という話であったのですね。そういう境遇であれば、普通に生きてきた北の民たちよりは、マヒュドラの子であり続けたいと願う気持ちも薄くなるやもしれません。人間とは、幸福に生きた時間が長ければ長いほど、父たる神に深い感謝を抱くものなのでしょうからね」


 ダリ=サウティは、フェルメスからオーグのほうに視線を移した。

 フェルメスは内心が読みにくいので、オーグの口から真意を聞きたいと願ったのだろう。それに気づいたオーグは、厳しい表情のまま口を開いた。


「北の民が南方神に神を移すというのは、ついぞ聞かぬ話です。しかし、東から西に神を移す人間であれば、何名か話を聞いたことがありますな」


「そうなのか。森辺の家人となったシュミラルも同じ立場であるはずだが……他にも、そういう人間がいたのだな」


「ええ。そういった者たちは、神と故郷を捨てるばかりでなく、これまで友であった北の民を敵として、これまで敵であった南の民を友とする覚悟も必要となるのです。北の民たちに、それほどの覚悟を示すことができるのであれば……我々も、同じ覚悟で手を差しのべるべきであるのでしょう」


 ダリ=サウティは感じ入ったように口をつぐみ、その代わりにガズラン=ルティムが口を開いた。


「とても納得のいくお話です。まずは、長きに渡って奴隷として虐げられてきた北の民たちに、西の民を許すことができるのか――そこが肝要である、ということなのですね」


「はい。ですから普通は、北の民が南方神に神を移すことなどありえないのです。西の民を仇敵とする北の民にとって、それは許し難い行いであるのですよ」


 ガズラン=ルティムを見つめながら、フェルメスがそう言った。


「それに、神を移すことが許されるのは、人の生において1度きりです。2度までも神を移すことなど、大いなる四大神に許されるはずもありません。ですから、北の民たちが南方神に神を移せば、再びマヒュドラの子となって西の民の脅威になる恐れもない――ということですね」


「ならば、トゥランの北の民たちが南方神に神を移すことは、許されるのですね?」


「はい。彼らが、それを望むのでしたら」


 あくまでも優雅に、フェルメスは言葉を重ねる。


「そして我々も、ジェノスにおいて数百名もの北の民が奴隷として使役されていることには、いくぶんの懸念を抱いておりました。このような最南部では奴隷を使役する習わしもないので、いつか手違いが生じるのではないかと危惧していたのです。……それを南の王国に委ねられるのであれば、王陛下も安堵されることでしょう」


「もしも彼らがその話を受け入れれば、やはりジャガルで暮らすことになるのでしょうか?」


「それはそうでしょう。というか、北の民たちもそれを望むはずです。南の民となれば、客分の身としてセルヴァに留まることも許されますが……西の民は、金色の髪に紫色の瞳をしているというだけで、これは北の民なのではないかと警戒心をかきたてられることになります。そんな猜疑と惑乱の目に煩わされるよりは、ジャガルの地で暮らすほうが、よほど心安らかに生きていくことがかなうでしょう」


「そうですか」と、ガズラン=ルティムは静かに微笑んだ。


「その場合、トゥランは数百名もの働き手を失うことになります。それは、どのような形で補うことになるのでしょう?」


「それを考えるのは、ジェノス侯のお役目でありましょうね」


 フェルメスの視線を受けて、マルスタインは「うむ」とうなずいた。


「その場合は、領民を募るしかあるまいね。そして、奴隷ならぬ領民には、働いた分の富を分け与えなければならない。ようやく財政の整ったトゥラン伯爵家は、またぞろ大きな問題を抱え込むことになるわけだ」


「それでもなお、北の民を手放そうというのでしょうか?」


「うむ。トルストやリフレイア姫から、内々に承諾は取りつけているよ」


 すでにそこまで話は進んでいるのかと、俺は内心で驚くことになった。その妙案がデルスからポルアースに伝えられて、まだ今日で6日目なのである。

 そのポルアースは、こっそり俺のほうを見やりながら微笑んでいる。デルスとポルアースのやりとりを知っている森辺の民は、その場に居合わせた4名と、ジザ=ルウがひそかに打ち明けたドンダ=ルウのみであったのだ。


「王都の方々の承諾も得られたので、今度はジャガルの貴き方々に話を通さなければならん。その上で、北の民たちがこの行いを受け入れるかどうかだ」


 そのように述べてから、マルスタインはゆったりと微笑んだ。


「それでトゥランから北の民が失われようとも、森辺の民にフワノやママリアを育てよ、などと命ずることはない。そのことだけは、この場で明言させていただこう」


「ふん。そういえば、北の民たちを処刑して、森辺の民をトゥランに住まわせる、などという話もあったのだったな」


 ドンダ=ルウが、厳しい眼差しで貴族たちを見回していく。

 その眼光を毅然と受け止めながら、オーグが「ええ」と応じた。


「それもまた、タルオンの描いた不格好な策謀のひとつですな。まあ、本気でそのようなことを企んでいたのではなく、ジェノス侯と森辺の民を挑発しようと目論んでいただけなのでしょう」


「ならば、ひとつだけ聞いておきたい。……王都の人間は、森辺の民を森から下ろしたいと願っているわけではないのか?」


 オーグは迷う素振りも見せずに、「無論です」と答えた。


「我々とて、ジェノスについては調査しつくしております。モルガの森に棲息するギバなる獣は異常な繁殖力を有しているために、数百名の狩人が毎日仕事を果たす必要があるのでしょう。それを放置しておけば、ジェノスはもちろん近在の領地や街道までもが危ういことになりかねない――というのが、我々の判断であります」


「そして、この近在の街道がギバに蹂躙されれば、セルヴァはシムへの架け橋をひとつ失うことになります。シムから訪れる行商人も、半減することでしょう。そのような事態だけは、何としてでも避けねばならないのです」


 フェルメスが後の言葉を引き継ぐと、ドンダ=ルウはうろんげに視線を転じた。


「セルヴァの王というのは、シムを嫌っていると聞いた覚えがあるのだが、それは俺の記憶違いであったか?」


「陛下が嫌っておられるのは、シムに伝わるいにしえの技です。以前までは王宮にも占星師や祈祷師などが召し抱えられていたのですが、それもすっかり淘汰されてしまいました」


 オーグは視線で何かを訴えていたが、フェルメスはかまわず喋り続けた。


「しかし、シムとの通商は、セルヴァにとってきわめて重要です。シムでしか収穫できない香草や食材、銀細工に硝子細工、それに織物や宝石の類いなど、それらを失うことはできないのです。……そしてまた、シムとの絆が弱まることは、非常に危険なことでもあるのです」


「危険? ……シムがマヒュドラの友として、セルヴァに襲いかかってくることを危惧しているのか?」


「その通りです。現在のシムは中立の立場を取っておりますが、北方のゲルドの一族はマヒュドラと強き絆を持っています。そして、ジェノスの南方からシムの草原に通ずる街道が封じられれば、セルヴァとシムを繋ぐのはマヒュドラにほど近い北方の街道のみ――つまりは、山の民の思惑ひとつで、セルヴァとシムの交わりを絶つことが可能になりかねないのです」


 たしかシュミラルの話によると、北方の街道からセルヴァを目指す草原の民も多数いるはずだ。

 しかし、マヒュドラや山の民がその気になれば、その街道を封鎖することも難しくはない――ということなのだろう。


「山の民というのは、西の王国の敵なのでしょうか?」


 ガズラン=ルティムが問いかけると、フェルメスは笑顔で「いえ」と首を振った。


「決してそのようなことはありません。山の民たるゲルドの一族も、シムの王の臣下であることに違いはないのですから、セルヴァに敵対することは許されないのです。……しかし、シムとセルヴァの絆が弱まれば、恐ろしい行く末を迎えることにもなりかねません。シムとマヒュドラ、セルヴァとジャガルのふたつに分かれて、これまで以上の戦乱の時代が訪れてしまう恐れすらあるのです」


「なるほど……そういう意味合いもあって、ジェノスはシムの力を借りて独立するのではないか、という危惧を抱かれたわけですね」


「ええ。シムとの交易の要であるジェノスは、セルヴァにおいてきわめて大きな存在であるのです」


 話はどんどん物騒な方向に転がっているのに、フェルメスの笑顔は屈託がなかった。


「ですから我々は、ジェノスの方々と確かな絆を結ばなくてはならないのです。今日はずいぶん時間も差しせまってきてしまいましたが、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」


「うむ。こちらのほうこそ、よろしくお願いしたい」


 フェルメスの言葉を閉会の合図と受け取ってか、ダリ=サウティがそのように答えた。

 するとフェルメスは、笑いを含んだ目でそちらを振り返る。


「そこでひとつ、ご提案があるのですが……ファの家のアスタの料理を、我々にも味わわせていただけないでしょうか?」


「ふむ。以前の監査官たちも、まずはアスタの腕前を知りたいと言いだして、料理を作らせていたな」


「はい。ですがこれは腕試しなどではなく、純然たる好奇心です。そして、我々の絆を深める一助になればと考えています」


 そう言って、フェルメスはくすりと笑い声をたてた。


「ただ、ひとつだけ問題がありまして……僕はひどい偏食家であるのです」


「へんしょくか? 食べるものの選り好みをする、という意味か?」


「はい。僕は、獣の肉を食することがかなわないのです」


 フェルメスは、無邪気そのものの顔でそのように述べていた。

 ダリ=サウティは、彼らしくもなく、きょとんとしてしまっている。


「それはまた……ひどい選り好みをするものだ。人間は、肉を喰らわずに健やかな生を得ることができるものなのだろうか?」


「はい。僕などは、獣の肉を食べない代わりに、魚や貝などを食してきました。王都は西竜海からトトスで1日の距離であるので、海の恵みをいくらでも口にすることがかなうのです」


 そんな風に述べながら、フェルメスは笑いを含んだ目で俺を見つめてきた。

 とても透き通っていて、何もかもをわきまえているような――しかし、カミュア=ヨシュやジバ婆さんやアリシュナなどとは毛色の異なる、人の心にするすると忍び込んでくるような眼差しである。


「アスタはかつて、魚を使った料理でポルアース殿をうならせたことがある、と聞き及んでいます。よろしければ、僕にもその喜びを授けてはいただけないでしょうか?」


「は、はい……族長たちの許しをいただけるのでしたら」


 ドンダ=ルウは硬そうな髭に覆われた下顎を撫でさすりながら、「ふん」と鼻を鳴らした。


「これまでさんざん同じような仕事を引き受けてきたのに、このたびだけ断ることはできまい。……食べもせずに犬に与えるような真似はしないと約定を結んでもらえるのならな」


「もちろんです。ドレッグ殿やタルオン殿は、威圧することでジェノスの人々を従えようと考えたのでしょうが、僕があなたがたに求めているのは、共感と理解であるのです」


 フェルメスは、純真なる乙女のように微笑んだ。


「それでは、どうぞよろしくお願いいたします、ファの家のアスタ。心より楽しみにさせていただきます」


「は、はい。ご期待に応えられるように、励みます」


 そのように答えながら、俺はそっとアイ=ファのほうをうかがった。

 我が最愛なる家長は、何とも複雑そうな面持ちで、口をへの字にしてしまっていた。

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